『夏の終わり2020 』の前編を書いていた時にふと思った。
3年前の夏の今くらいが、当時は一番明るい日々を生きている頃だったんだなぁって。
全くやる気のない仕事にも関わらず、毎日毎日朝を迎えるのが楽しみで、ルンルンで仕事に行って、行っている最中もルンルンしていて、そして帰る頃は寂しくなって、夜寝る前は1日を振り返って心が満たされて、そしてまた次の日に想いを馳せて、そういう日々だった。
人生で初めてお盆休み明けの出社がこの上なく楽しみで、早くその日にならないかと心待ちにしていた。
仕事にどんなにやりがいを感じていても、過去の仕事やそれ以降の仕事で、盆正月的な長期休み明けに仕事に行きたい!!!、なんて一度も思ったことがない。
だけど、当時は無駄に長い夏休みが要らなくて、もっと休みが短くてもいいのに!と思った。
ただただ同じ空間にいられることが本当に嬉しくて、その人に会いに仕事に行っているようなものだった。
同じ時代に生まれて、ある時ある場所で隣り合わせるってどれだけの確率だろう…といつもいつも思った。
ど田舎新潟転勤なんて希望してそうなったのでは絶対にないだろうことも含めると、ますます天の采配の凄さを思った。
何に感謝していいのかわからないけれど、すべてに対してありがとうと言いたいくらいに、3年前の夏の私は日々生きていた。
物理的な近さとか毎日半強制的に会える環境とかは、当時の方がうんと恵まれてはいたけれど、今の方がある意味近くなったように思う。
とにかく色んなことをこのブログには書いている。
再開した頃は何をどこまで書いていいか迷っていて、かなり厳選しながら書いたけれども、ある頃から徐々にありのままの自分のことを書くようになった。
引きこもりニートなこともあまりにも長期に渡って隠し切れるものではなくなったし、オカルト的な体質についても書きたいことを書くためにはカミングアウトするしかなくなったしで、他にも色々なんでも書くようになった。
それには私なりに1つの賭けもあった。
興味なかったり受け入れられないものなら、その人はもうブログを見ることをやめるだろうと。
でも私の場合は、そういうことが私であったり私の人生であったりするわけで、変えたくても変えられないものや、周りが何と思おうと自分なりに大切にしていることだったりするわけで、本当に無理なら元々色々無理だったわけだから離れていくだろうと思った。
そんな風にしてそろそろ3年になるわけで、それでも今もなおその人がチェックし続けてくれるというのは、何よりも想定外のことだった。
今さらだけど、色んなことをカミングアウトしつつ書いてきて良かったなぁと今は思う。
一緒の職場にいた頃は、私は借りてきた猫のように一切喋らない人だった。
用件は必要に応じて確認したりはしたけれど、世間話は誰ともせず、電話も出なくていいと言われていたからほとんど出ず、とにかくほぼ1日無言で置き物のように自分の席に座っていた。
だから、私もその人のことを本当に知らなかったけれど、その人もその人で興味のあるなしに関係なく私のことを知らなかった。
色んな意味で怖かった。
さすがに私もだてに社会の中で生活してきただけあって、どんなことが世間一般的にドン引きされるようなことだったり、疑われたり、ヒソヒソ後ろ指差されるようなことかはわかる。
私が書こうとしているものはそういうもの満載で、しかもそういうの興味ありますでもなんならうっかりそういう見えない世界体験ちょびちょびしてますでも、そういうのは一切外には出さなかったから、その人にしても私という未知な人間だけじゃなく、それにプラスして未知な世界の話なんじゃないかと思った。
相手がどういう嗜好や趣味、世界観を持っているのか何も知らずにきたわけだけれど、その人がオカルトなことやニートの世界に興味があるとは全く思えないし(それは今も)、私の多分色々と世間ズレしている感覚もどんな風に映っているのか想像するだけでゾッとするし、とにかくお互いに普通に生きていたのなら絶対に知り合うことも友達になることもないくらい接点なんかないだろうと思っている。
だから自分の生きている世界や価値観を知られる、知られてそっぽ向かれることの恐怖感は半端なかった。
そもそも繋がってないから何言ってるんだ?って話だろうけれど、せっかくブログ見てくれてる風なのに、そこに水を差すようなことを自らするのもどうかと思った。
でももう色々隠しながら生きることに息が詰まり始めたのと、そしてある時からは自分というものを知ってもらってそれでも良いと思ってもらえる人たちとだけ残りの人生で繋がっていったらいいんだと気持ちが徐々に切り替わって、じゃんじゃんと今のように好き放題書くようになった。
自分を変えてまで無理して付き合う人間関係は要らない、そういう気持ちを自分の中に持てるようになった。
そうやって3年ほどつらつらと色々と書いてきた。
この3年、私はほんの少しだけその人が忙しいけれど元気にしてるようだというようなことを共通の知り合いの人から教えてもらった以外は基本相変わらず何も知らない。
私側は相変わらず何も知らないけれど、相手側は少なくとも3年前目の前に私がいた頃に比べたら断然私という人がどういう感じなのかは知ってもらえてる。
そう、近くにいた頃よりも、少なくとも今の方がうんと私という人間を知ってもらえてる。
だから、物理的な距離とは別に、人間関係的な距離とでも呼べばいいんだろうか、そういうものは近くなれたように勝手に思っている。
どのくらい知られてなかったかと言えば、私からしたら「私の名前、フルネームで知ってる?」って聞きたいくらいに何も知らないような環境下にいたわけで、そこから考えたらものすごくたくさんの自分情報を駄々流しにして、とりあえず可か不可かは知らないけれど、私のことが嫌すぎて見る気にすらならないのとは違うだろうことはわかってきた。
私は相手の何も知らなくても、相手は私の何かしらを知ってくれてるというのは、それは相手がその人だからという理由に他ならないけれど、単純に嬉しい。
異次元みたいな話ばかりしてるのに、何が面白いのかとりあえず見ようという気になるのが凄い。
ちなみに今気付いたけれど、このブログを再開した後、この3年ほどで誰よりも私の日々やら中身やらを知ってくれてるのはその人じゃないかと思う。
しかもその人だけを読者と想定して書いたものなんかは、他の人たちからしたら何の話!?となっても、その人は当事者だから何を私が指して言ってるとかどの出来事なのかとかは、記憶にあれば「あのことか…」と唯一わかる人になっている。
色々おっかなびっくりで、自分のことはもちろんのこと、その人単独読者的な内容の時はさらに身構えながらのアップで(その割にかなり赤裸々に書いてはいるけれど)、それをずっと繰り返した先に今がある。
本当にどんな風に相手の目に写っているのかは知らないけれど、それでも何よりも本当に私の細かいことがあれこれ書かれたこのブログでは、ダントツでその人が一番読む回数が多いと思う。(なんなら書いてる私よりも(笑)←書いて満足してほぼほぼ読み返さない、そして書いた内容を忘れていく)
だから、物理的な近さは3年前には絶対に勝てないけれど、今の方がもう少し距離?知ってる度合い?どう呼んでいいかは知らないけれど、そういう物理的ではないものの部分に少し深みが加わっている。
私はもちろん喜んでいる。
あんなに嫌そうに振る舞われた最後の瞬間を思えば、今は考えられないところに行き着いている。
あの時は本当に嫌だったけれど今は嫌ではなくなったでもいい。
心境の変化?行動の変化?、相変わらず全てがベールに包まれているけれども、あのこの世の終わりみたいな3年前の9月の終わりを思えば、今の状態は信じられないものに変化している。
「発展」と呼んでもいいくらい、私にとっては。
こうした変化が本当の本当に嬉しい。
変化はもちろん私1人がもたらしたものでは絶対にない。
その人にはいつだって選択肢がある。
私のブログを見ること、そして見ないこと。
どちらを選んだってそれはその人の人生の時間だから完全に相手の自由になる。
自分の書いているものをけなすつもりはないけれど、でも自分でも自分が書くものが有益で誰かの恩恵になるとは全く思っていない。
本当に完全なる個人の記録だし、主観記録のようだし、色々となんだそれ!?状態だけど、だからこそそんなのを継続してチェックしてくれてるなんて、私からしたら本当に奇跡になる。
漫画が好きだと聞いたけれども(もちろん共通の知り合い経由で)、なんなら小説も読むらしいとも聞いたけれども(先に同じ)、他人のブログを読む趣味があるとは聞いてない。
理系男子がみんなそうだとは言わないけれども、基本的に白黒はっきりした世界にずっといて、私みたいに何が言いたいのかも何が論点なのかも全てが意味不明なものを延々と書いている読み物を読むのって多分相当苦手なんじゃないかと思う。
今書いてるものだって、自分も書きながら着地点なんかさっぱりわからないし、何のために書いているのか?と聞かれたら大真面目に言葉に詰まると思う。
そんなものをその人もいつからか読み出してくれたわけで、それが3年分ほどそろそろ貯まったわけで、これは徳を貯めるみたいな、そういうものに近い良きものに感じている。
その人が「ブログをチェックする」ことをその都度その都度選んでくれたことは、私にとってものすごく大きな自信になった。
私は今の状況は全く予期せずにいた。
そもそも会いたくもない時間も共にしたくない人のブログを探して読むなんて、どんな確率ですか!?と常々思っていた。
私はその人に届いて欲しいとは願ったけれども、今のように毎日チェックして欲しいなんてのは全く願わなかった。
届くと思って書いたのとは違うから、そもそもの届く状態さえも想像できなかった。
だから日々の習慣のごとくチェックすることなんかは、想像さえしてないわけだから、そんなことが現実に起こって3年くらい続くなんて、全く思いもしなかった。
そして、今回これを書くにあたって、初めてその積み重ねは私1人で完成させたものではなく、その人が日々積み重ねてくれたおかげで成り立つものだとようやく認識できた。
その人が日々選んでくれたものが今私にもようやくそうなんだとわかるくらいに積み重なって、それで私も自分が極限の状況の中で選んできたことがこれで良かったんだと思えるようになった。
夢みたいだなと何度も何度も思った。
その人が転勤でいなくなった時、どこをどう見渡してもその人はいなくて、連絡先を渡しても音沙汰はなくて、元々個人的な繋がりが一切なかったから私から連絡できる手段もなくて、本当にすべては消えて無くなってしまったんだと受け入れられない現実を前に呆然とした。
その人がいなくなって初めての月曜の朝、職場の周りの人たちがその人から普通にメールで業務連絡が来たと言っているのを聞いて、私はそれさえもないからもうどんな風にしたって繋がるなんてできないんだなと思った。
当時の仕事は、私はメールを一切必要としてなかったから、メールアドレスも与えられず、だから他の人たちに配信されるメールさえも私は何も見ることがない状況だった。
何も手段を持たず、自分の気持ちだけではどうにも動かすことのできない現実を前に、ひたすら途方に暮れた。
何もない私にはどうすることもできなかった。
だからブログだって、「これで繋がる」なんてちっとも思わず、書けば道が開くかもしれない、と宝くじを当てるぐらいのありえない現実を夢見て始めたことだった。
絶望だらけの時間ももう先には何もない現実も、私にはそれを受け入れる他ないこともよく覚えている。
だから今みたいな現実は1ミリも想像できなかった。
ブログが繋がる手段になってくれるなんて思わなかった。
ある日のおぼろ月の夕方、「ブログ」と降ってわいてきたあの言葉をキャッチした時、今思えば未来からのヒントだったんじゃないかなと思う。
私が考えて思いついた感じとは違ったし、実際に私は何をそんな!?冗談でしょ!?って反応が最初の反応だった。
だけど、やらなきゃ本当のゼロだから、やって可能性をゼロからミクロでも「有る」方の確率に引き上げようと心が決まった。
普段そんなことも思わないけれど、私は書くのが全く苦にならないし、むしろ書くことはある種の心の運動みたいな機能もあるから、いくらでも書ける、そういう性質を帯びた自分で良かったなと思う。
書かなければ本当にゼロで、今ある現実は1つも起こらなかったことがわかる。
私が積み重ねたように、その人もその人でコツコツと積み重ねてくれた時間を心からありがたいと思うし、そのおかげで今ある自分の中の色んなものを持てている。
人生の中には、やるべきこととやらなくてもいいこと、やる必要のあることとやってもやらなくてもどちらでもいいことがある。
このブログは、やらなくていいことで、やるやらないはどちらでもいいことになる。
やらなくても死なないし、困ることも基本ない。
でもやりたい私がいて、やらなくても困りはしないけれど、心残りになるものではあった。
そうやって自分の気持ちを一番にできたことがこのブログの中でも大きなことだと感じている。
やってもやらなくてもいいことで何かをやると自信になる。
そして、それが自分にさらなる恩恵ーその人と繋がる手段となってくれたわけだから、もっともっと大きな自信となって自分の元に戻ってきた。
前はブログ要員だけでは十分なんて思えなかったけれども、今はそれで十分だと思えるようになった自分もいる。
それが私の立ち位置とか役割的なものなのかもしれないし、本当に縁がある人なんだとは思うけれども、それがすなわちもっと踏み込んだ関係になるとかいうのとは違うタイプの繋がりなのかもしれないと思い始めてる。
名前も付けられないような関係性でも、それが正解の場合だってあるだろうし、魂の領域のことは私にはどうにもできないから、もうなるようにしかならない、と思っている。
もしかしたら、その人もその人で、私がこうして自分の人生を信頼できるようになるために手助けしてくれるのが1番の担当部署で、そのために私の人生に現れてくれたのかもしれない。
それこそ、その人にとって私と残りの人生で一度も顔を合わせないことで困ることなんかないだろうし、私と会うこと自体不要不急の最たるものだろうと思う。
もう今生で二度と会えなくても、それが自分の人生ならそれを受け入れて生きていくことを私はできると思っている。
この3年できたんだから、これからだって大丈夫だと思う。
いつか私も縁あって誰かと一緒になれるかもしれないし、その人こそ本当に私じゃなくていいでしょ、とそれは今でも思っている。
寂しくないわけないけれど、かと言ってそんなの強要することではないし、無理強いできるものでもない。
ブログ要員ならブログ要員でいいし、それで私がその人の人生の中でどこか立ち位置的なものを与えてもらえるなら、私は今後も喜んでブログ要員をする。
そんな風に思うようにもなってきた。
先日面白い記事を読んだ。
本能について書かれたもので、話はこうだった。
動物たちは、例えばカラスなら人間側から見たカラスはどれも同じに見えるけれども、カラスからするとどのガラスが自分の伴侶だったり子どもだったりするか本能でわかる。
またある虫は、子どもを育てるために別の虫を自分たちの巣に入れて、それを食糧か何かにするらしいけれど、その時にその別の虫を殺すのではなくその虫の特定の神経に針を刺して生きた状態を保ったまま捕獲するらしい。
その神経というのもピンポイントで「ここ」というのがあるらしく、それに寸分違わずきちんと針を刺すとのこと。
カラスもその虫もどちらもそれをやりなさいと強制されたのでもなければ、誰かに教えられたのでもないのに、そうしたことを絶対の確率で引き当てる様子を「本能」と書いてあった。
それは人間にも当てはまることで、本能に基づいて絶対の確証を持って動いたり、誰かと出会ったりするとあった。
その人との出逢いはまさに本能的だったなと今になってものすごく思う。
初めて会った日にその人が私に向けてくれた表情は、この世のものとは思えないくらいにキラキラしていた。
私は勝手にイケメンだから漫画みたいにその人の周りはキラキラしてるのかと本気でそう思った。
本当に少女マンガとかに出てくる、イケメン登場のシーンでキラキラした背景みたく、その人からはキラキラした空気が放たれていた。
しかもそれはその時だけじゃなく、基本的にいつの時もその人からはそのキラキラオーラみたいなのが放たれていて、とにかく透明のキラキラした何かがある。
それが消えてしまう時というのも私は見ていて、嫌悪なのか憎悪なのか不快感なのか、その名は知らないけれど、そういう良からぬものがその人の中に湧く時、そのキラキラは消え失せる。
3年前の9月に私は、何回かその状態を目の前で見て、本当に私のことが嫌なんだな…と否が応でも認めざるを得なかった。
それはそうと、あのキラキラ透明オーラは、もしかしたら私だけに見えていたものだったのかもしれないなと思う。
それこそ、本能で嗅ぎ分けるみたいな、かなり動物的な感覚に近かったと思う。
今の職場で日々100人以上の男性たちを見ているけれども、そして私はけっこう目を凝らしてそれぞれの人がまとっている空気や雰囲気を観察しているけれど、その人から出ていたような空気感にはあの前もあの後も一度も出くわしていない。
その人にだけ付いている特別なオーラなんだと思う。
そして、本当の本当にもしかすると、私にだけ見えているものなのかもしれない。
私はオーラとか見えないし、霊的なものも全く見えない人だけれど、その人に限っては見える、私の本能にそもそも組み込まれたプログラムだったりして…なんてそんな妄想を繰り広げている。
いずれにしても、その人のことだけは私もきちんと感知できるように、本能的な部分がかなり活躍したんじゃないかと思っている。
このままブログ要員でも、いつかもう何の接点もなくなっても、その人と出逢えたことで手にした自分の中の感覚は一生モノだろうと思っている。
十分すぎるほどその人から色んなものをもたらしてもらったから、それがこの出逢いの全てだったのかもしれない。
たとえその人を構成するものの0.01%しか知らなくても、それで私の場合は十二分に足りるくらい、その人が自分の人生に登場してくれたことはとっても大きかった。
そして、もしかしたら、逆に何も知らなかったからこそ、そこまで色んなことに気付けたのかもしれない。
ただただ純粋に相手のことだけを見るなんて、もしかすると人生で初めてだったかもしれない。
喋れないのは損だとばかり思っていたけれど、その人の限りにおいては喋れないことがより多くのその人の違う面を見れていた気がする。
その当時のシーンを誰に奪われることもなく大事に堪能できるのは、発見した私の特権だと思う。
これ最後の位置にしようと思うけれど、書いてるのは最初の段落の後に書いている。
新月の具合なのか連日の残業のせいなのかそれとも別の理由か、疲れが蓄積されたように身体はなっていて、ここ数日布団に横になったまま寝落ちして、真夜中に目が覚めるパターンを繰り返している。
今日金曜日もそのパターンだった。
突然2つのことが頭をチラついた。
その人が後編を気にしてくれたらいいなということ。
前編があったんだから後編もあるだろう?どうなってるんだ?でも何でもいいから、それを心待ちみたくしてくれたのなら本当に嬉しいなぁと、相変わらず頭の中お花畑みたいなことを思った。
もう1つは、3年前の夏の時々あったシーンだった。
私は時々コピー機を占領してそこで仕事をしないといけなかった。
とにかくずっとコピー機に張り付いて、そんな時に不意打ちにその人が突然やってきて、「すみません」と小さく言いながら自分がパソコンから出力したものを取って行った。
仕事なんだから当たり前のことだし、だから何ということはもちろん何もないんだけれど、私はその瞬間いつもドキッとして、自分が汗臭くないか気にしたり嬉しくなったり、瞬時に色んなことを思って毎回忙しくなっていた。
仕事で全く絡みのないその人と私だったから、近づくことはゼロと言ってもいいくらいになくて、だからその人が来てくれる(ただコピーしたものを取りにくる)その瞬間が理由もなくとにかく嬉しかった。
声も聞けて、その人と身体的距離も近くなって、ほんと中学生みたいな反応の自分だったけれども、コピー機の前に立ち続ける仕事には何1つ興味は湧かなかったけれど、その瞬間だけとてつもなく特別な瞬間に生まれ変わって、そのためならもっとコピーしても良いくらいだった。
こうして書きながら、その人から見てどうってことない風景で記憶にすらないかもしれないけれど、あんなにも近くにいられたんだなぁ…としみじみとした。
触れられそうなくらい近くにいられることって、遙か銀河彼方の、理科の弱い私が言うと単位とか色々間違っている可能性大だけど、「光年」とかいう地球と星?天体?月?との距離みたく、本来なら接近することさえないくらいのものが接近したくらいに凄いことだった。
人と人との出会いが、同じ時代に生きてすぐ隣りにいるとかいう確率は、自分の家のトイレに隕石が降って落ちてくるぐらいのものと一説には言われているけれど、まさにそういうものだった。
3年経っても全然色褪せることなく、そのシーンが目覚めと共に即出てきた時には、あの近さが今さらながらとても羨ましく、夢みたいな現実だったなぁと思ってみたり、もうあんな風に近くにいられることは人生の中で訪れないだろうと思って寂しくなったりした。
当時の私は、3年くらいしたら色々と忘れるのかと思っていた。
3年しても忘れることは全くなかった。
自分のしつこさにドン引きしながらも、生涯忘れることなんかできない人なんだと今は思うようになった。
その人自身はそんなことなくても、実はその人の魂も喜んでるんじゃないかと思う。
出会いは片方だけの事情で成立することはない。
その人の魂からしても私もとい私の魂と再会することを待ち望んだのかもしれない。
魂側はミッションクリアなら、もうそれ以上何かを望むなんてしないようにも思う。
たったひと夏の、それも何にも期待もせずに行った場所で、私も私の魂もおおいに青春を謳歌したんだと思う。
そしてその人がいなくなった後の3年間は苦行と修行のダブルパンチ並みに強烈だったけれど、今ここに立って、すべては自分のためになったと自信を持って言える。
ひたすら自愛にセルフケアに励んだ3年で、それはそれでなくてはならないことだったから、大切な経験をさせてもらった。
もし過去に戻るタイムマシーンに乗れるとするなら、私はその人の存在に気付いた瞬間にセットする。
顔が真っ赤になるくらいに焼けた炎天下のもと、その人がサッと私の元にやってきた、その瞬間にセットしたい。
でもそこじゃなくて、その人が最後に私に笑顔を向けてくれた瞬間も捨てがたい。
一生のうちで、机の上のせんべいに気付きましたか?なんて質問、あれが間違いなく最初で最後になる。
まぬけな質問で、仕事のテンションを下げる効果はあっても上げる効果なんて全くないそんな質問にも関わらず、その人は私に笑顔で応対してくれてた。
薄暗い中でそこだけがピカピカしていそうなくらい、そして誰が見ていなくてもいつもきちんと仕事をしているその人の普段の姿が今でもはっきりと姿かたちを持って私の中に残っている。
また今年の夏の終わりも、3年前を辿る自分の中のタイムトリップをしたいと思う。
もう二度とは戻らないその時を、今年も自分の中から出てくるままの気持ちに任せて当時の振り返りを堪能したい。
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