おいせさん手帳第2回目。
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1月17日
自分の今ある命に想いを馳せましょう。
心を取り戻す日
年明けの慌ただしさから日常に戻る頃です。都合の悪いことが起こると、どうしても考え方が後ろ向きになりがちです。そうした時は過去の自分からヒントをもらいましょう。過去に困った状況が今何とかなったのなら、何とかなった事をたたえましょう。何とかならなかったとしても、今現在も命が続いていることがすでに奇跡です。
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今回のものは、かなり意図して書いた。
日にち的に正月気分は抜けて、そろそろ日常モード全開になる頃だろう…と想像しながら書いた。
何でこんなことを書いたのか、その時に思いついたエピソードだったのか、今回思い出したものなのか、記憶は定かではないけれども、それを書きたい。
何年か前のそろそろ新年度を迎えますという頃だった。
私はお茶会と称した少人数でおいしいお茶なりスイーツなりをいただきながらおしゃべりする会を企画したことがあった。
どこかを探せば当時の案内文が出てくると思うけれども、それを見た当時仲良くしていた女の子から、小さなリクエストをもらった。
今でも鮮明に覚えているぐらいのやりとりで、今となっては彼女に感謝しかない。
私の当初の企画文句は、新年度を迎えるし春だから、何か新しいことを、小さな何かでも良いから、こんなことをしたいなということを何となく話す会にしようとしていた。
その子はそれを見てこんな風に言った。
「それもいいんだけれどもね、そのことより新年度って色々入れ替わりとか変化がどうしてもあって落ち着かないから、その落ち着かない気持ちや周りに気後れする気持ち、ゆっくりしたい気持ち、ホッと一息つけるもの、そういうものが入っていたら嬉しいな」
その言葉は胸の奥に静かに響いた。
ハッともさせられた。
「動」のエネルギーに目が行きがちな私に、その子は「静」のエネルギーを教えてくれた。
動くことよりも休むこと。
前に進むことより立ち止まること。
ガツガツと何かに向かって動くことよりも休息すること。
そこに私の目を向けさせてくれた。
まだまだかなり休むのが下手くそではあるけれども、かつての私は典型的な「休めない人」だった。
子どもの頃からがんばることや努力することはたくさん訓練されたおかげで、どんなに過酷だろうがどんなに高すぎる目標だろうが、それが本当に自分がしたいことなのかどうかも考えないままにそうしたことを自然にやってしまう、そういう癖を持ったまま大人になった。
26歳の時、「うつ」の診断が下ったその頃、私は1人で全部抱え込んだ。
他の人に迷惑はかけられないと思ったのと、大切ではあるけれども過度な正義感と、仕事はきちんとやらなきゃいけないという責任感と、そうした諸々が違う方に働いてしまった。
いつからか一切笑わなくなった自分を見て、「何かがおかしい」と思った。
感情がなくなったみたいになって、自分ではきちんとしているつもりでも小さなミスが増えまくって、そのミスする時というのが記憶が抜け落ちてたりボーッとしてたりで、いよいよ本当にまずいと思って、それで精神科を受診した。
今ならわかるけれども、私がする必要のあったことは、動くことよりも休むことだった。
自分を責めることよりも自分を労ることだった。
私は30代のうちの3分の1はニートや引きこもりをしていたと思う。
最後の時は常に親がいたから、親から見て私は好き勝手にのんびりしているように見えていたようで、よく2人から「楽している」と非難された。
ちなみに、ニートは全く楽じゃない。
たしかに自分のリズムで動けるかもしれない。
だけど、自分がずっとこのままならどうしよう?という巨大な不安や、先の見通しどころか明日さえもどう生きるのかわからない自分と嫌でも付き合わなきゃいけないことへの心の負担とか、何も決められないことに対する焦りとか、周りと比べても仕方ないと自分に言い聞かせても比べてしまうこととか、親でも友達でも何か言われる度にそれに激しく反応してしまう自分とか、とにかく苦手満載な事柄や苦手な部分の自分と付き合わないといけなくて、全然楽な気持ちとは違っていた。
焦りと不安は常にあったし、自己否定や虚無感も色々沸き起こりまくりだった。
そう、だからいくら形だけは休みの状態にあっても、私自身の心の中は全くもって気が休まらなかった。
今、普通に派遣の仕事をしていることの方が気持ちは楽だったりする。
自分で見つけなくても仕事なり役割なんかがどんどんもたらされるというのは、ある意味楽チンで、人生の重たいテーマからは遠ざかることができる。
そして、そういう形に慣れている私は、動いている方が心が休まるタイプだというのも知っている。
何かしていないと落ち着かない私には、動くことよりも休むこと、それも本当に心から休むことの方が難しいってよくわかる。
そんな自分自身を思って、今日という日を「心を取り戻す日」とした。
正月モードも消えて日常に戻る今くらいは、ガツガツと動くよりも自分をそっと労って、自分のためにゆっくりしたり、リズムを取り戻したり、はたまた何もしないことを自分に許したりしたいなぁと夏の終わりの私は思った。
いつかその女の子が教えてくれたみたいに、動のエネルギーではなく静のエネルギーを自分のために大切にしたい、そう思った。
一応何日か前に月蝕があったり、年明け早々強烈な星配置なのは知っていたから、それって個人にとってどう出るかはわからないけれど、少なくとも後ろを向きたくなったり立ち止まりたいのじゃないのに立ち止まったように感じてしまうかもしれない、はたまた色々空回り的なこととか。
そういう状況になるかもしれない方だった時に欲しい言葉や欲しい知恵を想定して言葉を紡いだ。
後ろ向きそうな時に、過去の自分から力をもらう、それって自分から力や元気を引き出せる究極の方法で且つ確実に1人でできる。
そういうメッセージを、未来の自分に届けたかった。
なんと、これを書いていたら、友達から「Amazonに注文してたのが届いた」と写真付きで連絡が来た。
まさか自分の書いたものを友達が未来のいつかに注文してまで取り寄せてくれて、それを自分の書いた日の分をブログにアップしようと下書きを書いている時に「届いた」と友達から連絡をもらってその話をするなんて、そんな未来は1ミリも描いたことがなかった。
とっても粋だなと感じる。
余談だけど、この友達が2人目のAmazon注文取り寄せの友達で、2人とも何軒か書店を回ってくれた!!!
それだけでも感動!!!
そして、想定外だったのは、おいせさん手帳の話を男の人たちとしかしていないこと(笑)。
ノムとミッチー(ノムの恋人)はもちろん、Amazon注文してくれたのも男友達。
女の人向けかと思いきや、私の周りでは男性陣ばかりに人気が集まっている(笑)。
冒頭の写真は、友達から。
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