Mちゃんに会った時、話に出たこと。
「Oさんから直接〇〇さんの話聞いたら、終わりにできそうだね」
考えたこともない発想で、一瞬「???」となった。
そうか、第三者から見ると、それが1つの区切りになると思われることを初めて知った。
Mちゃんは悪気は一切なく、私のその人への執着は異常だとも言った。
もう会えない人にそこまで気持ちがいくのがわからないと。
Mちゃんの言ったことは、正論に近くて、まぁそれが世間一般的に見たらそうなるのかと思った。
私はOさんからその人にまつわる話を聞くことで、何かしらの区切りがつくなんてただの一度も考えたことがなかった。
それで終わらせる…。
気持ちがそこでスパッと切り替わるとは考えにくい。
Oさんの言い方からしても、私に区切りをつけさせようとかいう感じは一切なくて、知ることが大事みたいな感じだった。
だから、話を聞く前と聞く後とで何か大きく変化するような内容ではないと思う。
もう会えない人に異常に執着するのは、たしかにおかしい。
1つだけ言い訳するなら、執着したい気持ちはさらさらない。
その人のことを考えられずにいられる方法があるのならむしろ知りたい。
もうなるようにしかならない、とあきらめた私は自分が飽きるまで今の感じを続けてしまう気がしている。
もはや私にはそれが日常だから、異常さも感じず、仮に感じたところで何も変わらないから、自分の感じるままに放置している。
気持ちは止まらないし、勝手には変えられない。
無理に変えようと無駄な努力をして心を消耗するぐらいなら、そのまま飽きるまで今の状態でいいかと、妙な悟りの境地みたくなっている。
それよりも私が引っかかったのは「もう会えない」という言葉の方だった。
その言葉は凶器みたく、ザクッと心に刺さった。
会えない…?
間違えてはいない。
むしろ、状況を表す言葉としてこれ以上ないぐらいに適切且つ当たっている。
私の脳内処理はどうなっているかは知らない。
でも私自身はもう会えないなんて思っていない。
そう思えないだけかもしれないし、異常な執着が生んだ妄想かもしれない。
だけど、「また会える」というのとは違って、「もう会えない」ということに関して私はそう思っていない。
私が認めたくないだけなのかもしれない。
それでも、もう一生会えないというのがどうしても自分の中でピンとこない。
手段や方法は私にはない。
全くない。
だから「もう会えない人」はどこまでも正しくどこまでも本当のこと。
だけど、手段とか方法とかではなく、もう会えないという感覚に違和感がある。
会えない方が当たり前で、今後も会えないのが普通だと頭ではわかる。
それでも、「もう会えない」は何かが違う。
もしかしたら、最後だと信じたくないだけなのかもしれない。
それでもやっぱり何かが違う。
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