2018.5.11 20:46
海までの道、車の中でバチャータと呼ばれるドミニカの音楽を流した。
なんとなくそういう気分だった。
色んなことが蘇ってきた。
30歳の誕生日になったばかりの深夜0時。
私はテーブルの上にあった開けたばかりの赤ワインに手が当たって床にぶちまけた。
友達2人が「ぶっしー何やってんの?」と半分おちょくりながら半分面倒くさそうに言った。
誕生日のお祝いをしてもらって、そしてその日は友達2人と私はホテルに泊まった。
綺麗なホテルじゃない。
とりあえず泊まれたらいいよね、のドミニカバージョン。
翌朝私は2人より先に目が覚めて、コンクリートむき出しの洗面所の鏡の前に立った。
鏡の自分に向かったら、私に笑ってと言い続けた人の言葉を思い出して、一瞬で目が真っ赤になるぐらい、ものすごく短くでも激しく泣いた。
友達2人のツッコミは嫌だったから、すぐに顔を洗った。
私は誕生日を迎える2、3日前から突然30歳になるのが怖くなった。
それまでは何ともなかったのに、本当にあの怖さは突然やってきた。
鏡の向こうにいる自分は、その怖さと頼りたくても頼れない状況とを色々感じ取っていた。
友達と別れた後、私は高速バスで自分の住む首都に戻って、さらにローカル線に乗り継いで海へと出かけた。
職場には適当な理由を言って、仕事は休んだ。
私は自分の30歳を静かに1人で過ごしてそこでのんびり日記を書くつもりでいた。
平日だからという考えが甘かった。
バス停に着くなり、大音量のバチャータが浜辺から聞こえた。
当然海に近付けば近付くほど音は大きくなる。
この耳を塞ぎたくなるような、あのシーンを思い出してた。
39歳と2ヶ月になった今日、数日前に届いた友達からの誕生日プレゼント、シャネルのグロス(唇がツヤツヤになる口紅のようなもの)を付けて出かけた。
人生で初めてのシャネルだった。
2018.7.18 21:10
同じ海に行った。
海に足を付けられるように、CROCS風のサンダルと膝下の長さのスカートで出かけた。
ちょっとだけ海水浴!と思ったけれど、平成25年以来の40度越えの高音を岐阜で記録した今日、新潟も十分に暑く、10分程度は真夏のギラギラ太陽の下で海の感触を楽しんだけれど、暑すぎてすぐにやめた。
足を洗うために水道を探したら、地下鉄の1駅分ほど炎天下の中歩くことになった。
暑すぎて風が吹くと涼しいと感じるレベルの暑さだったけれど、平日の誰もいない道を自分のペースで歩くのは楽しかった。
夏の草の匂いがした。
ばばちゃん(死んだ母方の祖母)の畑を思い出した。
匂いが似ていた。
この匂いを毎年夏、ばばちゃんの近くで嗅いでいたんだな…と思った。
日記も本も用意したけれど、出すこともなく、代わりに水筒に詰めてきた氷入りのアイスコーヒーを少し口にした。
水筒を持ってきたのは大正解で、夏の海とアイスコーヒーの水筒のコラボがとても粋だった。
ここからは回想しながら5月11日の続きを書きたい。
あの日同じ海に着く少し前とそして着いたその時、私は自分の今いる場所がとてもスペシャルなことに気付いた。
中学を卒業するまで、私は社会の中に居場所がなかった。
そして居場所がないだけではなく、外の世界は私という人間が否定されてしまう場所だった。
自分が生きているそのものがダメみたいな感じで、私には本当に幼い頃からその理由がわからなかった。
何でいじめられるのか、何で心がえぐられるぐらいの何かを受ける対象になってしまうのかわからなかった。
家は素の自分ではあったけれど、私は家を一歩外に出た時の自分が体験している世界については一度も家族に話したことがない。
だから、家の中でも大なり小なり演じる自分が常にいた。
それが高校あたりから徐々に人間関係が良くなって、大学以降はビックリするぐらいに良くなった。
社会人になってから、私はますます人に恵まれた。
大人になった私は確かに喋るようにはなったけれど、基本的に子どもの頃とそんなに変わらない。
だから、私は自分の子ども時代が何のための通過儀礼だったのか今もわからない。
ただそのおかげで、人にはものすごく恵まれている、ということが多分人よりも強く感じられてると思う。
今の私の周りには自分が好きな人たちしか個人的な付き合いをする人に関してはいないということに気付いた。
あの5月の海で、私は自分が出逢った人たちを思い出して、そしてその人たちに支えられての今だと気付いた。
友達は人生のパートナーとは違うけれど、それでもそういう人たちを自分が人生の中で持てるということはものすごく特別なことに感じている。
訳のわからない保育園・小学校・中学校の時間があったから、余計と大人になった自分が好きな人たちに出逢えて友達になれたのが宝物だった。
海に着く少し前から、その宝物の人間関係の友達の顔を思い出していた。
本当に私にはもったいないぐらいの人たちだった。
シャネルのグロスは大人の味がした。
子どもの頃、母親の口紅をいたずらした時に嗅いだ匂いなんだろうか。
口紅特有の匂いがした。
普段の私は、化粧品の匂いが全て苦手だから、何を使うにしても無香料を選ぶ。
匂いもとい臭いがきつい化粧品は苦手で仕方ない。
だけど、その友達がプレゼントしてくれたシャネルのグロスは違ってた。
匂いが大人の味だと感じた。
大人にならないとわからない良さがそこには隠れていた。
友達もシャネルをそのまた友達からプレゼントされたとのこと。
「ありきたりだけど、そして普段私はブランド物には全く興味もないんだけど、それだけはなぜか魔法がかかったみたいに女の子になった気がして、すごくすごくうれしかったの。
同じ気持ちになってもらえたら…と思って」
この友達が添えてくれた想いがさらにシャネルのグロスを引き立ててくれた。
シャネルは女の子になれる魔法だと教えてくれた友達の気持ちが嬉しくて、
そしてその魔法を使う最初の日は特別にしたかった。
デートなら最高に良かったけれど、そんなのいつになるかわからなくてシャネルがタンスの肥やしになりそうだったから、普段使いをすることにした。
その普段使いの最初の日に少しだけ華を持たせたかった。
シャネルのデビューは5月の海だった。
18歳の夏の夜、その友達と私は何度も何度も夜の散歩に出かけた。
坂を登りきると、街全体が見渡せる場所があった。
そこには小さなチャペルがあって、その横にあるベンチに腰を下ろして色んなことを喋った。
18歳の私たちは今39歳になった。
彼女と近くに住んだのはその夏の3ヶ月だけ。
私たち、遠距離恋愛ならぬ遠距離友達だね♡と何度言ったかわからない。
2018.7.19 午前中
上の文章にちょっと付け足しをした。
海でも駐車場でも足洗った場所でもその道中でも、ずっと1人だった。
もうこのまま誰とも関わらずに生きていけるのならそれっていいかもと思った。
社会から離れた生活をすると、私はなぜか毎回怖くなる。
また社会の中で人と交わることがとても怖くなる。
何が怖いのかもよくわからない。
人恋しい気持ちと同じぐらい、私は人のことが怖いのかもしれない。
悪い人なんてそうそういなくて、基本的に大人になってから出会う人たちは、それが仕事を一緒にすることになった程度の深い付き合いにはならない人でも、本当に良い人たちが多い。
相手じゃなくて、私の心の中なんだと思う。
私が感じる怖さは、相手じゃなくて紛れもない私自身の心の中だと思う。
怖いけれど、この文章全体を書いている時の私は、人との繋がりを感じてた。
それもみんなに自慢したいぐらいの繋がりを。
ヘタレメンタルはすぐに弱気になるけれど、こうした心に火が灯るものは大事にできる自分でありたいと思う。
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