2018年9月20日木曜日

携帯電話の話

母の妹であるおばさんを訪ねた時の話。

おばさんは携帯電話を持っていない。

今シニア層でさえも持っている中で、持たないことを選択している。

理に適った話で、おばさんは学校給食のパートさんを長年しているけれど、普段携帯電話は要らない。

用事は全て家電(いえでん)で事足りる。

仕事の緊急連絡網があれば、家電で何とかなる。

天災や事故で遅刻したのは、過去に一度、市の研修の時に電車がストップした時だけと言っていた。

同じ電車に同じ研修に行く人を見つけて、その人が電話を入れてたから、主催者も少なくとも電車ストップしてるのはわかるだろうと予想して、実際に連絡を入れる手段がなくてもその時も何とかなった、と話してた。

携帯電話を所持してるのが当たり前の今、持たない選択をして、持たなくても大丈夫と本当に知っているって凄いな!と思った。

ところが、みんながみんなそんな考え方とはいかないから、職場の中には携帯電話を持っていないことを悪く言う人もいるらしい。

毎回適当に話して適当に交わしてるらしいけれど、それ聞いて、携帯電話がないのが「悪」ってどんな世界なのかと思った。

確かに連絡取らなければいけない時は多少の不便はある。

だけど、毎日定時に仕事に来て決まった仕事を決まった場所でこなしてそして帰るおばさんの仕事スタイルに、緊急を要することはほとんどない。

あの言い方だと、多分一度も緊急連絡網さえ必要はなかったんだと思う。

今余命1年を切ったとされる義理のお父さんが施設に最近入所したけれど、そのことに関しても息子である旦那さんが基本的な窓口になってるから、そこまで困ってはないらしい。

でも旦那さんの携帯が繋がらないと家にかかってくるから、そういう時は今度おばさんが旦那さんの携帯の留守電に伝言を残して、それでうまくやってるとのこと。

余計な煩わしさから解放されてる感じさえ感じて、私もむしろそうできるならそうしたいぐらいだった。

逆に今回聞かれた。

私の携帯、iPhoneに留守電機能が付いているかどうかを。

旦那さんであるおじさんが、今のガラケーからスマホにそろそろ機種変をするらしい。

スマホにした時、留守電機能が付いているのかを聞かれた。

私は自分の携帯電話でそもそも留守電が必要なことがないから、機能としてあるのかどうかもわからないこと、もし必要になればドコモとサービス契約できる気がするとは言った。

お義父さんの施設入所によって、若干電話の緊急度が上がったから、夫婦でそこを検討してるらしかった。

本当に必要なことに対して必要なやり方をシンプルに採用しているのが、私から見てその潔さが羨ましくもあった。

20代の頃、おばさんの家には年に1〜2回泊まらせてもらっていた。

最近は知らないけれども、当時おばさんは年に1回は結婚式に呼ばれていた。

学校関係者がどこまで人を招待するのかは知らないけれど、給食のパートであるおばさんは何だかんだと若い先生たちと仲良しで、その先生たち数人から招待を受けていた。

当時も携帯電話なんて持っていなかったけれども、周りの人たちと上手くやっていたんだと思う。

ちなみにこのおばさんは本当に凄くて、今母とおばさんの実家には、去年の秋に亡くなった長兄であるお兄さんの奥さんしか住んでいない。

田舎の築100年越えの大きな家に、目がほとんど見えなくなってしまったおばさんが1人で住んでいる。

50〜60人の弔問客を収容できるほどの家の大きさに1人で住んでいるおばさん。

目が見えなくても掃除もきちんとしているし、家で自分のことをする分には何ともないらしい。

家の周りの畑仕事も毎日精を出しているから凄い。

母の妹である方のおばさんは、お義姉さんを月に1回ぐらいのペースで訪ねている。

ふらっと遊びに行って、お義姉さんの作ったご飯を一緒に食べたり、お茶を飲んだりしてくるらしい。

ちなみにうちの母親は距離が遠いこともあってそんなことはしない。

仮に同じぐらいの距離でもそんな風にはできなかったと私は勝手に思ってる。

お義姉さんを訪ねる、それも長兄が生きていた頃と変わらずに訪ねるというのは凄い。

しかもおばさんは義務でやっていない。

自分の好きでやっている。

だからお義姉さんもすんなりと受け入れているんだと思う。

おばさんを見て凄いなと感じる。

人のためとか考える前に動ける人だと感じる。

自分の姪っ子たち(私にしたらいとこたち)の子どもの面倒も頼まれればいつも快く引き受けてる。

いとこの子どもの1人は最重度の障害を持っている。

私も3、4回会ったけれど、面倒を見るのは少しだけ技術がいる。

ごはんを食べさせたり身の回りの世話をするのにおばさんは慣れていて、すごくスムーズにやっていた。

なんなら、おばさん独自のやり方さえも確立していた。

私もできないわけじゃないけれど、もたついていて、その子も私の不慣れ加減にやりにくさを覚えているだろうなぁというのは否めない。

私はおばさんの外の顔を見てなくて内に見せる顔しか知らないけれど、携帯電話を持ってなくても人としてものすごく真っ当なことをごく自然にしている人だと思う。

一族全員、すごく真面目な性格だから、連絡をしなければいけない時は絶対的にきちんとしている。

ないならないで、やれる方法をきちんと確立しているし、そしてそんな機械ではない本物の繋がりの人間関係をさらりと作っている。

おばさんの不携帯の携帯電話の話や、お義姉さんとの交流について聞くためにおばさんを訪ねたわけではなかったけれど、結果的にそういう話をおばさんから聞けた。

今回の携帯電話の話が人生の中でした携帯電話の話の中で一番良かった。

私が携帯電話デビューしたのは社会人になってからだった。

日本に帰ってきた時に、みんなが持って当たり前みたいになっていて、それで私も契約した。

だけどそもそも電化製品にも携帯電話にも興味のなかった私は、当時から携帯電話の機能や新機種なんかの話に全くついていけなかった。

友達はそういう話をしない人たちばっかりだったから助かっていたけれど、世間はそうでもなくて、私はそれらの話の何が面白いのか全く理解できなかった。

iPhoneにした時も同様のことが起きたけれど、その時も私はiPhoneに興味がなくて、全く周りの人たちと話が合わなくて、必殺適当に相槌を打つ技でしのいでた。

そんな私が、まさかこのタイミングで、しかも所持率がものすごく上がったこの時代になってから、携帯電話を持たない生活の話を聞けたのは、めちゃくちゃラッキーだった。

そして、機能やら新作やら全く理解できずに毎回その手の話はつまんないと思っていた私が、初めて携帯電話の話に引き込まれた。

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