2018年10月2日火曜日

月曜日の朝の独り言

書けるうちに書いてしまおう。

週末私は絶不調だった。

最初は現実逃避のための眠りかと思っていたけれど、寝ても寝ても眠いしそして頭もどんどん痛くなった。

気持ちはどんどん塞ぎ込んできて、相当な低空飛行をしていた。

自殺願望は数年前にキッパリとなくなったけれど、代わりに「明日死んでもいい」的な気持ちは今も時々顔を出す。

ちなみに自殺願望強めの人がいたら、私がきっぱりと断ち切れた理由を紹介したい。

自殺して本当に死んじゃった場合、その後がめちゃくちゃきつくなること、そして生まれ変わった時は今生よりもさらにきつい設定でしか生まれないと知ったから。

当時30代前半の私でも、もう絶対にそれまでに体験した各種のきつい出来事を追体験なんて絶対にしたくなかったし、さらにそれよりもきつい人生が来世だなんてまっぴらごめんだと思った。

もうどんなにその時が大変でもとりあえず寿命が来るまでは生きようと思った。

生きていたらいいことがある!なんて前向きな気持ちではなく、これ以上のきつさを体験したくない!という理由で私は自殺願望がきれいさっぱりとなくなった。

そちらは見事解決したけれど、元々の癖なのか何か別の理由なのか、とにかく自分にものすごく疲れて、さらには生きる気力がなくなることが時々ある。

今回は今回でもう自分でもゾッとするぐらいに落ちてた。

ここからあと1週間とか1ヶ月這い上がれなかったらどうしようかと思った。

そんな時に見た夢がまたまた凄かった。

夢の中で私は10歳年下の29歳の人と自分を比べていた。

その29歳の人は知らない人だったし、なんなら夢の中に登場さえしていなかったかもしれないけれど、私が思ったのはこうだった。

29歳の人は結婚もしていて子どもも生んでいてさらにその人にしかできない仕事も確立していた。

それをしている誰かと、その1つもできていない自分を比べて私は自分のことをめちゃくちゃ責めている、自己否定して自己卑下しているという夢だった。

だから夢の中でも猛烈に苦しくて、自分の先の未来が真っ暗で、私こんな世界をこれからも生きていくんだと思ったら絶望しかなかった。

自分で何とかしようなんて気力もなく、何を楽しみに生きていいのかもわからない私が夢の中にいた。

すんげーリアル((((;゚Д゚)))))))と思ったし、起きた後のどんよりした気分なんか夢の中とさほど変わらなかったけれど、1つだけ気付いたことがある。

多分夢の中で見てきたのは、私が私に思ってることの1つであること。

そしてそれを見たのは、「もう手放していいからね」ってことで見せてもらえたんだと思う。

もうそんなに自分を責めなくていいし、そういう生き方ではない自分の生き方で本当にいいんだよ、って自分に言いたいんだと思う。

普段そんなことを自分に思ってることに気付いていない。

だけど、確実に思っている。

あの夢のリアルさは半端なかったし、自分でこうして言葉にしてみてもやたらとしっくりくる、悲しいぐらいに。

これは何年も前からやっているけれど、やっぱり私には自分の暗いところや闇の部分を大切にしたい、その気持ちが強い。

そこを隠したり否定すると、後からとんでもなくしっぺ返しが飛んでくる。

私は自分の原点をはっきりと覚えている。

コーチングだったのかな、どの場面の時かは忘れたけれど、ダメな自分を受け止めたい、それが本当の本当に私にとって何よりも大切なことだった。

上手くいっている私に対して私はあんまり価値があると思っていない。

たしかに、生産性も社会への貢献度も高い。

そういう私もたしかに必要だと思う。

そしてそれは基本的に全員から受け入れてもらえる。

営業成績上げてる私をダメだと言う人は誰もいなかった。

周りの人たち、会社も家族も友達もみんな認めてくれてた。

だけど、それらからきっぱりと離れ、働かなくなり、要は社会的に何もしなくなった時、私の存在価値は色々周りから指摘されることになった。

何もしてないことが悪だった。

そして何かしてない私は、人として失格みたいな烙印を押された。

私は本当に困った。

何かわかりやすく社会の中でしていないと、私という人は価値がなくなるみたいな意味が私にはわからなかった。

好きなことでもできることでも何なら自分に合わないことでもいい、何かをしていないと意味がないって何?と思った。

その辺りから私は逆をいきたいと思った。

周りはさておき、自分だけはとにかく状況や状態で自分を判断することだけは止めようと思った。

それすると生き地獄みたいになってしまうから、やめようと。

で、この数年色々と取り組んで今ぐらいにまでにはなったわけだけれど、久しぶりにキツイのが来た。

ずっと来てたのはわかっていたけれど、見て見ぬ振りしてたら夢で出てきた。

そこで自分の心の中の独り言が見事に再現されてた。

普段自分に対して思っていたことなんだなぁって。

私は自分がどうであっても生きていていいことを自分の心で確かめたいんだと思う。

価値を提供して当たり前じゃなくて、価値を提供してなくても生きているそのものが素晴らしい、と言えるあり方を本気で目指している。

そんなこと気にせずにばんばん進んでいける人はそれでいい。

でも私みたいにいちいちそんなことに囚われてつまずいて訳わかんなくなって…みたいなのもあっていいんじゃないかなと思う。

その自分を隠して、もしくはいないも同然にして生きていく、それがもう私にはできないんだとわかった。

だから、その色々矛盾だらけの自分と手を組んで、頼むからもうちょっと協力してよ、と言えるぐらいの関係性を作れないかな…と夢見ている。

10月1日(月) 5:04



『月曜日の朝の独り言』と題してこれをアップする。

心の中の叫びみたいで多少恥ずかしさはあるけれど、書いたことに嘘はないから、隠さずに出すことに。

生きたくても生きられない人がいるとか、命をそんなに軽く見てしまってはいけないとか、そう突つかれる内容なのは承知している。

だけど、私は自分の中にある気持ちを、まずは「そういう気持ちもある」ことや「そういう気持ちになっている自分がいる」ことをそっと受け止めたい。

「明日死んでもいい」なんて暴言みたいだけれど、暴言みたいな気持ちを感じた自分がたしかにいるから、その自分もとにかく否定しないこと、その自分自身も大事にしたい。

10月2日(火) 15:39

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