2019年12月12日木曜日

夜中の3時29分からのつぶやき

サクッと短く書こうと思う。

今が真夜中の3時29分とiPhoneの画面には表示されている。

21時半ぐらいだったと思うから、ちょうど6時間前。

私はものすごく久しぶりに500ml缶の発泡酒を開けた。

数年前まではよく飲んでいたけれども、飲まない生活になってからは気分転換は別にアルコールじゃなくてもいいんだなと思った。

今途中まで書いたけれども、今日仕事の最後に少し英訳の練習をして、それというのが「端末台の基盤の中央の板が上部に上昇して、止め台のネジがしっかりとしまるようになる。」みたいな、もう読んだだけでは何を言っているのかさっぱりわからないものをやって頭のネジが飛んだ。

私の心が異次元にワープしそうだった( ̄∀ ̄;)。

家に帰ったら帰ったで、今度はまだ続行中の会計監査の計算を電卓片手に始めた。

それが終わってからの発泡酒だった。

そのためにわざわざカルビーの堅あげポテトまで買ってきたくらい。

英訳で頭のネジが飛び、会計監査の計算で新たなネジが飛び、さらに久しぶりの平日の夜の迎え酒でネジが飛び。

ネジがたくさん飛んだから、ということにしておこう。

私は無性に電話をかけてみたくなった。

アルコールが入って、滅多に起こらない「気持ち良さ」みたいなのがあった。

基本的に何杯でもガブガブいける口だから、ほろ酔い気分なんて滅多に経験できない。

でも今日は、今日というか6時間前は年に一度起こるか起こらないかのほろ酔い気分を味わっていた。

英訳も明日はもっとやらないといけない会計監査用の計算も全く楽しくないけれども、でも私は電話のことを考えたら、その時は妙に楽しくなった。

ある意味頭が逝かれたんだと思う。

私が電話したいと思った相手の電話番号は携帯のアドレスに入っていない。

だからもし本当にかけるとするなら、私は手入力で番号を画面タッチしないといけない。

アドレスに入っていない、というのはすなわち、普段どころか過去に一度も電話をしたことがない相手だから。

しかもその番号が今も使われているのかも知らないし、そもそもプライベート用の番号ではないわけで、そんなところにかけるわけにもいかない。

理性というものがきちんとあるから、そんなことは絶対にしないけれども、6時間前の私は頭のネジがいくつか飛んだから、ありえもしない想像を巡らせては1人で楽しんでいた。

もしくだらない電話ができる仲なら、今電話したら楽しいかもなぁとか。

大人は忙しいから、「無用の電話」ってできなくなる。

例えばこの数ヶ月、最多で電話した占星術のクラスメイトのノムでさえ、「無用の電話」とは違う。

ノムとの電話は無目的のおしゃべりタイムのようであって、中身はまるで違う。

一生分の心理セラピーを電話越しに受けているようなもので、とても楽しくて充実したおしゃべりではあるけれども、無目的からは程遠い。

私の知る電話の中で一番目的が強くて、そして必要があってもたらされているんだろうと思う。

ここ最近は会計監査や友達間の伝書鳩的な伝達係をするためにたくさん電話をしているけれども、それだって無目的とは違う。

そういうのじゃなくて、本当に何の用事もなくて、一般的な大人からすると「一番くだらない電話」とされる電話を6時間前の私はしたがった。

その電話のしたがり度は、他に類を見ないものだった。

仮に本当に電話をかけたとしたって、相手にしても私の番号が登録されてるわけもないから無視されて終わりだろうし、仮に名前なんか表示されてしまったのなら絶対に出てもらえないのが関の山だと思う。

そうした現実的なことは珍しく何も考えず、本当に純粋に私は用事のない電話をかけたくなった。

私的な会話を一度も交わしたことがないから、そんなの現実レベルに無理なのは頭の片隅でわかっていたと思う。

なんだけど、私は電話したくなった。

22時37分くらいまで1時間ほどはほぼほぼそんなことを考えていた。

22時半を過ぎた時間を見て、もう夜も遅い時間でこんな時間にかけるのは非常識だし遅すぎると大真面目に思って、その電話したいは少しずつ名残惜しそうに消えていった。

これシラフでは絶対に起こり得ないことだと思った。

アルコールだけじゃなく、色んな頭を使いまくることを一気にやったから、頭が疲れたんだと思う。

人恋しいのとは少し違っていた。

くだらない、何も考えなくていい、そうした気持ちのゆるんだ時間が欲しかった。

その先に電話したいのがその人だった。

まともに話したことさえないのに、本当に意識が多分異次元にぶっ飛んだおかげで、私は妙に電話したがりさんになっていた。

その人はそんなくだらない電話をもししてくれるとするなら何の話をしてくれるんだろう?って思う。

今書いててふと思ったのは、私のその「端末台の基盤の中央の板が上部に上昇して、止め台のネジがしっかりとしまるようになる。」とかを説明してくれてもいいんだと思った。

少なくとも「端末」と「基盤」とがどう違うのかわからない私からすると、すべては「何か電気系統のもの」でしかないから、それの違いをベラベラと話してくれたらいいのに〜と思った。

そんなことじゃなくていい。

もうごはん食べた?とか。

今何かテレビ見てる?とか。

それって最高に贅沢な会話だと私は思っている。

他の人は知らないけれども、私がする電話は基本的にくだらないことも話しても、どちらかというより9割は超真剣な話が多い。

人が一生の中で一度聞くか聞かないかみたいな話。

私の場合、何かのバランスが完全におかしくて、そうしたヘビーなものは日常茶飯事レベルで起こっても、「何食べた?」みたいな日常の超どうでもいい話をすることがほとんど無い。

その人としたい話って基盤とかじゃなくて、本当にスーパーくだらない、生産性の1ミリもない、話しても話さなくてもいい、なんなら話した後、場合によっては「時間の無駄だった」と感じるタイプの話なんだと今書きながら気付いた。

そんなの永遠に来ないと知っても、それでもそういうのに私は憧れている。

その人の趣味の話でもいい。

試合のルールも技の名前も1つも知らないけれども、その話だっていい。

むしろ知りたいのは、買ったTシャツをなぜ着ないのかや、それは普段どんなことになっているのかや、着るものと着ないものの差は何なのかとか、その人にしかわからないその人だけの人生のある1つのこだわりを知りたい。

こんな情報を他人から教えてもらって、私はその話ができる人のことが超羨ましかった。

その人にしかわからないくだらないことは絶対にないそうした話をする機会がもたらされないことの現実のむごさがある。

「むごさ」って惨さ・酷さ・苛さという漢字があるって今知った。

なんかどれもピッタリな感じ。

希望の反対は絶望だと思うけれども、そうした「理由はないけれど電話したい」という希望と、そうした希望を抱くたびに叶わないと知ることの絶望、それらが毎回行き来している。

手紙を書いた中身はかなりきれいにまとめてあったけれども、本当は私はどんな食べ物が好きなのかとか、何をされると嬉しくて何をされるとイラッとくるのかや、普段目に映る景色がどんな景色なのかや、眠れない夜は何してる?とか、知ったところで社会の中でのお役立ち度ゼロでも私は知れたら楽しいなぁ嬉しいなぁと思ったのはそういうことだった。

私が知りたいのは、その人を構成する色んなことたちだった。

そしてできるだけたくさん色んなことを細かく知りたかった。

その人が仕事ができるのは知っていたから、そこはある程度十分見せてもらえたから(勝手に見ていただけだけど)、そうではない素顔を見たかった。

その人の素顔、それはすなわち生きている小さな事柄を知りたかった。

例えばいつか話しかけに行った日、その人は道具の整理のようなことをしていた。

何でそんなことをしていたのかは知らないけれど、誰の目にもつかない場所で1人で黙々とそんなことをしていた。

本当は気分転換とかをしていたのかもしれない。

わからないけれども、責任ある仕事を日々細々とたくさんしないといけないわけで、道具の整理整頓はちょっと頭に風を送り込めるのかもしれない。

本来なら他人のホロスコープなど勝手に見ちゃいけないんだけれど、私はそのTシャツの話を教えてくれた人経由でその人の誕生日を知った。

ペンジュラムの力も借りて、私は時間まで特定させてホロスコープを出した。

パッと見ただけではわからないから細かくは見ていないけれども、道具の整理整頓をもしあの時していたとするなら、それは素のその人自身が自分の安心感や安定感を得るのにとても適した行為なんだろうなぁというのはホロスコープを見たらわかる。

その人はホロスコープのホの字も知らないと思うけれども、自分でも知らなくても自然とそうしてしまうぐらいにその人の中では普通のことなんだと思う。

そんなところに私はのこのこと出て行って、いきなり爆弾のようなことを口にして、爆弾は本当に爆発して終わった。

あんなに近くにいたのが今となっては幻のようになっている。

でもあの時は本当に近くに行くことができて、話しかけられるのも嫌そうだったけれども話しかけることもできて、超勇気を振り絞って自分の希望などを口にしてみて、でもできませんと言われて。

私の頭の中の時系列や時間の過ぎ方がかなりおかしいことに気付いた。

あの時のことがまるでつい最近みたいな近さに感じることもあれば、幻のように感じることもある。

そう言われたのに、私の頭の中はどうしたのか、今日は今日で無性に電話をしてみたくなって、何を私は記憶していたんだろうと思う。

ありえもしない可能性に妙に心が躍った私は、希望を持つ天才だなと思う。

あの時、本当は心を少し切り替えたくて道具の整理整頓をしていたとするなら、私の登場とか私の前置きもなくいきなりの話しかけてきた内容とか、単なる頭痛の種でしかなかったなぁなんて思う。

もはや何の話を書いているのかもわからなくなってきたけれども、これから寝ないと絶対に仕事にならないから、このまま読み返さずにアップしてしまおうと思う。

本当は何の用事もなくても電話したかった、もっと言えばそれができる関係が欲しかったという話なんだろうけれど、そんな希望はブツブツと言ったからと言って叶えられるものじゃない。

でも、1つだけ言えるのは、その頭のネジがぶっ飛んだみたいな時に私が「電話したい」ってなったのは、本当の願いなんだろうなぁということ。

理性も常識もぶっ飛ぶぐらいになったからこそ、素の私はそうした根源的な願いを自然と自分の中でキャッチしていたんだろうと思う。

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