2019年10月17日木曜日

ペンジュラムと私

ペンジュラムを入れる巾着袋

寝る時のペンジュラムの様子
枕カバーは私の手作り(о´∀`о)

ペンジュラムが教えてくれた両面テープ
売り出し文句通り、超強力でピッタリだった!

ペンジュラムのおかげで手にした戦利品



足のクリームさえ選んでしまえば、あとは家に帰ってお昼だー!!と思いながら、ペンジュラムを小さな巾着袋から出そうとした。

かれこれ多分15年ほど前にもらった、友達のお母さん手作りの和布で作られた巾着袋。

「うん?」

オルゴナイト2つと名刺が入った透明ケースとラリマールのペンジュラムはある。

だけど、どこをどう見ても水晶のペンジュムがない。

私は買い物かごを適当な邪魔にならない通路の一角に置いて、一目散に車の中へと戻った。

これまで歩いた店内の中と歩いた駐車場と自分の車の中と運転席のすぐ外の辺りをくまなく見たけれど、どこにもなかった。

大パニックだった。

さっきまでお腹空きすぎで早くごはん食べたい!なんて気持ちも一気にぶっ飛んだ。

どこにもやっぱりない。

とりあえず、ほっぽってきた(放ったらかした)買い物かごのところに戻って、他にも買う予定だったものをかごにぽいぽいと詰め込んで、レジを済ませた。

頭の中は真っ白だった。

色々買い物を済ませようと、隣りの町に繰り出していた。

その帰りの車の中で、ノム(占星術講座のクラスメイト)とのやりとりを思い出して、さらにはペンジュラムの今後を思った。

ペンジュラムとの付き合い方が変わるかもしれない…、そう思った。

この話は長くなるし別記事に書き途中だから内容はここでは割愛するけれど、これまでみたいに何でもかんでもペンジュラムに聞くようなことは、今後徐々に減っていく、そんな風に考えた矢先だった。

ペンジュラムは今後お守り的な役割を果たすだけで、日常使いは徐々にしなくなるかもしれない…、そんなことを思い始めたこのタイミングで、ペンジュラムがなくなった。

まさかそんなことを心の中深いところで思った直後に本当にペンジュラム本体がなくなるなんて、ありえない!と思った。

どんなに探してもなくて、そしてできるだけ落ち着いて考えて、ひとつ前のホームセンターに行く時までは確実に運転する私の膝上にあったことを思い出した。

じゃあホームセンターの駐車場!?もしくは店内!?と思って戻った。

ホームセンターの駐車場をウロウロし、店内も同じ場所をウロウロした。

やっぱりない。

膝ついて、車の下を見てもなかった。

落とすなら落としたでもいいから、割れた残骸が欲しかった。

姿かたちもないまま、ペンジュラムと突然のお別れ、しかも私の不注意でのお別れは嫌だった。

平日の昼間の空きすぎな駐車場をいいことに、そこでドアをよく開いてくまなく探した。

運転席側や運転席側の後ろにはなかった。

助手席側にあるわけない!と思って、助手席側のドアも開けて見たら、なんと、ドア開けてすぐのドアと助手席の隙間に落ちていた。

一体どうしてそんなところに落ちていたのかは知らない。

心底胸を撫で下ろしながら、ついでに近くの別のドラッグストアにも立ち寄った。

さっき選びそびれて買えなかった足のクリームを買おうと思った。

ペンジュラムもそこ行くよと言うから行くと、そのまま手や足のクリームのコーナーに真っ直ぐ向かった。

20〜30は種類がありそうな中、ペンジュラムは陳列棚の全部にNOと言いながらも「ある」にYESだった。

他の場所にあるということだから、さっと近くを見渡すと、奥の方に値引コーナーがあった。

このドラッグストアは、各コーナーごとに割引ワゴンを置いているから、そこにクリームがあるかもしれないと思って見に行った。

日焼け止めが主流な中、ボディクリームが半額になっていた。

蓋をそっと開けてニオイを嗅ぐと好きじゃない。

でもペンジュラムは買うにYES。

よくよく見ると2種類あった。

もうひとつを嗅ぐと、そちらはすごく好きなニオイだった。

しかも2本買うと言う。

ボディクリームを2本買ったことなんてないけれど、オススメなぐらい体に合ってるんだろうと思った。

そうやってやれやれƪ(˘⌣˘)ʃと思って、2本ともレジに持ち込んで、ようやく家路に着いた。




改めてペンジュラムのことを思った。

生まれてこの方、お守り的なものやアクセサリーをこれまで身につけたり持ち歩いたりしたことがない。

そんな中、ペンジュラムがほぼ24時間体制で肌身離さずまでいかないけれど、近くに置いている。

家にいて起き上がっている時間は、大抵木のテーブルの上に置いている。

寝る時は枕のすぐ横に置いている。

外に出る時もこれまた私は独特で、財布や携帯以外に、まずはペンジュラムをきちんと収納できるか、宿泊を伴うような時はかばんのどこに入れるかを考える。

今回探していた時も、携帯他無くなってもいいけれど、ペンジュラムだけは他に代わりがきかないとわかっていて、それだけは絶対に避けたかった。

外に出かける時、運転中はひざの上にいつも巾着袋こと置いておく。

仕事となれば、かばんに忍ばせて出勤する。

買い物時はかばんに入れるか巾着袋ごと手にして持ち運ぶかする。

今回ももれなくそうだったけれど、買い物の時がある意味一番本領発揮しているかもしれない。

買う買わないもだけど、今日のように種類がたくさんありすぎて選べない時、ペンジュラムがどれがいいかを教えてくれる。

大型の百均に行った時、本来必要なファイルを手にして後にしようとしたら、両面テープが目に入った。

ここ最近、ほぼ毎日愛用中の相棒歴25年の英和辞典の表紙が本体から完全に外れてしまって直さないといけなかった。

そうだ、両面テープが要る!と思った。

まず両面テープコーナーに行って驚いた。

パッと見ただけでも、太さも含めて30〜40は種類がある。

どれがいいのか全くわからなかった。

こういう時はまずは、「買う?」と聞く。

YESが出た。

あまりに種類が多くてパニックだったから、上から順に「この段?」っていう風に聞いていった。

下から2段目のところでYESが出た。

最初目星をつけたのが2つほどあって、でもさすがにそこは人通りが多くてペンジュラムをきちんとかざせないから、2つを手にして、少し人目につかない近くの別の列に行って聞いた。

どちらもNOで、でもペンジュラムはあるという。

そうだ!と思って、私は買い物かごの中でペンジュラムを回した。

数個目のところでペンジュラムがYESを出した。

何が他と違う風にも見えなくて、とりあえず手に取ってよく見てみた。

「布専用両面テープ」とあった。

そう、表紙の内側は、言うなれば一番近い素材が布になる。

そして、改めてコーナー全体を見ると、布専用のものはそれだけだった。

しかも下の目立たないところにあって、ペンジュラムがなければ見つけられなかった。

そんな風に使っている。

ちなみにこれには理由がある。

ペンジュラムは、私のことは何でもいいけれど、人の相談事やメッセージにも使う。

その時に間違いがないように、普段どうでもいい、間違えてもかまわないことで使って、精度の具合を確認するようにしている。

そうやって、とにかくペンジュラムをずっとずっと近くに置く生活をして早3年半。

私にとって、体の一部、本当に絶対に大事なもの、それこそ命の次ぐらいに大事なものなんだと思った。




ペンジュラムを日常使いしてる時点でも現代では変わり者かもしれないけれど、私は実はもっとおかしな想像をすることがある。

2年前の冬に初めてホロスコープ鑑定を受けた時の鑑定士さんから、私は過去世で10歳くらいまでしか生きられなかった男の子で、その時にもペンジュラムを自分の体の一部のようにして大事にしていたことを教えてもらった。

その時の意志が今の私の人生にすごく反映されていると教えてもらった。

鑑定士さんとの事前の打ち合わせのメールの中でこんな風に綴られてきたのが、初めて私がペンジュラムと自分との関係を知った時だった。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

メールを読ませていただいて感じたのですが、 間違いなく過去世でペンジュラムを使われていますね!
その時は、男の子です。祖父母にあたる方が使われていたようで、 家庭のなかに当たり前にペンジュラムがあり、 日常に当たり前に使っていたようです。 祖父母の方が使うのを幼少期からみていて、 自然に使いこなすようになり、 過去世の史子さんにとってペンジュラムは、 かけがえのない自分のお友達であり、自分の一部のような、 一体感になっていたようです。

この男の子は、 残念ながら成人までは生きていないようなんですよね。

この子の思い、志のようなものが、 今世の史子さんに強くいい意味で出ているようです。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

私はこれを車の中で読んだけれど、今でも読んだ瞬間のことを覚えている。

読みながら涙がいくつもいくつも出てきて、胸の辺りがブルブルと震えた。

文字通り、震えた。

その時以降、私はペンジュラムを時々見ては「これを持っていた男の子の自分はどんな風に生きていたんだろう…?」と想像することが時々ある。

世の中風に言えば、40未婚無職おばさんがそんなことを時折頭に思い浮かべるなんて、何とも痛々しい構図かもしれないけれど、冗談抜きでそんなことを真面目に想像する。

当時の記憶なんてちっとも思い出せないけれど、唯一ペンジュラムだけが繋がっている、私のこの異常なほどに使いこなせる能力は、間違いなくその子が授けてくれたものだと思っている。

ひとしきりそんなことを考えていたら、私は
「あーーーーーーっ!!!!!!!!」
となった。

過去のブログを探した。

出てきた。

目の前にはいない生きている人から死んでいる人、風景まで、とにかく様々なものが霊視できるヒーラーのOさんとやりとりした時のこと。

Oさんは、ペンジュラムのエネルギーを読み解いて
【この世のものではないものと繋がっている】
と私に教えてくれた。

ずっとずっと何だそりゃ?と思っていたけれど、私は今になって、その「この世のものではないもの」というのは、もしかして過去世の私なんじゃないかと思った。

私というか、その男の子というか。

そんな細かな霊界エネルギーを私は読み解けないからわからないけれど、もう今は生きていない者なら、色んなことがお見通しでもおかしくない。

しかも、Oさんは最初にペンジュラムのエネルギーを読み取った時、私にこう言った。

「アメリカ人の10歳ぐらいの金髪の男の子で…
そばかすがあって…
ペンジュラムを使ってるのかな…
使ってるというよりペンジュラムで遊んでる感じですねー、
そんなのが見えます」

この話を聞いて、私は瞬時に思った。

多分Oさんが感じた映像は、その1年前にホロスコープの鑑定士さんが感じた映像とおそらく同じだろうこと。

とにもかくにも、その男の子の意志が本当に強く出ているんだろうって思った。

ずっとおかしな妄想だと自分でも若干思わなくもなかったけれど、そしてそれが当たっているのかどうかなんて知る由もないけれど、恐る恐るな気持ちの中で妙にしっくりくるものだった。

Oさんに「この世のものじゃない」と言われた時、私はとっさに「地球外生命」などと勝手に想像したけれど、なんなら宇宙人?とか、〇〇星人とか?とどこまでも妄想だけが暴走した形の想像を一瞬したけれど、そんなのは何でもいいと思ってそのままにしていた。

でも、多分だけど、「この世のものじゃない」はその男の子なりその男の子にまつわる何かだと思う。

これは当たっても外れててもいい。

私の中で「魂が設定したもの」に近づくのに、思い込みでも何でもいいから、自分がそう思えることで楽になれたり心に力をもらえたりするなら何でもいい。

さすがにここまで来て、そしてこの4ヶ月ほどのノムとのやりとりのおかげで、私の人生は私が思っている以上におそらく色々ぶっ飛んでいて、何だか知らないけれど何かを強く願ってまたは意図して今回生まれてきているだろうことも受け入れつつある。

そんなの誰でもそうだろうけれど、私の場合、自分が望んでいるありきたりな生活、なんなら夢は専業主婦などと言う人が、それからは程遠い世界のことに関わるような人生であることを受け入れ始めてる。

その程遠い世界のことを私はまとめて「魂の設定」としている。

言葉は何でも良くて、要は私が受け入れられるかどうかが大事だったりする。

そうだとした時に、魂の設定を今を生きる私が少しでも頭で理解できた方がいいわけで、ノムの言葉を借りると「左脳で理解する」になる、そのような状態が好ましい。

その「左脳で理解する」のに、ペンジュラムを見て、過去世の男の子の存在に想いを馳せるというのは、私にとってある意味気持ちがふっとゆるんで、遠い自分と繋がるみたいな感覚がうっすらないわけでもない。

だから、そんなことをずっとしてたんだなぁ…と思った。




近いうちに書き上げてアップしたいと思っているけれど、この度ノムのおかげで、ペンジュラムなくても私はきちんと情報をキャッチできることを知った。

但し、何でもかんでもではなく、第三者からのメッセージに限る。

布用の両面テープとか、半額のボディクリームの在りかなどは到底キャッチできない( ̄∀ ̄;)。

そちらは相変わらずペンジュラム頼りだろうけれど、人からキャッチするメッセージに関しては、少しずつペンジュラム無しでキャッチしたままを伝えることをこれからはするようになると思う。

そうであっても、ペンジュラムは私にとって私の一部のような存在感には変わりないし、お守り的に持つだろうことも変わらない。

仮にこれから死ぬ時まで何十年と共にあるのなら、一番それがいいなぁと思っている。

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