2019年9月15日日曜日
9月の予定表
明日(9/15)少しだけ遠出をするために、ドミニカ音楽のCDをクローゼット奥にしまった段ボールから出した。
その段ボールの中には分厚い予定表も入っていた。
絶対に要らないものだけど、捨てずに残したものだった。
なつかしさと共に私は予定表を手に取った。
しばらく一番上のページを見て、時が止まったようになった。
体が反応していた。
緊張感とも震えとも違うけれど、体の中に一瞬にして閃光が走るみたいな、ピリピリした独特の感覚が広がった。
目は上の方の文字に釘付けになった。
「施工結果 〇〇」
月曜にも火曜にも「施工結果 〇〇」とある。
水曜以降は、どこをどう探しても〇〇の名前はなかった。
直前までいて仕事をしていたから当たり前と言えば当たり前だったけれど、まだいた頃の予定表が一番上になっていて驚いた。
よく見てみた。
その人がいた頃の予定表のみを私は家に持ち帰った。
本来それも今後使うこともないものだったけれど、私はその「きちんと存在していた」という証明のようなものを手元に置いておきたくてそっと持ち帰った。
しかも持ち帰っていいのか聞かずに、しれっと持ち帰ってきた。
水曜日以降、その人の名前は消える。
永遠に予定表から名前が消えた。
水曜日にいなくなるのに、それは特記事項ではなかったようで、一番後ろのページにはそれらしいことは書かれていなかった。
改めて、名前が目に飛び込んできた1ページ目の印象を思い出す。
日付も見た。
変な感じがした。
日付は9月になっている。
今も9月なのに、手元の紙は同じ9月じゃない。
過去のものなんだから当たり前だけど、時空間が一瞬ゆがむ。
それはいつのことだったか全く記憶にないけれど、いつか後任の後輩くんが鍵当番に関してチラリともらしたことがあった。
「鍵当番、〇〇ってなってても、途中からは〇〇〇さんじゃなくて俺が開けてたんすよ」
えっ?えっ?えっ?
仕事そっちのけで耳はダンボ状態でその話を聞いた。
それが一体いつからの慣習だったのかはわからなかったけれど、私が毎週、一番後ろのページの「鍵当番」のところだけは入念にチェックして、この日とこの日は確実に来る日なんだなぁと見ていたあの文字は、実は途中から交代していたようだった。
予定表を2年越しに見ながらそんなことも思い出した。
ここまでのことを、私は予定表を手にしたままボーッとしばらく回想した。
どのくらいの時間そうしていたのかはわからない。
けれど、時々起こる、「時空間がゆがんだ」感覚にしばらく支配されていた。
変な感覚で、自分がどこにいるのか何で今が今なのかわからなくなる時がある。
寝ていて夢見て起きた時に「自分今どこにいるんだろう?」みたいな感覚に近いと言えば近い。
それとは別物だけど、起き上がっているのに頭もシャキッとしているのに、なぜか時空間にゆがみが生じて、一瞬わけがわからない時がある。
他の人もそういうことってないんだろうか…。
「もし」というのは、人生において絶対にないんだけれど、でも考えずにはいられない。
「もし」鍵当番の話を当時オンタイムですぐに知っていたとするなら、私はどうしていたんだろう。
表向きの鍵当番と実際の鍵当番がいつから変更したのかは知らないけれど、異動発表前からそうだった可能性も高い。
当時後輩くんが発した言葉を聞いてそう思った記憶があるから、だから実際はいつから交代しようとなったのかはわからない。
仮に異動発表前にそのことを知っていたのなら、私は本当に何もしなかったと思う。
1ミリどころじゃない、ミクロの単位で物事は決して1つとしてずれてはいけなかった。
すべてのことは、それこそその人の異動が知らされるタイミングや私がごはんに誘うタイミング、友達の結婚式で男友達が相談に乗ってくれたタイミング、鍵当番のウラ側の話を聞くタイミング、どれもこれも全部その通りになるようにあらかじめ決められた時にそれぞれが起こった風に今の私の目には映る。
私がどこまでも衝動的に動けたのは、「知らなかったから」。
しかも、当時の私はああでもないこうでもないと自分にありったけの言い訳を並べて、その人に感じている色んな気持ちを否定したり抑えたりしていたから、「いなくなる」なんて知ったら、私はすべて何もなかったことにしたと思う。
いなくなるなら、ごはんどころか一緒に時間を過ごしてみたいなんて考えなかっただろうし、仮にそういう気持ちがあっても理性で全力で抑えて終わったと思う。
それなら普通に送別会に出て、そこで一言でもちょっと言葉交わして、はいサヨナラだったか、もしくはそれさえもやっぱり欠席して、最後の日そこそこ血の通った挨拶と、多分そうなら何もやらかしてない私に笑顔の1つも向けてもらって、穏便に事が済んだと思う。
私がしたことは「面倒くさいこと」だった。
言葉が悪いけれど、本当にそういうものだった。
普段の自分を見ていたらわかる。
私は「面倒くさい」が勝ると、そのことがしてもしなくてもいいことなら、やらない。
面倒くさくても、「やらなきゃいけない」ことは別で、その時はやる。
けれど、やらなくてもいいならやらない。
だってどう考えても、異動でいなくなると確定した人に「ごはん行きませんか?」なんて誘わない。
しかもダメならその後も仕事で日々顔を合わせるわけで、そんなの気まずいだけで百害あって一利なしになる。
そんな面倒な事態を自ら引き起こすのは、どう考えても気の乗らないものだった。
そもそもそんなことしたことない人がいきなりそんなハードル高いことをやること自体難しかったわけで、頭をうんうんフル回転させながら、悩みに悩んで、タイミングよく男友達と共通の友達の結婚式で再会して相談して、じゃあごはんだ!となってごはんに誘う方向で調整を始めて…。
しかもそうなるまでに私は2ヶ月近く時間がかかっていて、さらにその計画を発動させるにあたり自分の気持ちももちろん必要なわけで、その気持ちを私はヨガで確認した。
東京に住んでいる妹に誘われて行った人生2度目のヨガの時間に、私の神経細胞は本当に宇宙に飛んで行ったとしか思えない。
そこで私はようやく自分の気持ちがわかって、じゃあ動こうかとなった。
とかいう頃にも、もしかしたらその人と後輩くんの鍵当番は交代していたのかもしれない。
「知らない」って本当に私の場合は、必須条件だったことを知る。
今ある自分の人生を思っても、あの時のことがなければ今は本当にない。
知らないことが良かった。
知らないから動けて、知らないからなんだかわからない衝動に突き動かされたと思ってる。
予定表はその週で止まってる。
当たり前だけど、私の時間はその後も進んで今に至っている。
色んなことが変わったし、なんだかよくわからない時間だったなぁとしょっちゅう思っている。
紙の上には、普通にその人がいた時間が刻まれている。
しかもきれいに保管してあるから、日焼けもしてなければ色褪せてもいない。
まるで今もらったかのような紙のハリとツヤがある。
なのにそれはこれから来る9月の下旬ではなく、すでに過ぎ去った9月の下旬になっている。
[写真たち]
ブログをアップした場所(お寺)とその近くの街の風景
これから、東京在住の占星術講座のクラスメイト「ノム」の喫茶店でアルバイトしていた20代の頃のバイト繋がりの友達の旦那さんの写真展とそのお話会に行ってくる。
なんと、その旦那さんのおばあちゃんの実家が私の今新潟で住んでいる田舎町にあって、そこで撮影した写真が今回の個展のテーマらしい。
という不思議なご縁で、ノムとゲイの恋人ミッチーとが時々ごはんを共にするご夫婦とこれから会ってくる(ご夫婦も多分都内在住)。
写真はその会場近くで、私の住む田舎町とは別の場所。
こんな風に人と人とはどこでどう繋がって出会うのか未知数だなぁと思う。
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