これまでに考えたこともなかった発想。
「道具は私に使われても文句は言わない」
事の成り行きはこうだった。
ネット上のカード占いの監修者の方のブログに行き着いて、ネットでやっても本人の潜在意識から何かが出てくる、当たると言うより必要なことが伝えられる、みたいな記述を見つけた。
興味を持った私は速攻そのページに飛んでカードを引いた。
その中で出てきたのが
「道具は私に使われても文句は言わない」
だった。
それを読んで、真っ先に思い浮かんだのは、この春から自分でも認識しだした、自分自身のことだった。
今私の中で、「体質」と呼ぶのが一番抵抗なく受け入れられるから、体質と呼ぶようにしている。
「能力」とか「力」と呼ぶのは、私が嫌でそう呼びたくない。
私が体質だと良くて、能力や力だとダメなのはこんな理由だと思っている。
体質は、あくまでも自分の延長線上にあって、特別なことではない。
金属アレルギーで金属のアクセサリーを身に付けないのと一緒。
反対に、能力や力と呼ぶと、やたらと特別感が増してしまって、私にはそれが重荷でもあるし、何かを勘違いしている自分を感じてしまう。
どういう時に発動して、反対にどうなると発動しないのか、自分でも実験段階にあるし、あまり表沙汰にはしたくない。
だけど、少なくとも使える時は必要があって出てくるから、そしてそれは最早私のタイミングじゃなくて相手のタイミングだから、そうなった時はそうなることが必要なんだと捉えている。
私の体を介してその人自身からその人に向けて発するメッセージがあるだけ、と捉えている。
だから、私の場合、誰でも彼でものメッセージはキャッチしないし、普段の会話なら何も起こらない。
相手の人が何か大切な話をする時や今の状況を何とかしたいという時にしか、そして本人側からくるから本人が意識の深いところで発してるとは思うから、そうした状況にならない限りは私の方は何もキャッチしない。
ちなみに、そんなことできるなら、私自身のためにこれできないの⁉︎と真面目に思う。
自分のことは自分で答えを出しなさい、という意味なのか、自分のことはさっぱりわからない。
そっちこそ教えてくれ!と思う。
その体質に気付いてから、もう何かを学ぶのはしばらくストップだとわかった。
ホロスコープとヒーリングの理論を今学んではいるけれど、その2つはちょっと立ち位置が違う。
ホロスコープはひたすら自分を紐解くためだし、ヒーリングはその体質に対して気をつけることを学ぶためだから、これまでに習ったタイプの諸々とは大きく異なる。
今後は興味のあることが出てきたら何か習い事をするのはいいけれど、とりあえず心理関係は手を出す予定がない。
私が心理系の手法とかを本格的に学び始めたのは、多分31歳の頃。
35歳の前にはそうした学びから離れた。
37歳でペンジュラムが手元にやってきて、そして39歳になった今年、その体質的なものに気付いた。
私が心理系なものに手を出さない、と決めていることには理由がある。
の割に、心理系の読み物はかなりあれこれ読んではいるけれど…。
1つは、自分にダメ出しをしないようにするため。
もう1つは、今の自分のままで生きていく覚悟を決めるため。
長い心理の学びの中で、本当にたくさんのことに気付かせてもらったけれど、その中でもひときわ大きかったのは「『今の自分では足りない、今の自分ではダメだ』と思っている自分」だった。
これは、目標を立ててそれを確実に形にすることを繰り返した時に気付いた。
31歳までの私は、為せば成る、の考えの持ち主だった。
確かに為せば成るんだけれど、その動機が私の場合はまずかった。
私が何かを成したり学ぶのは、自分が自分のままではダメだと思っていて、それを隠すために何かを足しまくっていた。
例えば、外見に自信がないからと言って、一流のサロンで髪の毛を整えてもらい、一流のブランド服とバッグ、靴で自分を固めるようなものだった。
最初に違和感を覚えたのは、塾の仕事で表彰された時だった。
会社が望む数字は残せても、私には何も残らなかった。
むしろ、その数字のためにこれからも嫌な業務をこなし、そして数字が下がらない努力をする、と思ったらお先真っ暗だった。
数字とは真逆に私の心の中はどんどん荒んだ。
そんな時に出合えたコーチングで、そこからスピリチュアルな学びも始まった。
本当にたくさんのことを学んで実践して楽にさせてもらえた。
あるところまで行った時に、おなかいっぱいとなったのと、あとは自分次第なんだとわかって、それでそうしたところから離れた。
その時はそういうつもりではなかったけれど、今振り返るとそこで誰かから学び続けなくて良かった、と今にして思う。
今、ホロスコープやヒーリングの勉強でも思う。
とにかく私の学びの先生たちは、その分野でも一流の力の方ばかり。
本質からズレた人のところへは、基本私は学びに行かない。
力だけじゃなく、人としても素晴らしい。
で、そんな人たちばかりのところに当たると、今はすっごいマシになったけれども、かつては自分の不足しているところが目立って、自分の力の無さに泣きそうだった。
「私はまだまだ」という自己否定と、自己否定ゆえの頑張り(行動)がセットで起こるなんて、日常茶飯事だった。
特に私は、自分が「人よりもできない」という、間違った自己認識が長いこと、長いことというのは30年近く自分を支配してたから、余計とタチの悪い自己否定ループに入っていった、とても自然に。
あまりに自然すぎて違和感もなかったから、私はそもそも自分が自己否定をしていることにさえ気付かなかった。
だから、そういう人たちを前に「自分には足りないことがたくさんあって、その足りないことをある程度は人並みに埋めないといけない」と思うことが毎度のことだった。
具体的な分岐点があったわけではないけれど、そのままでは私はどこまでも頑張り続けないといけないし、いつまで経っても自分が楽にならないと気付いた。
で、最初は自己否定したり自分を責めたりすることに気付くことから始めて、そしてその後もあれやこれやと自分を癒すことに費やし、そして今は「もうこのままの自分で生きていこう」みたいなところに来ている。
この話止まらないからもう少し続行(どうした?カードの話…と思いつつ)。
「このままの自分で生きていこう」ってさらりと書いたけれど、これ私にはバンジージャンプ並みに怖い。
多分ある程度は好き勝手にやっているし、私の数々のやらかし具合を見ても付き合ってくれた人たちも友達も家族もいるわけで、「何を今さら?」と言われるかもしれない。
でも普段の私は、少なくとも人前に出る時は、人前用の自分がいる。
しかも長年の訓練という名の実体験のおかげで、私は人によって自分を変える技にも長けている。
良いのか悪いのかわからないけれど、空気を読んで相手の欲しそうな反応や言葉、行動を提供するのはかなり得意。
変な人と思われたくないから、ある程度世の中の枠の中に自分を当てはめることも、キャリアとしては長い。
仕事をする時はかなり別人だし、そこでの人間関係の調整役は大抵勝手に回ってくる。
自分で言うのもどうかと思うけれど、私みたいな人がいると便利だろうなぁと思う。
基本否定しないし、話聞いてくれるし、でもかと言って板ばさみ的な感じならどちらに寄ることもなく、他言しない。
色々愚痴るにはかなり良い。
だけど、そういうんじゃなくて、地で生きる自分は変わってくる。
元々協調性がないけれど、さらになくなる。
たとえ仲の良い人でも、ぐっと踏み込んでこられると私は自分のメンタルがもたないから逃げる(←これはすでにやってる)。
9月11日
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上の話は9月に書いたもの。
一部わかりにくい表現もあるけれど、このままアップ。
道具の話から入っているのに、最後は職場とか複数の人間で構成される場での人間関係やその中での自分の役割の話になっている。
いくつか補足(順不同)。
【人間関係の中の役割】
自分のホロスコープの説明を受けた時に、そんなことまで出てるの?と思ったけれど。
基本的に複数の人が関わる場所、それが職場でもプライベートでも、とにかく場を問わず調整役みたいな役回りが回ってくる。
しかも表立っての調整役じゃなくて、完全裏方の、そして多分大抵の人たちは私のところに情報が集まってるとか、色んなところが結びついてるとかいうのは気付かない。
良いことは伝えても(例えばその人が良い風に評価されてたことや、その人がしたことで周りが助かったこと)、それ以外の部分は完全に私のところでストップさせる。
そうした役割を担うことがホロスコープに出ていて、そしてそれは冥王星とセットだから、否が応でも押し付けられると夏に鑑定を受けた時と今のホロスコープ講座の先生とから説明を受けた。
(ホロスコープで冥王星と組むものがあると、異常な状態を生み出しやすい)
不幸中の幸いは、そうした役割が嫌ではないこと。
【自己否定】
これ昨日たまたま読んだ発達障害児の育児をしているお母さんのブログでわかったこと。
多分、私これだ!というもの。
・ADHD
(不注意型優勢、のび太みたいな感じ)
・発達性協調運動障害
(スーパー運動音痴・不器用)
ADHDは注意欠陥多動性障害と呼ばれるもので、多分私は注意欠陥の方がより強いと思う。
人が話していてもボーッとしてしまうことや、途中で違うことを考えてハッと我に帰ると目の前の人の話が全く気付かぬうちに違う話になってたとかかなり日常茶飯事。
思い付いたことを衝動的にしたり、はちゃめちゃな順番で物事を行うのも毎度のこと。
整理整頓や時間管理が下手。
ちなみに私はどんなに時間があっても、なぜかいつも家を出る前は超ギリギリ。
途中で家事とか仕事を投げ出す(仕事はやりきるけれど、順番がめちゃくちゃだから、後から「うわっ、あれ忘れた!」とかしょっちゅう起こる)。
人の話の間に入ったり、説明が終わらないうちに質問したりもよくある。
これは状態を生み出さないために意識的にコントロールできる時と、そんなこと忘れて無意識でなる時とがある。
ちなみに仕事中は、そういう自分の特性(これまでは性格だと思ってた)がわかっているから、相当気をつけているし、そうしたことがあまり起こらないように並々ならぬ労力をいつも必要とする。
気になって調べたらそれだけじゃなかったけれど、色々症状を読むと自分とかなり重なる。
だけど大したもので、自分でもかなり気をつけるクセがついたから、私の場合は軽症で済んでいて(多分…)、自分ではそんなに困ったと感じていない。
(周りの人たちが私に対して困っているかどうかは知らない)
発達性協調運動障害の方はかなり顕著だったと思う。
言葉は不明瞭でそれは子どもの頃相当親や先生に注意を受けた。
基本的に外国語の発音、rの舌を巻くとかは口の中の動きがわからないから、正しい発音は不得手というのもそれに繋がると思う。
(ちなみにスペイン語はrr2つのもっとすごいバージョンの舌巻き発音があるけれど、当然できない)
なわとびは夏休み猛特訓してようやく飛べるようになった(要は、縄を回す・縄が来たら飛ぶ・飛んだらまた回すという一連の動作の流れと自分の身体機能を一致させられない)。
自転車も乗れるようになるまで訓練。
大人になってから友達の前で自転車に乗ったら「ぶっしー、自転車乗れるの⁉︎」と驚かれたことがある。
ちなみに逆上がりは一度もできたことがない。
逆上がりに至っては、未だにどこの力を使ってあのような動きができるのかわからない。
前回りについてもやっとできたし、鉄棒はそれしかできなかった。
跳び箱も猛特訓して飛べたけれど、中学高校のサイズアップしたものは無理だったし、高校の体育のハードル(テスト)は飛べなくてわざと避けて走ったら先生にめちゃくちゃ注意された。
(飛べないのに飛んだらまともに怪我するから私なりの苦肉の策だった。もしくは手で倒してからハードルを跨げば良かったのか…←えっ?)
走高跳とかあれ何の競技ですか?って感じだった。
忘れもしない、エスカレーターに乗ること。
あのタイミングも本当に掴めなくて、1人で乗るにはエスカレーターの前で立ち往生しなければいけない子だった。
それが小学校1年生の修学旅行で新幹線の駅の見学の際、エスカレーターに乗らないとで、本当に怖くて隣りの子の腕を思わずガッと掴んでしまって、向こうも驚いたし私も半分死にそうになりながら何とか乗れたということで胸がバクバクしたのは今でも覚えている。
決して記憶力がいいんじゃなくて、それぐらい体に残るぐらいに、衝撃が大きかった。
なんなら今も困るのが、遠くから「渡すよ」と言われて物を投げて来られる時。
これがすごい確率で落とす。
まともにキャッチできない。
時々キャッチできると「あれ?うまくキャッチできた!!」ぐらいな感じになる。
私そこまで取りに行きます、と言いたいぐらいに下手くそ。
ダンスとかもそうだったけれど、まず言われた指示通りに動けない。
周りを見て真似ようとしてもその動きの体の動かし方がわからない。
これコーチングを数年前に習った時にもわかって、相手のポーズを真似してそこから気持ちを読み取るみたいなワークの時、私はそのポーズが真似できなくて、本来観察者に徹する人たちが総出で私のところにきて私の体の位置を直してくれた。
ちなみに感想は、正しい形で真似できていたのかもしれないけれど、私には間違えてた時も正された時も何が違うのかわからず、そしてそのポーズを維持するのに全力を尽くしていたから、相手の気持ちを読み取る余裕なんてなかった(苦笑)。
証明写真撮る時も顎引いてくださいとか、もう少し右側を下にしてとか、そういうこと言われてもわからなくて、そして自分では直したつもりでもおかしいままだから、撮影者が私のところまで来て直すことも多々ある。
一事が万事この調子だから、できない自分というのが子どもの頃にものすごく強く意識に刻まれたから、当然のように自己否定強めな大人になった。
でも、そうした心理面のケアも色々習って、かなり自己否定を緩和することに成功したと思う。
ちなみに調べた時に、そうした子どもへの不適切な関わり方が箇条書きで説明されていたけれど、私はその不適切な関わり方を制覇したような幼少期・学童期だったとわかった。
そして、そこに書かれていて納得したのが、この手のタイプはとにかく普通にみんなができることができないから、自信を失いやすく自己否定に陥る傾向が強いから、本人の自己肯定感を高めるようなやり取りや取り組みが必要とあった。
私はたしかに子どもの頃がかなり悲惨な感じの体験が山盛りだったりするけれど、そうしたことに大人になってから気付けて対応できたことは大きかった。
それが結局のところ、心のケアに繋がるわけだから、色々上手くできてるなぁと思う。
今、変なこと思い出した。
塾に勤めていた時、保護者からうちの子ADHDの判断が下りました、と話が出た子がいた。
その子は2年強見たけれど(診断はわりかし早い時期に伝えられてた)、私は最後までその子がそうだと感じたことがなくて、一応苦手なやり方は避けて本人が取り組めるやり方は工夫したけれど、私は全く気にならなかった。
その子もそのタイプだったんだと今わかった。
私には何でその子がその診断になるのか全然わからなくて(一応資料には目を通したし、保護者の希望するものにはその通りにした)、でも今わかった。
その子はまさに私みたいな感じで、私自身がそれを性格の一部と捉えていたから、あれ?似てるね?私たち!という感じで、私は全く問題にさえ思わなかった。
そしてまさかそれが障害だなんて、思ってもいなかった(笑)。
もっと言うと、医師の誤診断かとさえ思っていた。
似た者同士、のんびりな子だなぐらいで、言われてみたら私は急かすこともしなければ基本的に本人のペースのまま何でもさせてた。
【道具】
上のことを踏まえて私個人で感じたこと。
子どもの頃はオール1で、読み書きそろばん全滅で、字は読めないわ数字の概念は理解できないわで、自分でも人並みどころか周りよりもものすごく劣っている自分には気付いていた(←こういう察知能力だけは当時からあったし、自分をそういう風に客観視するのも自然とできていた)。
そこにスーパー運動音痴に先生の指示が理解できないという二重三重に負の要素が付け足されて、とにかく何をするにも人よりも遅くて要領を得るにも人の倍どころか何倍も努力しないとできないことばかりだった。
そんな私が、ペンジュラムだけは本当にどういうわけかすぐに使いこなせて、自分でも若干驚いた。
後天的に鍛えられてできることは増えたけれど、最初から何の説明も練習もなくできたのはペンジュラムが人生初だった。
あと、目に映るものや周りで起こっていることなんかからメッセージをキャッチするのも、これまたやり出したら自分が好きなのはもちろん、そこから何かを感じて言葉にするのも多分得意な分野だと思う。
道具について、私がこの程度で済んで良かったというのは、ヒーラーの方と会った時に思った。
その方は一番ひどかった頃、街行く人たちの心の声が丸聞こえで、本当に大変だったと言っていた。
そうしたものをコントロールすることも習いに行ったようで、普通はそうした力を引き出すために習いに行くのに、その方の場合は逆でそれを減らすために習いに行った模様。
私はそういうことはなくて、誰でも彼でもというわけではなかったから良かった。
なんとなくだけど、本人からの希望がないと私の元へは何かしらのメッセージは来ないと思う。
あくまでも本人の希望ベースで飛んでくるみたいな。
過去に1人だけ、頼まれてもいないのに癒しのレシピをその人に向けて書いたことがあった。
その時こそ本当に本人から来ているという確証もなければその後も音沙汰なしだから実際のところわからないけれど、とにかく本人に届けるためのメッセージがバンバンやってきたから、それで急遽癒しのレシピとして作った。
私が勝手にやってしまったけれど、しかもやって良かったのかどうかは今も謎のままだけど、それでも来るものは来るからやってしまった。
さっき久しぶりにその癒しのレシピを読んだけれど、内容がやさしいなぁと思った。
そしてこれまでやった人たちの中で、一番愛に溢れていた。
【ペンジュラムのその後】
「道具は私に使われても文句は言わない」
明日11/15の午前中、行方不明になった人の件でペンジュラムを使うことになっている。
私が積極的にアピールしてやることになったのではなく、色んなことが重なってこのこと自体が私の方にやってきた流れで物事が動いている。
この件に関しては事が事だから、そういうことに精通している人2人に連絡してヒントをもらった。
そのうちの1人が「ぶっしーちゃんが思った通りにやったらいい!それで絶対に大丈夫だから!」と言ってもらえた。
本当にありがたかった。
ペンジュラムと自分が思いつくままにペンジュラムに質問していくのとでやろうと思っている。
ちょっぴり願い事をぼやいてみると、私がそのご家族のために必要な情報をペンジュラムと力を合わせてキャッチできるように祈ってもらえないかな…と思っている。
その人から祈ってもらえると、力が増す気がする。
私の仮説が間違っていなければ増すはず。
その人のおかげでペンジュラムの能力が大きく分けてこの1年の中で過去3回グレードアップしたから、その人が祈ってくれると本当に良い風になる気がする。
ひっそりこっそりで構いませんので、どうぞよろしくお願いします。
11月14日
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