2019年8月25日日曜日

eat LOVE de ノム ⑴ 出会い〜葉月2019

ノムのブログ:leeの話 こことあそことそのあいだ





色んなことがてんこ盛り過ぎて、頭の中の整理が追いついていない。

もうこの際、延び延びになったことが意味のあることだったと超前向きに捉えて( ̄∀ ̄;)、印象に残ったことを書き綴りたい。




現時点(8/24)での結論から先に言うと、占星術講座のクラスメイトだったノムに声をかけてもらって、ノムと一緒に1回きりの文章を書く仕事をすることになった。

書くとそれで全部なんだけど、そこに至るまでありえないことが何十個と重なっての今に繋がっている。

何十もの細かいプロセス全てを説明してたらキリがないから(それこそシリーズ化しないといけないぐらい)、かいつまんで今はざっくりと説明しようと思う。

そもそも私がノムの存在を初めて知ったのは、占星術(ホロスコープ)講座ではなくノムのブログの方だった。

2018年春、私は先のことは何も決めずに仕事を辞め、存分に与えられた時間を自分のホロスコープを読むことに費やした。

完全なる独学でスタートした私は、ホロスコープに関しては、基礎なんかかっ飛ばして気になったテーマからどんどん調べていった。

ブックマークもよくしたから、何かもう一度確認したいことがあると、ブックマーク一覧を開いては色んな記事を読み返していた。

そんな中、どういうわけか私はノムの個人ブログをブックマークした。

今自分で気になって調べてみたけれど、実はホロスコープと重ねてノムのことを検索しても、ノムの個人ブログは全くヒットしなかった。

ノムに出会う前にノムのブログに行き着いてたという話をクラスメイトにしたら、その1人から、鑑定の先生を検索して野村さんが出てきたんじゃない?と言われたことがあって、その線も調べたけれど、どうにもこうにもヒットしなかった。

ノムがホロスコープ鑑定について書いた文章があったからそちらも見てみた。

けれど、そこに書かれていた文章を全て見て、私はそのどれも見たことがないようだった。

一度でも読んだ文章なら私は普段覚えている。

詳細は覚えてなくても、「これなんとなく読んだ」と感じる。

なんだけど、ノムのはそれを全く感じなかった。

しかもそのサイトからノムの個人ブログには飛ばなかった。

じゃあ私はどうやってノムの個人ブログに行き着いたんだろう…?

神々の審議会のいたずらとしか思えないレベルの奇跡!

どうやって行き着いたかも知らないけれど、もはや天文学的数字の確率でそれが起こったってわかる。

今となっては謎すぎるけれど、どういうわけか行き着いて、私はどの文章に行き着いたかも覚えている。


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

誰にもやさしくありたいならば、どのような自分にもやさしくいればいい。

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引用元:leeの話 こことあそことそのあいだ
2018.5.17 『ふと思った』より
http://lee.salondepink.com/?eid=1425303


まさかその文章を書いた人と同じ占星術講座を取るとか、未来のいつか書く仕事をそのやさしくて素敵な言葉を吐く人と一緒にできるなんて、まーーーったく想像していなかった。

ブックマークしていたサイトが野村さんの個人ブログと知ったのは、講座の2回目か3回目の時に、絵を描くと教えてもらって、どんな絵を描くんですか?と聞いて、その時に直近の個展の案内をノムは持っていて、それをもらったことがキッカケだった。

しばらくその案内はそのままだったけれど、ある時案内の中のブログのアドレスが目に留まって、「これ見覚えがある…」と思って、それでもしやブックマークにある記事の1つじゃ!?と思って確認したらビンゴ!!!

だから講座を受ける前、ちょうど講座のキャンセルが出て申し込めたあたりに、私はそれが未来の出会いに繋がるなんて知らずにノムの書く文章に行き着いていた。

そのことをその次の講座で会った時に直接伝えて、それなりに2人で盛り上がりはしたけれど、その時はまだお互い距離が縮まる風もなく、そのまま初級講座は終わって、それっきりとなった。

その2人が再び繋がったのは、今年の2月、私がブログで『奇跡の果実⑧覚醒』を発表してからだった。

今思うと、去年最後に講座の先生と話した時に、すでにノムと私とがこうなることを先生が予測してくれていた。

去年の講座の最後の時に(11月の終わり)、先生は私のホロスコープを見て言った。

「武士俣さんが今回関わることになった山で行方不明になられた方、その方に関わる方々が今後武士俣さんのお客さんになったりご縁が結ばれたりまたは運ばれたりしてくると思います」

当時、私はてっきり、それというのはおじいちゃん(=山での行方不明者)のご家族やそのご家族の知り合いの人たちを指すのかと思っていた。

いざ蓋を開けてみたら、それは全く違う様相を示していた。

先生が言った通り、おじいちゃんから派生している縁というのは本当だった。

だけど、今現在少なくとも明らかになった縁は、おじいちゃんと関わったことである日ひらめいて書いた『覚醒』の文章が誰かと繋がるためのボンドのような役割を果たして、『覚醒』の文章を他の人たちとシェアしたことでそこから縁が繋がっていった。

たしかにそれが私の占星術鑑定デビューに繋がったし、ノムとの出会い、そしてノムが繋げてくれたミッチー(ノムのゲイパートナー)とレイさん(ノムの大家さん)との出会いにも繋がった。
(鑑定デビューの話が延び延びだけど、これだけは絶対の絶対に今後書いてアップする)

『覚醒』の文章をきっかけに、野村さんとの個人的やりとりは始まった。

でもそれはあくまでも単なるLINEでのやりとりで、それ以上の関係にはならなかった。

事態が動いたのは今年の5月、先生が中級講座を開催すると決めて、それで東京に行ってきた時のこと。

その時に初めて野村さんと武士俣さんな私は集った。

野村さんの方から、講座の後にお茶しませんかと誘ってくれた。

私は二つ返事で誘いに乗って、そこで初めてノムと私は顔を突き合わせて色んな話をした。

想像以上に2人の趣味嗜好や価値観はそっくりだった。

いくら話しても話し足りず、会っている間中、2人でずっと喋り倒していた。

翌月も会おうとなったけれど、ノムの都合によって会うことが難しくなり、代わりにノムの家に泊まりに来ないかと誘ってもらって、そこで私は初めてノムとミッチーとレイさんの3人に会えることになった。

ノムとミッチーとレイさんと3人で過ごせた時間は、滞在時間から睡眠時間を差し引くと13時間ほどになると思う。

その時間を私は『ea LOVE』と題したシリーズで13話書いた。

そこでもっともっと距離が縮まった。




そんなこんなを経て、その後からノムと私はもっと互いに話をするようになった。

最初に深い話をする機会が訪れたのは、ノムたち3人に会ってから1週間くらいした後だった。

それは表面上は、ノムが相談的な感じで話を聞いて欲しいと言ったところに端を発する。

なんだけど、今1ヶ月半前の当時を振り返ると、相談内容はその後ノムの人生の根幹部分を大きく揺り動かすようなものへとなっていったけれど、相談の方が2人の間を強固に繋ぐきっかけを作ってくれたかのような感じに見える。

最初その話をした時、そんな流れを生み出すものだなんて一切考えなかった。

大事な話なのはわかったけれど、それが人生そのものや自分たちの価値観をとことん見つめ直す機会をもたらすものだなんて、誰が想像できただろうと思う。

しかもそこを皮切りに、本当に深い話がいくつも続いた。

電話もメールもLINEもフル活用で、とにかくたくさんの言葉と考えと想いを互いに交わしまくった。

本当の本当にたくさんのやりとりがあって、色んな展開が生まれて、心の深いところも互いに言葉にしながら幾多の一期一会的な交流が生まれた。

そして8月に入ってすぐ、私側の地元の日本三大花火の日の夕方前、ノムから突然電話がかかってきた。

電話の時はいつも一度LINEでできる時間を確認してからするから、突然の電話でどうしたんだろう?と思った。

ノムは矢継ぎ早に事情を私に説明して、そして「この書く仕事、一緒にやらない?」と誘ってくれた。

私には夢のようなオファーだった。

というのも、その書く仕事は、ノムがそれまでのやりとりを見て「ぶっしーと一緒にやりたい」と思ってくれたことで、私にしてみてもこれ以上ないくらい自分の持っているものを発揮できる要素が満載だった。

私はその場でやると返事して、あとはノムからまた連絡を待てばいいだけだった。




余談だけど、ノムと私とはお互いの生まれた時のホロスコープを重ねると、縁が強い部類に入ることがわかる。

重なりの1つは、2人でいるとどこまでも広がっていくと読めるものがある。

それに最初気付いた時、2人で「これはこういう意味かね〜!?」なんて色々考えながら検討したことがあった。

その後も事あるごとにその話題を取り込んで、どうだろうね、これかね?なんて話したけれど、本当にその通りの展開が実際に起こった。

これは後々知っていくことだけど、ノムも私も基本的なバックグラウンドみたいなのが似ている。

何せスピリチュアルな勉強会やセミナーなんかには何十もの種類に参加した私は、そういうところで人に出会ってくる回数も半端なく多い。

それ以外の場面で出会う人数よりも圧倒的に多いと思う。

なんだけど、そうしたところで仲良くなった人なんていうのはごく一握りで、さらに基本的な価値観が共有できる人となると、皆無に近い数字になる。

そうした勉強会あるあるなのか、変な人たちもたくさんいる。

変な人たちというのは、人としての部分がおかしかったり、そうしたものに依存しすぎて考え方や行動が変わっていたり…。
(私も人のことは決して言えない。)

ノムも私も、基本的にスピリチュアルな教えは現実の生活に活かしてなんぼぐらいに思っている。

そして、やり方や方法論にもこだわりはなくて、良いものを自分の感覚で取り入れていくところも似ている。

最初はそんな風にして、似通っているところや価値観を対話を通じて交感し合っていた。

そして、もっと深い部分の話をした時に、実はお互いに大事にしたいものが同じで、だから今回のように仕事を一緒にしようとなった時、それが良い形で協力できる最強基盤と化した。

それが一緒の人と私はこれまで仕事をしたことがなかった。

そういうのはなんとなく妥協しながら歩み寄るものだと思っていた。

ノムと私がしたことは逆だった。

一切の妥協なしで、ガチで自分たちの価値観を中心に据えて、それを一番にした。

そんな怖いこと一度もこれまでしたことがなかった。

なんだけど、今回はそれを結果的にすることになって、そしてそれが可能なんだということも知った。

そして、普段ならとっても怖いことが、ノムと話しているとそれは安心や可能性というものに変わっていった。




ノムから連絡をもらってからも普通のやりとりは続いたけれど、書く仕事については何も触れてこなかった。

ノムが窓口だから変に急かすのもどうかと思って、黙っていた。

そろそろお盆に入りそう…なんて頃に今回の仕事の見本がきた。

これまでは口頭でしか聞いてなかったものが、初めて目で確認できる形で資料が送られてきた。

見た瞬間に「これやって大丈夫かな?」と思った。

ノムがしてくれた説明とはおおよそ違うものがやってきた。

言うなればこんな風だった。

食べ物の話で、その中でも特に家ごはんに特化して書くと思っていたものが、資料の現物を見たら、高級ホテルや高層ビル上層階でのきちんとしたテーブルマナーがあるコース料理のことだった、というぐらいの違いだった。

店も知らなければテーブルマナーも知らなければドレスコードも頼み方も食べ方も、とにかく何も知りません状態だった。

本当に資料の中のサンプルは、2人は全く知らないものばかりで、知識はお互いに完全にゼロだった。

ノムは聞いていた説明をそっくりそのまま私に伝えてくれていて、ノムも聞いてた話と現物があまりに違いすぎるから驚いていた。

そこで私たちは再度話し合った。

仮に引き受けても、サンプルのような文章は書けないこと、それに合わせて書くとするならものすごいリサーチが必要で、そこまでしたいことではないこと、まずはそこを確認した。

反対に何だったら書けるのかそれを話し合って、そして2人で出した結論は、自分たちが書ける文章のサンプルを書いて担当者に見てもらって、それが採用されるなら引き受ける、反対にそれがダメなら引き受けずに他の人にあたってもらうようにお願いしようとなった。

そうやって話がついた。




サンプルを実際に書いてみた。

文字数が決まっていて、2人で書こうと決めた軸に合わせて書いた。

書いて驚いた。

そういう手の文章は書いたことなかったのに、スルスルと書けた。

言葉が自分の中から勝手に出てくるみたいで、私はそのことにとっても感動した。

書きながら思った。

いつのまにか、こうしたことを書けるぐらいの自分になったんだなぁと。

ノムにその書いた文章を早速送ると、こんな風に返してくれた。

【お世辞抜き、天才!  天才は、天からの才能だからね。天の意思なのだろうね、それを使うのが。】

初めてやったことなのにいきなり出来て、そしてそれを文章のプロからも評価してもらえて、これ以上ないくらい嬉しかった。

しかも、いつかの自分がブックマークするぐらいに一瞬で虜になった文章を書く人から誉められたわけだから、それはとっても名誉なことだった。

ノムはただ誉めただけじゃなく、そのことの意味を私がわかるようにはっきりと言葉にして教えてくれた。

サンプル文章の第1号の読者がノムで、私は本当の本当に自分がこの上なく恵まれた状態で今回の書く仕事をすることができて、本当に心から嬉しい。

そして先のことはわからないけれど、私の人生で初めて正式に世に送り込む文章を、ノムに見守られながらやれることは、人生でも五本の指に入る幸運な出来事だと感じている。




ノムと私はさらに踏み込んで、「どうしてその文章を書くのか」や「読み手の人たちに何を伝えたいか」を話し合った。

私とノムは頼まれてもいないことを始めた。

サンプルがあるから今さら大元の路線変更は不可能だろうことは予測がついた。

でもノムと私は、そのサンプルがどんな人たちに実際に渡って、それがどんな風に生活の中に密着して、どういう存在感となるのか、その1つ1つを全部くまなく話し合った。

自分たちがその中で発信したいことはなんなのか、そこまで話し合った。

言うならこんな風だった。

食べ物の話と聞いて、うちらは勝手に家ごはんを想像したけれど、実際はホテルや高級レストランなんかでの食事についてだった。

2人はもう一度、原点の「食べ物」に戻って、そのコンセプトを話した。


ノムのメールより
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eat LOVEというプロジェクトなんだけど、これはそのまま「愛を食べる」ってことで。

最初に書いた、”ホーム”が、なによりもぼくには大切で、
そして、ぼくだけではなく、「みなさん、ホームって大事じゃない?」
「大切な人といっしょにご飯を食べると幸せじゃない?」ってなことを、伝えてみたいとか思う気持ちがあって。

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こんな風に、今回は食べ物とは違う題材だけど、2人で話し合ったのはこういうことだった。

その軸を大事にしよう、そしてそれが話しても伝わらなければダメだし、反対にそれが可能性としてとっても低いものでも、それに興味を持ってもらえたらやろう、そういうことになった。

2人の中でそこが決まったから、もうあとは神のみぞ知るの領域だから、相手側の反応を待つことにした。

こうして言葉に書き起こすと、なんて小さなことみたく見えるけれど、私は過去にここまで突き詰めて自分の対外的な仕事に取り組んだことはなかった。

それは単なる仕事ではなくて、自分たちの生き方・あり方そのものを問う、そういうタイプのものだった。




ノムが話を初めてもらってから担当者と打ち合わせする日まで2週間近く空いた。

2人で何で2週間近くも空いたのか、その理由や意味をこれまた自由に話し合った。

理由というのは、社会的な体裁みたいなことじゃない。

社会的なことで言えば、締め切りなるものが存在するわけで、それなら超特急で物事が動いても良さそうなのに、なぜかそうはならなかった。

2週間も空く=私たちにとって空白の時間が生まれるわけで、その2週間が何で必要だったのか、まるで推理合戦のごとく話した。

2週間空いた間にも見本が届いたりして、そこで自分たちの想像していたものと全く別のものが届いて、仕事をするしないをまずは徹底的に話して、じゃあどういう視点で書くのかを話して、自分たちも文章のサンプルを作ろうとなって、本当に頼まれてもいない色んなことを2人で突き詰めた。

サンプルと自分たちの文章サンプルがあまりに違いすぎてこれはボツの可能性が高いね、でもボツで構わないから自分たちの気持ちに反することは書きたくないというのは、2人の一致した意見だった。

これは本当に嬉しい一致意見で、自分たちの信念を貫けることが本当の本当に嬉しかった。

後々わかることだけれど、本当に2週間必要で、2週間もあったからこそ濃密なトークも文章サンプルも作ることができた。

2人の中で、これはもしかして本当に依頼がなくなって白紙になる可能性も高くて、でももしそうだとするなら、担当者のAさんとの時間が実は一期一会でそれが本当に必要だからこうなってるのかもしれないね、などと話したりもした。

Aさんの名前というのがものすごく特徴的でさらにはAさんの仕事にピッタリな名前で、ノムと私はそのこともワイワイと盛り上がって話した。

ノムに、そんなことが可能なのか知らないけれど、もし可能ならAさんにAという名前の由来を聞いてきて欲しいとお願いした。

ふざけたお願いみたいだけど、私は本気で知りたかったし、ノムもノムで気になってたのは本当だから、聞けたら聞くね!と返してくれた。

2人の中で神のみぞ知るの領域だということになって、それで打ち合わせに臨むことになった。(実際に出向いたのはノムのみ)




もう一つ思い出した。

ノムが担当者のAさんと会う前日、占星術の宿題の添削が先生から返ってきた。

これがまたぶっ倒れそうな内容で、私はしばらく悶々とした後にノムにそのことをメールした。

そもそも今回の最後の宿題の内容は、ある1人の相談者の質問に答えるものだった。

それはホロスコープを読む以前の話で、私はその相談内容に超絶不服だった。

私が一番苦手とするタイプの相談で、これがもし知人友人レベルなら私は絶対に相談を断るものだった。

正直、お金をもらってもやりたくないレベルの、本当に無理なタイプのものだった。

内容云々ではなくて、相談者の生き方そのものに私は超疑問が付いて、その状態で星を読むなんて私からして「やりたくない」の一言だった。

そこで私はどうしたかと言うと、星を読んだけれども、相談に対しては一切具体的な答えを出さない、そういうスタンスで宿題をこなした。

その添削が返ってきて、先生からは色々在り方や考え方を丁寧に説明してもらったけれども、それでも私はどうしても納得できないままだった。

それは先生は関係なくて(先生は最後まで素晴らしい教えを授けてくれた)、その相談者の生き方そのものに私がどうにも疑問を持つことが止まらなすぎて、それでその思いの丈をノムにぶつけた。

ノムもそもそもその宿題の相談者に対して同じように感じていたから、それで送りつけてしまった。

先生からは全体に向けて、その相談者のその後についても書き添えられたメールが来て、実際にどうなったのかを知った。

鑑定後、相談者の方の人生は好転した。

本当に良い方向に動いた。

言うなれば、マイナス100からプラス100になったぐらいの好転ぶりだった。

なんだけど、私はそれを読めば読むほど違和感や息苦しさを覚えてしまって、素直に「良かったね」とは思えなかった。

それも含めてノムにメールした。

ノムからこんな風に返信が来た。

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手間だけど、自分の価値観と向き合うことが必須だよね。
頑張って手にした数千人のフォロワーが、減らないように、増え続けるように努力するとか、一生右肩上がりを目指す、みたいなムリを感じる。
数千人のフォロワーがいても、作品はそれぞれ1つしかないものだしねえ。

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まさに!な内容だった。

ノムと私が今回何度も何度も話し合いを重ねたものは、社会的にどうだとか経済的にどうだとかいう域のものではなかった。

言うなれば、自分たちの魂を売ってでもそれをしたいですか?的な内容だった。

フォロワー数千人規模の話では全くなく、本当に名も無き仕事の可能性大にしても、それでも自分たちがそれを自分たちの意志に従ってやるのか、外側から提示された価値に沿ってやるのかでは、雲泥の差だった。

そして、自分たちの意志に反して引き受けた場合、それは自分たちの魂を売り渡すも同然の行為だった。

それはできない。

それが2人の答えだった。




Aさんに会い終わってすぐにノムは私に電話をくれた。

ノムは私の文章サンプルとノムの文章サンプルをそれぞれコピーして持って行って、打ち合わせに行った。

Aさんはなんとそれらを気に入ってくれ、あんなにテイストが違うのにそれで関係者と協議すると言ってくれたようだった。

ノムは相当緊張して出かけたけれど、いざ行ってみたらすごく良い時間を持てたと教えてくれた。

さらに嬉しいことも言ってくれた。

ノムは事の経緯を説明しながら、実は今回は自分だけじゃなく占星術講座で一緒だった友人にも声をかけて、共に取り組んだことをAさんに伝えた。

「その友人は武士俣さんという名前で僕はぶっしーって呼んでるんで、ここでもそのままぶっしーと呼びますが、そのぶっしーと色々話をして…」

そんな具合に私のことも紹介したと教えてくれた。

ノムが感動しながら言った。

「普通こういうタイプの打ち合わせなら、ライター歴がどれくらいとかそういうことを必ずと言っていいほど聞かれるのに、Aさんは一切そういうことを聞かなくて、ただぶっしーが書いた文章サンプルを読んでそれで気に入ってくれてた。
そして、Aさんから、今度ぶっしーがいつか東京に来る時、それは僕の個展開催の時でも他の時でも来る時に、Aさんはぶっしーに直接会って話してみたい、僕と3人で会って話したい!と言ってくれたんだよ。そのためなら時間調整して駆けつけます!って言っていて、本気だったよ!」

ノムの紹介の仕方というか営業力が相当良かったんじゃないかと思うけれども、どこの誰かも知らない私に会いたいと言ってもらえたことはとっても光栄なことだった。

ノムの言い方だと、私という人間に興味を持ってもらえたようで、それも照れるけれどものすごく嬉しい話だった。

そんな風にして、ノムと私の第一関門は突破して、あとは関係者協議の回答待ちとなった。




関係者協議により、ノムと私の起用が決まった、とAさんとノムの打ち合わせから1週間後の日に連絡が来た。

私は関係者協議でダメになるかもしれないとかなり思っていたから、まさかの起用に驚いた。

ノムと私はその件で昨日6時間にも渡って電話で話した。

打ち合わせ2時間の他の4時間は最近のホットな話題の「癒し」について主に話した。
(ちなみに打ち合わせの方が後半で、最初の部分が癒しについての話だった( ̄∀ ̄;))

頭が全く追いつかないほど、色んなことが起こっている。

そこで確認した数々のシンクロやウラ話はまた別記事で書きたいと思う。

それまで書いたらこの記事が終わらない(汗)。

ただ1つはっきりと言えるのは、何1つずれてはいけない大小様々なものが重なって今があるということ。

そこには色んな痛みや苦渋の決断、そうしたことによる長期悶々プロセスなんかもてんこ盛りだったわけだけど、今という瞬間は、それら無くしては絶対に存在しえないものだとわかる。

そうしたことをクリアにしないことには手にできない今で、それはノムも私もそれぞれが体験したことは別物でも、どこまでも自分の気持ちを最優先してきたことで手に入れた人生の贈り物だと思う。




ノムにこのこれは少しシリーズ化するだろうから、そこに「eat LOVE」のタイトルを使わせて欲しいとお願いした。

ノムは二つ返事でOKしてくれた。

当初「eat LOVE AFTER」のタイトルに続けようかとも少しは考えたけれど、ノムとのやりとりはそれとは別物すぎるから、分けた方がいいなと思った。

そこで「eat LOVE de ノム」にすることにした。

deはスペイン語で、英語でいうところのofにあたる。

発音はそのまま「デ」。

だから、音だけ拾うと、「イート ラブ デ ノム」になる。

ofよりもdeの方がしっくりきたから、deにした。

英語もスペイン語も日本語(カタカナ)もごちゃ混ぜなところがとっても気に入っているし、事実ノムとのやりとりはまさにチャンポン状態で、書くことも癒しも心も星も何でもありになっている。

eat LOVEを使いたかったのは、この一連の色んなことが愛に基づいているからだと感じているから。

それは男女の性愛とか聖愛的なものではなくて、本当に人類皆が兼ね備えている「愛の心」とか「愛ある行動」とかそういうものに繋がっていることだと感じている。

サブタイトルの「出会い〜葉月2019」は、もうかなり無理して作った 苦笑。

あまりにも時系列がはちゃめちゃだし、内容もあちこち飛びすぎてるし、どこに軸があるのかいまいちわからない仕上がりになってしまった。

そこで、ざっくりと「出会いから今」のことではあるから、それをタイトルにしたらそんな風になった。

「eat LOVE de ノム」が3言語inなら、そこに「葉月」という和暦の言い回しを足しても粋だなぁと思った。

それが今回のタイトルの経緯。





今年最後の花火
2019/08/25

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