2018年11月5日月曜日

ぶきようがぶきに

【はじめに】
今年の5月7日にmixiの日記から引っ張ってきて、そのままになっていたもの。

いつかアップしようと考えていて、気付いたら11月になっていた。

週末に鼻水垂らして泣くほど感情を出しまくったら、なんだかとてもスッキリして、今少しずつ回復している。

しかも、ずっとずっとこだわっていたことに対して、これまでとは違う感じで付き合えるようになって、ずいぶんと楽になった。

自分で過去2番目にセルフケアが上手くいったんじゃないかと調子に乗りそうなぐらい。

ちなみに意図してセルフケアをしたんじゃなくて、もうどうにもならず為すがままにしていたら、結果的にセルフケアになったという棚ぼた状態。

ただ無理は禁物だから、注意して自分のことを見ている。

一気に良くなると、ダイエットのリバウンドのごとくまたぶり返しが激しく来ても困るから、だから自分が急ぎ過ぎないように見ている。

ゆっくりで大丈夫だから、自分のペースで進めよう、ようやく本当に腹の底からそう思える部分が出てきた。

下のmixiの日記には、ペースのことが出てくる。

気付けば、子ども相手の仕事をしていた10年間は、子どもたちが毎回毎回気を利かせてくれて、子どもたちがしょっちゅう私を手助けしてくれてた。

これはその時々で仕事内容や相手にする子どもが変わっても、いつでもどこでも私が何をしていても健在!という素晴らしい状況に恵まれた。

子どもの頃から周りと同じペースで動けなかった性分は大人になってからも健在で、大人になれば速くなるのかと根拠なく信じていた私には非常にショックな現実だった(苦笑)。

だからスピードを求められたり時間内に一定の何かを終わらせるとなると、私は毎回パニックになる(今でも)。

だけど、大人になってから変わったことが1つだけあって、それは私じゃなくて周りが助けてくれるようになったこと。

もうどっちが子どもかわからないぐらいだったけれど、私と時を共にすると、子どもの方が根回しとか協力とかいう力を発揮しまくる(笑)。

もれなくそういう力がものすごく育つ、ある意味環境設定としては申し分ない感じになる。←えっ?

だから、私は今回も、まぁ今回は人は誰も巻き込んではいないけれども、もうこの自分のどこまでも頑固で融通の効かないペースでやっていくしかないなぁと堪忍した。

そう思えたから、楽になれた。

それはそうと、子どもと関わっていた時の貴重な瞬間の話。



【2012年3月3日】
『ぶきようがぶきに(不器用が武器に)』
だじゃれみたいなこの題名にすっかり満足♪

今の仕事を始めたときに、師匠のような域の方から
「この仕事はどんくさいやつの方がものになる」
と言われた。
(本当にそう思っているというより、私への励ましの言葉としか思えない)

スピードがないだけならまだしも、 何をするにも人よりも倍ほど遅くとろくさい私からしてみてまったくぴんとこなかった。

どんくさいことがいいなんてあるだろうか、この日本社会で!?



そんな言葉自体すっかり忘れていたけど、 今日その意味を体感する場面に遭遇した。

子どもたちはもう帰る時間を迎えていた。

当たり前だけど、家に帰さなければいけない。

親が迎えにきているおうちもある。

ただ、私の手元には子どもに持たせる「連絡簿」というものが帰る人数分真っ白の状態で残っている。

子どもの様子や連絡事項なんかを毎回書くためのノート。



それを見て一人の男の子が

「俺、後からでいいよ。その間途中だった問題やってるから」

なんていう、天使のような言葉を私に向けてくれた!



私のとろさも鈍さも子どもたちはよく見てくれてる。

子どもが1分でも遅刻しようものならものすごい勢いで追及するくせして、 私は自分がこうして子どもの帰る時間を自分の不手際で待たせるときは 素知らぬ顔してやりとおし、 下手すると
「まだ帰っちゃだめ?」
とくると
「今私に話しかけるともっと帰るの遅くなるよ。
それが嫌だったら今黙ってて!」
とぴしゃりと言い放つ。

もうやりたい放題で、本気でこんな身勝手な大人いやだと思う。

ただ。

前の仕事もその前もそうだったけど、 自分の(のろのろ)ペースで動くと色んな意味でうまく動く。

自分があたふたとしている方が、 周りの人たちがフォローに回ってくれる。

ありがたいことこの上ない。

上手にやろうとするより、 周りが場の空気をというか私のペースや行動パターンを読み取ってなぜか合わせてくれる。

合わせざるを得ないと心得て合わせてくれているんだと思うけど・・・

ここまでくると、不器用もほんと武器に変わるなぁと思う。

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