2019年1月22日火曜日

携帯機種変完了〜2018年9月より

9月末にiPhoneの画面が東京駅前のデパートの化粧室で割れた時の話。

「化粧室」の名に相応しく、化粧をするための椅子付きのスペースがある。

私は今でもその場面をよく覚えている。

iPhoneが滑り落ちる瞬間はゆっくりだったし、「もうどうして?どうしてそんなことになる?」と思った。

一瞬の出来事ではあったけれど、割れたこともショックだったものの、どうしてそこまで激しく画面が割れなきゃいけないのか腑に落ちなかったのも本当だった。

下の方にある文章は、去年の9月29日に書いている。

当時は、書いたものを公表することを控えた。

内容的に恥ずかしいと思ったのと、そこまで自分をさらけ出すのもなぁ…というのでやめた。

だから、当時のブログを見ると、機種変に関しては当たり障りのない内容だけをアップしていた。

まさかそれが全く違うストーリーに繋がっているとは、当時想像さえしていなかった。

これはあとから知ったことだけれど、ローン全般において10万円未満のものなら、基本的に審査は簡易審査とでも言うんだろうか、よほどのことがなければ通るらしい。

対応してくれたスタッフの方に、過去3ヶ月の携帯料金の支払い状況を聞かれて、私は正直に「そこは大丈夫ですが、もっと遡って2年前とかになると、毎月初回ではなく2回目の引落の日に払っていたこと数回、とうとうドコモから次回そうなった場合、カード利用停止になると警告を手紙で受けたことがあります」と伝えた。

だから、もしダメならダメで、それでも何でもいいから機種変できるもの、他の手段を取れるならそうしたいと言ったら、過去3ヶ月の支払いに問題がなくて、さらに何かしらの条件もうあと1つか2つに何もなければ、普通に大丈夫だと思いますと言われた。

残りの条件は忘れたけれど、私は無職でも大丈夫なことや、そんなことよりももっと別の条件の方が重要なことに驚いた(本当に他の条件は何だったんだろう…)。

当時は書かなかったけれど、私はダメならガラケーでもいいと本気で思ってた。

もしガラケーさえもダメなら、携帯を手放すことも最悪の場合として想像していた。

携帯がないと、どうやって連絡を取るんだろう?と思った。

とまぁ、本当に色々怖くて仕方なかったけれど、終わってみたらとてもスムーズに進んで驚いた。

しかも、スタッフの方も本当に良くしてくれて、誰にでもするのかもしれないけれど、私は契約書上はその制約通りの契約にはなっているけれども、実際は煩雑な手続きが後から色々出てこないように最初からそのものたちを全て除外してもらっていた。

本当に最大限、色々配慮してもらえた。

しかも、iPhoneのままでいけたことが大きかった。

私はiPhone信者ではなく、単に最初のスマホがiPhoneでiPhoneに慣れたから、そのまま2代目もiPhoneにしただけだった。

これが別の電話でスマホデビューなら、そのまま違う機種での変更を希望した。

私はあの時の会話の中で1つとてもよく覚えている。

SIMカードと呼ばれる小さなICカードがiPhoneの中には入っている。

小さなチップは、そこに全ての携帯電話内の情報が含まれているとのこと。

iPhoneの機種変を初めてしたから、それ以前の携帯同様、そのカード1枚で全ての情報が新しいものに移行されることに驚いた。

その時に聞いた。

iPhoneである限り、ずっとこのカードを移行し続ければ、基本的なデータは移せるのかどうかを。

そうしたら、「今のところはそうなっていますが、SIMカードが今後もずっとあるかどうかと聞かれると、『絶対』とは言えません」と。

その後続けて、「使わないと思いますが、SIMカードさえ移行されれば、その壊れてしまった方のiPhoneも使えますから」と言われた。

私は即座にその必要はないと思ったけれども、まさかその3ヶ月以上経った今、本当にそんなことをする必要が出てくるなんて、当時はゆめゆめ思わなかった。

そのSIMカードの移行は、まさかの壊れた日から3ヶ月以上経過したある日、本当にすることになった。

しかもそんなことしてまで人に渡さなければいけないものが出てきた。

それがiPhoneの中に入っているボイスメモの機能を使って録音した音声データだった。



上の内容を書いてからまた数日が経過した。

あまりにも自分のいい加減さが出過ぎでそんなことはいちいち公表したくない!と思って、やっぱり9月29日に書いた部分はアップを控えようかと思った。

でもこれこそアップしなきゃいけないと思った。

上に書いたことは、はっきり言って隠しておきたいし重要な話ではない。

重要度からして限りなくゼロに近い、どうでもいいことだったりする。

だけど、そうではない、裏側では壮大なストーリーが繰り広げられていたし、それと現実の世界に生きる私とのギャップを表す唯一の証拠みたいなもので、だからアップしないといけない気がした。

上に書いたことも、その後に続く去年の9月末に書いた文章も、両方私の視点そのものだった。

私が見ていた景色がありありと描かれている。

それは、裏側で起こっていることを何も知らない私が、普通に人間くさく生きている場面で、いかにもな世俗的な価値観で物事を判断して、不安や心配を抱えている部分もリアルになっている。

だけど、本当はそんなんじゃなかったことが判明する。

私のiPhoneの画面は割れた。

だけど、あれが割れた本当の理由は、2019年1月22日現在、もっと別のところにあったとわかった。

あれはサインだった。

お亡くなりになられた方が、色んな意図や想いを託して送ってきたサインだった。

まさかそんなサインが裏側に隠されていたなんて、当時は知る由もなかった。

知った今は、もっともっとはっきりとわかる。

その裏側で動いているストーリーの展開が異常な速さで進んでいるのと、絶妙なさじ加減で叶う叶わないが決定されているかことを。

その部分に関しては今他の記事として下書きを進めている。

表というか私が普通に体験していた表面上のことと、実際に裏側で動いていたことには、大きなギャップがある。

非常に言葉にすることが難しく感じるけれど、できる限りこの感じていることを言葉にしたい。

表面上の私は、実に人間くさい感じで、資本主義社会の中のルールに沿った考え方や価値観を持って何かを判断し、そしてテクノロジーが進歩した現代の物的資源を大いに活用している。

これは何も私だけじゃなくて、今日本で生きている人の大半はそちらに含まれる。

だけど今回私は、そんなことでは計ることのできない、人知を超えたレベルの裏側のストーリーも知ることになって、その裏側のストーリーこそが本当の目的でそしてそこから伝えられたメッセージが何よりも大事なんだと知った。

まさかiPhoneの画面が死者と交信するための合図になっていただなんて知るわけもない。

そしてその送られてきた合図は、何も単に交信するためだけに来たのじゃないと思う。

死者の魂が年明けのある日、私と霊視ができる人とが電話で話していたら、その場に突如現れた。

そして、そこから聞いた話が私にはとても響いた。

響いただけじゃない。

それまで知らなかった色んな意図や裏側のストーリーを知って、点と点だったことたちが繋がり、そして色んなものたちに守られていることも知ったし、やさしさや慈愛みたいなものも裏にはたくさんあることを知った。

おそらくだけど、私はこの裏側で起こっていることを通じて、こうして発信することが私に回ってきている仕事の1つだと思う。

資本主義やテクノロジーでは太刀打ちできないぐらいのことを目の当たりにして、私が今見ているものは、人と人とが繋がるその繋がり方だったり、そうした意味不明なことが起こってでも伝えてきている内容は、今もしくは少し先の未来、少なくとも今年や2020年代を生きる時に大切な知恵になることだと感じている。

だから黙ったままでいるのではなく、内容をできる範囲で綴り伝えることが大切な気がしている。

そして、今回のことに限って言えば、こんなことをいちいち文章に起こして書くなんてことをするのは私ぐらいだし、そして私しかその部分ができないとも思っている。

私が見ている景色なんだから、他の人が私の代わりに書くなんてできない。

私が見ているものは私にしか書けない。

私がそうした見えない世界に関して多少なりとも知識があるからとかいう理由で書いてるのじゃない。

要は私しかその部分のストーリーを私サイドで見ている人がいないわけだから、だから私にしか書けない。

それがわかったから、今回公表しようと決めた。
2019年1月22日

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『祝☆機種変無事完了(感無量)』

今日9/28、無事に機種変完了!

本当にすごいドキドキした、機種変。

一括現金は無理、かと言って無職の今分割なんて審査通るんだろうか?という中での機種変だった。

割れた瞬間、呆然とした。

9/26水曜日の午前11時頃。

東京駅前の大丸デパート3階のトイレ&パウダールームを借りて、自分の身支度を整えた。

夜行バスで東京に行くのはいいけれど、到着時の状態は毎回ひどい。

髪の毛をとりあえず結んで、顔はすっぴんでも許されるかは知らないけれど、元々化粧しててもしてなくても周りに「化粧してる?」と聞かれるぐらいだから、まぁ許容範囲として。

その状態でモーニングして(約3時間)、その後はいつもどこかの百貨店のトイレを借りて身支度を整える、ということをしていた。

今回もいつもと同じようにそうして、とりあえず他人様の前に出ても恥ずかしくないぐらいにはする。

メガネからコンタクトに変えて、髪の毛も見苦しくない程度に整えて、顔も最低限の化粧をする。

歯も磨いて、アクセサリー付けて、とりあえず都内をフラフラしても問題ないと私が感じられるところまでセットする。

今回はわりかし時間が押していたから、まっすぐ銀座に行って、前回迷子になったおかげで見つけた小籠包のお店でランチ♪と思っていた。

曇りだったから、このまま歩いて銀座でもいいなぁと思った。

それで身支度を整えた私は、携帯で地図を出した。

歩いて本当に行ける距離なのかを調べた。

全然行けるし、むしろその方が時間にロスも出ないとわかって意気揚々とした。

かがんで、椅子の上のカバンに携帯をしまおうとしてたと思う。

その時に手が滑った。

本当にとてもゆっくり携帯は床に滑り落ちた。

高さは50〜60センチ程度だったと思う。

拾い上げて顔面蒼白になった。

画面の下半分がバキバキに割れて、これスイッチ入るの?と思うぐらいの割れ方をした。

スイッチは入るし中は無事で操作できるとわかったけれど、下半分がバキバキだから文字を打つ時のボタン画面は見えないし、何かを見るのも上の3分の1ぐらいのひび割れの間を縫って見るような感じで、どう考えても使い続けるというのは厳しかった。

2014年の5月にどうも機種変してるから、iPhoneにしてはとても長く使った方だとは思う。

私はその割れてしまったiPhoneで困ってなかったから、今回みたいなことがなければあと壊れるまで使い続ける気でいた。

基本的に機械系は何でも不慣れで使えるようになるまで時間がかかるし、最新型よりも最低限の機能さえある方がより私らしい使い方ができるから、私は機種変は全く考えていなかった。

iPhoneが新しく出回るたびに社会のトップニュースになるけれど、みんな何でそんなにも新しいのがいいのか私には毎回理解できずにいた。

機械が大好きで!みたいな人ならわかるけれど、ニュース画面に映る人たちやインタビューされてる人たちを見て、いつも「で、何がいいの?」というのがわからなかった。
(批判じゃなくて、理解できないだけ)

そんなところへ今回の事件。

否が応でも機種変をしないといけなくなった。

私は一旦化粧室自体を出るものの、あまりの動揺具合にまた化粧室に戻って、その中のフィッティングルーム(着替え室)に入った。

フィッティング用の台を出して、そこにぺたりと座り込んだ。

私が今回最大に困ったのは、iPhoneが割れたことではなく、この無職の状態だった。

無職というより、この無職の状態で携帯の分割払いがいけるのかがわからなかった。

派遣の仕事で車のローンの審査の部署にいたことがある。

あとクレジットカード部門も。

そこで審査とかのことも垣間見てたから、自分の今の状況がシャレにならないこともわかってた。

そして、名古屋から新潟に帰ってきた最初の半年ほど。

携帯料金を引落日ではなく、その10日後の2回目の引落日に入金して落としてたことが続いた(←無職、金なし)。

半年も続かなかったかもしれないけれど、とうとうドコモからそれを次したらカードの利用停止をしますと警告の手紙が来た。

それ以降はきちんとしてるけれど←当たり前、ドコモにしたら金融ブラックリストの中に入ってるわけで、こんなんで審査通るの?と思った。

ちなみにクレジットカード部門にいた頃、金融ブラックの判断の仕方も多少は習ったけれど、そこは会社によって大きく違うことを学んだ。

そこは引落日の直後の引落でいける時は、システム上には残るけれど、警告は出なかった。

ドコモはそうじゃなかった。

そんなことも過去にあったから、無職+過去歴で色々危うすぎた。

だからしばらく着替えルームで1人で大パニックになった。

でも途中から変わった。

そんなことをその場で心配しても仕方ないこと。

どういう形にしても何かしらの方法で解決する必要があること。

ガラケーでもいいから、電話とメールさえできれば問題ないこと。

最悪、携帯を手放すことになっても、それはその必要があってそうなること。

全て神のみぞ知るの域だから、私が今することは銀座に向かうことだとわかった。

気になったところで、今すぐどうこうできないから、後から考えることにした。

歩きながら色んなことを思った。

そもそも携帯がそんなことになったことで、私はまず「働こう」と思った。

私自身は、本当に勤労意欲がとてつもなく低い。

説明すると長くなるから割愛するけれど、お金がないと困るからとか生活できないからでもいいから勤労意欲のある人たちがとても羨ましい。

私にはそういう理由が通用しない。

何でもいいからきっかけがないと働かない。

これがまだ20代ならいいけれど、40を目前にそんなだから本当に困った。

きっかけは携帯でも「働こう」という気持ちが湧いてくれたのは本当にありがたかった。

次に思ったことは、「壊れたのが携帯で良かった」だった。

私の中で他の何が壊れてもいいけれど、ペンジュラムだけは絶対に壊れて欲しくないもので、ペンジュラムは無事だとわかって本当に良かった。

値段から言ったら、携帯の方が何十倍とするわけだけれど、携帯は代替えがきく。

ペンジュラムは代わりがない。

世の中に売ってるのは知っている。

でも今手元にあるペンジュラムは私のところに来てくれたもので、これは唯一無二のもの。

これは代替えがない。

だから、ペンジュラムでなくて良かったと思った。
2018年9月29日  0:19

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