2019年4月14日日曜日

奇跡の果実(25)愛という名の果実








動画:『いのちをいただく みいちゃんがお肉になる日』


『奇跡の果実』最終章〜愛という名の果実


【導き役と京都の武士俣さん】

>>>2009年6月

室内の喧騒から離れてYさんと私はベランダにいた。

5階とか6階とかの高さだった気がする。

Yさんと共にした時間は、多くて10数回。

その時Yさんは、私の色んな話を聞いて相談に乗ってくれていた。

私が日本に帰ったら、1から人生を立て直して何かしらは方向性を決めていかないといけないことも知ってくれていた。

そんな時、私にあるおばちゃんの存在を教えてくれた。

武士俣さん、日本に帰ったら良かったら訪ねてみて下さい。

そう言って名前を教えてくれた。

自分がこれから先どうしたいのかもどうするのかも全く見当がつかない時だった。

私はYさんじゃなければ、この話には食いつかなかった。

Yさんは私から見て、すごいバランス感覚の持ち主だった。

めちゃくちゃ頭が良いのは知っていた。

だけど、それをひけらかしたりはしない。

現実感覚もしっかりとあるし、理知的で論理も自然と身につけている感じがある。

なのにどこか超越したところがあって、どうしてそんなことわかるの?というぐらいに静かに感覚を張り巡らせている人で、すごいやさしい言葉で感じたままを伝えてくれる。

今思うと見える世界も見えない世界も両方を見て、その上で何かしらを自分の感覚と知性で把握するタイプの人だと感じる。

そういうタイプの人が占いのおばちゃん(実際はおばあちゃん)を紹介してくれて、拍子抜けするぐらいに驚いた。

でも私はYさんが言うなら間違いない、そう思った。

日本に帰る前もしくは帰ってすぐにおばちゃんの連絡先に連絡をして会いに行った。

人生で初めての占いだった。

占いというよりも、本気の「鑑定」だった。

私は30代、1〜2年に1回の割合でその後もおばちゃんに会いに行った。

だからこれまでに数回鑑定を受けた。

初めての日、おばちゃんは何を見ているのか、ありとあらゆる私の人生の中身を次から次へと言い当てた。

当たるとかそういうレベルを飛び越して、怖いぐらいにその通りすぎて、過去も未来もいくつおばちゃんの言った通りだったかなんて数え切れない。

過去は過去でドンピシャで何年何月にこんなことなかった?と言うし、未来は未来で予言めいたことをいくつか具体的に言って、私はおばちゃんの話を半信半疑で聞いていたけれど、本当にその通りになった。

それが私が人生で初めて踏み入った「見えない世界」だった。

最初は「占い」だと思って行ったからそういう風に見ていなかったけれど、あれはスピリチュアルな世界へようこそ!の素晴らしい洗礼だった。

そして、そうしたものに絶対に近寄ろうとしなかった私を、とても自然に且つ抵抗や不安を一切抱かずに私がそこに向かえるよう案内をしてくれたYさんの功労はめちゃくちゃ大きい。



Yさんと私はその後も実に不思議な感じで何回か再会をした。

Yさんと私とが互いに連絡を取り合って会ったことは実は一度もないことに気付いた。

冒頭の動画を教えてくれたリーダーがいつも大体窓口となって、「ぶっしー、Yさん名古屋に来るよ!」とか「シオちゃんとYさん来るから、ぶっしーも飲もうよ」ってな具合にして、名古屋で数回会った。

ついでに一言言いたい。

リーダーの家で、リーダー・Yさん・シオくん・私という面々で『アタック25』を見ていた時のこと。

3人の頭の中はどうなっているのか知らないけれど、3人は普通にクイズの答えをスラスラと、なんならテレビ画面の向こうの回答者たちが答えられないものでも、ごく当たり前に答えていた。

私の知能がおかしいんじゃなくて、3人のズバ抜けた知能がおかしいと思った( ̄∀ ̄)。

Yさんに最後会ったのは2年前の夏、リーダーの結婚式の時だった。

Yさんと落ち着いて話せたのは時間にしてわずかなのに、10年前の初夏にベランダで話した時と変わらない空気が流れていた。

その感覚だけはよく覚えている。



>>>2019年2月

『奇跡の果実⑧覚醒』を書いた後、私はその文章の紹介ではなく、自分自身の体質的なことを伝えようと、伝えたい人たちを選んで連絡を取った。

ペンジュラムを使うことぐらいならまだしも、死者の霊魂が出てきてコミュニケーションを取ったとか、他にも人の潜在意識や魂から情報をキャッチするとか、一般的に見て本気で精神病と紙一重みたいな域のことで、私はそれを本当に伝えたい人たちには自分の口から言いたかった。

変な形で余計な尾ひれがついて第三者から本人の耳に入るのは避けたかった。

だから、『⑧覚醒』を使って、ついでに自分のことをカミングアウトすることにした。

その中でもYさんにだけは、絶対に連絡を取りたかった。

なぜなら、10年前、Yさんに出会わなければ私の今がないのは明らかだったから。

今だからわかるけれど、私のアンチっぷりは、世の中のスピリチュアルや霊的世界に対してスーパーアンチの人たちの中でもトップに君臨できるんじゃないかというぐらいのアンチだった。

それぐらいの人がそういう世界に入っていけたのは、ひとえに周りの人たちのおかげで、これだけはどれだけ感謝してもしきれないぐらいに、色んな道筋を私に示してくれた人たちにはものすごく感謝している。

その第1号の導き役がYさんだった。

しかも私におばちゃんを紹介してくれるぐらいの人だから、少なくとも理解はある人だということも予想できた。

スーパーアンチ代表の私が、10年前いわゆる「スピリチュアル」とか「見えない世界」と分類されるところに、何の抵抗もなく、怖さもなく、むしろ「占いってどんな風だろう(ワクワク♪)」みたいな勢いでいけたのは、Yさんがその道筋を示してくれなかったら絶対に無理だった。

だから、Yさんには今の私のことをお礼と共にきちんと伝えたかった。

ところが、メールを送信したら宛先不明で返ってきてしまった。

慌てて連絡先を探すも、facebookは退会した模様だし、他の人たちに聞けなくもなかったけれど、理由が理由だから、それもまた二重三重に手間と気力と知恵が必要とわかって、それは最終手段にすることにした。

しばらくして、そうだ、番号が変わってなければショートメールがいける!と思って、ショートメールを送信してようやく繋がれた。


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連絡ありがとうございます。
連絡いただきとても嬉しいです。

とりいそぎ。
今日の午後5時過ぎくらいに、ふいに、武士俣さんのことを思い出していたところなんです。

ゆっくり読んでまたメールします。

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Yさんと最後言葉を交わしたのは、2017年の夏。

元々連絡を取り合って近況を報告するような仲とは違うから、とにかく空白の1年半がどんなかなんて知らない。
(←Yさんに限らず、自分のことをあれこれ突っ込まれるなんていうことを避けるために、相手が誰でも近況を私から聞くとかは基本一切しない)

さらにYさんも私もSNSをアップするとかもないから、そういう繋がりもない。

だから、そのYさんがどうして私が連絡を取ったその日に私のことを思い出したのか、私には不思議でならなかった。

そんなピンポイントで私が連絡を取った日、しかも私がYさんの連絡先がなくてあたふたしてた同じような時間に、何がどうしたら私を思い浮かべるのか、「テレパシー!?」と思った。

Yさんにそれがどういう流れでそうなったのか聞いた。


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取り急ぎブログの件です。

もちろんOKです。

ぜひ使ってください!!

京都に、武士俣性の知り合いがいて、ゲストハウスをしているんです。
あの日、メールをいただいた日ですが、自転車で京都の町を走っていて、ふと、武士俣さんとゲストハウスの武士俣さんを思い出したんです。そしたら、その次の朝、メールに気づいたんです。
お〜、すごいって。

もう一つ、今、英語の勉強していて、壁にぶつかっているんです。今一番の悩みなんです。そしたら、シオちゃんの英語の話し。またまた、お〜、すごいって。

他はまたゆっくり。

以上、取り急ぎ!

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「武士俣」という姓は、新潟県の中でもある町のある特定の地域にしか分布しない苗字になっている。

そこに30〜40軒ほどの武士俣世帯が密集していて、うちも本家はそこだけれど、うちみたいにそこから離れた人たちはそんなにたくさんはいない。

この冬、年賀状のアルバイトに行った時に、人生で初めて「武士俣」さんと出くわして、私は本当に生まれて初めて点呼の時に「武士俣史子さん」と呼ばれた。

武士俣さんいないから、まず下の名前を呼ばれることはない。

自分の生まれた地域でもそんなものなのに、何をどうしたら京都に武士俣さんがいるの?みたいな。

さらにはYさんには私と京都の方と、2人も武士俣姓の知り合いがいるなんて、私ですらいないのに凄すぎるΣ(꒪◊꒪ )))) !!!

そんなタイミングでなぜかYさんは私のこともついでに思い出してくれ、そしてそうとは知らない私がYさんに自分の今を伝えようと連絡していた。

しかも、少しでもわかりやすくするために、私の体質をものすごくわかりやすくシオくんがまとめてくれたから、その時のブログも一緒にくっつけて送った。
(『九州男児たち』
https://viva-vivir.blogspot.com/2019/01/blog-post_14.html?m=1 )

そうしたら、Yさんから、
『シオちゃんの英語の話しですが、今僕が抱えている課題とシンクロしてまして、お〜と鳥肌が立ちました。』
と来た。

シオくんの英語の話とYさんの課題がどうシンクロするのか全然わからなくて、それも突っ込んで聞いたら、上に書いた通り、私がシオくんに勧めた英語学習法がヒントになったという。

ちなみにヒント↓

「あのさ、シオくんさ、英会話はいいと思うんだけど、イーオンみたいな英会話スクールに行くよりも、とりあえずワイン会とか日本酒会みたいな会に行って、そういうとこ行けば外国人とかいそうじゃん、東京なら。英会話の先に趣味とかじゃなくて、趣味というか好きなものに入って行ってそこから英会話の人探せば!なんなら、飲みながら英語を話すみたいなさ!」

まさかシオくんとの英会話談義が、そこにはいなかったYさんに2週間位の時差を置いてから届くなんて、これは何の作為が働いているんだろう?と思った。

まさにテレパシーv( ̄∀ ̄)v!

しかも意図してないのに、意外な形で伝わる。

「テレパシーtelepathy」は
「tele (遠くへ)+ empathy (思いやり)」
から成り立つとされていて、直訳すると【遠くへ思いやりを送る・届ける、届く】ことがテレパシーの意味になるらしい。

シオくんはあの日九州にいて、私は新潟、そしてYさんは京都。

それぞれ目の前にはいないのに、時間も空間も超えて、必要なものが必要な人たちへと渡っていった。

何かがお互いに共鳴し合って、それぞれは別々の道を歩いているのに、ある日ポッとお互いに接触する。

お互いにヒントをもらい合おう!とか、役に立とう!とか、そういうことは一切意図していない。

だけど、結果的に繋がった。

10年前におばちゃんを私に紹介してくれたことのお礼を言ったら、Yさんからこんな風に返信が来た。


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あのベランダで武士俣さんの話しを聞いたり、それまで接していくなかで、そういう感覚が伝わりそうな人だと思い、お伝えしたことを覚えています。何とか助けになりたい、みたいな感覚です。
僕も武士俣さんはじめ仲間を大切にしたいと日々思いを深めています。

武士俣さんのお話しは、僕にとって信じられる話しで、そこまで行き着かれて良いなあと思います。
人が生涯で巡り会えるかどうかわからない何かってあると思うのですが、そういう感覚かと。

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私はYさんのこの言葉を読んで号泣した。

私は当時の自分のこともとてもよく覚えている。

Yさんと同じ町にいた頃、私は自分の先の人生に対して、ある意味ものすごい絶望感を感じながらも何とか帆を先に進めなければいけなくて、でもその進行先さえ皆目検討がつかずすごい焦りと混乱でいっぱいだった。

ましてや、目に見えない世界なんて何1つ興味がなかった私にとって、そういうことを口にさえしたことがなかった。

そもそも私の思考の中に今みたいなスピリチュアルと呼ばれるようなものは1つとしてなかった。

そんな時にYさんはYさんの感覚で、そこを見てくれそして気付いてくれてたんだな…と思ったら、もう言葉がなかった。

しかも、表面の会話だけなら私が興味がないのはわかってたと思う。

それでもYさんは自分の感覚を信じて、「何とか助けになりたい、みたいな感覚」で私に伝えてくれたことだった。

自分が今、他の人たちの潜在意識や魂から情報をキャッチしてることに気付いたからこそわかる。

それがどれだけのリスクを伴うもので、そして本当に気持ちがないとやれないかということを。

ましてや当時の私みたいに、スーパーアンチで興味のかけらもなさそうな人に対して、それとなくヒントを渡すのは並大抵のことではなかったと思う。

私はYさんのその裏側の想いを10年越しに初めて聞いて、そして今ある自分自身の姿を見て、あぁ本当に良くしてもらっていたんだなぁと、目一杯気持ちを込めて伝えてもらっていたんだなぁとわかった。

このYさんの特上の思いやりなくしては、今の私はいない。

本当にこの道に立つためには、抵抗なくすっと入って行けるガイド役みたいな人が必要で、その役割をYさんがとても自然にしてくれていた。



【合コンと魚座】

>>>2016年5月

月末に名古屋のアパートを引き払って新潟に戻ることを決めて、日に日に名古屋生活の終わりに近づいていた時だった。

名古屋を出る前に、会いたい人たちに時間を作ってもらって会う、という段階にいた。

名古屋で最後にした仕事でお世話になったヨコさんに連絡をした。

連絡を取ったら、ヨコさんから「実ちゃんも誘っていい?」ってきた。

私はしばらくその文を見て迷った。

ヨコさんと実(みぃ)ちゃんは元同僚で仲良しさん。

そして実ちゃんは、春からヨコさんと私がいた職場に勤め始めた。

ヨコさんと実ちゃんはまた同僚になった。

私は実ちゃんが入る前には辞めていたから、仕事は一緒にしていない。

私が仕事を辞める前、ヨコさんが合コンを企画して、それに誘われて私も行った時があった。

その時に初めて実ちゃんに会った。

っていうか、その時しか会っていない。

5対5で実ちゃんは席が近くで、さらには帰り道同じ方向だったから、その方面の男性が出す車に一緒に乗せてもらって帰ってきた。

初対面とは思えないぐらいに打ち解けたし、すごい居心地も良ければ話しやすい子なのは間違いなかったけれども、何せ1回しか会ったことがない。

実ちゃんがどうこうと言うよりも、私は基本的に普通に話せるけれど内側では人見知りするし、最後なのに気を使いながら時間を過ごすのは嫌だった。

そうだ!と思いついて、自分の元に迎えたばかりのペンジュラムを出してきた。

ペンジュラムに聞いたらいい!

そう思ってペンジュラムに聞いた。

ペンジュラムは迷うことなくすぐにYESを出した。

私は「えっ( ̄∀ ̄;)?」ってなった。

相手云々ではなく、その時間を想像して自分の心の中も想像して、「いやいやいや、楽しいかもだけど、気使うでしょ?」と思った。

当時からすでに、自分の意思と違う答えがペンジュラムから出てくると、「あれ?ペンジュラム間違えた?」と思っていた私( ̄∀ ̄;)。

その時ももれなくそうで、繰り返し同じ質問してもYES続きだったから、今度は質問変えて聞いても結局YES。

そして、断るにはNOが出て、気が進むわけではなかったけれど、実ちゃんなら楽しいからいいか!と最後は開き直ってヨコさんに返信した。

今考えたら、実ちゃんのことがペンジュラムを信じるキッカケをくれた最初のことだった。



約束の日、ヨコさんと実ちゃんの終業時間に合わせて待ち合わせて、初めておしゃれサイゼリヤに入った。

今書きながら思い出したけれど、私実ちゃんに会った最初の場所もおしゃれサイゼリヤもけっこう鮮明に記憶にある。

サイゼリヤに行ったことがある人ならわかると思うけれど、基本的にどの店舗も似たり寄ったりの内装やテーブル・椅子になっている。

だけどその店舗だけは全然違っていて、きちんとした木のテーブルと木の椅子で、やたらと重厚感があって、床も大理石調と言えばいいんだろうか、ヒールで歩いたらカツカツと音がしそうな素材で、さらには照明もやたらムーディーな、出てくる食べ物はチェーン店らしく変わらないけれど、雰囲気がいけてる場所だった。

新潟でサイゼリヤに行って気付いたけれど、壁にヴィーナスみたいな天使の絵が大きく描かれていた。

名古屋のその店舗にもあったのかは知らないけれど、実ちゃんといたその時間はまさに天使が舞い降りたみたいな瞬間だった。

実ちゃんだけだったのかヨコさんもいたかは忘れてしまったけれど、実ちゃんが突然私に聞いてきた。

「ねぇふみちゃん、もしかしてブログ書いてない?心とかの」

私のこの時の衝撃と言ったらなかった。

ブログは書いていた。

このブログじゃなくて、別のブログで心理に特化した文章だけをひたすら書いたものがあった。

だけど、私の書いたものは、人気記事でもないし、検索してすぐにヒットするものでもないし、ましてや実ちゃんは私の名前すら知らなかったわけだから名前検索もできない。

私も宣伝してないブログだったから、そのブログを知ってる人はほとんどいなかった。

というブログにどういうわけか実ちゃんは行き着いていて、しかも一言二言の話だったけれども「本当に読んでくれてる!」というのがすぐにわかった。

初めて出会った、私のブログを読んでくれてる人に。

友達で書いてることを知ってる人ではなく、実ちゃんは私とリアルに出会う前にどういうわけか行き着いて、私のブログの存在を知ってくれてる人だった。

そりゃペンジュラムも、実ちゃんも一緒に!の方にYESを出すなぁと思った。

ペンジュラムだけはあの時すでに知っていたと思う、実ちゃんと縁があることを。

そして、それが初めてペンジュラムが教えてくれた「本物のYES」だった。

もしペンジュラムを持っていなければ、私はヨコさんに2人で会いたいと言ったと思う。

だけど、あの時しつこいぐらい何度聞いてもペンジュラムはYESしか出なくて、「実ちゃんと会っておいでよ〜」と誘(いざな)ってくれてた。

人生において大切な出会いだからね、と言わんばかりに。



今思い出すと本当によくわかる。

その時は直近のことだから、どの人とかどの場所とかと縁があったかはすぐにはわからない。

すごく強く印象に残るというものではない限り、その時すぐには気付かない。

だけど、縁がある人とか縁がある何かというのは、時間が経ってもずっと残る。

それが距離ができようが、そんなに頻繁に会えなくなろうが、関係なく自分のどこかに残り続ける。

実ちゃんもそうで、最初に出会った日を思い起こすと、まさかその後今に続くまでなんだかんだと繋がれるようになっていたなんて想像もしていなかった。

そもそも私が出かけたのは合コンの方で、実ちゃんに出会いに行ったわけじゃない。

その時いた他のメンバーの人たちも記憶に残ってはいるけれど、実ちゃんみたいな残り方はしていない。

よくよく考えたら実ちゃんと会ったのは、今のところその時とサイゼリヤの時と2回だけなのに、かなり強く記憶に残っている。

帰りの車の中とか(バスの運転手さんだったから、超運転が上手くて乗っていて本当に心地良かった!)、本気でタクシーみたいになっていて、私は実ちゃんがそこに一緒にいてくれたことしか覚えていない。

男性は会話に参加していたんだろうか…( ̄∀ ̄;)

最後の時もヨコさんもいたのに、そして大量に飲んだけれども(サイゼリヤのコスパの良さは呑兵衛のお財布に優しい)、私が今も覚えているのは、実ちゃんが私にブログのことを聞いてきた場面だけになっている。

他の会話は綺麗さっぱり忘れた。

もしかしたら実ちゃんも私も少しだけお互いの打ち明け話をしたのかもしれない。

けれど、それをしたとかしてないとかいうことではなく、肌感覚で一緒にいて居心地が良かった、そこだけがやたらとクローズアップされて私の中には残っている。



>>>2019年2月2日

『⑧覚醒』の文章を書いた後、LINEを開いて連絡先一覧を出した。

ちなみに実ちゃんとは、名古屋を去った後も2回か3回ぐらいひょっと連絡をもらって、やりとりした時があった。

元々縁があったヨコさんとはそれっきりになって、反対に2回しか会っていない実ちゃんとやりとりする不思議な感じの流れになった。

連絡先一覧を見て、実ちゃんの名前が目に入った。

ああいう時の私は、はっきり言って「なんとなく」の感覚で選ぶから、どうして実ちゃんだったのかは言葉ではあまり上手く説明できない。

だけど送ろうと思った。

突然送りつけたらビックリするかな…とも思ったけれども、元々私の心理系のブログを読んでくれた奇特な人だから、今回もふつうに読んでくれるかもしれない…、とあまり深くは考えずに送った。

実ちゃんはメッセージとブログに気付くと、「早速読んでみるね〜♡」と来た。

そしてそのまた10分後に返信がきた。


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じっくり読みたい
ゆっくりじっくり読んでみるね

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実ちゃんの言葉に自分が包まれた。

自分の書いたものがとても大事にされてる。

いつか別の友達が「ぶっしーのメールは、それぞれ空気をまとっていて、これは愛いっぱいとか、これは温もりがあるとか、色んな表情がある」と言ってくれたことがあった。

実ちゃんの言葉もそんな風で、しばらく私は文字に釘付けになった。

短い文章なのに、そこから放たれている想いはものすごく大きくて、本当に心が融けてしまいそうだった。

その後実ちゃんからきた。


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まだ読み切れてないけど
どうして私を思い出してくれたんだろ?って不思議な気分〜笑笑
変な意味ではなくて単純に(o´艸`)

思い出してくれたのも、何か縁なのかなぁ?みたいな感じ!!

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私は送ろうと思った時の気持ちを書いた。

その後27人に送ってみてわかったことがあると前置きした上で、もし良ければわかったことを書いて送るねと言って、了解を得た上で長いスピリチュアル情報満載の話を実ちゃんに送り付けた。

勢いに任せて書いてしまって、うわぁー( ̄∀ ̄;)と思いつつも、「嫌なら読まないだろうから…」と開き直った。

実ちゃんから「返信するまでに時間かかりそう」と来たから(ごもっともな話)、私は返信は要らないこと、連絡もらえただけで嬉しかったことを書いて送った。

私は書きすぎたなぁ…と反省しつつ、まぁいいかとそのままにしていた。



>>>2019年3月 魚座の季節

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ふみちゃん、こんにちは(^^)
着々と読んでるょ☆
私はスピリチュアル的な事は全く分からないけど、やっぱり必要だったのかも...と思ってるょ。
私は、見た目で誤解される事が多いけど凄い不器用でね。
特に人間って難しくて、頭で難しく考えてるとネガティブな方向に行きがちで
自分でもなんとかしなきゃとか
やっぱりさみしいから人に合わせて合わせてって感じで、どうしようもなく疲れる事が多いの笑
まさに今が渦中だったりして笑
もう少し上手に生きれたら良かったんだけど…
まだまだ読み途中だけど
何となく経過報告でした笑


私、心配性なのか疑い深いのか
なかなか話せない事を勝手に書いて送っちゃったの...ごめんね。
でも、本当にありがとう♡

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1ヶ月後、突然のように実ちゃんからLINEがきた。

ずっとその後も私の長いブログを読んでくれてたことを初めて知った。

私は1ヶ月前に最後やりとりした時は「色々情報渡しすぎたかな…」とばかり思っていた。

そうではなく、実ちゃんは丁寧に言葉を咀嚼したり、自分の中を見たり、それを自分のペースで1つ1つやる人なんだと初めてわかった。

私も自分の不器用さについては実ちゃんに言ったけれど、もしかして実ちゃんと私の不器用さは似てるのかもしれないなぁと思った。

「私は、見た目で誤解される事が多いけど凄い不器用でね。」
という部分を見て、なんとなくわかる気がした。

見た目というか、誰かがいる時の実ちゃんはすごい明るいし、朗らかで、人当たりもめちゃくちゃ良い。

細かいところによく気がついて、男女問わずさっと気使いができる、それも相手の人が負担とかに思わない絶妙なバランスで気使いを配合してさり気なく差し出せる。

合コンの細かいところは忘れたけれど、私は実ちゃんの近くだったからこそ何とかあの場にいられたと思う。

そういうのすごい不慣れだし、適当に話を合わせるとかはできるけれど、心はMAXで緊張とストレスと余計な観察力と自分の振る舞い方のチェックとかで本気で忙しい。

相手が男の人だと私は余計にその辺りが強く出る。

この後に、男友達のリーダーの話も出てくるけれど、リーダーから何十回「ぶっしーに初めて会った日、この人とは『絶対に』仲良くなれないと思った!」と言われたことか…( ̄∀ ̄)。

リーダーの感覚は大当たりで、自分でもわかってるぐらいに凄い壁を作って、口は動くけれど見えない部分は拒絶反応みたいな、相手を寄せ付けないみたいなすごいことになってる。

実ちゃんと初めて会った日も私は本当にそんな風だったはずだけど、実ちゃんの男女分け隔てなく明るく振る舞えるその姿と要所要所の気使いのおかげで何とかいられた。

だけど、1人になった時や見えない部分では、実ちゃんも自分の不器用さと格闘している。

あの肌にすっと馴染む居心地の良さは、実ちゃんのそうした見えない部分のきめ細かさがあるからだろうなぁと今になって思う。

その後も次の日と数日空いた日と実ちゃんとやりとりした。

私がその時ちょうど書けた『傷を癒す』は、なんと実ちゃんの誕生日当日だった。

そうとは知らずに私は、実ちゃんが書いてくれたこととちょうど自分が書き終えた内容とがシンクロしていたから、良かったら読んでねと言って渡した。

当日は実ちゃんは何も言わず、それから2日して誕生日だったことを教えてくれた。

「ありがとう。単純にふみちゃんから贈り物頂いちゃった気分になって嬉しかった(^-^)ありがとうねえ☆」

あまりにピッタリのタイミングで記事を渡していてビックリしたけれど、頭の中で「また魚座繋がりの縁だ!」と思った。

とにかく魚座の人との出会い率が半端ない。

そして、妙に納得してしまった。

実ちゃんの誕生日は、7年に一度星座を移動する天王星が2011年以降正式に牡牛座に入った日だった。

何も聞いていないからわからないけれど、今年の誕生日前後はさぞかし心に色々来ていたんじゃないかな…と思った。

色んなものが浮上しやすいというか、終わりにしてもいいものたちがお知らせのようにやってくるというか。

もちろん、それは全てより良くなっていくために起こっている流れではあるけれど、渦中は強烈だから、しんどい時間だろうなぁ…と自分を見ても思う。

何でこのタイミングでまた実ちゃんと繋がれることになったのか私も不思議な気持ちでいたけれど、頭では計算できないぐらいに緻密に色んなことが重なり合っての結果なんだろうなぁと感じた。

もちろん、3年前の小洒落たダイニングバーみたいなところにいた時とか、サイゼリヤで私がブログを書いてるかを実ちゃんが確認してくれた時とか、そんな時は実ちゃんの誕生日を知らなかった。

しかもあの時、初対面に近いのに、よく私のブログを確認してくれたなぁと思う。

あの確認がなければ、もしあの日一緒に呑んだくれてても、こんな風に今には繋がらなかっただろうなぁと感じる。

名古屋にいた頃、いくつも派遣に行ったことで、行く先々で誰かしら仲良くさせてもらった。

だから「連絡先」というくくりなら、私は実ちゃん以外にも連絡しようと思えばできる人が何人かいる。

だけど、私が連絡したのは実ちゃんだけだった。

あの時は深く考えず感覚で「この人に知らせよう」となっていたけれど、今当時の連絡者リストを見ると、名古屋にいた頃に仕事を通じて知り合った人で連絡したのは、実ちゃんただ1人だけだった。



今書いていても不思議な繋がり方だなぁと思う。

実ちゃんが読んでくれたブログを書いている頃、実際の私は絶賛引きこもり中だった。

ほぼ毎日のように散歩に出たり大型書店に足を運んだりとかはしていたけれど、人との接触は最小限だった。

これ書いて何になるんだろう?なんて数えきれないぐらい思ったし、それがきっかけで人と繋がるイメージもなかった。

343記事アップされていたけれど(←今見てきた)、毎日のように書いていた当時はブログからは繋がりが出ても、全くの外部からの人との繋がりは生まれなかった。

だけど、そんな風に思ってもいない形で、何なら初めて出会ったのが合コンという面白い出会い方をしているけれども、こうして繋がりが生まれた。

出会うべく人とは出会わせてもらえる。

実ちゃんとの繋がりを思うと本気でそう思う。



【お気に入りと吉本ばなな】

私は1年前の4月から自分で自分のホロスコープを読み解くこと(=占星術)を始めた。

ホロスコープは、自分が生まれた瞬間の時間・何時何分と生まれた町の緯度経度から算出した空の天体たちの配置から、自分自身の色んなことを紐解けるツールになっている。

仕事・パートナーシップ・親子関係・家族・人間関係・強み・才能・課題・魂的なテーマ・心の傷など、とにかく色々そこから自分自身の特徴を読み解ける。

1年前のゴールデンウィークの前後だったと思うけれど、私は自分のホロスコープにすごいマニアックな形が含まれていることに気付いた。

本もネットも片っ端から調べたけれど、とにかくレアすぎるようで情報がなかった。

そこで私は占星術の初級講座を受けようと考えて、探し始めた。

個人的に鑑定を受けたいと思った先生がイチオシしていた初級講座を見つけた。

見たらキャンセルが出て「受けたいな〜」なんて思っているうちにすぐに満席になった。

私はそこからは執念で、たしか1時間おきぐらいにキャンセルが出ないかどうかをチェックして、それでようやくキャンセルが出ると、私は速攻で講座の運営者の方に連絡をした。

キャンセル分を確保できて、それで行けることになった占星術講座だった。

それで5月から11月まで毎月1回東京に占星術を習いに行った。

その中のクラスメイトの1人がNさんだった。

唯一の男性受講者で、物腰柔らかい感じが普通にしているだけで溢れ返っている。

私より少し年上だけど、少年のまま大人になったような感じで、ナチュラルなアート系男児の空気をかもし出していて、話すとその外見以上にものすごく優しい。

穏やかな表情と穏やかな声がトレードマークみたいな人。

講座3回目の時の帰り道だったと思う。

Nさんと駅まで一緒に歩いた。

その直前にNさんはさらりと自分がゲイであることをみんなの前でカミングアウトされて、私はかなりがっつき気味にNさんにあれこれ聞いた。
(もちろん、質問しても大丈夫かを聞いてから聞いた)

話を聞いた当時、私はこんな風にブログに書いている。


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そんな彼が話してくれたゲイのパートナーの話がとっても良かった。

「パートナー」と呼んではいたけれど、パートナーと言うよりもっともっと強い気持ちを抱いて一緒にいるのは話を聞いていて感じた。

かれこれ10年以上一緒にいるのだと言う。

私が、1人目のゲイの知人から、ゲイ同士で長く続くカップルは珍しいと言っていた話を出して、私は詳しくはわからないけれど、普通に10年と聞いてビックリしたとそのままの感想を言った。

男の本能的な性的欲求の高さや浮気心じゃないけれど、元々種子を残そうという生物学的なものも相まって、とにかく長く同じパートナーといるのは珍しいと言っていた(ということまではさすがにNさんには言わなかった)。

そうしたら、Nさんも全く同じ説明を私にしてきて、これはゲイの世界ではメジャーな考え方や価値観なのかもしれないと思った。

そう前置きした上で、それでも今の人と長く続いてる理由は、聞いていたら性欲よりも遥かに人間関係そのものの理由で私は感動した。

パートナーは本当の本当に大切な人で失いたくない、絶対に大切にしたい、そう言ってた。

その人に出逢うまでに関係があった人たちとは、別に別れても次にいけばいいと思っていたし、ダメならダメでいいかとなってたとのこと。

だけど、その人は最初から違っていて、付き合うまでも自分はすごく大切に関係を作るようにしていたし、適当に扱ってはダメだと感じたらしい。

普段ならすぐに関係を始めるみたいな言い方をしていたけれど、今のパートナーに関しては慎重に進めたとのこと。

相手もそうだったんじゃないんですか?と聞いたら、相手もそんな風でいた感じはありました、と言っていた。

自分自身は突然仕事を辞めたり、絵を描き始めたり、とにかくハチャメチャだけれど、それでもどんな時も何も言わずに自分を見守ってくれてる、本当にすごい人だと思ってる、と話してくれた。

そんな風だから、パートナーは最初から何も変わらずにありのままの自分を大切にしてくれてる、自分もとにかく相手が大切なんだと教えてくれた。

ゲイかノーマルかなんて関係なくて、普通に自分の大好きな人大切な人を大切にするという、人間が人間として生きるそのものを表現するかのごとくパートナーと生きている人だった。

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その時に、Nさんの絵のことも出てきた。

Nさんは大人になってから絵を描き始めた人で、それも始めてまだそんなに長くは経ってなかったと思う。

子どもの頃はさっぱり絵になんか興味がなくて、むしろ図工は5段階の2にマイナスが付いていたと言う。

だけどある時、自分の中にあるものを吐き出すために紙に何かしらの筆記用具を使ってそのまま手の動くまま心の動くまま描いたと言う。

そうした時に「これだ!」と感じて、そしてどんどん絵を描いたのが最初とのこと。

どんな絵を描くんですか?と聞いたら、過去に開いた個展の案内をリュックから出して見せてくれた。

良かったらどうぞと言われてもらって帰ってきた。



それからしばらくして、ふとNさんからもらってきた案内を見ると、そこにあるアドレスに見覚えがあった。

当時の私は、ホロスコープの調べ物で気になった記事があるとすぐにブックマークをしていた。

わからないことに行き当たると、そのブックマーク一覧を開いて必要な情報をしょっちゅう引っ張ってきた。

その中の見慣れたアドレスの1つと似ていた。

気のせいかと思って突き合わせたら、なんと本気でNさんのブログそのものだった。

しかも、占星術講座に申し込む少し前に見つけたものらしく、占星術には全く関係のないブログにも関わらず、私はその文章に一目惚れしてブックマークしたものだった。

本気で驚いた。

何がどうしたら、気に入った文章の書き手の人と全く同じ講座、しかも定員18名の講座に居合わせるんだろう?と思った。

次の講座の時、私は会場に到着するやいなやNさん目がけて行って、超興奮気味にそのことを言った。

Nさんも驚かれていたけれど、喜んで聞いてくれた。



11月の終わりに講座が終了した際、講座の中の何人かとLINEでグループを作った(←私ではなく、そういうのが得意な人が)。

2月2日に『⑧覚醒』を書いた時、その人たちにもグループLINEで文章を送った。

Nさんはその場ではこんな返信をしていた。


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どうもありがとう!
まさに、ぴったりなタイミングで、
メッセージ受けとりました💐🎈💃

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「ぴったりなタイミング」って何だろう?と思った。

気になったから、Nさんに個人的にLINEして聞いた。

Nさんの返信を読んで、本当に驚いた。

どこで何が繋がるかなんて未知数で、そういうのは私たち人間の頭でなんか計算できない。

そういう内容が返ってきた。


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ぶしまたさん、こんにちは🐥  きのう、あれからぶしまたさんのブログ拝見してたのですが、言葉があふれでてるっていうか、すごい熱量というか、圧倒されました。ぼくも、そうとう書くのが苦にならない人間だけど、ぶしまたさんすごい。

きのう、Gさんって人のセッションを初めて受けまして。セッション中にいろんなことビジョンが見えて、自分が何をしに生まれたのかを思い出した! ってその時に感じて。その、感じ、が、ぶしまたさんの「覚醒」とフィットしたんです。自分を生きるために生きてるのに、なにを隠したり恐れたり否定してたんだろ! って。

Gさんがセッション終わったときに、おめでとう、って言って。生まれ変わった、って自分でも思って。そしたら、叔母が亡くなったと夜に報せがあって。ぶしまたさんのブログは、死者とのコンタクトとかが書かれてたりして。

うまく言えないんだけど、覚醒のことばもそうだけど、シェアしたぶしまたさんのアクションも、「そういうことだよね!」って思った。恐いとか恥ずかしいとかそういうエゴの声に従わず、受けとったものは、ちゃんとあらわさないと、って。

そういうタイミングだったのですよ😻

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Nさんの返信を読んで、Nさんが『覚醒』だけじゃなくて、他のものも読んでくれたことがわかった。

だから、おじいちゃんの死とNさんの叔母さんの死が重なった話にも、私はものすごくドキッとした。

人の寿命は操作できないし計画もできない。

そうしたものが今回のそのタイミングに起こるというのが、そしてNさん自身が自分の中のものを受け止めたそのタイミングとが重なる…、まるで計画されたかのような完全なシンクロ具合で度肝を抜かれた。

Nさん多分好きだろうなぁと思って、ブログの中にちょこちょこ登場させてたカードリーディングされる方の動画も教えた。


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ブログに掲載の件、ぜんぜんオッケーです! いろんな人のストーリーがどうからむのか? 楽しみです。ぼくにとって、昨日はかなり大きな転換期かもって思ってます。いきなりのぶしまたさんのLINEは、ぴったりすぎて、ちょっと笑ってしまいました。うん、たしかにそれだけ強い想いなのかもです。

それからカード動画、ぶしまたさんのブログで読んで気になってました!! まるでテレパシー! ありがとうございます、おすすめの見てみます!


お互い、というかきっと多くの人がここからどんどん殻を破って、殻が幻だったって気がついて、化けていくんですね。覚醒していく。ぼくがキャッチしたことも、自分のエネルギーをまっすぐ表現する! そういうことでした。

ブログ、あまりに膨大で気になるところを読ませてもらった感じなのですが、小説みたいで、なんともいえない世界に連れていかれました。World🌕
吉本ばななさんの小説みたい!  おなじ日本の現代にいながら、まるで違う世界みたいで、読んでるとぶしまたさんの文体がインストールされるみたいだった🦄

ぼくも学生時代ばななさんの小説に助けられてきて、いちばん好きな作家さんですよ!
つながるわ〜🍌

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Nさんとは不思議すぎるぐらいに色んなことが重なった。

まさかお互いに一番好きな作家が吉本ばななさんだなんて、どんな偶然かと思う。

そして、Nさんはプロのライターさんで、そのNさんから自分の文章を評価されたことは、すっごい光栄なことだった。

1年前ホロスコープの調べ物を始めた時に、それがきっかけとなってこんな風に縁が繋がっていくなんて、思ってもいなかった。

さらにNさんとはこんな風にも繋がっていたことに気付いた。



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「☆」(←注釈あり)しかり、いろんなところでつながり、ご縁感じますね🐣👍

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[☆の注釈]
「Nさん、今さら気付きましたが、Nさんの名前の「☆」の部分、今回色々出演している名脇役の1人と同じ文字です!
だからご縁をいただいたのかと思いました!」

Nさんの下の名前をよくよく見たら、この『奇跡の果実』のベース部分に貢献してくれてる立役者の人と同じ漢字だった。

読み方も一緒。

個人でLINEをやりとりしたことで、画面に表示されるNさんのフルネームを見て初めて気付いた。

ちなみにNさんが現在住む町とその立役者の人の出身地とされる町は同じ町。

立役者の人というのは、私のこのオカルト体質を引き出すトリガー的な役割を果たしてくれた人。

言うなれば、2年前の夏に私の体質は発芽した。

種は元々あったと想定すると、それまではただ持っているだけの状態が(←持っていることにさえ気付いていなかったけれど)、それを発芽させるのに絶対に必要な肥料を与えてもらった、そんな役割の人だった。

私のこのオカルト体質は1つだけ条件がある。

自分で言うのもとても恥ずかしいものがあるけれど、このオカルト体質を他者に向かって発動させる時、それは愛とやさしさを持って取り扱うことが絶対条件だと思っている。

それらを持って使えないなら、使ってはいけないとさえ私は思っている。

その部分の感覚を開くために私の人生に現れた人物とNさんとが同じ漢字を持っている。

占星術講座だって先生入れたら20人いるわけで、その中でこんなにもピンポイントで繋がれたことにただただ驚きを隠せない。

さらに繋がってみると、名前然り、住む場所然り、好きな作家さん然り…とやたらと共鳴している。

もちろんそんなのを狙って出会ったわけじゃない。

だけど、知れば知るほど、共通点や趣味嗜好が重なる。

Nさんの文章を初めて読んだ時に湧いた感覚、心に沁み入る感じは今も変わらない。

すごい短い文章の中に一瞬で吸い込まれる。

まさかその後ご本人に出会うなんて想像さえしていなかったけれど、出会うようになっていたんだと思う。

心を鷲掴みにされるぐらい、静かにでも強く心に響いた。

Nさんの短い文章には、愛とやさしさが溢れ返っている。

今久しぶりに開いて驚いた。

その短い文章にも「やさしく」って入っている。

どこまでもシンクロしている。

この文を書いた人と縁がありますよ、と言わんばかりに色んなことが繋がっている。



【命の授業】
〜コータロとリーダーの話〜


冒頭の牛さんたちの写真は、岐阜の飛騨地域に住むコータロに頼んで送ってもらった。

本人から自己紹介文を書いてもらったのがこれ↓

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全国的にも名の知れている
ブランド牛である『飛騨牛』の生産者。
お肉になる肥育牛の飼育にとどまらず、自身の手で和牛の繁殖も手掛ける。

将来の夢は大金持ち。
欲望にまみれたパンクロッカー(笑)

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「『ブランド牛』を足しましょう!」と最後に付け加えられてきた 笑。

本当に私から特に付け足すことがないくらいにバッチリな自己紹介文を書いてくれたコータロが撮影した写真たち。

一言付け加えるならイクメン&イケメン!

「イケメンは余計ですぜ姉さん(笑)
ご自由にお使いくださいね。」
とのことではあったけれど。

実際に、4人の子どものお父さんで、本当に子どもたちをよく見ている。

本人はイケメンを否定したけれど、私の女友達がドミニカの写真を見た時に「この人カッコいいじゃん!」と言ってたから、イケメンはイケメン。

牛の写真なら私は何でも良かったけれど、いきなり1枚目に親子の牛が来た。

私はどちらかと言えば動物全般が苦手だけど、コータロの1枚目の写真は見ただけですごい癒された。

牛の表情はもちろん牛たちそのものが持っているものだけど、その表情を一瞬でカメラに収めるセンスはコータロのセンスだなぁと思う。

そしてその表情を自然に牛たちも出せるくらいに、コータロに安心できてるんだろうなぁと思った。

今のNHKの朝ドラ『なつぞら』で牛飼い家族が出ているけれど、ドラマで言ってた。

牛というのはすごい警戒心が強い動物だから、いきなり人間が触れられるものではないらしく、徐々に距離を詰めて牛側が人間に慣れないと触らせてもらえないそう。

信頼関係もないまま触ると、搾乳の際、牛に蹴られて命を落とすこともあると言っていた。

それを最近知ったから、コータロが手塩にかけて育てているのが写真越しにより一層伝わってくる。

2枚目は「隆二」くんとのこと。

3枚目はご懐妊したばかりの「ふみこ」。

最初コータロからは
「水曜日に出荷するんで、その時に撮る感じで良いっすか⁇
ちなみに『ふみこ号』も繁殖牛でいますけど、ちょっと薄汚いもので(笑)」
と返信が来て、ふみこは来ない予定だった。

私はそれでも良かったけれど、ブログに使いたいと言ったらありがたいことにすぐに送ってくれた!

コータロの解説によると、雄牛は漢字できちんと名前を付けて(細かいきまりがあるって言ってた気がする)、雌牛はひらがなで飼い主が好きに付けれると言っていた。

ふみこやちかこ、しずか、かなこ…と色んな友達の名前を付けてると言ってた。

おかげさまで「ふみこ」も採用してもらい、そして牛のふみこは子宝に貢献中 笑。

ふみこの種付けもコータロがしたんだろうと思う。

写真を送ってくれた後、妊娠鑑定を本当にして
「今触診しましたが、おめでとうございます!妊娠してますね。10月23日予定でお願いします。初産なので、しっかりと準備しておいて下さい。」
と来た 笑。



コータロは、『覚醒』のブログをアップした時に、最後の最後まで連絡するしないを迷った唯一の人だった。

普通に連絡はいくらでも取れる。

だけど、コータロの今の生活を何度か遊びに行かせてもらって知っているから、コータロがどういう思考体系の人なのかさっぱりわからなくて、それが迷いとなった。

日々牛たちイコール生き物の命のお世話をしているわけで、24時間365日体制で命と隣り合わせの生活を送っている。

子どもも4人いて、そして地域の結びつきがとっても強いから、毎日毎日何かしら地域の集まりにも借り出されている。

消防団から町内会、今は子どもの子供会、PTAなんかも含めて、コータロにいつか1週間のスケジュールを聞いた時に、あまりの忙しさにびっくらこいた。

その合間に趣味のバンド活動もしていて、本当にすごい活動量を普通にこなしている。

地域のしがらみとか色々あるにしても、そうした中で上手くバランスを見つけて本当にきちんと生きている、それはコータロを見てたらわかるから、私のこのオカルト的なものをカミングアウトするのはいかがなものかと思った。

そして最後に会ったのは2年前の夏のリーダーの結婚式の時で、あの時もすでにペンジュラムは使っていたけれど、まだ全然自分1人の趣味の範疇みたいな感じだったから、当時の私はこの先そんなことをコータロはじめ他の人たちにも言わずにいる気でいた。

その時は隠し通せると思ったし、そんなことはいちいち言わなくても友人関係は続けられると思っていたから。

冗談抜きで、私は長い付き合いの友達には、相手が興味を持たない限り、死ぬまで誰にも言うつもりがなかった。

だからコータロとそういう手の話は一度としてしたことがなかった。

こんなにスピリチュアルなことやオカルト的なことが人生に入ってきたのは、コータロに会ったその後1ヶ月ぐらい後からの話で、それまでは本当に隠せるぐらいのものでしかなかった。

今がオカルト度100とするなら、当時は10以下だった。

で、コータロに会ったのはそのオカルト度10以下の時が最後だった。

迷ってはいたけれど、一気に色んな人に連絡したり傍らでYさんの連絡先探しをしていたから、コータロのことは落ち着いてから考えよう…なんて思っていたら、さすがコータロ、facebookに1番に反応してくれた。

コータロは「いいね」だけじゃなく、きちんとコメントを残してくれた。

>盗用してやるー(笑)
>ところで武士さん元気ですか⁇

この一言を見て心が決まった。

わかってもらえなくてもいいや!って。

わかってもらえなくてもいいから、きちんと話そうって。

まるで言い訳のように見えるかと思うけれども、私がここまでこだわったのは、一言で言えば「これまでの関係性を失うのが怖かった」から。

本気で失いたくなかったから、だから最後までああでもないこうでもないと迷った。



コータロと初めて会ったのは、私がデング熱で入院していた病室でだった。

1回目のデング熱は本気で具合が悪くて、そんな時にコータロたちのグループがドミニカに到着したばかりで、病院のオリエンテーションを受けていたんだと思う。

日本人女性の健康管理員さんが私のところに来て「今さ新しい子たち来ているんだけど、ここに連れてきていい?」と聞かれた。

扉の向こうにいるのが丸わかりで、「嫌です」って言えるの?この状況で?と思って、「いいです」と答えた。

あれが入院何日目かは覚えてないけれど、シャワーも浴びていない、グッタリしている、色んな意味でひどい時に初めて会った。

ドミニカでは2年弱重なっていて、本当に色々と仲良くさせてもらった。

日本帰国後も会って、そしてコータロはあれよあれよという間に岐阜の飛騨牛産地の町へ結婚して婿に入った。

名古屋から3時間ほどの距離で、私は新婚当初からコータロ夫妻のところに遊びに行かせてもらっていた。

忘れもしない、たしか1回目か2回目の訪問時。

コータロが注文したギターが届いた。

奥さんのなっちゃんと3人でいいやつだね〜良い色だね〜とか言ってみんなで見て、そしてなっちゃんが一瞬席を外した瞬間、
「武士さん、これ本当は◯◯万円なんすよ!なつこには黙ってて下さいね!」
と言ってきた。

値段は忘れたけれど、なっちゃんに公表した値段の3倍ぐらいしてた 笑。

その後もコータロ夫妻とは本当に縁があって、2人の待望の第一子ご懐妊を調べるために妊娠検査薬を薬局に買いに行って、それですぐその場で調べて陽性反応が出た時も、なぜか私はその場にいた!

その子を連れ立って私の名古屋の極小アパートにも遊びに来てくれたし、その日はリーダーも来て3人でコータロが持ってきてくれたビール24缶全て飲み干した。

よく考えたら、なっちゃんと長女ちゃんとは下呂温泉だと思うけれど、一緒に日帰り温泉にも入った仲で、本当に家族ぐるみでお付き合いをさせてもらっていた。

2年前の夏、コータロが口にしたなっちゃんへの愛は、その後キャリアウーマンたちはじめ色んな女性たちに大人気だった。

コータロが言ったのはこんな風だった。

「年を取るとそして子ども産むと体のラインが崩れてくるじゃないですか?うちのなつこさんなんて本当にすごいんすよ!でも、それがまた良いんすよね〜。あの崩れたラインに色気を感じるんすよね!」

結婚式の席だったのか、他の時だったのか忘れたけれど、とにかくずっと下ネタオンパレードな時間の一貫で聞いた話だった。
(翌朝の爽やかな空気漂うローカル電車の車内でもコータロともう1人の友達すーさんは、私の目の前で札幌すすきの体験を話し出した( ̄∀ ̄;))。

その時もすごい素敵だなぁと思ったけれど、今度は東京でキャリアウーマンたちと集った時にその話をしたら、コータロ株は異常なほど上がっていた。

しかも3人とも医療従事者で、女としてもだけど職業人としてもコータロのその感性をべた褒めしていた。

これだけ色んなものを重ねてきたからこそ、私が怖かった。

超絶怪しいオカルト的なものは、ものすごく反応が分かれる。

ダメな人は昔の私みたいにどこまでもダメだし、今カミングアウトを始めてみてわかったのは平気な人もけっこういるということ。

ただ、そんな話、コータロとしたことがなかった。

個人的な話とか深い話はしたことはあっても、オカルトに関しては互いに興味もなかったから話に上ることさえなかった。

だから、コータロの反応は読めなさすぎた。

そして、誠意や仁義、誠実さ、人としてのあり方を本当に大事にする人だから、そしてそういうのを大事にできないのをとても嫌がるのも知っているから、それとオカルトは別物にしても、色々読めなさすぎた。

だけど、facebookにすぐ反応してくれて、それを見て心は決まった。



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武士さん…

スッゲーなげぇ💢

でもね、良く3人のこと表現されてますよね。
妬いちゃうくらいに(笑)

シオさん東京に転勤なんですね!
彼のフラットな物の見方は見習うべきものがあります。
一見素っ気なく思えても、実は思っている。
けれども、深くは入ってこない…絶妙な距離感が素晴らしく思いますね。

G男君はチャランポランに見せかけて、実はかなりクールな物の見方をしている方です。
本当の意味で頭の良い人ですよね。
二面性はあるのですが、裏面があまり表に出てこない所に、かれの凄さを感じます。

リーダーさんはナイーブなのに、他人を放って置けない。そんな優しさに溢れた方なんですよね。素晴らしい父親になるでしょうね!

そして、武士さん。

超絶怪しい事にハマって?いるようですが(笑)
やりたい事をやるのが、この世に生を受けた者の、幸せの形なのではないでしょうか?

自分が今やっている牛飼いも然り…半分趣味ですから。
一応の?天職にあり付けるのは、本当に一握りなんだと、ご自身のやっている事に誇りを持って下さいね。

自分は今の仕事、天職だと思ってますよ。

九州の三快男児のように😎

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コータロの言葉にものすごく勇気や元気をもらった。

コータロさすが!!!と思った。

コータロは本当に自分の仕事を誇りに思ってやっているし、そしてその中に楽しみもたくさん見出している。

初めて行った時、牛舎をはじめ色々紹介してくれたけれど、本当に自分の身の回りで楽しめることを存分に楽しんでいた。

牛舎近くに小川があって、そこに立ち止まって「ここで釣りもするんすよ!」と言っていたりとか、ちょっと行くとすぐヤブっぽい森みたくなるところで「ここは春になるとタラの芽がたくさん出ます。天ぷらにすると美味いんすよね!」と、本当に楽しいスポットをいくつも教えてくれた。

そんな綺麗事ばかりではもちろんなく、現実的に向き合わなきゃいけないことも色々あれば、命と日々関わる仕事ゆえの厳しさもすごく強い。

だけどそれをコータロは、目の前のことを1つ1つこなしながらやっている。

そして本気でその仕事に向き合っている人だからこそのエールだなぁと感じた。

本当にとっても嬉しい言葉だった。

今は自分が少し恥ずかしいと思っている。

私は自分のことばっかり心配していて、コータロの性格をきちんと見てなかったなぁと。

本当に凄い人間力がある人だということを見落とすぐらいに、自分の心配で頭がいっぱいだった。

でも、やりとりしたおかげで、コータロの人間性に改めて触れることができた。

コータロ株はまたここでも急上昇した。



この時はまだコータロとリーダーがコラボしたことは何も知らずにいた。

知ったのはその翌日、リーダーから『覚醒』のブログの返信が来た時だった。

コータロとリーダーのコラボの話を聞いて、「これは絶対に書いて外に出そう!」と決めたのと、これこそが『奇跡の果実』の最後を締めくくるにふさわしい話だとすぐに思った。

命の循環であったり、人と人との巡り合わせ・ご縁だったり、そうしたものが信じられない形でお互いに重なり合って新しい物語を生んでいる。

『奇跡の果実』そのものが人の死に関わった話が出発点だからこそ、絶対に避けては通れないテーマが横たわっている。

死の反対には「生」・「命」がある。

それをどこまでも表現したい、そう思った。



コータロとやりとりした翌日、リーダーからも返信が来た。

そもそもはコータロが書いてくれた九州男児たちの感想をリーダーに伝えたくて連絡をした。

コータロには、『⑧覚醒』以外に『九州男児たち』の話も送った。

その中でシオくんが私のしていることをとてもわかりやすく説明してくれているから、それで送った。

そうしたら、コータロから3人に対する素敵な感想が返ってきたから、だからリーダーにそれを転送したに過ぎなかった。

だから、「命の授業」の話の存在は、その時まで全く知らずにいた。


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コータロくんに送りたいものがあるのよ。そ内容はね、コータロくん(の仕事)について、授業で扱ったの。

生徒達がお礼の手紙を書いているの。
なんか、こういうの、良くない?

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私は何したのか気になって、何をしたのかリーダーに尋ねた。


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命をいただくっていう授業。
そういう絵本というか、道徳に使われる話があるの。
話では、リアリティないと思って。
ある女の子と、家族のように過ごした食肉用の牛との別れ、そしてその食肉用の牛を屠殺する仕事の男性の葛藤を描いた話。

コータロくんが、一生懸命働いていること、食卓に届くまでに沢山の人の手や心がかけられて届いているかを生徒達と一緒に考えたの。

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冒頭のYouTubeの動画が、リーダーが実際に授業で使った題材。

時間のある方は10分程度で終わるので、本当にこの話すべてに通じるものがあって言葉では言い表せない良さがあるから、良かったら見て下さい。

リーダーに今回の話、リーダーが書いてくれたことも含めてブログに使いたい旨を伝えて、了解を得ようとした。

その返信はここでは伏せるけれども、そのリーダーの返信について私が個人的に思ったことを今から紹介したい。



リーダーは、ブログに使うのは全然OKしてくれたけれど、1つだけあることを「伏せてくれるとありがたい」と書いていた。

その伏せる内容に対してリーダーがした配慮こそが本物の気遣いだと思った。

リーダーが希望した内容は、そこに関わる人たちへの配慮だった。

それはリーダーでなければ絶対に気付かないタイプの配慮で、それは特別扱いとか差別的態度とかではなく、本当にそのことに対して真摯に向き合う人の言葉だった。

そのまま出しちゃうと、その言葉から連想されるものによって「色眼鏡が入る」可能性をリーダーは言っていて、それを避けるためにある部分だけは伏せてくれるとありがたい、そう言った。

この上ない配慮で、すごく人に寄り添ってる、それも自分の今近くにいる大切な人たちに寄り添ってる、それを私はひしひしと感じた。

デリケートなことだからこそ、小さな配慮1つで余計な混乱を生まなくて良くなる、それをものすごく自然にでも毅然と言うリーダーがすごく良かった。

リーダーはずっとずっと変わらないなぁと感じた。

リーダーは専門は美術になる。

ある時、生徒たちにした授業の1つを、私にビールか焼酎を飲みながら紹介してくれた。

テーマは「好きな色」だった。

白い画用紙と絵の具を用意して、生徒たちには好きな色で塗ることを指示した。

ビールか焼酎を飲みながら、「こんな風に説明したんだよね」と言う。

「もし好きな色がわからなかったら、絵の具を1つずつ順番に出して、それを塗ってみたらいい。時には色と色を混ぜてもいいし、そのまま使ってもいい。
もしくは、隣りの子の色使いを見てそれを真似してもいい。
そうやって色んな色を試していく中で『自分これ好きだな〜』っていうのを見つけたらいいんだよ」

私はこのリーダーの話が好きでたまらない。

リーダーはあくまでも美術の授業の一環でその話をしたに過ぎない。

だけど、それは私たち大人にも使えるものだなぁと。

30代の中でも1番2番を争うぐらいに自分の人生に迷っている時に聞いたと思う。

話を聞いていて、自分も自分の好きとか自分の進みたい方向がわからなかったら、とりあえず色々試したり周りの人たちを見たらいい、それも1つの方法だなぁと思った。

リーダーはわからない子、できない子をそのままにしない。

わからないならわかる方法を、できないならできることを、そういうものを見つけて自信をつけさせる。

そういう細かいことにも普段から配慮しているから、だから今回私がブログに使うことに対しても、リーダーが私にお願いしてきたことは普段の配慮の延長線上にあると感じた。

見落としたって正直直接は誰も困らないと思う。

だけど、リーダーはもっと上の視点で物事を俯瞰して、その中で大切なことを守るために「これは配慮をしてもらえたらありがたい」ということを言ってきた。

自分と関わっている人たち・生徒たちをとても大切にしているんだなぁとわかった。



コータロと今回写真のやりとりをした時に、リーダーとのコラボの話になった。


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リーダーさんとの事は、コラボって程のものじゃないですよ。
ただ資料提供しただけで、なーんにもしてませんから😅

でも、生徒さんそれぞれが手紙を書いてくれて、皆さんの考えを読んで、何か込み上げてくるものがありました。

我々は消費者と顔を合わせる事が出来ないので、もっとお客様と繋がれたら嬉しいなぁと思った次第です。

こちらも手紙をしたためようと思っていたのですが、数日後に彼等は卒業すると書いてあったので、断念しました…ラインでもリーダーさんに送ればよかったなぁ…と、ちょっと心残りです😓

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リーダーはリーダーでこんな風に言っていた。


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実は、コータロくんからの資料提供は去年だったんだけど、その頃色々校内であって、やれなかったの。
でも、どうしてもやりたくて先月決行。
子どもたちなりに考えてたよ。


この題材自体は結構有名で、知ってはいたの。だけど以前、コータロくん家に行って見たこと聞いたことが、いつか社会の中で働く生徒たちとその生活と、自分と見つめ合うことにつながったの。だから、これを扱いたいなと。
しかも、コータロくんはまさしくビンゴな職業だし!

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コータロもリーダーもそれぞれがそれぞれの想いを持って日々仕事をしている。

コータロがどんな資料を提供したのか知らないけれど、その資料は間違いなくリアルなもので、それを見る子たちに響いたと思う。

「ただ資料提供しただけ」とかさらりとコータロは言っているけれど、冒頭の写真からもわかるように、コータロが日々積み重ねているものがそのまま表れたようなすごいメッセージ性の強い資料だったんじゃないかなと思う。

一朝一夕にはできないものを、惜しみなく提供しただろうコータロを思うと、ただただ尊敬の念が湧くばかり。

リーダーはリーダーで、それを生徒たちに伝えられるタイミングを見計らって、それでようやくその時を迎えたようだった。

「自分と見つめ合うことにつながった」と言ったリーダーのセンスが凄かった。

その場限りの授業じゃなく、いつか社会に出ていく子どもたちに対して伝えられるもの、これから先生きていく上でも大切なもの、そういうものをリーダーは授業を通して子どもたちが何か大切なものに気付くためのきっかけを作ったんだと思う。

リーダーのような人が先生なら、本当に子どもたちも生きていく上での新しい引き出しが増えただろうなぁと思う。

そして、この「命の授業」は今後もやるのかは知らないけれど、リーダーは今春異動になって、そして今年がおそらく担任をする最後の年になりそうだと言っていた。

とうとうずっと避けてた管理職でも目指すのかと思ったらそうではなく、全国探してもそんなこと専属でする人いるの?というものを目指したいとあった。

ピッタリだと思った。

と同時に、コータロとリーダーとがコラボした「命の授業」は、今回が一期一会、最初で最後の授業になった可能性も高い。

そんなピンポイントで私も連絡を双方と取り合ったわけで、この奇跡的なタイミングに心から感謝した。

リーダーは、私が2月に『⑧覚醒』を書いて渡した時にこんな風に感想をくれた。


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自分と向き合うって、言葉では簡単だけど、すごく苦しくて目を背けたくなるくらい難しいことだよね。
だからこそ、乗り越える価値があって、乗り越えるべき壁なのかもしれないなとぼんやり考えちゃう。
自己理解を深めることって、いくつになってもやってる自分がいる。きっと死ぬまで自己理解は続くんだろうね(^^)

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そして、私と数日違いで40歳になったリーダーに誕生日おめでとうメッセージを送ったらこんな風に返ってきた。


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なんかね、いろいろ考えたよ。
これからをどう生きるか。どう進んでいくか。
正解かどうかわからないけど、明日の自分がよかったと思える今日を過ごしていくってことにする。
お互い、やり残すことがない1日過ごしていこう!

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【最後に】

今回は、ものすごく長くなるのを最初から覚悟して書いた。

あえて、1つの文章として発表する気で最初からいた。

分けなかった理由は、ここに出てくる5人の人たちの話はそれぞれたしかに独立してはいるけれども、同時多発的に起こっていたから。

『奇跡の果実⑧覚醒』を発表した時に、ものすごい勢いで色んなことが色んな人たちの場所で起こっていることを知った。

27人に文章を送ったから27通りの返信をもらっている。

言葉を変えれば、27人分のある冬の日のある1日、それを知ることとなった。

そしてそこに至るまでの日々の積み重ねがそれぞれの人たちの言葉の向こうにあった。

誰一人として同じストーリーを持っていない。

本当に1人1人唯一無二のストーリーで、それがすごい壮大な物語を紡いでいた。

当初他の人たちの分も載せようかと思ったけれども、あまりにも量が膨大すぎる=長くなるから、的を絞った。

私が最後こだわったのは、これを読んだ誰かの心にやさしい空気が少しでも流れてくれたらいいなぁと、そしてその空気をまとってる話を選んだ。

今は本当に世の中が、ちょうど時代が入れ替わろうとしていて混沌としている。

「世知辛い」という言葉を何年か前に初めて知った時、まさに今を表す言葉だなぁと思った。

海外で合計6年暮らした私からすると、日本はすごい先進国でありながら、心は超ギリギリな線で保たれている国だと思う。

これからますます蓋をされてきたものは世に暴かれていくだろうし、世の風潮が大きく変わるというのはそれだけ混乱や不安、心配も呼び覚まされるわけで、その分が個人個人の人たちに痛みや生き辛さをもたらす可能性もすごく高い。

私は悲観してるのではなく、本当にそういう状況がどうしても目に浮かんでしまうから、それを自分の言葉で表現できることは、黙って知らぬふりではなく、言えそうなことは言葉を選びながら言いたいと思っている。

大変になることを言いたいのではなく、そうなっていく中で、個人レベルで気をつけて大切にできること、そんな混沌とした中にもきちんと存在しているやさしいもの、そういうのを表現したいんだと徐々にわかってきた。

もちろん、それを出せば出すほど、私とは反対意見の人も到底受け入れられない人もたくさん出てくると思う。

だけど、私はそんな中でも、人が持っている無限のやさしさに本気で可能性を感じているし、それこそがこれからの時代本当に生き抜いていくための一番の心のよりどころ、一番大事にされていく部分じゃないかと思っている。

ここに出てきた人たちは、ものすごい強い意志を持って「誰それにやさしくしよう!」とか「良いことをしよう!」なんて意気込んでいたのではないと思う。

普段の行い、普段よりちょっとだけハードル上げて勇気を出した行いの結果が、これだけのストーリーを運んで来てくれたと思っている。

みんなそれぞれの人たちは私も含めて、日常のことから人生の大きなことまで、幅広く悩みだったり何かする必要のあることだったりに囲まれている。

それぞれの人たちの愚痴や悩みを聞いたことあるし、すべて順風満帆です!!!イエーイ!!!みたいなのとは違う。

だけど、みんなそれぞれが一生懸命生きていて、その一生懸命の一部を私に教えてくれて、そしてこれだけの文章が今出来上がっている。

私は『⑧覚醒』を出す前までは、やっぱり自分のこのオカルト系の体質が嫌だったし、受け入れ難い気持ちもいっぱいことあった。

今も「私自分の資質を生かして生きていきます!100%そうします!」なんていう強い意志はない。

少しずつ向き合える量が増えてきた、それだけでも私には大進歩だったりする。

2月3月とまだまだ思わぬ言葉もやってきたけれども、それでも私が今これだけ自分に向き合えるようになったのは、上の人たちはじめ、色んな人たちからやさしさをもらったからだった。

自分のことを告白するというのは私にはすごく勇気のいることで、これからもまだ色々あるだろうなぁと思う。

だけど、あの『覚醒』の文章を外に向けて発信したことで、私は初めて本当の本当に心の底から自分の体質が良かったと思えた。

そうしたものを、これから死ぬまで付き合わなきゃいけない自分の体質を告白しても、それでもやさしさを向けてくれる人たち、本当の言葉をかけてくれる人たちがいると知って、それでようやく私も自分の居場所を作れるかもしれない…と思った。

『覚醒』を発信したことで得たものは、この自分の体質を持つことで得た、初めての本気で心を包み込んでもらえるようなものばかりだった。

この体質でなければ『覚醒』なんていう文章を書くこともなかったし、外に向けて発信することもなかった。

どの人たちも、やさしさだけじゃなくて、私に安心感とかエールとかいうものも一緒に送り届けてくれた。

私があえて今回、それぞれの人に聞き回って公開した理由は、それが誰の身にも起こりうることだと言いたかったから。

上から目線みたいな話でちょっと言うのに抵抗があるけれども、私は色んな人たちと話していく中で「そんなこと、ぶっしーが特別なんだよ」と言われるのが実はすごく悲しい。

死者の霊魂と繋がるとかいうならそりゃそんなの誰の身にも起こるとは言わないけれども、少なくともここに書いた話は誰もが色んな形で経験できるものだと私は本気で思っている。

ここに出てきた人たちが何も特別じゃなくて、みんなそれぞれそういう心を持っている、その可能性を私は感じている。

だから、生きにくい日本であっても、そしてこれからますます時代は過渡期を迎えて強烈極まりない流れに入っていくとは思うけれども、それでもやさしさは絶対に存在するし、それは1人1人の心にいつも存在していると私は思っている。

外側の出来事や人間関係然り、自分の内面然り、色々あるとやさしさも自分の強さやしなやかさもどこ行った?と私なんかはよくなるけれど、それでもなくなるなんてことはない。

自分が行方不明のように見える時は、周りを見て周りの人たちのやさしさに気付けたら「大丈夫!」と思う。

心が疲れたり弱ったりすると、色々見えなくなる。

私なんかしょっちゅうそうだからわかる。

だけど、そんな時でも奇跡は起こる。

人のやさしさもそこいら中に存在している。

やさしい世界があること、それこそが「奇跡」を体現したものだと思う。

どんなに世知辛い世の中でも、よーく目をこらすとやさしさが必ず存在している。

山で行方不明になったおじいちゃんが私に見せてくれた景色は、何も私の失敗だとか至らなさではなくて、人と人とが繋がって生きている姿と、そして1人1人の命の物語と、そして1人1人の中にあるやさしさと、そしてそのやさしさとやさしさが巡り合う一期一会、それはみんな「愛」と呼べるものだった。

おじいちゃんが伝えてきたのは、「“愛”ってこういうことだよ」っていうことだったと思う。

そして「愛」って言うと難しすぎるけれど、ここに書いた物語たちが「愛」というものの姿かたちを変えたものだと思う。

『奇跡の果実』という名前は別名『愛という名の果実』でもあると思う。


Love for you!
Love for us!
Love for all of us!

あなたに愛を!
私たちに愛を!
私たちすべてに愛を!



奇跡の果実【完】



『奇跡の果実』シリーズに個人的な話を出すことを快諾いただいた方々、この長い文章を読んでいただいた方々、本当にありがとうございました。
これにて『奇跡の果実』完了です。
本当にありがとうございました。

2019年 桜満開の頃
武士俣史子

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