2018年12月19日水曜日

恩師と人生の分岐点【前編】

おととい、数年ぶりに「英語」で手紙を書いた。

もう一度言う、「英語」で手紙を書いた。

あまりに久しぶりすぎて、出だしの書き方さえ忘れた。

そうだ、そうだ、「Dear」要る!と思い出して、「Dear John」と始まった。

不義理な私とは正反対で、ジョンは毎年律儀にクリスマスカードを送ってくれる。

ジョンは、日本語で言うところの「恩師」にあたる。

スーパー不義理な生徒の私は、今回手紙を書くまで色んなことを忘れていた。

このジョンこそが私が今いる場所にまで辿り着くための最初の大きな道案内役の人だったことを。

正しく書けたかどうかは別にしても、手紙の中で私はジョンに、自分は今後スピリチュアルなことも含めた実践をしていくよ、と書いた。

わかりやすい例がペンジュラムだと思って、最近依頼されたペンジュラムを使っての人探しの話をちょっとした。

あとホロスコープも。

他はどう説明していいかもわからないから割愛した。

そこに至るまで本当に葛藤したこと(今もしてる)、だけどそれを決めるにあたってこれまで色んな人たちから支えてもらって、そしてもう多分福祉の仕事には就かないけれども福祉での実践と知識は今後も大いに役立つし、それが色んなことの基盤となっているから、その部分に確実に関わってくれたジョンには感謝していると書いた。

福祉の件は全く話を盛ってなくて、私的には福祉で徹底的に人と関わるための大切なことを学べたことはとても大きかったと思っている。

傾聴だの信頼関係だの人を何か外的な要素でジャッジ・差別しないこととか、これは本当に徹底的に教えられたし実践の時にも絶対的な基礎基本となるから、それを先に専門的に学べたのは良かった。

手紙を書きながら思い出したのは、ジョンのオフィスに飾ってあったオラウータンの親子の写真が、実はよく見たらオラウータンの母と子とジョン本人だと気付いて、私は吹き出しそうになるのを堪えるのに必死だったこと。(←今も思い出して、1人思い出し笑いしたほど)

ある時とうとう勇気を出して、ジョンに直接聞いた。

これどうしたの?って。

どこかの動物園?海外?、まぁどこかしらに行って、直接オラウータンと触れ合えるところで一緒に撮らせてもらったと教えてくれた。

一瞬、オラウータンの家族なのかと思ったらジョンでびっくりした!とオブラートにも包まずどストレートに感想を言い(←こらっ!)、それに対しジョンも僕もそう思うよとかニコニコしながら言ってたと思う。

私が在学中に、バツ1だったジョンに彼女ができた。

もう1人日本人の2つ学年が上の福祉専攻で仲良くしていた女の子と、かなりな頻度で下世話なことを言っていた。

ジョンはなぜかいつも手が貧乏ゆすりのごとく震えていて、ヘビースモーカーな上、本当にこの人の体は大丈夫なんだろうか?っていうかぽっくりと亡くなってもおかしくないぐらいに不健康そうだった。

で、その女の子と、新しく彼女ができたということは当然性的な活動もあるわけで、本気で最中に心臓発作でも起こしかねないよね!などと、本気で失礼なことを言いまくり、2人で「なんかジョンが口説くとか想像できないね」とよく言っていた。(若さゆえの至らなさに今は穴があったら入りたい)

私もジョンに彼女を紹介されたし、なんなら今年のいつか写真の整理をした時に3人で撮った写真も出てきた。

ジョンは私がいた時だったか卒業してからか忘れたけれど、その方と再婚した。

くだんのクリスマスカードも、ジョンと奥さんの名前連名でいつもくる。

ジョンは退官後(いつ退官したかもわからない不義理な生徒)、自分の地元の西海岸側の州と奥さんの実家のマレーシアとを年の半分ずつで行き来して、そして今はマレーシアに永住することになったといつかの年のクリスマスカードに書かれてきた。

奥さんの細かな事情は忘れたけれども、何かを教えるためにたしか大学に来ていて、それで元々アジア文化やアジアの福祉を学術的に研究していたジョンと何かをきっかけに出会ったと記憶している。

よく考えたら教授の恋愛模様なんかを本人から普通に紹介されてた私は、そんなことばっかり記憶にあって、肝心要のことをすっかり忘れていた。

日本でもそんなことあるんだろうか?

教授本人の恋愛模様を聞きつつ、オラウータン親子と撮った写真をネタにしつつ、なんなら教授の彼女を紹介してもらうみたいな。

だから「恩師」と呼ぶのが何ともくすぐったい。

大学1年の春学期(秋学期スタートの2学期制だから、いわゆる1年目の後期)にジョンのクラスを初めて取ったけれども、「ジョン」などと気安く呼ぶ人よりもきちんと「プロフェッサー  スポアーズ」とか「プロフェソール」と周りは大抵敬称で呼んでいて、自分の呼び方がおかしいこともさながら、「あ!ジョンって本当に教授なんだ!」と初めて認識した←失礼すぎる。

ちなみにジョンと呼び捨てなのは、本人に何て呼んだらいい?と最初聞いたら「ジョンでいいよ」と言われたから、ずっとジョンだった。

ジョンも全くいとわず、いつでもジョンと呼ぶとニコニコと対話してくれた。

ちなみにそのジョンのクラスはそれしか取らなかったけれども、超絶眠くなる授業で、ジョンの小さめのいかにも子守歌的なトーンの声が聞こえなくならないように気をつけていたことしか授業の記憶がない。

そしてさらに唯一の授業の内容の記憶は、ある日コミュニティソーシャルワーカー(地域福祉士)の女性がゲストスピーカーとしてきて、自分の仕事内容や実際のクライアントの内容を紹介した時の話だった。

まだ18、19のティーネイジャーだった私にはあまりにも衝撃的な話だった。

その女性は、とある田舎の地域を担当していて、隣近所と言っても全然隣りが見えないぐらい何百メートルと離れているような、そういうところにある家族を担当した。

ある日訪問すると、中学生の娘が妊娠していた。

妊娠だけでも一大事だけど、その女性は「子供のお父さんは誰なのかしらね〜」と笑いながら言ったことがものすごく衝撃だった。

要は父親がその中学生の娘に性的虐待をしてるんじゃないか、という疑いを口にしていた。

それは笑って言うことなのかどうか私にはわからなかった。

重たい話だから、笑って話すその気持ちもわからなくもないけれど、決して笑って話すことではないと私は思っている。

というようなことのみ、ジョンのクラスの記憶として残っている。

4ヶ月習ったんだけどなぁ…(苦笑)。

ついでに言うと。

性的虐待なんて言うと、アメリカの話でしょ?と思われるかもだけど、日本でも普通にある。

そして、ここが日本は病的だなぁと思うのが、傍目には一般家庭に見えるおうちでも親が子を性的虐待してしまうところ。

福祉の現場で関わるような、命からがら助けられた子供の家庭内の話なら、もちろんあってはいけないことでも、百歩譲って可能性ゼロとは言えない。

でも、そうではなく、普通に学校に行って会社で働いて何なら今は結婚して子どももいて…みたいな女性たちの中にもそういう体験を持っている人たちがいる。

私が聞いた人たちはみんな衝撃だった。

なぜなら、本人が口を開かなければ、絶対にわかりっこない、なんなら普通の良い家庭に育ったという雰囲気を醸し出している人たちだったから。

人として魅力的で心がきれいで、まさか裏側でそんな体験をしてたなんて…。

多分そんなの氷山の一角だと思う。

ぶっちゃけて言うと、国が色々虐待の統計を取っているけれども、あんなの全くもってあてにならないと思う。

今はまた法の方が変わったから違ってきているのかもしれないけれど、どの種類の虐待でも「虐待」と認定されるのは全体の1割も実はない。

ニュースで「虐待」と報道されるものは、「虐待認定」が正式になされたという意味ではすごく稀なこと。

誰がどう見ても「虐待でしょ?それ!」というものでも、どういう基準で認定されるのかはわからないけれども、基本的に相当な証拠がないと認定は下りなかった(10年前)。

今も数に大差はないと思うけれども、日本全国に子どもを保護して養育する施設「児童養護施設」はたしか500以上ある。

でも、虐待とか何かしらの相談・通報された子どもの1割しか施設には入所しない、定員の関係で。

その1割の子どもたちに関しても「虐待」と正式に認定されて入所する子は、片手で数えるぐらいしかいなかった。

しかもそれは統計を取れる児童相談所とかでのレベル(認定は児童相談所で、施設側は基本的に認定する職務的な権利がない)。

ちなみに、認定がされてない=虐待されてないではない。

むしろ、何かしらには該当する体験をしている。

ここまでは統計で出せるレベルの話。

そうではない、100%スルーされてしまう一般家庭は当然統計には上がるわけもないから、未知数すぎる。

しかも、虐待の中の、身体的・心理的・性的の3つの中で性的虐待が一番発見しづらい。

それこそ子どもが妊娠でもしなきゃわからないレベル。

子どもも大人も含めて何で私が知ったかと言えば、本人が話したからで、そうでなかったらどこにもそんな記述も情報もないから知ることさえなかった。

だからと言うのも変だけど、家庭の中に踏み込むことをタブー視している日本では、実は…という人たちがたくさんいる。

あとよく見落とされがちなのが、性的虐待は女の子だけと思われること。

件数としては少なくても男の子が被害に遭うケースも普通にある。

気持ち悪がらせるために書いているのではなく、本当に現場にいたり色んな人たちから話を聞いた私だから、確実に統計には上がらない本当にあった話をただ事実として話しているだけだし、これは他人事ではなく誰の身にも起こってもおかしくないと思う。

話は戻って、そういう分野に入っていったのも、実はジョンが大いに関係している。

ジョンの一言でその方向に進むことになり、そして様々な知識も経験もそして私独自の能力的なものも開花された。

忘れそうだから先に書くと。

ここに書いた通り、かなりヘビーな体験を色んな子どもや大人から聞いた(虐待だけではなく、本当に色々)。

私が特に鍛えられたのは3つで、

・聴く力
・相手と自分の間にきちんと線引きをして、相手の感情に巻き込まれない力
・感情を切り離して残虐な内容を淡々と読む力

この辺りはもし気が向いたらまた別記事で書きたいけれど、これらのおかげで私は人のどんな強烈な話を聞いててもその後普通に何でもおいしく食べられて、普通に眠りに就ける。

人の気持ちに基本的に巻き込まれないし、何かを読んで具合が悪くなることもない。

もちろん最初からそうだったわけじゃなくて、最初は読むだけで泣いていたし発狂しそうだった。

それが数打てばじゃないけど慣れる。

関係ないけれど、本当に「よく生きてたね」と言いたくなるぐらいに極悪な状況が書かれている調書を読んでも平気なのに、今ネット上に溢れている一般人のブログで具合悪くなるものが時々ある。

よほどおかしなエネルギーを発してるんだろうなぁと、そういうのに当たる度に思う。

これだけでだいぶ長くなったから、ジョンとの出会いとジョンが私の人生の分岐点において道案内役になった時の話はまた別記事で。

ついでに驚いたのが、郵便局にクリスマスカードと手紙の入った封筒を持って行って料金を計ってもらったら、なんとマレーシアまで90円!(´⊙ω⊙`)!だったこと。

日本国内が82円で、そこにもう8円プラスするとマレーシアまで届けてくれるなんて、どんだけすごいの!?と思った。

日数は約1週間かかるとのこと。

日本郵便様々と思った。

ということで、不義理な生徒は数年ぶりにジョンに英語で手紙を書いた。

書いたことで、大事なことをいっぱい思い出したから、書いて本当に良かった。

オラウータンの写真とか下世話な心配とかばかりが先に思い出されたことは、ジョンはもちろん知らない。

っていうか、今思い出した(゚д゚lll)=3=3=3

その3人で撮った写真も送れば良かった!

最近ではなくても触ったのはそんなに前じゃないから、どこかの段ボールを開けたらすぐに出てくる。

来年覚えていたら送ろう、そうしよう!

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