2020年2月12日水曜日

⑺【おいせさん手帳】名もなき1日





おいせさん手帳第7回目。
担当:私


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2月12日
不安な気持ちにも居場所を作ってあげる。
名もなき1日

夜寝る前に「今すぐ1つだけあなたの不安を減らす薬」が手渡されたとします。何が思い浮かびましたか?その不安な気持ちを心の中でそっとタッチしてみてください。不安もあなたの中で居場所を探しています。やさしい目や手を差し出すと、不安も安心感を覚えて少し力がゆるむでしょう。


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自分の心を見つめる具体的手法を知るまでは、私は不安や心配なんかはない方が良いと思っていた。

だから少なくとも30代に入るまでの私は、不安がムクムクと湧き上がると、それを掻き消そうとしたり無いものにしようとしたりしていた。

不安は不安で一生懸命私に何かを伝えようとしてくれているのに、それを無視することばかりを私はしていた。

しかも当時の私はビジネス書や自己開発の本をよく読んでいて、そうしたところにも「不安は打ち消せ」とか「不安になったら動け」とか、そんな対処法を当たり前のように書かれていたのを見ていたから、不安な気持ちに寄り添うことなんか考えたこともなかった。

それがある時から自分の不安な気持ちに寄り添うことの大事さとその効果を実感して、それ以降はいかに自分に寄り添うかや、いかにそうした負の気持ちと呼ばれるようなものを大切に扱うかにシフトした。

そうするようになってから、今は人生の中で一番生きやすさを感じている。

決して不安も心配もなくならないし、元々が不安症というかすぐに悪い方に考える癖や過剰に心配するパターンが自動的に発動しやすいけれども、それもまた自分だから、その自分との付き合い方を工夫するようにしている。

言うなれば、自分は変えずに自分との付き合い方、向き合い方を変えるようになった。

わかりやすい例を1つ挙げようと思う。

私は不安や心配なことがあると、それが睡眠にてきめんに出てくる。

寝付けないとか、寝ても夜中に何度も目覚めるとか、夜ストンと眠れても真夜中に目が覚めてそれ以降眠れないとか、とにかく20代の頃から眠りだけは波があって、心の状態がそっくりそのまま眠りに表れる。

眠れない時は睡眠薬を使う人がけっこう多いと知ったのは20代の終わりの頃だった。

だけど私はこれまで薬に一度も手を出したことがない。

怖いというのがあるのと、自然な状態を知ることの方が私は大事だと思っているからそのままにしている。

怖いというのは、一度使い始めたら自然に眠れなくなるんじゃないか、薬無しでは良質な睡眠が手に入らないんじゃないかという心配から。

自然な状態を知るというのは、反対によく眠れる時もあるわけで、もし薬を飲んで眠りに安定感を出すと、良い時とそうでない時の差がわからなくなるのも困る。

今は眠れなくてもそれこそが自分の中のバロメーターだから、眠れないとわかる方が良いとさえ思っている。

原因がはっきりしている時はいいけれども、原因がはっきりしないのに眠れないとか眠りが浅い時が続くと、自分じゃ気付かない何かを体は感じているんだなと思う。

そうなって初めて自分の状態に目を向けるから、私みたいに自分に対して鈍感な部分がある人には、わかりやすい体からのサインだから、それはそれで大切なものだと今は思っている。

手帳にちなんで、この「眠れない」ことに対して私はある時からその不安を大幅に改善できるようになった。

眠れるようになったわけではないし、ストンと眠りに落ちるような秘策を見つけたのでもない。

眠れない時は相変わらず眠れないし、3時間くらいの睡眠で翌日11時間勤務よろしくなんてことも未だにある←これは最近の話。

だけど、眠れない時の不安がずいぶんと減った。

私にとっては世紀の大発見だった!!!!!

私がしたのは1つだけ。

「『寝なきゃダメ』という考えをやめたこと」

本当にこれだけだった。

「寝なきゃいけない、寝ないと明日が辛い、なんとかして寝なきゃ…」
とかいうことをずっと自分の中で思っている時、不安は眠らないことと比例してどんどん増大していく。

お金もそれくらいのペースで増えないかと思うくらいに、どんどんどんどん不安はとめどなく増えていく。

それは20代の終わりのある時だった。

不安になることに疲れた私は
「もう眠れなくてもいいや!」
と本気で開き直った夜があった。

その時もたしかずっと寝不足状態で、眠れないことに対してどんどん追い詰められて、自分で自分をどんどん苦しくしていった。

そうした全てに疲れて、もう眠れなくてもいいや!となったら、本当にストンと肩の力が抜けて、ものすごく楽になれた。

本当に「あれ?」と拍子抜けしたくらいに一気に気持ちが楽になれて、それで眠れなくてもいいやと思えたし、それでどうなってもいいかと思った。

不思議なもので寝なくてもいいと思えたら、逆に少しずつ睡魔がやってきてそのうち眠れたように記憶している。その時から10年以上経過して、その間も何回も眠れないとか眠りが浅い夜は体験しているけれども、その辺りは回数を増すごとに付き合い方が上手くなってきた。

今は眠れない時、「今日は何して過ごそうかな〜♪」とやれることをあれこれ頭の中で1人会議したり、夜中にそのまま起きてアルコール類を手にしてプチ酒盛りをしたこともあったし、ネットサーフィンしたり、はたまたこうしてブログを書いたり、とにかく色々とやるバリエーションも増えた。

無理して寝ようと努力しなくなって、反対にそれが一番の薬となって眠れる夜も増えた。

あと例えば今なら6時頃起きないと間に合わないという時に、朝の5時くらいまで目がギラギラなんてこともある。

そして5時頃になって猛烈な睡魔に襲われるけれども、あと1時間後には起きなきゃという時。

朝起きてからのことを考え出すと、余計にしんどくなってくるし、これからの1日がずっと眠いままかとも予想すると気持ちもドンヨリする。

だけどもうそこは割り切って寝てしまう。

眠いんだから寝る。

その後寝坊しようと遅刻しようと、その時は適当に言い訳して仕事に行ったらいいと開き直る。

たしかに起きた時は眠いけれども、気持ちはそこまで重たくならない。

先々のことを予測した時に、「まぁ仕方ないか」と覚悟を決めているのもあると思う。

そして、究極の時、これは眠れない時だけじゃなくてありとあらゆる不安なシーンで私が毎回使う技。

「明日生きてるとは限らないし、死んでるかもだから、そうしたらこの心配してることはもはや関係なくなる」

本気でそう考えて、超開き直る。

明日生きてないかも…という想像は、私の場合、それで全てを帳消しにするマジックワードで、そう思うと眠れないとか強烈に困ってるとかいうことも、「明日はないかも」ならもはや何でも良くなる。

「不安は自分で作っている」というのは、こういう体験をたくさん重ねて、自分でもわかるようになってきた。

「寝なきゃダメ」(寝ないと明日が辛いから)と思ってばかりいた頃は、眠れない夜が本当に不安で辛かった。

眠れないことそのものよりも、自分の中で不安ゆえに生まれる心配事が絶えなくて、その心配事に気を揉んで余計としんどくなっていた。

眠れない夜に眠れないことを逆手にとってそれを活用したり楽しむようになってから、眠れなくても気にならなくなった。

もちろん今の状況にいきなりなれたわけではなくて、何年も何年もかけて、ようやく今ぐらいにまでなれた。

何でもそうなのかもしれないけれど、発想の転換をすることでいくらでも自分の中の不安を減らしてあげることが自分の手でできると思う。

そして自分で減らせる経験を重ねれば重ねるほど、自信に繋がっていく。

自分のことが信じられるようになるし、自分と二人三脚するつもりで自分にキツく当たるんじゃなくて優しく接するように心掛けるようにもなる。

不安は不安で自分自身の居場所を探している。

以前の私は、不安を追い払うことに躍起になっていたけれども、はっきり言ってそれは私の場合逆効果だった。

反対に、不安な気持ちにも自分の中で居場所を作る、要は不安な気持ちに蓋をせずに不安なことを自分の中で「不安なんだ」と思うこと、不安でもいいんだと自分に許すことで、ずいぶんと自分自身が救われるようになった。

不安を追い払おうとすると自分が追い詰められていたけれども、不安だっていいんだと思えるようになったら、気持ちがユルユルと緩んできて、自分で自分に緊張しなくて良くなって、「まぁいっか…」となって…、そんな風にして自分を不安から解放する術をどんどん開発して身につけている。

それは自分の中の安心感や安全であることにも繋がってくれる。




もうひとつ。

「名もなき1日」

これは最初から絶対に入れたい名前だった。

何かの日にちなんでメッセージを書くことを編集の方から最初の依頼の時にお願いされていたけれども、私はどこかで「何もない日」というのを入れたいなぁとその時から思っていた。

なぜなら日々生きていたら、毎日何かしら特別なことがあるわけじゃないし、昨日とは違う今日よりも昨日とあまり代わり映えしない今日の方が圧倒的に多い。

そんな中、毎日「何かの日」という名前が並んだら、ちょっと息苦しいと私は思った。

毎日高級お肉や高級お寿司を食べれないのと一緒で(ちなみにそんな体験したことないけれど(笑))、毎日何か意味のある日や奇跡の日ばかりでは心が休まらない気がした。

だから「何もない日」が欲しかったのと、その何もない時にこそ「不安」とか「心配」とかムクムク出てきそうな気がしたから、そういう自分の気持ちに寄り添える言葉を紡ぎたかった。

それが今日という日のメッセージに隠されていた舞台裏。

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