2020年9月11日金曜日

㉝【おいせさん手帳】愛を思い出す日


2020.9.11 日が昇る前

2020.9.11 朝の太陽

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2020.9.11 朝出勤前の空

2020.9.11 朝の青空に白い月



おいせさん手帳第33回目
担当:私

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9月11日

忘れられないほど大切な誰かや何かに出逢ったあなたへ。
愛を思い出す日。

忘れられないことがあるのなら、自分の人生の終わりを想像してみましょう。それはどんな形になっていることでしょう。忘れられないものの形が自由自在に変わっていくことを、もしくは変わらないことを、どちらにしても自分の心にフィットする形が見つかるように祈りましょう。そして、少なくとも今まで向き合い続けた自分を心よりねぎらいましょう。

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この話はまるで911を思い浮かべて書いたみたいに見えるけれど、実際の基(もと)となったストーリーは全然違う。

そしてこの記事だけが唯一その人を思い浮かべて、その人とのワンシーンを組み込んで書いたものだった。
9/5 6:55




1年前おいせさん手帳のメッセージを書いていた自分にこのことを教えてあげたい。

きちんとこのことをカミングアウトできる機会に恵まれるよ、と。

冒頭に書いた通り、このメッセージだけが唯一おいせさん手帳のメッセージの中でその人を思い浮かべてその人にまつわることを書いたものだった。

だけどそんなことは私1人しか知らなくて、その人が知ることなんて絶対にないと思ったし、ましてやそのことをブログに書くなんてのも想像さえしていなかった。

今日のこの分について書くためにずっとおいせさん手帳のメッセージを担当した日についてブログをしたためたわけではないから、この話は半永久的に私の中だけに残る思い出として終わると思っていた。

一緒にやったノムにもこれは話さなかったし、本気で自分1人だけが墓場に持っていくものだと信じて疑わなかった。

だからまさか1年後の自分が当時のことを口にするなんて想像もしていなかった。




どちらが先かは覚えていない。

その人にまつわる話もメッセージとして書きたいと思って入れたのか、自分が9月11日を担当すると決まってそれで当時のことを書こうと思い立ったのか、どちらかは忘れた。

前者の気持ちはやることが決まった最初からあったようにも思うけれど、そんなにタイミングよく日にちとその人にまつわるエピソードがマッチするとも限らないから、それはどこか宝くじみたいな、神のみぞ知るの域だった。

ノムと日にちを分けて正式に9月11日を担当すると決まってから、念のためノートを開いて確認したことはなんとなく記憶に残っている。

やっぱりそうだった。

9月11日はその人に手紙を渡した日だった。

そのことを書く、とすぐに決まった。

そして書いた時に、それを見て911のことを想像する人がいてもその人のことを想像する人は誰も絶対にいないと確信していたから、私は自由に書くことにした。

そして本人も目にすることなんてないだろうから、もっと好きに書けると思った。

もし、
その人が私のブログを見て、
私がおいせさん手帳の制作に関わったと知って、
Amazonとかで手帳を注文してくれて、
その日の部分を読んでくれたとして(366分の1)…

そんな現実起こる確率の方がどう考えてもゼロで、ましてや上に書いたことが本当に起こったとしても、今日という日のメッセージを見て「俺のことが書かれている」などと思うのか!?なんて考えたら、「うん。絶対にない!」と確信までした。

だからこのことを今回カミングアウトできるなんて、夢にさえ思わなかった出来事だった。

しかも私が、おいせさん手帳のノムや私が担当した日の内容について何かしら文章を書き添えてブログで紹介する案なんて実際に書いていた時は思いつきもしなかったわけで、現物が届いてしばらくしてから「それしてみよう!」って軽いノリで始めた。

さらに、今回はここ数日その人が目の前にいた3年前と今とを織り交ぜた文章をブログに書いている。

最初のものを数日前に書いた時に、「おいせさん手帳の話(9月11日のエピソード)に繋がっていく(♡´艸`)♡」と1人でこの連動具合に超テンションが上がった。

それこそそんなの1年前のおいせさん手帳制作のかたわらで思いつくわけもなく、まさか1年後の自分が当時を回想してブログをアップするなんて思ってもなかったから、これら全てのコラボレーションに歓喜している。

なんだか嬉しい。

本当に嬉しい。





3年前私はその人に手書きの長い手紙を渡した。

異動で3週間くらいのうちにいなくなると知って、時間が欲しいと言ってみたけれど、もう全く相手にされないから、もうきっぱりとこの件からは手を引こうと思った。

だから手紙の手の字もなかったし、色々撃沈していたけれど、撃沈したまま週末を適当に過ごすつもりでいた。

なのに、本当に突然スイッチが入った。

手紙を書きたい!というノリよりも、書かなきゃいけない!、絶対に今何が何でも書いて伝えなきゃいけない、そういう気持ちだった。

ちなみに「伝えなきゃ」というのも、気持ちとか愛の告白的な意味じゃなくて、何か底から湧き上がるものに突き動かされて、言葉で伝えられるありとあらゆるものをとにかく見える形にしなきゃいけない、何を書くつもりなのかもわからなかったけれど、とにかく手を動かして書かなきゃいけないと思った。

このブログの何十倍と起承転結のない手紙が仕上がった。

今も手元に下書きがあるけれど、本当に相変わらずつかみどころのない、これは何なの?と自らも確認したくなるような代物をその人に勝手に押し付けてきた。

その手紙も本人はどうしたのかベールに包まれたまま、そして今現在に至っている。





さっきシャワーを浴びている時に、どうして私の今日のメッセージがその言葉になったのかが浮かんできた。

1年越しにようやく自分の気持ちがわかった。

そんな気持ちになった。

私は自分が手紙を書いて渡したことを、せめて自分の中ではそれで良かったんだとしたい気持ちがある。

相手に頼まれて書いたのでは絶対にない。

迷惑行為ってすなわち私のこういう行為を指すんだろうと思った。

完全に私のわがままで自分勝手な行動で、その時は自分のことに手一杯で、相手がどう思うとかどう取るとか、そんなの考える余裕もなかった。

やらない後悔よりもやって後悔の方がいいというのともかなり違っていたことに今日今さら気付いた。

私は今でも何が正解だったのかはわからない。

私は自分の押し付け行為が良かったとは正直今も多分心の奥底ではそうだとは思ってないし、そんな風には思えない。

押し付けや自分勝手なふるまいに対して、そうした自分に対して「それで大丈夫だよ」と自分に言いたいんだと思った。

迷惑にしかならないだろう手紙を渡すというのは、とんでもなく勇気の要ることだった。

自分がものすごい暴走していることも、相手からありがたがられるなんてまずなくて、完全に自分の気持ち1つだけで動いていることも、色んなことが自分の中で消化不良だった。

手紙を渡すことも、実際には勢いだけで動いていたけれども、そうすることも何もしないこととは別の後悔が最初からあった。

その行為が良いことだなんて私は本気で思えなくて、だけどじゃあ何も言わずこのままにしておくのもそれもそれでダメで、どちらにしても究極のところ100%の納得は全くなかった。

2つを天秤にかけて、それでより後悔の少なさそうな方を選んだとしか言いようがない。

手紙を渡すことそのものも、私にとっては良いと思えない、後悔の対象だったんだと今ごろ気付いた。

自分の中でも色んなことが整理できず言葉にできず、かなり悶々としていた。

それを自分の勝手で形にして、そして相手にも相手の意志を全部無視して押し付けてきた。

自分の中で「これで良かったんだよ」と強制的に思わせようとしてきたけれど、本当のところはどこかでいつも引っかかっていた。

そうするしか思いつかなかったのと、言葉にできないすごい力に突き動かされた感じで動いていたのと、何もかも抑制するなんてできなかったところもあったけれど、「良い」と思って選んでいたのとは100%違っていた。

だから、動いたことに対しても私は後悔に似た気持ちを最初から持っていたんだと思う。





上に書いたことを思い出した時、実際のメッセージとタイトルのことも思い出した。


「忘れられないほど大切な誰かや何かに出逢ったあなたへ。
愛を思い出す日。

忘れられないことがあるのなら、自分の人生の終わりを想像してみましょう。それはどんな形になっていることでしょう。忘れられないものの形が自由自在に変わっていくことを、もしくは変わらないことを、どちらにしても自分の心にフィットする形が見つかるように祈りましょう。そして、少なくとも今まで向き合い続けた自分を心よりねぎらいましょう。」


メッセージとタイトルには差があって、メッセージの方には自分を励ますようなことを書いていて、タイトルにはメッセージとは違う内容の言葉を付けている。

思い出したのはこうだった。

当初メッセージだけをお願いされていて、メッセージだけを自分の担当した日にち分書き上げた。

それが後からタイトルとサブタイトルも書いてくださいと頼まれて、それでメッセージの後にタイトルとサブタイトルを付けた。

メッセージは上に書いたように、それを選んだ自分のことを、そしてどんな形に収束したとしてもそれに向き合う自分に、それで良いんだよと言いたくて書いたのが本当の真相かなと思う。

あれは本当に自分に向けた究極のメッセージだった。

死ぬその時まで多分私は手紙の事をどこかで気にしたままな気がした。

今生その人にもう二度と会えなくても、手紙は別枠で私の中で気になってしまうことなんじゃないのかな…と思った。

手紙に対して、手紙を渡したことに対して、色んな気持ちがそれまでに湧くことは簡単に想像がついた。

その中には、なんとなく「それで良かったんだよ」と無理に自分に思い込ませるような自分もあった。

渡さない方が良かったとは思わないにしても、渡して良かったとはならない気もしていた。

だけど死ぬ間際になったら、それがどんな形として自分の中にあっても、それで良かったと自分に言いたいし、そしてそこまでよくがんばったと自分を労いたい、そういう思いがあった。

相手のことは自分じゃどうにもできないから、せめて自分の心の落とし前だけは付けておきたい、そんな気持ちで書いていた。

そのメッセージに後日タイトルを付けるとなって、どうしたらいいかなと考えた時間のことを思い出した。

忘れられないほど大切な誰かや何かに出逢ったあなたへ。
愛を思い出す日。

「忘れられないほど大切な誰か」

もちろんそれはその人のことだった。

「大切な誰かに出逢ったあなたへ」ではなく、「忘れられないほど大切な誰かに出逢ったあなたへ」にしたのは、もちろん「忘れられない」に重きを置いたから。

その人は大切なだけじゃない。

忘れられない人なんだと、それは簡単に想像がついた。

もう二度と人生が交わらなくても、もう二度と会うことはなくても、状況がどうだということに関係なく「忘れられない人」なんだというのはすぐにわかった。

だから「忘れられないほど」とわざと付けた。

「愛を思い出す日」は911を連想するだろうことを見込んで、わざとはぐらかした。

もしその人との出逢いから終わりまですべてを要約して言葉にするとするなら、愛が一番近い気がした。

誰かのことを大切に想う、そしてそう思っている自分のことや自分の気持ちも大切に扱う、愛なんて言ってもイマイチつかみどころがないけれど、それは1つの愛の形なんじゃないかなと思う。

「思い出す」としなくてもいつもそばにある感じはしたけれど、他に言葉が思い付けなかったのと、あえて意図的に思い出すことをするのも大事なプロセスのような気がしたから「愛を思い出す日」にした。

はぐらかしたとは言ったけれど、フィット感のある言葉で、これ以上ないくらいピッタリな感じがしている。

そんなことを思い浮かべながら付けたタイトルとサブタイトルだった。





ブログはチェックしてくれると知った今も、私は手紙のことはその人の目にどう映っているのかを知らない。

もしかしたら私が思ってもいない形でうんと大事にしてくれてるのかもしれないし、反対にどう扱っていいかわからないままそのままになっているのかもしれない。

答えはその人しか知らない。

私からは見えないけれど、あの日押し付けられた瞬間から、その人の方にも手紙のストーリーが始まっている。

そのストーリーは私側は何も知らないけれど、今日のこのブログを通じて「手紙」が実はこのメッセージの裏側にあったことをお互いの共通認識で持てたのなら素敵だなと思う。

2人だけの秘密なんて言われたら嫌かもしれないけれど、本当に2人だけが知ることを1つ持てるのは嬉しい。

1年前、まさに今ごろおいせさん手帳のメッセージを書いていたわけだけど、その時に今日という未来は想像できなかった。

まさか今日のメッセージの主人公となるその人に、実はそういうメッセージだったんだよとか、その人を思い浮かべて書いたことなんだよとか、そんなことを伝えられるとは思ってもみなかった。

余談だけれど、おいせさん手帳は来年もどうやら出るらしい。

それこそ10日に知った。

今年は来年用のメッセージを書いてくださいという依頼は来ていない。

そう、1年前の今だけが本当に特別にそれができる状況にあって、あれはたった一度だけのものすごい特別な機会だったんだと知った。

だからこんな風においせさん手帳のことをノムや私が担当した日のものを紹介してエピソードを添えてブログにアップするのは今年が最初で最後になる。

そして上手い具合に、その人はブログをチェックしてくれていて、こんな風に伝えられるのもすごい偶然がいくつも重なって初めて可能となることなんだと感慨深い。

そういうのを「奇跡」って呼ぶんだと思う。





書いてるとキリがないから、続編というか番外編的なことは近いうちに書いてアップしたいなと思う。

今回もう1つだけ特別だなと思うのが、今回がおいせさん手帳ブログ第33回目だということ。

ゾロ目でスピリチュアル的な定義ではマスターナンバーと呼ばれる特別な意味を持つ数字だったりするけれど、その数字の回にこの記事を書けるのもとても嬉しい。

なんとなく縁起が良い感じがする。

だからって何が起こるわけでもないけれど、こういうタイミングの良さは今も3年前も変わらずに嬉しい。

もう1つ。

自分で今回書いてて気付いたけれど、私は「嬉しい」って自分が書く文章の中にはほとんど書かない。

特にその人とのエピソードの中では、ほとんど使ったことないんじゃないかとさえ思う。

そんな中、今回はかなりたくさん「嬉しい」と書いた気がする。

それもとても自然な感じで。

昨日(書いているうちに12日になった)が手紙押し付けられた日だな、なんてその人が思い出すことはなくても、そういうタイミングだったり、見えないところでは1年前からこんな風に用意されてたんだよと伝えられるのが嬉しい。

昨日は普通の金曜日で、週末迎えられることに安堵していたくらいで終わったかもしれないけれど、私の中では特別な1日だった。

特別な人に宛てた特別な手紙を押し付けることができた、そういう特別な思い出が詰まっている日だった。

2017年の9月11日の朝の9時になる少し前、奇跡的にその人と私としかその場にいないという1分にも満たないような時間に、私はささっとその人が座っている机の上に味気ない茶封筒を置いた。

何にも反応はなかったけれど、誰がどう見ても自分に向けられた物だというのはその人だって絶対にわかるように一言声をかけてポンと机の角に置いた。

怖くてその後その人の机を見れなかった。

翌日、とりあえず机の上には茶封筒がなかったから、持ち帰ったなり捨てたなりしたんだろうと思った。

もう過去にも戻れないし、そのシーンをドラマの撮影みたいにやり直すこともない。

だからこそ、そこの場面をいつかの死ぬ時の死に際にいる時は、「これで本当に良かったんだ」と思って死にたい。

そういう想いを込めて書いた9月11日のおいせさん手帳のメッセージだった。




写真は、当初使う予定だった封筒。
これじゃ目立って仕方ないから、茶封筒で正解だったなぁと後から気付いた。


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