2020年4月20日月曜日

⒂【おいせさん手帳】あたたかな世界





おいせさん手帳第15回目
担当:ノム


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4月20日 
五感を研ぎ澄ませ、目の前の世界をさらに豊かに。
牡牛座の始まり

牡牛座の始まり。牡牛座は“五感”を意味する星座です。
今日からのひと月は、五感を研ぎ澄ますことを意識してみると良いでしょう。
新緑の鮮やかさ、その匂い、手ざわり、初夏の風……。
感覚に意識を向けるほどそれは大きくひらいていきます。
そうして過ごすうち、自分の目の前に広がるさまざまな豊かさに気がついていくでしょう。


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夏の日に届いたノムの手書きのお手紙。

今もまだノムとミッチーの家のどこかにあるだろう黄色い紙に書かれた私宛ての手紙は、生涯忘れることはないだろうと思う。

ノムとやりとりするようになってすぐぐらいの頃だった(今日付を見たら、1年前のアメリカの独立記念日、7月4日だった)。

ノムと私は今でこそ自由にお互いにやりとりしているけれど、最初はもちろん手探り状態だった。

どの程度何かを差し出しても大丈夫なのかは知らないから、そのあたりを探り探りしていた。

最初にそこを打ち破って自由スタイルを持ち込んでくれたのはノムだった。

なんとノムは、私に手書きの手紙を書いて、そしてそれを写真に撮って送るという、過去に一度も当たったことのないとっても斬新な方法で私にメッセージを贈ってくれた。

「書く」ということに関しては、ノムと私は自分たちの持っている全ての手段を使い分けている。

LINE
メール
ショートメール
手書きの手紙写真バージョン
手書きの手紙郵送バージョン

ノム以外にその全てのジャンルを制覇している人など誰もいない。

お互いになんてことない日常の写真も送れば、昔撮った写真も送る。

とにかく自由という自由をとことん利用して楽しんでいる。

よくよく考えたら、こんなにも自由スタイルでやりとりする人なんて他に誰もいない。

話は戻って、1年前の7月4日に届いたノムの手書きの手紙の写真。

その中にこんな言葉があった。

「実は傷ついたり怒っていることもあるし、そうした反応(?)は、他の人にしてみたらほんとーにささいな一言だったり、言葉にもしていないしぐさやエネルギーみたいなものだったりして…」

この言葉に心底惚れ込んで、そして心底救われた。

ノムの言ってくれた言葉は、まさに私が長いことずっとずっとモヤモヤしてきたことで、それを初めて誰かから言葉にしてもらえたことだった。

私が過去から今現在にかけて、ずっとどこかで感じてきたことだけど、それを言葉にしたこともなければ、それが誰かによって言葉で表されていたこともなかった。

どんな心理の本にもスピ系の本にも書かれていない、だけど確実に私が日々色んな場面で色んな人たちから感じていることだった。

相手のしぐさやノンバーバル(無言語)な部分の相手がかもし出す空気とか雰囲気とか、そういうものを敏感にキャッチしてしまう、何もしてなくてもそういうものに気付いてしまう自分の感覚が、ノムの言葉によって初めて救われた。

そういうのは気のせいなんかじゃ絶対にないし、実際に私が感じてるように相手の心の中にはそれらしい感情が渦巻いていると思うけれど、そういうことをあまり人と話したことがなかった。

そもそもそんなマニアックな感覚をわかってもらえるなんて全く思わなかったから、誰かと話すことさえ自ら放棄しているようなところもあった。

ノムの言葉は私を救っただけじゃなく、理解してくれる人がこの世に確実にいるということも教えてくれた。

同じ感覚を共有できるってものすごいことで、このノムの言葉からさらに一層私はノムに信頼と好意を寄せるようになった。(好意はもちろん人としての好意。相手が異性だからと言って、すべてにおいて異性愛みたいに捉えてくる人の多いことも苦手で、なんで異性だからと言って「好意」と言うと恋愛的な好意とイコールにされるのか、それも個人的に納得できない(苦笑)。)

今日のおいせさん手帳を読んだ時、ノムとやりとりしたこのことが真っ先に思い出された。

ノムが夏の日に書いてくれたことは、まさに五感とか心で感じるもので、実際のところ実態はない。

実態はないけれど、心がザワザワしたり落ち込んだりする。

そうしたことをないものにするんじゃなくて、ちゃんとあるよって自分の中でしてあげると自分が楽になる。

ノムが言葉にしてくれたことによって、私は自分のその感覚を否定しなくて良くなった。

そうであることをそうだと素直に認められるようになったし、そうすると自分を肯定することにも繋がって、本当に気持ちが楽になれた。





ノムの見ている光と影の世界が本当に美しい。

なんてことない日常の風景をノムはよく写真に撮って送ってくれる。

なんてことないのに、子どもの頃から知っている原風景みたいな、見ていると泣きたくなるようなそんな気持ちにさせられる、そういう写真たち、風景たちがやってくる。

ノムが言う「新緑の鮮やかさ、その匂い、手ざわり、初夏の風……。」は、ノムにしかわからない風景がある。

色も匂いも手ざわりも風の感触も、ノムにしか見えてない感じてない景色がある。

その景色を時々写真に、時々絵に、そしてたくさんの言葉にして私にノムの世界を教えてくれる。

その世界観に自分が救われている。

小さい頃から色々居場所のなかった自分の中の色んなことが、ノムとの出会いによって大きく変わった。

もちろんこれまでだって素敵な人たちにたくさん出会わせてもらえた。

だけどノムはそんな次元ではなく、自分の中の根底から自分を肯定するために現れてくれたBuddy(仲間)みたいな、そういう存在だった。

自分のよくわからない感覚を私はどこかで否定していたし、そしていつも「誰からもわかってもらえない」とあきらめていた。

もちろん寄り添ってくれた人たちも私からしたらたくさんいる。

それ以上を望んだらバチ当たりだと思うくらいに。

だけど、一番やわらかくて一番繊細な部分は、誰とも分かち合わずにきた。

ものすごく気が合うと思っていても、小骨とも呼べないものが小さく突き刺さると、私はいつまで経ってもそのことが忘れられない。

忘れたフリをしても、絶対に忘れていない。

そういうものをずっと抱えてきたし、そしてそれを生涯1人でやり過ごす覚悟もしていた。

誰だって孤独があって、誰だって誰にもわかってもらえない何かがあると思っていた。

ノムはその部分を言葉にしてくれる人で、そして言葉にできるということはその感覚を自分の感覚として知っていて持っている人だった。

ノムが生きている世界、ノムが見ている世界、そこと交わると自分もただただいるだけであるだけで癒される。

それこそ五感やその五感を超えたところで自分が癒される。

ノムがこの牡牛座メッセージに込めているものは、五感という名の自分の感覚、しいては自分を大事にしてねという互いに向けたエールを同志に呼びかけているみたい。

ノムの撮った写真の景色は、もう二度と同じ景色の色にはならない。

「今」という瞬間を切り取って、例えば明日も同じような天気で同じような時間に同じ場所で写真を撮っても、それはもう二度と同じにならないことをノムの写真はいつも教えてくれてる気がする。



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