【ウラ話②】
>>>2019/01/30
相変わらずカードリーディングの動画にハマってる。
4ヶ月ほど前にアップされたとされる動画を見ていた。
そのカードは私もいつか書店で見かけたカードで、なんなら自分でも触ったことのあるものだった。
見たことがあるから、どんな風に読み解くのかな…と気になった。
私が見たことのないカードばかりが続いて、どれもこれも斬新な気持ちで眺めていた。
途中であるカードに当たった。
私は絵柄を見てもわからなかったけれども、その動画の方がとりあえず解説書を読みますと言って読み出した時に、すぐ思い出した。
それは『魔法の小川』と題されたカードだった。
そういえばそれだった、と思い出すと同時に、その時自分が手にしていたものを見て度肝を抜かれた。
自分がちょうど手にしていたものにも『小川』と書かれていた。
その偶然にビックリしながらも動画の音声に戻った。
話を聞いていると、その方が解説書にはない独自の読み解きを喋り出して、あぁ全部繋がっていると感じた。
その方の読み解きのところで一番印象に残ったところを紹介したい。
【自分が気付いた大事なことは周りにもそのエネルギーが伝わる。
その気付いたことを表現すれば、世界に伝わっていく。】
この時点で私は『ウラ話①』をアップしたばかりで、タイトルも決まっていない⑥を書き途中になっている。
⑥も盛りだくさん、というかこの後もひたすら盛りだくさんの内容を前に、正直書くのも辛くなってきていた。
書いてても頭の中でさっぱりまとまらない。
というかそんなものを私は最初1つの記事で全て済ませようと思った、その思考回路について問い合わせたい、どうやってまとめるつもりでいたのかと(  ̄Д ̄;)。
もうすべてを伝えるなんて面倒だし、途中適当に選んで書くでもいいのかなと考えた矢先のこのカードだった。
気持ちを新たにした。
やっぱりこの『奇跡の果実』シリーズは、はしょったりとか要約したりとか、そういうことをしていいものじゃないと。
とにかく自分の中に印象が残ったものをひたすら言葉にして、それを発信すること、それが大事なんだと思った。
その魔法の小川の前なのかその解説の一部なのか、今自分のメモ書きを見ても思い出せないけれど、こうも言われた。
・自分のところにやってきた情報は自分だけのものじゃないから、積極的にシェアする。
・messenger(メッセンジャー)ーー
言葉で表現する力を多く与えられている。
多くの人に言うことを恐れないこと。
今回の一連のことはまさにそれで、自分だけのものだという感じがしない。
情報と呼んでいいかどうかはさておいても(ちなみに動画では『ガイダンス』という言葉だった)、とにかく大切だと私は感じている。
だから、それを独り占めするのじゃなく、他の人たちも見れるようにとりあえず見える化(=このブログ)しようと思った。
さらにメッセンジャーの部分を聞いて、「!」となった。
去年の7月に受けた人生2回目のホロスコープ鑑定の時にも、
・快適な文章能力や会話能力を持つ
・自分は何ができるかをまずは知ってもらうのが大事。セラピーのことなんかを書いていくと良い。書くことでファンやお客さんもつくのではないかと思う。
そして、去年、半年ほどかけて通った占星術講座の時にも先生から
・霊感、言葉が降ってきやすい
・メディア(インターネット)での発言力を持つ
ということを言われていた。
これは、いつかの『奇跡の果実』の中で書いていく予定だけど、私は書くことそのものは基本的に全く苦痛にならない。
これだけ書き続けていても、全く嫌にならないし、体や頭は多少疲れても、その疲れる理由は「書くこと」じゃなくてそれ以外のところにある。
「言葉が降ってくる」という表現が合っているかどうかはわからないけれども、言葉が思い浮かぶからそれを単に書き綴っているというのが、このブログもそうだし、他の何かにしても基本はそのスタイルになっている。
今回のシリーズで言えば、思い浮かぶというよりも、単に体験したこと・その時に感じたことをそのまま書いているだけだから、書くことそのものはさらに力が要らない。
ただ情報量があまりに多すぎて、それを頭の中で整理できてないから面倒くささが生まれているだけ。
たしかに「“言葉で表現する力”が多く与えられている」というのは本当だと感じる。
その辺りのことも、この『奇跡の果実』シリーズの中でどんどん気付かされることが出てきている。
⑦以降いつになるのやらさっぱり予定は立たないけれど、その言葉で表現する力についても書いていく。
とりあえず⑥…。
これは言葉が出てこないんじゃなくて、大元の情報量が多すぎてどこから手を付けていいのかわからないのと、言葉もすでにあるけれどもどう組み合わせて言えばいいのかがわからないだけ。
そう、だから「言葉がない」という事態ではない。
講釈はいいから、書き始めよう…( ̄∀ ̄)。
2019/01/30 夜9時すぎ
「啓示」について調べたくて、ヒーラーのOさんから紹介してもらった本があった。
その本は結局なくて、それを探しているうちに本当に必要な本に行き当たった。
その本をTSUTAYAのオンラインで注文かけて、到着したと連絡がきたから今日受取店舗に取りに行ってきた。
ついでに2軒ブックオフ寄って、他のTSUTAYAにも寄った。
他のTSUTAYAは別に行く用事もなかったけれど、ペンジュラムがGOサインを出して、それで急遽予定にもなかったけれども立ち寄ったに過ぎなかった。
驚いた。
その立ち寄ったTSUTAYAに、Oさんが紹介してくれた本のシリーズの1冊だけがなぜか置いてあった。
しかもないだろうと思って本棚を見ていたら、そして今日取りに行く予定の取り寄せた本の著者の他の本はないかな?と思って見ていたら、そちらがあった。
ものすごくビックリした。
専門書が揃っている店たちにもなく、TSUTAYAの中でも品揃え豊富な店舗にもなく、そして言うなれば今日行った店は品揃えは基本的にいつもイマイチ。
そして、サブカルチャーと看板掲げるだけあってスピリチュアル系もかなりライトな感じで、一般大衆ウケするようなものしか基本は置いていない。
なんなら、スピリチュアルと自己啓発と医療と心理と宗教が一緒くたんに置かれている、ものすごく適当な配置をしている店舗だったりする。
そんなところに置かれていた。
この本に出合うのが今日のタイミングだったことにものすごく合点がいった。
何軒も回って本がなかった理由がより一層とはっきりとした。
座って必要なところだけ拾い読みしてきたけれども、もし最初からこの本にきちんと巡り合えていたのなら、私は史上初のスピリチュアル本で涙を流した今回取り寄せた本には絶対に出合わなかった。
拾い読みしてわかった。
Oさん紹介の本は、霊的な教えを学術的に学びたい人向けという感じで、私にはかなり難しかった。
そして欲しい情報をそこから見つけ出すのは至難の業とわかり、その欲しい情報を見つけられなくてもさっさとあきらめたと思う。
さらに欲しい情報がありそうと思って開いたページに、その情報に関して、他の著者の書籍が紹介されていて、それらの名前やタイトルをネットで検索したら、本当に欲しかった情報にかなり近いものも手に入れた。
しかもそのネットの情報を見て、Oさんが言っていただろう内容にも行き着いて、それが今書いている⑥の話に反映されることになった。
当初、検索するための言葉さえ知らなくて、それでネット検索をあきらめて書籍に頼ることになったけれども、今は検索ワードも知ったから、余計と当初紹介された本は要らなくなった。
ごちゃごちゃと書いたけれど、結局言いたかったのは、その本を見つけられなかったおかげで私は今回の取り寄せ本に行き着けたということが本当にはっきりとわかった。
そう、ずっとどこにもなくて正解で、友達も図書館も持ってなくて大正解だった。
そのTSUTAYAを出て、車は大きな国道に入っていった。
遠くの赤信号に合わせて私も前の車の後ろについた。
見覚えのある形。
もう外は暗かったから、いくら交通量が多くて車のライトで全体的に明るいと言えども、そもそも車に興味のない私に前の車が何ていう車種なのかなんて文字の判別は不可能だった。
かなり近くて前の車の人には申し訳なかったけれども、私は自分の目で読める距離まで車を前に出した。
前の車の右側を見る。
やっぱり正解!
受取店舗の方のTSUTAYAに着いて、入口に向かった。
入口に一番近いところに止まっていた車を見てビックリした。
さっきの車の色違い。
というか、その車こそ大当たり。
同じ車の同じ色。
TSUTAYAに入る前から、取り寄せた本が本当に当たり本だと確信した。
少しだけ店内を見た後、即レジに向かった。
ビンゴ!
〇〇と書かれた名札を付けた店員さんだった。
1台目の車と2台目の車、そして店員さんには共通点がある。
その店員さんは、今回の一連の流れの中で友情出演的にやたらと見えないところで協力をいただいている人物と同じ苗字で、1台目の車がその人と同じ車種で、そして2台目の店の入口近くの車は、同じ車種のその人と同じ色の車だった。
たかが15分ほどの間の出来事だった。
これだけシンクロが起こって、しかもそのシンクロの共通項はある人物。
その人絡みのシンクロが起こる時、それは単なるYESのサインじゃない。
“超重要事項”を表すサインになる。
やっぱりこの本、タダモノじゃないんだなとわかった。
その人が直接関係していなくても、その人にまつわるサインを一気に3つも(見えない世界から)出してくる時というのは、相当珍しい。
そんなこと年に何回もないし、今回はそもそもスペシャルな本を取りに行く時だったから余計と特別感が増した。
しかも、その取寄せ本は今年の仕事始めでいただいたお金の一部で購入させてもらった。
自分ができることを提供して、それに対してお金をいただいて、さらにそのお金で学びの分野に投資して、そして自分に役立てる。
良い巡りを感じる。
帰りの車の中で、「そういえば今日は何の数字になるんだろう?」と思ってさっと計算した。
私の頭の中は何を勘違いしたのか、最初27日と勘違いして22が出た。
(2019年1月27日→
2+0+1+9+1+2+7=22)
↑どんな勘違いかと思う、相変わらず( ̄∇ ̄)
ゾロ目はマスターナンバーと呼ばれて、ちょっと特殊だったりする。
ちなみに通常、例えば足して12とか普通の数なら1桁になるまで足して、次は1+2で最終的には3になる。
いや、今日30日じゃん(  ̄Д ̄;)と思い直して、足したら7になった。
たしか…と思って計算して、納得。
その人と出逢った日も7だった。
あぁそういうことかと納得した。
通常なら22の方が凄いという風に見られるけれども、私にとったらこうした記念すべきことがある時に7という共通の数字が出ることの方が意味合いとして凄い。
この本はやっぱりお迎えするものだったんだと運転しながら思った。
今日の全体的な気分は、2週間ぐらい前に、おじいちゃんのご家族のAさんと会った後の感じに似ていた。
すごくやさしい空気に満ちていて、私は何度も泣きそうになっていた。
表面上は、本のチェックか車の運転という何も特別なことはないけれども、それでも胸に迫る想いが色々あった。
ゾロ目の意味もそのうち知ると思う。
今日はゾロ目だらけだった。
>>>2019/01/31
ウラ話を2連投するつもりはなかったけれども、⑥がまだ書き終わらないのと、ウラ話サイドもやたらに盛り上がってきて、すぐにアップできるのはこっちだからこっちをアップすることにした。
(明日こそ⑥[タイトル未定]を書き終えることができますように←切実な願い( ̄∀ ̄))
昨日のゾロ目の正体は、今日になってもっとはっきりとした。
あれは予祝みたいなもので(字のごとく、予めお祝いしておくこと)、やっぱり昨日感じていた「これで全部大丈夫!」という感覚で合ってたんだと知った。
そもそもゾロ目は2017年の夏から日常茶飯事になっていて決して物珍しいわけではないけれど、昨日はとにかく「またゾロ目?」と思うぐらいの多さだった。
普段30分のドライブで3〜5台なら、昨日はトータルで同じ時間の長さで10台以上見たんじゃないかなと思う。
実は昨日、新たな癒しのレシピをキャッチしていた。
私が『癒しのレシピ』と呼ぶものは、本人から何かしらの形で今現在ある状況や問題に関して話を聞くと、その答えやヒントが私のところにやってくる。
それだけを見ると、『奇跡の果実』シリーズには全く無関係のない人の話みたいに見えるけれど、実際は違う。
いつか書いた、私がメロメロ(o´艸`)になる男の子の癒しのレシピと連動している。
しかもその子は単に私に英語の添削のお願いのためだけに連絡をしてきたんであって、癒しのレシピは当初予定になかった。
(その子とか男の子とか呼んでるけれど、実際は成人した男性…( ̄3 ̄)。出会った時が子どもだったからその癖が抜けない。)
それが私のところに情報が来たから、それを伝えた。
というところに端を発して、今大きく事が別の方向に動き始めた。
そこは書くと長いから今は書かないけれど、このことさえ今回のおじいちゃんの件と見事にコラボしている。
おじいちゃんの霊のおかげなのか、それとももっと上の層の見えない世界の人たちのおかげなのか、物事の起こり方が半端ない。
そこもまた『奇跡の果実』シリーズの最後あたりに書くと思う…(多分)。
だから代わりに今日は、素敵な英語のフレーズを紹介。
この子が直近で送ってきた英文の内容が痺れそうだった(o´艸`)。
その子が最近ハマっているaviciiというミュージシャンの曲の一節を使いたくなったから試しに使ってみたと本人は言っていて、“the nights”というタイトルの曲の歌詞とのこと。
【live a life you will remember】
ーー記憶に残る人生を生きる
私に向けられたエールみたいだった。
カードリーディングの人の動画は、実はいきなり本物の人に当たっていることに今日気付いた。
その人が動画の中で「他のカードリーダーの方たちは(カメラの)三脚に引っかかった時はどうしてるんだろう?」という言い方をした時があって、もしかして普通にたくさん動画があるんだろうか?と思って、youtubeの中で「カードリーディング」と入れて検索してみた。
たくさん動画がヒットして、適当に「まだ見れるかも」と感じた3人ぐらいの人たちをチラ見した。
「まだ」とか言って失礼極まりないけれど、私は今も適当なスピリチュアルの人たちが本気で苦手で、甘い言葉を囁いたり、その情報おかしくない?みたいなことを平然と発信してたりとか、そういうのに対して蔑視に近いぐらいの感情を抱いている。
チラ見の3人も本当に内容が薄っぺらい感じで、完全に軸がズレていて、そして多分自分の内面が見れてないから言葉に深みがない。
(↑本気で失礼だけど、私の率直な感想)
私がハマっている動画の人のものは、超現実的なアドバイスや語り口になっている。
例えば、「泣く時は思い切り泣く」とか、「これまで経験してきたものは、あなたにしかわからないもの」とか。
簡単な言葉なのに、その人が言うとめちゃくちゃ深みや親しみがある。
そして、その方の動画の背景がすごく好き。
視聴者が見やすいようにすごく用意してくれているのは伝わるけれど、かと言って良く見せようとしてなくて、等身大のその人のまま撮影している。
普通に言葉かみかみになったり←ちなみに超それが可愛い♡、ピントが合わないとか言って何度もカードをカメラに近付けたり遠ざけたりを繰り返したり、その間も独り言のようにぶつぶつ言ってる姿も微笑ましい。
そしてテーブルセットとでも言えばいいんだろうか、それがまた私のドストライクゾーンで、私がここ数日前からメキシコの刺繍のランチョンマットみたいな布をテーブルに敷いているのもその人の背景に感化されて。
その布の上にペンジュラムやオルゴナイト、メッセージカード、名刺のお守り、占星術サイコロ、菩提樹の木の実のペンダントなんかを置いている。←形から入る人。
それに比して、今日チラ見した人たちのものはそもそも背景が好きじゃない。
いかにも怪しいスピリチュアル感を出していて、例えば不自然なくらいに白いとか←まるであの世、ヒーリングミュージックみたいなのが流れていたりとか←そちらの音が喋っている人の声を邪魔している、なんかピントがズレている。
(このぐらいで止めるけれども、私の中に超絶苦手スピリチュアルというのがあって、その辺りを喋り出したら聞くに耐えられないぐらいの毒を吐いてしまう( ̄^ ̄))。
ってのを見たら、私いきなり初っ端から超本物に当たったんだとわかった。
ちなみに私がその人を知ったのは、他の人のブログ経由のツイッターだった。
(私はツイッターしていないから、機能は知らないし、常にその画面がすぐ出る設定にしている)
私は1年前の12月から、そのツイッターというよりその別の方のツイッターサイトを毎朝起きてすぐに必ずチェックしている。
その人もきちんと言葉を下ろせる人だというのがわかる。
その人は何かで見つけて、実際にご本人とやりとりさせてもらった時もあって、そしてその方が毎朝呟くメッセージが本当に良くてそれで見ている。
私が見ている動画はその方がご紹介されたものだった。
その紹介者の方は私が毎朝チェックしていた1年の間でそんな風に誰かを紹介したことが一度もなかったから、その人が紹介するぐらいの人ということで気になって見たのが1ヶ月ほど前。
そのカードリーディングの方の世界観や癒す力が半端ない。
そんな風に最初からその人に当てさせてもらえて、私はめちゃくちゃラッキーだった。
ゾロ目見まくりだった昨日の夜、その人の動画を見て感じたことをノートに書いた私のつぶやき。
内面的な自信
X何かを成し遂げての自信
◯弱くなっている、何も社会に提供していない自分、そういう時の自分とも一緒にいられたこと
そうした時を何とかのりこえたり、やりすごしたことでついた自信
→だから揺るがない。
◯◯さんに愛されなくても
自分の足で立てたこと
ものすごく愛されたくて仕方なかったけれど、
それが叶わなくても、笑ってる自分や
楽しくすごせてる自分
他の涙も流せる自分
そういうものに気付けて、
そうした中でつけてきた自信。
【補足】
私がつけた自信は、究極にダメな自分といたことでついた。
何年か前までの私は、自信というのは、何かを成し遂げたり積み重ねてつくものだと思っていた。
ところが、いくらやってもキリがないことに気付いて、そして何もしていない自分では認めてもらえないって何?となって、私の中は完全崩壊した。
周りからも理解されないどころか何か色々言われたりしたけれど、周り以上に私を否定して駄目出ししまくりだったのは、他の誰でもない私だった。
そういう自分とも何とか妥協点を探して歩み寄りしたことが、今となっては良かった。
本当に愛されたい人から愛されなくても、それでも私は立っていたし、亀のような歩みでも時間の上を歩いてた。
色々ありまくりだったけれども、その中で立っている自分、立てた自分、そういう自分がいたから今がある。
そういう最低最悪な自分ともいられたから、やっと少し「大丈夫かも!?」というのが出てきた。
立ち止まっても、何にも価値を提供してなくても、むしろ社会のお荷物っぽくなってる時でも、その自分といられたことが私を何よりも強くしてくれたと思う。
ちなみに、◯◯さんは車の人物。
内面的な自信については、この『奇跡の果実』シリーズに含むかはわからないけれど、いつか発信したい内容の1つ。
2019年1月31日木曜日
2019年1月29日火曜日
奇跡の果実▷ウラ話①
>>>2019/01/24
『第2話のタイトル』
第2話のタイトルは『繋がる。』だった。
それは単におじいちゃん(死者)の魂と繋がったという意味ではあったけれど、私は最後「。」を付けた。
なぜなら、繋がったからそれは未来の話でも予想の話でもなく、「完了」していることを表すために。
>>>2019/01/25
『ギフト』
ふと出てきた。
今回の『奇跡の果実』の最後にくる文章のタイトルは『ギフト』。
なぜなら、今回の一連のことを通じて、私が受け取っているのはまさにギフトだから。
しかも、それはプレゼントというよりも『ギフト』の方が感覚的に近い。
グーグル先生で調べたら、ギフトは価値ある贈り物、天賦の才なんかも指すらしい。
そして、プレゼントは友達とか同士の間で交わされるものだとするなら、ギフトは目上の人から目下の人へ、今回なら天空からの贈り物という感じ。
私の中で一番大きかったのは、今回の一連のことのおかげで、私の中の意識が大きく変化したこと。
これもいつか書きたいけれども、どうして私に心理ワークや引き寄せの法則やアファメーション(言葉を唱えての自己実現の方法)とかが効かなかったのか、それがわかった。
その理由が明確にわかった。
そしてそここそ私が自分のテーマとしてずっと持っていたものでもあった。
そうしたことにも気付かせてくれた今回の出来事。
しかも今それに気付かせてくれたのは、ある1冊の本だった。
すべてのことがすべてきれいに歯車が回っていた。
一見ネガティブなことに見えることも、そうではない事実を知る。
そうした視点がさらに一層強化された。
目の前には本の宣伝がある。
『君たちは何者だ?』
TSUTAYA N店にて
>>>2019/01/26
第3話の『未来と過去の交差点』に追加で書きたかったこと。
本編があまりにも長くて、こっちのウラ話側に入れることにした。
私が最初に行き着いた『本物』の人とのことを思い出したから、あと自分の質問について感じていることを書きたい。
忘れもしない2010年の8月8日、私はコーチングが何かということも知らずにコーチングの説明会に赴いた。
その日に出逢ったのが、後に私がコーチングの個人セッションを2年間受け続けることになったコーチのまんちゃんだった。
まんちゃんは当時40代で、高校生と中学生の男の子2人のパパで、面白い奥さんもいる、まぁ世間一般では普通な感じのおじさんに入る人だった。
最初の数回は、お互いを苗字にさん付けするという何とも距離感ありありな関係でコーチとクライアントという感じだったけれども、いつしか互いをまんちゃんとぶっしーと呼ぶようになった。
コーチングというと、世間一般では目標設定をしてそれに向けたメンタルトレーニングと意図的な行動を多く取り入れるみたいな感じが強いけれど、まんちゃんのコーチングはそれとは全く毛色の違うものだった。
私の希望もあって、まんちゃんと私のセッションはずいぶんと変わっていた。
学校のグラウンド並みに広い有料の芝生広場に行ってそこに2人でひっくり返って青空を眺めたり。
トトロに出てくるような木のトンネルをくぐり抜けてそして見つけた枯れ木と枯れ草だらけの空間に適当に腰を下ろしてそこでおしゃべりしたり。
いつかは熱田神宮でやろうと約束したら、その日は名古屋で雪が降って、雪が降る中、外で2人でサンルーフみたいな屋根付きの場所で池を見ながら甘酒を飲みながらセッションをしたり。
まんちゃんの希望で、私がわざわざオーダーして作ってもらった世界に1つしかない木のテーブルと私の適当料理を囲んでセッションをしたり。
多分世の中で認識されているコーチングとはずいぶんと違うコーチングを受けていた。
ずいぶんとおかしなコーチングだったけれども、効果は抜群だった。
そして目標設定など全くしていなかったのに、文字通り私は仕事で売上も契約率も両方上げまくった。
私はまんちゃんがしているのは、コーチングじゃなくてマンチングというまんちゃんにしかできない唯一無二の魔法だと思った。
そんなまんちゃんがある時大真面目に私に言ってきた。
「僕ね、本当の本当にやりたい職業はサンタクロースなんだよ」
40代の現役バリバリのそして子育て中のお父さんが普通に真顔で言うことじゃないのは、さすがに私もわかっている。
でも、まんちゃんは本気だったし、そしてまんちゃんと知り合った翌年のクリスマス、まんちゃんは飛びっきりの笑顔で私にクリスマスプレゼントをくれた。
木のお皿2枚と木のバターナイフだった。
それをお店で見た時に「これぶっしーにぴったり!」と思った話を教えてくれた。
私はプレゼントもとても嬉しかったけれども、それ以上に私の知らないところでまんちゃんが私のためにプレゼントを選ぶためにかけてくれた時間やまんちゃんの気持ちそのものが嬉しかった。
その年、まんちゃんは文字通り本当のサンタクロースになって、私以外にも色んな人たちに個人的にプレゼントを用意して配り歩いていた。
そうやってまんちゃんは自分の本当の願いを叶えていた。
他にもまんちゃんは気に入った本があると、そしてそれが私に必要だと感じると、本をプレゼントしてくれた。
全部で数冊プレゼントしてもらった。
それも同じように色んな人たちにしてくれていた。
あと、もう1つまんちゃんが超絶ハマっていたものは「謎解き」だった。
普通にミステリーとかの謎解きも好きだけれど、クライアントさんたちと話していて、そこからクライアントさん1人1人の人生で大切にしているものや今あることへのヒントが解けると、ものすごくワクワクするんだよね♪とルンルンしながら言っていた。
だから、まんちゃんがうちに来たのも、そうしたまんちゃんの好奇心があってのことだった。
まんちゃんは宿題を一切出さなかった人だけれど、一度だけ私に宿題を出した。
次のセッションまで1ヶ月あるから、その中でぶっしーがぶっしーの持っている木のテーブルと対話してきてください、というかなりヘンテコな宿題だった。
まんちゃんは私に宿題を出すフリをして、本当のところ、私よりもまんちゃんが私の出してくる答えを楽しみにしていたんじゃないかと思う。
そんな風にして、私はコーチングを受けて、そしてまんちゃんこそが私にスピリチュアルなことを教えてくれた人生で初めての人だった。
そういえばまんちゃんもいつか言っていたなぁと思い出した。
「僕ね、神さまとかそういう存在がいるとするなら、僕はぶっしーのところに遣わされたと思ってる。うまく説明できないけれど、ずっとずっとそう感じてた」
まんちゃんはいつもの静かな口調でそう呟いた。
そう、私はまんちゃんでなければ、絶対の絶対にスピリチュアルなんていう怪しいものには近付かなかった。
私はちょっとのアンチではなく、スーパーアンチだったから(これ!という明確な理由はないけれど、子どもの頃からそうした世界を疑念だらけで見ていた)、近付こうなんてただの一度も思ったことがなかった。
まんちゃんはふざけてるみたいに見えるかもしれないけれど、実はものすごい勉強家で、読書量はもちろんのこと、その小難しいスピリチュアルな本たちを片っ端から読んで、翻訳してくれて、私にその理論を次から次へと教えてくれた。
物理化学の脳みそが全くない私に、量子力学だのアインシュタインの相対性理論だのをものすごくわかりやすく教えてくれたのもまんちゃんだった。
まんちゃんがあまりにもわかりやすくそして面白く紹介してくれたもんだから、調子ぶっこいて私もそうした本を見に行った。
開いて卒倒するかと思ったぐらいに難しすぎて、本気で頭がクラクラした。
まんちゃんなくしては、私のそうした基礎知識は積み重ならなかった。
まんちゃんをスタートにして、私の世界はグンと広がった。
私だけだと怪しいからもう2つ言うと。
他にもまんちゃんのコーチングを受けて人生が激変する人たちは大勢いた。
愛知県と言えば、世界に名をとどろかす企業がいくつかあるけれど、その企業の社長と親交の深い人たちとやりとりしたり、その組織の個人的な活動を支える裏方の仕事をしたりと、実はすごい実力者たちと関わっていた。
また子どももすごくて、愛知県内でも超有名な文武両道の名門校のスポーツ推薦枠で特待生として入っていた。
私も塾の仕事をしていたからわかるけれど、そこは本気の学力とそして抜群の運動神経とそれのズバ抜けた大会成績の両方がないと特待にはなれない。
まんちゃんも奥さんもほぼほぼ個人の自由や生き方を最大限に尊重した子育てで子供と接し、そして子供自身が自分の進路をつかみ取った。
そういう大人に出逢えたこと、それも30歳を過ぎて本気で自分の人生がヤバすぎる(  ̄Д ̄;)という頃に出逢えたことは、私の人生の中でも生涯を通じてトップ5に入るすごい幸運なことだった。
そういう大人に出逢えたことで、私は自分の人生に少しずつ希望を持てるようになった。
おかしな人生でも、何かしら生き方があるのかもしれない、本気でまんちゃんは私にそう思わせてくれた人だった。
『質問』
第3話ではさらりと書いて流したけれども、実は私の質問力こそ色んなことにアンテナを張るためのキーポイントなんじゃないかと最近思うようになった。
私の中でいつも答えに困る質問の1つに「ぶっしーはどうやって質問を考えているの?」というのがある。
コーチングやカウンセリングの講座を受けると、絶対に「質問」に関しての理論は避けられない。
実践でも必要になる。
それは福祉の現場も同様だった。
ちなみに私は質問を考えたことがない。
自分が気になったことや疑問に思ったことをそのまま聞いているだけだから、「質問しよう!」と思って質問していない。
だからどうやって質問を考えているの?なんて聞かれると本気で困る。
しかも自分でも自覚しているけれども、私の質問は脈絡がない。
潜在意識側では意図があっても、自分で認識できる顕在意識の上では全く意図がない。
言うなら得意の「なんとなく」としか言いようがない。
で、前置きが長くなったけれども、私がある1冊の本に辿り着くまでにまず必要だったのは、疑問だった。
単純に、おじいちゃん(死者の魂)から語られた「お前は本物としか繋がれねぇんだろ」がどうにも引っかかって、その言葉がいつまでも自分の中に残った。
それを伝えてくれたヒーラーのOさんに質問をすると、それは啓示的なもので上の存在から伝えられたものだと説明された。
それで「啓示」が気になって仕方なかった私は、Oさんにそうしたことを勉強するための本を教えて欲しいとお願いした。
それが結局回り回って、私に必要な本と私とを引き合わせてくれた。
まさかそんなことを意図して聞いたわけじゃないから、結果そういうものが出てきて心底驚いた。
よく自己啓発や精神世界の分野では、「質問が人生を変える」と言われる。
私はどうもその考え方も苦手で、なんだかビジネスとかでバリバリやります!的な、それも本人がそうしたくてと言うより、例えば会社で認められたいとか、お客さんから高く評価されたいとか、どこか他人の評価も含まれている感が拭えなくて、その「質問が人生を変える」思想に違和感を覚えていた。
でも、今回「啓示」がどうにも気になって、Oさんに質問(詰問)し、そういうのを学べそうな本を教えてもらい、本を探しまくったら結局は自分が一番必要としている本に当たった、という結末になった。
自分の中でどうにもこうにも気になって仕方ないものに関して、私は自分が納得できるまで追い求めてしまう。
そうした質問、というより疑問は、人生を変えるかどうかは別にしても、自分にとって大切なものへと導いてくれると思う。
私はやったことがあるからわかるけれど、相手に良い気付きを与えよう!なんて意図して質問なんかした日には、大概しょうもないことを聞いていて、質問よりも私の誤った意図が伝わって、下手すると事態が悪化することもある。
だけど、単純に自分が気になったことをそのまま聞いたら、それの方が相手もハッとなることが多い。
だから、質問しようとか、疑問を持ってみようとかいう意図はせずに、ふと心に浮かんだもの、どういうわけか気になって仕方ないもの、そうしたものを追いかけていくと、思わぬ形で必要なのものに巡り合う、私にはそんな風に感じる。
>>>2019/01/27
ただ今第4話執筆中。
自分の中では相当書いたつもりでいたら、まだまだ前半とわかって撃沈( ´Д`;)\\…。
私の中では、1月中に書き終えたい!と一応の目標はある。
たくさん書いた気でいるのは、このウラ話も書いているのと、あと今年に入ってから書いているものの大半は、この『奇跡の果実』を構成する話たちと連動しているからだと思う。
どハマりしている動画を昨日も見た。
カードリーディングをされる方のもの。
その方は動画で必ず視聴者向けに四択のカードを用意して、それぞれ好きなのを私たち視聴者は選んで、そしてそれぞれのカードからのメッセージをその方が読み解くというコーナーがある。
私は勝手にその方と以心伝心(o´艸`)と勘違いするほど、とにかく毎回その時にピッタリなメッセージをその方の動画からもらう。
昨日の夜見たのもまさにそうで、そしてテーマは「今取り組んでいるもの」という意味での読み解きだった。
真っ先にこの『奇跡の果実』が頭に浮かんだ。
私の中で、このストーリーだけは絶対に他の人たちと共有する必要のあるもの、と認識している。
そんなことしたところで何の意味も今のところないけれども、むしろもっと他のことしろよ!という話もなくはないけれど…。
それでもこれだけは絶対にやりきらないといけないと感じている。
私が見ているもの・私が感じているもの、それらを言葉にすること、そして発信することが大事だと感じている。
そうしたら、その動画でも全く同じことをメッセージとしてその私の大好きなカードリーディングされる方が話してた!
これでいいんだと思った。
しかも、昨日の動画はいつもとさらに違っていて、なんと絵柄と絵柄のタイトル、二字熟語2つ、月の形、その4つの要素だけで、あと残りは全部その方がオリジナルで読むスタイルだった。
例えば私が選んだものは、
・絵柄:大きなキノコをモチーフにした創作物
・タイトル:大きなキノコとアリス
・二字熟語:構築・創造
・月の形:first quarter (新月を経て上弦の月になるところまで)
この材料だけでその人は自分の感覚だけで読み解くわけだから、半端なくすごい。
これ、世の中で彼女のように読み解ける人は限りなくゼロに近いと思う。
もう1人友達で彼女並みにカードの読み解きができる人を知っているけれど、彼女のスタイルと友達のスタイルは全く違う。
超フリースタイルで読み解く彼女の口から語られる言葉を聞きながら、この話を完成させようと決意を新たにした。
だって上に書いたものから彼女の感性で読み解いたメッセージと今の私の状況とが見事にマッチするなんて、スピリチュアル的には普通にありだけど、通常の世間一般的な視点から見たら有り得ない。
彼女からのメッセージを要約するとこんな風だった。
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自分の中で大きく育っているものに対して、ためらわずそれをそのまましっかりと作っていく。そしてその上に自分のアイディアや行動をのせて、その育っているものを確かなものにしていく。そのためにも、その調子でどんどん積極的に進める。
今現在何かしらの成果や豊かさ、実りを手にしている状況。その実りを独り占めせずに、自分なりの形で周りにも還元していくことが大事。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
これは最後に書こうと思っていることだけど、まさにこの話は『メッセージ』なんだと思う。
見えない世界は、時間も空間も存在しないと言われるだけあって、物事の動き方が尋常じゃない。
有り得ないことがいくつも重なるし、有り得ないスピードで物事も動いている。
私は今回の一連のことは、単なる私たちが生きている現実の中だけに存在していることだと思っていない。
死者の方の魂だけじゃなくて、もっと大きな意図、それは神様とか天界とかそういうレベルのところからの何かしらのテコ入れがある事柄だと思っている。
神様とか天界とかって書いたけれど、それは何でもいい。
私が指しているのは、とにかく私たち人間だけでは到底動かせない力が働いている、その力を発動させる主のこと。
そちら側は言葉を持たない。
言葉は持たないけれども、事象として私に色んなことを見せてくれる。
そして、私にできるのはその事象を言葉で説明することと、その事象から見えている景色・メッセージを私の言葉で表現すること。
と思いつつも、ぶっちゃけ1つ1つを振り返って、細部に宿るものを拾い上げていく作業はかなり面倒くさい(←おいっ!)
書きたい気持ちもあるし、面倒な気持ちもある。
ちなみに第4話に関して言えば、本当に分刻みで物事が寸分の狂いもなく起こっていたから、それを検証するためにも今LINEを過去に遡って見たり、音声を再生して聞いたりして、時間や出来事を整理している。
(↑これこそが本気で面倒くさい)
私も自分で何を言ってるんだろう?と思うけれども、今頭に浮かんだからそのまま書いてしまう。
多分、今回のことは、こうした面倒くさいとかいう愚痴や私の個人的なやらかし具合も話に入れないといけないんだと思う。
基本的にネガティブに見えるものも含めてのストーリーtellerになることが大事なポイントのような気がしている。
綺麗事だけを伝えてはいけないんだと思う。
いくらでも隠すことはできるけれども、そうではなく、あえて綺麗事では済まされなかった部分も全て表に出すことが大事なんだと思う。
それがどういう意味かなんてのは今はまだわからないけれども、多分私のこの感覚で当たりなはず。
全て書き終えた時に多分その意味もわかるんじゃないかと期待している。
ということで、これから第4話の話に戻る。
(心の声は相変わらず「面倒くさい」の一言に尽きる…(  ̄Д ̄;))
>>>2019/01/28
今第5話を書いている。
当初第5話のタイトルは『仕切り直し』だった。
すべて一旦整理して、そこからまた再出発するシーンが中心に描かれる予定だったから、「仕切り直し」という言葉がぴったりだった。
ところが書いているうちに「繋がり」の方がより強く感覚として出てきて、そして「繋がり」を中心軸に据えて全体を眺めると、たしかに「繋がり」だと気付かされた。
冒頭に書いた第2話のタイトル『繋がる。』とは違う。
>>繋がったからそれは未来の話でも予想の話でもなく、「完了」していることを表すために。
それに対し、第5話は『繋がり』になる。
これには私の中でこういう想いがある。
『繋がり』は完了じゃない。
過去も今も未来もすべて含まれている。
過去からの積み重ねたものが今に繋がっていて、そして多分それが未来にも繋がっていく。
現在進行形でありながら、過去形も未来形も全部を含んでいる。
未来形に関しては「未来も繋がれたらいいなぁ」という私の願いも含まれるけれど、基本的には今の積み重ねを未来に引き継ぎたいと切に願っている。
そういう意味を込めて『繋がり』になった。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
顔がニヤつきそうな勢い(o´艸`)。
私を「ぶっしーさん」と呼んで私を萌えさせてくれる男の子のお母さんからとっても素敵な言葉をいただいた。
「あの子が今、唯一頼れるのは、それも自分から頼れるのは、ぶっしーちゃんしかいないんだから!」
脳が昇天するかと思ったぐらいに嬉しかった。
これは本当に嬉しい。
私はその子が今、長い長い孤独な戦いを1人でずっとしていることを知っている。
初めて会った時は高校生だったと思う。
あれからもう6年、7年になる。
私はその子に初めて会った時のことをとてもよく覚えている。
会って言葉を交わしてすぐに只者じゃないことはわかった。
忘れられないぐらいにインパクトのある子だった。
同じ人間なのに、どうしたらこうも興味が向かう方向が違って、さらにその子の興味の矛先というのがものすごくマニアックで、多分私は生涯を通じて同じものに興味のある人には出会わないだろうと確信した。
本当にズバ抜けた能力を持つ子どもを「ギフテッド(gifted)」と呼ぶけれど、その子がまさにそうだった。
その子は正真正銘のギフテッドだった。
で、もう1年近く連絡がなかったけれども、今回のこのタイミングでその子から連絡がきて、またちょっとの間だけ英語を仲介役としてその子と関われることになった。
だから、多分だけど、今この子と関わることがまた1つ大きな意味があるんだと思う。
早速お節介ババアとして、超積極的に、頼まれてもいない癒しのレシピを作るという手段を講じている。
全て事後報告かのごとく、後から形だけの了解を本人から得てやっている。
(言い訳すると、色々その子に関しての情報が来てしまったから、放置するわけにいかなくて、それをカモのようにしてその子に積極的に連絡を取っている)
はっきり言って私は、英語関連の仕事や手伝いが全く好きじゃない。
だけど、それを媒介役としてこうして素敵な男の子と関わらせてもらえるなら、英語の手伝いも全然嫌じゃなくなる。
むしろ、英語様様になる。
いつもこうして素敵な人たちに関わらせてもらえる時、思う。
本当は間でやりとりする手段や道具なんて何でもいいんだろうなぁって。
それがペンジュラムでも英語でもご飯でもいい。
手段や道具じゃなくて、誰と関わり合いになるのかや、どう目の前の人と時間を共に過ごすのかだと感じる。
自分の人生のテーマ「一期一会」の教えが、いつも事あるごとに頭の中をこだまする。
ある時、その人は私に言った。
自分にとっての一期一会は、単に出逢うというだけの意味じゃなくて、その出逢った人と過ごせるのがこれが最後だとするなら、その人に今自分は何ができるだろうって考えて、そしてその考えを行動に移す、それが一期一会だと語った。
ちなみにその人は本当にそれを体現している人だった、全身全霊で。
私はその人の足元にも及ばないけれども、そうしたことを本当に頭の片隅に置いて少しでもそれに近付けるようになりたい。
ちなみに男の子のお母さんと「奇跡の果実」が「禁断の果実」にならないように気をつける!と大笑いしながら、明日以降またその萌え萌えな男の子とやりとりをする(o´艸`)。
>>>2019/01/29
今回が人生で3度目。
多分今、自分の中の細胞が入れ替わろうとしている。
人生が大きく変わるポイントの時、どういうわけか私の睡眠はおかしなことになる。
1日平均して通常の半分から6割程度で足りてしまう。
今回も数日前から1日あたり4時間ほどしか寝てなくても夜もやたらと夜ふかしをしても平気だし、朝も朝で目が覚める。
昼寝なしでも全然いけていて、そしてあまり疲れない。
体がそれで保たれてるところを見ると、今回は体までもが協力してこのシリーズを書き上げることが大事なんだと思っている。
現実の私はどこかで「で、仕事どうするわけ?」と考えるかたわらで、このシリーズをとにかく他のことを最低限しかせずにひたすら書いてる。
最低限の家事と必要に応じて必要な方たちとやり取りして、それで今日常を動かしている。
お金や仕事に結びついていないとわかっていても、それでもこれだけは絶対にやりきらなきゃいけないことだと思っている。
何でそう思うのか、何がそこまで私を駆り立てるのかは知らない。
だけど、何かとてつもなく大きなものと結びついて、これだけのことが起こっている、そんな気がしている。
>>>2019/01/29
今日は、この『奇跡の果実』シリーズではなく、例の私を「ぶっしーさん」と呼んでくれる男の子に向けての癒しのレシピを書いていた。
それだって奇跡の果実から続いている流れの上にあると感じている。
今回の癒しのレシピは、奇跡の果実の資料を作った時並みに気合いを入れまくって作った。
書きながらわかっていた。
多分その言葉をその子の人生の中で今伝えられるのは、私だけだろうなということ。
今回はまさに人1人の人生がかかったタイミングでのメッセージで、癒しのレシピと言うよりも人生のエールって感じだった。
多分その子にこうして伝えるのは、今回が最初で最後だと感じた。
そして私もそれに賭けた。
すごい能力に対して本人がそこに気付いていくタイミングなんだと感じた。
だから、それを伝える、そうしたすごい局面に居合わせるその幸運を思った。
本人が自分の能力に気付いて、どんな風に化けていくのか今から楽しみで仕方ない。
今私がこういうことができるのも、自分も色んな人たちからビックリするぐらいたくさん助けてもらったから。
今度は自分が逆の立場になりつつあるんだということに、今回気付いた。
立場が変わるとか言っても、やることはどんな時も基本一緒で、自分にできることをやる、ただそれだけだといつも思っている。
タイトルを『ウラ話①』にしたのは、多分②も書きそうな気がするから。
まだシリーズ半分は書けてないけれども、3分の1は終わったと思う。
1月中の完成は無理だから(T-T)、せめてあと1週間とかで終わらせたい。
ついでの余談。
今日、癒しのレシピを作る前に、部屋に掃除機をかけて、テーブルも整えて、それから始めた。
木のテーブルの上には、10年以上前にメキシコで買ってきた伝統刺繍がほどこされたランチョンマットみたいなのを敷いて(←最近見つけて、今日初めて使った)、その上にペンジュラムはじめいくつかの私のパワーグッズを並べた。
何か神聖なものを始める前の儀式みたいでいいなぁと思った。
そのパワーグッズの中に、自分のオルゴナイトと未来のプレゼントとして準備した別のオルゴナイト、そしてお守りのようにずっと持っている名刺も置いた。
名刺にペンジュラムで問いかけると、名刺もそこに置かれることを好んでいるとのことだった。
普通に考えて、紙切れ1枚にパワーが宿っているなんておかしいかもしれないけれど、私にはものすごい大事なものだから、基本的に自分の近くにいつも置いている。
名刺に刻まれている名前の人に、ずっと助けられてきたんだなと思う。
直接じゃないけれど、それでも本当に大事な場面では必ず何かしらの形で助けてもらっている。
「繋がり」
私が望む形での繋がりではないけれど、それでもこの繋がりがあっての『奇跡の果実』シリーズだというのも身に染みてわかる。
名刺の主だって、まさかそんな風に私が自分の名刺を使っているなんて想像さえしていないだろう。
しかも渡したのだって、ビジネスマナーとして私に手渡しただけで、渡した本人だってそれがこんな風に役立っていくなんて全く思っていなかったと思う。
当たり前だけど、直接手渡してもらったんだよね…?、と今さらなことを自分に確認してしまう。
もう自分の記憶の中にしかいないその人と、手元にある名刺と、2つ重ねるとすごく変な感覚になる。
名刺が何であるのか、わからなくなる。
人はいないのに名刺だけがある、その感じがすごく変に感じて、現実に本当に起こったのかどうか、現実に本当に出逢えていたのかどうか、わからなくなる。
おじいちゃんの霊が登場して感じたことがある。
基本は、生きているうちにしか互いに伝え合えないということ。
死んだら基本的には伝えられない。
でもじゃあ、生きているのに伝え合えないのは、さらにどうしたらいいんだろうと思う。
『第2話のタイトル』
第2話のタイトルは『繋がる。』だった。
それは単におじいちゃん(死者)の魂と繋がったという意味ではあったけれど、私は最後「。」を付けた。
なぜなら、繋がったからそれは未来の話でも予想の話でもなく、「完了」していることを表すために。
>>>2019/01/25
『ギフト』
ふと出てきた。
今回の『奇跡の果実』の最後にくる文章のタイトルは『ギフト』。
なぜなら、今回の一連のことを通じて、私が受け取っているのはまさにギフトだから。
しかも、それはプレゼントというよりも『ギフト』の方が感覚的に近い。
グーグル先生で調べたら、ギフトは価値ある贈り物、天賦の才なんかも指すらしい。
そして、プレゼントは友達とか同士の間で交わされるものだとするなら、ギフトは目上の人から目下の人へ、今回なら天空からの贈り物という感じ。
私の中で一番大きかったのは、今回の一連のことのおかげで、私の中の意識が大きく変化したこと。
これもいつか書きたいけれども、どうして私に心理ワークや引き寄せの法則やアファメーション(言葉を唱えての自己実現の方法)とかが効かなかったのか、それがわかった。
その理由が明確にわかった。
そしてそここそ私が自分のテーマとしてずっと持っていたものでもあった。
そうしたことにも気付かせてくれた今回の出来事。
しかも今それに気付かせてくれたのは、ある1冊の本だった。
すべてのことがすべてきれいに歯車が回っていた。
一見ネガティブなことに見えることも、そうではない事実を知る。
そうした視点がさらに一層強化された。
目の前には本の宣伝がある。
『君たちは何者だ?』
TSUTAYA N店にて
>>>2019/01/26
第3話の『未来と過去の交差点』に追加で書きたかったこと。
本編があまりにも長くて、こっちのウラ話側に入れることにした。
私が最初に行き着いた『本物』の人とのことを思い出したから、あと自分の質問について感じていることを書きたい。
忘れもしない2010年の8月8日、私はコーチングが何かということも知らずにコーチングの説明会に赴いた。
その日に出逢ったのが、後に私がコーチングの個人セッションを2年間受け続けることになったコーチのまんちゃんだった。
まんちゃんは当時40代で、高校生と中学生の男の子2人のパパで、面白い奥さんもいる、まぁ世間一般では普通な感じのおじさんに入る人だった。
最初の数回は、お互いを苗字にさん付けするという何とも距離感ありありな関係でコーチとクライアントという感じだったけれども、いつしか互いをまんちゃんとぶっしーと呼ぶようになった。
コーチングというと、世間一般では目標設定をしてそれに向けたメンタルトレーニングと意図的な行動を多く取り入れるみたいな感じが強いけれど、まんちゃんのコーチングはそれとは全く毛色の違うものだった。
私の希望もあって、まんちゃんと私のセッションはずいぶんと変わっていた。
学校のグラウンド並みに広い有料の芝生広場に行ってそこに2人でひっくり返って青空を眺めたり。
トトロに出てくるような木のトンネルをくぐり抜けてそして見つけた枯れ木と枯れ草だらけの空間に適当に腰を下ろしてそこでおしゃべりしたり。
いつかは熱田神宮でやろうと約束したら、その日は名古屋で雪が降って、雪が降る中、外で2人でサンルーフみたいな屋根付きの場所で池を見ながら甘酒を飲みながらセッションをしたり。
まんちゃんの希望で、私がわざわざオーダーして作ってもらった世界に1つしかない木のテーブルと私の適当料理を囲んでセッションをしたり。
多分世の中で認識されているコーチングとはずいぶんと違うコーチングを受けていた。
ずいぶんとおかしなコーチングだったけれども、効果は抜群だった。
そして目標設定など全くしていなかったのに、文字通り私は仕事で売上も契約率も両方上げまくった。
私はまんちゃんがしているのは、コーチングじゃなくてマンチングというまんちゃんにしかできない唯一無二の魔法だと思った。
そんなまんちゃんがある時大真面目に私に言ってきた。
「僕ね、本当の本当にやりたい職業はサンタクロースなんだよ」
40代の現役バリバリのそして子育て中のお父さんが普通に真顔で言うことじゃないのは、さすがに私もわかっている。
でも、まんちゃんは本気だったし、そしてまんちゃんと知り合った翌年のクリスマス、まんちゃんは飛びっきりの笑顔で私にクリスマスプレゼントをくれた。
木のお皿2枚と木のバターナイフだった。
それをお店で見た時に「これぶっしーにぴったり!」と思った話を教えてくれた。
私はプレゼントもとても嬉しかったけれども、それ以上に私の知らないところでまんちゃんが私のためにプレゼントを選ぶためにかけてくれた時間やまんちゃんの気持ちそのものが嬉しかった。
その年、まんちゃんは文字通り本当のサンタクロースになって、私以外にも色んな人たちに個人的にプレゼントを用意して配り歩いていた。
そうやってまんちゃんは自分の本当の願いを叶えていた。
他にもまんちゃんは気に入った本があると、そしてそれが私に必要だと感じると、本をプレゼントしてくれた。
全部で数冊プレゼントしてもらった。
それも同じように色んな人たちにしてくれていた。
あと、もう1つまんちゃんが超絶ハマっていたものは「謎解き」だった。
普通にミステリーとかの謎解きも好きだけれど、クライアントさんたちと話していて、そこからクライアントさん1人1人の人生で大切にしているものや今あることへのヒントが解けると、ものすごくワクワクするんだよね♪とルンルンしながら言っていた。
だから、まんちゃんがうちに来たのも、そうしたまんちゃんの好奇心があってのことだった。
まんちゃんは宿題を一切出さなかった人だけれど、一度だけ私に宿題を出した。
次のセッションまで1ヶ月あるから、その中でぶっしーがぶっしーの持っている木のテーブルと対話してきてください、というかなりヘンテコな宿題だった。
まんちゃんは私に宿題を出すフリをして、本当のところ、私よりもまんちゃんが私の出してくる答えを楽しみにしていたんじゃないかと思う。
そんな風にして、私はコーチングを受けて、そしてまんちゃんこそが私にスピリチュアルなことを教えてくれた人生で初めての人だった。
そういえばまんちゃんもいつか言っていたなぁと思い出した。
「僕ね、神さまとかそういう存在がいるとするなら、僕はぶっしーのところに遣わされたと思ってる。うまく説明できないけれど、ずっとずっとそう感じてた」
まんちゃんはいつもの静かな口調でそう呟いた。
そう、私はまんちゃんでなければ、絶対の絶対にスピリチュアルなんていう怪しいものには近付かなかった。
私はちょっとのアンチではなく、スーパーアンチだったから(これ!という明確な理由はないけれど、子どもの頃からそうした世界を疑念だらけで見ていた)、近付こうなんてただの一度も思ったことがなかった。
まんちゃんはふざけてるみたいに見えるかもしれないけれど、実はものすごい勉強家で、読書量はもちろんのこと、その小難しいスピリチュアルな本たちを片っ端から読んで、翻訳してくれて、私にその理論を次から次へと教えてくれた。
物理化学の脳みそが全くない私に、量子力学だのアインシュタインの相対性理論だのをものすごくわかりやすく教えてくれたのもまんちゃんだった。
まんちゃんがあまりにもわかりやすくそして面白く紹介してくれたもんだから、調子ぶっこいて私もそうした本を見に行った。
開いて卒倒するかと思ったぐらいに難しすぎて、本気で頭がクラクラした。
まんちゃんなくしては、私のそうした基礎知識は積み重ならなかった。
まんちゃんをスタートにして、私の世界はグンと広がった。
私だけだと怪しいからもう2つ言うと。
他にもまんちゃんのコーチングを受けて人生が激変する人たちは大勢いた。
愛知県と言えば、世界に名をとどろかす企業がいくつかあるけれど、その企業の社長と親交の深い人たちとやりとりしたり、その組織の個人的な活動を支える裏方の仕事をしたりと、実はすごい実力者たちと関わっていた。
また子どももすごくて、愛知県内でも超有名な文武両道の名門校のスポーツ推薦枠で特待生として入っていた。
私も塾の仕事をしていたからわかるけれど、そこは本気の学力とそして抜群の運動神経とそれのズバ抜けた大会成績の両方がないと特待にはなれない。
まんちゃんも奥さんもほぼほぼ個人の自由や生き方を最大限に尊重した子育てで子供と接し、そして子供自身が自分の進路をつかみ取った。
そういう大人に出逢えたこと、それも30歳を過ぎて本気で自分の人生がヤバすぎる(  ̄Д ̄;)という頃に出逢えたことは、私の人生の中でも生涯を通じてトップ5に入るすごい幸運なことだった。
そういう大人に出逢えたことで、私は自分の人生に少しずつ希望を持てるようになった。
おかしな人生でも、何かしら生き方があるのかもしれない、本気でまんちゃんは私にそう思わせてくれた人だった。
『質問』
第3話ではさらりと書いて流したけれども、実は私の質問力こそ色んなことにアンテナを張るためのキーポイントなんじゃないかと最近思うようになった。
私の中でいつも答えに困る質問の1つに「ぶっしーはどうやって質問を考えているの?」というのがある。
コーチングやカウンセリングの講座を受けると、絶対に「質問」に関しての理論は避けられない。
実践でも必要になる。
それは福祉の現場も同様だった。
ちなみに私は質問を考えたことがない。
自分が気になったことや疑問に思ったことをそのまま聞いているだけだから、「質問しよう!」と思って質問していない。
だからどうやって質問を考えているの?なんて聞かれると本気で困る。
しかも自分でも自覚しているけれども、私の質問は脈絡がない。
潜在意識側では意図があっても、自分で認識できる顕在意識の上では全く意図がない。
言うなら得意の「なんとなく」としか言いようがない。
で、前置きが長くなったけれども、私がある1冊の本に辿り着くまでにまず必要だったのは、疑問だった。
単純に、おじいちゃん(死者の魂)から語られた「お前は本物としか繋がれねぇんだろ」がどうにも引っかかって、その言葉がいつまでも自分の中に残った。
それを伝えてくれたヒーラーのOさんに質問をすると、それは啓示的なもので上の存在から伝えられたものだと説明された。
それで「啓示」が気になって仕方なかった私は、Oさんにそうしたことを勉強するための本を教えて欲しいとお願いした。
それが結局回り回って、私に必要な本と私とを引き合わせてくれた。
まさかそんなことを意図して聞いたわけじゃないから、結果そういうものが出てきて心底驚いた。
よく自己啓発や精神世界の分野では、「質問が人生を変える」と言われる。
私はどうもその考え方も苦手で、なんだかビジネスとかでバリバリやります!的な、それも本人がそうしたくてと言うより、例えば会社で認められたいとか、お客さんから高く評価されたいとか、どこか他人の評価も含まれている感が拭えなくて、その「質問が人生を変える」思想に違和感を覚えていた。
でも、今回「啓示」がどうにも気になって、Oさんに質問(詰問)し、そういうのを学べそうな本を教えてもらい、本を探しまくったら結局は自分が一番必要としている本に当たった、という結末になった。
自分の中でどうにもこうにも気になって仕方ないものに関して、私は自分が納得できるまで追い求めてしまう。
そうした質問、というより疑問は、人生を変えるかどうかは別にしても、自分にとって大切なものへと導いてくれると思う。
私はやったことがあるからわかるけれど、相手に良い気付きを与えよう!なんて意図して質問なんかした日には、大概しょうもないことを聞いていて、質問よりも私の誤った意図が伝わって、下手すると事態が悪化することもある。
だけど、単純に自分が気になったことをそのまま聞いたら、それの方が相手もハッとなることが多い。
だから、質問しようとか、疑問を持ってみようとかいう意図はせずに、ふと心に浮かんだもの、どういうわけか気になって仕方ないもの、そうしたものを追いかけていくと、思わぬ形で必要なのものに巡り合う、私にはそんな風に感じる。
>>>2019/01/27
ただ今第4話執筆中。
自分の中では相当書いたつもりでいたら、まだまだ前半とわかって撃沈( ´Д`;)\\…。
私の中では、1月中に書き終えたい!と一応の目標はある。
たくさん書いた気でいるのは、このウラ話も書いているのと、あと今年に入ってから書いているものの大半は、この『奇跡の果実』を構成する話たちと連動しているからだと思う。
どハマりしている動画を昨日も見た。
カードリーディングをされる方のもの。
その方は動画で必ず視聴者向けに四択のカードを用意して、それぞれ好きなのを私たち視聴者は選んで、そしてそれぞれのカードからのメッセージをその方が読み解くというコーナーがある。
私は勝手にその方と以心伝心(o´艸`)と勘違いするほど、とにかく毎回その時にピッタリなメッセージをその方の動画からもらう。
昨日の夜見たのもまさにそうで、そしてテーマは「今取り組んでいるもの」という意味での読み解きだった。
真っ先にこの『奇跡の果実』が頭に浮かんだ。
私の中で、このストーリーだけは絶対に他の人たちと共有する必要のあるもの、と認識している。
そんなことしたところで何の意味も今のところないけれども、むしろもっと他のことしろよ!という話もなくはないけれど…。
それでもこれだけは絶対にやりきらないといけないと感じている。
私が見ているもの・私が感じているもの、それらを言葉にすること、そして発信することが大事だと感じている。
そうしたら、その動画でも全く同じことをメッセージとしてその私の大好きなカードリーディングされる方が話してた!
これでいいんだと思った。
しかも、昨日の動画はいつもとさらに違っていて、なんと絵柄と絵柄のタイトル、二字熟語2つ、月の形、その4つの要素だけで、あと残りは全部その方がオリジナルで読むスタイルだった。
例えば私が選んだものは、
・絵柄:大きなキノコをモチーフにした創作物
・タイトル:大きなキノコとアリス
・二字熟語:構築・創造
・月の形:first quarter (新月を経て上弦の月になるところまで)
この材料だけでその人は自分の感覚だけで読み解くわけだから、半端なくすごい。
これ、世の中で彼女のように読み解ける人は限りなくゼロに近いと思う。
もう1人友達で彼女並みにカードの読み解きができる人を知っているけれど、彼女のスタイルと友達のスタイルは全く違う。
超フリースタイルで読み解く彼女の口から語られる言葉を聞きながら、この話を完成させようと決意を新たにした。
だって上に書いたものから彼女の感性で読み解いたメッセージと今の私の状況とが見事にマッチするなんて、スピリチュアル的には普通にありだけど、通常の世間一般的な視点から見たら有り得ない。
彼女からのメッセージを要約するとこんな風だった。
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自分の中で大きく育っているものに対して、ためらわずそれをそのまましっかりと作っていく。そしてその上に自分のアイディアや行動をのせて、その育っているものを確かなものにしていく。そのためにも、その調子でどんどん積極的に進める。
今現在何かしらの成果や豊かさ、実りを手にしている状況。その実りを独り占めせずに、自分なりの形で周りにも還元していくことが大事。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
これは最後に書こうと思っていることだけど、まさにこの話は『メッセージ』なんだと思う。
見えない世界は、時間も空間も存在しないと言われるだけあって、物事の動き方が尋常じゃない。
有り得ないことがいくつも重なるし、有り得ないスピードで物事も動いている。
私は今回の一連のことは、単なる私たちが生きている現実の中だけに存在していることだと思っていない。
死者の方の魂だけじゃなくて、もっと大きな意図、それは神様とか天界とかそういうレベルのところからの何かしらのテコ入れがある事柄だと思っている。
神様とか天界とかって書いたけれど、それは何でもいい。
私が指しているのは、とにかく私たち人間だけでは到底動かせない力が働いている、その力を発動させる主のこと。
そちら側は言葉を持たない。
言葉は持たないけれども、事象として私に色んなことを見せてくれる。
そして、私にできるのはその事象を言葉で説明することと、その事象から見えている景色・メッセージを私の言葉で表現すること。
と思いつつも、ぶっちゃけ1つ1つを振り返って、細部に宿るものを拾い上げていく作業はかなり面倒くさい(←おいっ!)
書きたい気持ちもあるし、面倒な気持ちもある。
ちなみに第4話に関して言えば、本当に分刻みで物事が寸分の狂いもなく起こっていたから、それを検証するためにも今LINEを過去に遡って見たり、音声を再生して聞いたりして、時間や出来事を整理している。
(↑これこそが本気で面倒くさい)
私も自分で何を言ってるんだろう?と思うけれども、今頭に浮かんだからそのまま書いてしまう。
多分、今回のことは、こうした面倒くさいとかいう愚痴や私の個人的なやらかし具合も話に入れないといけないんだと思う。
基本的にネガティブに見えるものも含めてのストーリーtellerになることが大事なポイントのような気がしている。
綺麗事だけを伝えてはいけないんだと思う。
いくらでも隠すことはできるけれども、そうではなく、あえて綺麗事では済まされなかった部分も全て表に出すことが大事なんだと思う。
それがどういう意味かなんてのは今はまだわからないけれども、多分私のこの感覚で当たりなはず。
全て書き終えた時に多分その意味もわかるんじゃないかと期待している。
ということで、これから第4話の話に戻る。
(心の声は相変わらず「面倒くさい」の一言に尽きる…(  ̄Д ̄;))
>>>2019/01/28
今第5話を書いている。
当初第5話のタイトルは『仕切り直し』だった。
すべて一旦整理して、そこからまた再出発するシーンが中心に描かれる予定だったから、「仕切り直し」という言葉がぴったりだった。
ところが書いているうちに「繋がり」の方がより強く感覚として出てきて、そして「繋がり」を中心軸に据えて全体を眺めると、たしかに「繋がり」だと気付かされた。
冒頭に書いた第2話のタイトル『繋がる。』とは違う。
>>繋がったからそれは未来の話でも予想の話でもなく、「完了」していることを表すために。
それに対し、第5話は『繋がり』になる。
これには私の中でこういう想いがある。
『繋がり』は完了じゃない。
過去も今も未来もすべて含まれている。
過去からの積み重ねたものが今に繋がっていて、そして多分それが未来にも繋がっていく。
現在進行形でありながら、過去形も未来形も全部を含んでいる。
未来形に関しては「未来も繋がれたらいいなぁ」という私の願いも含まれるけれど、基本的には今の積み重ねを未来に引き継ぎたいと切に願っている。
そういう意味を込めて『繋がり』になった。
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顔がニヤつきそうな勢い(o´艸`)。
私を「ぶっしーさん」と呼んで私を萌えさせてくれる男の子のお母さんからとっても素敵な言葉をいただいた。
「あの子が今、唯一頼れるのは、それも自分から頼れるのは、ぶっしーちゃんしかいないんだから!」
脳が昇天するかと思ったぐらいに嬉しかった。
これは本当に嬉しい。
私はその子が今、長い長い孤独な戦いを1人でずっとしていることを知っている。
初めて会った時は高校生だったと思う。
あれからもう6年、7年になる。
私はその子に初めて会った時のことをとてもよく覚えている。
会って言葉を交わしてすぐに只者じゃないことはわかった。
忘れられないぐらいにインパクトのある子だった。
同じ人間なのに、どうしたらこうも興味が向かう方向が違って、さらにその子の興味の矛先というのがものすごくマニアックで、多分私は生涯を通じて同じものに興味のある人には出会わないだろうと確信した。
本当にズバ抜けた能力を持つ子どもを「ギフテッド(gifted)」と呼ぶけれど、その子がまさにそうだった。
その子は正真正銘のギフテッドだった。
で、もう1年近く連絡がなかったけれども、今回のこのタイミングでその子から連絡がきて、またちょっとの間だけ英語を仲介役としてその子と関われることになった。
だから、多分だけど、今この子と関わることがまた1つ大きな意味があるんだと思う。
早速お節介ババアとして、超積極的に、頼まれてもいない癒しのレシピを作るという手段を講じている。
全て事後報告かのごとく、後から形だけの了解を本人から得てやっている。
(言い訳すると、色々その子に関しての情報が来てしまったから、放置するわけにいかなくて、それをカモのようにしてその子に積極的に連絡を取っている)
はっきり言って私は、英語関連の仕事や手伝いが全く好きじゃない。
だけど、それを媒介役としてこうして素敵な男の子と関わらせてもらえるなら、英語の手伝いも全然嫌じゃなくなる。
むしろ、英語様様になる。
いつもこうして素敵な人たちに関わらせてもらえる時、思う。
本当は間でやりとりする手段や道具なんて何でもいいんだろうなぁって。
それがペンジュラムでも英語でもご飯でもいい。
手段や道具じゃなくて、誰と関わり合いになるのかや、どう目の前の人と時間を共に過ごすのかだと感じる。
自分の人生のテーマ「一期一会」の教えが、いつも事あるごとに頭の中をこだまする。
ある時、その人は私に言った。
自分にとっての一期一会は、単に出逢うというだけの意味じゃなくて、その出逢った人と過ごせるのがこれが最後だとするなら、その人に今自分は何ができるだろうって考えて、そしてその考えを行動に移す、それが一期一会だと語った。
ちなみにその人は本当にそれを体現している人だった、全身全霊で。
私はその人の足元にも及ばないけれども、そうしたことを本当に頭の片隅に置いて少しでもそれに近付けるようになりたい。
ちなみに男の子のお母さんと「奇跡の果実」が「禁断の果実」にならないように気をつける!と大笑いしながら、明日以降またその萌え萌えな男の子とやりとりをする(o´艸`)。
>>>2019/01/29
今回が人生で3度目。
多分今、自分の中の細胞が入れ替わろうとしている。
人生が大きく変わるポイントの時、どういうわけか私の睡眠はおかしなことになる。
1日平均して通常の半分から6割程度で足りてしまう。
今回も数日前から1日あたり4時間ほどしか寝てなくても夜もやたらと夜ふかしをしても平気だし、朝も朝で目が覚める。
昼寝なしでも全然いけていて、そしてあまり疲れない。
体がそれで保たれてるところを見ると、今回は体までもが協力してこのシリーズを書き上げることが大事なんだと思っている。
現実の私はどこかで「で、仕事どうするわけ?」と考えるかたわらで、このシリーズをとにかく他のことを最低限しかせずにひたすら書いてる。
最低限の家事と必要に応じて必要な方たちとやり取りして、それで今日常を動かしている。
お金や仕事に結びついていないとわかっていても、それでもこれだけは絶対にやりきらなきゃいけないことだと思っている。
何でそう思うのか、何がそこまで私を駆り立てるのかは知らない。
だけど、何かとてつもなく大きなものと結びついて、これだけのことが起こっている、そんな気がしている。
>>>2019/01/29
今日は、この『奇跡の果実』シリーズではなく、例の私を「ぶっしーさん」と呼んでくれる男の子に向けての癒しのレシピを書いていた。
それだって奇跡の果実から続いている流れの上にあると感じている。
今回の癒しのレシピは、奇跡の果実の資料を作った時並みに気合いを入れまくって作った。
書きながらわかっていた。
多分その言葉をその子の人生の中で今伝えられるのは、私だけだろうなということ。
今回はまさに人1人の人生がかかったタイミングでのメッセージで、癒しのレシピと言うよりも人生のエールって感じだった。
多分その子にこうして伝えるのは、今回が最初で最後だと感じた。
そして私もそれに賭けた。
すごい能力に対して本人がそこに気付いていくタイミングなんだと感じた。
だから、それを伝える、そうしたすごい局面に居合わせるその幸運を思った。
本人が自分の能力に気付いて、どんな風に化けていくのか今から楽しみで仕方ない。
今私がこういうことができるのも、自分も色んな人たちからビックリするぐらいたくさん助けてもらったから。
今度は自分が逆の立場になりつつあるんだということに、今回気付いた。
立場が変わるとか言っても、やることはどんな時も基本一緒で、自分にできることをやる、ただそれだけだといつも思っている。
タイトルを『ウラ話①』にしたのは、多分②も書きそうな気がするから。
まだシリーズ半分は書けてないけれども、3分の1は終わったと思う。
1月中の完成は無理だから(T-T)、せめてあと1週間とかで終わらせたい。
ついでの余談。
今日、癒しのレシピを作る前に、部屋に掃除機をかけて、テーブルも整えて、それから始めた。
木のテーブルの上には、10年以上前にメキシコで買ってきた伝統刺繍がほどこされたランチョンマットみたいなのを敷いて(←最近見つけて、今日初めて使った)、その上にペンジュラムはじめいくつかの私のパワーグッズを並べた。
何か神聖なものを始める前の儀式みたいでいいなぁと思った。
そのパワーグッズの中に、自分のオルゴナイトと未来のプレゼントとして準備した別のオルゴナイト、そしてお守りのようにずっと持っている名刺も置いた。
名刺にペンジュラムで問いかけると、名刺もそこに置かれることを好んでいるとのことだった。
普通に考えて、紙切れ1枚にパワーが宿っているなんておかしいかもしれないけれど、私にはものすごい大事なものだから、基本的に自分の近くにいつも置いている。
名刺に刻まれている名前の人に、ずっと助けられてきたんだなと思う。
直接じゃないけれど、それでも本当に大事な場面では必ず何かしらの形で助けてもらっている。
「繋がり」
私が望む形での繋がりではないけれど、それでもこの繋がりがあっての『奇跡の果実』シリーズだというのも身に染みてわかる。
名刺の主だって、まさかそんな風に私が自分の名刺を使っているなんて想像さえしていないだろう。
しかも渡したのだって、ビジネスマナーとして私に手渡しただけで、渡した本人だってそれがこんな風に役立っていくなんて全く思っていなかったと思う。
当たり前だけど、直接手渡してもらったんだよね…?、と今さらなことを自分に確認してしまう。
もう自分の記憶の中にしかいないその人と、手元にある名刺と、2つ重ねるとすごく変な感覚になる。
名刺が何であるのか、わからなくなる。
人はいないのに名刺だけがある、その感じがすごく変に感じて、現実に本当に起こったのかどうか、現実に本当に出逢えていたのかどうか、わからなくなる。
おじいちゃんの霊が登場して感じたことがある。
基本は、生きているうちにしか互いに伝え合えないということ。
死んだら基本的には伝えられない。
でもじゃあ、生きているのに伝え合えないのは、さらにどうしたらいいんだろうと思う。
2019年1月28日月曜日
奇跡の果実⑤繋がり
【2019/1/12 3:16am】
ーーーー当時の時間に私が思いのまま書いた文章
長い1日が終わった。
色んなことがありすぎた。
体中にショックが走るようなこともあった。
体中にショックが走ったことは今は内容を割愛するけれど、その時に私が思ったことを書きたい。
具体的に何がショックだったのかはわからない。
最初は怒りが湧いたけれど、怒りも鎮まり、その後は何が起こったのか静かに1人で検証していた。
事の次第はよくわかっていないけれど、そこは今すぐわかることじゃないから悩んでも仕方ない。
それよりも、私は自分が今手にしているものに目を見張った。
色んな混沌とした状況が生まれた。
怒りと混乱とやるせなさと、もうごちゃごちゃになっている。
時間の経過と共に気持ちはとりあえず落ち着いてきた。
その時に私が信じたいものが何か、信じているものが何か、はっきりとわかった。
私は自分が大切だと感じる人たちをただただ大切にしたいということ、それがすべてだった。
そして、そういう人たちが何か失敗した時に、その人たちの何も変わらないこと、失敗しても大切なことには変わりないこと、そこが私の根底にあるんだとわかった。
さらに、その根底に行き着くのに、個人個人とやりとりした積み重ねがある。
私が信じられる一番の理由は、そうした普段からの小さな積み重ねなんだとわかった。
その人たちの普段の在り方を知っているから、何かとんでもないことが起こっても、私が最後に選ぶのはその自分が信じているものだった。
〜** 奇跡の果実⑤繋がり **〜
[登場人物]
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
・おじいちゃん…山で行方不明になって、今も身体の方の行方がわからないままの人
・Oさん…ヒーラーで霊視ができる人。今回おじいちゃんの霊魂からの呼びかけをキャッチして、それでおじいちゃん側の通訳をしてくれている人
・Aさん…おじいちゃんのご家族で、私がご家族と連絡を取る時の窓口となっている人
・Sさん…名古屋にいた頃、私が一番お世話になった方で、今現在も電話やLINEでお世話になりまくりな人
・リーダー(九州男児の1人)…私のドミニカと名古屋時代の友達。現在は九州在住
・G男(九州男児の1人)…私とリーダーのドミニカ時代の友達。九州在住
・シオくん(九州男児の1人)…私・リーダー・G男のドミニカ時代の友達。九州在住だったけれど、最近東京に栄転になった。リーダーとG男とはずっと仲良しで、不定期に3人で集まって飲んでいる模様。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
>>>1月12日
【1枚のメモ書き】
朝目覚めると、私の心はさらに決まっていた。
Oさんがしたおじいちゃんの霊視の内容が、前日の夕方にAさんに確認したことで間違えてると発覚し、私はものすごい衝撃を受けた。
色んな感情が入り乱れて、Aさんはじめおじいちゃんのご家族にOさんを紹介するのは止めた方がいいんじゃないかと思ったほどだった。
ただでさえ「おじいちゃんの霊が出てきて色々情報をもらった」という怪しい話のところに、その情報の一部が間違えていたと判明して、ご家族側を振り回すんじゃないかとか、余計な混乱をもたらすだけかもとか、色々負の可能性が頭を駆け巡り、一旦全てから手を引くことも本気で考えた。
自分なりに色々振り返ってみた結果、やっぱり私はOさんをご家族に紹介したいと思ったし、それは絶対にやらなきゃいけないことだと思った。
たしかにOさんの霊視の内容の一部は誤っていた。
それは変えようもない事実だった。
だけど、私は半年近くOさんとやりとりしてみて、少なくとも私から見てOさんは全て私のことに関しては当てていて、なんなら私がOさんに一度も話したことのない人物(=前職場の上司)に関してもOさんには何が視えているのか当てている。
しかもその情報の1つは仕事に関することで、私は前の職場の人に連絡を取ってまでその内容が合っているかどうかを確認したことさえある。
確認したらOさんが言った通りだった。
100%当たるとは、今回のこともあったから絶対と言い切れないのはわかった。
それでもどう考えても、Oさんをご家族に紹介しないのは間違えてる、少なくとも何かしらの力に確実になってくれるだろうOさんを私は知っているのに、それを私のところで止めてご家族に紹介しないのは絶対におかしいと感じた。
Oさんを必要とするしないは、私が紹介した後にご家族の方で判断されたらいいことで、それを私が今の時点で勝手にストップするのは間違えているだろうと思った。
そして、Oさんと繋がった霊が本当におじいちゃんなら、尚のこと私が紹介しなければおじいちゃんと家族を繋げられない、それだけは何が何でも避けなきゃいけない、そう思った。
私が、おじいちゃんと家族、そしてOさんを繋げられる唯一の人物であることもわかった。
とにかく自分にできることをしよう、そしてOさんには「おじいちゃんのご家族にOさんを紹介したい」と改めて言おう、そう考えてた。
ふと1枚のメモ書きをした年金か雇用保険関係の紙が目に入った。
それは、クリスマス三連休前に愛知のSさんと電話でやりとりした時に出てきた話で、大事だと感じたところを近くの適当な紙の余白に書いたものだった。
(調べたら12月19日だった)。
ノートに書き写そうと思って、ずっとそのまま放置されてたものだった。
他にもそういうメモ書きがあちらこちらに放置されているけれども、なぜかその紙だけが目につくところに長らくずっとあった。
今となっては、まるでこの後起こることを予感してわざと放置したのかと思うほど。
その当時、Sさんはすごく絵が気に入ったカードを手にしたばかりだった。
私もカードの名前を教えてもらってその後ネットで検索して見たけれども、本当の本当に素敵な絵だった。
どこか遠い国のアーティストの方が描かれたもので、絵そのものの空気はとても温かくて良いものを放っていた。
(毒を吐くと、それを仕入れて商売に仕立てている日本人団体の人たちの浅ましさというか、その真っ直ぐなエネルギーに対してどこか裏のあるものをのせていることに関しては、本当にもったいないことをしていると感じた。どうしたらそのカードの使い方を習うのに、全2日計10時間で20万円もするのか、その内訳を知りたい。
解説書の内容はSさんの読み方のセンスの半分もないのに、しかも何も習っていないSさんがそれで、20万円がそれ以下とはどういう神経を使うとそんなアホなことになるのかと聞いてみたい。)
それを電話越しにSさんは私のために1枚引いて(←私がSさんに聞かれたままの質問に答えて、その答え通りにSさんの方で私の代わりに引いてくれるSさんオリジナルのやり方)、そこで教えてもらったメッセージに対して、心に響いたものをメモ書きしたものだった。
その時、私に出たカードの意味は「リセット」だった。
散々リセットしたつもりでいたのにまだリセットするわけ?と初めは思ったし、カードに添付されている解説書をSさんが読み聞かせてくれた時も、そういった意味合いにしか聞こえなかった。
まだまだリセットで、まだまだ断捨離で、まだまだ浄化とか解放・手放しなのかと、聞いてるだけでうんざりしそうだった。
だから、解説書の内容を聞いていても、私にはちんぷんかんぷんで全く響くところがなかった。
だから言葉も全然入ってこなかった。
ところが、Sさんが解説書を私に読み聞かせた後にSさん独自の解釈を私に教えてくれたら、そこには全く違う風景が登場した。
Sさんからは、世間一般では知られていない「リセット」の意味を教えてもらった。
しかもそれは今の私にピッタリのメッセージで、Sさんには何が視えているんだろうと思った。
さらに驚きなのは、すぐ下のSさんが語ったメッセージに関しては、私は一切のメモを取っていないにも関わらず、すごく私の心の奥深いところに鮮明に残った。
ということは、すなわち、私にとって本当に大切なメッセージをSさんは私に向けて放ってくれたということ。
「ぶっしーちゃん、これね、あの普通のリセットじゃないと思うよ。一旦すべてをゼロにするとか、無にするとか、そういう意味のリセットじゃないと思う。
この場合のリセットは、【これまで積み重ねてきたものが何か】っていうのを一旦立ち止まって見てみて、今一度足元を確かめなさい、自分がどんなところに立っているのか、その立っているところにはどんなものが土台として詰め込まれているのか、それをきちんと自分で確認した上で次に進むためのリセット、そういう意味だと私は感じるんだよね」
これを聞いて、私はどれだけ心に響いてどれだけ救われたことかと思う。
Sさんの言葉は、私のそれまでの色んなことをすべて包み込んでくれるような、それで大丈夫だったんだよ、よくここまでがんばったね!と言ってくれてるような、そういうやさしい空気に満ちていた。
そして、自分の足元を見て何が自分の中にあるのか、それを見ることの大切さも教えてくれた。
例えば、このブログの冒頭に書いたような、
「私は自分が大切だと感じる人たちをただただ大切にしたいということ、それがすべてだった。」
というところが私の中にあるものの1つになる。
そして、今回は書かないけれども、このSさんの言葉はもっともっと後の方でさらに一層響くようになる。
話をメモ書きに戻すと、そんなやりとりをした時に書いたもので、実際に書かれていたものはこうだった。
・正しい正しくないを決めてるのは人間
・今何を自分で受け入れますか
・見えないところで自分につながってる存在
読んだ瞬間、あぁ!となった。
>>正しい正しくないを決めてるのは人間
Oさんが霊視した内容の一部をご家族のAさんに確認したら違っていたこと、それに対し私が【正しい正しくない】を基準に判断していないだろうか?とまずは思った。
そして、同時に、これは当たってる当たってないの判断基準ではたしかに当たってなかったということにはなるけれど、だからこれが全部正しくないになるの?と思い始めた。
今回の正しいって何?と思った。
少なくとも、ここで私が引き下がってOさんとご家族を繋げないことが、正しいことでは絶対にないと思った。
>>今何を自分で受け入れますか
今何を自分が受け入れるかというのは、Oさんが私にずっと変わらずに見せてくれたOさん自身だった。
Oさんがやったことの正誤ではないし、もっと言えば私はこのおじいちゃんの件に関してはOさんの失敗も含めて進める覚悟でOさんと共同作業をしている。
なぜなら私ははっきりとこの時点でもわかっていたから。
この世で、おじいちゃんと家族とを繋いで何かしらのことができるのはOさんしかいない、ということを。
私はそこは絶対にできないから、せめてOさんと家族を繋げるところまでは私しかやれないのはわかっていたから、そこの役割を徹底しよう、それが私が受け入れたことの1つでもあった。
>>見えないところで繋がっている存在
もしかしたらおじいちゃんなのかもしれないけれど、それは正直わからない。
私や他の関係者の方々の意思では到底考えられない、もっと大きな意図が背後にあるのもたしかに感じ始めてはいた。
だけど、その辺りも私は霊感があるわけではないから「繋がってる」とは断言できない。
代わりに、見えないところ、今回のことで言えば、リーダーとかSさんとか、そうしたおじいちゃんの件とは全く無関係なところにいる人たちと繋がっていることをまざまざと見せてもらっている。
見えないところでずっとずっと繋がっている人たちの存在、それは私にはものすごくよくわかる。
リーダーだって私が死者の人の魂のメッセージを家族に繋ぐ係をしていると知って私に連絡してきたのとは全く違ってた。
Sさんだって、年末にカードを私のために引いてくれたのも今の私の状況を見越して引いてくれたわけでは絶対にないし、私がメモ書きしたSさんの言葉だってこんな風に今の私に響かせるために教えたのでもない。
どちらもそんな意図は一切ないところで、それぞれのことが起こっていた。
見えなくても確実に繋がっている。
そして、その繋がりが私の気持ちをとても強くそして明るくしてくれた。
【Oさんとの第3回目打ち合わせ】
(1月12日 14時〜17時半)
AさんからOさんの霊視の内容が違うと指摘を受けた後、初めてOさんと打ち合わせをした。
打ち合わせとしては3回目になる。
Oさんにも相当動揺が広がったようだったけれど、この3回目のやりとりを通じて、やっぱりこの人本物だし本気のプロだと思った。
そして、本物のの天才だということをまざまざと見せつけられた!(Oさんは基本的にとても謙虚な方だから、天才っぷりを見せつけたりはしない)
なんとOさん、たかが数時間の隙間時間を使って、徹底的に自分の霊視に関して、振り返り・分析・調査・改善・実践(練習)まで行っていた。
このブログを書くために音声を再度聞いたけれども、聞けば聞くほどOさんの天性の感覚と徹底した本質・本物へのこだわりを感じた。
Oさんはなんと、自分のそれまでの10年以上のキャリアの中で積み重ねてきたやり方を一旦全部やめた。
「そのやり方ではダメだとわかったから」とOさんはさらりと言っていたけれども、これがとてつもなくすごいことだというのがすぐにわかった。
言うなれば、成功率9割の外科手術の手法を捨てて、まっさらな状態で全く違う手法を取り入れるようなものだった。
もう少し私のような一般ピープルの生活に合わせたことで言えば、右利きだった人が左利きをマスターするためにいきなり左で箸を持つようなものだった。
右手を十分使えるのに、わざわざ左手で持てるようにして、さらに左手で豆粒を箸で掴めるようにしたらもっといいんじゃないかな…と言って試すようなもので、本気でそのレベルのことをOさんはこの短時間でやっていた。
最初の1〜2時間はまず霊界のイロハをまた1から色々調べ直して、その後今度は自分のやり方を振り返って、そしてどういう時に内容が当たってどういう時に外れるのか、その差を見極め、その当たる方の手法がどんなやり方なのか具体的に割り出し、そしてそちらの方をもっと極めるその方法を必死で訓練されていた。
Oさんいわく、「武士俣さんが言っていた◯◯◯のところがヒントになっていました!武士俣さんのおかげでそこに気付くことができました」とのこと。
Oさんの知り合いの武士俣さんとやらはなかなかのやり手らしい(o´艸`)←はっ?
ちなみに私がやり手のわけもなく、単に好き放題に感想や自分の感じたことをそのまま話したらそれがたまたまOさんのヒントになって、と言うよりもOさんがそこから自分の手法と重ね合わせて検証してわかった、というのが本当のところだから、すごいのは私じゃなくてそこに気付けるOさんの方。
そうしてさらに進化したOさんが伝えてくれたいくつかの大事なこと。
Oさんは手法を改めた後、再度おじいちゃんを霊視して、そこからわかったことを教えてくれた。
やっぱりおじいちゃんは来てるは来てるし、絶対に気付いて欲しいという意志を強く持っているとのことだった。
低級霊のいたずらももちろん視野に入れて検証したと言っていた。
仮にいたずらだとするなら、とてもしつこいし粘っている、そこまでする理由が普通ならないとのこと。
そして、こうも想定したらしい。
Oさん自身が霊視した内容を外してしまったし、これ以上ご家族に余計な混乱や不安を与えないようにするために手を引くとするなら…、という設定で霊視を試みたらしい。
そうすると、おじいちゃんの側から「懇願」とか「切望」とか「頼むから!」というようなエネルギーがとても強く出てくるらしい(←こういうのを元々感じる体質の方)。
だから、もし何かのいたずらや間違いであれば今頃とっくのとうにOさんに見切りをつけるはずなのに、Oさんに見切りをつけないと言っていた。
そして、おじいちゃんはその日も黙ってはいるけれども、私たちが電話している間中ずっと見守るような感じで同席?参加?されていたらしい。
さらにOさんはこうも言ってた。
おじいちゃんが気付かせてくれようと助けてくれてる、と。
Oさんはその後もどんどん霊視力に関してバージョンアップされていくけれど、そのヒントが本当に色んな形でもたらされていると教えてくれた。
ヒントの意味は私が聞いたところでちんぷんかんぷんだったけれども、そのヒントがもたらされた時の状況やそこに至るまでのシンクロやOさん側の働きかけを聞いて、これは間違いなく何か大きな力によって色んなことがもたらされてるのは一目瞭然だった。
どんなに天才肌のOさんでも、そんなマジックみたいなすごい偶然をいくつもいくつも引き起こすなんて絶対にできない。
だからおじいちゃんが助けてくれてる、というのは本当に本当だと思う。
>>>1月13日
【九州男児たちと電話】
今回はリンクをこの記事の下部に付ける予定だから、そのリンクに飛ぶと九州男児たち、リーダー・G男・シオくんとの実際のやりとりが出てくる。
これもまたどうしてこのタイミングだったんだろう?と思う。
ここは少しだけ別のストーリーがあるから、時系列に並べてみたい。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
>2018年12月
・シオくんの東京栄転が決まり、地元九州から東京へ引っ越す。
リーダー・G男と共に、シオくんが九州に帰ってくる時に飲み会を開催しようとそれだけは決めていた、とリーダーが後から教えてくれた。
(余談)
ちなみにシオくん、九州のその地に永住する気満々でここ1年以内でマンションを購入したとのこと。ところが多分もう九州へは戻らない東京への転勤が決まって、それで泣く泣くマンションを手放したとのこと。
九州支社でズバ抜けた力を出したと思われ(←そうは言わないけれど、私にはわかる)、それで東京本社への転勤になり、今年だか来年に欧州でのビッグプロジェクトの責任者か何かでそちらにも行くらしい!(←だから私に英会話スクールの話を振ってきた。)
シオくん、ドミニカ時代、雑誌を1冊自らの手で刊行させ、その際に自分のイメージにあるフォントがないとか言って、なんとフォントを自作するという、私からしたら意味のわからない雲の上のような人。明朝体やゴシック体とかいうやつを自らデザインそしてプログラミングするって何?って感じだった。
ちなみに何でこんなにも頭の良い人が私なんかと普通に話してくれるのか、なんなら超マニアックなオカルトな話もペンジュラムも占星術も超喰いついて話を聞いてくれるのか、その理由はさっぱりわからない。奇特どころかシオくんは何か人間の好みがかなり変わってるんだと思う。
>2019年1月1日
・年賀状がG男から届く。
>1月3日
・九州で大きな地震があって、リーダーにLINEした。
リーダーの住んでいる町からは震源地が遠そうではあったけれども、G男は近そうだからあえて連絡を控えたら、リーダーからG男も大丈夫みたいよ、と教えてもらう。
この時はまだ年賀状のことも飲み会のことも全く知らなくて、そして地震の安全確認で連絡しただけだったから、特に自分のことを話そうなどとは一切思わなかった。
>1月4日
・G男はじめ今年到着した年賀状への返事をようやく書き終えて、ポストへ。
今頃思い出したけれど、今回4枚到着して、1枚はきちんと返事を書きたいから本人へ手紙を書いて送るねとメール。
残り3枚のうち、唯一G男だけにはペンジュラムのことやおじいちゃんの捜索の手伝いなんかを書いた。
残り2枚は、「なんか今タイミングじゃない」と思ったから、「カウンセリングのような仕事をこれから徐々にやっていきます」ぐらいなことは書いたけれども、詳細はとにかく避けた。
相当変な色メガネで見られるかも…という不安が強すぎて言わなかった。
G男は反対で、「言おう!」と思った。
その時の私は、多分最初にリーダーに!と思っていたから、そしてリーダーに話がいく=何かの折にG男にもいくかもと思って、そしてそもそもG男は私がカウンセリングだのセラピーだのと起業しようとしてた2014年前後にお互いにホームページ作りをするのにやりとりしてた時期があった。
だから、G男にはどちらにしてもきちんと話をしておきたかった。
もっと余談だけど、2017年の夏に私が会社の上司にあたる全く絡みのない男性となんとか接点を持とうと色々考えていたその時に、結婚式でG男は余興もしなきゃいけなかったのに、なんなら朝は日が昇る前(夏だから5時前とか言ってた気がする)から農業の仕事をしてから駆け付けてきたのに、結婚式の披露宴の最中私のすぐ隣りで、本気で私の相談に乗って本気で一緒に考えてくれて、「ぶっしー、ご飯誘え!それが一番良い!」と全部の事情を知った上で言ってくれた。
周りに他の仲間たちもたくさんいたけれども、その時だけはG男は私に対しては一切ふざけなかった。
普段なら私に本当に余計ないじりをしてみんなの笑いを誘っているけれど、その時だけは絶対にそれをしなかった。
さらにそれから何ヶ月もしてから、「あの時のことどうなった?」って気にかけてもらった。
うまくいかんかった、と言った私に「そうか」と一言返事してその後は何事もなかったかのようにいつも通りの会話を続けてくれた。
そういう人だから、G男にもきちんと言いたかった。
だから、G男にはすごい限られた年賀状のスペースに要点だけはかなり押さえて、自分がガチで今後もやっていかないといけないことを書いた。
>1月12日
・Oさんとおじいちゃんの件で電話でやりとりしていた時に、リーダーからのLINEが入った。
ドミニカ共和国の日系人の方の訃報のニュースを伝えるためにリーダーは私に連絡をくれた。
それがあまりにもぴったりなタイミングだったから、私はリーダーに今伝えようと思って、リーダーにペンジュラムのことやおじいちゃんの捜索の件やらを話した。
(LINEの一部)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
17:09(私→リーダー)
今更だけど、私がダウジングしてるだの死者の魂のメッセージのやりとりをするだの(するのは他の人だけど、今回私はそれをまず家族に伝えて、そして家族とその死者の方と通訳者を繋げるのが役割)聞いてひいたりしない?
まぁ今さらだけど
18:29(リーダー→私)
特に引くとかはないよー(^^)
ごめんね!仕事先だったからすぐ返せなかった!
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
こうして、リーダーにも無事自分のことをカミングアウトすることができた。
>1月13日
・冒頭のリンク『九州男児たち』がこの日にあったこと。
シオくんは既に東京に移り住んでいたけれども、残務整理とかで週末を使って九州に戻ってきてたらしい。
それでリーダーとG男も集合して、シオくんの家の近くで飲んでいたその時に、私に電話をくれた。
その時に、リーダーが「えっ?ぶっしー、年賀状届いてないの?」と言ったことで、リーダーが出したとされる年賀状が私に届いていないことが発覚した。
シオくんも届いてないと言って、G男には「出したよ詐欺じゃねぇの(笑)?」などとリーダーはいじられていたけれども、「僕本当に出したのに!何で?えっ?郵便局に言ったらいいの?」とか電話の向こうで言ってた。
この最後の年賀状の話を聞いてハッとした。
律儀なリーダーは間違いなく年賀状を出してる。
だけど、なぜか届かなかった。
もし届いていたら、私はG男に出したようにリーダーにも同じ熱量で同じ内容を書いて年賀状を出したと思う。
でも届かなかったことで、リーダーにその話をする機会はいつかの未来に繰り越された。
そして、きちんと自分の口から言えたのは、まさに今回のおじいちゃんとのやりとりの途中で、しかも冒頭の「長い1日だった」から始まる、とてつもなく大きな衝撃が走った日のまさにその衝撃をモロに受けていた、AさんからOさんの霊視が合っていない、それも3つ全て外してると指摘されたその時と10分15分と違わない時間帯に、リーダーから最高にやさしい返信をもらっていた。
【特に引くとかはないよー(^^)
ごめんね!仕事先だったからすぐ返せなかった!】
ものすごい大打撃だったから、頭の中も心の中もぐちゃぐちゃになっていたけれど、そのタイミングでリーダーからのLINEが届いてた。
そう、リーダーのやさしい言葉は、私が最高に大打撃を受けて大パニックになっていたその絶妙なタイミングの頃合いにやってきた。
これはもっと早くても、もっと遅くてもダメだった。
そのタイミングだったからこそ、本当に一番心にやさしく且つ強く響くようになっていた。
これらのことも全て見えない世界で微調整が行われていたのかな…、とそんな風に感じた。
色々起こることは強烈でも、それにとって代わるじゃないけれど、何かしらのやさしさがセットで届けられる。
強烈なことたちを前にすると、本当に落ちまくって、でもどこにもその気持ちをぶつけるところがなくて、行き場のない思いをひたすら自分の中で見つめて消化していくしかない、そういうものが多い。
だから精神的にきつかったり、すごく厳しい決断に迫られることが、実はこのおじいちゃんの件に関してはかなり多い。
多いけれども、それでもそのきつくて厳しいことと一緒にやさしいものも同時に受け取っている。
そして、そのやさしさがどこから来るかって、全部人から来ている。
1つ残らず人から来ている。
全部どこかで繋がっている。
繋がりの中に私は自分がそこにいさせてもらえる、すごいポジションにいる。
この一連のことが今(1/28)はとりあえず落ち着いているけれども、それに何とか1つ1つ向き合えたのは、他でもない周りの人たちからたくさん私が助けられたからだった。
本当にたくさんたくさん助けてもらって、やさしさをもらって、それでギリギリでも何とか立てていた。
その人たちなくしては、私は多分やれなかったと思う。
Oさんが言っていた「おじいちゃんが気付かせてくれようと助けてくれてる」というのは、私にも当てはまっている。
確かめようなんかないけれども、確実に何かに助けてもらってる。
それも想像を遥かに超えた形で助けられている。
だから、私は今回こうして、いちいち細かいけれども細かいことをひたすら書いている。
ただカードを読み解いてもらったとか、LINEをもらったとかいう言葉では細部のメッセージが伝わらないから。
どうしてカード1つが、LINE1つが大事なのか、どう大事なのか、どう他の何かや他の誰かと結びついているのか、どう私に響いているのか、そんなことを1つ1つ紐解いてみると、これまで見えなかった景色が広がってくる。
本当はずっとあったのに気付けなかった、その景色に気付かせてもらえる。
>>>1月27日
【後日談ー新たな繋がり】
人生の中でたった1人、「ぶっしーさん」と私を呼んでくれるだけで私が萌え萌え(o´艸`)になる男の子がいる。
私の中で、一番の頭脳の持ち主(なのに謙虚)+礼儀正しさ+見ている視点や世界のユニークさ+純粋さ+オシャレ+イケメン+会話がスマートという、天はたった1人に何物与えるんだ?と思うぐらいに、とってもステキな男の子。
その子から連絡が来て、英語に関してのお願い事をされた!
おばちゃん二つ返事で引き受けた♡
英語の手伝いは全然面白くないけれど、相手がその子なら腕まくりしてやるよ!という感じ。
なんなら、私の中で将来一番の有望株だから、今から頼まれなくても恩を自ら押し付けちゃうよ!、という感じ。
で、その頼まれ事をされた時のLINEを見た時に、その子が今やった方がいいことがパッと出てきた。
とりあえず出てきたままを最初言って、その後付け足しでどういう理由でそれを勧めたのかと、私自身の相手の潜在意識から情報をキャッチしてしまう体質を説明した。
そして、ここでとうとう、九州男児トリオの1人、シオくんが私の意味不明な話を聞いて言いまとめてくれた言葉をその子にもそっくりそのまま送った。
それがこれ。
「武士俣さんの話を聞いていると、武士俣さんのしていることって、それぞれの人が持っている周波数に合わせて、それに共鳴していると思うんですよねー。
共鳴しているからその相手と引き合うし、そしてその合ったものから必要なものを取り出している。
携帯の電波と一緒で、対になっているものが互いに流れて通じ合う、あの原理と基本一緒ですよね。見えないけれども対のもの。
ラジオのチャンネルを合わせるようなもので、武士俣さんの場合はそれを本能的にやってる感じですよね。
相手の周波数にさっと合わせられるんですよ。
武士俣さん自身が媒介しているものが何か知らなくても、きちんと誰か第三者がそれをチューニングしている、そんな感じがします。
(相手の意識に繋がるのは)武士俣さんが、本人が悩んでてわからなくなっているところを、コーヒーフィルターみたいになって、そこにかけて抽出して、要らないものは取り除いて、大切なものだけを残して、そしてそのフィルタリングがうまくいっているからこそ、相手も流れに乗ってくる。
武士俣さんがするのは、その余計な情報をゼロにするか軽減すること、そして残ったもの(=大切なこと)を伝えること、そのチューニング合わせ、チューナー的な役割だと思うんですよね」
そしてその子からの返信がまた素晴らしく賢いまとめで、それも今後使わせてもらうことにした。
それがこれ↓。
「不要な要素を取り除いて問題を明確にすることで、悩んでいる人の意識を悩みの核となる部分に集中出来るようにして下さっている、ということですね! 僕も何していいのやら、と悩むことがあるので大変助かりますし! 頼りにしています!😆」
そして、個人的感情ダダ漏れな私の返信↓。
「◯◯くん最高!!!
私は基本的に自分のしてることが何なのかよくわかってないので、そうやってわかりやすい言葉にしてもらえると、ものすごーく助かります(スマイルマーク)
◯◯くんありがとう(スマイルマーク)
私も別の分野で◯◯くんをものすごーく頼りにしてます!」
そして、それに対する返信↓。
「僕なんかで力になれることがあれば言ってください!頑張ります!」
目がハートマークになりそうなぐらい萌えまくったし、何度も読み返した 笑。
そんな私のことは脇において、実はこの男の子とシオくんは、確か1年前もしくは2年前に全く違うところで接点がある。
その時も英語のお手伝いをその子に頼まれた。
で、当時頼まれたことが、いくら調べても私では答えが出せなくて困ったなぁとなって、それでシオくんに連絡して、助けを求めた。
シオくんはその時も素晴らしい頭脳を提供してくれただけではなく、なんとその大元の男の子が作った文章を見て、即何がその子に足りなくて何を強化したらいいのかまで教えてくれた。
私は教えてもらった通りのアドバイスをその子にそのまま伝達して、そしてそこからその子の英作文は爆発的に伸びた。
だからその子にも、今回私の状態を説明してくれたのは、そのいつかの英作文のアドバイスをくれたその人からだと説明した。
「不要な要素を取り除いて問題を明確にすることで、悩んでいる人の意識を悩みの核となる部分に集中出来るようにして下さっている、ということですね!」
どうしてこんな風に要約ができるのか、その頭脳の高さと情報処理能力の高さと言葉のセンスに驚きが隠せない。
今回の一連のことでさらに学んだことは、自分にできないことは、できる人たちに頼む・お願いする、ということ。
ということで、今回も超積極的に過剰なぐらいに英語のお手伝いに励もうと思う。
もちろん、そんなの未来の自分へのペイバックを期待してやるという、どこまでも私利私欲のためにがんばるᕦ(ò_óˇ)ᕤ
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九州男児たち
ーーーー当時の時間に私が思いのまま書いた文章
長い1日が終わった。
色んなことがありすぎた。
体中にショックが走るようなこともあった。
体中にショックが走ったことは今は内容を割愛するけれど、その時に私が思ったことを書きたい。
具体的に何がショックだったのかはわからない。
最初は怒りが湧いたけれど、怒りも鎮まり、その後は何が起こったのか静かに1人で検証していた。
事の次第はよくわかっていないけれど、そこは今すぐわかることじゃないから悩んでも仕方ない。
それよりも、私は自分が今手にしているものに目を見張った。
色んな混沌とした状況が生まれた。
怒りと混乱とやるせなさと、もうごちゃごちゃになっている。
時間の経過と共に気持ちはとりあえず落ち着いてきた。
その時に私が信じたいものが何か、信じているものが何か、はっきりとわかった。
私は自分が大切だと感じる人たちをただただ大切にしたいということ、それがすべてだった。
そして、そういう人たちが何か失敗した時に、その人たちの何も変わらないこと、失敗しても大切なことには変わりないこと、そこが私の根底にあるんだとわかった。
さらに、その根底に行き着くのに、個人個人とやりとりした積み重ねがある。
私が信じられる一番の理由は、そうした普段からの小さな積み重ねなんだとわかった。
その人たちの普段の在り方を知っているから、何かとんでもないことが起こっても、私が最後に選ぶのはその自分が信じているものだった。
〜** 奇跡の果実⑤繋がり **〜
[登場人物]
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
・おじいちゃん…山で行方不明になって、今も身体の方の行方がわからないままの人
・Oさん…ヒーラーで霊視ができる人。今回おじいちゃんの霊魂からの呼びかけをキャッチして、それでおじいちゃん側の通訳をしてくれている人
・Aさん…おじいちゃんのご家族で、私がご家族と連絡を取る時の窓口となっている人
・Sさん…名古屋にいた頃、私が一番お世話になった方で、今現在も電話やLINEでお世話になりまくりな人
・リーダー(九州男児の1人)…私のドミニカと名古屋時代の友達。現在は九州在住
・G男(九州男児の1人)…私とリーダーのドミニカ時代の友達。九州在住
・シオくん(九州男児の1人)…私・リーダー・G男のドミニカ時代の友達。九州在住だったけれど、最近東京に栄転になった。リーダーとG男とはずっと仲良しで、不定期に3人で集まって飲んでいる模様。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
>>>1月12日
【1枚のメモ書き】
朝目覚めると、私の心はさらに決まっていた。
Oさんがしたおじいちゃんの霊視の内容が、前日の夕方にAさんに確認したことで間違えてると発覚し、私はものすごい衝撃を受けた。
色んな感情が入り乱れて、Aさんはじめおじいちゃんのご家族にOさんを紹介するのは止めた方がいいんじゃないかと思ったほどだった。
ただでさえ「おじいちゃんの霊が出てきて色々情報をもらった」という怪しい話のところに、その情報の一部が間違えていたと判明して、ご家族側を振り回すんじゃないかとか、余計な混乱をもたらすだけかもとか、色々負の可能性が頭を駆け巡り、一旦全てから手を引くことも本気で考えた。
自分なりに色々振り返ってみた結果、やっぱり私はOさんをご家族に紹介したいと思ったし、それは絶対にやらなきゃいけないことだと思った。
たしかにOさんの霊視の内容の一部は誤っていた。
それは変えようもない事実だった。
だけど、私は半年近くOさんとやりとりしてみて、少なくとも私から見てOさんは全て私のことに関しては当てていて、なんなら私がOさんに一度も話したことのない人物(=前職場の上司)に関してもOさんには何が視えているのか当てている。
しかもその情報の1つは仕事に関することで、私は前の職場の人に連絡を取ってまでその内容が合っているかどうかを確認したことさえある。
確認したらOさんが言った通りだった。
100%当たるとは、今回のこともあったから絶対と言い切れないのはわかった。
それでもどう考えても、Oさんをご家族に紹介しないのは間違えてる、少なくとも何かしらの力に確実になってくれるだろうOさんを私は知っているのに、それを私のところで止めてご家族に紹介しないのは絶対におかしいと感じた。
Oさんを必要とするしないは、私が紹介した後にご家族の方で判断されたらいいことで、それを私が今の時点で勝手にストップするのは間違えているだろうと思った。
そして、Oさんと繋がった霊が本当におじいちゃんなら、尚のこと私が紹介しなければおじいちゃんと家族を繋げられない、それだけは何が何でも避けなきゃいけない、そう思った。
私が、おじいちゃんと家族、そしてOさんを繋げられる唯一の人物であることもわかった。
とにかく自分にできることをしよう、そしてOさんには「おじいちゃんのご家族にOさんを紹介したい」と改めて言おう、そう考えてた。
ふと1枚のメモ書きをした年金か雇用保険関係の紙が目に入った。
それは、クリスマス三連休前に愛知のSさんと電話でやりとりした時に出てきた話で、大事だと感じたところを近くの適当な紙の余白に書いたものだった。
(調べたら12月19日だった)。
ノートに書き写そうと思って、ずっとそのまま放置されてたものだった。
他にもそういうメモ書きがあちらこちらに放置されているけれども、なぜかその紙だけが目につくところに長らくずっとあった。
今となっては、まるでこの後起こることを予感してわざと放置したのかと思うほど。
その当時、Sさんはすごく絵が気に入ったカードを手にしたばかりだった。
私もカードの名前を教えてもらってその後ネットで検索して見たけれども、本当の本当に素敵な絵だった。
どこか遠い国のアーティストの方が描かれたもので、絵そのものの空気はとても温かくて良いものを放っていた。
(毒を吐くと、それを仕入れて商売に仕立てている日本人団体の人たちの浅ましさというか、その真っ直ぐなエネルギーに対してどこか裏のあるものをのせていることに関しては、本当にもったいないことをしていると感じた。どうしたらそのカードの使い方を習うのに、全2日計10時間で20万円もするのか、その内訳を知りたい。
解説書の内容はSさんの読み方のセンスの半分もないのに、しかも何も習っていないSさんがそれで、20万円がそれ以下とはどういう神経を使うとそんなアホなことになるのかと聞いてみたい。)
それを電話越しにSさんは私のために1枚引いて(←私がSさんに聞かれたままの質問に答えて、その答え通りにSさんの方で私の代わりに引いてくれるSさんオリジナルのやり方)、そこで教えてもらったメッセージに対して、心に響いたものをメモ書きしたものだった。
その時、私に出たカードの意味は「リセット」だった。
散々リセットしたつもりでいたのにまだリセットするわけ?と初めは思ったし、カードに添付されている解説書をSさんが読み聞かせてくれた時も、そういった意味合いにしか聞こえなかった。
まだまだリセットで、まだまだ断捨離で、まだまだ浄化とか解放・手放しなのかと、聞いてるだけでうんざりしそうだった。
だから、解説書の内容を聞いていても、私にはちんぷんかんぷんで全く響くところがなかった。
だから言葉も全然入ってこなかった。
ところが、Sさんが解説書を私に読み聞かせた後にSさん独自の解釈を私に教えてくれたら、そこには全く違う風景が登場した。
Sさんからは、世間一般では知られていない「リセット」の意味を教えてもらった。
しかもそれは今の私にピッタリのメッセージで、Sさんには何が視えているんだろうと思った。
さらに驚きなのは、すぐ下のSさんが語ったメッセージに関しては、私は一切のメモを取っていないにも関わらず、すごく私の心の奥深いところに鮮明に残った。
ということは、すなわち、私にとって本当に大切なメッセージをSさんは私に向けて放ってくれたということ。
「ぶっしーちゃん、これね、あの普通のリセットじゃないと思うよ。一旦すべてをゼロにするとか、無にするとか、そういう意味のリセットじゃないと思う。
この場合のリセットは、【これまで積み重ねてきたものが何か】っていうのを一旦立ち止まって見てみて、今一度足元を確かめなさい、自分がどんなところに立っているのか、その立っているところにはどんなものが土台として詰め込まれているのか、それをきちんと自分で確認した上で次に進むためのリセット、そういう意味だと私は感じるんだよね」
これを聞いて、私はどれだけ心に響いてどれだけ救われたことかと思う。
Sさんの言葉は、私のそれまでの色んなことをすべて包み込んでくれるような、それで大丈夫だったんだよ、よくここまでがんばったね!と言ってくれてるような、そういうやさしい空気に満ちていた。
そして、自分の足元を見て何が自分の中にあるのか、それを見ることの大切さも教えてくれた。
例えば、このブログの冒頭に書いたような、
「私は自分が大切だと感じる人たちをただただ大切にしたいということ、それがすべてだった。」
というところが私の中にあるものの1つになる。
そして、今回は書かないけれども、このSさんの言葉はもっともっと後の方でさらに一層響くようになる。
話をメモ書きに戻すと、そんなやりとりをした時に書いたもので、実際に書かれていたものはこうだった。
・正しい正しくないを決めてるのは人間
・今何を自分で受け入れますか
・見えないところで自分につながってる存在
読んだ瞬間、あぁ!となった。
>>正しい正しくないを決めてるのは人間
Oさんが霊視した内容の一部をご家族のAさんに確認したら違っていたこと、それに対し私が【正しい正しくない】を基準に判断していないだろうか?とまずは思った。
そして、同時に、これは当たってる当たってないの判断基準ではたしかに当たってなかったということにはなるけれど、だからこれが全部正しくないになるの?と思い始めた。
今回の正しいって何?と思った。
少なくとも、ここで私が引き下がってOさんとご家族を繋げないことが、正しいことでは絶対にないと思った。
>>今何を自分で受け入れますか
今何を自分が受け入れるかというのは、Oさんが私にずっと変わらずに見せてくれたOさん自身だった。
Oさんがやったことの正誤ではないし、もっと言えば私はこのおじいちゃんの件に関してはOさんの失敗も含めて進める覚悟でOさんと共同作業をしている。
なぜなら私ははっきりとこの時点でもわかっていたから。
この世で、おじいちゃんと家族とを繋いで何かしらのことができるのはOさんしかいない、ということを。
私はそこは絶対にできないから、せめてOさんと家族を繋げるところまでは私しかやれないのはわかっていたから、そこの役割を徹底しよう、それが私が受け入れたことの1つでもあった。
>>見えないところで繋がっている存在
もしかしたらおじいちゃんなのかもしれないけれど、それは正直わからない。
私や他の関係者の方々の意思では到底考えられない、もっと大きな意図が背後にあるのもたしかに感じ始めてはいた。
だけど、その辺りも私は霊感があるわけではないから「繋がってる」とは断言できない。
代わりに、見えないところ、今回のことで言えば、リーダーとかSさんとか、そうしたおじいちゃんの件とは全く無関係なところにいる人たちと繋がっていることをまざまざと見せてもらっている。
見えないところでずっとずっと繋がっている人たちの存在、それは私にはものすごくよくわかる。
リーダーだって私が死者の人の魂のメッセージを家族に繋ぐ係をしていると知って私に連絡してきたのとは全く違ってた。
Sさんだって、年末にカードを私のために引いてくれたのも今の私の状況を見越して引いてくれたわけでは絶対にないし、私がメモ書きしたSさんの言葉だってこんな風に今の私に響かせるために教えたのでもない。
どちらもそんな意図は一切ないところで、それぞれのことが起こっていた。
見えなくても確実に繋がっている。
そして、その繋がりが私の気持ちをとても強くそして明るくしてくれた。
【Oさんとの第3回目打ち合わせ】
(1月12日 14時〜17時半)
AさんからOさんの霊視の内容が違うと指摘を受けた後、初めてOさんと打ち合わせをした。
打ち合わせとしては3回目になる。
Oさんにも相当動揺が広がったようだったけれど、この3回目のやりとりを通じて、やっぱりこの人本物だし本気のプロだと思った。
そして、本物のの天才だということをまざまざと見せつけられた!(Oさんは基本的にとても謙虚な方だから、天才っぷりを見せつけたりはしない)
なんとOさん、たかが数時間の隙間時間を使って、徹底的に自分の霊視に関して、振り返り・分析・調査・改善・実践(練習)まで行っていた。
このブログを書くために音声を再度聞いたけれども、聞けば聞くほどOさんの天性の感覚と徹底した本質・本物へのこだわりを感じた。
Oさんはなんと、自分のそれまでの10年以上のキャリアの中で積み重ねてきたやり方を一旦全部やめた。
「そのやり方ではダメだとわかったから」とOさんはさらりと言っていたけれども、これがとてつもなくすごいことだというのがすぐにわかった。
言うなれば、成功率9割の外科手術の手法を捨てて、まっさらな状態で全く違う手法を取り入れるようなものだった。
もう少し私のような一般ピープルの生活に合わせたことで言えば、右利きだった人が左利きをマスターするためにいきなり左で箸を持つようなものだった。
右手を十分使えるのに、わざわざ左手で持てるようにして、さらに左手で豆粒を箸で掴めるようにしたらもっといいんじゃないかな…と言って試すようなもので、本気でそのレベルのことをOさんはこの短時間でやっていた。
最初の1〜2時間はまず霊界のイロハをまた1から色々調べ直して、その後今度は自分のやり方を振り返って、そしてどういう時に内容が当たってどういう時に外れるのか、その差を見極め、その当たる方の手法がどんなやり方なのか具体的に割り出し、そしてそちらの方をもっと極めるその方法を必死で訓練されていた。
Oさんいわく、「武士俣さんが言っていた◯◯◯のところがヒントになっていました!武士俣さんのおかげでそこに気付くことができました」とのこと。
Oさんの知り合いの武士俣さんとやらはなかなかのやり手らしい(o´艸`)←はっ?
ちなみに私がやり手のわけもなく、単に好き放題に感想や自分の感じたことをそのまま話したらそれがたまたまOさんのヒントになって、と言うよりもOさんがそこから自分の手法と重ね合わせて検証してわかった、というのが本当のところだから、すごいのは私じゃなくてそこに気付けるOさんの方。
そうしてさらに進化したOさんが伝えてくれたいくつかの大事なこと。
Oさんは手法を改めた後、再度おじいちゃんを霊視して、そこからわかったことを教えてくれた。
やっぱりおじいちゃんは来てるは来てるし、絶対に気付いて欲しいという意志を強く持っているとのことだった。
低級霊のいたずらももちろん視野に入れて検証したと言っていた。
仮にいたずらだとするなら、とてもしつこいし粘っている、そこまでする理由が普通ならないとのこと。
そして、こうも想定したらしい。
Oさん自身が霊視した内容を外してしまったし、これ以上ご家族に余計な混乱や不安を与えないようにするために手を引くとするなら…、という設定で霊視を試みたらしい。
そうすると、おじいちゃんの側から「懇願」とか「切望」とか「頼むから!」というようなエネルギーがとても強く出てくるらしい(←こういうのを元々感じる体質の方)。
だから、もし何かのいたずらや間違いであれば今頃とっくのとうにOさんに見切りをつけるはずなのに、Oさんに見切りをつけないと言っていた。
そして、おじいちゃんはその日も黙ってはいるけれども、私たちが電話している間中ずっと見守るような感じで同席?参加?されていたらしい。
さらにOさんはこうも言ってた。
おじいちゃんが気付かせてくれようと助けてくれてる、と。
Oさんはその後もどんどん霊視力に関してバージョンアップされていくけれど、そのヒントが本当に色んな形でもたらされていると教えてくれた。
ヒントの意味は私が聞いたところでちんぷんかんぷんだったけれども、そのヒントがもたらされた時の状況やそこに至るまでのシンクロやOさん側の働きかけを聞いて、これは間違いなく何か大きな力によって色んなことがもたらされてるのは一目瞭然だった。
どんなに天才肌のOさんでも、そんなマジックみたいなすごい偶然をいくつもいくつも引き起こすなんて絶対にできない。
だからおじいちゃんが助けてくれてる、というのは本当に本当だと思う。
>>>1月13日
【九州男児たちと電話】
今回はリンクをこの記事の下部に付ける予定だから、そのリンクに飛ぶと九州男児たち、リーダー・G男・シオくんとの実際のやりとりが出てくる。
これもまたどうしてこのタイミングだったんだろう?と思う。
ここは少しだけ別のストーリーがあるから、時系列に並べてみたい。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
>2018年12月
・シオくんの東京栄転が決まり、地元九州から東京へ引っ越す。
リーダー・G男と共に、シオくんが九州に帰ってくる時に飲み会を開催しようとそれだけは決めていた、とリーダーが後から教えてくれた。
(余談)
ちなみにシオくん、九州のその地に永住する気満々でここ1年以内でマンションを購入したとのこと。ところが多分もう九州へは戻らない東京への転勤が決まって、それで泣く泣くマンションを手放したとのこと。
九州支社でズバ抜けた力を出したと思われ(←そうは言わないけれど、私にはわかる)、それで東京本社への転勤になり、今年だか来年に欧州でのビッグプロジェクトの責任者か何かでそちらにも行くらしい!(←だから私に英会話スクールの話を振ってきた。)
シオくん、ドミニカ時代、雑誌を1冊自らの手で刊行させ、その際に自分のイメージにあるフォントがないとか言って、なんとフォントを自作するという、私からしたら意味のわからない雲の上のような人。明朝体やゴシック体とかいうやつを自らデザインそしてプログラミングするって何?って感じだった。
ちなみに何でこんなにも頭の良い人が私なんかと普通に話してくれるのか、なんなら超マニアックなオカルトな話もペンジュラムも占星術も超喰いついて話を聞いてくれるのか、その理由はさっぱりわからない。奇特どころかシオくんは何か人間の好みがかなり変わってるんだと思う。
>2019年1月1日
・年賀状がG男から届く。
>1月3日
・九州で大きな地震があって、リーダーにLINEした。
リーダーの住んでいる町からは震源地が遠そうではあったけれども、G男は近そうだからあえて連絡を控えたら、リーダーからG男も大丈夫みたいよ、と教えてもらう。
この時はまだ年賀状のことも飲み会のことも全く知らなくて、そして地震の安全確認で連絡しただけだったから、特に自分のことを話そうなどとは一切思わなかった。
>1月4日
・G男はじめ今年到着した年賀状への返事をようやく書き終えて、ポストへ。
今頃思い出したけれど、今回4枚到着して、1枚はきちんと返事を書きたいから本人へ手紙を書いて送るねとメール。
残り3枚のうち、唯一G男だけにはペンジュラムのことやおじいちゃんの捜索の手伝いなんかを書いた。
残り2枚は、「なんか今タイミングじゃない」と思ったから、「カウンセリングのような仕事をこれから徐々にやっていきます」ぐらいなことは書いたけれども、詳細はとにかく避けた。
相当変な色メガネで見られるかも…という不安が強すぎて言わなかった。
G男は反対で、「言おう!」と思った。
その時の私は、多分最初にリーダーに!と思っていたから、そしてリーダーに話がいく=何かの折にG男にもいくかもと思って、そしてそもそもG男は私がカウンセリングだのセラピーだのと起業しようとしてた2014年前後にお互いにホームページ作りをするのにやりとりしてた時期があった。
だから、G男にはどちらにしてもきちんと話をしておきたかった。
もっと余談だけど、2017年の夏に私が会社の上司にあたる全く絡みのない男性となんとか接点を持とうと色々考えていたその時に、結婚式でG男は余興もしなきゃいけなかったのに、なんなら朝は日が昇る前(夏だから5時前とか言ってた気がする)から農業の仕事をしてから駆け付けてきたのに、結婚式の披露宴の最中私のすぐ隣りで、本気で私の相談に乗って本気で一緒に考えてくれて、「ぶっしー、ご飯誘え!それが一番良い!」と全部の事情を知った上で言ってくれた。
周りに他の仲間たちもたくさんいたけれども、その時だけはG男は私に対しては一切ふざけなかった。
普段なら私に本当に余計ないじりをしてみんなの笑いを誘っているけれど、その時だけは絶対にそれをしなかった。
さらにそれから何ヶ月もしてから、「あの時のことどうなった?」って気にかけてもらった。
うまくいかんかった、と言った私に「そうか」と一言返事してその後は何事もなかったかのようにいつも通りの会話を続けてくれた。
そういう人だから、G男にもきちんと言いたかった。
だから、G男にはすごい限られた年賀状のスペースに要点だけはかなり押さえて、自分がガチで今後もやっていかないといけないことを書いた。
>1月12日
・Oさんとおじいちゃんの件で電話でやりとりしていた時に、リーダーからのLINEが入った。
ドミニカ共和国の日系人の方の訃報のニュースを伝えるためにリーダーは私に連絡をくれた。
それがあまりにもぴったりなタイミングだったから、私はリーダーに今伝えようと思って、リーダーにペンジュラムのことやおじいちゃんの捜索の件やらを話した。
(LINEの一部)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
17:09(私→リーダー)
今更だけど、私がダウジングしてるだの死者の魂のメッセージのやりとりをするだの(するのは他の人だけど、今回私はそれをまず家族に伝えて、そして家族とその死者の方と通訳者を繋げるのが役割)聞いてひいたりしない?
まぁ今さらだけど
18:29(リーダー→私)
特に引くとかはないよー(^^)
ごめんね!仕事先だったからすぐ返せなかった!
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
こうして、リーダーにも無事自分のことをカミングアウトすることができた。
>1月13日
・冒頭のリンク『九州男児たち』がこの日にあったこと。
シオくんは既に東京に移り住んでいたけれども、残務整理とかで週末を使って九州に戻ってきてたらしい。
それでリーダーとG男も集合して、シオくんの家の近くで飲んでいたその時に、私に電話をくれた。
その時に、リーダーが「えっ?ぶっしー、年賀状届いてないの?」と言ったことで、リーダーが出したとされる年賀状が私に届いていないことが発覚した。
シオくんも届いてないと言って、G男には「出したよ詐欺じゃねぇの(笑)?」などとリーダーはいじられていたけれども、「僕本当に出したのに!何で?えっ?郵便局に言ったらいいの?」とか電話の向こうで言ってた。
この最後の年賀状の話を聞いてハッとした。
律儀なリーダーは間違いなく年賀状を出してる。
だけど、なぜか届かなかった。
もし届いていたら、私はG男に出したようにリーダーにも同じ熱量で同じ内容を書いて年賀状を出したと思う。
でも届かなかったことで、リーダーにその話をする機会はいつかの未来に繰り越された。
そして、きちんと自分の口から言えたのは、まさに今回のおじいちゃんとのやりとりの途中で、しかも冒頭の「長い1日だった」から始まる、とてつもなく大きな衝撃が走った日のまさにその衝撃をモロに受けていた、AさんからOさんの霊視が合っていない、それも3つ全て外してると指摘されたその時と10分15分と違わない時間帯に、リーダーから最高にやさしい返信をもらっていた。
【特に引くとかはないよー(^^)
ごめんね!仕事先だったからすぐ返せなかった!】
ものすごい大打撃だったから、頭の中も心の中もぐちゃぐちゃになっていたけれど、そのタイミングでリーダーからのLINEが届いてた。
そう、リーダーのやさしい言葉は、私が最高に大打撃を受けて大パニックになっていたその絶妙なタイミングの頃合いにやってきた。
これはもっと早くても、もっと遅くてもダメだった。
そのタイミングだったからこそ、本当に一番心にやさしく且つ強く響くようになっていた。
これらのことも全て見えない世界で微調整が行われていたのかな…、とそんな風に感じた。
色々起こることは強烈でも、それにとって代わるじゃないけれど、何かしらのやさしさがセットで届けられる。
強烈なことたちを前にすると、本当に落ちまくって、でもどこにもその気持ちをぶつけるところがなくて、行き場のない思いをひたすら自分の中で見つめて消化していくしかない、そういうものが多い。
だから精神的にきつかったり、すごく厳しい決断に迫られることが、実はこのおじいちゃんの件に関してはかなり多い。
多いけれども、それでもそのきつくて厳しいことと一緒にやさしいものも同時に受け取っている。
そして、そのやさしさがどこから来るかって、全部人から来ている。
1つ残らず人から来ている。
全部どこかで繋がっている。
繋がりの中に私は自分がそこにいさせてもらえる、すごいポジションにいる。
この一連のことが今(1/28)はとりあえず落ち着いているけれども、それに何とか1つ1つ向き合えたのは、他でもない周りの人たちからたくさん私が助けられたからだった。
本当にたくさんたくさん助けてもらって、やさしさをもらって、それでギリギリでも何とか立てていた。
その人たちなくしては、私は多分やれなかったと思う。
Oさんが言っていた「おじいちゃんが気付かせてくれようと助けてくれてる」というのは、私にも当てはまっている。
確かめようなんかないけれども、確実に何かに助けてもらってる。
それも想像を遥かに超えた形で助けられている。
だから、私は今回こうして、いちいち細かいけれども細かいことをひたすら書いている。
ただカードを読み解いてもらったとか、LINEをもらったとかいう言葉では細部のメッセージが伝わらないから。
どうしてカード1つが、LINE1つが大事なのか、どう大事なのか、どう他の何かや他の誰かと結びついているのか、どう私に響いているのか、そんなことを1つ1つ紐解いてみると、これまで見えなかった景色が広がってくる。
本当はずっとあったのに気付けなかった、その景色に気付かせてもらえる。
>>>1月27日
【後日談ー新たな繋がり】
人生の中でたった1人、「ぶっしーさん」と私を呼んでくれるだけで私が萌え萌え(o´艸`)になる男の子がいる。
私の中で、一番の頭脳の持ち主(なのに謙虚)+礼儀正しさ+見ている視点や世界のユニークさ+純粋さ+オシャレ+イケメン+会話がスマートという、天はたった1人に何物与えるんだ?と思うぐらいに、とってもステキな男の子。
その子から連絡が来て、英語に関してのお願い事をされた!
おばちゃん二つ返事で引き受けた♡
英語の手伝いは全然面白くないけれど、相手がその子なら腕まくりしてやるよ!という感じ。
なんなら、私の中で将来一番の有望株だから、今から頼まれなくても恩を自ら押し付けちゃうよ!、という感じ。
で、その頼まれ事をされた時のLINEを見た時に、その子が今やった方がいいことがパッと出てきた。
とりあえず出てきたままを最初言って、その後付け足しでどういう理由でそれを勧めたのかと、私自身の相手の潜在意識から情報をキャッチしてしまう体質を説明した。
そして、ここでとうとう、九州男児トリオの1人、シオくんが私の意味不明な話を聞いて言いまとめてくれた言葉をその子にもそっくりそのまま送った。
それがこれ。
「武士俣さんの話を聞いていると、武士俣さんのしていることって、それぞれの人が持っている周波数に合わせて、それに共鳴していると思うんですよねー。
共鳴しているからその相手と引き合うし、そしてその合ったものから必要なものを取り出している。
携帯の電波と一緒で、対になっているものが互いに流れて通じ合う、あの原理と基本一緒ですよね。見えないけれども対のもの。
ラジオのチャンネルを合わせるようなもので、武士俣さんの場合はそれを本能的にやってる感じですよね。
相手の周波数にさっと合わせられるんですよ。
武士俣さん自身が媒介しているものが何か知らなくても、きちんと誰か第三者がそれをチューニングしている、そんな感じがします。
(相手の意識に繋がるのは)武士俣さんが、本人が悩んでてわからなくなっているところを、コーヒーフィルターみたいになって、そこにかけて抽出して、要らないものは取り除いて、大切なものだけを残して、そしてそのフィルタリングがうまくいっているからこそ、相手も流れに乗ってくる。
武士俣さんがするのは、その余計な情報をゼロにするか軽減すること、そして残ったもの(=大切なこと)を伝えること、そのチューニング合わせ、チューナー的な役割だと思うんですよね」
そしてその子からの返信がまた素晴らしく賢いまとめで、それも今後使わせてもらうことにした。
それがこれ↓。
「不要な要素を取り除いて問題を明確にすることで、悩んでいる人の意識を悩みの核となる部分に集中出来るようにして下さっている、ということですね! 僕も何していいのやら、と悩むことがあるので大変助かりますし! 頼りにしています!😆」
そして、個人的感情ダダ漏れな私の返信↓。
「◯◯くん最高!!!
私は基本的に自分のしてることが何なのかよくわかってないので、そうやってわかりやすい言葉にしてもらえると、ものすごーく助かります(スマイルマーク)
◯◯くんありがとう(スマイルマーク)
私も別の分野で◯◯くんをものすごーく頼りにしてます!」
そして、それに対する返信↓。
「僕なんかで力になれることがあれば言ってください!頑張ります!」
目がハートマークになりそうなぐらい萌えまくったし、何度も読み返した 笑。
そんな私のことは脇において、実はこの男の子とシオくんは、確か1年前もしくは2年前に全く違うところで接点がある。
その時も英語のお手伝いをその子に頼まれた。
で、当時頼まれたことが、いくら調べても私では答えが出せなくて困ったなぁとなって、それでシオくんに連絡して、助けを求めた。
シオくんはその時も素晴らしい頭脳を提供してくれただけではなく、なんとその大元の男の子が作った文章を見て、即何がその子に足りなくて何を強化したらいいのかまで教えてくれた。
私は教えてもらった通りのアドバイスをその子にそのまま伝達して、そしてそこからその子の英作文は爆発的に伸びた。
だからその子にも、今回私の状態を説明してくれたのは、そのいつかの英作文のアドバイスをくれたその人からだと説明した。
「不要な要素を取り除いて問題を明確にすることで、悩んでいる人の意識を悩みの核となる部分に集中出来るようにして下さっている、ということですね!」
どうしてこんな風に要約ができるのか、その頭脳の高さと情報処理能力の高さと言葉のセンスに驚きが隠せない。
今回の一連のことでさらに学んだことは、自分にできないことは、できる人たちに頼む・お願いする、ということ。
ということで、今回も超積極的に過剰なぐらいに英語のお手伝いに励もうと思う。
もちろん、そんなの未来の自分へのペイバックを期待してやるという、どこまでも私利私欲のためにがんばるᕦ(ò_óˇ)ᕤ
〜関連記事〜
九州男児たち
2019年1月27日日曜日
奇跡の果実④大事にしたいもの
霊視ができるヒーラーのOさんとの電話中におじいちゃんの霊が出てきて、その後の話。
おじいちゃんは、山で行方不明になって、秋の終わりにご家族から私にペンジュラムを使って居場所を特定してもらえないかとお願いされたおじいちゃんだった。
Oさんと私とで話し合い、このままにしていていいわけもなく、そしておじいちゃん側からも家族に連絡をして家族とおじいちゃんを繋いで欲しいというような要望があったから、それで私がその怪しさ満載の話をご家族の窓口になられているAさんに連絡を入れて事の顛末を伝えた。
Aさんにはあったことを正直に話し、そして捜索に関してもおじいちゃんが色々言ってきたからそれについても伝えたいから、近いうちに一度時間を作って欲しいとお願いした。
最終的な目標は、Oさんとご家族を繋いで、そしてOさんを介して家族とおじいちゃんとがやりとりできることだった。
さらには春を迎えて雪が解けたらまた捜索は開始になるだろうから、その時にOさんが現地に出向くなり、もしくはテレビ電話なんかで場所を映像で見て、おじいちゃんと繋がりながら何かしらの捜索の手がかりを伝えられたらいいなと思った。
ちなみにOさんを介しておじいちゃんとやりとりした時に、Oさんみたいな人を連れて来なきゃ見つけられないだろうとまで言われた。
ごもっともな話で、私は反論の余地もなかった。
実際にご家族のAさんから1週間以上先に時間を作ってもらえることになり、私はその時のためにOさんとどこをどう伝えるかについて話を詰めた。
当時は事の成り行きが全くわからなくて、ずいぶんと先になった約束の日を前に、ちょっとだけ「何でそんなにも先なんだろう?今回は」と思った。
前回は連絡をした翌日、なんなら半日後ぐらいにはもう会っていた。
今回は1週間も先で、忙しいのもあるだろうし、単純に話が怪し過ぎるからAさんからしてもあまり関わり合いたくないのかな…とか、私が言ってきたから気乗りしないけれど時間を作ってくれたのかな…とか、色々思った。
今振り返ると、その本当の理由が何であれ、すべては絶妙なバランスとタイミングできちんと予定通りに物事は動いていた。
ここからは時系列通りに起こった出来事を並べて話したい。
話がごちゃごちゃするから、先に登場人物の紹介。(洋書なんかによくある、表紙の内側なんかに書かれている[登場人物]の箇所みたい 笑)
[登場人物]
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
・おじいちゃん…山で行方不明になって、今も身体の方の行方がわからないままの人
・Oさん…ヒーラーで霊視ができる人。今回おじいちゃんの霊魂からの呼びかけをキャッチして、それでおじいちゃん側の通訳をしてくれている人
・Aさん…おじいちゃんのご家族で、私がご家族と連絡を取る時の窓口となっている人
・リーダー(九州男児の1人)…私のドミニカと名古屋時代の友達。現在は九州在住
・G男(九州男児の1人)…私とリーダーのドミニカ時代の友達。九州在住
・シオくん(九州男児の1人)…私・リーダー・G男のドミニカ時代の友達。九州在住だったけれど、最近東京に栄転になった。リーダーとG男とはずっと仲良しで、不定期に3人で集まって飲んでいる模様。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
>>>1月7日
ーーーーOさんと電話
Oさんと私で電話をしていたその時に、おじいちゃんが登場した。
霊視ができるOさんが電話開始1時間後から私を「ふみこ、ふみこ」と呼ぶ存在に気付いて、それで大元の私たちの用事が終わったさらにその2時間半後にOさんから誰かが出てきていると私に伝えられた。
色々特徴を聞いて私の方も質問したことで、それがおじいちゃんだと判明する。
様々な話をOさんを介しておじいちゃんとして、最終的に家族と繋いで欲しいということがわかった。
私が家族に連絡を取るということで、電話は一旦終了する。
>>>1月7日
ーーーーAさんにLINE
事の顛末を説明して、Aさんに時間を作って私と会って欲しいとお願いする。
Aさんから返信がきて、とりあえず私に会って話を聞きたい、Oさんと話をするかどうかは聞いてから家族で決めたいというような内容が書かれてきた。
これは後日談だけど、Aさんは私から連絡が来る何日か前に、とても印象の強い後味の悪い夢を見て、それを調べたら【生と死に関する】とあって、それが自分の家族の誰かが死ぬとかだったら本当に嫌だなぁ、と心配しきりだったとのこと。
そうしたら私から連絡が入って、「あぁこの事だったんだ」とわかって、ホッと胸を撫で下ろしたと教えてくれた。
>>>1月11日 14〜16時過ぎ
ーーーーOさんと電話
前回の電話を元に、2人で内容を詰めるためにOさんと再度電話した。
今回もおじいちゃんは最初から最後まで私たちの会話に同席して、積極的に話し合いに参加された。
【実際にやりとりしたこと】
・事前に第1回目の音声を互いに聞いて、そこから見えてきたことや感想などを共有した
・私側が15個色んな質問を事前に用意していて、それに対してOさん又は通訳してもらっておじいちゃんから答えをもらった
・ご家族に会う際に気をつけた方がいいこと、伝えた方がいいことを検討した
・おじいちゃんから家族に向けたメッセージを聞いた
(↑これが後にとても重要な話に繋がっていく)
・なぜか私に、私の前職場の上司だった男性のことをOさんに聞かないのかとおじいちゃんに促された((((;゚Д゚)))))))
(↑そうでなくても情報が満載過ぎてグッタリとしていたから、それはOさんに今は要りません、逆に今色々言われても困りますと訴えて、何も聞かなかった)
最後の前職場の上司のこと。
その時は「何で今全く関係のないことなのに、その人の話をおじいちゃんは出すのか?」と、若干怒りすら湧きそうな勢いだったけれども、これもちゃんと意味があった。
怒りというのは、そうでなくても情報が多過ぎて頭の中がとっ散らかっているのに、そこにさらに全く関係のない話を持ち出してきてふざけているのかと思ったから。
けど、この上司の男性がおじいちゃん側の誘導によって話に出てきたのも、今となっては偶然ではなかったと思う。
私が思うに、この男性に目がいくことで私の中の別の回路を繋げるための伏線みたいなものだったと思う。
そして、実際にその後、この男性の存在は意外な場面で大いに役立つというかご協力いただくというか、とにかく本人不在な上、私でさえも連絡が取れないにも関わらず、その人のおかげで私も助けられた場面が出てくることになった。
(こういうことこそ、ザ・霊界の為せる技だと思う( ̄∀ ̄)。そして、霊界側の事情において必要な時はその人が出てくる(=その人の存在を示される)けれども、現実に生きている私側の切実な願い(=その人とのやりとりや再会)に関しては別に霊界の技を駆使してでも叶える必要がないのか、さっぱり出てきてくれない(T-T))
>>>1月11日 16:08〜
ーーーーリーダーからLINE
Oさんとの電話の終わりぐらいに、誰かしらがLINEかメールを送ってきたことがバイブ音でわかった。
Oさんとの電話が終わった後確認したら、それがリーダーからのものだとわかった。
九州に住むリーダーからLINEが来ていて、スペイン語で書かれたドミニカのオンライン新聞の記事が添付されてきた。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
16:08(リーダー→私)
ぶっしー!
大変!!!
〈スペイン語の記事〉
16:10〜(2人でしばらくLINEをやりとり)
(私)
日高さんじゃん!
日高さんどうされたの?
(↑読むの大変で挫折)
(リーダー)
交通事故で亡くなられたみたいよ。
(私)
ええっ(-_-;)(-_-;)(-_-;)
そんな!
[2人で冥福を祈る+日高さんにまつわる話をする]
(私)
実は今、私死者の方からのメッセージを通訳する人と話をしていてね。
人が死ぬ時に伝えてくるメッセージの本質、そうしたものに触れたそのタイミングでリーダーから連絡がきて驚いた!
(リーダー)
なるほど。
日高さん、何かしらのメッセージだったのかも。
(私)
自分の話になって申し訳ないけれども、2ヶ月前山に行ったおじいちゃんが行方不明になって、私はその捜索をペンジュラム(ダウジング)でして欲しいと依頼を受けてやってね。結局見つからずじまいではあるけれど、そのおじいちゃんの魂が、通訳の人と私とで数日前電話した時にやってきてあれこれメッセージを家族に向けて伝えられてね。
それを来週ご家族に伝える予定なんだけど、そのための細かな打ち合わせをしていた、まさにその時にリーダーからLINEがきた。
リーダー今更だけど、私がダウジングしてるだの死者の魂のメッセージのやりとりをするだの(するのは他の人だけど、今回私はそれをまず家族に伝えて、そして家族とその死者の方と通訳者を繋げるのが役割)聞いてひいたりしない?
まぁ今さらだけど。(17:09)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
上の部分を私が送って、そのまま一旦リーダーとのLINEは終了した。
少し補足説明をしたい。
リーダーとはかれこれ11年12年の付き合いになる。
ドミニカで出会って、その後私が名古屋に就職内定して名古屋に引っ越した半年後ぐらいにリーダーも日本に帰国した。
リーダーが元々いた職場が名古屋にあって、だからリーダーが日本帰国後は名古屋にそのまま戻ってきたことで、私たちは同じ名古屋市民となった。
リーダーには本当に頭が上がらないぐらいにドミニカでも名古屋でもお世話になった。
名古屋で13ヶ月に渡る引きこもりだった時も、リーダーだけはコーチングやスピリチュアル系の学び友達以外で唯一変わらずに私と居続けてくれた人だった。
(そうした学びを通じて仲良くさせてもらった方たちは達観しているところがあって、基本的に私の状況云々で関係を変える人というのはいなかった。)
その時だったと思うけれども。
ある時、リーダーと私は共通の友達の家に遊びに行った。
共通の友達は岐阜県の下呂温泉の近くの町に住んでいて、名古屋から車で2〜3時間ほどのところで、リーダーが車を出してくれた。
帰り道、あと1時間もしないうちに日が暮れるかなという時間、空は曇っていたかな…明るいけれど明るくないみたいな感じの空模様で、まだその町の中の広い国道を走っていた時に交わした会話を今でもよく覚えている。
私は何せその時、本気で何もしていなかったし、社会的にはニート+引きこもり、さらには先々のことも何も見えなくて、四方八方塞がりの頃だった。
2人で人生の話は山ほどしてきたしその時もそんな話をしていた延長の中でのことだった。
多分私は、今の自分が結婚できるなんて到底思えないみたいなことを、本気で言った。
とても静かに自分がそういう内容のことを口にしたのは覚えている。
リーダーと遊びに行った友達の家というのが、夫婦円満、子どももその頃2人?3人?いて(今は4人)、当時独身だったリーダーと私に大いに結婚に対しての希望を抱かせる、そういう家庭だった。
それでも私は、自分が結婚したいのと自分が結婚できるのは別物と考えていたから、だから結婚できるなんて思えないと静かにでもはっきりと言った。
社会的に何もないどころかマイナスで、そんな自分をいいなんて言ってくれる人はまずいないというようなことを思っていただけだったのか、それも口にしたかは忘れた。
リーダーは前を向きながらも静かに、凛とした声で私に言った。
「ぶっしー、そうじゃないよ、今こそなんだよ!
今のぶっしーを見て良いって言ってくれる人こそ本物じゃん。
そういうぶっしーを見ても一緒にいたいって言ってくれる人こそ、本当にぶっしーと一緒にいる人だと思うよ。
今がチャンスじゃない?」
言葉は多少違うかもしれないけれど、内容はおおよそそんな風だった。
私はリーダーの言葉を聞いて胸が詰まって泣きそうになってた。
他にも色んな場面があったけれども、リーダーは私のどんな状況や失敗、リーダーに対しての失礼なことも含めて、それでもずっと一緒にいてくれた人だった。
2016年の3月末にリーダーは九州での仕事が決まって九州に引っ越した。
そしてその2ヶ月後に私も新潟に戻った。
誕生日が9日違いだから、リーダーも私もその年は魂的な人生の転機を迎えることになってたから、今考えると2人ともその通りの流れに乗っていたと感じる。
で、話は戻って上のLINEの補足説明。
リーダーから年賀状が来るかと思っていたけれども来なくて、そしてそもそも私たちの連絡のやりとりは今はものすごく不定期になったから(名古屋にいた頃は飲むために月1ぐらいのペースでやりとりしてた)、どこかのタイミングでリーダーには自分のペンジュラムのことやスピリチュアル的な仕事が始まりつつあることを伝えなきゃいけないと思っていた。
リーダーとG男が県は違えど互いに行き来できる距離に住んでいて時々飲んでいることは知ってた(←本人たちから連絡がくる)。
G男には年賀状で私の今のことを伝えた。
でもリーダーからは年賀状が来なかったから私も出さず=何も伝えておらず、そうなると次いつどのタイミングで私とリーダーがやりとりするのかはわからなくて、でもその間にG男とリーダーで会ってG男から「ぶっしー、なんか怪しいことになってるよ」などと話に尾ひれ+G男の毒舌も加わっておかしな形でリーダーの耳に入ることも予想できた。
それは避けたいと思って、そして私もリーダーには自分の口からきちんと言いたいと思って、それでその日高さんの連絡に便乗して、ついでに自分のカミングアウトも行った。
【追悼の意:長年ドミニカ共和国在住だった日系人、日高武昭さんのご冥福をお祈りします。
日本でもニュースに出ていたので、あえて実名掲載しました。
そして、このすごいタイミングでこのニュースがリーダーはじめ私たちの耳に入ったこと、それはその後に色んなことを結んで繋いでくれました。
本当に心から感謝申し上げます。
日高さん、ありがとうございました。】
>>>1月11日 17時〜18:14
ーーーーAさんとLINE
あの時、私は自分がどうしてそうしようと考えたのかはわからない。
だけど、それが必要だろうと咄嗟に思って、Aさんに連絡をもう一度した。
おじいちゃんが会話の中で自分に関して言ってきたことがあった。
いくつかあるうちの3つをAさんに言ってみた。
当たっていれば、Oさんと私の電話の時に出てきたおじいちゃんが本当にその行方不明になった人だし、外れていたら違う人とかいたずらということになる。
そう、なぜか私はその時確認をした。
そしてAさんから、おじいちゃんはその3つのどれにも当てはまらない、と返信が来た。
(18:14)
その時の気持ちを何と言葉で表現したらいいのか、今でも上手く言葉では説明できない。
その時、体中の力が抜けてそこに重石を乗せられたみたいな重さと緊張が全身に広がった。
「どうして?」と思った。
混乱した。
すでに2回、時間にして3時間以上おじいちゃんとは話をしたわけで、3つが当たってない=すべて間違いなのか?、間違いにしてはあまりにも情報量が多すぎるし、話が色々出来過ぎだと思った。
Oさんが間違えたんだろうか?
間違えてたにしても、その日もその前の時も、私に関することは百発百中で当てていた。
Oさんが間違いというのは、ゼロではないにしても考えにくいものがあった。
じゃあ誰かの霊がいたずらでもしているんだろうか?
もしこれが霊のいたずらだとしたら、酷すぎると思った。
いたずらしたとして、誰が得するの?もしくは誰が損するの?と思った。
なによりもすでにおじいちゃんの家族を巻き込んでいるところがすごく嫌だった。
OさんにもLINEを入れた。
来たままのメッセージを転送して、どうなっているのかを伝えた。
夜遅くにOさんからLINEが来た。
とりあえず今のまま情報を家族に伝えるのは確実に混乱をきたすからストップすること、そして翌日どこか電話をするための時間を作って欲しいとあった。
>>>1月11日 18:29
ーーーーリーダーからLINE
私は上のAさんとのやりとりをホームセンターの駐車場に止めた車の中でしていた。
腕時計の電池が切れて、その電池交換に出すためにホームセンターに行った。
ものすごくモヤモヤしていたけれども、これから高校受験を控えた友達の娘の家庭教師が待っている。
行かないわけにいかない。
とりあえず、モヤモヤしたまま車を友達の家に向けて走らせようと思った。
そうしたらLINEが来たのか携帯がケースの合間から光ったのが見えた。
携帯を確認した。
リーダーからだった。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
17:09(私→リーダー)
今更だけど、私がダウジングしてるだの死者の魂のメッセージのやりとりをするだの(するのは他の人だけど、今回私はそれをまず家族に伝えて、そして家族とその死者の方と通訳者を繋げるのが役割)聞いてひいたりしない?
まぁ今さらだけど
18:29(リーダー→私)
特に引くとかはないよー(^^)
ごめんね!仕事先だったからすぐ返せなかった!
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
リーダーにお礼を言って、私はそのまま友達の家に向かった。
>>>1月11日 23時半過ぎ
ーーーー24時間営業のスーパーにて
その日の家庭教師は未だかつてない、集中力散漫な日だった。
やることはやったけれども、どうしてもあの霊とやりとりしたことと、それをAさんに合っているかを確認したら全然違うと返事がきたこと、そのことが頭から離れなかった。
人生で3度目だと思う、仕事中にここまで集中力を欠いたのは。
最初は32歳ぐらいの時。
その時もショックなことを聞いて、そのショックのままお客さんへの営業をして契約を取ってた。
2回目は2017年の9月。
これは数回あったけれども、数日おきにショックなことがあって、その時は1人で黙々としていれば良い仕事だったから助かったものの、ぼーっとしてると泣いてしまいそうだった。
そして今回。
英語の勉強を子どもとして多少気は紛れたけれども、とにかく一連のことが頭から離れない。
今回は困ったことに、相手は生きていないということ。
どこに気持ちをぶつけたらいいのかさっぱりわからず、自分は夢でも見てたんじゃないかとか、これは何かの茶番劇で実は意味なんてなかったんじゃないかとか、とにかく色んな気持ちが錯綜した。
Aさんから違っていると連絡を受けてから4時間ほど経過した分、少し気持ちが落ち着いて徐々に冷静になってきた。
気分転換も兼ねて、夜中のスーパーに行った。
スーパーに着いて、ふと出てきた。
「私が信じたいものって何だろう?」
ここ数日間のことが走馬灯のように頭の中を駆け巡った。
そして、Oさんとのやりとりを出会いの日から今日に至るまでを思い出した。
Oさんは今回の一連のことを完全なるボランティアでしてくれている。
しかもOさんはきっぱりと私に言った。
「この件に関しては、“僕が力になれることがあるのなら僕を遣ってください”、という気持ちで関わらせてもらっているからお金を請求するとかは一切考えていません」
それはその日の日中にOさんと電話でやりとりした時に、今後Oさんをご家族に繋ぐとなるとご家族の方から必ず費用を聞かれるだろうと想定して、それで私が先に聞いてそれをそのままご家族に聞かれたら説明したらいいと思って、それで聞いたことだった。
すでにOさんはこのことに関して2回、計3時間以上私と関わってくれてる。
しかも録音した音声を聞いて確認して欲しいことがあると私から言って、その部分に関してもプラスアルファで見えないところで色々協力してもらっていた。
そして私は霊視できないから、霊視の部分やおじいちゃんの言葉の私への通訳は全てOさんが担ってくれている。
Oさんにすでに何の得もないどころか、負担にさえなっている。
そうでなくても、本業や家のことがあるのに、その合間合間を縫って色々してもらっている。
Oさんが何か騙そうとか弄ぼう(もてあそぼう)とかいう気が100%ないのはわかる。
そしてこれまでしてくれた数々のことを振り返っても、Oさんが常に誠心誠意を尽くして対応している姿を私はずっと見てきた。
そうした時に私の心は決まった。
私が信じたいのは、Oさんが見せてくれているその在り方で、もしOさんが間違えた情報を下ろしてきたとしても、私はそれが気にならないし、必要があればご家族にいくらでもすみませんと謝ることができるし、そしてOさんとやって何かやらかしたとしても私はそれが自分たちが精一杯やっての結果だとするならそれは仕方ないと最後は納得できる、そう思った。
そして、Oさんと私は、仮に霊のいたずらだったとしても、そんなのに屈することもなければ、うちらは全力でいくよ!と思った時に、これが私の信じたいことだとはっきりとわかった。
リーダーの言葉が今頃になってもっともっと沁みてきた。
私が自分のことをカミングアウトした後、それまでスムーズにやりとりしていたLINEが途切れた。
正直なところ、私はそのタイミングで止まってしまったこと、しかもたしか「既読」がついて止まってしまったから、ものすごく悶々とした。
口では「カミングアウトして相手が嫌がったら仕方ない。そこまでの縁だったと思おう」とは言っているけれども、正直なことを言えば、少なくとも私が自らの口で伝えたいと思う人たちには、これまでと変わらずに私との関係を続けて欲しい、そう思っている。
自分が世間から見てどれだけ怪しいものと関わっているのかはわかっている。
最近はさすがにみんなのおかげでカミングアウトすることで全てが崩壊するかも…という強迫観念めいたものはなくなったけれども、まだ誰にも言えなかった頃、私は大切な人たちを失うのが本当に怖くて、自分の人生にあるものたちが本気で嫌だった。
自分がスピリチュアルなことと関わるのは仕方ないにしても、それを周りに言っていくにしても又は隠し通すにしても、どちらも違うタイプの負荷が半端なくてとても嫌だった。
それを受け入れられない人たちは世の中にたくさんいる。
私だってその1人だったわけで、その気持ちはとてもよくわかる。
だから、相手の受け取り方が否定派又は無関心派でも仕方ないと思っていた。
だけど、私はそのせいで自分がこれまで大事にしてきた人間関係にヒビが入るのは本当に嫌だった。
でもかと言って、そういう自分を隠し通して今後も付き合っていくというのも、それもそれで嫌だった。
この何年間の時間の中でずっと隠し通してきた自分側の負荷と、そしてどこか嘘をついているみたいな、正々堂々としていないところが嫌だった。
究極、そういう自分も受け入れてもらえないかな…と、言うのはすごい怖いくせしてひっそりと願っていた。
その手の話を周りの人たちとしてこなかったから、各人の反応なんて私には未知数過ぎた。
だから、実はカミングアウトをする前の私はいつもすごい覚悟を決めて相手に伝えてた。
それが大事な人であればあるほどそうだった。
私のやることを認めてくれないのはどっちでも良かったけれども、私のやることによって相手と私の関係が変わるのは絶対に避けたかった。
しかも、私と長い付き合いの人たち、少なくとも30歳以前に出会った人たちは、私が言わない限り今の私を知らない。
派遣の仕事してるとか新潟に戻ったとかいうのと内容が訳違う。
本気で関係が悪い方に変わってしまう可能性を含んでいる内容ゆえ、私もその分の覚悟が半端なく必要になっている。
だから、リーダーが既読のまま何も返してこないことに本気で不安だった。
そうじゃなくても色んなことで頭がいっぱいだったから、私はもうこのまま何事もなかったかのようにしてリーダーのことはそっとしておいてもいいかも…とさえ思った。
そうしたら、まるで私の気持ちを察したかのように
【特に引くとかはないよー(^^)
ごめんね!仕事先だったからすぐ返せなかった!】
と来た。
あぁそうだった、と思い出した。
リーダーはそんなことで私を見切ったり絶対にしない人だということを。
上のリーダーと岐阜に行った時かまた別の時だったのかは忘れたけれど、とにかくニート+引きこもりの時に私は現金何十円という所持金しか無い事態に陥った。
リーダーに飲みか何かに誘われて、それで私は正直にその事実を告白した。
「都合が悪い」というのは通用しないから、もう正直に言う他なかった。
そうしたら、リーダーはお金は気にしなくていいからと言って私を連れ出した。
そして、本当にない時は言って、お金貸すからとまで言ってもらったこともあった。
(↑借りてはいない)
ぶっしー、そんなことで死んじゃダメだからね!絶対にダメだからね!とその時も言われたし、別の時ももう2〜3回言われた記憶がある。
いつだったかは、リーダーの友達か後輩が自殺したらしいと風の便りで聞いて、私に泣きながら電話をかけてきて、相手の死を悔しい悔しいと言いながら「ぶっしー、絶対に死んじゃダメだからね!どんなに苦しくても自殺だけは絶対にしちゃダメだからね!」と私に言った。
そうだ、そういう私の最低最悪の時をリーダーは知っている人だから、私が何をしていようと引くとか関係を断つとかは、そういう理由では絶対にしない人だということを思い出した。
自分のことで頭がいっぱいで全然気が回らなかったけれども、リーダーは本当にそうした見た目や肩書き、状況なんかで人を判断しない人だし、自分の大切な人たちのことはいつも大事にしてくれる人だということを改めて思い出した。
そう、私が信じたいのは、リーダーと積み重ねた11年12年の時間の中で築いてきたものだったり、Oさんとやりとりした中で積み重ねたものから見えたもの、そして何より私が大事だと思うその人たちを信じたい、そこなんだとはっきりとわかった。
>>>その後
真夜中のスーパーで、Oさんとリーダーとのやりとりを振り返って、私が信じたいものが周りの人たちやその人たちと積み重ねたものだとわかって、それでハッとした。
その日、Oさんと日中電話で話していた時のこと。
色々Oさんと打ち合わせしている最中、おじいちゃんに向けた質問もいくつかあって、それをOさんを介して聞いて答えを返してもらうという作業の一端であった会話。
おじいちゃんが若干機嫌悪くなりながら、
「おめえが一番大事にしてるものは何なんだ?」
と私に言ってきた場面があった。
私はOさんに「今答えなきゃいけないんですか?」と聞いて「いや、今じゃなくていいみたいですよ」と言われたけれども、なぜに突然そんなことを聞かれたのかわからなかった。
あぁ……。
おじいちゃんが聞いていたのはこのことだったのかもしれない、そう思った。
これが思いの外長い文章になったから、この続きは⑤として引き継いで書いていこうと思う。
登場人物の中のシオくんは、本当は今回ここに登場予定でいたけれど、長くなって2つに分けることになったから、そちらも次回へ。
おじいちゃんは、山で行方不明になって、秋の終わりにご家族から私にペンジュラムを使って居場所を特定してもらえないかとお願いされたおじいちゃんだった。
Oさんと私とで話し合い、このままにしていていいわけもなく、そしておじいちゃん側からも家族に連絡をして家族とおじいちゃんを繋いで欲しいというような要望があったから、それで私がその怪しさ満載の話をご家族の窓口になられているAさんに連絡を入れて事の顛末を伝えた。
Aさんにはあったことを正直に話し、そして捜索に関してもおじいちゃんが色々言ってきたからそれについても伝えたいから、近いうちに一度時間を作って欲しいとお願いした。
最終的な目標は、Oさんとご家族を繋いで、そしてOさんを介して家族とおじいちゃんとがやりとりできることだった。
さらには春を迎えて雪が解けたらまた捜索は開始になるだろうから、その時にOさんが現地に出向くなり、もしくはテレビ電話なんかで場所を映像で見て、おじいちゃんと繋がりながら何かしらの捜索の手がかりを伝えられたらいいなと思った。
ちなみにOさんを介しておじいちゃんとやりとりした時に、Oさんみたいな人を連れて来なきゃ見つけられないだろうとまで言われた。
ごもっともな話で、私は反論の余地もなかった。
実際にご家族のAさんから1週間以上先に時間を作ってもらえることになり、私はその時のためにOさんとどこをどう伝えるかについて話を詰めた。
当時は事の成り行きが全くわからなくて、ずいぶんと先になった約束の日を前に、ちょっとだけ「何でそんなにも先なんだろう?今回は」と思った。
前回は連絡をした翌日、なんなら半日後ぐらいにはもう会っていた。
今回は1週間も先で、忙しいのもあるだろうし、単純に話が怪し過ぎるからAさんからしてもあまり関わり合いたくないのかな…とか、私が言ってきたから気乗りしないけれど時間を作ってくれたのかな…とか、色々思った。
今振り返ると、その本当の理由が何であれ、すべては絶妙なバランスとタイミングできちんと予定通りに物事は動いていた。
ここからは時系列通りに起こった出来事を並べて話したい。
話がごちゃごちゃするから、先に登場人物の紹介。(洋書なんかによくある、表紙の内側なんかに書かれている[登場人物]の箇所みたい 笑)
[登場人物]
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
・おじいちゃん…山で行方不明になって、今も身体の方の行方がわからないままの人
・Oさん…ヒーラーで霊視ができる人。今回おじいちゃんの霊魂からの呼びかけをキャッチして、それでおじいちゃん側の通訳をしてくれている人
・Aさん…おじいちゃんのご家族で、私がご家族と連絡を取る時の窓口となっている人
・リーダー(九州男児の1人)…私のドミニカと名古屋時代の友達。現在は九州在住
・G男(九州男児の1人)…私とリーダーのドミニカ時代の友達。九州在住
・シオくん(九州男児の1人)…私・リーダー・G男のドミニカ時代の友達。九州在住だったけれど、最近東京に栄転になった。リーダーとG男とはずっと仲良しで、不定期に3人で集まって飲んでいる模様。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
>>>1月7日
ーーーーOさんと電話
Oさんと私で電話をしていたその時に、おじいちゃんが登場した。
霊視ができるOさんが電話開始1時間後から私を「ふみこ、ふみこ」と呼ぶ存在に気付いて、それで大元の私たちの用事が終わったさらにその2時間半後にOさんから誰かが出てきていると私に伝えられた。
色々特徴を聞いて私の方も質問したことで、それがおじいちゃんだと判明する。
様々な話をOさんを介しておじいちゃんとして、最終的に家族と繋いで欲しいということがわかった。
私が家族に連絡を取るということで、電話は一旦終了する。
>>>1月7日
ーーーーAさんにLINE
事の顛末を説明して、Aさんに時間を作って私と会って欲しいとお願いする。
Aさんから返信がきて、とりあえず私に会って話を聞きたい、Oさんと話をするかどうかは聞いてから家族で決めたいというような内容が書かれてきた。
これは後日談だけど、Aさんは私から連絡が来る何日か前に、とても印象の強い後味の悪い夢を見て、それを調べたら【生と死に関する】とあって、それが自分の家族の誰かが死ぬとかだったら本当に嫌だなぁ、と心配しきりだったとのこと。
そうしたら私から連絡が入って、「あぁこの事だったんだ」とわかって、ホッと胸を撫で下ろしたと教えてくれた。
>>>1月11日 14〜16時過ぎ
ーーーーOさんと電話
前回の電話を元に、2人で内容を詰めるためにOさんと再度電話した。
今回もおじいちゃんは最初から最後まで私たちの会話に同席して、積極的に話し合いに参加された。
【実際にやりとりしたこと】
・事前に第1回目の音声を互いに聞いて、そこから見えてきたことや感想などを共有した
・私側が15個色んな質問を事前に用意していて、それに対してOさん又は通訳してもらっておじいちゃんから答えをもらった
・ご家族に会う際に気をつけた方がいいこと、伝えた方がいいことを検討した
・おじいちゃんから家族に向けたメッセージを聞いた
(↑これが後にとても重要な話に繋がっていく)
・なぜか私に、私の前職場の上司だった男性のことをOさんに聞かないのかとおじいちゃんに促された((((;゚Д゚)))))))
(↑そうでなくても情報が満載過ぎてグッタリとしていたから、それはOさんに今は要りません、逆に今色々言われても困りますと訴えて、何も聞かなかった)
最後の前職場の上司のこと。
その時は「何で今全く関係のないことなのに、その人の話をおじいちゃんは出すのか?」と、若干怒りすら湧きそうな勢いだったけれども、これもちゃんと意味があった。
怒りというのは、そうでなくても情報が多過ぎて頭の中がとっ散らかっているのに、そこにさらに全く関係のない話を持ち出してきてふざけているのかと思ったから。
けど、この上司の男性がおじいちゃん側の誘導によって話に出てきたのも、今となっては偶然ではなかったと思う。
私が思うに、この男性に目がいくことで私の中の別の回路を繋げるための伏線みたいなものだったと思う。
そして、実際にその後、この男性の存在は意外な場面で大いに役立つというかご協力いただくというか、とにかく本人不在な上、私でさえも連絡が取れないにも関わらず、その人のおかげで私も助けられた場面が出てくることになった。
(こういうことこそ、ザ・霊界の為せる技だと思う( ̄∀ ̄)。そして、霊界側の事情において必要な時はその人が出てくる(=その人の存在を示される)けれども、現実に生きている私側の切実な願い(=その人とのやりとりや再会)に関しては別に霊界の技を駆使してでも叶える必要がないのか、さっぱり出てきてくれない(T-T))
>>>1月11日 16:08〜
ーーーーリーダーからLINE
Oさんとの電話の終わりぐらいに、誰かしらがLINEかメールを送ってきたことがバイブ音でわかった。
Oさんとの電話が終わった後確認したら、それがリーダーからのものだとわかった。
九州に住むリーダーからLINEが来ていて、スペイン語で書かれたドミニカのオンライン新聞の記事が添付されてきた。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
16:08(リーダー→私)
ぶっしー!
大変!!!
〈スペイン語の記事〉
16:10〜(2人でしばらくLINEをやりとり)
(私)
日高さんじゃん!
日高さんどうされたの?
(↑読むの大変で挫折)
(リーダー)
交通事故で亡くなられたみたいよ。
(私)
ええっ(-_-;)(-_-;)(-_-;)
そんな!
[2人で冥福を祈る+日高さんにまつわる話をする]
(私)
実は今、私死者の方からのメッセージを通訳する人と話をしていてね。
人が死ぬ時に伝えてくるメッセージの本質、そうしたものに触れたそのタイミングでリーダーから連絡がきて驚いた!
(リーダー)
なるほど。
日高さん、何かしらのメッセージだったのかも。
(私)
自分の話になって申し訳ないけれども、2ヶ月前山に行ったおじいちゃんが行方不明になって、私はその捜索をペンジュラム(ダウジング)でして欲しいと依頼を受けてやってね。結局見つからずじまいではあるけれど、そのおじいちゃんの魂が、通訳の人と私とで数日前電話した時にやってきてあれこれメッセージを家族に向けて伝えられてね。
それを来週ご家族に伝える予定なんだけど、そのための細かな打ち合わせをしていた、まさにその時にリーダーからLINEがきた。
リーダー今更だけど、私がダウジングしてるだの死者の魂のメッセージのやりとりをするだの(するのは他の人だけど、今回私はそれをまず家族に伝えて、そして家族とその死者の方と通訳者を繋げるのが役割)聞いてひいたりしない?
まぁ今さらだけど。(17:09)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
上の部分を私が送って、そのまま一旦リーダーとのLINEは終了した。
少し補足説明をしたい。
リーダーとはかれこれ11年12年の付き合いになる。
ドミニカで出会って、その後私が名古屋に就職内定して名古屋に引っ越した半年後ぐらいにリーダーも日本に帰国した。
リーダーが元々いた職場が名古屋にあって、だからリーダーが日本帰国後は名古屋にそのまま戻ってきたことで、私たちは同じ名古屋市民となった。
リーダーには本当に頭が上がらないぐらいにドミニカでも名古屋でもお世話になった。
名古屋で13ヶ月に渡る引きこもりだった時も、リーダーだけはコーチングやスピリチュアル系の学び友達以外で唯一変わらずに私と居続けてくれた人だった。
(そうした学びを通じて仲良くさせてもらった方たちは達観しているところがあって、基本的に私の状況云々で関係を変える人というのはいなかった。)
その時だったと思うけれども。
ある時、リーダーと私は共通の友達の家に遊びに行った。
共通の友達は岐阜県の下呂温泉の近くの町に住んでいて、名古屋から車で2〜3時間ほどのところで、リーダーが車を出してくれた。
帰り道、あと1時間もしないうちに日が暮れるかなという時間、空は曇っていたかな…明るいけれど明るくないみたいな感じの空模様で、まだその町の中の広い国道を走っていた時に交わした会話を今でもよく覚えている。
私は何せその時、本気で何もしていなかったし、社会的にはニート+引きこもり、さらには先々のことも何も見えなくて、四方八方塞がりの頃だった。
2人で人生の話は山ほどしてきたしその時もそんな話をしていた延長の中でのことだった。
多分私は、今の自分が結婚できるなんて到底思えないみたいなことを、本気で言った。
とても静かに自分がそういう内容のことを口にしたのは覚えている。
リーダーと遊びに行った友達の家というのが、夫婦円満、子どももその頃2人?3人?いて(今は4人)、当時独身だったリーダーと私に大いに結婚に対しての希望を抱かせる、そういう家庭だった。
それでも私は、自分が結婚したいのと自分が結婚できるのは別物と考えていたから、だから結婚できるなんて思えないと静かにでもはっきりと言った。
社会的に何もないどころかマイナスで、そんな自分をいいなんて言ってくれる人はまずいないというようなことを思っていただけだったのか、それも口にしたかは忘れた。
リーダーは前を向きながらも静かに、凛とした声で私に言った。
「ぶっしー、そうじゃないよ、今こそなんだよ!
今のぶっしーを見て良いって言ってくれる人こそ本物じゃん。
そういうぶっしーを見ても一緒にいたいって言ってくれる人こそ、本当にぶっしーと一緒にいる人だと思うよ。
今がチャンスじゃない?」
言葉は多少違うかもしれないけれど、内容はおおよそそんな風だった。
私はリーダーの言葉を聞いて胸が詰まって泣きそうになってた。
他にも色んな場面があったけれども、リーダーは私のどんな状況や失敗、リーダーに対しての失礼なことも含めて、それでもずっと一緒にいてくれた人だった。
2016年の3月末にリーダーは九州での仕事が決まって九州に引っ越した。
そしてその2ヶ月後に私も新潟に戻った。
誕生日が9日違いだから、リーダーも私もその年は魂的な人生の転機を迎えることになってたから、今考えると2人ともその通りの流れに乗っていたと感じる。
で、話は戻って上のLINEの補足説明。
リーダーから年賀状が来るかと思っていたけれども来なくて、そしてそもそも私たちの連絡のやりとりは今はものすごく不定期になったから(名古屋にいた頃は飲むために月1ぐらいのペースでやりとりしてた)、どこかのタイミングでリーダーには自分のペンジュラムのことやスピリチュアル的な仕事が始まりつつあることを伝えなきゃいけないと思っていた。
リーダーとG男が県は違えど互いに行き来できる距離に住んでいて時々飲んでいることは知ってた(←本人たちから連絡がくる)。
G男には年賀状で私の今のことを伝えた。
でもリーダーからは年賀状が来なかったから私も出さず=何も伝えておらず、そうなると次いつどのタイミングで私とリーダーがやりとりするのかはわからなくて、でもその間にG男とリーダーで会ってG男から「ぶっしー、なんか怪しいことになってるよ」などと話に尾ひれ+G男の毒舌も加わっておかしな形でリーダーの耳に入ることも予想できた。
それは避けたいと思って、そして私もリーダーには自分の口からきちんと言いたいと思って、それでその日高さんの連絡に便乗して、ついでに自分のカミングアウトも行った。
【追悼の意:長年ドミニカ共和国在住だった日系人、日高武昭さんのご冥福をお祈りします。
日本でもニュースに出ていたので、あえて実名掲載しました。
そして、このすごいタイミングでこのニュースがリーダーはじめ私たちの耳に入ったこと、それはその後に色んなことを結んで繋いでくれました。
本当に心から感謝申し上げます。
日高さん、ありがとうございました。】
>>>1月11日 17時〜18:14
ーーーーAさんとLINE
あの時、私は自分がどうしてそうしようと考えたのかはわからない。
だけど、それが必要だろうと咄嗟に思って、Aさんに連絡をもう一度した。
おじいちゃんが会話の中で自分に関して言ってきたことがあった。
いくつかあるうちの3つをAさんに言ってみた。
当たっていれば、Oさんと私の電話の時に出てきたおじいちゃんが本当にその行方不明になった人だし、外れていたら違う人とかいたずらということになる。
そう、なぜか私はその時確認をした。
そしてAさんから、おじいちゃんはその3つのどれにも当てはまらない、と返信が来た。
(18:14)
その時の気持ちを何と言葉で表現したらいいのか、今でも上手く言葉では説明できない。
その時、体中の力が抜けてそこに重石を乗せられたみたいな重さと緊張が全身に広がった。
「どうして?」と思った。
混乱した。
すでに2回、時間にして3時間以上おじいちゃんとは話をしたわけで、3つが当たってない=すべて間違いなのか?、間違いにしてはあまりにも情報量が多すぎるし、話が色々出来過ぎだと思った。
Oさんが間違えたんだろうか?
間違えてたにしても、その日もその前の時も、私に関することは百発百中で当てていた。
Oさんが間違いというのは、ゼロではないにしても考えにくいものがあった。
じゃあ誰かの霊がいたずらでもしているんだろうか?
もしこれが霊のいたずらだとしたら、酷すぎると思った。
いたずらしたとして、誰が得するの?もしくは誰が損するの?と思った。
なによりもすでにおじいちゃんの家族を巻き込んでいるところがすごく嫌だった。
OさんにもLINEを入れた。
来たままのメッセージを転送して、どうなっているのかを伝えた。
夜遅くにOさんからLINEが来た。
とりあえず今のまま情報を家族に伝えるのは確実に混乱をきたすからストップすること、そして翌日どこか電話をするための時間を作って欲しいとあった。
>>>1月11日 18:29
ーーーーリーダーからLINE
私は上のAさんとのやりとりをホームセンターの駐車場に止めた車の中でしていた。
腕時計の電池が切れて、その電池交換に出すためにホームセンターに行った。
ものすごくモヤモヤしていたけれども、これから高校受験を控えた友達の娘の家庭教師が待っている。
行かないわけにいかない。
とりあえず、モヤモヤしたまま車を友達の家に向けて走らせようと思った。
そうしたらLINEが来たのか携帯がケースの合間から光ったのが見えた。
携帯を確認した。
リーダーからだった。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
17:09(私→リーダー)
今更だけど、私がダウジングしてるだの死者の魂のメッセージのやりとりをするだの(するのは他の人だけど、今回私はそれをまず家族に伝えて、そして家族とその死者の方と通訳者を繋げるのが役割)聞いてひいたりしない?
まぁ今さらだけど
18:29(リーダー→私)
特に引くとかはないよー(^^)
ごめんね!仕事先だったからすぐ返せなかった!
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
リーダーにお礼を言って、私はそのまま友達の家に向かった。
>>>1月11日 23時半過ぎ
ーーーー24時間営業のスーパーにて
その日の家庭教師は未だかつてない、集中力散漫な日だった。
やることはやったけれども、どうしてもあの霊とやりとりしたことと、それをAさんに合っているかを確認したら全然違うと返事がきたこと、そのことが頭から離れなかった。
人生で3度目だと思う、仕事中にここまで集中力を欠いたのは。
最初は32歳ぐらいの時。
その時もショックなことを聞いて、そのショックのままお客さんへの営業をして契約を取ってた。
2回目は2017年の9月。
これは数回あったけれども、数日おきにショックなことがあって、その時は1人で黙々としていれば良い仕事だったから助かったものの、ぼーっとしてると泣いてしまいそうだった。
そして今回。
英語の勉強を子どもとして多少気は紛れたけれども、とにかく一連のことが頭から離れない。
今回は困ったことに、相手は生きていないということ。
どこに気持ちをぶつけたらいいのかさっぱりわからず、自分は夢でも見てたんじゃないかとか、これは何かの茶番劇で実は意味なんてなかったんじゃないかとか、とにかく色んな気持ちが錯綜した。
Aさんから違っていると連絡を受けてから4時間ほど経過した分、少し気持ちが落ち着いて徐々に冷静になってきた。
気分転換も兼ねて、夜中のスーパーに行った。
スーパーに着いて、ふと出てきた。
「私が信じたいものって何だろう?」
ここ数日間のことが走馬灯のように頭の中を駆け巡った。
そして、Oさんとのやりとりを出会いの日から今日に至るまでを思い出した。
Oさんは今回の一連のことを完全なるボランティアでしてくれている。
しかもOさんはきっぱりと私に言った。
「この件に関しては、“僕が力になれることがあるのなら僕を遣ってください”、という気持ちで関わらせてもらっているからお金を請求するとかは一切考えていません」
それはその日の日中にOさんと電話でやりとりした時に、今後Oさんをご家族に繋ぐとなるとご家族の方から必ず費用を聞かれるだろうと想定して、それで私が先に聞いてそれをそのままご家族に聞かれたら説明したらいいと思って、それで聞いたことだった。
すでにOさんはこのことに関して2回、計3時間以上私と関わってくれてる。
しかも録音した音声を聞いて確認して欲しいことがあると私から言って、その部分に関してもプラスアルファで見えないところで色々協力してもらっていた。
そして私は霊視できないから、霊視の部分やおじいちゃんの言葉の私への通訳は全てOさんが担ってくれている。
Oさんにすでに何の得もないどころか、負担にさえなっている。
そうでなくても、本業や家のことがあるのに、その合間合間を縫って色々してもらっている。
Oさんが何か騙そうとか弄ぼう(もてあそぼう)とかいう気が100%ないのはわかる。
そしてこれまでしてくれた数々のことを振り返っても、Oさんが常に誠心誠意を尽くして対応している姿を私はずっと見てきた。
そうした時に私の心は決まった。
私が信じたいのは、Oさんが見せてくれているその在り方で、もしOさんが間違えた情報を下ろしてきたとしても、私はそれが気にならないし、必要があればご家族にいくらでもすみませんと謝ることができるし、そしてOさんとやって何かやらかしたとしても私はそれが自分たちが精一杯やっての結果だとするならそれは仕方ないと最後は納得できる、そう思った。
そして、Oさんと私は、仮に霊のいたずらだったとしても、そんなのに屈することもなければ、うちらは全力でいくよ!と思った時に、これが私の信じたいことだとはっきりとわかった。
リーダーの言葉が今頃になってもっともっと沁みてきた。
私が自分のことをカミングアウトした後、それまでスムーズにやりとりしていたLINEが途切れた。
正直なところ、私はそのタイミングで止まってしまったこと、しかもたしか「既読」がついて止まってしまったから、ものすごく悶々とした。
口では「カミングアウトして相手が嫌がったら仕方ない。そこまでの縁だったと思おう」とは言っているけれども、正直なことを言えば、少なくとも私が自らの口で伝えたいと思う人たちには、これまでと変わらずに私との関係を続けて欲しい、そう思っている。
自分が世間から見てどれだけ怪しいものと関わっているのかはわかっている。
最近はさすがにみんなのおかげでカミングアウトすることで全てが崩壊するかも…という強迫観念めいたものはなくなったけれども、まだ誰にも言えなかった頃、私は大切な人たちを失うのが本当に怖くて、自分の人生にあるものたちが本気で嫌だった。
自分がスピリチュアルなことと関わるのは仕方ないにしても、それを周りに言っていくにしても又は隠し通すにしても、どちらも違うタイプの負荷が半端なくてとても嫌だった。
それを受け入れられない人たちは世の中にたくさんいる。
私だってその1人だったわけで、その気持ちはとてもよくわかる。
だから、相手の受け取り方が否定派又は無関心派でも仕方ないと思っていた。
だけど、私はそのせいで自分がこれまで大事にしてきた人間関係にヒビが入るのは本当に嫌だった。
でもかと言って、そういう自分を隠し通して今後も付き合っていくというのも、それもそれで嫌だった。
この何年間の時間の中でずっと隠し通してきた自分側の負荷と、そしてどこか嘘をついているみたいな、正々堂々としていないところが嫌だった。
究極、そういう自分も受け入れてもらえないかな…と、言うのはすごい怖いくせしてひっそりと願っていた。
その手の話を周りの人たちとしてこなかったから、各人の反応なんて私には未知数過ぎた。
だから、実はカミングアウトをする前の私はいつもすごい覚悟を決めて相手に伝えてた。
それが大事な人であればあるほどそうだった。
私のやることを認めてくれないのはどっちでも良かったけれども、私のやることによって相手と私の関係が変わるのは絶対に避けたかった。
しかも、私と長い付き合いの人たち、少なくとも30歳以前に出会った人たちは、私が言わない限り今の私を知らない。
派遣の仕事してるとか新潟に戻ったとかいうのと内容が訳違う。
本気で関係が悪い方に変わってしまう可能性を含んでいる内容ゆえ、私もその分の覚悟が半端なく必要になっている。
だから、リーダーが既読のまま何も返してこないことに本気で不安だった。
そうじゃなくても色んなことで頭がいっぱいだったから、私はもうこのまま何事もなかったかのようにしてリーダーのことはそっとしておいてもいいかも…とさえ思った。
そうしたら、まるで私の気持ちを察したかのように
【特に引くとかはないよー(^^)
ごめんね!仕事先だったからすぐ返せなかった!】
と来た。
あぁそうだった、と思い出した。
リーダーはそんなことで私を見切ったり絶対にしない人だということを。
上のリーダーと岐阜に行った時かまた別の時だったのかは忘れたけれど、とにかくニート+引きこもりの時に私は現金何十円という所持金しか無い事態に陥った。
リーダーに飲みか何かに誘われて、それで私は正直にその事実を告白した。
「都合が悪い」というのは通用しないから、もう正直に言う他なかった。
そうしたら、リーダーはお金は気にしなくていいからと言って私を連れ出した。
そして、本当にない時は言って、お金貸すからとまで言ってもらったこともあった。
(↑借りてはいない)
ぶっしー、そんなことで死んじゃダメだからね!絶対にダメだからね!とその時も言われたし、別の時ももう2〜3回言われた記憶がある。
いつだったかは、リーダーの友達か後輩が自殺したらしいと風の便りで聞いて、私に泣きながら電話をかけてきて、相手の死を悔しい悔しいと言いながら「ぶっしー、絶対に死んじゃダメだからね!どんなに苦しくても自殺だけは絶対にしちゃダメだからね!」と私に言った。
そうだ、そういう私の最低最悪の時をリーダーは知っている人だから、私が何をしていようと引くとか関係を断つとかは、そういう理由では絶対にしない人だということを思い出した。
自分のことで頭がいっぱいで全然気が回らなかったけれども、リーダーは本当にそうした見た目や肩書き、状況なんかで人を判断しない人だし、自分の大切な人たちのことはいつも大事にしてくれる人だということを改めて思い出した。
そう、私が信じたいのは、リーダーと積み重ねた11年12年の時間の中で築いてきたものだったり、Oさんとやりとりした中で積み重ねたものから見えたもの、そして何より私が大事だと思うその人たちを信じたい、そこなんだとはっきりとわかった。
>>>その後
真夜中のスーパーで、Oさんとリーダーとのやりとりを振り返って、私が信じたいものが周りの人たちやその人たちと積み重ねたものだとわかって、それでハッとした。
その日、Oさんと日中電話で話していた時のこと。
色々Oさんと打ち合わせしている最中、おじいちゃんに向けた質問もいくつかあって、それをOさんを介して聞いて答えを返してもらうという作業の一端であった会話。
おじいちゃんが若干機嫌悪くなりながら、
「おめえが一番大事にしてるものは何なんだ?」
と私に言ってきた場面があった。
私はOさんに「今答えなきゃいけないんですか?」と聞いて「いや、今じゃなくていいみたいですよ」と言われたけれども、なぜに突然そんなことを聞かれたのかわからなかった。
あぁ……。
おじいちゃんが聞いていたのはこのことだったのかもしれない、そう思った。
これが思いの外長い文章になったから、この続きは⑤として引き継いで書いていこうと思う。
登場人物の中のシオくんは、本当は今回ここに登場予定でいたけれど、長くなって2つに分けることになったから、そちらも次回へ。
2019年1月26日土曜日
奇跡の果実③未来と過去の交差点
色々順不同になってしまうけれど、とりあえず直近のものでフレッシュなものから先に書こうと思う。
死者の方の魂とのやりとりは、とりあえず然るべき形に今は収まっているから、そちらは現在私はノータッチになっている。
そうではない、私側の現在進行形の話を今日は書きたい。
死者の方の言葉を通訳して私に伝えてくれた、ヒーラーで霊視ができるOさんと話した時に、ある1つのキーワードが出てきた。
色々ツッコミどころ満載の話だし、私とて自分のことながら上手く言葉では表現できない部分もあるけれど、とりあえず起こったままを話したい。
初めて死者の魂(=おじいちゃん)とOさんを通じてやりとりした時、おじいちゃんから「おめえは本物としか繋がれねぇんだろ」と言われた場面があった。
私にはその言葉の意味が即座にわかった。
私がこうしたスピリチュアルなことの学びを始めた2010年の夏以降現在に至るまで、私が学ぶ見えない世界のことはとにかく本物の人たちからしか学ばないようになっていた。
スピリチュアルなものもジャンルは色々あって、私はノージャンルのところからスタートしたから、学んだものもジャンル問わず的な感じで学びを進めてきた。
みんながどんな風に学ぶのかは知らないけれど、私はNLP(神経言語プログラミング)と呼ばれるビジネスなんかでも使われるらしい手法を習ったかと思えば、地球外生命とされる宇宙人の人の翻訳本も読めば、医療的な効果も上げているヒーラーさんの講座にも行けば、今回のように死者の魂と通訳ができるヒーラーさんから個人レッスンを受けるという、色々なジャンルにあちこち顔を出している。
(ちなみに、Oさんと東京で勉強会という名の会合を開いていた時には、私はOさんが死者の霊魂の通訳や霊視ができるなんて全く知らずにいた)
全てを挙げたらキリがないからここでは割愛するけれど、私はやたらと色んなジャンルに縁があって、一見脈絡がないように見えるけれども実は深い部分で1本の線で繋がっていたりする。
去年どハマりした占星術もそうした見えない世界の学びだけど、私は全くの初心者で周りにも占星術を知る人が誰もいないにも関わらず、初めての一発目の講座から超すごい先生にいきなり当たった。
何年か前、外国人の直観セラピストの方のセミナーを受けにわざわざ名古屋から東京まで駆けつけた時があったけれど、その時にクラスメートだった1人の女性から言われた。
その方は東京在住で、東京ならではの悩みを口にしていた。
東京にはたしかに色んなサービスがあるし、その数だけサービス提供者もいるけれど、反対に数が多すぎてどの人が自分に合っているのかわからないし、怪しい人たちもたくさんいるから、なかなかこれだ!という人に当たらないと。
その時は私はまだ学びを始めて2年目ぐらいで、にも関わらず、私にとってぴったりの人たちから色々学ぶことができていた。
それを言ったら、その人から大層羨ましがられたことを覚えている。
当時の私は、まだ片手で数えるぐらいにしかセミナーでもワークショップでも個人セッションでも受けたことがなかったから、その凄さがほとんどわかっていなかった。
たまにはずれる人もいたけれど、基本的にそういう人たちは1割程度で、そして単にきちんとした人たちと比較するためにお試し的に取った程度で、ある程度時間なり回数なりを重ねたり、内容を深めたりするものは、私の場合、百発百中と言わんばかりにきちんとした講師や専門家にしか当たらなかった。
だから「本物としか繋がれない」と言ってきたおじいちゃんの言葉は本当に大当たりだった。
Oさんとおじいちゃんのご家族にどう伝えるかを考えるために会話を振り返って検証した時に、私はOさんに聞いた。
「本物としか繋がれない」と言ったあの言葉はおじいちゃんの言葉なのかと。
そうしたら、Oさんはあれはおじいちゃんの言葉でもOさん自身のの言葉でもないと答えた。
じゃあ誰の言葉なのかと聞いた時に、Oさんは「もっと上の存在からの言葉です。でも今これを説明しだすとすごく大変だから、それはまた今度機会があった時にでも説明します」と言われた。
私はOさんの説明の詳細が気になったけれども、とにかくご家族に向けて色々準備することが最優先だったから、つっこむことはやめた。
ご家族に無事会えて何とかOさんとご家族を繋げることまでできた後、諸々の細かいことをOさんに報告するために電話をした。
その時に私は、今度は聞いてもいいかなと思って、一通り報告した後にOさんに同じ質問をした。
「本物としか繋がれない」の言葉の出所を。
Oさんは全てをこの場で説明することはとても難しいというような前置きをされた上で、「強いて言うなら『啓示』に近いところから来た言葉です」と言った。
とりあえず「けいじ」が「啓示」と漢字で書くところまで確認した後、本当のことを言えばそれがどういう位置のものかも確認したかった。
だけど、それを確認したらOさんは私に小一時間は割かないといけないように感じて(Oさんもその辺りを説明するのはとても時間がかかるというようなことを言っていた)、質問したい気持ちをグッと抑えて、それで考えに考えて私は1つだけ追加で質問をした。
「そうした霊界や見えない世界の者たちの階級って言うんですかね?それぞれの立ち位置とか意味、役目とかを説明してくれてる本があったら教えてもらってもいいですか?」
Oさんはある1人の人の名前を挙げた。
私はその名前を知っていた。
精神世界コーナーには必ず置いてある人の名前だった。
Oさんにはお礼を言って、そしてあとは自分でその本を探したらいいと思った。
私の質問がとても変な質問のように見えるかもしれないけれど、その辺りは私が前々から興味のあったものでもあった。
正直細かいところはどうでもいいけれども、私はOさんに出会う何年か前に、Oさんのように霊視ができる人の勉強会に参加したことが2回ある。
その方が私にとって、人生で初めて目の前で霊視なるものを勉強会で見せてくれた人だった。
その方は基本的に不特定多数が参加する場では霊視を行わない。
でもその時は、ある参加者の方の質問によって霊視が必要になって、それでやむを得ずしたという感じだった。
だから、私も棚ぼた式にたまたま霊視の実際を見れて、ラッキーとしか言いようがなかった。
その方というのが、元々私が自分の調べ物の途中で見つけたブログの筆者の方で、なんなら調べ物は首の痛みに関してだった。
それでヒットしたのがその方だった。
本当にきちんとした信念体系と専門知識を持っている方だというのはブログを読んですぐにわかったから、愛知県に勉強会で来ると知って、それで2回参加した。
その時も説明されたし、ブログなんかでも時々同じような説明を繰り返しされているけれど、見えない世界のことに関わるのであれば、その見えない世界の者たちがどういった存在で、どういう風に影響があって、そして体のどの部分でどんな風に情報を受信する側が受信しているのかをきちんと知っておかないといけないと説明されていた。
ちなみに、よく偽者(にせもの)たちが「神からこんな風にお告げがあった」とか「龍の神からこんなメッセージを受け取った」とか「伊勢神宮の神よりこう告げられた」とか、まぁ色んな言葉で表現されるけれど、あれは本当に無知の人が言葉だけ並べているというのがプロからすると一目瞭然らしい。
その方いわく、私たち生きている人間が神と交信することは基本的にできないらしい。
それこそヒエラルキーのようにそのトップに神がいるとするなら、その下の下の下の下の…という下がいくつもいくつも連なって、そしてうんと下の方にいる見えない世界の存在の中で私たち人間でもようやく交信することができる者からようやく神から伝えられている内容に触れることができるとのこと。
人間側も人間側で、私のように全く霊感などがない人がその交信に参加できるわけもなく、そうしたことをする人というのは本人がしたいしたくないに関わらず、やらなければいけないお役目として回ってくるもの、と言っていた。
そこに至るまでもいくつもの段階が当然あって、そして実際に私たちが交信する場合、本当にきちんとした手順や手法を踏まないととても危ないことや、いい加減な感じで交信するとそれこそ低級霊なんかとも繋がったりするらしい。
だから実際は、私なんかが思っている以上にシビアな世界だし、きちんと筋を通さないと本人だけでは済まされない大きな問題に発展していくこともわかった。
その方自身もどうにもできない人生の流れで今の仕事を個人事業主としてされているけれども、しなくて良いなら普通にサラリーマンとして自分の好きな職業で食べていくと断言している。
この説明をしてくれた方は、神官になるための専門的な学びもきちんとされた方で(国が指定する何かしらの資格も持っていられたと記憶している)、実際に伊勢神宮で神職として奉職もされていた方でもあるから、神社参拝の方法やその他細かな霊界や霊団のこともものすごく詳しく知っていられる方だった。
その辺りになると私は究極の無知な上、元々神社や寺をお参りする習慣がないからさっぱりで、なんなら私はつい数年前まで神社とお寺の区別がつかない人だったから、今書いた内容の言葉の説明が違っていたらごめんなさいだったりする。
話がだいぶ逸れたけれども、そういう見えない世界の通訳をする人から本当にごくごく一部の情報を得ていたから、だからOさんが言った「啓示」が何に当たるのかを知りたかった。
私は生涯を通じてそちら側にはいかないのは知っていても、今回のやりとりを経て、本当に入口だけでもいいから少しでもその見えない世界のものの概要を知りたいと思った。
それがどれだけの情報量なのかど素人の私にはわからないから、だからOさんに説明を求めるのは酷だと思って細かくは聞かなかった。
だから代わりに(自分の知りたい欲求を少しでも満たすために( ̄∀ ̄))、そうしたことを基礎として知れる本があれば紹介して欲しいとお願いした。
霊感ゼロの私には細かいことは一切わからないけれども、Oさんと話していると、その私が最初に出会った霊視ができる方が説明されていたことを忠実に実践されている感じがしたから、それでOさんに本の紹介をお願いした。
(ちなみにその2人も霊視は霊視でも厳密には全く違うジャンルを担当する人たちなんだと思う)
かなり説明が長くなったけれども、そうしたいきさつがあったから、私はその本を探しに出た。
市内の専門書を多く置いている大型書店2つを見たけれど、置いていなかった。
もう一つ専門書の在庫をたくさん抱えている店があったけれども、なんと知らぬ間に店舗縮小をしていた。
電子書籍が普及しつつあることも関係しているのか知らないけれど、売り場の半分はなんと100均のお店に生まれ変わっていた。
名古屋にいた頃はどこでも見ていただろうそのシリーズがとにかくどこにもなくて驚いた。
次に私は30キロほど離れている大型書店に行くことにした。
そこはどういうわけか、精神世界系の品揃えがとても良い。
しかもそこは占星術の本も本格的なラインナップで、だから私の中ではそこが一番の本命だった。
なのにそこにもなくて、とりあえず近隣で探すことはあきらめた。
代わりに、私はそうした内容を説明してそうな書籍を探すことに切り替えた。
別に本を買う予定はなく、私は「啓示」含めその辺りの細かな分類を説明してくれてるものであれば何でも良くて、そしてそれは当初から立ち読み程度で済ませる予定でいた。
だから、目を隅から隅まで光らせて、本棚を一段一段丁寧に見ていった。
だけど、そこでもお目当ての本はおろか、そうしたマニアックな内容を説明してくれる本にも出合わなかった。
その離れた書店にもなかった私は、次にそういう本を持っていそうな友達に連絡をして、そのシリーズを持ってないかを聞いた。
友達は著者名を言うとすぐにわかってくれて、友達は持っていないこと、でも市内のT書店になかった?前にそこで見た気がする、というような返事をくれた。
どうやら以前は置いていたようだった。
ないとは思ったけれども、図書館の蔵書検索でも引っかからず。
冬場で道路状況が読めないから、60キロ以上離れた県立図書館に行く気はなくそちらには頼れない。
で、ないのは行く前から予想がついたけれども、TSUTAYAに行って何かしらの専門書があればラッキーだなと思って、TSUTAYAに行くことにした。
ガソリンも節約中の私は、往復で35キロはあるTSUTAYAに行くためだけには出かけないから、友達の娘の家庭教師の日に合わせてTSUTAYAに行ったのが昨日。
ちなみに、その友達の家の方面に行くなら、4店舗TSUTAYAが数キロ内に密集している。
こういう時って不思議なもので、「ここ」という店舗がパッと頭に浮かぶ。
その時もそうで、もはや当初探していた本はTSUTAYAにはどう考えてもないだろうことはわかっていたけれども、なんとなくそもそも私が探している情報のヒントとなるようなものはありそう!という店舗がそこだった。
近さで言えば友達の家から徒歩圏内に1つあるし、もう1つも1〜2キロ以内にある。
でもそこではないなぁという感覚で、そしてそこは得意なペンジュラムで確認したら、やっぱり頭に浮かんだ店だけがYESで他はNOだった。
そのYESの店舗に行った。
予想通り探していた本はなかった。
次に私は、少しでも霊界や見えない世界について専門的に説明してくれてそうな本はないかと探した。
もはやタイトルだけではわからないから、これなら書いてるかも!?と思う本は、片っ端から開いて見てみた。
何冊目かの本で、これはどうだ?と思って手に取った本があった。
他の本たちとは違っていて、なんとなく何かありそうな感じを醸し出していた。
その本だけを持って、近くの椅子に移動した。
読んでビックリした。
そもそもの目的の霊界云々の情報は皆無だった。
そこはまぁ想定内だったから驚きはしなかった。
驚いたことは、今回の死者の魂とやりとりする一連のことを経て私なりに見えてきたものと、そして今の自分に至るまで私が色々体験したことから得た教訓みたいなもの、そうしたものが書かれていた。
ざっくりと言うと(←ガチで書くなら、シリーズにして書けるぐらいたくさん言いたいことがある)、私が今最大に注目していることは、受け入れ難い自分や受け入れ難い出来事をどう自分の中で受け入れていくかということ。
ここに多分すべての鍵があるとさえ私は思っている。
で、その本というのが、ネガティブなものを肯定すること、どんな自分も受け止めること、そうしたことがきちんと書かれていて、何ならやり方さえも伝えてくれてる。
例えばの話。
この手の精神世界系の本の鉄板と言わんばかりの言葉の中に「自分を愛しなさい」というようなのがある。
自分でも書いていて引き気味( ̄ཀ ̄;;)ではあるけれど、この言葉には実は深い意味がある。
もう少し付け足すと「どんな自分も愛しなさい」になる。
さて、「どんな自分」となった時、私は自分を見ていていつも思う。
上手くいっている時の私は、別に放っておいてもやることはやるし、自分の気持ちより先に体が動いているからいい。
だけど、「こんな自分は本気でありえません」となった時、「こんな自分のことは大嫌いです」となった時、そういう時こそ自分ケアが超絶大事になる。
これを怠って目標設定とかしても絶対に上手くいかなくて、とにかく最高に嫌ーー!となった自分のことを全身で受け止められないことにはどうにもならない。
ちなみにそれは自分を操縦することでもないし、自分を甘やかすことでもないし、自分を弱者に仕立てるのでもない。
とにかくそういう自分を大切にする、としか今の私には言えないけれども、そうした時の自分を大切にする方法がきちんと書いてあって、そしてそれこそが私が何年もかかってやっていることそのものだった。
私の理解度が上がってそういう言葉を本の中から拾えるようになったのかもしれないけれど、多分その本はそうした系統の本の中ではすごく珍しいタイプ。
自分を愛するという行為に関して、ポジティブな形態で書かれているものや、指導的な感じで書かれているものは多数ある。
だけど、それはポジティブなこともたしかに書いてはあるけれども、ネガティブなことに関してもそのネガティブだけではない側面も紹介していて、それに対して私が「これだ!」となる視点をとても自然にそしてわかりやすく紹介してくれてる。
しかもその本は、ネガティブ思考やネガティブパターンを一切否定しないどころか、ポジティブと同じぐらい大事なものとして取り扱っている。
しかも自分が全部くぐり抜けたプロセスを中心に書かれているから、とてもよくわかる。
新しく手法を取り入れるよりも、どちらかと言えば知っていることをもっときちんと言葉にするとこれだよ、という内容になっている。
何で同じ言葉でも言葉がこれまで入ってこなかったのかということもわかった。
言葉を入れる前に余計なものが多すぎて、それで入っていかなかった。
私がこの数年、のらりくらりと暗中模索状態でしていたことは、この余計なものたちを取り除いたり何か別の自分が受け入れやすい形にする作業だった。
そして、その余計なものたちがある程度整理されてきて、そして新しく空いたスペースができたからこそ、その本の中でも謳われている「自分を愛しなさい」「自分を大切にしなさい」メッセージがどこまでも響きまくった。
それがその本の中、パラパラとめくっただけだったけれども、今の私だからわかる言葉があちらこちらに書いてあった。
ふと気になって、私はその場で店舗の在庫確認をした。
4店舗中その本が置かれていたのは、私が行ったそこだけだった。
そしてペンジュラムがYESを出したのもそこだけだったし、途中で行くのが面倒になって行くことさえも止めようかと考えた時、ペンジュラムは「行かない」に対してスーパーNOを即座に出してきた。
すべて合点がいった。
私はTSUTAYAのその精神世界系のコーナーにはちょくちょく足を運ぶけれど、今回みたいな経緯がなければ絶対に手に取らないタイプの本だった。
タイトルは全く惹かれないし、似たような教えの本なら過去にたくさん読んだし(←開くまで似て非なるものとは知らなかった)、とにかく絶対に自ら手に取って中を見るタイプの本じゃなかった。
しかも、約5年前に出版された本だから、かれこれ5年はそこに鎮座していたかと思われるけれど、私はただの一度もその本に目が向いたことがなかったから、そんな本が置いてあるなんて今回目にするまで知らずにいた。
あくまでも私が追い求めていたのは「啓示」という意味を紐解くための情報だった。
だから、Oさんに紹介してもらった本が新潟の田舎町では実物さえ見れないと知って、私は代わりとなる情報探しに切り替えた。
余談だけど、私の本気の無知度とそもそも知識がゼロに近いから検索するための言葉さえも知らないことのおかげで、ネットでの検索は難航したからすぐにあきらめた。
だから、本から情報を得るのが今回の場合は一番近道なんだと思う。
そうした経緯もあって、私はやたらと躍起になって本探しをした。
しかも、友達も持っていないし、図書館にもない、さらにはブックオフとか中古本取扱店を3店舗回ってそこにもなかった(代わりに、マニアックなホロスコープの本が2冊見つかって、2つで150円という破格の値段で手に入れた!)。
さらに私は、今年の仕事始めとしていただいた個人セッションのお金からその本を買わせてもらうことにした。
それはとても良いお金の使い方だった。
自分から有料セッションを提示して、そして相手の方からも希望があって受けてもらい、さらには当初私が示した金額では安すぎるからと言って、実は倍以上のお金をいただいた。
そこからまたさらに私の学びを深めるためにそのお金が使えるというのは、本当にありがたいことだった。
しかも、当初からそのお金の一部で一生モノとなる本を1冊買おうとは思っていた。
その本は間違いなく一生モノになる。
何度でも使えて、そして読むたびに自分の心に触れる部分、響く部分が変わると読んですぐに確信した。
そして私の学びが深まると、今度また別の人に個人セッションを提供する際、さらに情報を多く持っている状態でのセッションになるわけだから、未来の誰かにもプラスになることが想定される。
いいこと尽くめの1冊になってくれる。
当初、一生モノとしてホロスコープの教科書的な本を買おうかと思ったけれども、そちらよりも今回の本の方が私の人生において大切な気がした。
ちなみにこの本を買う決定打は、もちろん内容も自分の中にスルッと入ってくるというのもあったけれども、それ以上にどこかの部分を読んで涙が出たからだった。
それが3箇所ぐらいは最低でもあったと思う。
その涙は、自分でもよく説明のできない涙だった。
精神世界系の本は、頭を抱えたくなるほど難しいと思うことや、全く意味がわからないと感じることはたくさんあっても、読んで涙が出ることはまずない。
その手の本をペンジュラムに聞いたところ、どうやら私は400冊近く読んだらしいけれども←色んな本を年間100冊ペースで読んでた時期が何年かあるから別に不思議じゃない、とにかくその手の本を読んで泣くことはない。
だから、涙がふわっと目に浮かんだ時に、その本が只者ではないことはわかった。
さらにその涙の種類も、ある時に流れる種類の涙に似ていた。
2017年の夏にさかのぼる。
その時に出逢った男性にまつわる涙と似ている。
自分で言うのも恥ずかしくて仕方ないけれども、もう会えなくなって自分の世界にはいないその人を想う時に出てくる涙がある。
悲しいとか切ないとか寂しいとかそんな単純な気持ちだけで出てくるのとは違って、胸の奥の方から訳の分からない感覚や気持ちが湧き出てくる。
自分が何で泣くのかもわからないし、じゃあそれは恋煩い(わずらい)でしょ?みたいに片付けられるようなものとも違う。
何度涙を流しても私にはその涙の意味もわからなければ、言葉にすることもできない。
最近はますます一層意味がわからないものへと発展し(苦笑)、自分でもとりあえず困るわけじゃないからいいかと開き直っている。
そういう涙と似た涙がその本を読むと出てきた。
それが決定打になった。
そんな風に涙が出るなんてまずないから、だからこそその本が何か特別な意味が私にはあるんだと思う。
いつになるかは知らないけれど、私の言葉で本を紹介できる時がきたらこのブログでも紹介したいと思う。
今はそのまま出すと普通にドン引きされてもおかしくないものだから、だからドン引きされないぐらいに自分の言葉で説明できるようになったら普通に外に出してもいいなと思っている。
もう1つ、その本を自分のところに迎えようと決めたポイントを言いたい。
先月あたりから、私はとある方のカードリーディングの動画を時々見ている。
カードの読み解き方も超絶参考にしているけれども、それ以上にその方の言葉の使い方にメロメロになっている。
本気で「恋してます(♡´艸`)」級のメロメロ具合。←相手は同性。
その人のこれまでの人生での体験がなければ絶対に言えない言葉ばかりで、とにかく1つ1つが沁み入って仕方ない。
その中でも最近とりわけヒットした言葉がある。
「その体験によってしか手に入らない知恵を手にするために経験した」というような言葉。
私の人生経験の中でも、年齢が下がれば下がるほど、どうしてそれが起こったのか理解できないものがある。
それは「いじめ」という枠だけでは到底語り尽くせないほどの壮絶さがあった。
私は今この年になっても、これだけ色んなことを赤裸々にブログに書いたり人に話したりできても、当時のことを口にすることはできない。
この間、小学校1年生から2年生の時にいじめに遭ったとされる女の子とそのお母さんが無理心中したニュースをテレビで見た。
女の子の受けたいじめの内容を見て、もし私がニュースにされていたとするならどう報道されるんだろう…と思った。
そういう比べ方は好きじゃないし普段はしないけれども、私が受けたモノはその女の子が受けたモノの比ではなく、もっとえげつなく非道で鬼畜で非人道的で残酷なのもので、一生そんなものを晒して生きるのは無理だと思った。
それぐらい私には口外できないほどの強烈さが今もなお記憶に残っている。
で、そんな体験をもれなくした私は、やっぱりどうしても納得できなかった。
どうして自分がそのターゲットになってしまったのか、自分が引き寄せてしまったんだろうか、自分の何が本当にいけなかったんだろうか、自分はどんな悪さをしてしまったのか…。
とにかく答えがなかった。
これが大人になってからのことならまだわかる。
だけど、6歳7歳の自分が何をしたというのか全くわからなかった。
強いて言うなら、やられてもやられっぱなしだったのは自分にも責任がある。
だけど、そもそもの事の発端は私は何もしてないところから突然そうなって、どうしても解せなかった。
こういうスピリチュアルなことを学ぶようになって、それは前世の行いが悪いとか、過去世で私が誰かをいじめてその因果応報だとか、生まれてくる前に自分が体験することを設定しているとか、そういうことも言われた。
たとえそうであっても、今を生きる私には何の癒しにもならない、さらに傷をえぐるような言葉でしかなかった。
私がスピリチュアルな考え方の嫌いなところの1つに、そういう考え方が挙げられる。
ある程度自分で解決できる年齢になってからのことは自分でもどうにかするし、それに対してしのごの文句は言わないようにはしているけれども、自分でもまだどうにかできる状態にない年齢域で起こることは私には正直どうしてそんなことを自分が体験しなければいけなかったのか、どうしても解せない。
ただただその理由が知りたかった。
そうした時に最近出逢えた言葉が「その体験によってしか手に入らない知恵を手にするために経験した」だった。
これにはめちゃくちゃ癒された。
そう、その時の体験は最低最悪だし、二度と体験したくないし、そして他の誰かにも同じ体験など絶対に身の上に降りかかって欲しくない、そういうレベルのものなのには違いない。
だけど、それが私にとって、その体験からしか得られない知恵を得るために起こったとするなら、仕方ないなぁ…と思える。
私の中では、過去最高に癒しとなった言葉だった。
そしてそのような内容がその本にも書かれているところを見つけた。
言葉は違うけれども、自分の色んな体験がそれで良かったんだよ、内容はどうであれそれが自分の生きる道に必要があって起こって、そしてそれが自分に向けられた大切な何かだよというようなことが、もっと沁み入る言葉で書かれていた。
(私のうろ覚えだと、言葉が陳腐すぎる(  ̄Д ̄;))
という本でもあったから、まぁ涙も色々な意味で出てきただろうし、これ何度も何度も手に取って読みたいな!と思った。
で、話のオチというか、ここが一番のポイントだけど・:*+.\\( ̄∀ ̄)//.:+
本の定価は、【2500円+税】だった。
単純に、高い!!!!( ̄ཀ ̄;;)
いや、内容を見てもその価値があるのはわかる。
だけど、今そこまで出す意味があるのかと問われると、それなら市民税に…とか、来月から始まる怒涛の家族三連チャンの誕生日プレゼントに…とか、友達の娘の高校入学祝いに…(←家庭教師で2年ほど見てる子)とか、頭の中はすごい勢いでそろばんをばちばちはじき出した。
で、ふと「そういえば、TSUTAYAオンラインから500円クーポン券が届いていた気がする!」ということを思い出した。
メールを確認するとあったし、そしてTSUTAYAのオンラインでもきちんとその本の取り扱いがあった!
Amazonや楽天やメルカリも調べて、そしてある事実に行き着いた。
実は私が手に取った本は、1991年に最初出版されていて、それが約25年後の2014年に翻訳者が変わってそして新たに内容も追記されて再版されたものだった。
Amazonのレビューを読むと(←2つ合わせて32件全部読んだ)、初版の翻訳の方が良くて再版の訳者の訳がかなりボロクソに書かれていた。
あまりにも気になって、私は昨日の夜、家に帰ってきてから、それぞれの翻訳者を調べた。
なるほど納得した。
私も人間性で言えば断然最初の人の方が好きだった。
そして再版の人は、どちらかと言えば苦手で、スピリチュアル的なことをちょっと悪い方向にも使っていそうな事柄がいくつか見受けられた。
初版本はもう今絶版だから中古でしか手に入らない。
なんだけど、何せ上に書いたような色んな背景もあって、どうしても新品が欲しかった。
一晩寝て起きたらまた決めよう!と決めて、昨日は寝た。
今朝目覚めてから、やっぱり新品で再版(改訂版)を買おうと決めた。
改訂版には、改訂版の翻訳者の実体験の話が最後に数ページ載っている。
実はその部分を私は最初に読んで、そこが良かったというのもあった。
それは初版本には絶対にない。
そして、その本を読んだ人たちのブログとかないかな…と思って探したら、出てきた。
しかも、初版と改訂版と両方、なんなら英語で書かれた原本まで持っている人の本の紹介ブログだった。
その方がとても素晴らしい解釈をしてくれていた。
その方もAmazonのデビューでボロクソ書かれていることについて触れていた。
だけど、それでもその人は改訂版の方の訳の良いところもきちんと書いてくれていた。
現在の時代背景からしたら、改訂版の方がよりフィットしていること。
そして、それぞれ読み比べるとそれぞれの良さがあるとのことだった。
しかも思い出した。
昨日TSUTAYAで読んだ時に、改訂版の翻訳者自身も、わざわざ訳者を変更してまで出す意味が最初わからなくて、とても混乱したことを自ら語っていた箇所を見つけた。
細かいことはわからないけれども、その本には色んな事情があるようだった。
なんなら、初版の翻訳の人は、自分が訳した本の一覧からその本を除外している。
初版の方の人間性を思うと、多分除外した理由がきちんとあると思う。
それらを総合的に見て、私は決めた。
まずは、TSUTAYAオンライン上で、税込2700円になっているものを新品で買うこと。
そして、今すぐには買わないけれども、それを読み込んだ上でいつかは初版のものと英語原本とを手に入れること。
英語で読むなんて考えたこともなかったけれども、多分この本は英語で読んだらもっとエネルギーが真っ直ぐで純度が高いように思う。
日本語に訳してもそれだけの良いものを放つということは、間違いなくその原文はもっと良いはず。
という計画まで立てて、朝からTSUTAYAオンラインで注文をした。
注文しながら、「そういえば、先月もクーポンが来ていて“使うかもしれない…”と考えてメールを残したはず!」と思い出して、メールをチェックした。
来たーーーーーーー\\\\٩( 'ω' )و ////
2個のクーポンを同時に使えるのかわからなかったけれども、ダメならエラーが出るだろうと踏んでクーポン番号を入れてみた。
なんと、2つ合わせて【1000円分】の割引がいけた(((o(*゚▽゚*)o)))♡
さらにTポイントも使えて、プラス200円分引いて、合計で1200円もの割引適用!
おかげで1500円まで下げられて!、朝から超ホクホク顔になった♪٩(๑ᴖ◡ᴖ๑)۶♪
というようなことが起こったから、『奇跡の果実』シリーズ、順番を変えてのアップになった。
私はこの『奇跡の果実』が、とんでもなくすごいパワーを発揮して今の私に色々影響しているとしか思えない。
色んなことたちが絶妙なバランスで成り立っていて、そして1つ1つは色んなやさしさを届けてくれる。
本当に色んなことたちから守られている、それを強く強く感じる。
死者の方の魂とのやりとりは、とりあえず然るべき形に今は収まっているから、そちらは現在私はノータッチになっている。
そうではない、私側の現在進行形の話を今日は書きたい。
死者の方の言葉を通訳して私に伝えてくれた、ヒーラーで霊視ができるOさんと話した時に、ある1つのキーワードが出てきた。
色々ツッコミどころ満載の話だし、私とて自分のことながら上手く言葉では表現できない部分もあるけれど、とりあえず起こったままを話したい。
初めて死者の魂(=おじいちゃん)とOさんを通じてやりとりした時、おじいちゃんから「おめえは本物としか繋がれねぇんだろ」と言われた場面があった。
私にはその言葉の意味が即座にわかった。
私がこうしたスピリチュアルなことの学びを始めた2010年の夏以降現在に至るまで、私が学ぶ見えない世界のことはとにかく本物の人たちからしか学ばないようになっていた。
スピリチュアルなものもジャンルは色々あって、私はノージャンルのところからスタートしたから、学んだものもジャンル問わず的な感じで学びを進めてきた。
みんながどんな風に学ぶのかは知らないけれど、私はNLP(神経言語プログラミング)と呼ばれるビジネスなんかでも使われるらしい手法を習ったかと思えば、地球外生命とされる宇宙人の人の翻訳本も読めば、医療的な効果も上げているヒーラーさんの講座にも行けば、今回のように死者の魂と通訳ができるヒーラーさんから個人レッスンを受けるという、色々なジャンルにあちこち顔を出している。
(ちなみに、Oさんと東京で勉強会という名の会合を開いていた時には、私はOさんが死者の霊魂の通訳や霊視ができるなんて全く知らずにいた)
全てを挙げたらキリがないからここでは割愛するけれど、私はやたらと色んなジャンルに縁があって、一見脈絡がないように見えるけれども実は深い部分で1本の線で繋がっていたりする。
去年どハマりした占星術もそうした見えない世界の学びだけど、私は全くの初心者で周りにも占星術を知る人が誰もいないにも関わらず、初めての一発目の講座から超すごい先生にいきなり当たった。
何年か前、外国人の直観セラピストの方のセミナーを受けにわざわざ名古屋から東京まで駆けつけた時があったけれど、その時にクラスメートだった1人の女性から言われた。
その方は東京在住で、東京ならではの悩みを口にしていた。
東京にはたしかに色んなサービスがあるし、その数だけサービス提供者もいるけれど、反対に数が多すぎてどの人が自分に合っているのかわからないし、怪しい人たちもたくさんいるから、なかなかこれだ!という人に当たらないと。
その時は私はまだ学びを始めて2年目ぐらいで、にも関わらず、私にとってぴったりの人たちから色々学ぶことができていた。
それを言ったら、その人から大層羨ましがられたことを覚えている。
当時の私は、まだ片手で数えるぐらいにしかセミナーでもワークショップでも個人セッションでも受けたことがなかったから、その凄さがほとんどわかっていなかった。
たまにはずれる人もいたけれど、基本的にそういう人たちは1割程度で、そして単にきちんとした人たちと比較するためにお試し的に取った程度で、ある程度時間なり回数なりを重ねたり、内容を深めたりするものは、私の場合、百発百中と言わんばかりにきちんとした講師や専門家にしか当たらなかった。
だから「本物としか繋がれない」と言ってきたおじいちゃんの言葉は本当に大当たりだった。
Oさんとおじいちゃんのご家族にどう伝えるかを考えるために会話を振り返って検証した時に、私はOさんに聞いた。
「本物としか繋がれない」と言ったあの言葉はおじいちゃんの言葉なのかと。
そうしたら、Oさんはあれはおじいちゃんの言葉でもOさん自身のの言葉でもないと答えた。
じゃあ誰の言葉なのかと聞いた時に、Oさんは「もっと上の存在からの言葉です。でも今これを説明しだすとすごく大変だから、それはまた今度機会があった時にでも説明します」と言われた。
私はOさんの説明の詳細が気になったけれども、とにかくご家族に向けて色々準備することが最優先だったから、つっこむことはやめた。
ご家族に無事会えて何とかOさんとご家族を繋げることまでできた後、諸々の細かいことをOさんに報告するために電話をした。
その時に私は、今度は聞いてもいいかなと思って、一通り報告した後にOさんに同じ質問をした。
「本物としか繋がれない」の言葉の出所を。
Oさんは全てをこの場で説明することはとても難しいというような前置きをされた上で、「強いて言うなら『啓示』に近いところから来た言葉です」と言った。
とりあえず「けいじ」が「啓示」と漢字で書くところまで確認した後、本当のことを言えばそれがどういう位置のものかも確認したかった。
だけど、それを確認したらOさんは私に小一時間は割かないといけないように感じて(Oさんもその辺りを説明するのはとても時間がかかるというようなことを言っていた)、質問したい気持ちをグッと抑えて、それで考えに考えて私は1つだけ追加で質問をした。
「そうした霊界や見えない世界の者たちの階級って言うんですかね?それぞれの立ち位置とか意味、役目とかを説明してくれてる本があったら教えてもらってもいいですか?」
Oさんはある1人の人の名前を挙げた。
私はその名前を知っていた。
精神世界コーナーには必ず置いてある人の名前だった。
Oさんにはお礼を言って、そしてあとは自分でその本を探したらいいと思った。
私の質問がとても変な質問のように見えるかもしれないけれど、その辺りは私が前々から興味のあったものでもあった。
正直細かいところはどうでもいいけれども、私はOさんに出会う何年か前に、Oさんのように霊視ができる人の勉強会に参加したことが2回ある。
その方が私にとって、人生で初めて目の前で霊視なるものを勉強会で見せてくれた人だった。
その方は基本的に不特定多数が参加する場では霊視を行わない。
でもその時は、ある参加者の方の質問によって霊視が必要になって、それでやむを得ずしたという感じだった。
だから、私も棚ぼた式にたまたま霊視の実際を見れて、ラッキーとしか言いようがなかった。
その方というのが、元々私が自分の調べ物の途中で見つけたブログの筆者の方で、なんなら調べ物は首の痛みに関してだった。
それでヒットしたのがその方だった。
本当にきちんとした信念体系と専門知識を持っている方だというのはブログを読んですぐにわかったから、愛知県に勉強会で来ると知って、それで2回参加した。
その時も説明されたし、ブログなんかでも時々同じような説明を繰り返しされているけれど、見えない世界のことに関わるのであれば、その見えない世界の者たちがどういった存在で、どういう風に影響があって、そして体のどの部分でどんな風に情報を受信する側が受信しているのかをきちんと知っておかないといけないと説明されていた。
ちなみに、よく偽者(にせもの)たちが「神からこんな風にお告げがあった」とか「龍の神からこんなメッセージを受け取った」とか「伊勢神宮の神よりこう告げられた」とか、まぁ色んな言葉で表現されるけれど、あれは本当に無知の人が言葉だけ並べているというのがプロからすると一目瞭然らしい。
その方いわく、私たち生きている人間が神と交信することは基本的にできないらしい。
それこそヒエラルキーのようにそのトップに神がいるとするなら、その下の下の下の下の…という下がいくつもいくつも連なって、そしてうんと下の方にいる見えない世界の存在の中で私たち人間でもようやく交信することができる者からようやく神から伝えられている内容に触れることができるとのこと。
人間側も人間側で、私のように全く霊感などがない人がその交信に参加できるわけもなく、そうしたことをする人というのは本人がしたいしたくないに関わらず、やらなければいけないお役目として回ってくるもの、と言っていた。
そこに至るまでもいくつもの段階が当然あって、そして実際に私たちが交信する場合、本当にきちんとした手順や手法を踏まないととても危ないことや、いい加減な感じで交信するとそれこそ低級霊なんかとも繋がったりするらしい。
だから実際は、私なんかが思っている以上にシビアな世界だし、きちんと筋を通さないと本人だけでは済まされない大きな問題に発展していくこともわかった。
その方自身もどうにもできない人生の流れで今の仕事を個人事業主としてされているけれども、しなくて良いなら普通にサラリーマンとして自分の好きな職業で食べていくと断言している。
この説明をしてくれた方は、神官になるための専門的な学びもきちんとされた方で(国が指定する何かしらの資格も持っていられたと記憶している)、実際に伊勢神宮で神職として奉職もされていた方でもあるから、神社参拝の方法やその他細かな霊界や霊団のこともものすごく詳しく知っていられる方だった。
その辺りになると私は究極の無知な上、元々神社や寺をお参りする習慣がないからさっぱりで、なんなら私はつい数年前まで神社とお寺の区別がつかない人だったから、今書いた内容の言葉の説明が違っていたらごめんなさいだったりする。
話がだいぶ逸れたけれども、そういう見えない世界の通訳をする人から本当にごくごく一部の情報を得ていたから、だからOさんが言った「啓示」が何に当たるのかを知りたかった。
私は生涯を通じてそちら側にはいかないのは知っていても、今回のやりとりを経て、本当に入口だけでもいいから少しでもその見えない世界のものの概要を知りたいと思った。
それがどれだけの情報量なのかど素人の私にはわからないから、だからOさんに説明を求めるのは酷だと思って細かくは聞かなかった。
だから代わりに(自分の知りたい欲求を少しでも満たすために( ̄∀ ̄))、そうしたことを基礎として知れる本があれば紹介して欲しいとお願いした。
霊感ゼロの私には細かいことは一切わからないけれども、Oさんと話していると、その私が最初に出会った霊視ができる方が説明されていたことを忠実に実践されている感じがしたから、それでOさんに本の紹介をお願いした。
(ちなみにその2人も霊視は霊視でも厳密には全く違うジャンルを担当する人たちなんだと思う)
かなり説明が長くなったけれども、そうしたいきさつがあったから、私はその本を探しに出た。
市内の専門書を多く置いている大型書店2つを見たけれど、置いていなかった。
もう一つ専門書の在庫をたくさん抱えている店があったけれども、なんと知らぬ間に店舗縮小をしていた。
電子書籍が普及しつつあることも関係しているのか知らないけれど、売り場の半分はなんと100均のお店に生まれ変わっていた。
名古屋にいた頃はどこでも見ていただろうそのシリーズがとにかくどこにもなくて驚いた。
次に私は30キロほど離れている大型書店に行くことにした。
そこはどういうわけか、精神世界系の品揃えがとても良い。
しかもそこは占星術の本も本格的なラインナップで、だから私の中ではそこが一番の本命だった。
なのにそこにもなくて、とりあえず近隣で探すことはあきらめた。
代わりに、私はそうした内容を説明してそうな書籍を探すことに切り替えた。
別に本を買う予定はなく、私は「啓示」含めその辺りの細かな分類を説明してくれてるものであれば何でも良くて、そしてそれは当初から立ち読み程度で済ませる予定でいた。
だから、目を隅から隅まで光らせて、本棚を一段一段丁寧に見ていった。
だけど、そこでもお目当ての本はおろか、そうしたマニアックな内容を説明してくれる本にも出合わなかった。
その離れた書店にもなかった私は、次にそういう本を持っていそうな友達に連絡をして、そのシリーズを持ってないかを聞いた。
友達は著者名を言うとすぐにわかってくれて、友達は持っていないこと、でも市内のT書店になかった?前にそこで見た気がする、というような返事をくれた。
どうやら以前は置いていたようだった。
ないとは思ったけれども、図書館の蔵書検索でも引っかからず。
冬場で道路状況が読めないから、60キロ以上離れた県立図書館に行く気はなくそちらには頼れない。
で、ないのは行く前から予想がついたけれども、TSUTAYAに行って何かしらの専門書があればラッキーだなと思って、TSUTAYAに行くことにした。
ガソリンも節約中の私は、往復で35キロはあるTSUTAYAに行くためだけには出かけないから、友達の娘の家庭教師の日に合わせてTSUTAYAに行ったのが昨日。
ちなみに、その友達の家の方面に行くなら、4店舗TSUTAYAが数キロ内に密集している。
こういう時って不思議なもので、「ここ」という店舗がパッと頭に浮かぶ。
その時もそうで、もはや当初探していた本はTSUTAYAにはどう考えてもないだろうことはわかっていたけれども、なんとなくそもそも私が探している情報のヒントとなるようなものはありそう!という店舗がそこだった。
近さで言えば友達の家から徒歩圏内に1つあるし、もう1つも1〜2キロ以内にある。
でもそこではないなぁという感覚で、そしてそこは得意なペンジュラムで確認したら、やっぱり頭に浮かんだ店だけがYESで他はNOだった。
そのYESの店舗に行った。
予想通り探していた本はなかった。
次に私は、少しでも霊界や見えない世界について専門的に説明してくれてそうな本はないかと探した。
もはやタイトルだけではわからないから、これなら書いてるかも!?と思う本は、片っ端から開いて見てみた。
何冊目かの本で、これはどうだ?と思って手に取った本があった。
他の本たちとは違っていて、なんとなく何かありそうな感じを醸し出していた。
その本だけを持って、近くの椅子に移動した。
読んでビックリした。
そもそもの目的の霊界云々の情報は皆無だった。
そこはまぁ想定内だったから驚きはしなかった。
驚いたことは、今回の死者の魂とやりとりする一連のことを経て私なりに見えてきたものと、そして今の自分に至るまで私が色々体験したことから得た教訓みたいなもの、そうしたものが書かれていた。
ざっくりと言うと(←ガチで書くなら、シリーズにして書けるぐらいたくさん言いたいことがある)、私が今最大に注目していることは、受け入れ難い自分や受け入れ難い出来事をどう自分の中で受け入れていくかということ。
ここに多分すべての鍵があるとさえ私は思っている。
で、その本というのが、ネガティブなものを肯定すること、どんな自分も受け止めること、そうしたことがきちんと書かれていて、何ならやり方さえも伝えてくれてる。
例えばの話。
この手の精神世界系の本の鉄板と言わんばかりの言葉の中に「自分を愛しなさい」というようなのがある。
自分でも書いていて引き気味( ̄ཀ ̄;;)ではあるけれど、この言葉には実は深い意味がある。
もう少し付け足すと「どんな自分も愛しなさい」になる。
さて、「どんな自分」となった時、私は自分を見ていていつも思う。
上手くいっている時の私は、別に放っておいてもやることはやるし、自分の気持ちより先に体が動いているからいい。
だけど、「こんな自分は本気でありえません」となった時、「こんな自分のことは大嫌いです」となった時、そういう時こそ自分ケアが超絶大事になる。
これを怠って目標設定とかしても絶対に上手くいかなくて、とにかく最高に嫌ーー!となった自分のことを全身で受け止められないことにはどうにもならない。
ちなみにそれは自分を操縦することでもないし、自分を甘やかすことでもないし、自分を弱者に仕立てるのでもない。
とにかくそういう自分を大切にする、としか今の私には言えないけれども、そうした時の自分を大切にする方法がきちんと書いてあって、そしてそれこそが私が何年もかかってやっていることそのものだった。
私の理解度が上がってそういう言葉を本の中から拾えるようになったのかもしれないけれど、多分その本はそうした系統の本の中ではすごく珍しいタイプ。
自分を愛するという行為に関して、ポジティブな形態で書かれているものや、指導的な感じで書かれているものは多数ある。
だけど、それはポジティブなこともたしかに書いてはあるけれども、ネガティブなことに関してもそのネガティブだけではない側面も紹介していて、それに対して私が「これだ!」となる視点をとても自然にそしてわかりやすく紹介してくれてる。
しかもその本は、ネガティブ思考やネガティブパターンを一切否定しないどころか、ポジティブと同じぐらい大事なものとして取り扱っている。
しかも自分が全部くぐり抜けたプロセスを中心に書かれているから、とてもよくわかる。
新しく手法を取り入れるよりも、どちらかと言えば知っていることをもっときちんと言葉にするとこれだよ、という内容になっている。
何で同じ言葉でも言葉がこれまで入ってこなかったのかということもわかった。
言葉を入れる前に余計なものが多すぎて、それで入っていかなかった。
私がこの数年、のらりくらりと暗中模索状態でしていたことは、この余計なものたちを取り除いたり何か別の自分が受け入れやすい形にする作業だった。
そして、その余計なものたちがある程度整理されてきて、そして新しく空いたスペースができたからこそ、その本の中でも謳われている「自分を愛しなさい」「自分を大切にしなさい」メッセージがどこまでも響きまくった。
それがその本の中、パラパラとめくっただけだったけれども、今の私だからわかる言葉があちらこちらに書いてあった。
ふと気になって、私はその場で店舗の在庫確認をした。
4店舗中その本が置かれていたのは、私が行ったそこだけだった。
そしてペンジュラムがYESを出したのもそこだけだったし、途中で行くのが面倒になって行くことさえも止めようかと考えた時、ペンジュラムは「行かない」に対してスーパーNOを即座に出してきた。
すべて合点がいった。
私はTSUTAYAのその精神世界系のコーナーにはちょくちょく足を運ぶけれど、今回みたいな経緯がなければ絶対に手に取らないタイプの本だった。
タイトルは全く惹かれないし、似たような教えの本なら過去にたくさん読んだし(←開くまで似て非なるものとは知らなかった)、とにかく絶対に自ら手に取って中を見るタイプの本じゃなかった。
しかも、約5年前に出版された本だから、かれこれ5年はそこに鎮座していたかと思われるけれど、私はただの一度もその本に目が向いたことがなかったから、そんな本が置いてあるなんて今回目にするまで知らずにいた。
あくまでも私が追い求めていたのは「啓示」という意味を紐解くための情報だった。
だから、Oさんに紹介してもらった本が新潟の田舎町では実物さえ見れないと知って、私は代わりとなる情報探しに切り替えた。
余談だけど、私の本気の無知度とそもそも知識がゼロに近いから検索するための言葉さえも知らないことのおかげで、ネットでの検索は難航したからすぐにあきらめた。
だから、本から情報を得るのが今回の場合は一番近道なんだと思う。
そうした経緯もあって、私はやたらと躍起になって本探しをした。
しかも、友達も持っていないし、図書館にもない、さらにはブックオフとか中古本取扱店を3店舗回ってそこにもなかった(代わりに、マニアックなホロスコープの本が2冊見つかって、2つで150円という破格の値段で手に入れた!)。
さらに私は、今年の仕事始めとしていただいた個人セッションのお金からその本を買わせてもらうことにした。
それはとても良いお金の使い方だった。
自分から有料セッションを提示して、そして相手の方からも希望があって受けてもらい、さらには当初私が示した金額では安すぎるからと言って、実は倍以上のお金をいただいた。
そこからまたさらに私の学びを深めるためにそのお金が使えるというのは、本当にありがたいことだった。
しかも、当初からそのお金の一部で一生モノとなる本を1冊買おうとは思っていた。
その本は間違いなく一生モノになる。
何度でも使えて、そして読むたびに自分の心に触れる部分、響く部分が変わると読んですぐに確信した。
そして私の学びが深まると、今度また別の人に個人セッションを提供する際、さらに情報を多く持っている状態でのセッションになるわけだから、未来の誰かにもプラスになることが想定される。
いいこと尽くめの1冊になってくれる。
当初、一生モノとしてホロスコープの教科書的な本を買おうかと思ったけれども、そちらよりも今回の本の方が私の人生において大切な気がした。
ちなみにこの本を買う決定打は、もちろん内容も自分の中にスルッと入ってくるというのもあったけれども、それ以上にどこかの部分を読んで涙が出たからだった。
それが3箇所ぐらいは最低でもあったと思う。
その涙は、自分でもよく説明のできない涙だった。
精神世界系の本は、頭を抱えたくなるほど難しいと思うことや、全く意味がわからないと感じることはたくさんあっても、読んで涙が出ることはまずない。
その手の本をペンジュラムに聞いたところ、どうやら私は400冊近く読んだらしいけれども←色んな本を年間100冊ペースで読んでた時期が何年かあるから別に不思議じゃない、とにかくその手の本を読んで泣くことはない。
だから、涙がふわっと目に浮かんだ時に、その本が只者ではないことはわかった。
さらにその涙の種類も、ある時に流れる種類の涙に似ていた。
2017年の夏にさかのぼる。
その時に出逢った男性にまつわる涙と似ている。
自分で言うのも恥ずかしくて仕方ないけれども、もう会えなくなって自分の世界にはいないその人を想う時に出てくる涙がある。
悲しいとか切ないとか寂しいとかそんな単純な気持ちだけで出てくるのとは違って、胸の奥の方から訳の分からない感覚や気持ちが湧き出てくる。
自分が何で泣くのかもわからないし、じゃあそれは恋煩い(わずらい)でしょ?みたいに片付けられるようなものとも違う。
何度涙を流しても私にはその涙の意味もわからなければ、言葉にすることもできない。
最近はますます一層意味がわからないものへと発展し(苦笑)、自分でもとりあえず困るわけじゃないからいいかと開き直っている。
そういう涙と似た涙がその本を読むと出てきた。
それが決定打になった。
そんな風に涙が出るなんてまずないから、だからこそその本が何か特別な意味が私にはあるんだと思う。
いつになるかは知らないけれど、私の言葉で本を紹介できる時がきたらこのブログでも紹介したいと思う。
今はそのまま出すと普通にドン引きされてもおかしくないものだから、だからドン引きされないぐらいに自分の言葉で説明できるようになったら普通に外に出してもいいなと思っている。
もう1つ、その本を自分のところに迎えようと決めたポイントを言いたい。
先月あたりから、私はとある方のカードリーディングの動画を時々見ている。
カードの読み解き方も超絶参考にしているけれども、それ以上にその方の言葉の使い方にメロメロになっている。
本気で「恋してます(♡´艸`)」級のメロメロ具合。←相手は同性。
その人のこれまでの人生での体験がなければ絶対に言えない言葉ばかりで、とにかく1つ1つが沁み入って仕方ない。
その中でも最近とりわけヒットした言葉がある。
「その体験によってしか手に入らない知恵を手にするために経験した」というような言葉。
私の人生経験の中でも、年齢が下がれば下がるほど、どうしてそれが起こったのか理解できないものがある。
それは「いじめ」という枠だけでは到底語り尽くせないほどの壮絶さがあった。
私は今この年になっても、これだけ色んなことを赤裸々にブログに書いたり人に話したりできても、当時のことを口にすることはできない。
この間、小学校1年生から2年生の時にいじめに遭ったとされる女の子とそのお母さんが無理心中したニュースをテレビで見た。
女の子の受けたいじめの内容を見て、もし私がニュースにされていたとするならどう報道されるんだろう…と思った。
そういう比べ方は好きじゃないし普段はしないけれども、私が受けたモノはその女の子が受けたモノの比ではなく、もっとえげつなく非道で鬼畜で非人道的で残酷なのもので、一生そんなものを晒して生きるのは無理だと思った。
それぐらい私には口外できないほどの強烈さが今もなお記憶に残っている。
で、そんな体験をもれなくした私は、やっぱりどうしても納得できなかった。
どうして自分がそのターゲットになってしまったのか、自分が引き寄せてしまったんだろうか、自分の何が本当にいけなかったんだろうか、自分はどんな悪さをしてしまったのか…。
とにかく答えがなかった。
これが大人になってからのことならまだわかる。
だけど、6歳7歳の自分が何をしたというのか全くわからなかった。
強いて言うなら、やられてもやられっぱなしだったのは自分にも責任がある。
だけど、そもそもの事の発端は私は何もしてないところから突然そうなって、どうしても解せなかった。
こういうスピリチュアルなことを学ぶようになって、それは前世の行いが悪いとか、過去世で私が誰かをいじめてその因果応報だとか、生まれてくる前に自分が体験することを設定しているとか、そういうことも言われた。
たとえそうであっても、今を生きる私には何の癒しにもならない、さらに傷をえぐるような言葉でしかなかった。
私がスピリチュアルな考え方の嫌いなところの1つに、そういう考え方が挙げられる。
ある程度自分で解決できる年齢になってからのことは自分でもどうにかするし、それに対してしのごの文句は言わないようにはしているけれども、自分でもまだどうにかできる状態にない年齢域で起こることは私には正直どうしてそんなことを自分が体験しなければいけなかったのか、どうしても解せない。
ただただその理由が知りたかった。
そうした時に最近出逢えた言葉が「その体験によってしか手に入らない知恵を手にするために経験した」だった。
これにはめちゃくちゃ癒された。
そう、その時の体験は最低最悪だし、二度と体験したくないし、そして他の誰かにも同じ体験など絶対に身の上に降りかかって欲しくない、そういうレベルのものなのには違いない。
だけど、それが私にとって、その体験からしか得られない知恵を得るために起こったとするなら、仕方ないなぁ…と思える。
私の中では、過去最高に癒しとなった言葉だった。
そしてそのような内容がその本にも書かれているところを見つけた。
言葉は違うけれども、自分の色んな体験がそれで良かったんだよ、内容はどうであれそれが自分の生きる道に必要があって起こって、そしてそれが自分に向けられた大切な何かだよというようなことが、もっと沁み入る言葉で書かれていた。
(私のうろ覚えだと、言葉が陳腐すぎる(  ̄Д ̄;))
という本でもあったから、まぁ涙も色々な意味で出てきただろうし、これ何度も何度も手に取って読みたいな!と思った。
で、話のオチというか、ここが一番のポイントだけど・:*+.\\( ̄∀ ̄)//.:+
本の定価は、【2500円+税】だった。
単純に、高い!!!!( ̄ཀ ̄;;)
いや、内容を見てもその価値があるのはわかる。
だけど、今そこまで出す意味があるのかと問われると、それなら市民税に…とか、来月から始まる怒涛の家族三連チャンの誕生日プレゼントに…とか、友達の娘の高校入学祝いに…(←家庭教師で2年ほど見てる子)とか、頭の中はすごい勢いでそろばんをばちばちはじき出した。
で、ふと「そういえば、TSUTAYAオンラインから500円クーポン券が届いていた気がする!」ということを思い出した。
メールを確認するとあったし、そしてTSUTAYAのオンラインでもきちんとその本の取り扱いがあった!
Amazonや楽天やメルカリも調べて、そしてある事実に行き着いた。
実は私が手に取った本は、1991年に最初出版されていて、それが約25年後の2014年に翻訳者が変わってそして新たに内容も追記されて再版されたものだった。
Amazonのレビューを読むと(←2つ合わせて32件全部読んだ)、初版の翻訳の方が良くて再版の訳者の訳がかなりボロクソに書かれていた。
あまりにも気になって、私は昨日の夜、家に帰ってきてから、それぞれの翻訳者を調べた。
なるほど納得した。
私も人間性で言えば断然最初の人の方が好きだった。
そして再版の人は、どちらかと言えば苦手で、スピリチュアル的なことをちょっと悪い方向にも使っていそうな事柄がいくつか見受けられた。
初版本はもう今絶版だから中古でしか手に入らない。
なんだけど、何せ上に書いたような色んな背景もあって、どうしても新品が欲しかった。
一晩寝て起きたらまた決めよう!と決めて、昨日は寝た。
今朝目覚めてから、やっぱり新品で再版(改訂版)を買おうと決めた。
改訂版には、改訂版の翻訳者の実体験の話が最後に数ページ載っている。
実はその部分を私は最初に読んで、そこが良かったというのもあった。
それは初版本には絶対にない。
そして、その本を読んだ人たちのブログとかないかな…と思って探したら、出てきた。
しかも、初版と改訂版と両方、なんなら英語で書かれた原本まで持っている人の本の紹介ブログだった。
その方がとても素晴らしい解釈をしてくれていた。
その方もAmazonのデビューでボロクソ書かれていることについて触れていた。
だけど、それでもその人は改訂版の方の訳の良いところもきちんと書いてくれていた。
現在の時代背景からしたら、改訂版の方がよりフィットしていること。
そして、それぞれ読み比べるとそれぞれの良さがあるとのことだった。
しかも思い出した。
昨日TSUTAYAで読んだ時に、改訂版の翻訳者自身も、わざわざ訳者を変更してまで出す意味が最初わからなくて、とても混乱したことを自ら語っていた箇所を見つけた。
細かいことはわからないけれども、その本には色んな事情があるようだった。
なんなら、初版の翻訳の人は、自分が訳した本の一覧からその本を除外している。
初版の方の人間性を思うと、多分除外した理由がきちんとあると思う。
それらを総合的に見て、私は決めた。
まずは、TSUTAYAオンライン上で、税込2700円になっているものを新品で買うこと。
そして、今すぐには買わないけれども、それを読み込んだ上でいつかは初版のものと英語原本とを手に入れること。
英語で読むなんて考えたこともなかったけれども、多分この本は英語で読んだらもっとエネルギーが真っ直ぐで純度が高いように思う。
日本語に訳してもそれだけの良いものを放つということは、間違いなくその原文はもっと良いはず。
という計画まで立てて、朝からTSUTAYAオンラインで注文をした。
注文しながら、「そういえば、先月もクーポンが来ていて“使うかもしれない…”と考えてメールを残したはず!」と思い出して、メールをチェックした。
来たーーーーーーー\\\\٩( 'ω' )و ////
2個のクーポンを同時に使えるのかわからなかったけれども、ダメならエラーが出るだろうと踏んでクーポン番号を入れてみた。
なんと、2つ合わせて【1000円分】の割引がいけた(((o(*゚▽゚*)o)))♡
さらにTポイントも使えて、プラス200円分引いて、合計で1200円もの割引適用!
おかげで1500円まで下げられて!、朝から超ホクホク顔になった♪٩(๑ᴖ◡ᴖ๑)۶♪
というようなことが起こったから、『奇跡の果実』シリーズ、順番を変えてのアップになった。
私はこの『奇跡の果実』が、とんでもなくすごいパワーを発揮して今の私に色々影響しているとしか思えない。
色んなことたちが絶妙なバランスで成り立っていて、そして1つ1つは色んなやさしさを届けてくれる。
本当に色んなことたちから守られている、それを強く強く感じる。
2019年1月25日金曜日
奇跡の果実のベース
初めてその建物の中に足を踏み入れた瞬間、「臭い!」と感じた。
このたった1枚の扉を開けると、突然空気にニオイが付いていた。
階段を上って面談の部屋に通されると、さらにニオイはきつくなった。
男くささのミックスバージョンにタバコのニオイがプラス、すごい空気感を放っていた。
「次の職場はここなんだ…( ̄ཀ ̄;;)、このニオイ慣れるんだろうか?」と頭の中では考え、口では「いつからでも大丈夫です(作り笑顔)」と言っていた。
入ったら入ったで、プラスのことを見つけるのが困難だった。
以下、()内は私側の評価。
・建物の中のニオイ…(ー)
→書いた通り、色んな男の人たちのニオイをミックスさせるとそうなる、というニオイ
(わりかしすぐに慣れた 笑)
・清潔度…(ー)
→掃除は週に1回。基本汚い。雑然としている。至る所に色んなものがある。
(元々きれい好きじゃないから、気にはならなかった)
・不思議度…(ここではマイナスの方がいいのに、これはプラス)
→季節外れのダウンがあったり、訳の分からないフィギュア?動物?の模型たちが廊下の一部に陳列されていたり、色々ツッコミどころ満載だった。
・仕事の内容…(ー)
→コピー機ひとつ、テプラひとつ使い方がわからず、何をするにしてもメモ必須だった。
→資料をコピーしまくってファイリングする際、当然資料の順番を揃える必要があったけれど、その時資料の題名を見ても何を言っているのかさっぱりわからず、冗談抜きで私はブツブツと小さな声で資料のタイトルを1枚1枚読み上げて揃えていた。
たまに、同じ資料名が3枚くらい続く時があったけれど、お願いだから⑴⑵とかいう風に番号振ってくれ!といつも思っていた。
→事務用品の名前すら知らない人が事務なんてするもんじゃない、と思うぐらいにとにかく要領も覚えも悪すぎて、何をするにも頭の中は常にとっ散らかっていた。
→質問さえも自分が何がわかっていないのかを上手く説明できず、私の教育係の人をしょっちゅう困らせていた。←それに毎回きちんと対応してくれて、この人すごい忍耐強い!と大真面目に思った。
→一日中喋らないというのがすごい苦痛だということに入ってから気付いた。
・挨拶…(ー)
→1日の始まりと終わりについて回る挨拶、たった一言「おはようございます」と「お先に失礼します。お疲れ様です」を言うのにどれだけ毎日気合いが必要なのかと思うぐらいに挨拶しにくい雰囲気だった。
・人間関係…(OK)
→人だけは可も不可もない感じで、私は基本的に誰とも個人的に話す必要もなければ、業務上も必要最小限の会話で済んだから、ある意味距離を置いて付き合えるのが良かった。
・周辺の環境…(ー)
→近くにスーパーとコンビニと農作物の直営販売所以外は何もなく、心躍るような楽しいものは帰り道にもなかった。
とまぁこんな風な職場に私は行っていた。
弁当作りが本当に嫌いで、過去の職場たちは弁当が適当だと何かを言われたりもしたけれど、そこはヨーグルトにグラノーラだろうが、カップラーメンだろうが、誰も何も言わないところがすごく良かった!
ということ以外は、とにかくマイナスが多くて、心がパァーッと輝くようなものは何にもなかった。
とりあえず、3ヶ月後の九州での結婚式を控えての旅行資金作りと、自分の人生をどうするかの決断を先延ばしにするための期間と、その両方の条件を上手い具合にクリアしてくれてるというだけで、そして一応年度いっぱいの契約と聞いて、それで行きますと返事した仕事だった。
「仕事」と超割り切っていたし、そこに求めるものは何もなかったし、仕事も時間内だけきっちりとやれば終わらなくても定時で上がれて、責任も取るようなそういう重たさも一切無くて、だから私の中では単に食べるための仕事、次に人生で動き出す前のとりあえずの仕事という風でしかなかった。
それがある日を境に突然ガラッと変わった。
上に書いたことは何も変わらなかった。
ニオイも雑多な景色も挨拶しにくいのも慣れない事務の仕事も、全ては同じだった。
だけど、たった1人の人が差し出してくれた小さなやさしさは、一瞬で私が住んでいる世界の色を変えた。
目に映るすべてのものが「奇跡」だった。
見慣れた風景になりつつあった職場さえも、色彩が全く違っていた。
世界の色が鮮やかになった。
これは冗談抜きでそうで、目に映る景色の色が輝いたり色が濃くなったりした。
生きていることに猛烈に感謝した。
朝が無事に来ること、その朝を自分も元気に迎えられること、自分の体を職場に移動させて会いたい人に会えること、会いたい人も元気にそこにいてくれること、その1つ1つが奇跡だと思った。
私側は何の意図もしていないどころか、むしろその仕事に決めた時は「とりあえず」感が半端なかったにも関わらず、突然やさしさがそっと渡された。
相手の意図はそうではなくても、私にとってはやさしさや心配りとして映った。
イケメンに興味のかけらもない私は、その人にも興味を持たず、というかあまりにも不慣れな仕事でそれどころではなかったから、その人は景色と化していた。
さらにイケメンに興味がないだけじゃなく、仕事上全く絡みのない人だったから、余計と私の意識の上ではどういう感情も湧いていなかった。
それが、その人が私にしてくれた小さな気遣いのおかげで、突然その人が私の世界にきちんと存在感を持って現れた。
相変わらず不慣れな事務仕事は不慣れなままだったけれども、仕事そっちのけでその人を目で追った。
1分でも1秒でも惜しくて、そして同じ空間の中にいられることがとにかく嬉しくて嬉しくて仕方なかった。
それは全く予想もしていなかった出来事だった。
乗り越えたりとか耐えたりとかそういうことが人生全体において多めではあったけれども、その中でも30代は闇の中の闇、闇の黄金期と言わんばかりの時間だった。
強制的に人生の再出発を図らないといけなくなった30歳から、私の人生のベースは闇だった。
もちろん楽しいこともあったし、笑ったこともあったけれど、基本のベースは闇だった。
闇のところに時折光がパッと一瞬だけ灯る…、そんな風だった。
一度人生どん底と言わんばかりのところまで落ちた私は、それ以来本当に生きることそのものがしんどくなった。
生きていて何が面白いのかわからず、朝が来ることが憂うつで、夜も夜で「また明日が来ちゃうのか…」とうなだれる、そんな風だった。
大げさに言っているのではなく、本当の本当にそうだった。
時間をうんとかけて、ようやく嫌でも生きていかなきゃいけないから、自分の人生を立て直そうと奮闘した。
その甲斐あってある程度の気持ちの回復は生まれたけれども、でも決して生きていることがしあわせだとか、生きている毎日が楽しいなんていう気持ちにはならなかった。
そして、人を好きになるとか、誰かを大切に想うとか、そういうことこそ本気であきらめた。
そうなるまでに色んな経緯も理由もあったけれど、とにかく触りたくない事柄ばかりで、私はいつしか誰もいなくても普通に生きていけると悟って、このまま年を取るとかいうのもなんだか寂しいとは思わなくもなかったけれども、もう傷を癒すのに何年も何年もかかるぐらいなら何もなくてもいい、誰にも出逢わなくていい、本気でそう思ってた。
というような時間を30歳からカウントすると8年近く過ごしたある日、そうした私の負の遺産的なものをぶち壊して新しい風を吹き込んでくれた人物が人生に登場してくれた。
しかもそれが仕事中に起こった。
人生80年とした時に、約4200万分の時間が与えられる。
その4200万分の中の時間にするとたった1分が、その人が私に向けて差し出してくれた時間だった。
その1分で私の人生は激変した。
変化の細かいところはたくさんあったけれど、一番大きかったのは、さっき言った闇がそれまでの人生のベースだとするなら、その人が私の人生に登場してくれたことで光がベースになった。
生きていることそのものが喜びだなんて、それも毎日毎日がその喜びで満たされるなんて、奇跡なんていう言葉だけでは到底言い表せるものではなかった。
自分が生きていることも、相手が生きていることも、同じ時代に居合わせることも、同じ職場で働くことも、すべてが奇跡だった。
そして完全に心を閉ざした私の心を開いてくれたのは、その人だった。
その人の存在そのものがとても尊かった。
私は30代で何百という回数の心理セラピー的なものを自分でやってみた。
プロにお願いする時もあったけれども、そうではない何百という回数は自分で基本的にやった。
もちろん自分に向き合った分の変化は生まれる。
状態もやればやった分良くなる。
だけど、その人が私の人生に現れてくれたことで、その何百とやった心のセラピーでは絶対に引き起こすことのできなかった変化を体験できた。
しかも、冒頭で説明したように、環境は決してプラスではないどころかマイナス要素が満載だった。
ドミニカ共和国にいた頃、「人生の楽園」と呼ぶに相応しいすごくきれいな海に何回か行った。
そこから一番近い町はスペイン語で「天国」という名前で、本当に天国と喩えることが出来そうなぐらいにきれいな海だった。
海外旅行によく行ってる友達が、人生で見た海の中で一番きれいと称してた。
もちろんそこに行った私は感動した。
それもものすごく感動した。
でも、その人との出逢いはそういうものではなかった。
景色も環境も相変わらずで、なんなら何の変哲もない、もちろん特別さもない、そんな場所で、私の目に映る世界の色が変わった。
日常が単なる日常から、特別な瞬間瞬間の重なりへと変わった。
そして、人を大切に想う気持ちも、生きる喜びも、私は手にした。
それらは本物の奇跡だった。
それは世の中にあるすべてのお金を積んだとしても手に入らない。
絶対にお金では買えないし、欲しいと願ったらもらえるものでもない。
普段の行いが良ければ与えられるものでもないし、計画して出逢えるのでもない。
そういう人に出逢いたいと願うと叶えられるものでもない。
とにかく、ありとあらゆることが重なってくれないと、そういう人に出逢うことももちろん起こらないし、出逢っていても気付かなければそのままなことも多いのかもしれない。
結果はその人の異動に伴いあっという間に最後のサヨナラの時はやってきてしまったけれども、そしてごはんに誘っても断られ、個人的な手紙をその人に押し付けたら尚のこと避けられ、結果だけ見るととんでもなく悲しいことになっているけれども、それでも私は別の大切なものを手に入れた。
人生にはどんなことも起こりうる可能性を常に秘めているということ、人生には希望や喜びがあるということ、たとえ上手く物事が運ばなくてもそれでも尚喜びを感じられる器量が自分にもあるということ、そして人生は奇跡の連続だということ。
そうしたことたちを学んだ。
小説家の吉本ばななさんがエッセイの中で過去の恋愛について語っていたところがあった。
ばななさんが昔とても好きになった男の子に対して、もう一生会うことはないと思うけれどもありがとうと言いたいと書いていた。
自分の心の中の一番きれいなところを全部集めて、そうしたところの上にあった想いのようだった。
そしてその人に出逢えて好きになったことで、世界の美しさを知り、そしてその美しさを知る心があるから今日までずっとずっと小説を書き続けることが出来たとあった。
「彼を思いながら見た全ての景色が私の小説の土台になっています。私が小説家になれたのは彼のおかげです。」
(『人生の旅をゆく 3』より引用)
その部分を読んだ時に、私はハッとした。
今年は年明け早々、死者の魂とやりとりする、なんていう超絶怪しい体験からスタートしている。
もちろんそんなことは計画したわけじゃないし、そんなことをするなんて思い付きもしない。
本当にぶっ飛んだ世界で周りから見て私はおかしいんだろうなぁとかなり思っている(苦笑)。
否定のしようがないから、そう思われても仕方ないし、別にそれでいいかとさえ思っている。
でも、よくよく考えて、どうして私がそこにきちんと向き合えるのか、その理由を考えてみた。
自分でももっと疑ってもいいのに、私は疑わずに普通に淡々と対応している。
そういうこともあってもおかしくないよね?ぐらいに思っている。
そして、何よりもそちら側から来ているものが、悲しみや寂しさとは別にやさしさをきちんと持っている。
温かいものがあるし、そこには色んな愛を感じる。
この信頼感って何から来ているかと言えば、その人が私の人生に現れてからのことに深く関係していると気付いた。
ここでは細かくは書かないけれども、その人が私の人生に現れてから、数々の奇跡を目の当たりにした。
目に映る景色の色が濃く鮮やかにくっきりとなったとか。
その人がいるだけで、単調な毎日が奇跡の毎日に姿を変えるとか。
その人の命があるだけで、私は泣いてしまうほどに心の深いところが震えてしまうとか。
もう二度とお目にかかることも体験することもないと頑なに信じていた、人を想う気持ちを私はもう一度持つことができたとか。
そしてそんなすごい人に人生で出逢わせてもらえるとか。
私の人生を根底から変えるぐらいの人に出逢えた後だったからこそ、そしてその人が私の目の前からいなくなった後もたくさんの不思議なことを経験したからこそ、今回みたいに死者の魂とやりとりすることもあっても不思議じゃない、そう思えた。
私は考えてみた。
もしその人に出逢わない人生を今生きていたとするなら、私はたとえその死者の魂とやりとりする流れになったとしても、今ほどに自分の人生を信頼できるようにその魂とやりとりすることを信頼できなかったかもしれない。
その人と出逢うシーンとか、その人とやりとりする場面とか、とにかく色んなものたちを山ほど積み重ねて今がある。
その人と関係している部分を私が信じられるようになったからこそ、今回の死者の方とのやりとりがスムーズに行った、そんな気がする。
だから、『奇跡の果実』と題した死者の方とのやりとりは、実は私のスピリチュアル的な知識や理解があって成り立っているというよりも、その人との間にあったことたちを私が信じられたからこそ成り立っていると感じている。
だから、奇跡の果実のベースは、スピリチュアルな知識や理解じゃない。
ベースは、その人との出逢いに起因している。
その人との出逢いによって私は「奇跡」を体験して「奇跡」を山ほど目の前で見てきたから、だから私は奇跡が起きることを本気で腹の底から信じている。
【追記】
生きている毎日が奇跡、と書いたことと相反するみたいだけど、そこは一旦脇に置いて、今度は「奇跡の中の奇跡」という視点からの話。
色んなことたちが重なること、そして重なることで新しいストーリーが生まれることを奇跡とここでは呼ぶ。
『奇跡の果実』シリーズをあといくつか書く予定でいるけれど、死者の方の魂とやりとりする場面をはじめ、それにまつわる色んなことたちは、奇跡の中でも特大奇跡だと思う。
ありえないことがいくつも重なってのやりとりの開始と、やりとり開始後もあまりにもありえないことが続きまくっている。
その細かな積み重ねはおいおい書くにしても、そのありえないことの積み重ねの部分が、そのイケメンの人に出逢えた時のことにそっくりだったりする。
もちろん、細かな差はたくさんある。
片方は生きている人、もう片方は死んでいる人とか、片方は私側の気持ちが自動的にオンになる人、もう片方は向こうの主導によって気持ちというか行動がオンになる人とか。
ただそうした細部の話ではなく、全体的な流れがとても似通っている。
どちらも突然私の人生に現れた。
現れる前にお知らせがあった。
「現れる前」というのは、私がその人たちの存在に出逢う、知り合う前にという意味。
イケメンの方は、私はその人と出逢う前にその人と出逢う場所(=当時からしたら未来の職場)に迷い込んだり、その人が生活している圏内にやたらと私も用事ができて何度か近くを行き来するとか。
死者の方の場合は、私のiPhoneの画面が割れるというお知らせがあった。
私の人生に登場してくれたことで、人生において本当に大切なものが何かを2人はそれぞれ教えてくれた。
そしてそうしたことのために他にも色んなことたちが寸分の狂いもなく起こっていたし、今も現在進行形で何かしらは水面下で調整されていると思う。
種類は違うけれども、どちらも愛ややさしさに満ちている。
どちらも私は失敗したり上手くいかなかったりしたけれども、それでも私にはとても大切なもので他には代えられない。
唯一無二のもので、一生のうち、生きているうちに出逢えて本当に良かった、そう心から思えることだった、2人とも。
そして、奇跡があること、奇跡というのは起こるということをどちらも教えてくれてる。
私が色々ダメでも失敗してもそんなの関係なしに奇跡は起こる。
今回の死者の魂とやりとりすることは、振り返ってみると全てギリギリの線で、まるで綱渡りのような感じで物事は動いていた。
何か1つでも欠けてしまったのなら、私が見たストーリーは成り立たない。
そういうものだった。
本当なら、私の中で疑いが生まれても、それもすごくたくさん生まれても、何も不思議じゃない。
だけど、私は何の疑いも持たずにそこと対峙できた。
どこまでも純粋にそのことに向き合えた。
それは、そのイケメンの人に出逢えた全てのプロセスを私が体験したから。
イケメンのその人とのやりとりは、今回以上に綱渡り的な感じだった。
色々有り得ないことばかりが重なって、その1つ、本当に小さなこと1つ欠けてはいけないものを、1つ残らずきれいに私の元に集めることができた。
ちなみに集めたのは私じゃない。
天の采配というものが本当にあるとするなら、そうしたものがものすごく働いていた、としか言いようがない感じだった。
有り得ないことが有り得て、そして私の人生に奇跡を起こした。
楽しさのかけらも見出せないような、むしろマイナス面オンパレードみたいな環境下で、私は「生きているってすごい」「お互いに生きていて会いたい人に会えるってすごい」と感じ、さらには日々生きる喜びに溢れ、目の前の世界の色彩が変わった。
自分にも「愛」なるものを感じる器があることにものすごく感動を覚えた。
しかも結果が全く望んだものではなかったからこそ、余計とその凄さがわかった。
結果はどうであれ、私の中に残ったものたちの色は変わらなかった。
その人と一緒の時間が欲しかったし、なんなら今でも欲しいと思っているし、なんでこうした純粋な願いが叶わないのか私は全く納得できずにいるけれども、それでもその時のことは一生忘れないだろうし、そして今後も生きていく中で大切な何かを私に伝えてくれると思う。
たった1人の人が人生に現れてくれたことで、私は自分の中の傷が一気に癒えて、あんなにも生きることに対し後ろ向きだった自分が貪欲に生きたいと思うようになって、そしてその人が私にもたらした色んなものたちを胸に抱きながら命を明日に繋いでいくその凄さを思い知った。
そうした体験があったから、私は今年の年明けに起こった色んなこと、カオス過ぎる上に超オカルトで、常識や世の常の視点からは到底考えられないようなことばかりだったわけだけど、それでも私はそこに普通に向き合えた。
しかも、なぜか死者からもその人のことに関して話を振られるという、ますます訳の分からないことまであったわけだけど(←よく考えたら本気でおかしい)、それでもそのことに向き合えたのはその人との出逢いがあったから、その人の存在があったからだった。
心理やスピリチュアル系の勉強を重ねたところで、私なんかはひねくれ者だから、半信半疑みたいな感じでしか内容が頭に入ってこない。
でもあのたった1つの出逢いが、「奇跡」の存在に気付かせてくれたし、奇跡が起こること、どんなに有り得ないと普段信じられているものでも有り得ることを教えてくれた。
もしその人と普通に話せる仲で、そんな風に言ったのなら、「俺は何もしていない」とさらりと返されそうだけど、だからこそ凄いんだと感じる。
相手は別に私に奇跡をもたらそうとか、私に良くしてあげようなんていうのは一切意図していなかったと思う。
ただただその人はその人の人生を生きて日々私の前に存在してくれてた、それだけだった。
それだけのことが、要は何もしてないところで、なんなら私は避けられたりもしてたわけでむしろマイナスのこともあったけれども、それでもその人がそこにいてくれるだけで私はたくさんの奇跡を見せてもらえた。
これが究極に凄いことはわかる。
ただただ存在そのものでここまでのことが起こって私の人生を根底から変えるわけだから、本当に凄すぎる。
私はその人と出逢えたおかげで、「奇跡」が起こることを本当に心の底から信じられるようになった。
だから、今回死者の魂からコンタクトがあったことも、かなりぶっ飛んではいるけれどもそういうことがあってもおかしくないと思っている。
そして起きたことそのまんまを受け止めている。
奇跡の果実のベースは、そのイケメンなくしては成り立たない。
その人とのすべてのことを体験できたから(たとえそれが世間では私の一方的な片思い認定をされようが)、私は今回のことにも対峙できるだけの力が自分の中に育ったと思っている。
それは、その人が私の人生に現れてくれたことで、私は奇跡が起こることを信じられるようになったし、そうしたことが起こるということにも自分の心を開けるようになった。
だから、『奇跡の果実』と私が呼ぶ死者の魂とのやりとりは、実はベースは1年半近く前に作られていた。
当時はもちろんそんなことは知らずにいたわけだけど、本当にベースとなるものは別の人の存在によってもたらされていた。
吉本ばななさんじゃないけれど、その人に「ありがとう」と言いたい。
その人がいてくれたおかげで、私の人生に現れてくれたおかげで、今があるよって。
もちろん今回も色んな人たちが関わってくれてる。
その1人1人にも本当に感謝している。
でもその中でもとりわけその人は、私の心のベースを作ってくれた人だから本気で感謝している。
ちなみに我欲全開で願い事を口にすると、その人に直接ありがとうと言える機会をプレゼントされたい。
今のことに今後も必要があれば全力で取り組むから、そのことに対して私の願い事も叶えてくれませんかね?などと相変わらずよこしまなことを考えている(苦笑)。
このたった1枚の扉を開けると、突然空気にニオイが付いていた。
階段を上って面談の部屋に通されると、さらにニオイはきつくなった。
男くささのミックスバージョンにタバコのニオイがプラス、すごい空気感を放っていた。
「次の職場はここなんだ…( ̄ཀ ̄;;)、このニオイ慣れるんだろうか?」と頭の中では考え、口では「いつからでも大丈夫です(作り笑顔)」と言っていた。
入ったら入ったで、プラスのことを見つけるのが困難だった。
以下、()内は私側の評価。
・建物の中のニオイ…(ー)
→書いた通り、色んな男の人たちのニオイをミックスさせるとそうなる、というニオイ
(わりかしすぐに慣れた 笑)
・清潔度…(ー)
→掃除は週に1回。基本汚い。雑然としている。至る所に色んなものがある。
(元々きれい好きじゃないから、気にはならなかった)
・不思議度…(ここではマイナスの方がいいのに、これはプラス)
→季節外れのダウンがあったり、訳の分からないフィギュア?動物?の模型たちが廊下の一部に陳列されていたり、色々ツッコミどころ満載だった。
・仕事の内容…(ー)
→コピー機ひとつ、テプラひとつ使い方がわからず、何をするにしてもメモ必須だった。
→資料をコピーしまくってファイリングする際、当然資料の順番を揃える必要があったけれど、その時資料の題名を見ても何を言っているのかさっぱりわからず、冗談抜きで私はブツブツと小さな声で資料のタイトルを1枚1枚読み上げて揃えていた。
たまに、同じ資料名が3枚くらい続く時があったけれど、お願いだから⑴⑵とかいう風に番号振ってくれ!といつも思っていた。
→事務用品の名前すら知らない人が事務なんてするもんじゃない、と思うぐらいにとにかく要領も覚えも悪すぎて、何をするにも頭の中は常にとっ散らかっていた。
→質問さえも自分が何がわかっていないのかを上手く説明できず、私の教育係の人をしょっちゅう困らせていた。←それに毎回きちんと対応してくれて、この人すごい忍耐強い!と大真面目に思った。
→一日中喋らないというのがすごい苦痛だということに入ってから気付いた。
・挨拶…(ー)
→1日の始まりと終わりについて回る挨拶、たった一言「おはようございます」と「お先に失礼します。お疲れ様です」を言うのにどれだけ毎日気合いが必要なのかと思うぐらいに挨拶しにくい雰囲気だった。
・人間関係…(OK)
→人だけは可も不可もない感じで、私は基本的に誰とも個人的に話す必要もなければ、業務上も必要最小限の会話で済んだから、ある意味距離を置いて付き合えるのが良かった。
・周辺の環境…(ー)
→近くにスーパーとコンビニと農作物の直営販売所以外は何もなく、心躍るような楽しいものは帰り道にもなかった。
とまぁこんな風な職場に私は行っていた。
弁当作りが本当に嫌いで、過去の職場たちは弁当が適当だと何かを言われたりもしたけれど、そこはヨーグルトにグラノーラだろうが、カップラーメンだろうが、誰も何も言わないところがすごく良かった!
ということ以外は、とにかくマイナスが多くて、心がパァーッと輝くようなものは何にもなかった。
とりあえず、3ヶ月後の九州での結婚式を控えての旅行資金作りと、自分の人生をどうするかの決断を先延ばしにするための期間と、その両方の条件を上手い具合にクリアしてくれてるというだけで、そして一応年度いっぱいの契約と聞いて、それで行きますと返事した仕事だった。
「仕事」と超割り切っていたし、そこに求めるものは何もなかったし、仕事も時間内だけきっちりとやれば終わらなくても定時で上がれて、責任も取るようなそういう重たさも一切無くて、だから私の中では単に食べるための仕事、次に人生で動き出す前のとりあえずの仕事という風でしかなかった。
それがある日を境に突然ガラッと変わった。
上に書いたことは何も変わらなかった。
ニオイも雑多な景色も挨拶しにくいのも慣れない事務の仕事も、全ては同じだった。
だけど、たった1人の人が差し出してくれた小さなやさしさは、一瞬で私が住んでいる世界の色を変えた。
目に映るすべてのものが「奇跡」だった。
見慣れた風景になりつつあった職場さえも、色彩が全く違っていた。
世界の色が鮮やかになった。
これは冗談抜きでそうで、目に映る景色の色が輝いたり色が濃くなったりした。
生きていることに猛烈に感謝した。
朝が無事に来ること、その朝を自分も元気に迎えられること、自分の体を職場に移動させて会いたい人に会えること、会いたい人も元気にそこにいてくれること、その1つ1つが奇跡だと思った。
私側は何の意図もしていないどころか、むしろその仕事に決めた時は「とりあえず」感が半端なかったにも関わらず、突然やさしさがそっと渡された。
相手の意図はそうではなくても、私にとってはやさしさや心配りとして映った。
イケメンに興味のかけらもない私は、その人にも興味を持たず、というかあまりにも不慣れな仕事でそれどころではなかったから、その人は景色と化していた。
さらにイケメンに興味がないだけじゃなく、仕事上全く絡みのない人だったから、余計と私の意識の上ではどういう感情も湧いていなかった。
それが、その人が私にしてくれた小さな気遣いのおかげで、突然その人が私の世界にきちんと存在感を持って現れた。
相変わらず不慣れな事務仕事は不慣れなままだったけれども、仕事そっちのけでその人を目で追った。
1分でも1秒でも惜しくて、そして同じ空間の中にいられることがとにかく嬉しくて嬉しくて仕方なかった。
それは全く予想もしていなかった出来事だった。
乗り越えたりとか耐えたりとかそういうことが人生全体において多めではあったけれども、その中でも30代は闇の中の闇、闇の黄金期と言わんばかりの時間だった。
強制的に人生の再出発を図らないといけなくなった30歳から、私の人生のベースは闇だった。
もちろん楽しいこともあったし、笑ったこともあったけれど、基本のベースは闇だった。
闇のところに時折光がパッと一瞬だけ灯る…、そんな風だった。
一度人生どん底と言わんばかりのところまで落ちた私は、それ以来本当に生きることそのものがしんどくなった。
生きていて何が面白いのかわからず、朝が来ることが憂うつで、夜も夜で「また明日が来ちゃうのか…」とうなだれる、そんな風だった。
大げさに言っているのではなく、本当の本当にそうだった。
時間をうんとかけて、ようやく嫌でも生きていかなきゃいけないから、自分の人生を立て直そうと奮闘した。
その甲斐あってある程度の気持ちの回復は生まれたけれども、でも決して生きていることがしあわせだとか、生きている毎日が楽しいなんていう気持ちにはならなかった。
そして、人を好きになるとか、誰かを大切に想うとか、そういうことこそ本気であきらめた。
そうなるまでに色んな経緯も理由もあったけれど、とにかく触りたくない事柄ばかりで、私はいつしか誰もいなくても普通に生きていけると悟って、このまま年を取るとかいうのもなんだか寂しいとは思わなくもなかったけれども、もう傷を癒すのに何年も何年もかかるぐらいなら何もなくてもいい、誰にも出逢わなくていい、本気でそう思ってた。
というような時間を30歳からカウントすると8年近く過ごしたある日、そうした私の負の遺産的なものをぶち壊して新しい風を吹き込んでくれた人物が人生に登場してくれた。
しかもそれが仕事中に起こった。
人生80年とした時に、約4200万分の時間が与えられる。
その4200万分の中の時間にするとたった1分が、その人が私に向けて差し出してくれた時間だった。
その1分で私の人生は激変した。
変化の細かいところはたくさんあったけれど、一番大きかったのは、さっき言った闇がそれまでの人生のベースだとするなら、その人が私の人生に登場してくれたことで光がベースになった。
生きていることそのものが喜びだなんて、それも毎日毎日がその喜びで満たされるなんて、奇跡なんていう言葉だけでは到底言い表せるものではなかった。
自分が生きていることも、相手が生きていることも、同じ時代に居合わせることも、同じ職場で働くことも、すべてが奇跡だった。
そして完全に心を閉ざした私の心を開いてくれたのは、その人だった。
その人の存在そのものがとても尊かった。
私は30代で何百という回数の心理セラピー的なものを自分でやってみた。
プロにお願いする時もあったけれども、そうではない何百という回数は自分で基本的にやった。
もちろん自分に向き合った分の変化は生まれる。
状態もやればやった分良くなる。
だけど、その人が私の人生に現れてくれたことで、その何百とやった心のセラピーでは絶対に引き起こすことのできなかった変化を体験できた。
しかも、冒頭で説明したように、環境は決してプラスではないどころかマイナス要素が満載だった。
ドミニカ共和国にいた頃、「人生の楽園」と呼ぶに相応しいすごくきれいな海に何回か行った。
そこから一番近い町はスペイン語で「天国」という名前で、本当に天国と喩えることが出来そうなぐらいにきれいな海だった。
海外旅行によく行ってる友達が、人生で見た海の中で一番きれいと称してた。
もちろんそこに行った私は感動した。
それもものすごく感動した。
でも、その人との出逢いはそういうものではなかった。
景色も環境も相変わらずで、なんなら何の変哲もない、もちろん特別さもない、そんな場所で、私の目に映る世界の色が変わった。
日常が単なる日常から、特別な瞬間瞬間の重なりへと変わった。
そして、人を大切に想う気持ちも、生きる喜びも、私は手にした。
それらは本物の奇跡だった。
それは世の中にあるすべてのお金を積んだとしても手に入らない。
絶対にお金では買えないし、欲しいと願ったらもらえるものでもない。
普段の行いが良ければ与えられるものでもないし、計画して出逢えるのでもない。
そういう人に出逢いたいと願うと叶えられるものでもない。
とにかく、ありとあらゆることが重なってくれないと、そういう人に出逢うことももちろん起こらないし、出逢っていても気付かなければそのままなことも多いのかもしれない。
結果はその人の異動に伴いあっという間に最後のサヨナラの時はやってきてしまったけれども、そしてごはんに誘っても断られ、個人的な手紙をその人に押し付けたら尚のこと避けられ、結果だけ見るととんでもなく悲しいことになっているけれども、それでも私は別の大切なものを手に入れた。
人生にはどんなことも起こりうる可能性を常に秘めているということ、人生には希望や喜びがあるということ、たとえ上手く物事が運ばなくてもそれでも尚喜びを感じられる器量が自分にもあるということ、そして人生は奇跡の連続だということ。
そうしたことたちを学んだ。
小説家の吉本ばななさんがエッセイの中で過去の恋愛について語っていたところがあった。
ばななさんが昔とても好きになった男の子に対して、もう一生会うことはないと思うけれどもありがとうと言いたいと書いていた。
自分の心の中の一番きれいなところを全部集めて、そうしたところの上にあった想いのようだった。
そしてその人に出逢えて好きになったことで、世界の美しさを知り、そしてその美しさを知る心があるから今日までずっとずっと小説を書き続けることが出来たとあった。
「彼を思いながら見た全ての景色が私の小説の土台になっています。私が小説家になれたのは彼のおかげです。」
(『人生の旅をゆく 3』より引用)
その部分を読んだ時に、私はハッとした。
今年は年明け早々、死者の魂とやりとりする、なんていう超絶怪しい体験からスタートしている。
もちろんそんなことは計画したわけじゃないし、そんなことをするなんて思い付きもしない。
本当にぶっ飛んだ世界で周りから見て私はおかしいんだろうなぁとかなり思っている(苦笑)。
否定のしようがないから、そう思われても仕方ないし、別にそれでいいかとさえ思っている。
でも、よくよく考えて、どうして私がそこにきちんと向き合えるのか、その理由を考えてみた。
自分でももっと疑ってもいいのに、私は疑わずに普通に淡々と対応している。
そういうこともあってもおかしくないよね?ぐらいに思っている。
そして、何よりもそちら側から来ているものが、悲しみや寂しさとは別にやさしさをきちんと持っている。
温かいものがあるし、そこには色んな愛を感じる。
この信頼感って何から来ているかと言えば、その人が私の人生に現れてからのことに深く関係していると気付いた。
ここでは細かくは書かないけれども、その人が私の人生に現れてから、数々の奇跡を目の当たりにした。
目に映る景色の色が濃く鮮やかにくっきりとなったとか。
その人がいるだけで、単調な毎日が奇跡の毎日に姿を変えるとか。
その人の命があるだけで、私は泣いてしまうほどに心の深いところが震えてしまうとか。
もう二度とお目にかかることも体験することもないと頑なに信じていた、人を想う気持ちを私はもう一度持つことができたとか。
そしてそんなすごい人に人生で出逢わせてもらえるとか。
私の人生を根底から変えるぐらいの人に出逢えた後だったからこそ、そしてその人が私の目の前からいなくなった後もたくさんの不思議なことを経験したからこそ、今回みたいに死者の魂とやりとりすることもあっても不思議じゃない、そう思えた。
私は考えてみた。
もしその人に出逢わない人生を今生きていたとするなら、私はたとえその死者の魂とやりとりする流れになったとしても、今ほどに自分の人生を信頼できるようにその魂とやりとりすることを信頼できなかったかもしれない。
その人と出逢うシーンとか、その人とやりとりする場面とか、とにかく色んなものたちを山ほど積み重ねて今がある。
その人と関係している部分を私が信じられるようになったからこそ、今回の死者の方とのやりとりがスムーズに行った、そんな気がする。
だから、『奇跡の果実』と題した死者の方とのやりとりは、実は私のスピリチュアル的な知識や理解があって成り立っているというよりも、その人との間にあったことたちを私が信じられたからこそ成り立っていると感じている。
だから、奇跡の果実のベースは、スピリチュアルな知識や理解じゃない。
ベースは、その人との出逢いに起因している。
その人との出逢いによって私は「奇跡」を体験して「奇跡」を山ほど目の前で見てきたから、だから私は奇跡が起きることを本気で腹の底から信じている。
【追記】
生きている毎日が奇跡、と書いたことと相反するみたいだけど、そこは一旦脇に置いて、今度は「奇跡の中の奇跡」という視点からの話。
色んなことたちが重なること、そして重なることで新しいストーリーが生まれることを奇跡とここでは呼ぶ。
『奇跡の果実』シリーズをあといくつか書く予定でいるけれど、死者の方の魂とやりとりする場面をはじめ、それにまつわる色んなことたちは、奇跡の中でも特大奇跡だと思う。
ありえないことがいくつも重なってのやりとりの開始と、やりとり開始後もあまりにもありえないことが続きまくっている。
その細かな積み重ねはおいおい書くにしても、そのありえないことの積み重ねの部分が、そのイケメンの人に出逢えた時のことにそっくりだったりする。
もちろん、細かな差はたくさんある。
片方は生きている人、もう片方は死んでいる人とか、片方は私側の気持ちが自動的にオンになる人、もう片方は向こうの主導によって気持ちというか行動がオンになる人とか。
ただそうした細部の話ではなく、全体的な流れがとても似通っている。
どちらも突然私の人生に現れた。
現れる前にお知らせがあった。
「現れる前」というのは、私がその人たちの存在に出逢う、知り合う前にという意味。
イケメンの方は、私はその人と出逢う前にその人と出逢う場所(=当時からしたら未来の職場)に迷い込んだり、その人が生活している圏内にやたらと私も用事ができて何度か近くを行き来するとか。
死者の方の場合は、私のiPhoneの画面が割れるというお知らせがあった。
私の人生に登場してくれたことで、人生において本当に大切なものが何かを2人はそれぞれ教えてくれた。
そしてそうしたことのために他にも色んなことたちが寸分の狂いもなく起こっていたし、今も現在進行形で何かしらは水面下で調整されていると思う。
種類は違うけれども、どちらも愛ややさしさに満ちている。
どちらも私は失敗したり上手くいかなかったりしたけれども、それでも私にはとても大切なもので他には代えられない。
唯一無二のもので、一生のうち、生きているうちに出逢えて本当に良かった、そう心から思えることだった、2人とも。
そして、奇跡があること、奇跡というのは起こるということをどちらも教えてくれてる。
私が色々ダメでも失敗してもそんなの関係なしに奇跡は起こる。
今回の死者の魂とやりとりすることは、振り返ってみると全てギリギリの線で、まるで綱渡りのような感じで物事は動いていた。
何か1つでも欠けてしまったのなら、私が見たストーリーは成り立たない。
そういうものだった。
本当なら、私の中で疑いが生まれても、それもすごくたくさん生まれても、何も不思議じゃない。
だけど、私は何の疑いも持たずにそこと対峙できた。
どこまでも純粋にそのことに向き合えた。
それは、そのイケメンの人に出逢えた全てのプロセスを私が体験したから。
イケメンのその人とのやりとりは、今回以上に綱渡り的な感じだった。
色々有り得ないことばかりが重なって、その1つ、本当に小さなこと1つ欠けてはいけないものを、1つ残らずきれいに私の元に集めることができた。
ちなみに集めたのは私じゃない。
天の采配というものが本当にあるとするなら、そうしたものがものすごく働いていた、としか言いようがない感じだった。
有り得ないことが有り得て、そして私の人生に奇跡を起こした。
楽しさのかけらも見出せないような、むしろマイナス面オンパレードみたいな環境下で、私は「生きているってすごい」「お互いに生きていて会いたい人に会えるってすごい」と感じ、さらには日々生きる喜びに溢れ、目の前の世界の色彩が変わった。
自分にも「愛」なるものを感じる器があることにものすごく感動を覚えた。
しかも結果が全く望んだものではなかったからこそ、余計とその凄さがわかった。
結果はどうであれ、私の中に残ったものたちの色は変わらなかった。
その人と一緒の時間が欲しかったし、なんなら今でも欲しいと思っているし、なんでこうした純粋な願いが叶わないのか私は全く納得できずにいるけれども、それでもその時のことは一生忘れないだろうし、そして今後も生きていく中で大切な何かを私に伝えてくれると思う。
たった1人の人が人生に現れてくれたことで、私は自分の中の傷が一気に癒えて、あんなにも生きることに対し後ろ向きだった自分が貪欲に生きたいと思うようになって、そしてその人が私にもたらした色んなものたちを胸に抱きながら命を明日に繋いでいくその凄さを思い知った。
そうした体験があったから、私は今年の年明けに起こった色んなこと、カオス過ぎる上に超オカルトで、常識や世の常の視点からは到底考えられないようなことばかりだったわけだけど、それでも私はそこに普通に向き合えた。
しかも、なぜか死者からもその人のことに関して話を振られるという、ますます訳の分からないことまであったわけだけど(←よく考えたら本気でおかしい)、それでもそのことに向き合えたのはその人との出逢いがあったから、その人の存在があったからだった。
心理やスピリチュアル系の勉強を重ねたところで、私なんかはひねくれ者だから、半信半疑みたいな感じでしか内容が頭に入ってこない。
でもあのたった1つの出逢いが、「奇跡」の存在に気付かせてくれたし、奇跡が起こること、どんなに有り得ないと普段信じられているものでも有り得ることを教えてくれた。
もしその人と普通に話せる仲で、そんな風に言ったのなら、「俺は何もしていない」とさらりと返されそうだけど、だからこそ凄いんだと感じる。
相手は別に私に奇跡をもたらそうとか、私に良くしてあげようなんていうのは一切意図していなかったと思う。
ただただその人はその人の人生を生きて日々私の前に存在してくれてた、それだけだった。
それだけのことが、要は何もしてないところで、なんなら私は避けられたりもしてたわけでむしろマイナスのこともあったけれども、それでもその人がそこにいてくれるだけで私はたくさんの奇跡を見せてもらえた。
これが究極に凄いことはわかる。
ただただ存在そのものでここまでのことが起こって私の人生を根底から変えるわけだから、本当に凄すぎる。
私はその人と出逢えたおかげで、「奇跡」が起こることを本当に心の底から信じられるようになった。
だから、今回死者の魂からコンタクトがあったことも、かなりぶっ飛んではいるけれどもそういうことがあってもおかしくないと思っている。
そして起きたことそのまんまを受け止めている。
奇跡の果実のベースは、そのイケメンなくしては成り立たない。
その人とのすべてのことを体験できたから(たとえそれが世間では私の一方的な片思い認定をされようが)、私は今回のことにも対峙できるだけの力が自分の中に育ったと思っている。
それは、その人が私の人生に現れてくれたことで、私は奇跡が起こることを信じられるようになったし、そうしたことが起こるということにも自分の心を開けるようになった。
だから、『奇跡の果実』と私が呼ぶ死者の魂とのやりとりは、実はベースは1年半近く前に作られていた。
当時はもちろんそんなことは知らずにいたわけだけど、本当にベースとなるものは別の人の存在によってもたらされていた。
吉本ばななさんじゃないけれど、その人に「ありがとう」と言いたい。
その人がいてくれたおかげで、私の人生に現れてくれたおかげで、今があるよって。
もちろん今回も色んな人たちが関わってくれてる。
その1人1人にも本当に感謝している。
でもその中でもとりわけその人は、私の心のベースを作ってくれた人だから本気で感謝している。
ちなみに我欲全開で願い事を口にすると、その人に直接ありがとうと言える機会をプレゼントされたい。
今のことに今後も必要があれば全力で取り組むから、そのことに対して私の願い事も叶えてくれませんかね?などと相変わらずよこしまなことを考えている(苦笑)。
2019年1月24日木曜日
奇跡の果実②繋がる。
今年1年のしめくくりに相応しい話を今日は1つ。
事の発端は、ある人とのやりとりだった。
その人が取り組む心の課題に関して、パッとひらめいたことがあったから、私はそれをそのまま伝えた。
後になって補足することが出てきて、それも伝えた。
ところが、その内容が本人にほとんど伝わっていない。
内容は伝わっているけれど、それがどれだけ深い内容なのかがさっぱり伝わっていなかった。
傲慢だけど、私の伝え方の問題じゃなく、相手側に受け取るだけの器がない、そう感じた。
最初は怒りさえ湧いた。
どうしてわからないのか、ましてや相手は素人じゃない、そうした心のケアに多少は関与している。
なのに、その内容の深い意図が説明してもわからないことに愕然とした。
内容は伏せるけれども、私がしたことというのは、その相手にとって心の課題となっているものにどう取り組むか、その具体的手法を伝えることだった。
本人の性格や思考パターン、理解度、行動力の具合とか諸々を含めて、この方法ならいけるだろうというものを伝えた。
私は自分が言ったそのままのことを、試しに他の人にも言ってみた。
他の人からは「それ、本当に深いね。その内容を言えるって相当なことだよ」と言ってもらえた。
その人はお世辞を言う人じゃないから、本当に感想をそのまま言ってくれたと感じた。
前置きが長くなったけれど、私はそこで気付いたことがある。
私自身が自分の持っているものに対して自信を持てるようになったこと。
その時に過去の色んなことを振り返った。
私がここまで自分のやってることに自信が持てるようになったのは、過去の積み重ねのおかげだった。
塾の時のことが、わかりやすく回数を出せたから、それをやってきたからこその今だと気付いた。
塾に勤めていた頃、毎日その日来る子ども1人1人にその日にやるカリキュラムを組んで、それをカリキュラム表に書いていた。
少なく見積もって1日20人分(少ない日は20人切るけれど、多い日は30人越えする)、掛けることの週5日(実際は6日稼働)、それで1週間あたり最低100回はカリキュラムを組む。
2年半勤めた中で最初の2ヶ月と最後の1ヶ月は研修でやらなかったと考えて、最低2年とする。
年間52週のうち盆と正月除いた50週は確実に稼働しているから…
100回×50週=5000回。
5000回×2年=10000回。
最低10000回のカリキュラムを個別に立てていたとわかった。
さらに、同じ回数だけ連絡簿に子どもの様子を書いて渡してた。
塾での子どもの様子がわかるように書くもので、それは毎日必須だった。
私が実際に自分の教室を持つまで、色んな教室に研修に行った。
その時に、色んな人たちが書いた連絡簿を読ませてもらったけれど、私は研修の身のくせして「つまらない」と思った。
「今日は数学は連立方程式をしました。英語は受け身の文法問題を解きました。中間テストが近いので、テストの目標を話しながら計画を立てました。そのようにやっていけるようにサポートしていきます。」
おおよそこんな風だった。
「つまらん!」と思った私は、自分が書くようになってから、連絡簿だけはやたらとこだわった。
私は何をしたとかは書かず、代わりに子どもの様子がわかるように書いた。
例えばこんな風。
「前回解けなかった連立方程式の問題に今日再度取り組みました。宿題をきちんとしたことで本人の理解度も上がり、今日は同じ問題と別の似たような問題、両方をクリアできるようになりました。本人の力が定着するように、今回も同じ部分を宿題にしています。」
それとか、宿題をしてこなかったという時は、
「宿題をしてこなかったと本人より素直に報告がありました。前回のように、やったと嘘の報告はなく今回はありのまま伝えてくれました。やらないことはこちらで話をしましたが、素直に話をした部分に関してはほめました。お家でもその部分についてほめてもらえると助かります。よろしくお願いします。」
とか。
この作戦は功を奏して、実際に何人かの保護者から直接お褒めの言葉をいただいたし、それが親子の会話のネタになっている家もあったし、子どもにしてみても変なことを書かれるとそちらの方が家に帰ってから自分の首を絞めることになるわけで、よく私と色んな交渉に励んでいた。
ちなみに上のようなことを書かれると、素直な報告よりも宿題をしていないことが露呈するわけで、子どもからは明らかに不評だった。
親に見せていない子ももちろんいたけれど、今となれば毎回違うことを書くにはそれだけ子どもとのやりとりを細かく見ないと書けないわけで、人を見る力があの時に養われたと思う。
10000回以上のカリキュラムと10000回以上の連絡簿の積み重ねがあって、それが私に個別の対応力を付けてくれたことの8割を占めてると感じた。
さっきの話に戻って、心の課題に関して具体的な手法を伝えても反応がいまいちだった時、私は初めて自分の力の方ではなく相手の理解力を疑った。
と同時に、自分がそこまで力がついたんだと客観的に認めることができた。
そして、もう1つ気付いた。
もう誰でも彼でも情報を出すのではなく、本当にそれを必要とする人に限定して出そうと。
じゃないと、私の心が消耗する。
そうしたことにも気付けるようになったところに、今度は今年最後の癒しのレシピを書くことになった。
2018年12月29日 23:29
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー以下、『奇跡の果実』と連動させての続きの話。
(1月23日加筆)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
2018年最後の癒しのレシピは予定もしてなく、頼まれてもなく、それで当初私は無視をした。
それはヒーラーのOさんのもので、内容が本気のお節介な上、私はその内容のどれ1つもOさんに向かって言いたくなかった。
Oさんは自分の仕事に関して、私に「相談」してきたのではなく、あくまでも「私の意見」を求めてきた。
武士俣さんはこれについてどう思いますか?という問いかけで、私は最初「Oさんの思った通り決めた通りでいいと思います」みたいな返事を返していた。
小骨が引っかかったような小さな違和感は覚えたけれども、そんなのは無視しておけば良かったし、そのまま私はやりとりを終わらせる気満々でいた。
ところが、次の日になると、無視していたものたちが無視できないほどに一気に押し寄せてきて、そこに対する情報が雨あられのようにやってきた。
モヤモヤしたから、最初は単なるそんなことを思っている自分が嫌なのかと思っていた。
でも、内容が強烈な割に私自身はそれに対して全くと言っていいほど気持ちが動かなかった。
私はOさんに言いたくないという一点においてモヤモヤしているだけで、内容に関しては何とも思っていないことに気付いた。
これがもし自分のことなら、内容に対してもっと心が動く(内容的に、今回ならすっごく乱れる)ところ、それが全くなかった。
そこで私は「もしや!?」と思ってペンジュラムで確認したら、やっぱり内容は私の考えや意見ではなく、Oさん自身の潜在意識や魂からもたらされたものだった。
私の考えや意見にも通じるところがあったからわかりにくかったけれども、正直なところ、そんな私の個人の意見だと流せばそのまま流せるはずなのに、いつまでもしつこくやってきた数々のメッセージたちが私の中から消えないことに気付いて、それでようやくOさん自身のものだとわかった。
本当に言うのがすっごく嫌だったけれども、Oさんに事の次第を説明して、そしてOさんが聞きたいという意思があれば来たメッセージたちをそのまま伝えます、と言った。
そうして伝えることになった年内最後の癒しのレシピだった。
『癒しのレシピ』に関しては、名前を変えようかと思ったぐらいに、Oさんの内容は強烈極まりなかった。(Oさんには『癒し』という言葉を一切使わなかった)
余談だけれど、今回のことを通じて、メッセージが相手から来た時に関しては、私が伝える伝えないを選んではいけないこと、必ず相手にその部分の選択肢を委ねることも学んだ。
ちなみに言いたくなかった一番の理由は、内容もさることながら、要は弟子的な立場の人間が師匠に物申す、しかも喧嘩をわざと売ってるのか?と言われるような内容を申すというとんでもない様相だったから。
一般の会社で想像して欲しい。
平社員が社長に何か言うとか、年商1000万円の人が年商1000兆円の人に何かを言うとか、そんな風だった。
Oさんより私が上回ってるのは本当の実年齢だけで、スピリチュアルな知識も専門性も技術も、本気で私の方がどうにもならないレベルで下なのは肌身で感じていたから、絶対にそれらの言葉を言いたくなかった。
で、結果的に言うことになってそれにはものすごく感謝されたけれども、今度は細かな内容を聞かれた。
私自ら、質問があれば、言葉に関しては私が書いているから答えますとは言っていた。
内容については、私のことじゃないから答えられませんと伝えていた。(要は、本人には意味の通じる話でも、私にはその話の意味やそれが具体的にその人の何を指すのかがわからない。)
話は少し飛ぶけれど、私はそのやりとりを年賀状のバイトと並行してやっていた。
たしかに私は癒しとは呼べない癒しのレシピを書いて渡したし、そこに付随する質問も答えられたは答えられたけれども、とにかく細かい内容だったから、相当しっかりと内容を吟味して伝える必要があった。
だからたかが1通のメールでも仕上げるのに平均して3〜4時間ほどかかっていた状況だった。
それを全部で4通渡していて(←内容がヘビー過ぎて時間的に1日がかりのものもあった)、そして4通目を渡した時に私はOさんに自ら進言した。
概要的な説明なら今のまま対応することは可能だけれど、もしOさんに合わせた個人的な対応を希望なら私から有料セッションを受けて欲しいと言った。
Oさんに必要なものは、検索ワードだけ伝えるから自分で調べてやれるならそれで大丈夫なことも伝えた。
だけどそうではなく、ガチの個人対応希望なら有料でセッションの申込みをして下さい、とこれまたおかしな事態ではあったけれどもそう言った。
私の体力気力がもたなかったのと、年賀状のバイトをしていない空き時間でOさんの個人対応をするとなると、もうどう考えても私が無理なのがわかった。
というそこまでの状況が上手い具合に生まれて、それでOさんから個人セッションの申込が入って、そしてその後の『奇跡の果実』の話に繋がっていった。
だから、年賀状のバイトはとても大切だった。
私がもしその時、何も仕事をしていなかったのなら、Oさんの対応はこれまでのお礼の意味も込めて全部無償でした。
ところが、たとえ頭を使わなくても体は使う年賀状のバイトで拘束時間があって、さらに年末年始の妹たちや姪っ子の帰省で家事の量も増え、とにかく予定がみっちりで忙し過ぎた。
もう色々と回せないとわかって、それで私も「うわぁー、恩知らずな発言だわ」と内心思いつつも、反対に超マニアックな対応がOさんに合わせて必要なのもわかっていたから、あえて有料セッションを案内した。
(一応詐欺に間違われないように言うと、私は私で専門的に心理やら心のセラピー的なものを学んで実践してきたのと、他にもたくさんのマニアックな知識を総動員して、1人1人に合わせたプログラムを組んで個人セッションは提供している)
それでOさんが私から個人セッションを受けることになった。
ちなみにもう1つ言うと、年賀状のバイトに行ったことで、どんな仕事なら食べる方を支える仕事としてやれるのかもかなり明確になった。
極力人的ストレスが少なく(←最重要事項)、業務内容も覚えることが少なく、さらには仕事以外の時間は綺麗さっぱりと仕事のことを忘れられるもの。
年賀状はまさにそういう条件にぴったりと合致していたから、Oさんとあれこれやりとりしていても、ギリギリ仕事の方は仕事の方で集中してやれて良かった。
反対にOさんに対することも全力でやれるほどの体力気力を保てるところにあったから、どちらも邪魔することがなくて良かった。
そして、年明けOさんと日時を決めて行った個人セッション当日。
Oさんは基本的に何でも検証や分析を行う人だから、電話の会話も音声が欲しいだろうなぁと思って、それで私は壊れたiPhoneを起動してボイスレコーダーを使って録音することにした。
そもそも個人セッションということにならなければ、Oさんと私が電話することもなかったし、そして音声を録音することもなかった。
冗談抜きで、その時がOさんと私が出会って以降、初めて電話をした日だった。
そしてOさんも私も当日個人セッションが終わるまではずっと個人セッションに集中していたし、裏側では別の意図が動いていたなんてOさんが言ってくれなければ私は一生気付くこともなかった。
Oさんはセッションが終わってから、「実は…」と話を切り出してきた。
年配の男性が私宛てにメッセージを伝えたがっていること、どうやらその人は死んでいること、身内っぽいこと…、そんな風にOさんが特徴や状況を私に説明した。
とにかく2時間以上も前から、ずっとずっと私のことを「ふみこ、ふみこ」と呼んでいる、私の方からその人が誰なのかということと何を伝えたいのかを質問しながら特定して欲しいというような要望がOさんを通じて伝えられた。
全く意味がわからなかったけれども、Oさんが「決して悪い感じの霊ではない」ときちんと説明してくれたおかげで、私も安心して質問を投げかけることができた。
こんな風にして、Oさんと私が後に「おじいちゃん」と呼ぶおじいちゃんが登場してきた。
詳細は省くけれど、それこそが今回の一連の流れの鍵を握っている人物、私がペンジュラムで行方を探した方の霊魂だった。
当たり前だけど、Oさんも私もおじいちゃんとやりとりすることなんて1ミリも意図していなかったし、今回はOさん個人の話がメインだったゆえ、それ以外の内容に触れるなんて思ってもいなかった。
しかも、今振り返るとあまりにも出来過ぎな設定だった。
1、そもそもは、Oさんが自分の仕事に関してテコ入れをしようと考えたところに端を発する。
↓
2、Oさんなりに結論を出して、それに対して私の意見をOさんが求める。
↓
3、その時に私がOさんの潜在意識なり魂なりからのメッセージをキャッチする。
(ここ1ヶ月近く検証しているけれど、どうも相手の人が自分の状況を私に話すなり伝えるなりすると、それが相手からの情報をもらうための相手側からのGOサインとなって、そして情報を私に受け渡すための扉が開いて←もちろん扉が開いてるなんていうのは私にはわからない、そこから一気に色んな情報が私の元に届くシステムになってる模様。)
↓
4、Oさんに私のところに来た情報を伝える。
↓
5、Oさんがそのことに関して細かく質問をする。
↓
6、概論的な内容は伝えられても、個人対応になるものの場合、有料での個人セッションを私に申し込んで欲しいとOさんに伝える。
(例えばの話。怒っていることに気付かない人がいたとする←まるで私(  ̄Д ̄;)。で、怒りを解放するなり消化するなりすることが大事だし、そういうのは「怒り 解放」とでも検索すれば色んな方法がネットでヒットする。ここまでは私の中で無償で提供できる範囲。だけど、その人に合わせて怒りの感情をケアする場合、まずはその人の状況、適正、能力、強み、苦手なところなどとにかく色んな角度からその人を見て、そしてその人のセッションへの入り具合を見て、どうその怒りと向き合うか、その場でプログラムを具体的に立てる。こういうのは完全に個人対応になるから、そこは有料セッションになる。
Oさんにもそのように説明して、最低限の情報は伝えられるけれど、個人対応を希望ならそこは有料だと説明した)
↓
7、Oさんから個人セッションを申し込まれる。
↓
8、Oさんと私で個人セッションを電話越しに行う。
↓
9、その際におじいちゃん登場。
↓
10、Oさんから誰か(=おじいちゃん)が私宛てにメッセージを送ろうとしている、と伝えられる。
↓
11、色々探っていった結果、おじいちゃんと判明する。
これだけのプロセスを踏んで、初めておじいちゃんの魂とOさんと私とが繋がった。
しかも、Oさんには11月の時点で私がペンジュラムを使っておじいちゃんの居場所を特定するお手伝いをする前に、個人的にいくつか専門的なことを相談した。
だからOさんにとっても全くの見知らぬ人ではなくて、少しだけ状況を知ってくれていた人だった。
(Oさんは、以前に私が話題に出したこともない、Oさんにしたら会ったこともない人物のことをベラベラと私の目の前で言い当てて、なんならその人の影響が仕事にどう出たかについてまで言及して大当たりしたことがあったから、今回おじいちゃんの存在をOさんがOさんの感覚で特定したことに何の違和感も抱かなかった。)
そうして幾つものことが重なりまくって、100日以上は私のところに滞在していたと思われるおじいちゃんと私とが初めて繋がった。
ちなみにOさんいわく、これは憑依とは別物らしい。
私的な解釈としては、おじいちゃんは気付いてもらえるまで待機していたんだと思う。
ここから、おじいちゃんとOさんと私との3人でのやりとりが始まった。
まだあの日から2週間なのに、ずいぶんと時間が経過したように感じる。
それぐらい濃密な時間だった。
そして、おじいちゃんが現れたことで、一気に色んなことが動き出した。
「ご加護」なんて言葉を使うのはあまり好きではないけれど、今回だけは本当にご加護があったと感じている。
グーグル先生いわく、「加護」は「神仏が力を与えてまもり助けること」とある。
本当にそういうレベルで物事は起こっていたし、おそらく今も感知できてはいないけれど、その流れの中にあると思う。
だから、半分霊界、半分人間界みたいな境界線のような場所を垣間見ることになって、人間的真理みたいな領域のことを今回知ることになったんだと思う。
話は変わるけれど、最後にOさんに渡した癒しのレシピからどんなことが生まれたか、それについて少しだけ触れたい。
私がものすごく抵抗しまくりだった「言いたくない」Oさんへのメッセージに、Oさんはものすごく感謝してくれた。
Oさんはその理由を「(自分の)伸び代に気付かせてくれたから」と言った。
私はOさんのその一言で、癒しのレシピの本当の目的がわかった。
そう言われてみたらこれまでの癒しのレシピも全てそうで、基本的に内容がきつかろうが厳しかろうが、それら全てに共通して、当人の可能性や今よりも良くなるためのヒントになっている。
決して表面上の言葉に囚われてはいけないし、真の目的は相手を落とすためではなくその人自身の潜在意識なり魂なりがその人に向けて伝えたいメッセージを私に託しているだけなんだと知った。
それは大切な自分自身に向けてのメッセージで、悪いもののわけがない。
可能性やヒントを伝えてくれるものだとはっきりとわかったから、これからは私はもう迷わずに伝えられる。
自分の至らなさにも気付かせてもらえて、私が勝手にメッセージの良し悪しを判断してはいけないし、ましてやそれを伝えたくないなどと愚図るのも論外の話だった。
そして、これからはその意図(←本人側の意図)も伝えられるから、キツイ内容に見えたとしてもそれは必ず良くなるためのヒントだと私も補足説明できる。
OさんはOさんで、その後自分の中を整理されて、サービスの質が向上したとお客さんに言われる機会が増えたと私に教えてくれた。
サービスの変更も決定して、そして今またさらに成長されてるし、新しい取り組みも始められた。
私が凄い!と言いたいところだけれど(笑)、当然そんなことはなく、Oさんが自分で気付いた分変化が生まれている。
と、こんな風にして、変化を見る機会にも恵まれた。
すごいまとめ方だけれど、おじいちゃんが関係しているストーリーはどれも本当にやさしさに満ちている。
私がご加護などと表現するぐらいに、神がかり的なやさしさをあちらこちらで見る。
そして、色々あっても、本当は全部愛に包まれているんだよ、と言われてるみたいに見える。
それぐらい、やさしさとか愛に溢れている。
2019年1月23日
#つぶやき#
この文章を書きながらおでんを仕込んだ。
多分、私が人生でおでんを作ったのは片手で数えるくらいの回数。
今日は味付けと言い、しみっしみの大根と言い、全て上手くできた♪٩(๑ᴖ◡ᴖ๑)۶♪
大根を下茹でしている横でねじりこんにゃく(三つ編みみたいなこんにゃく)を作ったり、きれいなゆで卵になるように画びょうで茹でる前に殻に穴を開けたり、練り物をさっと茹でて油抜きをしたり。
妄想は止まらず、「専業主婦みたい(o´艸`)」と1人で悦に浸りながらこの文章を書いた。
おでんをコトコト煮ながら好きな文章を書く…、まさに私が思い描く専業主婦業。
良いこといっぱい書いてる風だけど、やっぱり私が憧れる職業ナンバーワンは専業主婦♡。
事の発端は、ある人とのやりとりだった。
その人が取り組む心の課題に関して、パッとひらめいたことがあったから、私はそれをそのまま伝えた。
後になって補足することが出てきて、それも伝えた。
ところが、その内容が本人にほとんど伝わっていない。
内容は伝わっているけれど、それがどれだけ深い内容なのかがさっぱり伝わっていなかった。
傲慢だけど、私の伝え方の問題じゃなく、相手側に受け取るだけの器がない、そう感じた。
最初は怒りさえ湧いた。
どうしてわからないのか、ましてや相手は素人じゃない、そうした心のケアに多少は関与している。
なのに、その内容の深い意図が説明してもわからないことに愕然とした。
内容は伏せるけれども、私がしたことというのは、その相手にとって心の課題となっているものにどう取り組むか、その具体的手法を伝えることだった。
本人の性格や思考パターン、理解度、行動力の具合とか諸々を含めて、この方法ならいけるだろうというものを伝えた。
私は自分が言ったそのままのことを、試しに他の人にも言ってみた。
他の人からは「それ、本当に深いね。その内容を言えるって相当なことだよ」と言ってもらえた。
その人はお世辞を言う人じゃないから、本当に感想をそのまま言ってくれたと感じた。
前置きが長くなったけれど、私はそこで気付いたことがある。
私自身が自分の持っているものに対して自信を持てるようになったこと。
その時に過去の色んなことを振り返った。
私がここまで自分のやってることに自信が持てるようになったのは、過去の積み重ねのおかげだった。
塾の時のことが、わかりやすく回数を出せたから、それをやってきたからこその今だと気付いた。
塾に勤めていた頃、毎日その日来る子ども1人1人にその日にやるカリキュラムを組んで、それをカリキュラム表に書いていた。
少なく見積もって1日20人分(少ない日は20人切るけれど、多い日は30人越えする)、掛けることの週5日(実際は6日稼働)、それで1週間あたり最低100回はカリキュラムを組む。
2年半勤めた中で最初の2ヶ月と最後の1ヶ月は研修でやらなかったと考えて、最低2年とする。
年間52週のうち盆と正月除いた50週は確実に稼働しているから…
100回×50週=5000回。
5000回×2年=10000回。
最低10000回のカリキュラムを個別に立てていたとわかった。
さらに、同じ回数だけ連絡簿に子どもの様子を書いて渡してた。
塾での子どもの様子がわかるように書くもので、それは毎日必須だった。
私が実際に自分の教室を持つまで、色んな教室に研修に行った。
その時に、色んな人たちが書いた連絡簿を読ませてもらったけれど、私は研修の身のくせして「つまらない」と思った。
「今日は数学は連立方程式をしました。英語は受け身の文法問題を解きました。中間テストが近いので、テストの目標を話しながら計画を立てました。そのようにやっていけるようにサポートしていきます。」
おおよそこんな風だった。
「つまらん!」と思った私は、自分が書くようになってから、連絡簿だけはやたらとこだわった。
私は何をしたとかは書かず、代わりに子どもの様子がわかるように書いた。
例えばこんな風。
「前回解けなかった連立方程式の問題に今日再度取り組みました。宿題をきちんとしたことで本人の理解度も上がり、今日は同じ問題と別の似たような問題、両方をクリアできるようになりました。本人の力が定着するように、今回も同じ部分を宿題にしています。」
それとか、宿題をしてこなかったという時は、
「宿題をしてこなかったと本人より素直に報告がありました。前回のように、やったと嘘の報告はなく今回はありのまま伝えてくれました。やらないことはこちらで話をしましたが、素直に話をした部分に関してはほめました。お家でもその部分についてほめてもらえると助かります。よろしくお願いします。」
とか。
この作戦は功を奏して、実際に何人かの保護者から直接お褒めの言葉をいただいたし、それが親子の会話のネタになっている家もあったし、子どもにしてみても変なことを書かれるとそちらの方が家に帰ってから自分の首を絞めることになるわけで、よく私と色んな交渉に励んでいた。
ちなみに上のようなことを書かれると、素直な報告よりも宿題をしていないことが露呈するわけで、子どもからは明らかに不評だった。
親に見せていない子ももちろんいたけれど、今となれば毎回違うことを書くにはそれだけ子どもとのやりとりを細かく見ないと書けないわけで、人を見る力があの時に養われたと思う。
10000回以上のカリキュラムと10000回以上の連絡簿の積み重ねがあって、それが私に個別の対応力を付けてくれたことの8割を占めてると感じた。
さっきの話に戻って、心の課題に関して具体的な手法を伝えても反応がいまいちだった時、私は初めて自分の力の方ではなく相手の理解力を疑った。
と同時に、自分がそこまで力がついたんだと客観的に認めることができた。
そして、もう1つ気付いた。
もう誰でも彼でも情報を出すのではなく、本当にそれを必要とする人に限定して出そうと。
じゃないと、私の心が消耗する。
そうしたことにも気付けるようになったところに、今度は今年最後の癒しのレシピを書くことになった。
2018年12月29日 23:29
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー以下、『奇跡の果実』と連動させての続きの話。
(1月23日加筆)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
2018年最後の癒しのレシピは予定もしてなく、頼まれてもなく、それで当初私は無視をした。
それはヒーラーのOさんのもので、内容が本気のお節介な上、私はその内容のどれ1つもOさんに向かって言いたくなかった。
Oさんは自分の仕事に関して、私に「相談」してきたのではなく、あくまでも「私の意見」を求めてきた。
武士俣さんはこれについてどう思いますか?という問いかけで、私は最初「Oさんの思った通り決めた通りでいいと思います」みたいな返事を返していた。
小骨が引っかかったような小さな違和感は覚えたけれども、そんなのは無視しておけば良かったし、そのまま私はやりとりを終わらせる気満々でいた。
ところが、次の日になると、無視していたものたちが無視できないほどに一気に押し寄せてきて、そこに対する情報が雨あられのようにやってきた。
モヤモヤしたから、最初は単なるそんなことを思っている自分が嫌なのかと思っていた。
でも、内容が強烈な割に私自身はそれに対して全くと言っていいほど気持ちが動かなかった。
私はOさんに言いたくないという一点においてモヤモヤしているだけで、内容に関しては何とも思っていないことに気付いた。
これがもし自分のことなら、内容に対してもっと心が動く(内容的に、今回ならすっごく乱れる)ところ、それが全くなかった。
そこで私は「もしや!?」と思ってペンジュラムで確認したら、やっぱり内容は私の考えや意見ではなく、Oさん自身の潜在意識や魂からもたらされたものだった。
私の考えや意見にも通じるところがあったからわかりにくかったけれども、正直なところ、そんな私の個人の意見だと流せばそのまま流せるはずなのに、いつまでもしつこくやってきた数々のメッセージたちが私の中から消えないことに気付いて、それでようやくOさん自身のものだとわかった。
本当に言うのがすっごく嫌だったけれども、Oさんに事の次第を説明して、そしてOさんが聞きたいという意思があれば来たメッセージたちをそのまま伝えます、と言った。
そうして伝えることになった年内最後の癒しのレシピだった。
『癒しのレシピ』に関しては、名前を変えようかと思ったぐらいに、Oさんの内容は強烈極まりなかった。(Oさんには『癒し』という言葉を一切使わなかった)
余談だけれど、今回のことを通じて、メッセージが相手から来た時に関しては、私が伝える伝えないを選んではいけないこと、必ず相手にその部分の選択肢を委ねることも学んだ。
ちなみに言いたくなかった一番の理由は、内容もさることながら、要は弟子的な立場の人間が師匠に物申す、しかも喧嘩をわざと売ってるのか?と言われるような内容を申すというとんでもない様相だったから。
一般の会社で想像して欲しい。
平社員が社長に何か言うとか、年商1000万円の人が年商1000兆円の人に何かを言うとか、そんな風だった。
Oさんより私が上回ってるのは本当の実年齢だけで、スピリチュアルな知識も専門性も技術も、本気で私の方がどうにもならないレベルで下なのは肌身で感じていたから、絶対にそれらの言葉を言いたくなかった。
で、結果的に言うことになってそれにはものすごく感謝されたけれども、今度は細かな内容を聞かれた。
私自ら、質問があれば、言葉に関しては私が書いているから答えますとは言っていた。
内容については、私のことじゃないから答えられませんと伝えていた。(要は、本人には意味の通じる話でも、私にはその話の意味やそれが具体的にその人の何を指すのかがわからない。)
話は少し飛ぶけれど、私はそのやりとりを年賀状のバイトと並行してやっていた。
たしかに私は癒しとは呼べない癒しのレシピを書いて渡したし、そこに付随する質問も答えられたは答えられたけれども、とにかく細かい内容だったから、相当しっかりと内容を吟味して伝える必要があった。
だからたかが1通のメールでも仕上げるのに平均して3〜4時間ほどかかっていた状況だった。
それを全部で4通渡していて(←内容がヘビー過ぎて時間的に1日がかりのものもあった)、そして4通目を渡した時に私はOさんに自ら進言した。
概要的な説明なら今のまま対応することは可能だけれど、もしOさんに合わせた個人的な対応を希望なら私から有料セッションを受けて欲しいと言った。
Oさんに必要なものは、検索ワードだけ伝えるから自分で調べてやれるならそれで大丈夫なことも伝えた。
だけどそうではなく、ガチの個人対応希望なら有料でセッションの申込みをして下さい、とこれまたおかしな事態ではあったけれどもそう言った。
私の体力気力がもたなかったのと、年賀状のバイトをしていない空き時間でOさんの個人対応をするとなると、もうどう考えても私が無理なのがわかった。
というそこまでの状況が上手い具合に生まれて、それでOさんから個人セッションの申込が入って、そしてその後の『奇跡の果実』の話に繋がっていった。
だから、年賀状のバイトはとても大切だった。
私がもしその時、何も仕事をしていなかったのなら、Oさんの対応はこれまでのお礼の意味も込めて全部無償でした。
ところが、たとえ頭を使わなくても体は使う年賀状のバイトで拘束時間があって、さらに年末年始の妹たちや姪っ子の帰省で家事の量も増え、とにかく予定がみっちりで忙し過ぎた。
もう色々と回せないとわかって、それで私も「うわぁー、恩知らずな発言だわ」と内心思いつつも、反対に超マニアックな対応がOさんに合わせて必要なのもわかっていたから、あえて有料セッションを案内した。
(一応詐欺に間違われないように言うと、私は私で専門的に心理やら心のセラピー的なものを学んで実践してきたのと、他にもたくさんのマニアックな知識を総動員して、1人1人に合わせたプログラムを組んで個人セッションは提供している)
それでOさんが私から個人セッションを受けることになった。
ちなみにもう1つ言うと、年賀状のバイトに行ったことで、どんな仕事なら食べる方を支える仕事としてやれるのかもかなり明確になった。
極力人的ストレスが少なく(←最重要事項)、業務内容も覚えることが少なく、さらには仕事以外の時間は綺麗さっぱりと仕事のことを忘れられるもの。
年賀状はまさにそういう条件にぴったりと合致していたから、Oさんとあれこれやりとりしていても、ギリギリ仕事の方は仕事の方で集中してやれて良かった。
反対にOさんに対することも全力でやれるほどの体力気力を保てるところにあったから、どちらも邪魔することがなくて良かった。
そして、年明けOさんと日時を決めて行った個人セッション当日。
Oさんは基本的に何でも検証や分析を行う人だから、電話の会話も音声が欲しいだろうなぁと思って、それで私は壊れたiPhoneを起動してボイスレコーダーを使って録音することにした。
そもそも個人セッションということにならなければ、Oさんと私が電話することもなかったし、そして音声を録音することもなかった。
冗談抜きで、その時がOさんと私が出会って以降、初めて電話をした日だった。
そしてOさんも私も当日個人セッションが終わるまではずっと個人セッションに集中していたし、裏側では別の意図が動いていたなんてOさんが言ってくれなければ私は一生気付くこともなかった。
Oさんはセッションが終わってから、「実は…」と話を切り出してきた。
年配の男性が私宛てにメッセージを伝えたがっていること、どうやらその人は死んでいること、身内っぽいこと…、そんな風にOさんが特徴や状況を私に説明した。
とにかく2時間以上も前から、ずっとずっと私のことを「ふみこ、ふみこ」と呼んでいる、私の方からその人が誰なのかということと何を伝えたいのかを質問しながら特定して欲しいというような要望がOさんを通じて伝えられた。
全く意味がわからなかったけれども、Oさんが「決して悪い感じの霊ではない」ときちんと説明してくれたおかげで、私も安心して質問を投げかけることができた。
こんな風にして、Oさんと私が後に「おじいちゃん」と呼ぶおじいちゃんが登場してきた。
詳細は省くけれど、それこそが今回の一連の流れの鍵を握っている人物、私がペンジュラムで行方を探した方の霊魂だった。
当たり前だけど、Oさんも私もおじいちゃんとやりとりすることなんて1ミリも意図していなかったし、今回はOさん個人の話がメインだったゆえ、それ以外の内容に触れるなんて思ってもいなかった。
しかも、今振り返るとあまりにも出来過ぎな設定だった。
1、そもそもは、Oさんが自分の仕事に関してテコ入れをしようと考えたところに端を発する。
↓
2、Oさんなりに結論を出して、それに対して私の意見をOさんが求める。
↓
3、その時に私がOさんの潜在意識なり魂なりからのメッセージをキャッチする。
(ここ1ヶ月近く検証しているけれど、どうも相手の人が自分の状況を私に話すなり伝えるなりすると、それが相手からの情報をもらうための相手側からのGOサインとなって、そして情報を私に受け渡すための扉が開いて←もちろん扉が開いてるなんていうのは私にはわからない、そこから一気に色んな情報が私の元に届くシステムになってる模様。)
↓
4、Oさんに私のところに来た情報を伝える。
↓
5、Oさんがそのことに関して細かく質問をする。
↓
6、概論的な内容は伝えられても、個人対応になるものの場合、有料での個人セッションを私に申し込んで欲しいとOさんに伝える。
(例えばの話。怒っていることに気付かない人がいたとする←まるで私(  ̄Д ̄;)。で、怒りを解放するなり消化するなりすることが大事だし、そういうのは「怒り 解放」とでも検索すれば色んな方法がネットでヒットする。ここまでは私の中で無償で提供できる範囲。だけど、その人に合わせて怒りの感情をケアする場合、まずはその人の状況、適正、能力、強み、苦手なところなどとにかく色んな角度からその人を見て、そしてその人のセッションへの入り具合を見て、どうその怒りと向き合うか、その場でプログラムを具体的に立てる。こういうのは完全に個人対応になるから、そこは有料セッションになる。
Oさんにもそのように説明して、最低限の情報は伝えられるけれど、個人対応を希望ならそこは有料だと説明した)
↓
7、Oさんから個人セッションを申し込まれる。
↓
8、Oさんと私で個人セッションを電話越しに行う。
↓
9、その際におじいちゃん登場。
↓
10、Oさんから誰か(=おじいちゃん)が私宛てにメッセージを送ろうとしている、と伝えられる。
↓
11、色々探っていった結果、おじいちゃんと判明する。
これだけのプロセスを踏んで、初めておじいちゃんの魂とOさんと私とが繋がった。
しかも、Oさんには11月の時点で私がペンジュラムを使っておじいちゃんの居場所を特定するお手伝いをする前に、個人的にいくつか専門的なことを相談した。
だからOさんにとっても全くの見知らぬ人ではなくて、少しだけ状況を知ってくれていた人だった。
(Oさんは、以前に私が話題に出したこともない、Oさんにしたら会ったこともない人物のことをベラベラと私の目の前で言い当てて、なんならその人の影響が仕事にどう出たかについてまで言及して大当たりしたことがあったから、今回おじいちゃんの存在をOさんがOさんの感覚で特定したことに何の違和感も抱かなかった。)
そうして幾つものことが重なりまくって、100日以上は私のところに滞在していたと思われるおじいちゃんと私とが初めて繋がった。
ちなみにOさんいわく、これは憑依とは別物らしい。
私的な解釈としては、おじいちゃんは気付いてもらえるまで待機していたんだと思う。
ここから、おじいちゃんとOさんと私との3人でのやりとりが始まった。
まだあの日から2週間なのに、ずいぶんと時間が経過したように感じる。
それぐらい濃密な時間だった。
そして、おじいちゃんが現れたことで、一気に色んなことが動き出した。
「ご加護」なんて言葉を使うのはあまり好きではないけれど、今回だけは本当にご加護があったと感じている。
グーグル先生いわく、「加護」は「神仏が力を与えてまもり助けること」とある。
本当にそういうレベルで物事は起こっていたし、おそらく今も感知できてはいないけれど、その流れの中にあると思う。
だから、半分霊界、半分人間界みたいな境界線のような場所を垣間見ることになって、人間的真理みたいな領域のことを今回知ることになったんだと思う。
話は変わるけれど、最後にOさんに渡した癒しのレシピからどんなことが生まれたか、それについて少しだけ触れたい。
私がものすごく抵抗しまくりだった「言いたくない」Oさんへのメッセージに、Oさんはものすごく感謝してくれた。
Oさんはその理由を「(自分の)伸び代に気付かせてくれたから」と言った。
私はOさんのその一言で、癒しのレシピの本当の目的がわかった。
そう言われてみたらこれまでの癒しのレシピも全てそうで、基本的に内容がきつかろうが厳しかろうが、それら全てに共通して、当人の可能性や今よりも良くなるためのヒントになっている。
決して表面上の言葉に囚われてはいけないし、真の目的は相手を落とすためではなくその人自身の潜在意識なり魂なりがその人に向けて伝えたいメッセージを私に託しているだけなんだと知った。
それは大切な自分自身に向けてのメッセージで、悪いもののわけがない。
可能性やヒントを伝えてくれるものだとはっきりとわかったから、これからは私はもう迷わずに伝えられる。
自分の至らなさにも気付かせてもらえて、私が勝手にメッセージの良し悪しを判断してはいけないし、ましてやそれを伝えたくないなどと愚図るのも論外の話だった。
そして、これからはその意図(←本人側の意図)も伝えられるから、キツイ内容に見えたとしてもそれは必ず良くなるためのヒントだと私も補足説明できる。
OさんはOさんで、その後自分の中を整理されて、サービスの質が向上したとお客さんに言われる機会が増えたと私に教えてくれた。
サービスの変更も決定して、そして今またさらに成長されてるし、新しい取り組みも始められた。
私が凄い!と言いたいところだけれど(笑)、当然そんなことはなく、Oさんが自分で気付いた分変化が生まれている。
と、こんな風にして、変化を見る機会にも恵まれた。
すごいまとめ方だけれど、おじいちゃんが関係しているストーリーはどれも本当にやさしさに満ちている。
私がご加護などと表現するぐらいに、神がかり的なやさしさをあちらこちらで見る。
そして、色々あっても、本当は全部愛に包まれているんだよ、と言われてるみたいに見える。
それぐらい、やさしさとか愛に溢れている。
2019年1月23日
#つぶやき#
この文章を書きながらおでんを仕込んだ。
多分、私が人生でおでんを作ったのは片手で数えるくらいの回数。
今日は味付けと言い、しみっしみの大根と言い、全て上手くできた♪٩(๑ᴖ◡ᴖ๑)۶♪
大根を下茹でしている横でねじりこんにゃく(三つ編みみたいなこんにゃく)を作ったり、きれいなゆで卵になるように画びょうで茹でる前に殻に穴を開けたり、練り物をさっと茹でて油抜きをしたり。
妄想は止まらず、「専業主婦みたい(o´艸`)」と1人で悦に浸りながらこの文章を書いた。
おでんをコトコト煮ながら好きな文章を書く…、まさに私が思い描く専業主婦業。
良いこといっぱい書いてる風だけど、やっぱり私が憧れる職業ナンバーワンは専業主婦♡。
2019年1月23日水曜日
奇跡の果実【執筆予定一覧】
『奇跡の果実』執筆予定のもの。
12月のクリスマス辺りの連休から1月の22日、今回は21日に部分月食があったこの間までにあった色々。
一応時系列に並べようとは思うけれども、実際に書く時は書きたいものからになる気がする。
【そもそものはじまり】
・今回の一連の流れのはじまりは、私の場合、自分の能力を軽視されたことに始まる。相手の人が私がしたことをどう思ったのか本当のところはわからないけれど、私の伝えたことがさっぱり伝わってないことに愕然とした。なんなら怒りさえ湧いた。
実はこれが後からとても大きな意味を持ってくる。
→この話に関しては、『奇跡の果実』よりもっと前に途中まで書いていた別記事があって、それを完成させてアップする予定。
【ペンジュラムが失敗したこと】
・11月に、山で行方不明になった人をペンジュラムで探して欲しいと依頼を受け、実際にご家族の協力のもとでペンジュラムを使っての場所の特定をした。結局見つけられず、現在に至る。
・「見つける」という意味では失敗なのかもしれないけれど、時間の経過と共に他のことたちが起こってきて、失敗は失敗でも必要があっての失敗だったのかもしれないと感じる場面をいくつか見るようになった。
(ご家族の気持ちを考えたらそんなことは言えないし、見つかるのが一番だと思っているけれど、それ以外の出来事たちを見て、失敗したからこその大切なストーリーが次から次へと出てきた。)
【信じたいもの】
【リーダーの年賀状】
・不測の事態が起こった。普通なら誰かや何かのせいにしたくなったりする。でも、そこで私が最終的に目を向けたのは、「自分が何を信じたいのか、何を信じているのか」そこだった。
・そしてその不測の事態の翌日に、九州男児たち3人が私に電話をくれる。その時に、その3人のうちの1人、リーダーが送った年賀状が届いていないことを知った。どういうわけか私ともう1人その場にいたもう1人計2人には届かなかった。
この年賀状が届かなかったことも大切で、届かなかったゆえにすごく変なタイミングでリーダーには私自身のペンジュラムや体質的なことに関してカミングアウトすることになった。
これらのことも全て見えない世界で微調整が行われていたのではないか…、そんな風に感じた。
【ご家族との再会】
・ヒーラーのOさんを通じて、行方不明になった人の霊魂とやりとりしたことをご家族に伝えるために、私が当初からやりとりしていたそのご家族の1人と再会した。
超絶怪しい話な上、まともに相手にされるような話ではないことは最初からわかっていた。
実際にお会いする前からも、そして実際にお会いした時も「史子さんから話を聞いてから家族みんなでどうするかを決めよう」と家族間で決めていたことを教えてもらった。
→とにかく無心に純粋に誠実に対応することの大切さを教えてもらえた瞬間だった。
【他者評価と自分評価】
・ご家族に死者の方の霊魂と繋がったことを説明するために動いていた時のこと。
私自身が相手からどう思われるかが気にならなくなった。
どう思われてもいいから、やることをやる、伝えるべきメッセージを相手に伝える、そこにだけ集中していた。そこを機に、他者からどう思われるとかが本当に気にならなくなった。どう思われたところで、「私は私」という確固たるものみたいなのが生まれてきた。
・今回は、嫌われるとかどう思われるとか、本気でどうでも良かった。それよりも、誰かの大切なメッセージをその誰かの大切な人たちの元に届けることにだけ目が向いていた。それさえ叶うなら、他はもう何でも良かった。
【自分の体質】
・ご家族とお会いして話した時に、私は基本的に私が受け入れられる範囲のものならオカルトなものでも平気だということを知った。これ実は結構大切なポイントだったことを、ご家族と話して気付いた。
結論から言えば、もし私がそうしたこと全般全てがダメだったとするなら、今回の流れを実際に流れたように流すことはできなかった。苦手なら多分最初から拒絶して、今回の件には一切携わらなかったと思う。
この辺りの自分の資質的なものにも今回気付かされた。
【怒り爆発〜自分の人生のテーマ】
・ご家族にお会いした後、私は全く別のところで数年ぶりに怒りが大爆発した。本当に24時間ほど怒り狂っていた。
その怒りを紐解いていくことで、自分が本当に怒っていたことが何だったのかがわかった。
・その自分の怒りが収まらず、収まらないのはいいにしてもそれだと周りにも迷惑をかける事柄もくっついていたから、私は名古屋にいた頃からお世話になっているSさんに連絡を取って、事の次第を相談した。あまりに怒り狂っていて冷静な判断に自分が欠ける状態にあることはわかっていたから、客観的に見ての判断を仰ぎたかった。
その時にSさんが私が人生で何よりも大切にしていることを教えてくれた。そして、それはそのまま私の人生のテーマになっていることも教えてくれた。
【自分にできること・できないこと】
・今回、霊視ができるヒーラーのOさんと組んで色々経験した中で、私にできることとできないことがとても明確になった。
できることはどちらかと言えば「私だからできること」だったし、できないことは「できないことが正解」だった。
【人と人が繋がる】
・今回の一連のことを通じて、新たに人と人とが繋がっていく様子を見ることができた。これは死者の方が繋いでくれたご縁だと私は思っている。
【全ては繋がっていること】
・去年の9月に私のiPhoneの画面が割れた頃からは想像も全くしていなかった出来事たちがその後に起こった。あれから約4ヶ月、当時見ていた風景とは全く違う風景を今の私は見ている(2019年1月下旬現在)。全ては繋がっていたし、その中の1つでも何かが欠けてはいけなかった。
ちなみに「繋がり」の部分に注目すると、それは2016年の5月にペンジュラムに出逢うこともそうだし、2017年の夏にある1人の男性に出逢うこともそうだし、1年前の2018年の年明けにオルゴナイトに出逢うことも全て含まれている。そのどれもが欠けてもいけなかった。
【私の想い】
・自分は失敗しても許されていた(ペンジュラムで失敗したことから学んだこと)
・とにかく自分を使う、自分を差し出すこと、迷ってもその自分でできる最大のことをする、それに対する今の自分の考え方
・どんなに生き方が不器用でも、自分にだけは嘘をつかなかった
・誰かに好かれたくて何かをするわけじゃないし、誰かに好きになって欲しくて生きているわけじゃない
・自分のままで勝負して、それでも相手にされなかったり、軽くあしらわれても、それは相手の判断だから仕方ない。後悔がないとは言わないけれど、やるだけのことをやってダメなら仕方ない、そう本気で思えるようになった
・『騎手』…自分のままで飛び込んでいく
→ホロスコープからのメッセージ
・細部に宿っているメッセージを見つけにいく
・死にかけていた自分をもう一度生き直す、そんな気分
・『メッセンジャー』というキーワード
上の【】で囲んだことが、多分1つずつの記事になっていくと思う。
最後の【私の想い】の部分は、全部ひとまとめにするか、分散させて書くかはまだわからない。
これは半分私の備忘録的なものでもあるから、今これを読んでくれた人からすると「で、これ何?」状態に見えるかもしれないけれど、これらが全て繋がっていく。
さらに余談だけど、年末にした郵便局の年賀状のバイトにも意味があった。
あれはもう募集を締め切っているのを知っていた上で私はしれっと電話で問い合わせをした。
それがまさか即採用されるとは思っておらず、本当にダメ元で問い合わせていた。
今どうしてそちらが採用されて、そしてこの慌ただしくバタバタしていた2週間ほど前に応募したものが不採用だったのか、その理由も多分これだろう…というのがわかる。
こんな風にして、一見バラバラの出来事たちが見事に1つの線に並んで大きなハーモニーを奏でている。
年賀状のバイトと死者の魂との会話に接点はない。
だけど、そこに私側の事情や他の出来事たちを足すと、それらが接着剤のようになって全く関係のない2つのものが繋がっていく。
全てがそんな風で、1つ1つは独立した出来事でも他の何かと足すことで新しい接点が生まれて、そして全体のストーリーに彩りを添える。
以上、『奇跡の果実』に書く予定のもの。
12月のクリスマス辺りの連休から1月の22日、今回は21日に部分月食があったこの間までにあった色々。
一応時系列に並べようとは思うけれども、実際に書く時は書きたいものからになる気がする。
【そもそものはじまり】
・今回の一連の流れのはじまりは、私の場合、自分の能力を軽視されたことに始まる。相手の人が私がしたことをどう思ったのか本当のところはわからないけれど、私の伝えたことがさっぱり伝わってないことに愕然とした。なんなら怒りさえ湧いた。
実はこれが後からとても大きな意味を持ってくる。
→この話に関しては、『奇跡の果実』よりもっと前に途中まで書いていた別記事があって、それを完成させてアップする予定。
【ペンジュラムが失敗したこと】
・11月に、山で行方不明になった人をペンジュラムで探して欲しいと依頼を受け、実際にご家族の協力のもとでペンジュラムを使っての場所の特定をした。結局見つけられず、現在に至る。
・「見つける」という意味では失敗なのかもしれないけれど、時間の経過と共に他のことたちが起こってきて、失敗は失敗でも必要があっての失敗だったのかもしれないと感じる場面をいくつか見るようになった。
(ご家族の気持ちを考えたらそんなことは言えないし、見つかるのが一番だと思っているけれど、それ以外の出来事たちを見て、失敗したからこその大切なストーリーが次から次へと出てきた。)
【信じたいもの】
【リーダーの年賀状】
・不測の事態が起こった。普通なら誰かや何かのせいにしたくなったりする。でも、そこで私が最終的に目を向けたのは、「自分が何を信じたいのか、何を信じているのか」そこだった。
・そしてその不測の事態の翌日に、九州男児たち3人が私に電話をくれる。その時に、その3人のうちの1人、リーダーが送った年賀状が届いていないことを知った。どういうわけか私ともう1人その場にいたもう1人計2人には届かなかった。
この年賀状が届かなかったことも大切で、届かなかったゆえにすごく変なタイミングでリーダーには私自身のペンジュラムや体質的なことに関してカミングアウトすることになった。
これらのことも全て見えない世界で微調整が行われていたのではないか…、そんな風に感じた。
【ご家族との再会】
・ヒーラーのOさんを通じて、行方不明になった人の霊魂とやりとりしたことをご家族に伝えるために、私が当初からやりとりしていたそのご家族の1人と再会した。
超絶怪しい話な上、まともに相手にされるような話ではないことは最初からわかっていた。
実際にお会いする前からも、そして実際にお会いした時も「史子さんから話を聞いてから家族みんなでどうするかを決めよう」と家族間で決めていたことを教えてもらった。
→とにかく無心に純粋に誠実に対応することの大切さを教えてもらえた瞬間だった。
【他者評価と自分評価】
・ご家族に死者の方の霊魂と繋がったことを説明するために動いていた時のこと。
私自身が相手からどう思われるかが気にならなくなった。
どう思われてもいいから、やることをやる、伝えるべきメッセージを相手に伝える、そこにだけ集中していた。そこを機に、他者からどう思われるとかが本当に気にならなくなった。どう思われたところで、「私は私」という確固たるものみたいなのが生まれてきた。
・今回は、嫌われるとかどう思われるとか、本気でどうでも良かった。それよりも、誰かの大切なメッセージをその誰かの大切な人たちの元に届けることにだけ目が向いていた。それさえ叶うなら、他はもう何でも良かった。
【自分の体質】
・ご家族とお会いして話した時に、私は基本的に私が受け入れられる範囲のものならオカルトなものでも平気だということを知った。これ実は結構大切なポイントだったことを、ご家族と話して気付いた。
結論から言えば、もし私がそうしたこと全般全てがダメだったとするなら、今回の流れを実際に流れたように流すことはできなかった。苦手なら多分最初から拒絶して、今回の件には一切携わらなかったと思う。
この辺りの自分の資質的なものにも今回気付かされた。
【怒り爆発〜自分の人生のテーマ】
・ご家族にお会いした後、私は全く別のところで数年ぶりに怒りが大爆発した。本当に24時間ほど怒り狂っていた。
その怒りを紐解いていくことで、自分が本当に怒っていたことが何だったのかがわかった。
・その自分の怒りが収まらず、収まらないのはいいにしてもそれだと周りにも迷惑をかける事柄もくっついていたから、私は名古屋にいた頃からお世話になっているSさんに連絡を取って、事の次第を相談した。あまりに怒り狂っていて冷静な判断に自分が欠ける状態にあることはわかっていたから、客観的に見ての判断を仰ぎたかった。
その時にSさんが私が人生で何よりも大切にしていることを教えてくれた。そして、それはそのまま私の人生のテーマになっていることも教えてくれた。
【自分にできること・できないこと】
・今回、霊視ができるヒーラーのOさんと組んで色々経験した中で、私にできることとできないことがとても明確になった。
できることはどちらかと言えば「私だからできること」だったし、できないことは「できないことが正解」だった。
【人と人が繋がる】
・今回の一連のことを通じて、新たに人と人とが繋がっていく様子を見ることができた。これは死者の方が繋いでくれたご縁だと私は思っている。
【全ては繋がっていること】
・去年の9月に私のiPhoneの画面が割れた頃からは想像も全くしていなかった出来事たちがその後に起こった。あれから約4ヶ月、当時見ていた風景とは全く違う風景を今の私は見ている(2019年1月下旬現在)。全ては繋がっていたし、その中の1つでも何かが欠けてはいけなかった。
ちなみに「繋がり」の部分に注目すると、それは2016年の5月にペンジュラムに出逢うこともそうだし、2017年の夏にある1人の男性に出逢うこともそうだし、1年前の2018年の年明けにオルゴナイトに出逢うことも全て含まれている。そのどれもが欠けてもいけなかった。
【私の想い】
・自分は失敗しても許されていた(ペンジュラムで失敗したことから学んだこと)
・とにかく自分を使う、自分を差し出すこと、迷ってもその自分でできる最大のことをする、それに対する今の自分の考え方
・どんなに生き方が不器用でも、自分にだけは嘘をつかなかった
・誰かに好かれたくて何かをするわけじゃないし、誰かに好きになって欲しくて生きているわけじゃない
・自分のままで勝負して、それでも相手にされなかったり、軽くあしらわれても、それは相手の判断だから仕方ない。後悔がないとは言わないけれど、やるだけのことをやってダメなら仕方ない、そう本気で思えるようになった
・『騎手』…自分のままで飛び込んでいく
→ホロスコープからのメッセージ
・細部に宿っているメッセージを見つけにいく
・死にかけていた自分をもう一度生き直す、そんな気分
・『メッセンジャー』というキーワード
上の【】で囲んだことが、多分1つずつの記事になっていくと思う。
最後の【私の想い】の部分は、全部ひとまとめにするか、分散させて書くかはまだわからない。
これは半分私の備忘録的なものでもあるから、今これを読んでくれた人からすると「で、これ何?」状態に見えるかもしれないけれど、これらが全て繋がっていく。
さらに余談だけど、年末にした郵便局の年賀状のバイトにも意味があった。
あれはもう募集を締め切っているのを知っていた上で私はしれっと電話で問い合わせをした。
それがまさか即採用されるとは思っておらず、本当にダメ元で問い合わせていた。
今どうしてそちらが採用されて、そしてこの慌ただしくバタバタしていた2週間ほど前に応募したものが不採用だったのか、その理由も多分これだろう…というのがわかる。
こんな風にして、一見バラバラの出来事たちが見事に1つの線に並んで大きなハーモニーを奏でている。
年賀状のバイトと死者の魂との会話に接点はない。
だけど、そこに私側の事情や他の出来事たちを足すと、それらが接着剤のようになって全く関係のない2つのものが繋がっていく。
全てがそんな風で、1つ1つは独立した出来事でも他の何かと足すことで新しい接点が生まれて、そして全体のストーリーに彩りを添える。
以上、『奇跡の果実』に書く予定のもの。