2018年11月17日土曜日

奇跡のファンファーレ⑥私の心の中

>>>2018年11月15日(木)私の心の中

Aさんからのお金や名刺や紹介の話を色々いただいたり、私の方から紹介をお願いしたりと、ペンジュラムのお仕事以外にも盛り盛りだった喫茶店でのやり取り。

順不同だけど、その時に思ったことを列挙したい。



【ペンジュラムを使う理由】
Aさんと実際に会ってみて、私が必要とされた理由、ペンジュラムが必要とされた理由がはっきりとわかった。

詳細は避けるけれども、その理由は、もちろん行方不明のままの家族を見つけたいという想いもだけど、それとは別に周りの人たちを想ってのことでもあって、私ははっきりと「これは使わなきゃいけないこと」だと認識した。

私の当たってるか当たってないかもわからない情報でも、そこに関わる人たちにしてみたらそれ1つさえも大切で、私だってそれがどこまでできているかなんてわからないけれども、0より1ある方が良い、その1だけでもそれでそこに関わる人たちがちょっとでも気持ちが楽になれるものなんだとわかった。

私が怪しいと思われるんじゃないかとか、そんなの違う可能性だって高いんだよとか、私は全部自分視点でしか見ていなかったことに気付かされた。

そこがそもそも間違えているというか、論点を履き違えていることもわかった。

膨大な面積の山を闇雲に探すよりも、しかももう行けるところは全部探していてそれでも見つからない、そんな時は当たりでもハズレでもいいからある程度ここかもしれないという場所がわかるなら、それに賭けたいみんなの気持ちがわかった。

しかも雪が降る前になんとか見つけてあげたい気持ちもよくわかった。

私が私含め3人のペンジュラムで、本人が家に家族の元に帰りたがっている、という情報でさえ家族にとっては嬉しいものであることを目の前で教えてもらった。

ヒーラーのOさんが言うところの、道具を使って答えを導き出すことが実際に良くないということはわかっている。

私もその教えには基本賛成だし、それでおかしな商売したりおかしな人間関係を作ったりする人がいることもわかっているから、余計とそう思う。

さらには、Oさんのような人が本当に「本物」と呼ばれる人たちで、私は間違いなく邪道を行っている(苦笑)。

でも、今回はそういうことじゃないということがはっきりとわかった。

正しい・間違っているよりも、目の前の人たちが何を望んでいて、それに対して私は単に自分ができることをするだけなんだとわかった。

はっきり言って、ペンジュラムを持たない私は無能になる。

自己卑下ではなく、有能か無能かという二択で私は無能になる。

実際に手書きのすごく細かく書かれていた地図を見ても、私は何にも感じなかったし、そして4枚ある地図のうち1枚を指して「普段ならこの辺りに行く」と言われた日には、「あれ?ペンジュラム間違えてるかも」と思ったし、というか私自体が間違えてるかも!とも即座に思った。
(私は自分の思考がこんな風だから、こうした時の自分の思考は全く信用できない。その点、ペンジュラムは私の思考に左右されないのが良い)

気になって何度も聞くけれど、ペンジュラムはその地図は全くYESを指さない。

当然、直筆サインを見ても何にも感じないし、写真見ても「人の良さそうな人!」という感想のみ。

そう、ペンジュラムなしの私には、当たってるハズレてる以前に、何1つまともに答えを導き出せないし、何も感じられない。

今目の前の人は家族代表で来られて、それで何でもいいから手がかりを探してる。

ペンジュラムがスピリチュアル的にやり方が間違ってようが、私の在り方が間違ってようが、何でもいいと思った。

そんなことではなく、とにかく私がペンジュラムと地図に集中して、そこから少しでもヒントを引っ張ってくること、それが全てだった。

終わってからヒーラーのOさんにありがとうを伝えると共に書いたメールより。


前日にOさんに言われたことはこれ↓
【スピリチュアル的な観点からいうと、ペンデュラムによって答えを導き出すというのは否定的です。】


それに対して、私なりに答えが初めてきちんと出せた↓
【Oさんから言われたことが私が私自身に対して自分の生き方や覚悟を問うものだと今すべてが一旦は終わってわかります。
Oさんに教えてもらった時点で、私には「それでも使う」と「スピリチュアル的な理由に沿って使わない」の二択の選択がありました。どちらを選んでも間違いではないし、どちらでも良かったと思います。
(中略)
ペンジュラムをただ持つだけにもできる、でも他の人が必要とするならそれを使うこともできる、それを選ぶのは最後は自分なんだとわかりました。
そして、たとえ私の選択が邪道で間違っていたとしても、私はそれでもその選択をしたい自分がいて、少なくともそれによってどんなに本筋から離れて間違ってそして魂的に罰則を受けるようなことになったとしても、私はもうそれでいい!とはっきりと今回思いました。
(Oさんには、詳しい事情も書いて、それ故に私が今回「使う」と判断した経緯や心の変化を書いた)
以前紹介したワークと同じで、私ははっきり言って良くなったり相手の人にとってのプラスになることなら、正直手段は何でもいいと思っています。そのスタンスは多分これからも変わらないと思います。】


私が見据えるのは、方法の種類ではなく、目の前の人が何を求めているのかと、それに対して私は何ができるか、その2点に究極は尽きるんだと今回学んだ。


Oさんは返信に
・私の芯がしっかりと出ていたこと
・スピリチュアルで何より大事なのは「動機」で、「スピリチュアル的に良くないと分かっていても、人助けの動機として使う。それが武士俣さんの芯になるのは結構なことじゃないですか!」
と書いてくれた。

そして、Oさんの方も私がそこに至るまでのお手伝いが出来たのは光栄だったと言ってくれた。

本当にたくさん考えさせられることがあったけれど、結果的にとても優しい形で私に考える機会を与えてくれたと感じている。

今回の依頼はもちろん、そこに関わっている色んな人たちから私は沢山のことを学んでいる。



【名刺】
名刺についても目からウロコだった。

私は今まで名刺が何のために必要なのかがさっぱりわかっていなかった。

初対面の時に使うのは知っている。

でも私は人からもらった名刺を、ある時片っ端から処分したから、その時に名刺って要らないと思った。

しかも私が仲良くなった人たちは、名刺を介入させずに仲良くなっていた。

私の中で「名刺交換する人=名刺無くしては繋がれない人=繋がらない人」という図式が根強くあって、ますます名刺の意義がわからなくなった。

そして意義がわからなくて困ってもいなければ、持っていなくて困ったこともなかった。

一度だけ作ったけれど、それを断捨離で手放して以降、一度も名刺を求められたこともなかった。

今回、Aさんから数回求められ、しまいにはAさんの名刺に自分の情報を書くというおかしなことになって、初めて「名刺がいる!」と思った。

さらに、私を紹介して欲しいなどとAさんに言ったから、何が何でも必要になった。

じゃないと、もし依頼したい人がいても、その都度Aさんが間に入って私とその人のやり取りをしなきゃいけなくなる!とわかって、そんなことはさせられないから、とりあえず名刺!というのがわかった。

初めて「必要に迫られて」名刺を用意する。

(11/16現在、名刺作成作業を停止したまま、このブログを書きまくってる…えっ?(@ ̄ρ ̄@))

(さらにこれ書いてたら、ホロスコープ講座、本当の最後の演習に向けての先生からの長いメールが来た((((;゚Д゚)))))))。みんな高度な質問をしてる中、私まだ超最初の20分の1ぐらいしかやっていない…。今月末の講座、出れるんだろうか…?←出席自体を迷い中)

(途中まで作った名刺のデータが飛んだ(T_T))



【宣伝】
これまで私が何よりも逃げまくっていたのは、自分を宣伝することだった。

例えばペンジュラム。

例えば個人セッション。

自分を他人にアピールするなんて、人生の中でも一番二番にやりたくないこと。

だけど、今回ひょんなことからAさんに出逢うことになって、しかも私は一切宣伝もしていないどころか、看板すら立ち上げていない、そんな状態でいきなり頼まれた。

唯一、宣伝とも思わずにやったことは、マッサージ師のMさんの前でペンジュラムを使ったことぐらい。

私が宣伝としてやるわけもなく、本当に単に普段の私のお買得情報をキャッチしたりカーナビ代わりに使う感じと同じように使い(もちろん人相手だから気は普段よりは確実に使う)、でもそんなことがなんと宣伝になっていて、それで私のできることを必要とする人が現に目の前に現れた。

宣伝にも色んな種類があると今回気付かされた。

そして、そもそも私のやることはマニアックというかかなり少数派のものだから、本当に必要な人しかどう考えても繋がらないし、生理的に無理な人は絶対に無理なわけだから、「宣伝」そのものもちょっと違うやり方があるのかな…と思った。

そして、私の口から初めて「私のすることを必要としそうな人がいたら、紹介して下さい!」と言った時、そしてAさんも「いいよ、いいよ!周りにそういう人がいたら紹介するから、そのためにも名刺を用意してね」と返ってきた。

Aさんとやり取りしてみて、今回は内容がいきなりすごいものがきたけれども、基本的に必要な人としか繋がらない、と静かにでもはっきりと思った。

そして、これまで自分を紹介するのは卑しいことや恥ずかしいことみたいに思ったけれども、これ逆に必要な人たちと繋がるためにはある程度アピールすることも大切で、言うのはタダだし、ネットとかを駆使してやるよりも私は口頭の方がやりやすいというのもわかったから、言えそうと思った人にだけしばらくは宣伝していったらいいんだと思った。



【内容】
上の宣伝に付随して苦手だったこと。

メニューを考えたり、時間設定、金額設定、もうどれもこれも考えるのもそれを文として起こすのも嫌だった。

メニューを考えたくない最大の理由は、私は完全に相手に合わせて個人セッションを組むから、人によって全然することが違う。

統一性なし。

メニューの総称…どうする?みたいな。

時間も苦手で、あのきっちり時間通りにできる人たちはすごい!

金額も、心の中に最終的な野望はあるけれど、それは適正価格ではなく、自分がその金額だとお金と時間の両方に余裕があっていいなぁというもの。

とか色々考えていたら、そりゃもうやりたくない理由や避けて通りたい理由はわんさか出てくるから、逃げる。

猛烈に逃げまくってた、色んな理由をつけて。

でも今回口コミでやっていこうとするなら…と考えた時に。
(口コミでやるとか、その発想がすでにビジネスモデルの正道から外れているという声は今回とりあえず外して考える。それすると、私はまた1つ逃げ道を作ってやらない理由を山ほど考え出して本当に逃げてやらなくなるから、とりあえず自分にとってあまり抵抗のないところから考えないと一向に先に進まない)

「オープンセール価格:(一律)1回5千円」とか、そんな風でいいんじゃないかなと思った。

期限はいついつまでとか書いといて、都度都度色々修正かけていけばいいかなと。

名刺は裏が無地だから、そこに直接手書きで書けるし。
(せっかくだから、裏面使ってちょっとやりたいことがある)

そもそもやることが間違っていれば、道すら進めないようになっているはずだし。

だけど、そんなごちゃごちゃ考えていないで何でも「とりあえず」わかる言葉とわかる簡単な説明だけでいいんじゃないかと思った。

そして、もっとぶっちゃけたことを言うと、どんな言葉を使って内容を丁寧に説明しても、言葉や内容で来ていると言うよりお互いに必要だから出会うんだろうなぁと思っている。



【怪しいかどうかは関係ない】
本当に今回のことで、怪しいかどうかはどうでもいいと思った。

怪しいものは怪しいままだし、そこをあえて「怪しくないですから!」なんて周りに説明することもない。

私がそれについてどう思うかなんてのははっきり言ってどうでもいいし、周りからそう思われるのも仕方ない。

そんな小さなことはどちらでもいいけれど、それよりも確実に必要とする人たちに必要なものを届ける・伝える、それだけのことだと気付かされた。

そして、全然知らない人から見て、私がしてることのあれこれが気にならない人もいるんだと知って、余計と怪しいとかそうした世間一般のものさしはどうでも良くなった。



【必要とされるもの】
Aさんと話した中でもう一つ気付かされたことがある。

今回のような不測の事態が起こった時、家族間なのかAさん個人なのかまでは聞き漏らしたけれども、とにかく何を今自分たちが必要としているのかを考えたという話を教えてもらった。

一気にダウジング!となったのではなく、一応他にも候補があったようで、1つはお寺さんかそんな感じのところで話を聞いてもらうことだったらしい。

あと、カード占いかそれ系の占いも候補に挙がったらしい。

でも話を聞いたところで現実的に何も解決しないし、カードも場所の特定とかはできる感じではなかったらしく、解決に繋がりそうな方法としてダウジング系→ペンジュラム使う人となったようだった。

必要かどうかは相手が決めることだし、それでやってみて違えば「違う」という結果を得るわけだし、その諸々に関しては私がコントロールできるものではないとわかった。

だから私は私のままで、それでも必要な人がいたら出逢うようになっているだろう…ということも本当にもっと感覚的にわかるようになってきた。

だって、私に電気系統の技術求められてもできないし、パン職人とかももちろんできない。

同系列として言うと、透視は全くできないし、守護霊とコンタクト取るとかもできない。

やり方すらわからない。

多分やり方わかってもできない。

だから、私はそのままで背伸びしたり大きく見せたりせず、ただ本当にそのままでいてそれを必要とする人がいたらやれることをやる、それに尽きると思った。

(続く…)

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