2019年7月30日火曜日

迷惑メールより回想記

2019/07/24

一度だけ足を運んだH氏のセミナーがある。

自分がお世話になった方がH氏と組んで仕事をすることになって、それでそのセミナーに行った。

お世話になった方のことは大好きだったけれど、H氏は私的に「人間的に無理」な人だった。

生理的に合わないとかいうことよりも、人間的に無理な方が、もうどうやっても無理という感じで言葉を使っている。

H氏というのは、多分業界ではそこそこの有名人で、業績なんかは数多く残しているし、その業績でH氏を頼る人もあとを絶たない。

ちなみに人間的に無理だったのは、1つは人を大切にできない人が人を癒す仕事をしていたこと。

H氏は、きらびやかな経歴や業績が大好きなようで、そういう人たちと組むのが得意技だった。

そういうのは得意でも、個人の人を大事にすることはできてないというのは、一度しか会ってない私にもすぐにわかった。

人間心理を扱うのに、とにかく人を大事にできない。

今でもはっきりと覚えている。

そのセミナーの日、私は1つ質問をした。

成功法を数多く知ってる人だからと思ってした質問だった。

H氏は人間は大まかに2つのタイプに分かれるみたいな話をしていたと思う。

AタイプはAタイプの成功法、BタイプはBタイプの成功法をそれぞれ説明してくれたかと思う。

私はAでもBでもない自分を見て、「じゃあ私みたいな人はどうしたらいいのか」というのがそもそも質問をするきっかけだった。

そこで「AでもBでもない人はどうしたらいいのか」と聞いた。

H氏の答えは忘れたけれど、どちらでもない人間はまるでろくでなしぐらいな言われようだった。

そのろくでなし人間のような説明の後、逆に聞かれた。

「それは、クライアントさんですか?」と。

私ははっきりと「それ、私のことです」と答えた。

当たり前だけど、H氏の顔は青ざめて、その後フォローするような言葉を並べられたけれど、すべては後の祭りだった。

説明の途中でもいくつか質問されて、それももろに自分のことだからそのままを答えたけれど、私はH氏の予想をはるかに上回ることばかりを言うから、H氏の答えは支離滅裂だった。

こんな人が人の心理を扱うのかと思ったらゾッとした。

何か間違えてると思った。

根本が間違えていて、すべておかしいと思った。

そこから今度はそのH氏主催の長期講座の説明会とやらに行った。

H氏はいなくて、私のお世話になった方が司会進行と質疑応答の代理人的なことをしていた。

私ははっきりと「これは金を巻き上げる講座」だというのがわかって、お世話になった人にはきちんと挨拶したけれど、あとはさっさと帰ってきた。

帰る前にトイレに寄った。

そこでその日初めて会った私と同じくらいの年の女の人に声をかけられた。

見知った顔ではないから、今回が本当に初めての説明会参加の人だろうことはなんとなく予想がついた。

「ちょっと聞きたいことがあるんですが…」と声をかけられた。

私は「この人、多分あの説明会に不安を抱いたんだろうなぁ…」と思って、その手の質問なら私は正直な気持ちを話そうと決めた。

ところが、その彼女は突然私の方を真っ直ぐ向いて
「私の目、変じゃないですか?」
と聞いてきた。

メガネをかけていて、ゴミでも入ったんだろうか…と思った。

「目、大丈夫ですか?何か違和感でもありますか?」とかそんなことを聞いたと思う。

「今日マツエクしてまつげを増やしたんですけど、すごく変な気がして…」

想定外の質問すぎて、私は一瞬頭の中がパニックになった。

それで本当のことをそのまま言った。

「普段がどんな感じなのかわからないので普段と比べてどうとかは言えないですけれど、今パッと見て変だとかは思わなかったですよ」

本気でずっこけるかと思った。

そのまま説明会の話を聞かれたのかは忘れたけれど、マツエクで自分の目が変に感じると言った彼女は、高額なお金を払って講座に参加すると言った。

マツエクの一件で私はその人のことが「変な人」にしか映らず、私は多分出ないと思いますとだけ言って帰ってきた。

まつげが増えて自分の顔が変かも…とか心配する人が人の心理を扱うんだ……。

何とも言えない気持ちになった。

私だったら、絶対にそんな人に自分の何かを話したくないし、その人が私の何かを癒すヒントを持っているとは到底思えなかった。




それから季節が変わったぐらいの時期に、その長期講座に参加した人の1人が私の心理セラピーのモニターの手伝いをしてくれるということでうちに来てもらった。

長期講座は賛否両論あって、上手くいった人は数百万の売上から一番の人は億の売上を叩き出したということで、超話題にはなった。

これ絶対に裏があると思ってはいたけれど、それを教えてくれる人は誰もいなくて、煙に巻かれたままだった。

それが、その中の1人が元々コーチングのスクールで仲良くなった人で、その関係でモニターをしてくれるとなって、それで色々聞くことができた。

H氏による講座は、本当に聞くに耐えない酷い内容だった。

実際にしていることも目の前で実演して見せてもらったけれど、それは洗脳みたいな風にしか私には見えなかった。

北朝鮮の軍隊じゃないけれど、あの異常な心理状態で人間として大事な部分を支配されてしまうんじゃないかと危惧されるようなものだった。

教えてくれた人もその異様さを色々教えてくれ、売上を上げてる人たちは皆それをしているとのことだった。

そのことで金銭被害に遭った人の話も直接聞いていたから、それについても「噂で聞いたんだけど」と言って、突っ込んで聞いてみた。

法律的にOKなのかどうかわからない話で、触法してるかもな…という感じだった。

その人は必要な情報だけもらって、あとは何もしてないと言った。

H氏のしていることは、魂を売り渡すこと、人間として大事な尊厳とか心の部分を売ってそれで人を欺き騙してお金にすることだと私は思った。





そんなことはもう何年も忘れていた。

たまたま迷惑メールの中にH氏と同じ苗字の人からのものがあって、あれ?この人こんな名前だっけ?と思って調べた。

この数年で何回かH氏やその運営する団体からメールが来ていたから、最初それかと思った。

その差出人の名前で検索したけれど全然ヒットしなくて、検索ワードを変えた。

変えたら、H氏は40代半ばで病気で亡くなったことを知った。

いつ亡くなったのかは知らないけれど、去年はまだ生きていたようだった。

すごいおかしな感想だし、人としてもどうなのかと思うことだけど、本当に率直に思ったことを書きたい。

本人が書いたブログの中に、家族の写真があった。

子どものこともあれこれ書いていた。

子どもはめちゃくちゃ優秀なようだった。

写真見ても多分大丈夫。
(私が大丈夫とか判断するのもおかしいけれど、時々立派な職業の方たちの子どもたちの表情が超絶ヤバイものとかを見かける。)

だけど、たった1つだけ気になった。

この子は自分の弱いところ、自分で自分がダメだと思うところを出す場所があるのかな…と。

正義感も強くて文武両道タイプで人からの人望も厚くて、申し分ない良い子だった。(ブログにそのようなことが書かれていた)

良い子じゃなくていいから、その良い子じゃないところをそっと見せれる、お母さんでも他の誰かでも見せれるといいなぁと思った。

もう1つ思ったのは、その人は亡くなって自分は今生きているということ。

どう考えても、その人の方がもっと長く生きたかっただろうし、やりたいこともたくさんあったと思う。

「生きたい」気持ちは、その人の方が圧倒的に強かったと思う。

病気療養中でさえも、次から次へとビジネスプランを立てるぐらいの精神力の持ち主で、私からすると、皮肉とかではなく、本気で凄いと思った。

今年2019年や来年2020年、それ以降も含めて、その人はその時代を生きない人生設定になっていた。

私だって誰だって明日の命はわからないけれど、このままいくと私は2019年の今年も2020年の来年もそれ以降もしばらくは生きている気がする。

私の中の「生きたい」気持ちの薄さとは反対に、体を維持する力はまだまだありそうな気がする。

関係ないけれど、最後の占星術講座の時に、常々不思議な自分の不安定さや仕事も住む場所も転々とすることとか、それが一体どこから来ているのかを先生に聞いた。
(誕生日1日違いのクラスメイトが質問して、ほとんど彼女と同じような配置の私は何が違うのか気になって聞いた。)

彼女と私が大きく違うのは約3点で(それ以外はほとんど同じ)、その中の1つが私の場合はその不安定さや転々とすることが色濃く出てしまうことがわかった。

心の不安定さやアップダウンの激しさなんかももろに天体に出ていて、「げっΣ(꒪◊꒪ )))) 」って思った。

自分では扱いづらくても、私の人生はホロスコープに表れたまんまのその通りの人生展開になっている。

ということは、今後もその落ち着かなさや不安定さは常に自分とあると考える方がいい。

「自分のホロスコープに慣れてください」と1年前の鑑定で言われたことを思い出した。

そう、もうそれが私の基本設定だから、変えるのではなく慣れていく他ない。

ちなみにそういうのは外には出さない。

1人になった時に、初めて安心してそういう自分の気持ちにそのまま同調できる。

人がいる時は、最後までよそ行きの顔をするから、基本的にそうした部分は自分1人の時にしか出さない。

そういう自分を抱えて生きていく人の人生がなぜか選ばれていて、法に触れるギリギリであったとしても社会的に有能な人の人生は選ばれなかったことに、色々感じるものがあった。

少なくとも家族もいて、子どもたちもまだ小さい。

もっと生きたい人、まだまだ大切な人を守る人生を続けたい人が病魔に襲われ、生きる気力低めで誰か大切な人を守るとかもない私が生き残る。

皮肉な話だと思ったけれど、それが定められたそれぞれの命なんだと思った。

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