2019年9月19日木曜日

2人展「uni」の案内〜ノムとミッチーの2人展〜

2人展「uni」のお知らせ
(↑リンク飛びます)











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オンリーワンや唯一無二とも違って、
同じ人はこの世に存在しないというような意味で、ただひとつのもの。
スペイン語の unico ってそういうニュアンスの言葉なんだよね。
友だちがそう説明してくれるのを聞き、なんてすてきな言葉だろうと思った。

〜2人展「uni」(9/21,22,23,28,29)のお知らせ〜より

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文中の「友だち」は私♪٩((*⁰▿⁰*))۶♪

この素敵な案内のおかげで、私までもが素敵な感じに仕上がってる 笑。

最初テキトーに「『バリエーション』でいいんじゃない?」と言ったことや、ノムがミッチーに真剣に説明しているのに、その様子があまりに面白すぎて私は電話の向こうで笑いをこらえるのに超必死だったり、このタイトルになる時の話の時だけは辞書まで開いて超真面目だったのに、後日談でミッチーが「これって文房具のuniと同じだよね」とノムにつぶやいたり。

ちなみに、ノムも私もミッチーが指摘してくれるまでuniはどこにもない言葉と思い込んでて、それがまた素敵だね〜、などとのんきに感想を言い合ってた。

そういうウラ側の可笑しな部分がすべてオブラートに包まれていて、本当に素敵な一瞬の部分だけがきれいに切り取られていて、ノムが書いた案内文はとっても素敵な仕上がりになっていた。




その日もご多分にもれず、ノムも私も2人の個展のタイトルの話をする予定はなかった。

ノムは知らないけれど、少なくとも私はそんなつもりがなかった。

「ノム今少しでも電話できる?
今日のスーパー濃厚な報告をちょびっとしたいだけ😆」

23:16に私は提案した。

ノムとミッチーの友達の夫婦、よっこちゃんとおまちゃん(写真家)に新潟で会ってきて超超超濃密な時間を過ごせて、そのきっかけはノムにあったから、だからそのお礼と報告をしたかった。

私は70キロ近い夜の運転を終えたばかりなのに、あまりにも興奮していて電話したいと言った。

ノムがミッチーとの大事な就寝前の時間だろうに普通に電話をくれて、ミッチーのことはどうしたんだろう…?と思ったら、ミッチーはお風呂だとノムは言った。

その間にúnicoの話が出て、じゃあuniなんてどうか?とノムが言って、それでその説明をノムが一生懸命にお風呂上がりのミッチーにしていた。

私は一切口を挟まず、ノムがミッチーに説明するのを聞いた。

私には音しか伝わってこないから、ノムが要約して説明しているúnicoを聞くことしかできず、実際の2人の表情とかは全く見えないけれど、途中から本当にノムが完全に独り言を大きな声で言うみたいな風に聞こえて、ミッチーはそこにいるんだろうけれど何にもミッチーの声がしないから反応しているのかどうかもわからず、ただただノムの声だけが電話越しに響くという超シュールな状況に仕上がって、私は電話越しに一人で吹き出していた。

私は自分の声が漏れないように、口を閉じながらゲラゲラと笑っていた。

ノムが最後どんな風に締めたか忘れたけれど、僕はuniが良いと思うんだけどミッチーも考えといてねと言ったのか、まぁ何かしらは言って、とりあえずタイトルはそこでは決まらず、後日に持ち越された。

ミッチーはやっぱりミッチーで、しかもミッチーの中でもノムの前で一番ミッチーの素の部分を発揮してるだろうから、ノムがよく言う「言葉での返答がほとんどない」ミッチーを初めて見れた気がして、私は超お得な気分になった。

電話越しに、ミッチーは誕生日を迎えて、ミッチーに直接おめでとうと言うことができた。

電話の後、私はúnicoの部分のスペイン語の辞書を写真に何枚か撮ってノムに送った。

それから1時間半は経過した頃、私は夢の中だったけれど、ノムがLINEをくれてた。

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ぶっしー、今日もありがとう! すばらしいアイディアを、ヒントを、インスピレーションをありがとう!  uni、すごくよい!  が、みっちーからはなんと、まだなにも返事がない!笑  すごするマイペースぶりは、38歳も健在みたい。笑   uniになりかは彼次第だけど、ひとまず、すごくすてきな言葉と出会えてうれしいよ😍😍😍

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(ノムがiPadで返信をくれる時、時々誤字脱字が発生するのが私にはツボで、そのまま掲載。ノムは基本的に誤字脱字をすっごい気にする人だから、そのノムがiPadでするLINEの返信の時だけそうなるのは超貴重だから、あえて直さないことにした。)



uniになったと知ったのは、ノムが私に案内状ができたと手書きの地図を写真で送ってくれた時だった。(冒頭の写真)

私がuniに決まったんだね、と案内状見て気付いて言ったら、ノムからは
「あ、そう! ごめんね、伝え忘れてた!
きのうの夜かな、どうする? って、(ミッチーに)聞いたら、え? uniでオッケーだよ? みたいな。笑 」
と返事が来た。

相変わらずのノムとミッチーのやりとりに笑いそうになった。

とても勝手な話だけど、ここでミッチーが突然、自分の個性をゆがめてまで超喋りまくって指揮をとってチャキチャキと決めて…なんてなったら、なんだか寂しい気分になる。

だから、色々ミッチーの素の姿が健在の方が私はいいなぁ、うれしいなぁと感じる。




タイトルのuniのウラ話を少し。

ノムから話を聞いた時、特別なタイトルや主題めいたものはなくて、とにかく思い浮かんだままのものをどんどん形にしていった、みたいなことを聞いた。

だからジャンルも統一してなくて多岐に渡るし、決まった形がないみたいなことも聞いた。

その話を聞きながら、「único」という言葉しか思い当たるものがなかった。

único(ウニコ)はスペイン語で、「ただ1つの」という意味になる。

ただこのúnicoは、唯一無二やオンリーワン、ユニーク、独自の、オリジナル、というような意味とは少し違っている。

そうした意味も全部兼ね備えているけれど、それ以上にúnicoは、どんなに形がいびつだったり、デコボコしてたり、ちんちくりんだったとしても、それがその本来の形ならúnicoになる。

唯一無二やオンリーワンだと、きれいなものを思い浮かべる感じや美談な感じがするけれど、únicoはそれがとがってようが凹んでいようがそれが本来のその形で他に類を見なければそのまま「único」になる。

本当に自然のまま、ありのままを指して、それしかこの世にそのそれは存在しない、という意味でúnicoだとノムにはそんな感じで説明した。

そんな風に言葉のチョイスも色々微妙というかいかにも私が説明しそうな言い方でしかなかったものが、ノムの手にかかると、

【オンリーワンや唯一無二とも違って、
同じ人はこの世に存在しないというような意味で、ただひとつのもの。】

という超素敵な言葉の説明に変わるのだから、ノムは本当に言葉の魅力を最大限に引き出すことのできる魔法を知っている人なんだといつも感じる。



【uniにつづくスペイン語の言葉は、ほかにもすてきなものがいくつもあった。】
〜2人展「uni」のお知らせ〜より

uniから始まる他の単語はunidad(唯一の)、unir(結合する)、universal (宇宙の)、unisex (ユニセックスの)とか、他にもたくさんあって、そういう意味に繋がる言葉のはじまりなのもいいね〜という話になった。

さらにノムが「uniの形って、uとnが鏡みたいに反転していて、そこにiがあって、iは私、もしくは愛。あっ!『you and I 』あなたと私にも見えるね!これいいねー!」と文字を見ながら言った。

そんなストーリーをノムが大きな独り言のように電話の向こうでお風呂上がりのミッチーに説明していた 笑。




ノムから「来週からの展示のイメージ写真🤗  れいさんに撮ってもらったよ〜〜♪( ´▽`)」と言って、写真が送られてきた。

見た瞬間、すっごい良い写真だと思った。

これはúnicoの話をする前に来て、写真に関してもノムから話を聞くことができた。

まだその時は案内的なものは何もできていなくて、とりあえず写真を撮ろうとなったのか、ちょっとその辺りの流れも忘れてしまったけれども(説明を聞いたはずなのに)、とにかくノムとミッチーの大家さんであるれいさんと3人で協力して撮ったことを教えてもらった。
(個人的に、その撮影会、超楽しそうで羨ましい限りだった。)

れいさんは、写真家ではないし、カメラや写真に詳しい人ではないと思う。

なんだけど、れいさんが撮った2人の写真は、2人の作品の良さや2人の空気感がものすごくよく伝わる写真になっていた。

宣伝用だからいつもとは勝手が違うにしても、写真の中の2人と実際の2人に違和感が全くなくて、ちょっとだけよそ行きのスタイルになった感があるだけで、あとは普段通りの2人という感じがした。

こういう手の写真は、どうしても「宣伝」の要素が濃くなって、本来の姿からかけ離れた空気感が切り取られる場合が多い気がする。

私がこれまで見てきた他の人たちや他の作品展のものは、そういうのが多かった。

なんだけど、れいさんが撮った2人の写真は、一応宣伝用ではあるけれど、普段の2人がそのまま写真になったみたいな印象だった。

よく見ると、自宅前で洗濯物のバスタオルやひさしの部分も写っているけれど、日常なのに非日常みたいな、非日常なのに日常みたいな、不思議なバランスでその写真は成り立っていた。

場所は2人もれいさんもよく勝手を知り尽くした場所で何も目新しい撮影現場ではなかったわけだけど、あんな風に写真を撮ることは当然普段ないわけで、そこで非日常が生まれる。

そんな非日常のシーンなのに、普段の2人、普段の3人トリオの掛け合いでやりとりされた現場だから、非日常に日常の3人が写り込んでいる。

れいさんは実際にそこには写っていないけれども、3人だからこそ撮れた写真なんだなぁってすぐに感じた。

ノムいわく、れいさんが「もっとこうしたらこの絵がよく見えるんじゃない?」「今の感じだと、ミッチーの作品が隠れるからもう少し見えるようにこうしようか」などなど、現場監督ばりに色々構成を考えてくれて、そして2人の作品が一番映える写り方をとことん追求してくれたそう。

話を聞いているだけで、れいさんがどれだけ一生懸命にこの撮影会を敢行してくれたのかが伝わってきた。

3人が撮影会をしていた同じ日の同じような時間に、私は新潟でノムとミッチーの友達の写真家の方(おまちゃん)のお話会に参加していた。

私以外の8人の参加者は、みんな写真やカメラに精通していて、私1人ど素人で専門的なことは何もわからなかったけれど、その時に感じたのは、写真は技術とかセンスよりも「想い」が大事なんだと思った。

どんな想いで被写体にカメラを向けて写真を撮るか、その想いによって出てくるものが違ってくる。

その場にいた参加者の方たちは、みんな想いを大事にしていた。

そんなことと、今回のれいさん撮影の2人の作品展の宣伝写真とが、遠く離れているのに重なるようだった。

れいさんも作品展を意識して2人の作品を一番映えるように撮ったにしても、その一番の根っこの中心となる芯の部分には、2人を大切に想う気持ちや2人の作家魂へのリスペクト、写真を撮らせてもらう喜び、そこに関われる一期一会の機会への想い、色んな気持ちが交じり合って、それであれだけの写真に仕上がったんじゃないかと思った。

私が今回掲載する写真は、ノムから送られてきたもので、ノムが自分のブログにアップした宣伝用写真とは違うものになっている。

せっかく素敵な写真だから、それも人の目に触れるといいなぁと思って、あえてそちらを掲載することにした。
(ノムたちには事後報告する予定で、これをアップする時点では了解さえ取っていない…笑)




私はこんなに自由気ままに書いているけれど、ノムやミッチーから宣伝して欲しいなんて全く頼まれていなくて、私が勝手に書いている。

ノムが書いた案内文の中に

【とっても近々で、もう予定が入ってるよー、って人も多いのかもと心配もありますが、
きっと、それでも巡り会える人と巡り会える機会になるだろう、と、楽観もしている。

あ、と、見えない針がピクリと動いた方いらっしゃいましたら、
ぜひぜひお越しください!
いっしょに、秋の午後をすごしましょう。】

とある。

まさにそういう展示というか、人間交差点的な機会なんだと思う。

巡り会う予定の人たちと巡り会う、そんな機会だと感じる。

ノムに「毎度のように、ノムとミッチーの個展の案内文をそのままブログで紹介させてもらうね〜!」と一言言った時、ノムからこんな風に返事がきた。

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展示のこともどうもありがとう!  ぶっしーのブログに惹かれる人なら、気が合いそうだから、たとえこの展示には来なくても、いつか会える人はいそう。それこそ、魂からの暗号を受けとってくれる人がぶっしーブログファンにはいそうな気がする😍😻💖

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そんな風に言ってもらえて、私も嬉しかった。

はっきり言って、私のブログの宣伝力などゼロに等しいものがあるけれど、だからこそもしそれがキッカケとなった場合、それは本当に「魂からの暗号を受けとってくれる人」で、ノムやミッチーなり、れいさんなのか私なのか、そこは未知数だけど、本当に縁のある人なんだと思う。




冒頭の写真にミッチーとノムのアトリエでの後ろ姿を載せた理由について。

これは6月に2人のアトリエにおじゃまさせてもらった時に撮ったものだから、今回の展示の作品には直接関係ない。

だけど、あえて私はこの写真を使いたかった。

いつだったかノムがこんな話をしてくれた。

ノムは普段、自分の家から徒歩10数歩のアトリエの中で絵を描いている。

ミッチーもそれは同じで、いつだったかミッチーがミシンでの刺繍を本格的に始めるもっと前に、ノムがミッチーにプレゼントしたミシンで刺繍の作品を生み出している。

ミシンも特殊なミシンではなく、家庭用の普通のミシンらしい。

ミシンもアトリエの一画にあって、その時のミッチーのミシン姿がとても印象的で、私が目にしたのはほんの数十秒でしかなかったと思うけれど、一生記憶に残るような、そういうシーンだった。

私は目に見えるもの以外は視えないけれど、その時のミッチーの姿には何か別のものを視ていたのかもしれないなぁと思う。

視たと言うよりも、視えていたという感じの方が近い。

で、ノムが話したのはこんなことだった。

自分がアトリエで絵を描いている時、それは東京都内でも都心部ではなく八王子という高尾山に近いところの町で、小さな部屋で小さな紙に向かって絵を自分の中から出てきたままに描いている。

自分1人の内側から出てきたものを目の前のキャンバスに描く。

それをどこかに発表しようとか届けようとかいうことは考えず、ただただ手を動かしている。

もちろん売れて欲しいとかいう気持ちもゼロではないとノムは言っていたけれど、ノムの場合、それを全くと言っていいほど計画したり算段したりせずに描いている、話を本人から聞く限り。

そんな風に生まれた作品たちが縁のある人たちの目に止まって、それが今度は違う街へと旅立っていく。

時には全く違う地方へと、時には海の向こう側へと旅立つ。

それがすごく不思議でならないと話してた。

ノムもミッチーも家やアトリエにいる時間が圧倒的に多い。

私の中で週6ぐらいの時間はそのどちらかにいるとさえ思っている。(実際は知らない。)

そうしたものが、こんな風に新潟から宣伝されてみたり、全然別のところに住んでいる人たちの目に止まったりするわけだから、本当にすごいなと思う。

2人のしている行為は、地球規模で考えたら、点としてさえ認識できないぐらい小さな場所からの発信になる。

それがこんな風に色んな人たちと繋がるなんて、普通には考えられない。

だけど、2人は確実に自分たちや自分たちの作品を通じて、人と繋がっていく。

それを表す最たるものが、2人それぞれのアトリエでの後ろ姿にあるなぁと私は感じる。

最下部にノムとミッチーとれいさんの3人の写真についてもほぼ同じ気持ちで載せてる。

あの作品展宣伝用の写真を撮った3人の普段の雰囲気を伝えたかったから。

どこにでもありそうな風景なのに、そこにしかない。

そしてそこに3人ないし私みたいに他の誰かが加わった時、日常だったとしても、常にそれは生涯で一度きりしかない時間だということを、3人といるとものすごく強く感じる。

今しかない今を3人は常に生きているし、それが100%日常に根ざしたものだとしても、その時その瞬間にしか存在しない一期一会の時間だというのがわかる。

3人で台所に立って後片付けをするサマは、別にその時だけではなく、何十回と繰り返されたものだと思う。

なんだけど、その写真の瞬間はその時にしかない。

まさにúnicoになる。

書いててわかった。

únicoはまさにそういうことも指す。

厳密には知らないけれど、私の解釈の中ではそれをも指す。

日常に見えても、その日常もその時1回限りしか存在しえない。

だから、それも限りなく毎日の繰り返しに見えて、その時だけの唯一無二の瞬間になる。

únicoはそうしたものの総称というか、何も日本語的な唯一無二やオンリーワンだけを指すのではなく、どこにでもありそうなのにその時その場所にしかないものも全て指す、そんなイメージを私は持っている。

ノムとミッチーの作品は、日常から生まれた非日常、そして私があえて付け足した写真は2人の日常、その作品たちが育まれた背景。

únicoが生み出されている現場、únicoを生み出す2人。

本当に興味引かれた方がいたら、是非とも2人に2人の作品に会ってきて!!!と心から思っている。




最後になったけれど、本物の案内など。
(ノムのブログをコピペ)

冒頭の写真に、今回の会場案内図あり。


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作品展「uni」
渋谷区神山町17−1第二渡辺ビル3A 「maruta 」
電話 03-5738-7083

在廊日:9月21日、22日、23日、28日、29日にいます。13時~20時頃

平日は、基本的にランチタイム(11:30~14:30)の営業時に、
見づらいかもだけど、見ることはできます。
ぼくらの在廊日は、鯖サンドやおつまみプレートなどと、ドリンクがたのしめます。

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