2018年12月26日水曜日

2018年末アルバイト

私の短期のアルバイトは、郵便局の年賀状の仕事。

高速のインターに近い郵便局の集荷センターに行っている。

ネットで見つけて、すでに募集終了と出ていたにも関わらず、しれっと電話したらまだ枠があって翌々日ぐらいに面接に行った。

面接の時、10畳ほどの小さな面接室みたいなところに通された。

椅子に座って下さいと言われた椅子がやたらとテーブルから遠くて、椅子をテーブルの真ん前に移動したら、面接担当者から「近すぎるので下がって下さい」と言われ、いきなり失態を犯した(  ̄Д ̄;)~~~~。

やらかし具合は相変わらずで(←過去にも面接で別のことをやらかしたことがある)、それでもその場で合格をいただき、それで先週から始まった。

面接はやらかした方が合格する!という謎のジンクスを作れそう、私…。
(意外にもきちんと滞りなく流れた面接は落ちてる。)

そんなこんなで始まった年賀状のアルバイト。

私が行っているところは、新潟県の中の主要な集荷センター的なところで、普段町中で見る郵便局とは大きく異なる。

駐車場だけで200台以上あるようなところで、今日聞いた話だと、作業場の入口から一番奥まで130メートルあるとのこと。

毎日出勤の度に、そして小休憩2回と休憩1回計3回の休み時間の度に、そして最後退勤の度に、その長い道のりを歩く。

今回行ってみて何が感動したかというと、日本の郵便事情と日本の職人魂の技術。

すでに4回行ったけれど、いつ見ても感動を覚える。

私がいるところは、年賀状の大きな区分けのところで、ひたすら年賀状が機械にかけられ、県内の各局と県外の主要局、それぞれ大まかに仕分けされる、それだけをするところにいる。

年賀状を機械にかけるか、もしくは仕分けされたものたちをボックスに入れていくかのどちらかしか今のところはしていない。

書くとごく普通みたいだけど、この機械がまずすごい。

初日に説明された時、まるで社会見学をしているような気分だった。

1秒間あたり何枚の年賀状が機械にかけられ読み取られているのか知らないけれど、とにかく超光速で、あっという間に仕分けが為される。

機械の仕組みはわからないけれど、私含め初日に初めて一緒に説明を受けた人たちから「うぉー!」とどよめきが起こった。

この機械を誰が考案したのかは知らないけれど、世界に誇る「日本の技術」とはまさにこういうものを指すんだとわかった。

ざっくりとしか数えていないけれど、320ほどの区分けがされていて、年賀状たちはそれぞれの区分の場所に機械によって運ばれていく。

同じレーンの上を1枚1枚行くのに、それでもどの年賀状もそれぞれの区分先のボックスに自動的に入っていくわけだから、どうやってそれらがわかるのか不思議で仕方ない。

毎回そうした大きな機械を見る度に思うことだけれど、どうやって室内に搬入したのかなと思う。

当然エレベーターに乗るような大きさじゃない。

少なくとも機械そのものはコンビニぐらいの長さがある。

そういうことはわからないけれども、とにかく最先端の技術にビックリしながらその仕事は始まった。

そこは何も年賀状だけではなく、通常の郵便物も取り扱っている。

これまでも色んな職場に行ったし、高校生の頃のアルバイトや超短期のアルバイトも色々行った。

その中で今の郵便局のところが、断トツで忙しいし、そして仕事中、どこで誰を見てもとにかくみんなずっと黙々と目の前の作業に集中している。

消印押しの人なんか、人間業とは思えない速さで押していて、ある種の職人さんと呼んでもいいぐらいの技を持っている。

130メートルはあると言われる作業所内でぼーっとしてる人は誰もいない。

私語をしている人もいない。

とにかくみんな目の前の与えられた仕事をしている。

休憩場所は別のところにあるから、その場で休むことはない。

止まる時は、機械の不具合とかそうした不測の事態の時だけで、あとはひたすらずっと動いている。

しこもそこは24時間365日稼働しているから、どの時間も常に動いている。

どうして郵便物がきちんと届くのか、それを見ていたら本当にわかる。

色んな人たちの働きと技術の革新によって、それだけの量のものを正確に届けることができる。

たまに郵便物をきちんと配達していなかったとかニュースになる。

もちろんいけないことでも、私から見てそのことがニュースになる日本の平和さと正確性の方が凄いと思っている。

ドミニカなんかは、地元民さえ「郵便ポストなんて長いこと見ていない」と言うぐらいだから、そもそも郵便が機能していない。

アメリカは機能は日本と変わらないけれど、例えば日本でいうところの年賀状がアメリカの場合はクリスマスカードになるけれど、あの国はペースは普段と変えないのが当たり前なのか、20年前、日本ではすでに年賀状を元旦に届けるシステムが整っていたにも関わらず、アメリカは12月になると郵便の遅延が当たり前になる。

クリスマスカードをクリスマスまでに届けたかったら3週間前には投函しろとアメリカ人に教えられた。

それでも届かないこともある。

だから、日本の郵便事情は本当に世界に誇れる、勤勉な労働力と卓越した凄い技術によって支えられている。

これまでに感じたことがないぐらいに感動を覚えている。



今回行って、もう1つわかったこと。

今回の仕事はすごく性に合っていること。

何せ忙しいから仕事中は黙々と取り組むのが当たり前で、余計なことを考える時間がない。

単純作業と言えども、都度都度ちょっとずつ違うから単調な感じはしないし、そして基本的にライン作業とは違うから、機械の具合を見て自分のペースでできる。

他の人たちとの協力も多少は必要な場面があるけれど、基本的には1人で黙々系の仕事。

数人で1グループでも、ほとんど声を交わす場面はないし、空気を読むこともほぼしなくて済む。

今回初めて気付いたけれども、私がしていた色んな仕事は、今の仕事の空気を読むのが1なら、過去の仕事たちは1000とか10000とかの空気を読まないといけなくて、そりゃいつも疲れて当たり前だとわかった。

抜けてるところもたくさんあるけれど、基本的に私は空気を読むというか色々気付いてしまうタイプだと思う。

面接とかのやらかしっぷりはひどいけれど、対人関係や仕事の流れにおいてはやたらと観察する癖があるし、知らぬ間に細かな分析をしている。

だから常に忙しないし、頭の中は常時フル回転、気使いも必要に応じて回転、とにかくマックス動いている。

今回は体こそフル回転しているけれど、心は穏やかで余計なことに気を使わなくていい。

何も気にならないわけじゃないけれど、例えば昨日気になったことが、機械の操作方法を誤っている人がいて(すごい不具合は起こさないけれど、変な風にはなる)、それで使い方を説明したら、笑顔で「知ってます」と返ってきた時にはどうしようかと思ったけれども。

要は間違えているから正しい扱い方を言っても、なんなら指差して状態まで説明してもわかってもらえず、うん、もう間違えといてください!と心の中で毒を吐いたけれども、そのぐらいで終わっている。

超平和、平和すぎるぐらいに平和!

これまで派遣での仕事でさえ、超ヘビーなものばかりを言わないといけないような場面がいかに多かったのかということを思い知った。

子どもの施設や学習塾の仕事は、もう信じられないぐらいに、ガチにそれこそ人の人生がかかっているような重大事項満載過ぎて、面白さとは別に責任も重かった。

短期だからというのもあるけれど、同じ日に始めた人たちの何人かとすぐに仲良くなれて、お互いにわからないことは協力し合いながらやれたことも大きかった。

休み時間も、なんと、みんながみんなスマホを確認以外では触らずにずっと話していられるぐらい、健全な関係を持てている。

こんなの奇跡に近い。

無理をしなくてもお互いに思ったことを思ったまま話せる、深い話はする必要がないし、仲良くする必要もない、仕事の感想や色々見たことを話すだけでも和やかに話ができる。

なんなら相手は私の半分以下しか生きていない学生の子たちもいる。

それでも年齢を気にせずに互いに話ができるなんて凄すぎる。

定年退職した男の人たちもいるけれど、おじちゃんも気さくなおじちゃんがいる。

これが長い仕事期間ならまた違うのかもしれないけれど、とにかくストレスがないと言ってもいいぐらいに心の中が穏やか。

しばらく二足のわらじを履くことになるとは思うけれども、私がガチでやっていくことはさておいても、当面の生活を支える方の仕事の在り方はこういうものがいいのかもしれないと感じている。

要は、変なストレスがないこと。

仕事をしていない時間にそこに気持ちが多少動いてしまうようなものは極力避けたい。

気持ちの切り替えは10数年の間で相当上手くはなったけれども、そもそものストレス値が低いところを選ぶのも大切だと今回感じた。



もう1つ、どうでもいいけれど、人生で初体験していることがある。

なんと、もう1人武士俣さんがいる!

これまで一度も武士俣さんに出会ったことがない私は、初めて武士俣さんに会った。

しかも点呼が毎回必ずあるから、その時に他の人たちは「佐藤さん」「鈴木さん」なのに、私は「武士俣史子さん」とフルネームで呼ばれる!

私はこれまで必ず1人しかいない苗字ゆえ、フルネームで呼ばれることなんてただの一度もなかったけれど、今回はそんなレア体験もしている。

相手の武士俣さんを呼ぶ場面はほぼほぼないけれど、なんとなく呼ばなきゃいけない時に妙に照れる(o´艸`)。

なんとも呼びにくく、「あの〜」とか言って誤魔化してる。

もしこれが名前をたくさん呼ばなきゃいけないところなら、決して私は「ぶっしー」とは呼ばれず、「史子さん」と呼ばれていたと思う。

仕事で「史子さん」なんて呼ばれたら照れるし、それがもし自分好みの男の人から「史子さん」なんて呼ばれた日には鼻血ブーだなと思う(♡´艸`♡)←アホが1人。

相変わらずトキメキなど職場にはないから、そんなの妄想で終わっているけれど。

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