2020年1月26日日曜日

年賀状とソフトクリーム

朝焼け(2020/01/25)
この間から、写真をアップしようとすると写真が反転する。
仕方ないからスクショ撮ってそれをアップしている。




1通の年賀状が心あるアドバイスと応援に化けた。

今年もご多分にもれず、年賀状は来てから返すスタイルを取った。

しかも今年はさらなる暴挙に出て、3通のみの返事だったおかげで、私は普段から愛用している黒のボールペンでただお手紙のようにだらだらと文章を書いて出した。

絵やスタンプなんかは一切ない。

本当に白い部分いっぱいに文字だけが並ぶ年賀状。

こんなに書く人もいないだろうから、そして3人とも旧知の仲で私がそういうことしてても「ぶっしーだな」で終わってくれる人たちだから、私も何も気にせずそのまま出した。

郵便局に行くと無料で使えるスタンプがあると知って、次の年末はその3人だけはそのスタンプを押して出そうと決めた。

その味も素っ気もない年賀状に1人はすぐに反応してくれて、電話をくれた。

私の喉の絶不調で電話は延びて、1週間前、1月第3週あたりにやっと電話して、その時にホロスコープを読むという話になって、1週間後の今日(1/25)星読みの結果を伝えるために再度電話をかけてもらった。(友達はかけ放題プラン)

ちなみにホロスコープに関して友達はすごく感動していた。

「俺、人生で占いするの初めてだ」と先週言っていて、友達はどんなものを具体的に想像したのかは知らないけれども、私はとりあえず天体に表れている友達の人生や性格の特徴を普段のおしゃべりの延長のようにして話した。

友達いわく、「あー、そうなんだ、じゃなくて、言われるとすぐにこのことだ!あのことだ!ってパッとエピソードとか過去の場面とか自分の普段考えていることとかが浮かぶ」と言っていた。

よくよく考えたら電話鑑定なんてしたことないから、友達が教えてくれた感想はとっても貴重だった。

そして今さらだけど、占星術講座の先生が言っていた「最初の数人のお客さんはすごく縁の強い人たちが来ます」と言っていた言葉もその通りだなぁと思った。

友達はお客さんとは違ったけれども、これまで見た誰のホロスコープよりもいくつもの天体や感受点が重なりまくりだった。

学年で言えば7こ下なわけで、そして友達は10月生まれ、私は3月生まれで、本来なら重なるものが少ないかゼロでもおかしくないのにとにかく重なりまくりだった。

1時間半ほど星読みの話をして、ちなみに友達は星そのものを真っ直ぐに生きている人だった。

具体的なエピソードもいくつか教えてもらったけれども、本当に星に表れているものと本人の人生とがマッチしていてとても感動した。

星の話の後、私は友達に意見を1つ求めた。

ざっくりと仕事であった話をした。

600ページもある取扱説明書の中の火災探知機の英訳が日本語と違うことを偶然発見してしまったこと、それは他の会社のもので自分のところは火災探知機会社ではないからそちらから取引として仕入れているものであること、そこを指摘することで超面倒くさいことになるのは間違いないこと、とりあえず今は一旦保留にはなっているけれどもこのままでいいとは思わないから再度言おうと思ってはいるけれどもちょっとだけ踏ん切りがつかない自分もいること、この間から仕事で面倒なことを指摘しまくりですでに面倒な人ポジションになりつつあること、そんなことをささっと説明した。

友達の話はおおよそこんな風だった。

「あのさ、それってソフトクリームの機械にAとBというボタンがあって、Aがソフトクリームを出すボタンなら、Bはソフトクリームを製造するボタンで、間違えてBを押したらドロドロの液体が出てしまった!
とかいうことじゃなくて、火災探知機でしょ。それって人命がかかってるものだよね」

私のダラダラとまとまりのない話から、友達は一瞬で何が大切かをすぐに見抜いてくれてた。

しかも「人命がかかってる」とは私の方から一言も口にしなかった。

なのに友達は、火災探知機の一言からそれをさっと言ってくれた。

「ソフトクリームぐらい溶けたってどうってことないけれど、火災探知機が反応しないとかって取り返しがつかないレベルの話で、要はそういう危険なレベルの話も含まれることだと思うんだよね。
だったら俺は言うよね。
他がたとえ面倒なことになっても言うよね」

友達の答えを聞いてホッとした。

そうだよね、躊躇してる場合じゃないよね?と思った。

「ぶっしーさ、ぶっしーが嫌なことって、自分の名前を出してやるものに対して『やってない』ってことでしょ!?」

友達はど真ん中ストレートで私が一番気にしていることを射抜いてくれた。

友達は続けた。

「自分のことに置き換えると、これ自分が作った野菜だと堂々と言いたい。
そう言えないものをオレは出したくない」

友達も同じ感覚でいると知って安堵した。

私は面倒くさいと思われることや、うわぁまた何か言ってるよと思われることは、正直どうってことない。

だけど、気付いていたのにスルーすることや、それを黙って見過ごして、その後ろめたいものが含まれている状態で武士俣史子の名を出して提出することがとても嫌で仕方ない。

もし万が一そのことが後に人的被害を生み出すような惨事になったら、さらに耐えられない。

火災探知機の付いていない機械なんて1台もないわけで、それを思う時その変更する労力を想像すると末恐ろしいものがあるけれども、そのままにして良いこととは違う。

資料作って言うだけ言ってそれでも会社がそれはそのままで良いと判断するならそれで良いし、だけどそれを会社としてもそのままにできないのであればそれは見直しなり改善なりするだろうし。

いずれにしても、気付いたのになかったことにする、というのが私はできないんだと友達に言われてわかった。

自分の名前を出して何やってるんだ!?と指摘されて怒られたり注意されたりするのは全く構わないけれども(自分の非なら素直にすみませんとすぐに言える。責任転嫁された場合は別)、とりあえず表面上はそつなくしていても中身はきちんとやっていなくて、それを私の名前を出してやりました!と言うのは超抵抗がある。

全体に周知されて「それ犯人私じゃない?」と思えば、自らその周知した上の人に聞きに行って謝ったりしたことも過去にあったと思う。

でも、ヤバいものを発見してスルーできるような、そのメンタルが私にはない。

そこを友達はどういうわけか一発で見抜いて私にそのように言ってきた。

友達はさらにこんな風に話を続けた。

「今大企業が不祥事だらけなのは、そういうことに端を発しているんだと思う。
波風立てない方が面倒くさくないと思ってる人たちはどこにでもいる。
心のおき方は人それぞれだけど、やりっぱなしの人が多い。
自分のやってることに誇りがなくて、自分だけで完結していると思う。まぁいっかでやってたことが不祥事だらけになっている。
みんなじゃないにしても、先のことを見通して仕事をしなかったことが原因じゃなかろうか?その時は大したことじゃなくても、まぁいっかで済ませて、そのまぁいっかの部分がいくつも積み重なった結果が今の不祥事の数々に繋がってないか?って俺は思う」

友達はこんな話もしていた。

「今、俺のとこはレタスを道の駅や直売所なんかに納めている。
多い時は300個納める。
俺からすると300個が俺の100%になる。
だけど、お客さんからすると手に取る1個が100%になる。
その手に取った1個がクソみたいな出来だったら、もう二度とこいつのところの野菜は買わんってなる。
いつも思う。
何個の収穫であっても、たった1つを手にするお客さん側の気持ちに立つことを忘れちゃいかんって。
ちゃんとしたサービスをしてそれの対価を受け取るのはいい。だけどちゃんとしたものをこちら側が出してなくて対価だけをもらおうとしたらおかしなことになる」

この話の続きに友達はこんなことを言った。

「今ってねじれが起きているって俺は思っている。キャッシュを求めすぎているというかね。
昔の江戸時代は職人が、これがあったら良いなぁと思ってそれを形にした。その価値がじんわりと広がって、ある日その価値が爆発的に広がった。
それは何かって、物作りを極めるのが最初だった。
ホンダもトヨタもみんなそうで、先に技術を極めて、ホンダなんかは初代がバイク馬鹿だったと聞いてる。
ところが時代の途中から、対価を先にもらおうとするようになった。そこでひずみが出ている。それっておかしいことだなぁって常々思うし、そんなことしてたら日本はいつか絶対に立ち行かなくなって崩壊する。
本当は対価が先じゃない。技術を極めることが先で、それがある時にその技術が世の中に一気に広まって浸透していくのが本来の姿だって、それは人類の歴史を見てもそう思う」

友達と話し終わる頃、私の心は決まった。

周りをみんな敵に回しても、それでも自分がこれは黙っていたらまずいと思うことはきちんと口にしようって。

よりにもよって何で火災探知機の説明が日本語と英語で違っているのか知らないけれども、これは問い合わせもせずに放っておいて良いものとは違う。

社内のよくわからないルールですぐに問い合わせができない歯痒さはあるけれども、問い合わせのための土台となる資料は作ろう。

それを使わない問い合わせないとするのは、それは上の判断だからそれでいい。

でも気付いた私が私の一存でこれ以上事を荒げないとするのはやっぱり違う。

ちなみに、英訳するためにこのことがメインとなる質問もまだ控えている( ̄∀ ̄;)。

また上の人相手にしれっと「この部分をどう表現したらいいですか」と聞くのも何とも忍びない。

よくわからないけれども、多くの人は質問されることに慣れてないのか、私が質問すると若干萎縮しているように見える( ̄∀ ̄;)。

悪代官よろしく並みに私は威圧的なんだろうか?と思うくらい。

もちろんそんな気はさらさらないし丁寧に聞いてはいるつもりだけれど、相手の方たちには違う風に映っているんだろうなぁと思う。

ちなみに友達が指摘した「まぁいっか」は今回の火災探知機の会社の製品を見ているとそれがものすごくよくわかる。

私は最初説明だけを読んでいて、そこにアルファベットの中に漢字表記が混ざっていた。

言うなら「運転中」(仮称)と英文の中に突然出てくる。

そもそも変だと思った。

何で英語の中に漢字が含まれるのか、しかも火災探知機という人命を守る機能のものなのにこれ。

普通に考えて変すぎた。

だから私は機械の名称部分の図を見てみた。

私は本気でぶったまげたけれども、なんとその一番大事なスイッチの部分だけなぜか漢字表記しかなくて、英語での表記が元々ないものだった。

機械の他のどうでもいいところは全て英語表記に直されているのに、肝心のスイッチ部分だけが日本語のまま出荷されていることがわかった。

冗談抜きでその火災探知機会社の防災意識を疑った。

何のための火災探知機なのかわかっているんだろうか?と思った。

っていうか、誰もそのことを火災探知機の会社内で指摘する人はいなかったんだろうか?と思うし、少なくとも私が普段頭を抱え込むような日本語を英訳にするような超難解な言葉じゃない。

ものすごいシンプルな言葉だし、私が今すぐ無償で英訳しますけれど!と言いたくなるレベルの単語なんだけれども、どうしたらそれを日本語のまま出荷しようなんて考えたのか、普通の神経でやってるとは思えない。

だから私が見つけた今回のものというのは、まだ派遣先の仕事の話ならいいけれども、火災探知機会社の在り方も問う内容だから、絶対にこれ超面倒くさいやつだと思う。(ちなみにこの状態を普通に採用している派遣先の会社の在り方もどうなの?って話だと思う。)

よほど自社製品に自信があるのか知らないけれども、火災探知機会社のこの人命のかかった装置を自分の会社が出してるって意識はどこにあるんだ?と言いたくなる。

大手企業に納品しているから安泰だとでも思っているんだろうか?

誰も何も言わないから良いと思っているんだろうか?

本気でこんな馬鹿なことが普通にあるって何なのかと思う。

こういうことって、まともな人間の考えることじゃない。

私はそれこそ何十人単位のアメリカ人たちと漢字について何回もおしゃべりをしたことがあるから余計とこのずさんな対応について感じるけれども、日本語を知らない人たちからすると漢字はどれも同じに見えるし、この同じようにしか見えない文字が全く違う意味になると説明すると、それをゲラゲラ笑ってOh my god!とか相手は言ってたけれども、そういうレベルですけど大丈夫ですか?って思う。

本気で馬鹿なの?って思う。

もはや理解できない感覚だから、私の感覚じゃなくて、その火災探知機にまつわるおかしなことを無視している感覚の方が本気でおかしいと思う。

そんなこんなのやりとりを友達として、私は自分の気持ちが決まった。

本当に面倒な指摘をするのは百も承知だけど、見て見ぬふりではなく自分が少なくとも納得することを自分はやりたい。

もはや会社のためではなく、自分の精神衛生のためにそうしたい( ̄∀ ̄;)。

ふと、不思議に思った。

年賀状からの電話で、電話からの星読みの流れで、星読みの流れからの私の悩み相談になっている。

3年前の夏、結婚式の席で「ぶっしー、ごはん誘え!ごはんがいい!」と真剣に考えてアドバイスしてくれた頃と何ら変わりないなぁと思う。

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