(但し書き)
(11)は『⑦未来から過去へ』の続編になります。
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おじいちゃん(死者の魂)と繋がった話をするためにご家族のAさんと会った時に気付かされた私の体質・資質や大切な気付きについての話。
ヒーラーでおじいちゃんの霊視担当のOさんと事前に話して、Oさんがおじいちゃんに初めて気付いた時の様子が音声で録ってあるから、Aさんから希望があればその場でその部分の音声を聞いてもらおうということになった。
Aさんに音声聞きませんか?と勧めてみたら、「ダメダメー!私ダメなのよ、そういう怖いの!聞かなくて大丈夫!史子さんが説明してくれたらいいから、私は聞くのはいいわ!」と言われた。
私はこの時になって初めて、自分が変わり種側の性質を帯びていることに気付いた。
そうだ、この一連のことがあってから、私はただの一度も「怖い」と思ったことがなかった。
ある意味Aさんの反応がとても羨ましく、私もそういうの怖がり女子とかのフリしたらいいのかな?と思った( ̄∀ ̄)。
Oさんにも言われたけれども、私は男性的なエネルギーが強くて反対にOさんの方が女性的なエネルギーが強いから、時々性差が逆転してるみたいだと。
言い訳などできないのが不憫でならない。
か弱い女を目指すこともしないけれども、せめて私は自分が心許せる男の人にはその異常なほど平気な自分の方ではない自分をきちんと見て欲しいと思う。
それはそうと、私はおじいちゃん登場の時に平気だった自分に気付いて、「あ!これも資質の1つなんだ」と気付かされた。
もし私がそうしたこと全般全てがダメだったとするなら、今回の流れを実際に体験したようには絶対に体験できなかった。
苦手なら多分最初から拒絶して、今回の件には一切携わらなかったと思う。
そういうことが平気かどうかなんてこれまで考えたこともなかったし、ましてやそんなのが資質の1つに数えられるなんて想像さえしたこともなかったけれども、今回の場合で言えば必要不可欠な条件だった。
私はそもそも死後の世界や霊的世界にはあまり興味がないから、そうしたものを積極的に学んだことはこれまで一度もない。
じゃあ何で知っているかと言うと、全く別の勉強会から入って行ったにも関わらず、結局そういう内容に行き着いたからだった。
ちなみに、私はOさんのように霊的世界の通訳ができる人は、Oさんが人生で2人目だった。
最初の方には、多分4〜5年前に初めてお会いした。
ちなみに私の入口は、言うのも恥ずかしいけれども、「首の痛み」だった。
誰も「首の痛み」が「霊的世界の知識」に繋がるなんて思わない。
当時私は、記憶も曖昧だけど、とにかく首が寝違えたかのように痛くて、それがずっと続いていた。
基本的に健康な私にとって、どこそこの痛みが長期化するというのは珍しい。
1週間位なら多分そのままにしたと思うけれども、それ以上だったんだろうなぁと思う。
それをきっかけに、首の痛みの意味を知りたくて、ネットサーフィンに励んで、その霊能的な人のブログに行き着いた。
(この方の職業名はこの時点ではよくわからなかった)
内容がものすごく良くて、それでいくつか読んでいるうちに、愛知県内でも勉強会をされる方だと知って、名古屋から電車で20分30分位の町に行って、その人の勉強会に参加したのが最初だった。(その方は沖縄在住)
その勉強会で、急遽その方は霊視をみんなの前ですることになった。
その時の霊視ははっきり言ってイレギュラーだったらしく、たまたま参加者の1人の方が自分の亡くなった母の遺言を説明して、それについて質問したから、その方は霊界と繋がってそこからメッセージを下ろしてきた。
その質問に対して、その方は「これから霊的世界と繋がって、そこからメッセージがどう来るかを見たいと思います。普段はこんなことを勉強会の場ではしないですが、今回のケースは必要だと感じるのと、またその内容に関してもここにいる他の方々にとっても意味のあるものだと思われるので、あえて霊的世界に問いかけたいと思います」というような説明があった。
視えない・感じない代表の私みたいな人間からすると、目の前で霊的世界と繋がっている時のその方の状態を見ても、それが普段とどう違うのかは全くわからなかった。
静かにして待機している、そしてわかったら私たち参加者にそこから来た内容を私たちにわかる言葉で伝える、言葉にするとそれだけだった。
しかもその方の表情は何も変わらない。
ただ静かに口を閉じてる風にしか見えない。
だからその方が霊視している時、30人も入ればいっぱいになりそうな小さな公民館みたいな会場内は、シーンと静まり返っているだけだった。
その方は受信されていても私なんかは何も視えないし感じないわけで、空気が冷たくなるとかどこからともなく風が吹くとかはなかった。←そうなら逆に怖い( ̄ཀ ̄;;)。
言葉だとそうなるけれど、実際はもっと細かなやりとりがあると思う。
私はそれを見るまで、霊視とはもっと大げさなパフォーマンスをするものだと勝手に想像していたけれど(←杖を振るとか呪文を唱えるとか魔法の粉を出すとか水晶を覗くとか)、こんな風なんだとわかった。
内容も言っても差し支えないと思うから言うと、その方はお母さんから亡くなられる直前に、仲の悪い他の兄弟のことを頼むねと言われたらしい。
で、自分なりに母の遺言を守ろうとあれこれ頑張ってみたけれども、ますます仲違いするばかりで、全然母のお願い通りにやれない、どうしたらいいのかという相談だった。
少しだけ補足すると、霊界との通訳が行われる時というのは、必要があると感じないと行われないし、そしてすべてのケースが異なるから、たとえ同じ質問をする人がいても、答えは各個人によって全く違う。
だから、これはその時のその質問者の方のケースとして理解してもらえたらいいなぁと思う。
その方が通訳して教えてくれたことは、「お母さんは、死ぬ間際にあんな風に言ってしまったけれども、もうそんなことは気にせずにあなたはあなたの幸せを第一にして生きてね。兄弟のことはもう気にしなくていいから、と言われてます」だった。
何でこの話を先にしたかと言うと、基本的にその方もOさんも他のスピリチュアル系の方たちもよく言われるのが、
「あの世の常識はこの世の非常識
この世の常識はあの世の非常識」
ということを言いたかったから。
だから、この世的には兄弟仲良くみたいなのが常識や推奨される教えでも、あの世に行けばそんなことどうでもいいから自分の幸せを大事にしなさいということになる。
この話をわざわざしたのは、私はOさんに会う前に、こうして霊視ができる人が霊視している姿を目の前で見たから、だからOさんが死者の魂と交信してるのも全く違和感なくすぐに受け入れられた、ということを言いたかったから。
たとえ電話越しでOさんが霊視をしていても、その勉強会の方が霊視した時と同じ風なんだろうなぁと思った。
まぁ事実、Oさんはおじいちゃんの霊視を最初した時、私の部屋の霊視もしたわけで(おじいちゃんの場所を特定するため)、それも普通に言い当ててた。
Oさんの様子は電話越しだから見えないけれど、多分普段私の目の前で霊視されるようにしてるんだろうなぁ、相手が生きてるか死んでるかの違いだけなんだろうなぁと思った。
とにかく数年前の死者の霊視をして通訳をしていた人を見ていたことが、まさか未来のこんなことに繋がるなんて思ってもみなかった。
ちなみに私は霊感が本当にないことも今回のことでよくわかった。
それはそれできちんと理由があることも自分なりにわかったし、それが私の正解だということもわかった。
ちなみに、霊感がないとわかったのは、Oさんに「今武士俣さん側の方にその方(の魂)がいます」などと言われても、なんなら私の場合、部屋のどの部分かもピンポイントで言われたけれど、毎回そちらを見ても何も感じないし何も見えない。
なんなら私はそこに自分が座ってみたりもしたけれど、それでも何にもわからなかった。
自分の鈍さに感謝しながら、わからなくて良かったと心底思った。
ちなみに私はさっぱり感じられなかったけれども、3歳の姪っ子は正月に来てた時、夜寝る段になると何かが部屋にいる!と言って何日間か連続でギャン泣きした。
小さい子特有の想像かと思って全く気にも留めていなかったけれど、今回Oさんから特定してもらって、姪っ子の感じた・見えた通りだったんだとわかった。
霊感がないのは、今思うと大学時代に初めて認識できた。
友達と私の3人で国立公園に車で出かけた時のこと。
夜もだいぶ深まった頃、2人の友達が「何かいる」と言い出して、2人とも怖がり出した。
私は2人の怖がる様を見て怖くなったけれども、でも私は2人が感じてることは全く感じなかった。
ある一定の距離を過ぎたら、「いなくなったね」と2人は言い合っていたけれども、私は1人だけずっと「全然わかんなかった」と言った。
Oさんと電話越しにやりとりしていた時、Oさんから空気の感覚に注目してくださいと言われて、2種類の違う空気を電話越しに出された。
(↑自分で書いてても何言ってんの?という感じ)
よく電話する相手なら、その人が元気なのか具合悪いのかということが声で判別できると思う。
あれの無言空気バージョンと思って欲しい。
Oさんが電話の向こうで霊視の手法を2種類別々に無言で行なっていたけれど、私がそんな空気の差がわかるわけもなく、Oさんが電話の向こうで真剣にやってるだろうところ、私はペンジュラムを手元に寄せてペンジュラムがYESになるかNOになるかを見た。
言葉にして書いても、その情景がシュールというか滑稽だなと思う( ̄∀ ̄)。
Oさんには正直にペンジュラムを回したと伝えた。
なぜならわからないから。
で、ここからは自分の役割なんかと絡めながら、どうして私に霊感がないのかを話したい。
私が霊感がない理由は、霊感があると私が今自分で気付き出してる自分の能力に支障が出るから。
例えば今こうしてシリーズにしてあれこれ書いているけれども、すごい情報量だから、ノートにメモをしながら書いている。
色々大事なポイントがあって、それらを1つ残らず書こうと思ったら、頭の中だけじゃ整理できないから、だからノートにメモを取る。
珍しく律儀に、書き終えたものは蛍光ペンで線を引いて、終わったことを確認している。
それぐらいしないと、あまりのボリュームに自分の頭の整理が追いつかない。
私の能力もそうで、例えば他の人からその人自身の潜在意識や魂から情報やメッセージをもらった時に、人によってはすごい量がもたらされる。
それこそこのブログの文章1個分の長さに相当する内容の人も中にはいる。
当然、そんなの全部覚えていられないから、携帯なり紙なりにメモをする。
はっきり言ってそれだけでもすごい量だから、もし私に霊感があるとするなら、その倍以上の情報が来てしまう。
しかも、先日、Oさんが紹介してくれた本をようやく見つけて、霊界の通訳をする人たちのバイブルのような基礎知識を見ただけで卒倒するかと思った。
たかが数ページ読んだだけで、とてもじゃないけれども、自分で処理できない量の情報なのはわかった。
ちなみに処理できないだけじゃなくて、理解もできなかった( ̄∀ ̄)。←想定内
だから、もし私に霊感があると、そちらの情報も来ちゃうし、相手の潜在意識からの情報も来て、もうカオスなんてものじゃなく、すごい酷いことになってしまう。
言うなら、ラーメン屋をするのに、なぜかその中にステーキも唐揚げもトンカツもナポリタンもカレーライスもフライドポテトもチョコレートパフェもチーズケーキも白玉ぜんざいもメニューに入れてしまうという、ありえないことになってしまう。
もし私が有名ラーメン専門店の人なら、あくまでも私はラーメンを作ることにだけ専念する。
私の能力もそういったもので、余計な情報がごちゃごちゃ入ると、ただでさえ情報量が多いのに、それ以上入れてしまうともう私がパンクしてしまう。
だからないんだとわかった。
そして、最近どハマりしているカードリーディングの動画の中でも言われていて、納得したことがある。
自分ができないことや持ってないものではなく、できることと持っているものに目を向けていく、というメッセージがあった。
自分に自信がなくて、あれもこれも学んで習得しないと!と思っていた頃の私は、自分は何ができて何ができないのかも、反対に何を持っていて何を持ってないのかもわからなかった。
だけど、今はその辺りの分別も付いてきたし、それこそこのおじいちゃんの件でとっても大事なことを学ばせてもらった。
今回の色んなことの発端となった、私がおじいちゃんを探すためにペンジュラムを使って捜索の手伝いをすること、あれはある側面から正解ではあったけれども、別の側面からすると大間違いになる。
結論から先に言うと、私は今後もし仮に似たような依頼、要は行方不明者をペンジュラムを使って探して欲しいと頼まれたら断る。
はっきりと断って、相手が希望するのであれば、霊視ができるOさんを紹介する予定でいる。
今回色々と関わってわかったけれども、私は絶対に霊視ができない。
できるようになりたいとも思わないけれど、仮に少しはできるようになったとしても、Oさんの今のレベルにまで生きているうちに到達できないのははっきりとわかる。
自分のできること・自分が持ち合わせて生まれているものに気付けば気付くほど、私は自分ができることとできないことの明確な差がわかるようになってきた。
まずは、霊視はできない。
それは完全に私の専門外になる。
基礎知識すら無い。
Oさんが繋がる存在によってこれはA、これはB、これはZ…みたいにする区分なんか当然できないし、そもそも区別する前に感じられない。
代わりに私にはOさんにはない別の感覚があるわけで、私がこれから伸ばすのはそちらだということ、そしてそれ以外の部分は基本専門外だから携わらないことが大事だと今回の件でよくわかった。
はっきり「専門外です」と断る方が正しいこともある、と今回の件ではっきりとわかった。
何とか力になれることがあるならやります、という心持ちはいいと思う。
だけど、だからと言ってやっていいかと言うとそういうことじゃない。
例えば、プラスとマイナスの差もわかってない私が「電気のこの系統が壊れたんですね。私も力になりたいので直します!」と言って、知識もないのにやったら大変なことになる。
機械丸ごと壊れてしまう。
そこはきちんとした専門家を呼んで、技術と知識のある人から対応してもらうことが正解になる。
Oさんとやりとりさせてもらって、その辺りは今回本当によくわかった。
私はどんなに頑張ったってOさんのようにはできない。
言うなら、私が電気系統がさっぱりなのと同じで、Oさんがする霊視もそれに匹敵するぐらいに知識も技術もない。
ちなみについ昨日かおととい、夜ごはんの時についてたテレビ番組でクイズをしていて、私は磁石のあの青いところと赤いところ、それぞれプラス極とマイナス極に分かれてるなんて初めて知った!v( ̄∀ ̄)v←ピースしてる場合じゃない。
(どっちの色がプラスでマイナスかは忘れた)
これはみんな知ってることなの?私がバカ過ぎるの?えっ?なんなの?とか思ったけれども。
例えば電気もこんな風だから、霊視に関しても私のレベルはそういうレベルで脳足りんの状態だから、そんな人が専門外に手を出してはいけないと思った。
ちなみに私が手を出したことや、その後ペンジュラムについて思うこと、おじいちゃん側(霊界)から聞いた話も含めて別の記事で書こうと思ってる。
たしかに私は超やらかしてるけれど、ここから学ぶべきことはたくさんあって、それだけで1つの文章が完成するぐらいになっている。(多分次の『奇跡の果実』シリーズはその話になる←今決めた!そしてどんどん脱線しまくりで本来のストーリーがどんどんズレ込む(  ̄Д ̄;))。
ーMessages
これはAさんご家族宛てに資料を作っていた時に気付いた。
おじいちゃんがOさんとの会話の時に登場して以降の会話のメモは、ある1冊の大学ノートに書いている。
メモの他に資料作りの時にも下書きとして使って、そしてその資料の下書きのところでそのノートは使い終わった。
このノートは、元々別の用途で使っていたけれども、もうその用途では使わないとわかって、私は途中から誰かに『癒しのレシピ』を書き上げる時の下書き用ノートとして使い始めた。
その途中から切り替えるために、私は切り替えのページのところに大きく
『Messages』
と書いた。
もちろん意図なんて何もない。
だけど、おじいちゃん関係のことで資料を作っていた時に「Messages」の大きな文字が目に入った。
私は息を呑んだ。
そう、私がメモしていたのはまさに、おじいちゃんからのメッセージだった。
そしてメッセージは受け取って終わりじゃない。
私のところを経由して次の人へと引き継がれていく。
今回なら、おじいちゃんから私、私からご家族へ、すなわちおじいちゃんからご家族へと繋がるメッセージだった。
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