2016年10月23日
1本の木
毎朝新聞が配達される生活になって早5ヶ月目。
10年近く新聞のない生活を送った名残か、チラシをしっかりと眺める習慣も薄れてしまった。
たまに暇だなぁと感じて近くにチラシの束があると、手に取って眺める。
眺めた中に見慣れないチラシが入っていた。
ああいう瞬間は不思議だ。
まずは、見慣れないから気になって手に取る。
通常のチラシの二倍の大きさで、裏表びっしりと情報が細かに詰まっていた。
ささっと目を通し、気になったイベントが2つ。
箸作りとバターナイフ作り。
キッチン用品が好きになってから、そういうものを手作りすることにも興味が湧くようになった。
しかもモデルのバターナイフが最高に形が良い。
行くことに決めた。
当日の今日、モタモタしてたら開始時間ギリギリの到着になった。
覚悟はしていたけれど、建物の中が迷路のようになっていて、途中色んな方向指示の紙を見て、最後はイベントスタッフらしい人に聞いて、ようやく目的地に着いた。
着いて渡されたのは、20㎝×5㎝位の大きさで厚さは1㎝程の1枚の板だった。
材質はひのきだと言う。
てっきりキットのようになってるのかと思いきや、デザインは自分だった。
絵の苦手な私は、チラシの中の小さなモデルを見ながらひたすら描く他なかった。
そこから幾つもの工程を経て、講師の先生にも削る作業から形を整える作業まで手伝ってもらって、それでようやく完成した。
デザインしたものとおおよそ別のものが出来上がったけど、とてつもなく素敵な世界に1つのバターナイフが誕生した。
夜寝る布団の中で、ふとあの木材はどこの場所から運ばれてきたんだろう…と思いを馳せた。
数年前、熊野古道の古道沿いに住んでいる友達夫婦を訪ねた際、林業を営んでいる人たちの伐採の現場に連れて行ってもらったことがあった。
たくさんある木々の中から、全体との兼ね合いを見て切る木を決めていた。
どこの森でも見かけるような太さと高さの木だった。
切られたらそれをまた車道のある道まで運ぶと言う。
でっかい木のごくごく一部が、今回のバターナイフ作りのための材料として色んな人を経て今は私の手元にある。
その木は、姿かたちを変えて生まれ変わって私の元にやってきた。
しかも、バターナイフという日常の生活の中でさらに役割の付いた立派な木材となって。
たった1枚のチラシが運んできてくれた木との出逢い。
数年前の伐採現場を見て、まさか数年後そうした木を自分が加工するなんて思ってもみなかった。
今振り返ると、あの伐採現場の見学は、私が見たいと言ったんじゃなくて、友達が誘ってくれて計画してくれたから実現したこと。
もっとさかのぼれば、その友達との出逢いから友達夫婦が熊野へ移住して、そして彼らが林業の人たちと知り合う、そのすべての過程が1つでも欠けたら知らない世界だった。
年を重ねるごとに不思議な気持ちになる。
昔のある出来事が、それは実に些細なことで点としての記憶さえもすぐに薄れる位のもの、それが数年、数十年経って突然線になる。
2018年夏
これも過去のメモを探した時に出てきた話。
手作りバターナイフは今は待機している。
いつかの出番を待って、段ボールの中で他の仲間たちと待機中。
2018年10月
アップしそびれて、2年越しにようやくアップの運びとなった。
最近、同じイベントの広告を見た。
大学の学校祭みたいな行事の一環で、プロの芸術家の先生たちがそれぞれワークショップをするものだった。
箸作りや他のワークショップは2年前と同じものが並んでいた。
唯一、バターナイフ作りだけが今年はなくなっていた。
あの2年前のあの時にしか開催されなかったワークショップだと知った。
熊野古道の林業見学も、2年前のバターナイフ作りも、そして今もなお待機中のバターナイフも、すべて一期一会だった。
もう二度とは訪れないその瞬間に立ち会えて、そして出逢えた人・物。
私は今でもはっきりと覚えている。
協力隊の二次試験の面接の時に、どうして参加したいと思ったのかその動機について話してください、と言われた時に自分が言ったこと。
人、物、文化、土地…そうしたものとの一期一会の出会いを大切にしたいこと、そしてその一期一会の中で自分ができることを最大限にしたいこと。
もう少し言葉は肉が付いていたけれど、言ったことは「一期一会の出会い」だった。
多分20歳前後の頃から「人生一期一会」ということをたくさん感じるようになった。
それは今でも変わらない。
色んなものが変わりゆく中でも、人生におけるすべてのことは一期一会だと思っている。
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