【11月2日…ホロスコープ講座6回目(最終回)の2日後】
5月から始まった全6回のホロスコープ講座が一応今回終わった。
一応というのは、11月の終わりに総演習のような会が予定されていて、それは出るかどうか迷っているけれど、とりあえず講座自体は終わった。
相当マニアックな知識を持てる機会となったのは間違いなく、参加できて本当に良かった。
ただ、わかったことももう1つ。
ホロスコープは、自分のためにはこれからも活用するけれど、他の人には活用しないということ。
色んな自己解析ツールみたいなのを試した中で、ホロスコープは断トツで良かった。
本当に良かった。
これまでのものは良かったけれど、客観的すぎるか、又は大雑把過ぎるか、もしくは主観的体験に基づいているかで、どれも決定的な感じがしなかった。
客観的すぎるというのは、結果に対して型の種類が決まっていて、誰しもがそのどれかに当てはまるけれど、同じ結果の人たちは同じ性格かと言えばそんなことはない。
だから、最大公約数的なことはわかっても、細かいところが型落ちする。
大雑把過ぎるのも同様で、くくり方にはどうしても無理矢理何かにくくりました!感が出ていて変な風だった。
分析結果を読んでもピンとこない。
主観的体験に基づくものは、自分自身も迷いながら回答し、そしてその結果を作るのも人ゆえ、個人のどこか偏りのある物の見方みたいなのが出てくる。
あるところは合っていてあるところは全然違う、みたいなことがどのテストでも大体あった。
そんな中でホロスコープは、誤魔化しようのない自分自身の人生や性格が出ていて、今は当てはまらないと感じても、それは自分から見てピンときていないか、又はまだその部分が現れていないだけか、そのどちらかというのがわかる。
私は異常かと思うぐらいに自分のことが知りたくてたまらない。
私は自分を知りたいよりも、自分の扱い方を知りたい。
自分でも自分の面倒くささがわかっていて、それがどうも一筋縄ではいかないのと、世の中の鉄板的な方法でなんとかなる感じでもないのと、そして何よりも「楽に生きれるようになりたい」願望が強くて、そのための自己解析に頼っている他ならない。
つい最近も、興味あって読んだブログによって、ある心理テストのページに繋がっていったけれど。
やっとわかった。
元々私は自分が人口の20%、5人に1人はいるとされる性質を帯びているのは知っていた。
その最近のテストで、さらにその中でも別の性質も同時に帯びてて、そうなると全人口の6%しかいないとのこと。
特別な存在というような光悦感はない。
私は6%よりも94%の方がいいし、20%よりも80%の方がいい。
20%とわかった時のテストを受けた時、私は逆にそのテストを「ぶっしーもこれに当てはまると思うから」と教えてくれた人に聞いた。
「これ、当てはまらない人たちは、どれも日常的に気にならないってこと?」
「そうだよ。大抵の人たちは気にならない」
そう聞いて、私は度肝を抜かれた。
気にならない世界がわからなかった。
【12月6日追記】
「気にならない世界(94%の人口)」対「気になる世界(6%の人口)」
それについては今度書くかもしれないけれど、私がホロスコープで感動したことの1つは、自分の感じ方とか考え方というものがホロスコープに刻まれていたこと。
色々不都合や不具合があるにしても、地でホロスコープ通りの性格になっている。
不都合や不具合というのも、単に社会的価値観から見ての不都合であって、もし社会的価値観が私みたいな性格の方がマジョリティなら何ら生きづらさはなかったと思う。
その反対だから色々生きづらいだけで、でもそれは価値観の違いだと思う。
決して、大半の人たちと同じにできないからと言って自分がダメなわけでもないし、欠けてるのとも違う。
ある意味、これはこれで完成形だとさえ思う。
「完璧」ということではなく、このでこぼこした自分のままで私自身は「完成」されている、そんな風に思う。
【1ヶ月後…12月初旬】
10月31日のハロウィンの日に最終回のホロスコープ講座があった。
それで一応、全6回の初級講座が一旦は終了した。
その後にもう一度今度は演習とプラスアルファのミニ講座が11月28日、1週間前にあった。
この短い期間に、冒頭の11月のあたまに書いたことと別のことが始まろうとしている。
また逃げ道を断つために言うと、他人様のホロスコープを読むことを多分始める。
占い師になるわけではなく、ホロスコープは入口でそこから先違うことに繋がっていくと思う。
自分のホロスコープ読みのセンスの無さは知っているし、知識が著しく足りてないのも知っているから、ホロスコープだけは他人様のものを読むために手を付けるつもりはなかった。
この文の冒頭で、その当時の気持ちを書いている、10月の講座が終わった後に。
『ただ、わかったことももう1つ。
ホロスコープは、自分のためにはこれからも活用するけれど、他の人には活用しないということ。』
じゃあ何でやるのか。
人からそれを取っ掛かりに始めたらいいと言われたから。
もっと言うと、それで宣伝するからと言われた。
たしかに、そう言ってくれた人に星の流れをベラベラと何回も何回も喋った。
でもそれは調べたら誰でも得られる情報。
何も私が特別な能力を持って喋ってるのとは違う。
だけど、そうやって声をかけてくれた方は、私がベラベラと喋った内容を喜んで聴いてくれた。
そして、そういうこと知りたい人がいるんだからねということも教えてもらった。
実は、自分の分と妹2人の分のホロスコープを読み解いた時、これは私の一種の才能だと思うけれど、バラバラの情報を並べて見た時にその人独自のテーマが浮かび上がってくるのがわかった。
私じゃなくても他の人たちも普通にできるのかもしれない。
その辺りはわからない。
だけど、ホロスコープの超ガチの学術的なことはさっぱりだけど、ピースとピースを重ね合わせて読み解くことに関してはできる。
あと、誕生日を初めの日としてその1年や他の年に関しても読み解くためのヒントは引っ張ってこれる。
水晶をかざす占い師さんみたいに何かを予言するのではなく、足し算を使って計算してあとは該当するテーマを本から引っ張ってくるだけだからそれは簡単にできる。
それは、ドラえもんのポケットのような感じ。
4次元ポケットを持っていて、手を突っ込めば必要な道具を出してきてその道具の使い方まではわかる。
のび太くんじゃないけれど、使い方のセンスがイマイチなところはあっても、全く使いこなせないわけじゃない。
百点満点の使いこなしを求めたら絶対に無理だけど、そんなのいきなり最初から百点満点目指す方がおかしいわけで、とりあえず50点60点の内容であっても必要とする人がもしいてくれるなら、そのまま出したらいいと思った。
自分の持っているものは全部出したらいいんだと、ようやくそう思えた。
もう少し言うと。
この1ヶ月余りの間に、3人の人から「ホロスコープやったらいい」と言われたことにも昨日あたりようやく気付いた(←遅っ)。
1人目はヒーラーのOさん。
「武士俣さん、ホロスコープと僕と勉強したこと、そしてこれまで積み重ねてきたことを組み合わせて何か始めると思いますよ」
そう言われた。
ホロスコープを最初に言われたから驚いた。
そして「始めるといいですよ」ではなく「始めると思いますよ」だった。
その時私は、Oさんは軽く言ってるのかと思って流した。
そして、Oさんが「ホロスコープ」を言ったのも、Oさんはホロスコープのことを知らないから安易に私にやったらいいと言うんだ、とものすごい速さで提案を却下した。
2人目は、先週それこそホロスコープ講座のU先生から直接言われた。
「武士俣さん、他の方のものも読んでいいと思いますよ!
今がデビューするのに良い時です!(←私のホロスコープにそう出ている)」
U先生は自分自身がデビューした時の星の配置を教えてくれて、今私も同じような配置になっていると教えてくれた。
ホロスコープ講座は決してプロ養成を目指したものではなく、そもそも受講生の大半の方が個人の専門性を生かした仕事をしていられるから、先生も星読みを職業でしましょう!なんていうことは1回も言わなかった。
ただ、私のホロスコープはある意味特殊なのか、U先生からは武士俣さんは個人的に占星術だけではなくそうした見えない世界に関わることをするんだと思います、というようなことを3回ほど言われた。
(何回言われたかな…と思い起こしたら、最低3回は記憶にある)
U先生からそんな風に評価してもらえたのはすごく心強かったけれど、自分の中で「ホロスコープ以外のこと」を始めるんだとまた自分の都合の良いように解釈した。
だから、私の中には他人様のホロスコープを読み解くなんて全く予定にないことだった。
そして3人目は、名古屋時代にお世話になったSさんだった。
Sさんが最後3人目として登場してきた。
Sさんもこれまた私の能力の具合を知らないから「ホロスコープやったら…」と言うのかと最初は思った。
でもSさんは違っていて、これまでの私のホロスコープうんちくと色んな話や知識を総合的に見て「ホロスコープ」で始めることを提案してくれ、さらにはそれなら周りに誰もしている人がいないから私も紹介しやすいと言われた。
えっ?紹介してくれるんですか?と思った。
これはいつ言われたんだろう…。
秋になって以降だと思う。
私はぶっしーちゃんに何ができるだろう…、とずっと言われていた。
その言葉をSさんがどういう意味で言っているのかいまいちわからなかったし、そうでなくても普段から色々相談にのってもらっているから今以上の何かをSさんに私は全く求めてもいなかった。
その言葉を今回(2日前、12/4)はここまではっきりと言ってもらって、それでようやく気付いた。
そう、全然関係のない人たちが3人もそれを言うというのは、しかもその人たちにとって何らメリットがないにも関わらず同じことを伝えてくるというのは、それは私にとって意味のあることだから耳にするんだと思う。
それはさすがにきちんと向き合わないとまずいだろうと思った。
で、昨日、ささっと案内文を書いた。
その前に自分ができることを書き出してみた。
自分ができること、たしかにそれはホロスコープを独学で始める前の私が知りたいことだった。
ホロスコープで求めることができることたちは、多分知りたい人は知りたい。
私がかつてそうだったように、自分を客観視するにはこれ以上ないツールだったりする。
私はそれを伝えたらいいんだと思った。
もっと知りたい人はもっときちんと説明できる人のところに行けばいい。
私は私ができることをしたらいいんだと思った。
本当にやることになるのかどうかはわからないにしても、とりあえず少しずつ自分ができることからやっていく、それが今の私には大事なことのような気がしている。
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