2019/09/27の朝焼け
これから旅立つものたち
2019/09/27
昨日午前中休んだ後、午後から米の仕事に行った。
すると、明日(9/27)で最後と知らされ、さらには男性陣は今日が最後、明日は女性陣のみ掃除で出ると知らされた。
あまりに突然すぎて驚いた。
きちんと挨拶もままならないまま、最後の時になってしまった。
ヨシダさんという一番良くしてもらった人が一言私に「今度会う時はよろしく」みたいなことを言ってくれた。
そんな言葉じゃなかったけれど、もはや何かは忘れてしまったけれど、とにかくわざわざキリッとして一言声をかけてくれた。
最後の日となった男性陣は、建物脇に付けられたテントの撤去を最後にした。
さんざん受付の待機の時に使ったテントだった。
本当に終わるんだな…と寂しい気持ちが沸きながら、私も撤去の手伝いをした。
その少し前まで3人の名物おじさんが来て、私たちの間と間に座って話し込んでたら、それを見た責任者の男性が
「キャバクラみてえだね、ここ」
と苦笑いしながら言った。
みんなで場末のキャバクラだの熟女パブだのとはやし立てていたら、10年選手のおばちゃん(70代)がやってきて、
「仕事中なのに、3びき、何サボってんの?」
と呼びに来たらしい。
3びきと呼ばれたおじさんたちはコッテリしぼられて、持ち場に戻って行った。
私はちょうど農家さんの受付でいなくて、その面白い瞬間を逃してしまった。
とにかく突然決まった終わりで、私は仕事が終わったら0泊2日のような弾丸東京旅の疲れを取るために寝る気満々でいたけれど、急遽変更した。
責任者の方に、男性陣は来月の20日あたりから今度は大豆の仕事のために来ると聞いた。
だから、最後渡そうと思って東京からの帰り道、休憩で寄った埼玉辺りのどこかのサービスエリアでお菓子を買ってあって、そしてそれに小さなメッセージを一言ずつ付けようと当初から予定していたから、それを大急ぎで書き始めた。
責任者の人にはお菓子用意したから、大豆の時に誰が戻ってくるかを聞いて、その時に渡してもらえるようお願いしようと決めた。
そうやって慌ただしく色んなことが駆け足で過ぎ去っている。
24日…
10日前の小さなトーク会に参加した時にキャッチしたある人への魂からのメッセージを書き終えて主催者の方にメールしたり、ノムとミッチーとれいちゃんに手紙を書いたり、『eat LOVE AFTER ⑵ わがままプラン』のブログを大急ぎで仕上げた。
25日になってすぐ家を出て、東京行きの高速バスに乗った。
25日…
れいちゃんに朝の7時過ぎに京王八王子駅まで迎えに来てもらって、コメダでモーニング。その後ノムとミッチーとも11時頃から合流して、そこから21時過ぎまで超過密スケジュールを3人で駆け抜ける。夕ごはんのeat LOVEタイムからはれいちゃんの高校生の次男くんも加わって、最後の最後にセラピー的な時間をみんなで持って、ノム魂からのメッセージを伝えるデビューの瞬間を目撃するような出来事が起こった。
23時過ぎ、池袋から新潟行きのバスに乗って東京を出る。
日付変わったあたりの時におみやげもとい最後に渡すお菓子をサービスエリアで購入。
26日…
明け方前の3時過ぎにバス停に着いて、4時前に家に到着。
午前中に寝たり身支度整えて、午後から米の仕事へ。
そこで明日27日で最後と知らされる。
仕事の後に大急ぎで小さなメッセージ、そのうち3人だけは個人的に書きたいことがあったから長めのメッセージを書いた。
27日…
朝の5時台に目が覚めて、今これを書いている。
このくらい慌ただしくて良かった。
これが終わると明日9/28から何をするのかすべて白紙になるけれど、それでもいいから今日27日という日がこんなにバタバタしている中で迎えられて良かった。
ノムとミッチーとれいちゃんとれいちゃんの次男くんと私とで過ごした最後の30分ほどの時間の時、次元がぶっ飛んだとしか言いようのないようなことが起こって、絶対的に今生必ず体験すべき再会の時みたいな瞬間に5人で立ち会った。
そうした時間の後、米の仕事の方も駆け足で色んなことが一気に動いたから、私は私でちょっと感覚が面白い感じになっている。
今にいるようで全然違うところにいるみたいな感じがある。
でも、とにかくこの目まぐるしい忙しさに救われている。
2年前の9/27は、この世の終わりかと思った時間を迎えていた。
一日中、時間のカウントダウンをしていた。
どんなに精を尽くしたとしても、止まらない時の針を前に私には絶望しかなかった。
やっと出逢えたという人物は、私の前からいなくなった。
2年かけて、私はその人がやっぱり普通の出逢いとは全く違う次元の人だということは知っていった。
細かく思い出そうと思わなくても細かく思い出せる。
自分の中の気持ちに整理がつかないまま迎える2年後の今日だった。
そちら側があまりにも大きなこと過ぎて、何事も感じずに普通に1日をやり過ごす時間はずっとなかった。
これから先、再会することもなく自分の気持ちだけを今のようにどうしていいかわからないまま生きていく心づもりが出来つつある。
これが5年10年となる頃には、今とはもっと違って、気持ちもおだやかになったり他の誰かや他の何かに忙しくなれている可能性もある。
でも2年後の今日は、まだ2年前とさほど差がなくて、それがわかっていたからこそ私は今日という日を迎えることが怖かった。
だから慌ただしくてバタバタしている方が、気持ちが救われる。
そこにどっぷり向き合うよりも、別の何かで忙しければ、一時的にでもそこに気持ちを向けていられる。
私の中にしか存在しない誰かを残りのまだまだ長いだろう、最大に見積もったら60年くらいある人生で、その誰かが忘れられない自分と向き合うというのは、とてもしんどい。
生きているのに会えないことは、これ以上ない絶望でしかない。
日々は仕方ない。
だけど、節目節目の日に、他のことで忙しくてしばしそのことを忘れられるというのは、あるところで私は確実に救われる。
突然決まった最終日は、そんな風にしてこれからやってくる。
誤字脱字だけチェックしたらこのままアップする。
どんなにカッコ悪いこと書いてても、それが今の私だからもう内容は直さない。
嘘は書いてない、本当のことばかりだからこのままアップする。
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