2019年11月24日日曜日

デング熱体験記〜昔のmixi日記より〜

(小さな説明文)
今とある日記をmixiから探していて、ついでに気になるものも読んだら、とてつもなく面白いことを書いてたから、ついでにアップしようかと。

デング熱で人生初の入院をした時の話で、今読むと笑いにしかならない、超貴重な体験をしていた。

ちなみに文の最後に
「デングだけはもういやだ~!
そして入院はもっといや!」
と強く強く願う私がいるけれど、なんとその1年後に私はまたもやデング熱にかかった。

デング熱に2回もかかる人なんて聞いたことがなかったから、最初は半分冗談で検査を受けに行った。

「もしかして…」と思ったのは、目ん玉の裏側が痛くなったから。

デング熱の症状の1つに目玉の奥が痛むことが挙げられる。

何だそれ!?と思っていたけれども、実際に痛くなって、目というのは本当に球体で、実際に見えない裏側の方もきちんと実在しているんだ〜、と呑気に思った記憶がしっかりとある。

本当に痛くなりようのない箇所が痛くて、何かがとてつもなくおかしい!!!と思って、念のため熱も下がらないし食欲も突然減退するから検査しようってなって血液検査したら、デング熱確定した。

役に立つことがあまりないとは思うけれども。

デング熱に2回かかって2回ともに共通していたのは、解熱剤を飲んでも熱が下がらないことと、突然食欲減退になること。

2回目なんて、私は飲む気満々でビールもおつまみもしこたま用意してあとは飲むだけ!イェーイ!!みたいな状態だったのに、突然何も口にしたくなくなって怠(ダル)くなって、飲みは即刻中止、即ベッドに横になった。

そこから飲まず食わずの熱も下がらないから、そして目ん玉も痛くなって、おかしいと思って病院に念のためかかっておこうか!となって、病院にかかることになった。

2回目は病院の隣りの建物に検査を受けに行って、私があまりにも普通に応対するから受付の人は「検査結果はまた数日後ね〜」などと言うから、「いやいやいや、デング熱疑いだから今すぐ結果が要る!」と訴えても信じてもらえず。

何度言ってもダメで取り合ってもらえないから、ドクターが必要だって言ってるから!と言って電話して確認してもらったのか、私が診察室に戻って事の顛末を告げて検査棟へ電話してもらったかをして、ようやく早急に検査結果を出してもらえることになった。

まさかのデング熱確定で、そのまま入院になった。

ドミニカの入院着はすごいヘンテコで、日本の医療ドラマに出てくる外科医の手術着みたいな、昔の人が着るかっぽう着型のエプロンみたいなので、背中側が開いている。

前だけが隠れる、後ろはマンガ『おぼっちゃま君』に出てくるびんぼっちゃま(貧乏な坊ちゃん)みたいなスタイルで、変な入院着と思った。

色々ツッコミどころ満載の入院で、これ読んだら笑えて元気出たくらい。

他にも面白い日記が出てきたから、時々気が向いた時にアップしたいなと思う。

とりあえず、昔のmixi日記より、今回はデング熱体験記。



『ドミニカ共和国での入院・デング熱体験談』
2007年10月8日


先回の日記に書いたとおり、私はデング熱にかかって5泊6日の入院を余儀なくされた。
これまで一度も入院したことのない私だったけれど、ここドミニカ共和国で初入院という新たな自分史ができあがった。
日本で入院したことのない私には、ここでの体験がどれほどずれているのかわからないけれど、とりあえずあまりにおかしすぎたことを思い出せる限り書こうと思う。

どれが最初の驚くべき事実だったのか忘れたけれど、まずこの国では夜勤の看護師さんは休憩をとるのが当たり前らしい。

少なくとも私の入院していた病院というのは、国内でもきちんとした私立病院で、国の中では1,2を争えるくらいの医療レベルらしいとのこと。そんな病院なのに・・・

で、話は戻るけど、看護師さんの夜勤の休憩。

どうしてそれが発覚したかと言うと、ある日の夜中の2時か3時ころ、私の点滴の機械からピーピーとけたたましい音が鳴り響いてた。点滴がなくなったらしく交換しろの合図だったようで、とりあえずスイッチオフを押して音を止めた。
で、例のナースコールを押したけれど、赤く点滅するだけで音が鳴らない。
私の部屋はナースステーションのすぐ脇にあったから、ナースコールは自分のやつもよその人のやつも全て音が部屋まで届くようになっていて、そして看護師さんが返事をしたのまで聞こえてしまうような至近距離だった。
最初ナースコールが故障でもしたのかと思ってもう一度押すけれど相変わらず赤く光ったままで音が鳴らない。
仕方なく、点滴の機械のコンセントを抜いてよろよろしながらもナースステーションの方に行こうと自分の部屋のドアを開けてびっくり。
ちょうど部屋を出てすぐのところに3人がけくらいのソファーがあるのだけれど(というか、そんなのはそのとき初めて知った)、そこで毛布をかけて看護師さんが爆睡しているではないか!
仕方ないけど看護師さんに声をかけて起きてもらって諸々の仕事をしてもらったけれど、何だこの国は!と思った。
看護師さんも面倒くさそうに起きて仕事をすると多分またソファーに戻って寝たと思う。

どうもこういうことらしい。

ナースコールを全て止めて、それで仮眠を取ったらしい。
ちなみに廊下からものすごいいびきの音が響いていたから、別の看護師さんも別の廊下のソファーで寝ていたはず。無論その人は起きずにずっと寝ていたようだったけれど。

で、その2時間後くらいにナースコールが2件立て続けに鳴り響いたのを聞いて、あぁ仕事をしているんだなぁと思ったらそうではない。
どうも例の仮眠時にストップしていたナースコールを解除してそれでその時に本来届いたコールが今更ながらに確認されて、でそのまま一人の看護師さんが私の部屋に何の用事かとたずねてきた。
もうさっき終わったからいいよと答えて終わったけれど、これはどういうことだろう・・・
もし点滴がなくなったくらいならいいけれど、呼吸困難とか命に関係するようなことだったらどうするつもりなんだろうと病気でぼけていた頭で考えた。

ちなみにこのこれはその日に限ったことではなく、私はまた別の日も夜中のそういった時間帯に看護師さんを呼ばざるを得ず、その時もナースコールは赤く光るだけで鳴らなかったから、よいしょと起き上がって看護師さんを呼びに行ったら、その時と同じように看護師さんは寝ていて、また起こしてなんとかしてもらった。

あとこれはまた別の日。

まだ夜の9時とかそのくらいだったと思う。
ナースコールは鳴り響いているのだけれど、誰もこない。
誰も応答しない。

私の点滴は本当に嫌なくらい問題を毎日数回のペースで起こしていて、例えば空気がつまってエラーとか(これは私の手に負えない)、点滴がなくなりましたということでけたたましく音が鳴り響くとか。
その時は何のエラーか忘れたけど、とにかくだれかに来てもらわないことにはどうにもできない状況にあった。

仕方ないからまた点滴のコンセントを外して(発熱やら全身の倦怠感で、そのひとつの動作だけでものすごい労力を要した)、ナースステーションに直接行ったら誰もいない。
近くに誰もいないようで、少し様子を見ていたけれど、何の変化もなし。

仕方ないからJICAの健康管理員の方に電話をかけて状況を説明したら、じゃあこれから私が病院に電話するからと言って待っていた。

10分15分くらい経った頃、ようやく看護師さんがきて処置を施してくれた。
で、その後また少しして今度は3人もの看護師さんが私の部屋に入ってきて、突然こんなことを言い出した。

「さっきはね、一人は薬局に行っていて、一人は他のところに行っていて、で、もう一人のこの看護師はまだ到着していなかったの。そういうときはもうどうしようもないんだから待ってればいいの」

とだけ言ってまたすたすたと行ってしまった。
私は何がなんだかわけがわからず、ぽかんとしてしまった。

これは後日判明したことだけど。

どうもJICAの健康管理員の方が病院に電話をかけてもつながらず、3回かけても誰も応答せず、仕方ないから担当医に直接電話を入れて事情を説明、その担当医から看護師に多分説教も含めて電話がいって、それで最終的に私のところにその看護師トリオがやってきたらしい。

っていうか、ナースステーションからっぽにしていいの??とこれまた疑問。

あとどうして私の点滴が普通にただぶら下げる形式のものではなく、機械を使った点滴だったかと言うと、例のごとく看護師さんの実態がすさまじいというか、信用のおけないものがあるから、医師の方の苦肉の策で、機械を使うよう指示しているらしい。
点滴の量を管理できないということで、それを機械にやってもらってるというのが現状。
納得納得。

私は時々2種類の点滴を同時進行でしないといけなかったけれど、一度なんかは看護師さんが私に投与するのをすっかり忘れていたらしく、それこそ夜中の12時頃になってやってきて、なんと3本一斉に点滴を開始した。
あまりの痛さに「痛い!!!」と言ったけれど、何か適当に言われてそのまま去られてしまった。
これも何なのかわからなかったけれど、時々忘れたかのようにやってきては注射器を点滴の管に直接刺して何か液体を私の血管に投入していたけれど、これがものすごい痛さで半端なく、一体これは何のためにやっているのかさっぱりわからなかった。
それもこれがかなり不定期でいつやってくるとかいうのがまったく予測できず、言うなれば看護師さんが思い出すとくるというもので、最後の最後まで意味不明な注射器投入だった。

点滴だけでまだまだ問題はあって。
当初私は左手首のちょうど親指下の手をパーにするとへこむところに点滴をされていた。
ところが2日目か3日目くらいから手が一日中しびれだして、でもそれが普通なのか普通じゃないのかよくわからなくて、同期の看護師隊員の子が電話をくれたときに状況を説明したら、下手すると神経損傷になりかねないから看護師を呼んで刺しなおしてもらった方がいいよと言われた。
神経損傷すると一生手がしびれたままとかいう可能性もあるから早めに何とかした方がいいとのことで、健康管理員さんもちょうど到着して事情を説明して、点滴のさしなおしをすることになった。
でも健康管理員さんからは、この国の看護師たちは本当にレベルが低いからあまり期待できないよとは言われて、でも神経損傷よりはましだと思ってさしなおしてもらうことに。

ところがこれも一筋縄ではいかず、最初手の甲に浮かぶ血管よりも明らかに太い針を同じ左手の甲の薬指の下1センチくらいのところにさされた。
明らかに入りそうにもないのを無理やり入れようとして痛さはもう半端でなく、さすがの私も痛いと絶叫した。
看護師さんはそれにびびってしまってとりあえずこれはやめようということで途中までさしたものをまたすっと抜いた。

看護師さんはどこかに行ってしまって、その間健康管理員の人から、あんな風に痛いって言うと看護師さんも萎縮して余計にできなくなってしまうから多少痛くても我慢するようにと注意を受けた。

それでさっきの看護師さんと別の看護師さんが戻ってきて、今度はもっと細い針を持ってきてそれを左手の甲の中央あたりに刺した。
今度は痛くなくて(多少は痛いにしても)、ほっとした。

ただ退院するまで時々痛いなぁと思っていたのと、ちょっと角度がずれると一瞬すごい痛みが走るのとでなんだろうなんだろうと思っていたら、なんと点滴を外したときに見たら針が見事に45度曲がっていて、その状態でずっと点滴をしていたようで、それで痛みが走ったようだ。

退院して1週間経つけれど、2箇所の点滴のあとはもちろんのこと残っているけれど(普通はこんなに残るのかはわからないけれど)、左手の甲の左半分がずっと打撲したままで、これは点滴によるというか、看護師さんの扱い方なのか、何が原因かわからないけれど、いまだもって青くなったまま押すと痛みが残っている。

点滴もひどかったけれど、経過を見るために毎日行われる採血もひどかった。

これがまたひどくて、元々血管が見えにくく日本でも採血のときは採血する人がばしばしと叩いたりして一生懸命血管探しをしなければいけないような状態だったけれど、ここでもそう。

ただここが日本と違うのは。
とりあえず刺す。
刺した状態で針をぐりぐりと動かして血管の場所なのか何なのかを探る。
で、さんざんぐりぐりした後でも見つからない場合はまた注射器をスポッと抜いてまた別の注射器で再トライをする。
それがドミニカ方式。
日本だったらありえないと思う。

で、私は右手のひじの内側とでもいうのだろうか、普通の人が採血される場所で採血できなかったときは、右手の甲とかくるぶし脇辺りの手首のあたりから採血された。
本来痛い場所なんだろうけれど、そのぐりぐりとされる方が何倍も痛かったために、手の甲も手首のあたりもほとんど痛みを感じずに済んだ。
というか、多分それくらい痛かったんだと思う。
なぜなら、そのぐりぐりされたところ(1回じゃない、数回)、2箇所あったけれど、退院してからもしばらく親指の第一関節くらいの大きさで青くなっていたから。
採血で打撲する人なんか普通いるんだろうか???

入院4日目くらいだろうか、デング熱は血小板が減少するのが特徴らしいけれど、私はそれと一緒に白血球の数も減少して、本来4000以上あるべきものが900まで下がったということで、その日は朝とそして夜にも採血が行われた。
看護師隊員の子の話だと、その900という値は白血病の人並みの値らしい。
健康管理員の方も今までデング熱で白血球が減少する人はたくさんいたけれど、3桁になった人は初めてだと言われた。

とにかくやばいということでその夜の採血が行われたのだけれど、もうこの時は本当に点滴やら何やらで疲労困憊していて、プラス発熱第2弾に苦しめられ、もうどうにもこうにもならなかったときだったけれど、そのときの採血が一番ひどくて、私は平気で失敗しても平然としている人たち、自分の体がもう実験のように扱われているような感じ、痛みももちろんだけれど、その扱いのひどさに泣けてきて仕方なかった。

その頃にはもう何かを笑い飛ばすほどの元気はまったくなく、本当に辟易としていた。

他にもおかしなエピソードとして。

私は初日は夜の9時過ぎにようやく病室に着いたために翌日からの食事提供となったのだけれど、2日目の夜食事が出てこなかった。
もっとも何も食べれなかったから気にならなかったけれど、この国は朝と昼だけしか病院では食事が提供されないのかと思った。
だいたいこの国の家の食事の時間もめちゃくちゃで統一性がないから、あぁそういうこともあるんだなぁと思った。

という話を健康管理員の人にしたらそんなわけないじゃないの!と言われて、その人が問い合わせたら私の部屋に食事を運んでくるのを忘れたとのことだった。
そんなことってあり??とこれまた仰天だった。

ちなみに食事も毎日毎日同じで、私が食べれない、これだったら食べれるなどと言うとたまに違うものが出たけれど(でも結局食べれなかった)、でも基本的に毎回マッシュポテトと付けあわせがチーズか温野菜が昼・夜と交代で出てきて、スープも同じ、他のものも毎日毎食同じというすごい取り合わせだった。

こんな食事で果たして食欲のある人は飽きないのかと思ったりもした。

あと私の点滴は、2本目が同時進行で行われると、必ずといっていいほど2本目の点滴の針が管から外れてしまって、点滴がぷしゅ~っと吹き上がるなんていうことはしょっちゅうだった。
それでベッドが汚れるのはもちろん、いやいや何かをされるよりは自分で何とかした方がいいと途中からは思い始めて、点滴の処理はしてもらうけど、ベッドのぬれた部分は自分でバスタオルをトイレから持ってきたり(たかが数歩の距離でも最高にだるいから息が上がって仕方なかった)、違うシーツをかけなおしたり、本来看護師さんの仕事を自分でしたりした。

あと2日目だっただろうか、おなかのエコーをとった日があった。
家からちょうど22歳の弟が見舞いにきていた。

私は係の人に「これからちょっと散歩しよう」などと言われて車椅子に乗せられた。
なんでだるいのに、熱があるのに散歩なんか行くんだろう?このおじさんは一体何の係だろう?弟が散歩したいとでも言ったのだろうか?とわけもわからず車椅子に乗って違う階へ。

何かの検査室だということがわかってホッとしたけれど、何の検査なのかさっぱりわからなかった。

で、私の番になって検査台のベッドの上に乗せられてあれよあれよという間に入院着をめくられておなかを出された。
車椅子のおじさんこそもういなかったけれど、22歳の弟はわけもわからずその場に一緒にいて、で、若い女の人が係だったけれど、あなたももしよかったらいていいわよとか言い出して、私は腹丸出しのまま、弟がすぐ近くで様子を伺いながらおなかのエコーをとられて、何なんだこれはと思った。

最初胸までもう一人の係のおばさんが出そうとするからそれだけはさすがにと思って抵抗したらそのままでよかったようでそれ以上は肌の露出を避けられた。

っていうか、なんで男が同室できるのか全く解せなかった。
弟の方はちらりと見たときはもうそのエコーの様子に無我夢中で私の腹だとかは全く興味の対象にもなってないようだった。
その若い女の係もあれこれと弟に説明を施していて、ずっとしゃべりっぱなしで作業をしていた。

で、私はそのエコーの間、最後の最後まで、妊娠検査をしているのかとずっと思っていた。
おなかしか見ないし、ズボンや下着を下げられて下腹部の方もチェックするし。
検査の最後のほうになってようやく左上の方にエコーの様子が見れるテレビを発見して見たら、あぁ子宮の様子なんか見てどうするんだろう?(←子宮かどうかはわからないけれど、私の乏しい知識じゃテレビドラマにある子宮のエコーにしか見えなかった)、あなた最近エッチしましたか?とか生理はきましたか?って聞けないから、こうやって検査して調べるんだろうか?とかわけのわからない理屈を自分の中であれこれ考えていた。

あとから健康管理員の人に今日おなかにぬるぬるしたものをぬられてそれで画像を取る検査したんですけれどあれは何のためですか?と聞いて、それで初めて腸内に他にばいきんがないかどうかをチェックするためのエコーだと知った。

とにかくあまりにも健康体できすぎたがために、普通の検査ですら何の検査かわからず、勝手にドラマで見るようなことをあてはめて妊娠検査だと思うのだからすごい。

他にもなんだかあった気がするけれどよく思い出せない。

とにかく入院する前に健康管理員の方から、ここに入院するとデング熱と入院のつらさの二重苦だからと言われた。

最初は意味がわからなかったけれど、ようやく自分でも納得できるだけの経験をした。
デング熱はただの風邪や発熱ではなく「デング熱」という名前がつくだけあってとっても苦しい病状だった。
私はこれまでこんなに辛い身体症状をかつて経験したことがない!というくらいに辛かった。

でもそれだけにとどまらず、その入院もひどかった。
看護師さんや採血でも何でも、もうめちゃくちゃだった。
医療事故が起きずに無事退院できたというのがもう奇跡のようだった。

ちなみにこの国のデング熱患者の退院は、少しでも血小板の数値が回復する兆しが見られたらその時点が退院の目安となる。
だから私の場合も血液の値がどうなったというところで、元々の体調はさして変化がないまま、食欲なし、とりあえず平熱には下がったけど全身に広がる倦怠感も相変わらず、もう何をするのも辛いという状況の中で退院した。
だから先週1週間家の中で寝たきりのように過ごしたのはもう仕方なかった。
退院2日後に血液検査をしに再度病院を訪れた際、吐き気なのか下痢なのかわからない気持ち悪さと立ちくらみとで立てないくらいにふらふらして結局はしばらく休んでまた歩き出したのだけれど、同行してくれた健康管理員の方にこれでもし脱水とかになったらまた入院しなきゃだからねと強く言われて、あぁそれだけは避けたいと思って最初の自宅療養開始から数日は無理矢理水分補給をしていた。
そう、水分を取ることすら辛い状態で、食べ物なんかはおかゆ3口とかいうわけのわからない状態だった。
ヨーグルトは1パックの半分も食べればおなかがいっぱいなんていう状態だった。

やっとここ2日間、日中体を起こして立ちくらみもさほどなくごはんを作ったり食べたりそして好きなパッチワークをしたりパソコンを広げたりということができるようになった。
日に日に食欲も回復しつつあって、あと数日で通常に近いくらいまでに回復するように感じる。
今日は本当に2週間ぶりくらいに「空腹感」というものを感じた。
そうこの2週間は食べなくても飲まなくても「空腹感」というものが全くなくてびっくりした。
そういえば唇がかなり乾燥して荒れていたけれど、リップを塗っても塗っても何の効果もないんじゃないかというくらいにべろんべろんと皮がむけていたけれど、やっとそれもおさまってきた。
体内に必要な水分がようやくいきわたり始めたのかもしれない。

いまだかつて体調不良で3週間もの療養を必要とすることなんか一度もなかったけれど、この度はじめてこのような経験をして、病気を克服した人が皆一様に言う「健康のありがたみ」というものをつくづく感じた。

ちなみにデング熱、インフルエンザと同じで、総称はデング熱だけれど、ここドミニカ共和国では3種類くらいのデング熱があるらしい・・・
もう残りの期間はとにかく健康無事でいきたいと強く願う。
デングだけはもういやだ~!
そして入院はもっといや!

というのが今回の一連のデング熱で常に感じていたこと。

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