2019年2月10日日曜日

奇跡の果実(12) 過去から続く現在地

『(11)Messages 』と (13)[タイトル未定]の間にこの記事を挟もうと思う。

(13)以降からは話が大きく変わるから、それを始める前に現時点で感じることを先に書いて、それから第2幕を始めたい。

これは今日2月7日現在に私がこの『奇跡の果実』を通じて感じること。
(※書き終えたら10日になった)

そうだ、ちょうど1ヶ月なんだと今気付いた。

1ヶ月前には全く想像もできないことが起こり続けている。

今もずっと毎日、時間単位、下手すると分単位で色んなことが起こる。

しかも色々見てきて思ったことは、一見悪いことや困ることであっても、その後に必ずプラスの意味が出てくる。

むしろ、マイナスでスタートすることが正解な時も多々ある。

スタート時は本気で最悪だから、「何で?」と思うしすごい気分悪くなったりもするけれど、それでもそうでなければいけなかった、というのがこの1ヶ月、あまりにも多すぎた。

そしてそういう件数を見れば見るほど、本当にこの世というのはすべてのことが寸分の狂いもなく起こっていることがよくわかる。

私なんか今ほとんど家にいるから(外出は週に1回程度)、体自体は自分の部屋の中にほとんどいる。

そう、私自身はほとんど動いていない。

私は動いてないのに、周りのことがどんどん動いていくのと、ネットという現代の力強い味方のおかげで遠く離れた人たちとも瞬時に繋がれる。

そうしたあれこれを通して、本当に色んなことが私の日常の中に入り込んでくる。

どこがはじまりなのか、何を以って『解決』とするのか、そういうことがどんどんわからなくなる時間ばかりを過ごしている。

その中で、今感じていることをここに書きたい。



まず、ペンジュラムの話をしたいと思う。

山で行方不明になったおじいちゃんのご家族から、人づてにペンジュラムで捜索の手伝いをして欲しいと言われて、実際にその手伝いをした11月の15日から、そしてその後の日曜日、私がペンジュラムで引っ張ってきた情報を元にご家族や関係者は捜索をしたけれども見つからなかったと言われたあの時から、ずーっとずっと引っかかっていることがある。

「ペンジュラムは間違えたのか?」

これは私がペンジュラムを過信してるとかじゃない。

単純に、私のペンジュラムの性質を見て、どうしても解せない謎に今もなお包まれている。

捜索の日もそうだったけれども、ペンジュラムは他のことたちは全部ピンポイントで当ててきている。

あの日外出していた私は、もう帰ろうとしていた。

帰ろうとしているのに、ペンジュラムは別のところで寄るところがあると言う。

買う物もないし、寄りたい店もなかった。

ペンジュラムは何を言ってるんだ?と思った。

思い当たる場所がなくて、私はiPhoneのマップを開いた。

マップの上にペンジュラムをかざして行く場所を特定することにした。

細かくは忘れたけれど、店にNO、室内もNO、じゃあ外は…、外はYES、公園とか広場はYESとかそんな風にして、それでマップからそういう場所をいくつか特定して、ペンジュラムは1つの公園を指した。

私はそこに移動した。

日曜の午後、家族連れか小学生の友達グループしかいない、しかも道挟んで向かいには有名なパン屋、お一人様には何一つ魅力的なものはなかった。

ペンジュラム何言ってるの?と思った。

私にここで何しろ?と。

駐車スペースに停めてしばらくそこにいたけれど、もう何もすることもなければ疲れていた私はすぐに帰りたくなった。

15:50頃着いたけれど、私はもう4時になったら帰るよと思って、それにはペンジュラムも即YESを出してきた。

本当に何しに来たんだ?と思って、時計は4時になろうとしてた。

帰る気満々で車の助手席側の窓を見たら、虹みたいなのが見える。

ビックリして、私は外に見に行った。

それは私が人生で見た彩雲の中で一番大きなもので、さらにピンクとか水色とか黄色とか一色じゃなくて、それこそ虹色だった。

本当に驚いた。

しかも、時間といい、場所といい、もうドンピシャだった。

それを見ておじいちゃんが見つかったのかも!と期待したけれども、その後夜に見つからなかったと連絡を受けた。

とてもガックリした。

しばらく本気でショックで塞ぎ込んだ。

あの時に思った。

彩雲とか他のことたちもこれ以上ないぐらいにペンジュラムは当てている。

それ全部外してもいいから、おじいちゃんを見つけて!って。

それ以外が全部合ってきているのに、何でそれだけが合わないのか、すごい納得できなかった。

その後も今度はご家族から直接現地の山に連れて行ってもらって、そこでもペンジュラムで見たけれども、やっぱり同じところにしか反応が出なかった。
(同じところと言っても、場所は広範囲)

もうなんなんだろう?とあの時からずっと思っている。

私のペンジュラムは、基本的に2つしか意図がない。

1つは、彩雲の時みたいに、その時々の必要に合わせてドンピシャの答えを見せてくれること。

迷子になればパーフェクトにカーナビもしてくれるし、探し物の場所に導いてくれたり、セールの時間ピッタリにその店に案内してくれたり。

とにかくすごい当たっている。

反対に、わざと外すこともある。

わざと外す時は、外すことで次に繋がる大切な出来事に向けてタイミングを合わせてくれてる。

これが車の運転中とかだと、行き止まりの道とかも平気で案内される。

これはぱっと見、ペンジュラムが道を外したように見える。

でもそうじゃない。

ペンジュラムは外してなくて、表面上は道を間違えた風に見せかけて実際は時間稼ぎを私にさせて、その後に起こる大事なことに私が居合わせられるようピッタリなタイミングを調整してくれてる。

そういう不思議なことをしてくれるペンジュラムだから、私は今回のおじいちゃんの件もやっぱり何か違う意図を感じて仕方なかった。

それは今でもそう思っているし、外したなら外したでもっと別の意味があるから、私はそれに関しては答えを見つけていかなきゃいけないと思っている。

現時点でペンジュラムが外したことでわかったことをここで2つ紹介。

まず1つ目は、これは絶対に外してもらわなければ気付けなかったという意味で、自分も人も「適材適所」があるということ。

私は基本的にこれまでの使い方で、おおよそ合っていると思う。

ただし、今回のように「死」が関わっていて、そこにまつわる霊視が必要であれば、もう私はそこに携わる人間ではない。

私ができるのは、適任者を紹介することだけ。

それ以上のことはできない。

ペンジュラムは霊視とは全く違うし、そして私に関して言えば全く霊感も霊視力もない。

反対に、もし成功してたらどうなっていたのかな…と想像するとわかる。

私は自分の性格だから容易に想像できる( ̄Д ̄;)

「自分はできる!」とか「ペンジュラムで解決できる!」とかいう感じで勘違いしたまま、畑違いの仕事に手を出し続けただろう自分を( ̄ཀ ̄;;)( ̄ཀ ̄;;)( ̄ཀ ̄;;)。

そんな風にならなくて本当に良かった!

そして、それは反対の側面も結果的に私に見せてくれることになった。

それは、その面ではない=自分の適正は別のところにある、ということ。

もう1つ、私が考えるペンジュラムが外した理由、それはみんなにとってそれがベストだから。

もちろん見つかるのが一番だし、それはおじいちゃんもご家族も強く望んでいる。

私だってもちろん望んでいるし、それが一番だと思う。

だけど、それを超えたところにもっと大きな大きな意図がある場合、そしてそれが1人ではなく色んな人たちの魂としての成長のテーマも絡んでいるなら、おそらく今の状態がベストなんだと思う。

私も最初は理解できなかったスピリチュアリズムの考え方の1つ
「この世の常識はあの世の非常識
あの世の常識はこの世の非常識」
というもの。

だから、この世的には、おじいちゃんの体がきちんと見つかってご家族の元に戻るのが一番良い。

それはどう考えたってそれが一番。

だけど、あの世的、この場合は宇宙とか集合無意識とかいう側面において、もっと別のところに重きがあれば、今の状況が生み出されているのも何か意味があってのことだと思う。

少なくとも、何の利益もないのにこんな悲惨な状況が続く、というのは考えにくい。

そして、私がこの数ヶ月見てきた風景、9月の終わりに東京でiPhoneの画面がものすごい変な感じで割れたあの日から今に至るまで、本当に色んな人たちのドラマがあったし、そしてそれぞれの人たちに色んなメッセージが送られている。
(Oさんがおじいちゃんと霊視でやりとりした結果、私のiPhoneはおじいちゃんが死ぬその時か死んですぐに私に送ってきたサインだった)

それが一見良くないことに見えても、その裏側に優しいエネルギーや別の真実が含まれていたりする。

それに気付けるかどうかは、私も含めて個人のセンス次第だと思う。

そうした、人間1人1人の意識や意志を超えたところに、今回の一連のことは意図があるように思えてならない。



1ヶ月前の1月7日、おじいちゃんが初めてOさんと私の前に現れた日の音声をさっき聞いた。

私は今聞くと、本当に涙が出てくる。

当時の自分をギュッとしたくなる。

普通にこうしてブログにあったことを書いているけれども、渦中は自分に翻弄されることも多々あるし、迷うことも悩むこともたくさんあるし、すごい大きなことなのに自分1人で判断しなきゃいけないこともある。

これまでの人生から学んだことがしっかりと身についているか、天とかそういう見えない世界の存在たちからテストされてるみたいだとさえ思う。

しかも、ある意味失敗は許されない。

生きているうちは何度でもやり直しがきくとは言うけれど、私がこの1ヶ月対峙したものは基本的にチャンスは1回きりのものばかりだった。

もし失敗したら、次はない、そういうものの連続だった。

途中から私は、自分の中で色んなことが変わっていった。

感覚が麻痺しただけなのかもしれないけれど、私が途中から心掛けたことは「自分が納得できる形でやりきる」それだけだった。

先行き不透明だし、色々考えだすと動けなくなるようなことも実際はたくさんあった。

そうした時に「とにかくやりきる。精一杯やっても相手に伝わらなかったら、それは仕方ない」そう思ってやっていた。

誤解も生まれる可能性だってあったし、自分がやってることが本当に良いのかどうかもわからなかった。

だけど、「私の判断」で決めたことなら、それが自分が考えられる一番良いことで、そしてそれができるすべてなんだと思ってやっていた。



[当時の音声より]

(おじいちゃんの意図で私のiPhoneの画面が割られたと知って)

「Oさんの携帯を割ってくれたら良かったのに…笑、そういう問題じゃない、みたいな…笑」

「そういう問題じゃない!って」

「私のを割らないと、Oさんに繋がりたくても繋がっていけないんですよね!そういうことですよね?おじいちゃんにそうか聞いてください!」

「うん、みたいですね(苦笑)」

「そうですよね!私多分おとりじゃないけれど、最初にメッセージをキャッチする係で、でも私じゃ当然役不足なので次に…(話し続けようとする)」

「すみません、いいですか?」

「何でしょう?」

「『だって、おめえは本物としか繋がれねぇんだろ!本物しか連れて来れねぇんだろ!』っておじいちゃん言ってます」

「それは嬉しいですね!
それなら私はこれからは自分のする色んなことに信用を置いてやれる気がします。
だって本物としか繋がれないって言われたんで!」

(中略)

「自分じゃ役立たずだって、やる前からわかってたでしょ?って」

「あーーー」

「だから誰かに頼りたかったと思ってたんでしょ?って」

「あーーー」

「いるじゃん!って、何で連れて来ねえんだよ?って」

「でも、役立たずってわかってても、こんなこと他の人にお願いできないでしょ!」

(中略)

「じゃあこれ私最初からOさんに頼んだら良かったんですか?」

「そういうわけじゃないみたいなんですけど」

「でも私はこのおじいちゃんに少なくとも感謝はしてるんですよ!」

「あ、そうなんですね」

「なぜかって言うと、この人が来ないことには今私がやっていること(人の人生にガチで関わること)はやってないですからね、100%!
この人が来たことで、ペンジュラムを使って頼まれた事をやったわけじゃないですか。でも失敗したわけじゃないですか、見つけられてないんで。
見つけられなかったけれども、それでも真面目にやろうと思ったんですよ、私。もうこういうのを必要とする人たちがいて、私が間違えようが何か言われようが、やらなきゃいけないことはやらなきゃいけないって、やっと腹が決まったんでね」

「なんか、その心意気が大事らしいっすよね」

「それは誰が言ってるんですか?Oさんですか?」

「いや、それはおじいちゃんですね」

「そういう意味では見つからなくて正解だったし、こうやってOさんと繋がるならそれもそれで正解だし、ただ最初からOさんに頼んじゃいけなかったんだと思います、真面目に!」

「おめえ、わかってんな!って」

「だってOさんに頼む方がはっきり言って楽だったんで」

「ちょっといいですか(くすくす笑い)?」

「え?何ですか?」

「おめえよくわかってんな!おめえ1回死んでんの?って」

「死んでねえわ!」



1年前、2018年の春先から、じわりじわりと自分の人生の流れみたいなのが見えるようになってきた。

それは最初は小さなピースから始まった。

「心の傷を癒すエキスパート」が最初に自分の内側から出てきた言葉だった。

その後も「(私の)カルマを浄化する」だの、「自分の痛みの中に入っていく」だの、不思議な言葉が続いた。←これらは周りの人たちから言われた言葉。

夏で日傘を差しながら東京都内を闊歩してた頃が懐かしい。

占星術の講座の先生からは、人の生と死に関わることを生涯に渡ってしていくようなことを言われた。

しかもそれは自らやると言うより、周りからお願いされてやっていく、そういうタイプの仕事だとも言われた。

その師匠にあたる大先生から個人鑑定を受けた時も、スピリチュアルな能力を継承しているから、それを今後の人生で使わないことはないこと、やらなければいけないこと、それはやりたいやりたくないに関係なくやっていかなきゃいけないこと、そんな風に説明された。

さすがにもうその頃の私は、3人の人たちから何かしらのスピリチュアルなことに携わると指摘を受けて(実際は5人)、やらないわけにはいかないという自覚が本当に1%程度は芽生えたものの、まだまだ逃げたかった。

逃げれるものなら逃げたかった。

そんなにも重たいことはしたくなかったし、しかもその手のことは相手いかんによってずいぶんと結果が変わることも知っているから、そんなところにあえて足を踏み込むなんて嫌だった。

ざっくり言うと、相手が「自分自身のことは何でも引き受ける」という覚悟が絶対に必要なのと(←そもそもここまで到達するのが大変)、さらに関わって相手も私も全力を尽くしても駄目なものは駄目で、望む結果が手に入らないことも往々にしてある。

望む結果が手に入らないのは、それは努力が足りないとか気持ちが足りないとかじゃなくて、どんな手を尽くしてもそうなってはいけない時、魂の道として別の絶対的なものがある時、そうした時はそちらが優先される。

それは往々にして、すごい冷たい冷酷な現実を突きつけられたりもする。

自分の人生を見てたらわかるし、そこに至るプロセスが本当に強烈なのもわかるから、私はそんなのと関わるのは本気で嫌だった。

自分でさえも365日毎日逃げ出したい現実なのに、何を積極的に他人のそういう部分に関わらなきゃいけないのか意味がわからなかった。

しかも私はその怪しいものの代表みたいなスピリチュアルなことを大々的に出していくことにもまだ思いっきり抵抗していた。

10月31日にOさんから、私の魂から来ているメッセージがあれば教えてくださいとお願いして、書いてもらったもの。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

ただ進みなさい、なぜ歩まないのですか?
何故振り返るのですか?
あなたは何を迷っているのですか?

私が来たことをどのようにとらえていますか?
自分の判断で進んでいると思いますか?

あなたはここにいる、それが全てです。
感じなさい、心を見なさい
見つめなさい、今を見つめなさい

あなたの中から湧き上がる全てを認め、愛しなさい
それがあなたに与える全てだ。

あなたはまだ認めていない
これからもっと認めなくてはいけない
それなのに、あなたは逃げる。
まだ逃げても良いと思っている。

立ち止まるな、進め
何の為に生きている
何の為に生まれてきた?

私はあなたの中にある者
そのまま、その言葉を表現します。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

これを初めて見た時に、上手く言えないけれど、「わかった」みたいな感覚があった。

英語の感覚で言うなら、I understand の方じゃなくて、I know の方。

頭で理解してるのではなく、感覚的に「知ってる」みたいな感じだった。

だけど、その後も私はグダグダとしていたし、まだまだ逃げたい願望も強かった。

もういよいよ逃げられないとわかっていても、やりたいことじゃないから抵抗はめちゃくちゃ出る。

世の中の引き寄せとか適当なスピリチュアルなことを緩く楽しくやってる人たちが本気で羨ましかった。

もしくは、そういう世界に関係ないところで生きている専業主婦の人とか子育て中のお母さんが羨ましかった。

何で私はこの道なのか、全然受け入れられなかった。

しかもまだこの時は私の目には「まだ何も始まっていないし、自分も始めていない」=「逃げられる」とか「やらなきゃ違う道に行ける」と超本気で思ってた。

なんて時に、山で遭難した人をペンジュラムで探して欲しいと依頼を受けた。

それはOさんから上の文章を書いてもらってから2週間後のことだった。

9月に頼まれていたけれど、iPhoneの画面が割れたことで機種変を余儀なくされた私は、9月に最初依頼を受けた時はそのメッセージに気付かなかった。

11月にその依頼を私に打診してきた人に個人的に用事があって連絡しようとした時に、その捜索依頼のメッセージを見つけた。

もう見つかっただろうと思ったのと、その時はそもそも気付かなくて大変申し訳なかったと謝りつつ、私はそれで終わるもんだと思ってた。

そうしたらまさかのまだ捜索中で、もしかしたらご家族の方はまた改めてお願いしたいかもしれないので、連絡を取ってまた何かあれば史子さんに連絡しますと言われた。

この時のことを覚えてる。

さすがに内容が内容だったから、私は自分が関わっていいのかもわからなかったし、そしてものすごいタイミングで私の携帯が壊れたことで間が1ヶ月以上空いた=私は関わってはいけない案件なんじゃないかというのも思った。

私が関わる必要があることなら、この1ヶ月を待たずに何かしらの手段でお知らせが来ても良かったのに、それがなかった。

だから、私はペンジュラムを持ってる友達に協力してもらって、私が関わるかどうかを見てもらった。

質問は言わずに番号だけ言って、そして様子を見た。

自分の答えと彼女の答えとが見事に合致した。

・私からは積極的に関わらない
・けれども相手側からの要請があったら動く

ここだけはやっと線が決まった。←けっこう数日悩んだと記憶している。

それで、間に入ってた人からその後2日後ぐらいに連絡が来て、ご家族の方はまだ依頼したいと考えていること、私と連絡を取りたいことを告げられた。

火曜日にその方と私でやりとりして、水曜日にはご家族のAさんから直接私に連絡が来た。

夕方だったと思う。

そして翌日木曜日の午前中からAさんと私は待ち合わせて会うことになった。

その短い時間で、ヒーラーのOさんと名古屋でお世話になったSさんに連絡を取って、個人的に専門的なアドバイスをあれこれもらった。

事が事だったから、私1人で全てを進めるのはさすがに危ない感じがしたから、客観的な立場の人たちで感情を挟まずに専門的な観点から物事を伝えてくれる人、そういう人たちからの力も必要だった。

Sさんに電話の最後、
「ぶっしーちゃん、どんなやり方でもぶっしーちゃんのやり方で絶対に大丈夫だからね!
ぶっしーちゃんのやり方でいいんだからね!」
と言ってもらえた。

めちゃくちゃ心強かった。

そして最後に「今回のことが、絶対に物事を動かす突破口になるから。絶対に何か動くよ!」と言われた。

そうやって迎えた当日だった。

今思うと、私は本当に人に恵まれていた。

そうやって私を助けてくれる人たちがいた。

そして、その時に何よりも私が救われたのは、ご家族のAさんの人柄だった。

私はものすごい緊張して行ったわけで、私でいいんだろうか?という思いも当然あったし、私がそれをしてもいいのか、そもそも私に頼ってご家族は違和感がないんだろうかとか、まぁネガティブなことは山ほど考えた。

Aさんは、私がこうした世界に足を踏み入れる最初の人として登場してくれたとしか思えなかった。

Aさんは、スピリチュアルなことには基本興味がない。

人から誘われればセミナーに参加したりはするらしいけれども、本当に何も感じないしそういう世界のこともよくわからないから、ということで自ら足を踏み入れることはしないと自分で言っていた。

そういう人に私はいきなり最初当たったわけで、それは本来ならものすごくハードルが高いものなのに、おじいちゃんが行方不明のおかげでハードルは下がってくれた。

おじいちゃんが行方不明のままなのは何も良いことではなかったけれども、それさえもこの後の色んなことを助けて私に教えてくれる、中核を担う大切な要素だった。

今、類語辞書Weblio先生に聞いたら、要素とは
【全体の構成の一部であり本質に関与している部分】
と出ていた。

おじいちゃんの存在はまさにその定義通りになっていて、そのおかげで私はとてつもなく沢山の助けを手にしている。

そしてそもそも私も普段はごくごく一般の人なわけで、ペンジュラムのことはとりあえず置いて、普通に話せばいいんだとわかった。

Aさんは私を特別視せずに、あくまでも「武士俣史子」という1人の人間と接してくれてるのが本当に嬉しかった。

もちろん、そんな事がなければ出会うこともお互いになかったわけではあったけれども、そして一番の目的はペンジュラムでおじいちゃんの居場所を特定することではあったけれども、本当に普通に人と会ってくれている感じが私を安心させてくれた。

そしてその日1日だけでも、たくさんのシンクロとペンジュラムに力を貸してくれそうな人からの祈りみたいなのを私は受け取った。

祈りは私の勘違いかもしれなかったけれども、それでもこれ以上ないタイミングでそのサインはやってきた。

今だからわかる。

本当はすっごい怖かったこと、誰かに頼りたかったこと、誰かに代わって欲しかったこと、自分のペンジュラムは信じているけれども本当にいけるかどうかはわからなかったこと…。

だけど、やるしかなかった。

相手の方たちが困っていることも知っていたから、それを知っていてそして頼まれているのに、「私は自信がないしやっていいかもわからないので何もしません」なんて言えなかった。

本当にいけるかどうかはわからなくても、少なくとも私はペンジュラムを使えるわけで使い方も質問の仕方も知っていて、それでやりません、とは言えなかった。

それはやってはいけないこと、ペンジュラムを持っている身としてやってはいけないことだと思った。

だから、私が最初からOさんに頼まず、まずは自分がその頼まれたことに対して、当時の自分でやれることをやりきった、という意味ではそれが正解な気がした。

そして、その時から私は気付いてた。

自分が役立たずというか、多分自分でやれるかと言ったら、ゼロではないにしても、フィフティフィフティだということを。

それよりも私が他の人を頼らなかった当時の一番の理由は、そもそも私にお願いすること自体、ご家族にとって本当にリスクを伴うものだろうことと(相手からしたら、いくら信用している人からの紹介と言えども、私がどこの誰かなんてのは一切知らなかったわけだから)、そんな誰かも知らない私がまたいきなり新しい人を紹介するというのもどうかと思った。

というより、そんなこと、それこそリスクが高すぎて、誰かに振ることも当時の私は考えられなかったし、色んな理由で私がまずはやれることをやるのがベストだと思った。

ちなみにその時は、私はOさんが死者の方と通信できるというのは知らなかったし(知ったのはおじいちゃんが出てきた今年の1月7日)、そして仮に知っていたとしても今度はOさんを東京から呼ぶとなったらお金のこととかどうするの?という疑問も残ったと思う。

私は完全にボランティアでする予定でいたからいいものの、他の人たちがどういうスタンスか、もっと言えば専門的な力を借りるわけでそれに対しての対価をどう考えるのかも知らなくて、そんな時にガツガツと自分から働きかけることはできなかった。

色んな要素を加味した上で、まずは私が1回は関わるで本当に正解だったと思う。

そして、失敗もしたけれども、おじいちゃんの件に関わることになって、私は本当の本当に覚悟が決まった。

もう逃げられないこともわかったし、やらずに一生を終えることもできないのはわかった。

やりたいかやりたくないかで判断するのではなく、やるかやらないか、もっと言うと私には「やらない」選択肢がそもそもないんだと気付かされた。

看板も出してない、宣伝もしていない、当然やってないからメニューがあるわけでもない。

何にも出してない状態の時に、いきなり人の生死が関わる超絶ヘビーなケースがやってきて、そんなことになってるのに「やらない」選択肢はなかった。

私は今でも思う。

これがもっと別の内容で生き方全般の何かで多少重たいものだったのなら、私はそれっきりにして、また自分の人生から逃げる道を模索した、そう思う。

医療職でもない私が生死に関わることをするって何だろう?と思っていた。

こんな風に来るなんて想像すらできず、そして来たら最後これが「はじまりの合図」なのは、いくら逃げたかった私でも否が応でもわかった。

だから、おじいちゃんは私側の人生だけを見ると、私が自分の人生に向き合えるように、自分の道を歩くと決められるように、そのためにやってきたとしか思えなかった。

そして時期も良かった。

私の中でペンジュラムを他人のためにも使える、ということがわかって半年以上経過していたことと、自分でもペンジュラムと共同作業できるだけの術もレベルアップしていた。

そして当時も、地図からの特定だけではなく、細かな他の情報で引っ張ってこれるものは、色々質問して引っ張ってきて、さらにその引っ張ってきた情報も全て渡した。

間違っているかもしれないけれど、合っている可能性だってゼロとは言い切れない。

それならその可能性に賭ける他なかった。

だから、私は他の人を頼る前に自分がペンジュラムを使ってやれることは全てやり尽くした。

やり尽くしてもダメだったから、もう仕方ない、そう思っていた。

それから約1ヶ月半後、Oさんとの電話中におじいちゃんが出てきて、そしてそれをご家族に伝えてOさんとご家族を繋げて今に至る。

ご家族のAさんに会う直前にOさんとやりとりした最後の方の音声で私は口にしていた。

「『面倒だからもう止めた!』と言って止める選択肢もある中で、止めることじゃなくて続けることを私は選択してるじゃないですか。しかも無償で。
何の得もない、リスクもある中でやるわけで、何か(自分たち人間が普通に考えてることとは)違うことなんだろうなぁって。

ちなみにもっと前なら、私これ絶対にやらないですからね!
Oさんに初めて会った最初の頃(2018年6月)とかメッセージを書いてもらった時(10月末)とかは全く受け入れる気がなかったんでね。
何でこんなことしなきゃいけないんだと思ってましたからね、私は。

なので、私にとってもたくさん準備があっての今なんで、今いきなりここには来れないんですよ、私自身が。

知識ないと無理だし、こんな訳の分からない霊界だとか死んだ後の何だとか、何でそんなこと知ってるんだ?みたいな。
しかもヒーラーでも何でもないのにまじめに何で知ってるんだ?って」

そう、私はAさんに会う直前に気付いていた。

今いきなりここには来れないこと。

そこに行くまでに10年近いスパンをかけて、それができるぐらいの専門知識も技術も実践も積み重ねなければ、絶対に到達できないポイントだということを。

だからある意味、人生のテストだったんだと思う。

そこから先の人生はこれまでとは生きる分野が変わるから、その分野に入れるだけのものをあなたはきちんと積み重ねて自分のものにしてきましたか?次に行く準備は整っていますか?本当にそれをするのに相応しい人物になりましたか?

そんな風に聞かれてる気がした。

「はい!」と堂々と返事できないにしても、少なくとも私はそこに至るまでの自分なりの努力や頑張り、準備に関してはやったと自負している。

十分かどうかはさておいても、仮に合格できるのが80点とするなら、80点取れるものはやり続けた、そう思っている。



私はこの『奇跡の果実』シリーズを書いている途中から、世界に1つしかない木のテーブルの上にメキシコの伝統刺繍が施されたランチョンマットのような布を敷き、その上に自分のお気に入りのものたちをのせて、まるで儀式をするかのごとく祭壇みたいにして、それを眺めながら書いている。

そこにまだ持ち主の元へ旅立っていないオルゴナイト(その人その人に合わせたお守りのようなもの)も置いてある。

そのオルゴナイトに初めて出逢った日のことをとてもよく憶えている。

ちょうど今から1年ほど前になる。

それと自分の分含めて37個のオルゴナイトが私の元から旅立った。

自分の分はすぐにこれ!とわかったけれども、それ以外の人の分は全くわからない人が9割、ごく一部の人の分だけ「これかな…?」という感触だった。

そんな中、その人の分だけは「これだ!」と見た瞬間すぐにわかった。

本人に渡る予定すら立たないくせして家に連れて帰ってきた。

その後、渡す予定もないのに、今度私は、本人の手に渡ったのなら持ち歩けるように、神戸で出会った北欧製の毛糸で小さな巾着袋を編んだ。

出来上がってさぁその袋に入れてどこかに大切に保管しよう!と思ってオルゴナイトを巾着の中に入れた。

良いだろう!と自信満々でペンジュラムに「これでいいでしょ♪」と聞くと、いきなりスーパーNOが出てきてビックリした。

何かの間違いかと思った。

ペンジュラムが間違えたのかと思って(←自分を疑わないところが毎回ヒドイ(  ̄Д ̄;))、何回も聞くけれど、毎回スーパーNOが出続けた。

その後色々質問を重ねて、それでようやくそのオルゴナイトがどのように保管されたいのか、その方法を突き止めた。

そう、それが1年前の39歳の誕生日を迎えた直後に初めて覚えた「物の声を聞く」ことだった。

物たちも声を持っているし、人間でいうところの気持ちも持っている。

それを初めて教えてくれたのがそのオルゴナイトだった。

しかもそのオルゴナイトともう1つ、私が勝手にお守りのように仕立てたその持ち主の名刺、その2つだけは並々ならぬ扱われ方に関して強い希望を持っていて、私はそれだけはその通りにしている。

私個人の持ち物に関しては持ち主に似たのか、基本的に細かな希望は何も言ってこない。

雑にさえ扱わなければ何でもいい、そういうスタンスのよう。

ところが、そのオルゴナイトと名刺調のお守りは、ものすごく細かなリクエストが多い。

特にオルゴナイトについては、置かれる場所をはじめ置かれ方に関しても細かなきまりみたいなのが色々ある。

置かれる時の下に敷くものも指定(←指定されたもの以外は基本全部NO((((;゚Д゚))))))))、置かれる時もそのすぐ隣りに何を置くかという指定もある。

家にいる時と外出時とでは、これまた希望が違う。

そんな訳の分からない対話を通して←もはや人間の私より物のオルゴナイトの方が上みたいになっていて色々おかしい( ̄∀ ̄;)、そこからまた私の感性も広げてもらって、そしてやっとこさ今なんだと思うと感慨深い。

本当に人にも物にも支えられて教えられての今の私なんだとつくづく思う。

自分1人の力では到底辿り着けなかった今であって、そしてこれから先も私は色んな人たちの助けや知恵を借りながら生きていくと思う。←頼る気満々٩( ๑・̑◡・̑๑ )و

今はまだ『奇跡の果実』シリーズではご家族のAさんに会ったところまでしか話をしていないけれども、実はその後から今に至るまでも他のことでまた1つ2つと乗り越えないといけないことがあった。

とりあえずそれらも一通り山を越えて、そして今にある。

1つだけはっきりとわかることは、どんな時も私の場合は「人」だということ。

どんな時もどんな場面も私は常に人に助けられている。

そして人との繋がりの中で生きている。

そのことを今回のおじいちゃんの一件でたくさん教わった。

次回から後半戦となる第2幕開始。

そこで私はもっともっと「人との繋がり」や「人」について知っていくことになる。

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