今日(6/7)も男性率、推定98%の場所へ出陣した。
今回は何かのイベントのフードコート的な2日間だけのお仕事。
とりあえず、そのバイトを申し込む前に「何の」イベントなのかを確認した。
募集要項には「イベント」としか書いてなくて、これが「せともの市」とかファミリー向けのイベントならどこで誰に会うかわからないから、絶対に止めた。
会場のイベントカレンダーで確認したら、名前だけじゃ何のイベントかほとんど想像がつかないのと、はっきり言って超マニアックな人たち対象の感じで、それなら誰にも会わないだろうと予想できたから申し込んだ。
だから、実際にどういう人が対象のどういうイベントかは行くまで知らなかった。
結果的に言うと、色んなメーカーが製造した各分野の専門的な何かを売り出すイベントだったようで、全員招待客(招待企業)のみが来場するイベントだった。
私は会場の中を全く見ていないからわからないけれど、フードコートに来た人たちの制服を見ていた限り、機械・電機・精密機器・鉄工・酵素・製作所みたいな漢字が刺繍で入っていたから、基本、理系の機械とかの類いのイベントだったと思う。
フードコートの準備をしている目の前で協賛企業の人たちで開会式なるものが為されていて(それは100%男性)、2日間の売上目標は20数億円です!と宣言されていて、なんかすごいイベントなんだなとわかった。
さらに三本締めとかやっていて、「ザ・男社会」みたいな、そういうイベントだった。
ちなみに1人1人の人たちと話すのは好きだけど、男社会の縮図みたいに、互いに競争する人たちで集って相手を蹴落としてでも自分が上に上がろう的な男の人たちの集団や、変に形だけ体育会系なノリの男性集団とか、すごい苦手で仕方ない。
今日はそういうにおいがプンプンしそうな感じの集まりのようだった。
前3日間がやさしくて超気遣い・根回しのおじさんとの仕事だったから、その雰囲気の差たるや凄かった。
まぁだけど私はそことは全く関係ない、フードコート的な食べ物の提供側の人間だったから、超昭和的な男性の集いを傍観の構えで観察していた。
実際にフードコート側が動き出してから、色んな人たちが入れ替わり立ち替わりやってきたけれど、途中から余裕が出てきたら、ふとすごい発見をして、今度はそちらの観察に徹した。
売り子役もかなり数としてやったけれど、私は笑顔浮かべながら見てたのはその人たちの制服だった。
出店企業の人たちは多分みんなワイシャツで、招待企業側の多くは普段の制服のままやってきていた。
男性の8割近い人たちが制服だったと言ってもいいぐらい。
普段生活している中で、似たような形の制服だけをひたすら見るなんてまずそんな機会ない。
せいぜいスーパーとかで2人3人ぐらいの似てるけど違う制服を着た人に会えばいいぐらい。
それが今日は何十種類もの制服を一堂に見れたわけで、私はその制服をひたすら見ていた。
見れば見るほど、私は自分が東京で見てきた制服を見ることの確率を思った。
去年の秋とついこの間先週?先々週?と、同じ制服を東京駅近くと銀座では2回目撃した。
銀座のうちの1回は銀座三越のデパ地下で。
世の中には数え切れないくらいたくさんの制服がある中で、同じ制服を、しかも大都会東京の中でも超都心部の日中の人口過密地区で見るなんて、はっきり言って天文学的数字どころか計算不可の確率で起こったんじゃないかと思った。
よくぞそんなにタイミングよく毎回同じ制服を見れたもんだなぁと、見た時よりももっともっと今日はそう思った。
たとえ何十の会社の制服を見たところで、同じ制服を見ることはない。
それが大都会ではもっと見ない確率が格段に跳ね上がるわけで、そんな中で見たというのはとてつもなく大きい。
自分のその引き寄せ力の凄さを感じた。
本来欲してるものとは違うものが差し出されてはいるけれど、それはそれで嬉しいからいいかと思っている。
その東京で見てきた制服とよく似たスタイルや形の制服を何個か見た。
その人たちを見て、あぁ…となった。
普段生活している時よりもそのイベント内のイケメン率は格段に高かった。
三本締めの時の作られた雰囲気には私的にドン引きではあったけれども(←真面目に失礼だけど、表に出ているものと裏の本音側とになんか違う空気感をどうしても感じてしまうから、そういう意味で苦手でドン引きした)、フードコートの売り子をしていた時はその変な雰囲気は立ち消えて、男性1人1人をもっと純粋に「1人の人」として見ることができた。
小さなやりとりではあったけれど、そこから伝わるものもたくさんあって、意外に人間性や素の性分的なものがそういう状況で出るんだなぁなんて思いながら売り子をした。
イラッとしたり「この人無理」という多分普段もあまり周りから好かれていないだろう空気を放っている人にも当たったけれども、9割近くは本当に感じの良い人たちばかりでとても良かった。
そのおかげなのか、元々の容姿や雰囲気のおかげなのか、一般的に「イケメン」と称される人たちはかなりな人数でいた。
【イケメン×制服】という人たちがわりかし多い中で、それでもやっぱり私が知っている人生で見た一番のイケメンの人には敵わないなと思った。
似ている制服の人たちの中にもイケメンはいたし、制服は似ていなくても背格好が似ているイケメンはいた。
なんだけど、私が人生で見た一番のイケメンが放っている独特のオーラはやっぱり誰を見てもなかった。
個人的に制服ってけっこう個人のセンスも雰囲気も出るものだと思っている。
みんな同じ服だからこそ、1人1人の着方の癖やこだわりを感じる(こだわりない人もたくさんいるけれど)。
その人はカッコつけてるわけではなかったと思うけれど、普通にしてて1つ1つの制服の着方がまず超がつくぐらいにかっこ良かった。
シャツをズボンにインするその絶妙さ加減とか!
腕まくりの感じとか!
きっちりしすぎてもなければ、だらしなくもない、良い感じのかっこよさが滲み出てしまう人だった。
みんな同じ制服だけど、着方には各自癖があるし、比較する人たちもそこそこ人数がいたから、余計とその自然な着こなし方に私は1人で惚れ惚れとしていた。
オシャレというよりかは、自分が一番良く見える自分の見せ方魅せ方を知ってる人って感じだった。
本当にカッコよくて、天はどうして二物も三物も1人の人に与えるのかと思うぐらいのイケメンっぷりだった。
その人は差し色というか、小物にやたらと派手な色を使う人だった。
それがまた本当によく似合っていて、普段の静かな感じと差し色のポップな感じのギャップがこれまた似合いすぎでしょ!という感じの雰囲気を自然に醸し出してた。
なんだけど、これは真相は闇のままだけど、ある時「もしかしてΣ(꒪◊꒪ )))) !?」ということを1つ見つけた。
夏場に持ち歩くフェイスタオルもやたらと色がド派手で、蛍光色だった。
ピンクときみどりは確実で、もう1つは水色だった気がする。
もし私が持ったら、林家パー子にしかならない、お笑いを目指すしかなくなってしまうけれど、その人が持つと全然違和感がなくて、むしろサマになる。
これ他の人がやったら本当に痛い風にしかならない。
だけど、その人はそうした奇抜な色も普通にさりげなく使っていた。
色負けしないどころか、その見えてる雰囲気(静か)と小物の雰囲気(目立つ・強いアピール力)のギャップが良い意味で印象的だった。
その奇抜な色たちと再会したのは、それから半年ぐらい先の話。
ある時職場のタオル干し場に、その蛍光色とほぼ同じ色合いのタオルのようなでも違うような布地が3枚干されていた。
ピンク、きみどり、水色(だったと思う)。
事務のYさんに、このタオルみたいなのって何ですか?と聞いたら「あぁ、それね、車のワックスとか付ける時に使うタオルだよ、車磨きというかね」みたいな返事が返ってきた。
Σ(꒪◊꒪; )))) !!!
でもたしかに撥水性はすこぶる良さそうで、これを汗拭きタオルとして使うのも、意外にも使い勝手がいいものかもしれないと思った。
Yさんにそれとなく「◯◯さんも派手な色のタオル持っていて、すごい派手だから印象に残っているんですけれど、それともしかして同じじゃないですか?」と聞いたら、Yさんも吹き出しながら「言われてみたらそうかも!っていうか、これを汗拭きタオルに使ってたのかな(爆笑)?」というような会話をした。
あまりにも色が酷似していただけかもしれないけれど、もしそうなら面白すぎる!!!と思った。
これを書きながらもう1つ思い出したことがあった。
私はある時、それは大量の未分類の写真の整理を頼まれた時(←季節は夏)ではなくて、もっと後のこれまた写真から何かを探すことを頼まれた時(←季節は冬)だったと思う。
もっと早くに気付いてたら楽しみの時間がもっともっと増えたのに…と思った記憶がある。
実際に私はその絶好の機会を片手で数えるぐらいしか持てなかったから、多分気付いたのは間違いなく冬だったと思う。
特定の写真をひたすらファイルを開いて探すみたいな作業で、私にはAll鉄の塊にしか見えないものたちの特定の名前と型番が一致しているかを探すという、知識ゼロの私には無茶ぶりの高い作業だった。
図面でしか見たことのない名前の現物を初めて画面越しに見た。
で、多分その時だと思う。
何せ探し物は「ここにある」という絶対の保証がなくて、見つからなければ片っ端からフォルダの中のまたフォルダを探すみたいなことをしていた。
そんなことをしているうちに、超気になるタイトルのフォルダを見つけて、開いてみた。
これもしかして写ってるんじゃ!?と思って、人が出払って誰もいない時に私は再度そのフォルダを開けてチェックしてみた。
ビンゴ!!!
イケメンが超激レア的に写っていた!!!
こんなこと初めて思ったけれど、その写真を見て、その人がまとっている空気感も写真の中に一緒に納められるんだと知った。
制服の着方もそのまんま、写真は2015年とかの日付だったと思うけれど、空気感も同じだった。
前任者を労うシーンなのか、何かしら贈呈式みたいな様子だった。(前任者の顔は知らないけれど、そんな様子だった)
前任者メインの写真ではあったけれど、イケメンも主要ポストの人物だから、どう考えても写真嫌いだと思うけれど、役割上かなりな枚数で写真に写ってた。
その写真は、特別な時を記録として残すみたいな意味合いで誰かが撮ったものだから、集合写真みたいに「ハイチーズ」的なのではなく、とても自然体の普段のままの写真だった。
だからその人も自分が撮られてるとは思ってなかったんじゃないかなと思う。
カメラを意識してない分とても自然体で、それは私が見ていた普段の感じととても似ていた。
私はその人が放つ空気感に癒されていたから、初めてその写真を見つけた時の感動と言ったらなかった。
その人がまとっている空気感も一緒に写っていて、画面は二次元なのに、そこだけ三次元というか立体感あるものになっていた。
何枚かあるから、私はその何枚かを順番に見た。
その写真たちはすぐに私の中の娯楽的な、新たな癒しの空間になったけれど、そんなの当然普段の仕事に全く必要もなければ開けていること自体がおかしな話で、だから超激レアな確率でしか起こらない、事務所に私しかいない瞬間を待ちに待って、その時だけの超お楽しみにしていた。
それは月にあっても2回あるかないかぐらいの、しかも時間は10〜20分程度で、記憶にある限り片手で数えられるほどしかその機会は巡ってこなかったから、多分仕事辞める3ヶ月ぐらい前に見つけたと思う。
写真の中は夏か秋で、私が見ていた季節は冬だったから、だから本当に数えるぐらいしか見れなかったと思う。
もっと早く見つけていたら、私はチャンスさえあれば、その写真を何度も何度も見たと思われる。
でもそこまで見てないということは、私自身も見つけたのは退職近い頃だったはず。
実際にその特別なフォルダを誰に邪魔されることなく開ける機会を得たら、速攻で仕事止めて、フォルダ開いて癒しの時間を堪能した。
私はその時ほど、職場のドアの古いのに防犯対策として後付けで付けられただろうロックシステムに感謝した時はない。
普段は単に面倒にしか感じないドアだったけれど(もはや開け方も風貌もどんなか忘れた)、その至福の時間の時だけはそのドアが大活躍した。
皆が出払うイコール誰か戻ってくる時はそのドアをくぐらないと入れないわけで、いちいちピッピ、ピッピと鳴るから、それがすなわち「誰か戻ってくる」のサインで、音が聞こえたら速攻でフォルダを閉めて、また何事もなかったかのようにしれっと仕事に戻った。
今思ったら毎回タイミングよくできていたけれど、私はその事務所内で3箇所の作業スポットを持っていた。
特に後半は、キャビネットの整理をしないともう色々保管場所がなくて、その作業がわりとメインであったから、私は席にはほとんどいなかった。
その席しかパソコンは置いてなくて、もしその写真を見たければ、そもそも自分の席にいないと話にならなかった。
どういうわけか、みんなが出払う時はその席にいる時で、毎回1人になって好き放題写真を見ることができた。
しかも、電話もかかってこなくて、本当にその癒しの時間をきちんと持てるように見えない力からまるで守ってもらってるみたいだった。
そうやってイケメンオーラは、写真内にも永久保存されているという様子だった。
滅多に見れないのが残念過ぎたけれども。
同じフォルダの中には飲み会の写真もあって、私は血眼で探したけれど本当にほとんど写ってなくて(それ見てあまりに写ってないから、わざと避けてるんじゃないかと予想がついて、イコール写真も嫌いなんだろうと思った)、唯一見つけた写真がタバコをくわえてる写真だった。
タバコ吸ってたのかな?でも吸ってなかったよね?などと思って、これもしや別人?とか思ったりもしたけれど、どう見ても本人ぽくてずっと謎に包まれていた。
それがある時仲良くなったSさんから、これもまたどうしてそんな話を私は聞けたのか全く記憶にないけれど、多分喫煙の話になって(臭いが充満してくさいとかそんな話だったと思う)、その時にSさんがイケメンも昔吸ってたんだよと教えてくれた。
それ聞いて、私の頭の中では真っ先にタバコをくわえてる写真が浮かんで、あぁやっぱりあれ本人なんだと知った。
そして、私は「この人は生粋の右利きなんだ」と思って、なんとなくそれを知れたことも嬉しかった。
全然大したことない情報だったけれど、知れることに私には意味があった。
右利きなのは知っていたけれど、どっちの右利きかまでは知らなかった。
私の中では生粋の右利きと矯正の右利きがあって、私は後者のタイプで、もし矯正されなければ私は左利きの人生になっていたと思う。
今も矯正した箸、えんぴつ、そして最初から右手で習った包丁・ハサミ以外は、わりかし左手でほとんどの場合やっている。
本当に生粋の右利きかどうかなんてどうでもいい情報だけど、私はイケメンファンとしてそうしたことを知れるだけでも嬉しかった。
あと、単純に今はタバコを吸ってないことも、そんなの私には全く関係ないとはわかっていても、嬉しかった。
そしてタバコを吸わなかったからこそ、わざわざ喫煙部屋に行く必要もなくて、それがたとえ5分ぐらいの時間だったとしても、その5分は事務所にいてくれる時間になってくれたわけだから、私はその時間をその分もらえていたんだということも嬉しさ倍増だった。
制服見本市のようなその時間は、これだけの記憶といいそれにまつわる色んな想いといい、長い時間をかけて色々味わえるようになっていた。
あの制服を着たその人の姿はもう見れないし、蛍光色のタオルもずっと目で追ったスニーカーも見れないし、何もかもが私の中にしかもう存在しない時間だとしても、私はその時の思い出を一生心にしまって持ち続けていく、そんな気がする。
仕事そっちのけで写真を探しまくったり、人が出払うと空気感まで納められた写真を見たり、でもどの写真もその人が写ってるものに限って目が赤く光っていたり、若干ブレていて輪郭がはっきりとはしていなかったり。
写真のクオリティーは色々残念だったけれど、私はそれでもその写真たちを見ることがすごい楽しみでそして癒しだった。
イベントには、制服イケメンたちがけっこうな数で来場していた。
でも、その人が着こなしていたような感じで制服を着ていた人も、ましてやあの物静かなのに芯の通った雰囲気や、その人の周りにしか存在していない空気感・オーラみたいなものをまとっている人は誰もいなかった。
その人のイケメン具合がアップしてたのはそういう付加価値というか、その人にしかないものを持ってこそだったからだと思う。
そして、その人と同じ制服を着た人たちを東京の人口密集地帯で見るなんて、やっぱり計算できない確率で起こっていたと感じる。
それ自体はとても小さな一瞬すぎるすれ違いでも、それらが伝えてくるメッセージの強さや鮮烈さは計り知れないものがある。
私にとって、占星術講座を受けに東京に行ったのは、単に講座を受けに行くだけではなく、心の中では色んな想いが交差しながら毎回行ってた。
望んでも望んでも手に入らない現実と、物理的に近くなることと、自分の中の変わらないものと、色んな気持ちが濃縮されて嬉しさと哀しさの両方を同時に生み出していた。
繋がりはない…。
何度そうやって自分にずっとずっと言い続けたか知らない。
そう思いながらの東京行きで、当然私は期待や希望を全部排除して行く。
そんな折に、同じ制服を着た人たちとすれ違うという体験をした。
初めて見た時は、本気で息が止まるかと思ったぐらいにビックリした。
しかも東京着いてすぐの話で、バスのターミナル的なところから徒歩数分の東京駅までの間でのことだった。
歩道でさえも普通車2台は通れそうな広さで、車道は片道4車線くらいありそうなところで、とにかく道路はとてつもなく広い。
私が歩いた歩道側にその会社の制服を着た人たち数人が集まって、誰かを待っているか作業前の待機時間か、そんな様子だった。
まだ時間は6時台で、会社の始業時間とは大幅に異なる。
現場仕事での早朝出勤なのかな…と思うけれど、そんなにも早く集まるなんて若干イレギュラーな印象を受けた。
そんな風にしてすれ違った制服集団で、だから本当に有り得ない確率で起こっていた、私はそれだけは確固たる感覚でそう感じた。
それを今回のイベントに行ってみてよくわかった。
そんなことは、本当の本当に有り得ないことを。
イベントではものすごい数の制服を見たのに、そこで同じ制服に会うことはない。
地元企業じゃないというのもあるけれど、じゃあ首都東京に行けば見れるのか?というと、そういうことじゃない。
関係ないけれど、当時の職場の提携先企業の人も来ていた。
数人その制服姿の人と美人と噂の事務さんと思しき人も見た(というより、目の前で注文を捌いた)。
だから、職の系統的には似たような企業が多数集まっていただろうことはわかった。
それだけの人たちがいる中で、やっぱり同じ制服を見るなんてないこと、だけど東京に行くとなぜかすれ違うこと、それを思った時に私には不思議な感覚が沸いてくる。
繋がっているいないはさておいても、「出逢えた」ことには変わりない、それを伝えてもらえるシンクロなんだと思う。
私には単なる制服じゃなくて、その制服の先に見える世界、感じる世界がある。
そしてそれはその制服でしか起こらない。
世の中に数限りない制服がある中で、私が反応して何かを感じるのは、世の中にその制服以外存在しない。
そのことをものすごく強く強く感じたイベントだった。
実は今回の単発の仕事、他の単発の仕事と重なっていて、どっちを申し込むか迷った。
他の方が先に募集が出ていたけれど、私は何だかんだと先延ばしにした。
で、結局こちらになった。
こちらを選んだ理由は、私の個人的な希望とより合致していたからに過ぎず、まさか制服を見て何かを感じてくるなんて想定外の出来事だった。
でも終わった今感じるのは、そんな個人的な希望なんてちっぽけな話で、本当に行った理由は私が自分の内側で感じた諸々を感じてくるためだったと思っている。
私の中で絶対に譲れない、何ものにも代えられないものを再確認してくる、そういう目的で行ったんじゃないかと思っている。
2日目のイベントは、私が過去にしたバイト的な仕事で一番の激務で、朝の8時半から開始で初めての休憩が午後の3時半という、7時間ぶっ通しでの仕事だった。
あまりにも疲れすぎて、多分人生で初めてお昼の仕出し弁当を残した。
40度近い熱を出してもごはん食べる私が残すなんて相当だった。
他に言う時もないからこの場で自慢すると…。←本来自慢することじゃない( ̄∀ ̄;)。
激混みな上、お客さんの列が超おかしな配列に勝手になっていて、私だけなぜか1人で2列分のお客さんを捌くという(普通は1人1列)。
しかもそれが超人的な速さなのか、隣りの子(担当1列分のみ)は何人かのお客さんから、私の列と比べて遅いとネチネチとクレームを言われてたくらい、私はすごい速さと「丁寧さ」で対応していた。
私もしかして接客のセンスがあるんじゃないかと勘違いしたぐらいv( ̄∀ ̄)v。
ただ、あまりの捌きの多さに、出来上がり次第お客さんに出す予定の食べ物を忘れていて、散々待たせた挙げ句売り切れでなくなったという大失態を犯した。
本来なら超クレームになって、なんなら1人は私ではない人にガンガンクレーム言っていて(←そりゃそうだ)、でパッと見て自分が担当した人とわかって、速攻で目の前に行って謝って、ひたすらペコペコと超誠実に謝って(私が本気で悪いから当たり前)、なんとお客さん笑顔で許してくれ、他の食べ物での対応でもOKしてくれて、「仕方ないね、ないもんね(*^ω^*)!」と本気で笑顔で終わってくれた。
という人が3人v( ̄∀ ̄)v。←やらかしすぎ。
1人は私に最初超文句言ってたけれど、最後は笑顔で「ありがとう!頑張ってね!」と言って帰って行かれた。
もう1人の人も、本当は嫌だったと思うけれど、「この人多分怒ってなくて許してくれてる」というのは雰囲気でわかった。
しかも代替え案で丸っと納得してくれたから、有難いばかりだった。
そうした謎の大快挙さえ遂げ、社会人になって初めて「接客」と呼ばれる仕事をしたけれど、本気で私才能あるんじゃないかと思ったv( ̄∀ ̄)v。
(もっと強烈なクレーム対応をしていたから、このぐらいのクレームなら相当上手にやれるんだとわかった。←自画自賛)
そんな殺人級の忙しさの7時間後に休憩したら、手を動かすことさえ面倒で、意識が朦朧としそうだった。
で、こんな前置きは単に自慢したくて書いたわけだけど、ふと初日との差を思った。
今日(6/8)は招待企業の担当者たちが家族連れで来ていて(はっきり言って食べ物以外子どもには何の娯楽もないのに「お出かけ」になってくれるという、田舎の子どもにしか通用しないイベント)、当然みんな私服で来ていた。
私の聞き違いでなければ、私服で来ているのに2日間で100億越えの売上を叩き出したらしく(初日売上は1桁だったのに、一気に3桁まで増えた模様)、制服姿より私服姿でみんな商談するのかとびっくりした。
だから、これが土日のイベントなら制服なんて見れなかったけれど、平日も入っていたことで制服姿をたくさん見れた。
そして過去に私はタイムトリップをして、制服にまつわる色んなエピソードを改めて思い出し、ほっこりしたり癒しを再現したりありえない物事の起こり方に再度驚いてみたり。
今回の仕事は、制服を見に行くために行ったんじゃないかと大真面目に思っている。
仕事も色々社会勉強にはなったけれども、それよりも私にとって大切だったのは制服祭りの方だった。
そんなにも制服観察に精を出してる人もあまりいないと思うけれど、こんなにも素晴らしい機会はおそらく今回が最初で最後だから、観察→振り返り、観察→振り返りの繰り返しだった。
比率的に、観察:振り返り=0.1:99.9。
2日目は戦場と化した時間で制服観察なんかする余裕もなかったけれど、1日目の楽しみはそれだった。
仕事は本当にきつかったけれど、私にとって有意義な時間が過ごせた。
体は腑抜けなぐらいに疲れて、精神的にもアドレナリン出まくりかと思うぐらいに、しばらく仕事終わった後も気持ち的に変なテンションだったけれど、家に帰って一瞬だけ目に入ったテレビのコマーシャルを見て、静かに癒された。
たしかに超人的な仕事をしたと思うしクレーム対応も良くしたと思うけれど、やっぱり疲れたは疲れた。
そしてああいう時の私は、普段とは違う自分で物事に取り組むから、後からけっこう疲れる。
社会性があっても、それは社会的な感覚に合わせて自分を作るから、素の自分とはかけ離れていて疲れる。
そんな感じでおかしなテンションだった時に、パッと目に入ったテレビの向こうにはアニメ的な映画?劇場?の宣伝で、主人公役の声優が「石坂浩二」と出ていた。
昔むかしの武士とかが出てきそうな時代の僧とか何とか法師みたいな物語のようだった。
何てことない、っていうか石坂浩二がメインだとこんな風に物語ではなく石坂浩二の宣伝になるんだ…と思ってしばらくコマーシャルを見ていた。
それを見た時に
「あぁもうあの変なテンションにならなくていいんだな」
とスッと自分の中で整うものがあった。
画面の向こう側は平和で、もうあの殺人級の忙しさは終わったし、私はその平和感をまた思い出してそこに戻ったらいいんだと思った。
初めて見たコマーシャルだったけれど、そのコマーシャルから伝わってきたものにホッと胸を撫で下ろした。
しかも、私がテレビを見たのは、その石坂浩二が声優でメインを張るらしい物語のコマーシャルだけだった。
だから見たのなんてせいぜい15秒30秒の話だと思う。
そんな短い一瞬のことで、あの変なテンションが落ち着き始めて、癒しが始まるわけだからすごいなぁと思った。
制服の記憶に癒され、石坂浩二のコマーシャルに癒された。
私にしかわからない、制服と石坂浩二コマーシャルにはリンクするものがある。
肉体もだけど、何百人単位の人を相手に対応を続けるとテンションがおかしくなって疲れ果てると知った。
そんな時、最後にそのコマーシャルを見れたことはとても大きかった。
平和や平穏な日々を思い出すトリガーとなった。
これは私の激しい思い込みだけど、私が目にしている又は耳にしている諸々は、私側の祈りだけじゃなくて、相手側の祈りが届いているんじゃないかと最近思うようになった。
すごい不器用な人なんだと思っているけれど、無事をそっと祈ってくれてる、そんな風に私は思っている。
だから全然関係ないところでメッセージ的なサインが届く。
私にもわかるように。
本来「祈り」とかそうした想いの部分なんて見えないものだけれど、それがわかりやすく私に伝わるように、そういうシンクロが起こっているんじゃないかと思っている。
本当の本当に疲れたけれど、それを癒すためのものも私の元には届けられて、最後はほっこりして終われた。
そうやって私は何度も何度も色んな形で救われてる。
たとえ繋がりが見えなくても、私はこんな風にずっとずっと救われ続けている。(完)
今回は何かのイベントのフードコート的な2日間だけのお仕事。
とりあえず、そのバイトを申し込む前に「何の」イベントなのかを確認した。
募集要項には「イベント」としか書いてなくて、これが「せともの市」とかファミリー向けのイベントならどこで誰に会うかわからないから、絶対に止めた。
会場のイベントカレンダーで確認したら、名前だけじゃ何のイベントかほとんど想像がつかないのと、はっきり言って超マニアックな人たち対象の感じで、それなら誰にも会わないだろうと予想できたから申し込んだ。
だから、実際にどういう人が対象のどういうイベントかは行くまで知らなかった。
結果的に言うと、色んなメーカーが製造した各分野の専門的な何かを売り出すイベントだったようで、全員招待客(招待企業)のみが来場するイベントだった。
私は会場の中を全く見ていないからわからないけれど、フードコートに来た人たちの制服を見ていた限り、機械・電機・精密機器・鉄工・酵素・製作所みたいな漢字が刺繍で入っていたから、基本、理系の機械とかの類いのイベントだったと思う。
フードコートの準備をしている目の前で協賛企業の人たちで開会式なるものが為されていて(それは100%男性)、2日間の売上目標は20数億円です!と宣言されていて、なんかすごいイベントなんだなとわかった。
さらに三本締めとかやっていて、「ザ・男社会」みたいな、そういうイベントだった。
ちなみに1人1人の人たちと話すのは好きだけど、男社会の縮図みたいに、互いに競争する人たちで集って相手を蹴落としてでも自分が上に上がろう的な男の人たちの集団や、変に形だけ体育会系なノリの男性集団とか、すごい苦手で仕方ない。
今日はそういうにおいがプンプンしそうな感じの集まりのようだった。
前3日間がやさしくて超気遣い・根回しのおじさんとの仕事だったから、その雰囲気の差たるや凄かった。
まぁだけど私はそことは全く関係ない、フードコート的な食べ物の提供側の人間だったから、超昭和的な男性の集いを傍観の構えで観察していた。
実際にフードコート側が動き出してから、色んな人たちが入れ替わり立ち替わりやってきたけれど、途中から余裕が出てきたら、ふとすごい発見をして、今度はそちらの観察に徹した。
売り子役もかなり数としてやったけれど、私は笑顔浮かべながら見てたのはその人たちの制服だった。
出店企業の人たちは多分みんなワイシャツで、招待企業側の多くは普段の制服のままやってきていた。
男性の8割近い人たちが制服だったと言ってもいいぐらい。
普段生活している中で、似たような形の制服だけをひたすら見るなんてまずそんな機会ない。
せいぜいスーパーとかで2人3人ぐらいの似てるけど違う制服を着た人に会えばいいぐらい。
それが今日は何十種類もの制服を一堂に見れたわけで、私はその制服をひたすら見ていた。
見れば見るほど、私は自分が東京で見てきた制服を見ることの確率を思った。
去年の秋とついこの間先週?先々週?と、同じ制服を東京駅近くと銀座では2回目撃した。
銀座のうちの1回は銀座三越のデパ地下で。
世の中には数え切れないくらいたくさんの制服がある中で、同じ制服を、しかも大都会東京の中でも超都心部の日中の人口過密地区で見るなんて、はっきり言って天文学的数字どころか計算不可の確率で起こったんじゃないかと思った。
よくぞそんなにタイミングよく毎回同じ制服を見れたもんだなぁと、見た時よりももっともっと今日はそう思った。
たとえ何十の会社の制服を見たところで、同じ制服を見ることはない。
それが大都会ではもっと見ない確率が格段に跳ね上がるわけで、そんな中で見たというのはとてつもなく大きい。
自分のその引き寄せ力の凄さを感じた。
本来欲してるものとは違うものが差し出されてはいるけれど、それはそれで嬉しいからいいかと思っている。
その東京で見てきた制服とよく似たスタイルや形の制服を何個か見た。
その人たちを見て、あぁ…となった。
普段生活している時よりもそのイベント内のイケメン率は格段に高かった。
三本締めの時の作られた雰囲気には私的にドン引きではあったけれども(←真面目に失礼だけど、表に出ているものと裏の本音側とになんか違う空気感をどうしても感じてしまうから、そういう意味で苦手でドン引きした)、フードコートの売り子をしていた時はその変な雰囲気は立ち消えて、男性1人1人をもっと純粋に「1人の人」として見ることができた。
小さなやりとりではあったけれど、そこから伝わるものもたくさんあって、意外に人間性や素の性分的なものがそういう状況で出るんだなぁなんて思いながら売り子をした。
イラッとしたり「この人無理」という多分普段もあまり周りから好かれていないだろう空気を放っている人にも当たったけれども、9割近くは本当に感じの良い人たちばかりでとても良かった。
そのおかげなのか、元々の容姿や雰囲気のおかげなのか、一般的に「イケメン」と称される人たちはかなりな人数でいた。
【イケメン×制服】という人たちがわりかし多い中で、それでもやっぱり私が知っている人生で見た一番のイケメンの人には敵わないなと思った。
似ている制服の人たちの中にもイケメンはいたし、制服は似ていなくても背格好が似ているイケメンはいた。
なんだけど、私が人生で見た一番のイケメンが放っている独特のオーラはやっぱり誰を見てもなかった。
個人的に制服ってけっこう個人のセンスも雰囲気も出るものだと思っている。
みんな同じ服だからこそ、1人1人の着方の癖やこだわりを感じる(こだわりない人もたくさんいるけれど)。
その人はカッコつけてるわけではなかったと思うけれど、普通にしてて1つ1つの制服の着方がまず超がつくぐらいにかっこ良かった。
シャツをズボンにインするその絶妙さ加減とか!
腕まくりの感じとか!
きっちりしすぎてもなければ、だらしなくもない、良い感じのかっこよさが滲み出てしまう人だった。
みんな同じ制服だけど、着方には各自癖があるし、比較する人たちもそこそこ人数がいたから、余計とその自然な着こなし方に私は1人で惚れ惚れとしていた。
オシャレというよりかは、自分が一番良く見える自分の見せ方魅せ方を知ってる人って感じだった。
本当にカッコよくて、天はどうして二物も三物も1人の人に与えるのかと思うぐらいのイケメンっぷりだった。
その人は差し色というか、小物にやたらと派手な色を使う人だった。
それがまた本当によく似合っていて、普段の静かな感じと差し色のポップな感じのギャップがこれまた似合いすぎでしょ!という感じの雰囲気を自然に醸し出してた。
なんだけど、これは真相は闇のままだけど、ある時「もしかしてΣ(꒪◊꒪ )))) !?」ということを1つ見つけた。
夏場に持ち歩くフェイスタオルもやたらと色がド派手で、蛍光色だった。
ピンクときみどりは確実で、もう1つは水色だった気がする。
もし私が持ったら、林家パー子にしかならない、お笑いを目指すしかなくなってしまうけれど、その人が持つと全然違和感がなくて、むしろサマになる。
これ他の人がやったら本当に痛い風にしかならない。
だけど、その人はそうした奇抜な色も普通にさりげなく使っていた。
色負けしないどころか、その見えてる雰囲気(静か)と小物の雰囲気(目立つ・強いアピール力)のギャップが良い意味で印象的だった。
その奇抜な色たちと再会したのは、それから半年ぐらい先の話。
ある時職場のタオル干し場に、その蛍光色とほぼ同じ色合いのタオルのようなでも違うような布地が3枚干されていた。
ピンク、きみどり、水色(だったと思う)。
事務のYさんに、このタオルみたいなのって何ですか?と聞いたら「あぁ、それね、車のワックスとか付ける時に使うタオルだよ、車磨きというかね」みたいな返事が返ってきた。
Σ(꒪◊꒪; )))) !!!
でもたしかに撥水性はすこぶる良さそうで、これを汗拭きタオルとして使うのも、意外にも使い勝手がいいものかもしれないと思った。
Yさんにそれとなく「◯◯さんも派手な色のタオル持っていて、すごい派手だから印象に残っているんですけれど、それともしかして同じじゃないですか?」と聞いたら、Yさんも吹き出しながら「言われてみたらそうかも!っていうか、これを汗拭きタオルに使ってたのかな(爆笑)?」というような会話をした。
あまりにも色が酷似していただけかもしれないけれど、もしそうなら面白すぎる!!!と思った。
これを書きながらもう1つ思い出したことがあった。
私はある時、それは大量の未分類の写真の整理を頼まれた時(←季節は夏)ではなくて、もっと後のこれまた写真から何かを探すことを頼まれた時(←季節は冬)だったと思う。
もっと早くに気付いてたら楽しみの時間がもっともっと増えたのに…と思った記憶がある。
実際に私はその絶好の機会を片手で数えるぐらいしか持てなかったから、多分気付いたのは間違いなく冬だったと思う。
特定の写真をひたすらファイルを開いて探すみたいな作業で、私にはAll鉄の塊にしか見えないものたちの特定の名前と型番が一致しているかを探すという、知識ゼロの私には無茶ぶりの高い作業だった。
図面でしか見たことのない名前の現物を初めて画面越しに見た。
で、多分その時だと思う。
何せ探し物は「ここにある」という絶対の保証がなくて、見つからなければ片っ端からフォルダの中のまたフォルダを探すみたいなことをしていた。
そんなことをしているうちに、超気になるタイトルのフォルダを見つけて、開いてみた。
これもしかして写ってるんじゃ!?と思って、人が出払って誰もいない時に私は再度そのフォルダを開けてチェックしてみた。
ビンゴ!!!
イケメンが超激レア的に写っていた!!!
こんなこと初めて思ったけれど、その写真を見て、その人がまとっている空気感も写真の中に一緒に納められるんだと知った。
制服の着方もそのまんま、写真は2015年とかの日付だったと思うけれど、空気感も同じだった。
前任者を労うシーンなのか、何かしら贈呈式みたいな様子だった。(前任者の顔は知らないけれど、そんな様子だった)
前任者メインの写真ではあったけれど、イケメンも主要ポストの人物だから、どう考えても写真嫌いだと思うけれど、役割上かなりな枚数で写真に写ってた。
その写真は、特別な時を記録として残すみたいな意味合いで誰かが撮ったものだから、集合写真みたいに「ハイチーズ」的なのではなく、とても自然体の普段のままの写真だった。
だからその人も自分が撮られてるとは思ってなかったんじゃないかなと思う。
カメラを意識してない分とても自然体で、それは私が見ていた普段の感じととても似ていた。
私はその人が放つ空気感に癒されていたから、初めてその写真を見つけた時の感動と言ったらなかった。
その人がまとっている空気感も一緒に写っていて、画面は二次元なのに、そこだけ三次元というか立体感あるものになっていた。
何枚かあるから、私はその何枚かを順番に見た。
その写真たちはすぐに私の中の娯楽的な、新たな癒しの空間になったけれど、そんなの当然普段の仕事に全く必要もなければ開けていること自体がおかしな話で、だから超激レアな確率でしか起こらない、事務所に私しかいない瞬間を待ちに待って、その時だけの超お楽しみにしていた。
それは月にあっても2回あるかないかぐらいの、しかも時間は10〜20分程度で、記憶にある限り片手で数えられるほどしかその機会は巡ってこなかったから、多分仕事辞める3ヶ月ぐらい前に見つけたと思う。
写真の中は夏か秋で、私が見ていた季節は冬だったから、だから本当に数えるぐらいしか見れなかったと思う。
もっと早く見つけていたら、私はチャンスさえあれば、その写真を何度も何度も見たと思われる。
でもそこまで見てないということは、私自身も見つけたのは退職近い頃だったはず。
実際にその特別なフォルダを誰に邪魔されることなく開ける機会を得たら、速攻で仕事止めて、フォルダ開いて癒しの時間を堪能した。
私はその時ほど、職場のドアの古いのに防犯対策として後付けで付けられただろうロックシステムに感謝した時はない。
普段は単に面倒にしか感じないドアだったけれど(もはや開け方も風貌もどんなか忘れた)、その至福の時間の時だけはそのドアが大活躍した。
皆が出払うイコール誰か戻ってくる時はそのドアをくぐらないと入れないわけで、いちいちピッピ、ピッピと鳴るから、それがすなわち「誰か戻ってくる」のサインで、音が聞こえたら速攻でフォルダを閉めて、また何事もなかったかのようにしれっと仕事に戻った。
今思ったら毎回タイミングよくできていたけれど、私はその事務所内で3箇所の作業スポットを持っていた。
特に後半は、キャビネットの整理をしないともう色々保管場所がなくて、その作業がわりとメインであったから、私は席にはほとんどいなかった。
その席しかパソコンは置いてなくて、もしその写真を見たければ、そもそも自分の席にいないと話にならなかった。
どういうわけか、みんなが出払う時はその席にいる時で、毎回1人になって好き放題写真を見ることができた。
しかも、電話もかかってこなくて、本当にその癒しの時間をきちんと持てるように見えない力からまるで守ってもらってるみたいだった。
そうやってイケメンオーラは、写真内にも永久保存されているという様子だった。
滅多に見れないのが残念過ぎたけれども。
同じフォルダの中には飲み会の写真もあって、私は血眼で探したけれど本当にほとんど写ってなくて(それ見てあまりに写ってないから、わざと避けてるんじゃないかと予想がついて、イコール写真も嫌いなんだろうと思った)、唯一見つけた写真がタバコをくわえてる写真だった。
タバコ吸ってたのかな?でも吸ってなかったよね?などと思って、これもしや別人?とか思ったりもしたけれど、どう見ても本人ぽくてずっと謎に包まれていた。
それがある時仲良くなったSさんから、これもまたどうしてそんな話を私は聞けたのか全く記憶にないけれど、多分喫煙の話になって(臭いが充満してくさいとかそんな話だったと思う)、その時にSさんがイケメンも昔吸ってたんだよと教えてくれた。
それ聞いて、私の頭の中では真っ先にタバコをくわえてる写真が浮かんで、あぁやっぱりあれ本人なんだと知った。
そして、私は「この人は生粋の右利きなんだ」と思って、なんとなくそれを知れたことも嬉しかった。
全然大したことない情報だったけれど、知れることに私には意味があった。
右利きなのは知っていたけれど、どっちの右利きかまでは知らなかった。
私の中では生粋の右利きと矯正の右利きがあって、私は後者のタイプで、もし矯正されなければ私は左利きの人生になっていたと思う。
今も矯正した箸、えんぴつ、そして最初から右手で習った包丁・ハサミ以外は、わりかし左手でほとんどの場合やっている。
本当に生粋の右利きかどうかなんてどうでもいい情報だけど、私はイケメンファンとしてそうしたことを知れるだけでも嬉しかった。
あと、単純に今はタバコを吸ってないことも、そんなの私には全く関係ないとはわかっていても、嬉しかった。
そしてタバコを吸わなかったからこそ、わざわざ喫煙部屋に行く必要もなくて、それがたとえ5分ぐらいの時間だったとしても、その5分は事務所にいてくれる時間になってくれたわけだから、私はその時間をその分もらえていたんだということも嬉しさ倍増だった。
制服見本市のようなその時間は、これだけの記憶といいそれにまつわる色んな想いといい、長い時間をかけて色々味わえるようになっていた。
あの制服を着たその人の姿はもう見れないし、蛍光色のタオルもずっと目で追ったスニーカーも見れないし、何もかもが私の中にしかもう存在しない時間だとしても、私はその時の思い出を一生心にしまって持ち続けていく、そんな気がする。
仕事そっちのけで写真を探しまくったり、人が出払うと空気感まで納められた写真を見たり、でもどの写真もその人が写ってるものに限って目が赤く光っていたり、若干ブレていて輪郭がはっきりとはしていなかったり。
写真のクオリティーは色々残念だったけれど、私はそれでもその写真たちを見ることがすごい楽しみでそして癒しだった。
イベントには、制服イケメンたちがけっこうな数で来場していた。
でも、その人が着こなしていたような感じで制服を着ていた人も、ましてやあの物静かなのに芯の通った雰囲気や、その人の周りにしか存在していない空気感・オーラみたいなものをまとっている人は誰もいなかった。
その人のイケメン具合がアップしてたのはそういう付加価値というか、その人にしかないものを持ってこそだったからだと思う。
そして、その人と同じ制服を着た人たちを東京の人口密集地帯で見るなんて、やっぱり計算できない確率で起こっていたと感じる。
それ自体はとても小さな一瞬すぎるすれ違いでも、それらが伝えてくるメッセージの強さや鮮烈さは計り知れないものがある。
私にとって、占星術講座を受けに東京に行ったのは、単に講座を受けに行くだけではなく、心の中では色んな想いが交差しながら毎回行ってた。
望んでも望んでも手に入らない現実と、物理的に近くなることと、自分の中の変わらないものと、色んな気持ちが濃縮されて嬉しさと哀しさの両方を同時に生み出していた。
繋がりはない…。
何度そうやって自分にずっとずっと言い続けたか知らない。
そう思いながらの東京行きで、当然私は期待や希望を全部排除して行く。
そんな折に、同じ制服を着た人たちとすれ違うという体験をした。
初めて見た時は、本気で息が止まるかと思ったぐらいにビックリした。
しかも東京着いてすぐの話で、バスのターミナル的なところから徒歩数分の東京駅までの間でのことだった。
歩道でさえも普通車2台は通れそうな広さで、車道は片道4車線くらいありそうなところで、とにかく道路はとてつもなく広い。
私が歩いた歩道側にその会社の制服を着た人たち数人が集まって、誰かを待っているか作業前の待機時間か、そんな様子だった。
まだ時間は6時台で、会社の始業時間とは大幅に異なる。
現場仕事での早朝出勤なのかな…と思うけれど、そんなにも早く集まるなんて若干イレギュラーな印象を受けた。
そんな風にしてすれ違った制服集団で、だから本当に有り得ない確率で起こっていた、私はそれだけは確固たる感覚でそう感じた。
それを今回のイベントに行ってみてよくわかった。
そんなことは、本当の本当に有り得ないことを。
イベントではものすごい数の制服を見たのに、そこで同じ制服に会うことはない。
地元企業じゃないというのもあるけれど、じゃあ首都東京に行けば見れるのか?というと、そういうことじゃない。
関係ないけれど、当時の職場の提携先企業の人も来ていた。
数人その制服姿の人と美人と噂の事務さんと思しき人も見た(というより、目の前で注文を捌いた)。
だから、職の系統的には似たような企業が多数集まっていただろうことはわかった。
それだけの人たちがいる中で、やっぱり同じ制服を見るなんてないこと、だけど東京に行くとなぜかすれ違うこと、それを思った時に私には不思議な感覚が沸いてくる。
繋がっているいないはさておいても、「出逢えた」ことには変わりない、それを伝えてもらえるシンクロなんだと思う。
私には単なる制服じゃなくて、その制服の先に見える世界、感じる世界がある。
そしてそれはその制服でしか起こらない。
世の中に数限りない制服がある中で、私が反応して何かを感じるのは、世の中にその制服以外存在しない。
そのことをものすごく強く強く感じたイベントだった。
実は今回の単発の仕事、他の単発の仕事と重なっていて、どっちを申し込むか迷った。
他の方が先に募集が出ていたけれど、私は何だかんだと先延ばしにした。
で、結局こちらになった。
こちらを選んだ理由は、私の個人的な希望とより合致していたからに過ぎず、まさか制服を見て何かを感じてくるなんて想定外の出来事だった。
でも終わった今感じるのは、そんな個人的な希望なんてちっぽけな話で、本当に行った理由は私が自分の内側で感じた諸々を感じてくるためだったと思っている。
私の中で絶対に譲れない、何ものにも代えられないものを再確認してくる、そういう目的で行ったんじゃないかと思っている。
2日目のイベントは、私が過去にしたバイト的な仕事で一番の激務で、朝の8時半から開始で初めての休憩が午後の3時半という、7時間ぶっ通しでの仕事だった。
あまりにも疲れすぎて、多分人生で初めてお昼の仕出し弁当を残した。
40度近い熱を出してもごはん食べる私が残すなんて相当だった。
他に言う時もないからこの場で自慢すると…。←本来自慢することじゃない( ̄∀ ̄;)。
激混みな上、お客さんの列が超おかしな配列に勝手になっていて、私だけなぜか1人で2列分のお客さんを捌くという(普通は1人1列)。
しかもそれが超人的な速さなのか、隣りの子(担当1列分のみ)は何人かのお客さんから、私の列と比べて遅いとネチネチとクレームを言われてたくらい、私はすごい速さと「丁寧さ」で対応していた。
私もしかして接客のセンスがあるんじゃないかと勘違いしたぐらいv( ̄∀ ̄)v。
ただ、あまりの捌きの多さに、出来上がり次第お客さんに出す予定の食べ物を忘れていて、散々待たせた挙げ句売り切れでなくなったという大失態を犯した。
本来なら超クレームになって、なんなら1人は私ではない人にガンガンクレーム言っていて(←そりゃそうだ)、でパッと見て自分が担当した人とわかって、速攻で目の前に行って謝って、ひたすらペコペコと超誠実に謝って(私が本気で悪いから当たり前)、なんとお客さん笑顔で許してくれ、他の食べ物での対応でもOKしてくれて、「仕方ないね、ないもんね(*^ω^*)!」と本気で笑顔で終わってくれた。
という人が3人v( ̄∀ ̄)v。←やらかしすぎ。
1人は私に最初超文句言ってたけれど、最後は笑顔で「ありがとう!頑張ってね!」と言って帰って行かれた。
もう1人の人も、本当は嫌だったと思うけれど、「この人多分怒ってなくて許してくれてる」というのは雰囲気でわかった。
しかも代替え案で丸っと納得してくれたから、有難いばかりだった。
そうした謎の大快挙さえ遂げ、社会人になって初めて「接客」と呼ばれる仕事をしたけれど、本気で私才能あるんじゃないかと思ったv( ̄∀ ̄)v。
(もっと強烈なクレーム対応をしていたから、このぐらいのクレームなら相当上手にやれるんだとわかった。←自画自賛)
そんな殺人級の忙しさの7時間後に休憩したら、手を動かすことさえ面倒で、意識が朦朧としそうだった。
で、こんな前置きは単に自慢したくて書いたわけだけど、ふと初日との差を思った。
今日(6/8)は招待企業の担当者たちが家族連れで来ていて(はっきり言って食べ物以外子どもには何の娯楽もないのに「お出かけ」になってくれるという、田舎の子どもにしか通用しないイベント)、当然みんな私服で来ていた。
私の聞き違いでなければ、私服で来ているのに2日間で100億越えの売上を叩き出したらしく(初日売上は1桁だったのに、一気に3桁まで増えた模様)、制服姿より私服姿でみんな商談するのかとびっくりした。
だから、これが土日のイベントなら制服なんて見れなかったけれど、平日も入っていたことで制服姿をたくさん見れた。
そして過去に私はタイムトリップをして、制服にまつわる色んなエピソードを改めて思い出し、ほっこりしたり癒しを再現したりありえない物事の起こり方に再度驚いてみたり。
今回の仕事は、制服を見に行くために行ったんじゃないかと大真面目に思っている。
仕事も色々社会勉強にはなったけれども、それよりも私にとって大切だったのは制服祭りの方だった。
そんなにも制服観察に精を出してる人もあまりいないと思うけれど、こんなにも素晴らしい機会はおそらく今回が最初で最後だから、観察→振り返り、観察→振り返りの繰り返しだった。
比率的に、観察:振り返り=0.1:99.9。
2日目は戦場と化した時間で制服観察なんかする余裕もなかったけれど、1日目の楽しみはそれだった。
仕事は本当にきつかったけれど、私にとって有意義な時間が過ごせた。
体は腑抜けなぐらいに疲れて、精神的にもアドレナリン出まくりかと思うぐらいに、しばらく仕事終わった後も気持ち的に変なテンションだったけれど、家に帰って一瞬だけ目に入ったテレビのコマーシャルを見て、静かに癒された。
たしかに超人的な仕事をしたと思うしクレーム対応も良くしたと思うけれど、やっぱり疲れたは疲れた。
そしてああいう時の私は、普段とは違う自分で物事に取り組むから、後からけっこう疲れる。
社会性があっても、それは社会的な感覚に合わせて自分を作るから、素の自分とはかけ離れていて疲れる。
そんな感じでおかしなテンションだった時に、パッと目に入ったテレビの向こうにはアニメ的な映画?劇場?の宣伝で、主人公役の声優が「石坂浩二」と出ていた。
昔むかしの武士とかが出てきそうな時代の僧とか何とか法師みたいな物語のようだった。
何てことない、っていうか石坂浩二がメインだとこんな風に物語ではなく石坂浩二の宣伝になるんだ…と思ってしばらくコマーシャルを見ていた。
それを見た時に
「あぁもうあの変なテンションにならなくていいんだな」
とスッと自分の中で整うものがあった。
画面の向こう側は平和で、もうあの殺人級の忙しさは終わったし、私はその平和感をまた思い出してそこに戻ったらいいんだと思った。
初めて見たコマーシャルだったけれど、そのコマーシャルから伝わってきたものにホッと胸を撫で下ろした。
しかも、私がテレビを見たのは、その石坂浩二が声優でメインを張るらしい物語のコマーシャルだけだった。
だから見たのなんてせいぜい15秒30秒の話だと思う。
そんな短い一瞬のことで、あの変なテンションが落ち着き始めて、癒しが始まるわけだからすごいなぁと思った。
制服の記憶に癒され、石坂浩二のコマーシャルに癒された。
私にしかわからない、制服と石坂浩二コマーシャルにはリンクするものがある。
肉体もだけど、何百人単位の人を相手に対応を続けるとテンションがおかしくなって疲れ果てると知った。
そんな時、最後にそのコマーシャルを見れたことはとても大きかった。
平和や平穏な日々を思い出すトリガーとなった。
これは私の激しい思い込みだけど、私が目にしている又は耳にしている諸々は、私側の祈りだけじゃなくて、相手側の祈りが届いているんじゃないかと最近思うようになった。
すごい不器用な人なんだと思っているけれど、無事をそっと祈ってくれてる、そんな風に私は思っている。
だから全然関係ないところでメッセージ的なサインが届く。
私にもわかるように。
本来「祈り」とかそうした想いの部分なんて見えないものだけれど、それがわかりやすく私に伝わるように、そういうシンクロが起こっているんじゃないかと思っている。
本当の本当に疲れたけれど、それを癒すためのものも私の元には届けられて、最後はほっこりして終われた。
そうやって私は何度も何度も色んな形で救われてる。
たとえ繋がりが見えなくても、私はこんな風にずっとずっと救われ続けている。(完)
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