2020年2月6日木曜日

社窓の窓から〜モヤモヤな心の中

スーパー悪循環なのはわかっているけれども眠れないから、書いてしまおうと思う。

気がきかないのか、故意的なのかは知らないけれども、今日怒りが大爆破した。

この手の怒りは、全くゼロとは言わないけれども、それこそ社会人していて過去に当たったことはないかな…というタイプの怒りにぶち当たった。

それは残業の時間だった。

それこそ残業の発端となっている資料の担当者のところに質問に行った。

不思議な仕組みの会社で、資料作成者と資料責任者とその間の資料連絡者みたいなのが往々にして存在している。

資料責任者はまぁどの会社も決裁印押す人がいるから、そこはいてもさして不思議ではない。

全体の動きを見て、采配振って最終責任は自分みたいな役割の人は必ずいるから、そこはとりあえず抜きにしようと思う。

だけどここは、資料責任者→資料連絡者→資料作成者という感じでいる。

ちなみに今回当たった資料作成者は、超超超仕事ができる若いリーダー的なスーパー爽やかイケメンだった。

英訳の先生トムさん級の超できる人で、私の中で甲乙つけがたいできる人を紹介してもらえた。

11時間勤務をこなして若干変なテンションだったけれども、私は仕事帰りにチョコを買いに走った。

スーパーリーダーとはもうこれっきりの可能性が高いから、今回の超丁寧なお礼も含めて多分次のやりとりが最後になりそうだから、それでチョコを渡すことにした。

スーパーリーダーは既婚者だから、変な心配もいらないから気楽に私も渡せる。

それはそうと、何回目かの神降臨的な仕事ができる人に行き当たって、そちらはものすごく気分良く終われた。

話は戻って資料連絡者。

書くと余計にイライラしそうだから内容は割愛するけれども、私が怒ったのは私が用事があって目の前に見える位置にやってきたと知って、ずっと無視し続けたことだった。

その人が実際の資料作成者として名前が出るだろうにも関わらず、その人は資料はノータッチどころか見てもいない。

私が聞いたところだけちょっと目を通して終わり。

資料自体は現場の人たちがみんな作った。

英訳は私がする。

なんなら今日英訳のためにスーパーリーダーから約2時間半、午前1時間、午後1時間半時間をもらって、内容に加筆訂正が出てそれの日本語側の訂正するだけで残業3時間は終わった。

英訳は明日以降になる。

私が質問したかったのは、その日本語側のもので、1つはっきりすれば他は全部パターン化できるものだったから、そこをクリアにするために質問に行った。

その前に聞いた別の質問が本人にとってどうでもいいことだったからなのか(←私や私がいる部署から見て大事なポイント)、私が派遣だからなのか、はたまた単に気がきかないのか、理由は知らない。

1分あれば1つの文章の訂正ができたり、図の変更ができたり、はたまた細かな入力が1つのパーツすべてが完成できる。

だけど、本人はそれを知らないのか、馬鹿なのか、はたまた典型的な仕事できない人なのか、とにかく平気で私を待たせる。

何も言わず、ずっと隣りのいつでも話せる後輩と話している。

私は2分から3分は待ったけれども、本気で声ひとつ掛けてこないのを見て、自分からお話中すみませんと切り出して、短い質問があるから今都合が悪ければ時間を置いて改めてくるし、もし1、2分もらえるなら今この場でさせてもらえるとありがたいと言った。

後輩側が察してどうぞとなって、それで質問が無事できたのだけれど、最初私はすごい邪魔をしたなぁと思って、2人に平謝りした。

でも質問が終わって立ち去ると、2人はそれぞれの仕事に戻った。

ということは、私を待たせてするような話ではなかったことがわかる。

これもし私じゃなく上司だったのなら、絶対にすぐに対応したんだろうなぁと思う。

これが私側の私用の質問で、その人が関係ないものならそれは私が出直せとなる。

だけど曲がりなりにも本人の名前で資料は外に出て行く。

その人が管理、調整を本来する担当なのに、何もしないどころか、そのための対応さえきちんとしようとしない。

もう言葉がなかった。

4時間ほど怒りが沸いた。

してもらったこともあったけれども、それら全てが飛ぶくらいの酷い有り様だった。

4時間経ったあたりで、ちょっと気持ちの向きが変わった。

その人に対して哀れな気持ちが浮上した。

私の強がりかもしれない。

なんだけど、30代には確実に突入しているだろうその年齢で、その在り方をしてしまう、多分誰も注意なんかしないだろうし、そのまま見過ごされると思う。

別にプライベートな部分はどうであってもいいけれども、今ここにいるのは会社であって、プライベートな関係じゃない。

しかも、本人だって締切があって早く終わらせたいはずだと思うけれども、それに対して自分のするべきこと、要は私の質問に答えて私に少しでも早く仕事を終わらせてもらう方がいいのに、それを自らの意思で反対の方向に行っている。

何を考えているのか私にはさっぱり理解できなかった。

こういうトンチンカンな人はたしかにいるけれども、人として接する部分に大きく欠落というか、私はされると超イラッとするし、私じゃなくても大多数の人はそうだと思うけれども、それを平気でして、そしてそのことを誰からも注意を受けないって、もう致命傷すぎる。

こんな風に年を重ねるのは絶対に嫌だと思った。

しかも信用がなくなる。

本気で信用できない。

色んな人たちと一緒に仕事をしてきて思うけれども、信用ってそういう仕事そのものよりも、評価の対象にならない仕事だけどそれでお金が発生するわけでも自分の何か直接の得になるものでもない、そういう部分をいかに丁寧にできたかとか、誰も見ていなくてもきちんとやったかとか、そういうので積み重ねられるものだと思う。

すぐに対応してくれると、あぁこの人はやってくれるんだなってなるし、小さなことでも気にかけてもらえたら嬉しいし、とにかくそういうことの積み重ねが信用や信頼になると思っている。

その担当者は、自分の受け持っている仕事なのに、まるで私が何かおかしなお願いをしていて、無茶な要求をしようとしてるかのように振る舞っていて、すべてが本末転倒だった。

これを書いてもまだモヤモヤは続くけれども、こういうことの負の連鎖ってすごいんだなと思った。

これだけモヤモヤしたから、もう私の中でその人に対しての信用や信頼は大きく欠落しているし、仕事だからやるけれども、力になれることはやります、なんて気持ちには絶対にならない。

色んな担当者の人たちと日替わりのようにやりとりしてきたからわかるけれども、ぶっきらぼうだったり言葉少なめだったり笑わなかったりする人でも、仕事そのものの姿勢が一生懸命で、多分人付き合いも苦手だろうけれどもそれでも私が聞きに行けば目一杯対応してくれる、そういう人たちだと、その人たちがしていることの少しでも力添えになれるように英訳もやりたいと思う。

まるっと仕事を丸投げして、現場の人たちにもきちんと説明していなかったみたいだし、私なんか何も言われずただ依頼だけがきた状態で、なんなのかと思った。

そこには責任感も誠実さも何もなくて、私には不信感や苛立ち、今後仕事でも関わり合いになりたくないぐらいまで感じている。

依頼がきたらやるけれども、どうか担当者ではありませんように…と願ってしまう。

そこまで思ったら、やっぱり哀れに感じる。

しかも私なんかは期間限定だからすぐ抜ける日が来るけれども、その人はこれからも長い時間今の会社に勤めるわけで、その中であの対応は本人の損にしかならない。

私の人生じゃないからまぁいいかとなった。

さっきお気に入りの文章を読んでいた時にスッと自分の中から出てきた言葉。

・信念を貫くことを自分に許すこと
・正義を持って事にあたることを自分に許すこと
・そういうことをしてもいいんだよ、と自分に許可を出すこと

現実はカオスな部分もたくさんあるけれども、私はやっぱり自分がきちんとしたいものはきちんとしたいし、ましてや今回は超仕事ができる人に当たってその人が本気で自分の日々の仕事を超丁寧にやっているのを見て、自分もそのような仕事の仕方をしたいと思ったし、そして周りからやりすぎとか言われても自分が最後にその英訳でも資料でも手に渡る人たちを思う時に「必要」と感じるものは手際悪いだの遅いだのということにしておいてやりきりたい。
(適当にやっていいと言う人たちの意味がイマイチわからない。適当にできるのは適当にするけれども、それは社内じゃなくて社外に出るものなら、やっぱり誠意ある対応が当たり前じゃないの?と思う)

とにかく少しは眠ってあと4時間半後には始まる仕事に備えよう。

今日(2/6)、今年初めての真夜中の除雪車が出ている。

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