「心細い」これが今の感想。
感想じゃおかしいか、自分の気持ちとでも言えばいいんだろうか。
一番下の妹のホロスコープが完成した。
今回もWord26枚、約25000文字ほどをひたすら打ち込んだ。
自分のホロスコープと妹2人のホロスコープは三者三様、全く違う。
どんなにひっくり返しても、私の中から出てきたものは妹たちのところからは出てこない。
さらに何気なく次の8月11日の新月の情報を見てた。
私が多分3年ぶりに持つことになった手帳は、新月と満月と春分・夏至・秋分・冬至のポイントが書かれてある。
だから先々の天体情報もわかるようになっている。
さらに天体図と自分の天体図をどう重ね合わせて見るかも、この間ホロスコープ鑑定を受けて知り得た。
全部はわからなくても大切なワンポイントぐらいは習得してきた。
そのワンポイントが早速役立つなんて…。
次の新月は、獅子座の新月で部分日食を伴う。
ホロスコープの角度が読めるようになった私。
次の新月というか日食は、自分の生まれた時の月の位置に1度の誤差なくぴったり重なる。
蝕と自分の個人天体が重なるのは18年に1回ぐらいの割合じゃなかったんだろうか?
どうして2年も経たないうちにそんなことがまた起こるのか。
まぁそんなのは天体事情だからぶつくさと文句を言ったところで仕方ない。
私が怖いと思ったのはそこじゃない。
つい最近も、人に聞かれるままにある心理ワークのやり方を教えた。
またいつものごとく、その人の状況をちょっとだけ文章で読んで、それでその人が何をしたらいいのかわかったから、それで心理ワークを教えた。
高校野球のファンの人が「今回の見どころはどこ?」と聞かれたら、スラスラ答えてくれると思う。
さらに具体的に、「ピッチャーで今回の星となる選手はどの子?」なんて聞いたら、具体名が挙がって、そこに加えてどんな投げ方でどんな強みがあるかも答えてくれる、そんなのを想像して欲しい。
私が紹介した心理ワークもそんな風で、問題点とその問題に対する具体的なアプローチを箇条書きにして順に説明した。
やってみます、と言われて私はそんなこと頭から抜けてた。
そうしたらその数時間後連絡が来て、なんと自分の働き方に関して1つ大きな決断をしたと言う。
しかもそのきっかけが私の紹介したワークだと。
ワークに仕事を変えさせるようなそんな威力はないし、そんなことを目的としたワークでもない。
だけど、結果的にその人の生き方がこれから大きく変わろうとしてるきっかけにはなった。
効果の出方も出る速さもさすがにおかしいと思って、すぐにペンジュラムに確認した。
情報を持っていたのは確かに私だけれど、それをその人に伝えるというプロセスは私の意図ではなかった。
今回もこれまでの癒しのレシピ同様、相手の潜在意識や魂からの情報というかGOサインが出た上での情報提供だった、ペンジュラムいわく。
私は単なる媒介する係で、とにかく思い浮かんだままのことを相手に伝えたに過ぎない。
少なくとも自分も何回も同じワークをしてるから知ってる。
そのワーク自体は働き方を変えるようなものではないこと。
でもその人にはそれだけの力があったこと。
そしてそれを伝えたのは、紛れもなく私自身だったこと。
良い方向に向かう変化だから、それは単純に喜ばしい。
だけど私が心細くなっているのは、もはや自分でも何がどうなってるのかよくわかっていないのに、想像もしていなかった事態がどんどん展開して、今の私は喜びよりも恐怖の方が大きい。
そんな折に今度は次の新月で、しかも日食が伴うエネルギーの強い新月で、それと自分の個人天体がまたぴったり重なる。
ホロスコープ鑑定をしてくれたS先生は「そもそも武士俣さんが皆既月食の直前に生まれているから、どうしても蝕(しょく:日食や月食)を伴う時の空模様から影響を受けやすい、さらにそれと自分の天体が誤差0度で重なる(実際は前後2〜8度ぐらいまで見る)なんていう時はもう影響が出ないわけがない」と説明してくれた。
それがまた今回も起こる。
今回も1度以下、零点何度の小数点以下しかない誤差での重なり。
どんな影響が出るのか今回も予想すらつかないけれど、その後じわじわと来るのは多分間違いない。
今回の蝕は最大で1時間15分。
1年3ヶ月ほど影響が出るのかな…。
自分が全く追いついていない。
なのによくわからないことは起こり、自分の決断なんかもうどこまでも延び延びになっているし、そういう自分を外に打ち出すのが私は死ぬほど怖い。
さすがに逃げられないことはわかってきたし、逃げても逃げても付いてくるものなら腹を括った方がいいことも頭ではわかった。
だけど、心はついていかない。
7/31 1:01
妹のホロスコープを見て、とにかく全く違うホロスコープに驚いた。
例えばの話。
私たち三姉妹はそれぞれ人間関係のテーマがあるけれど、それが全く違っている。
私の場合は、自分の志や理念なんかを軸に人と繋がっていくことがテーマにある。
真ん中の妹は、社会の中で職業的な部分の完成を目指した人間関係の形成がテーマになっている。
下の妹は、1対1のような深い関係の人間関係の充実が求められている。
それぞれの重きが違う。
私の場合は、自分の大切にしたい価値観やそれに伴った自己表現が軸となる。
真ん中の妹は、リーダーシップを取ったり周りとの調整が軸になる。
下の妹は、自分の心を開くこと、人と深く関わることに対する恐怖を乗り越えることがテーマになる。
とまぁ、こんな風にそれぞれが違うものを持っている。
人間関係は脇に置いて、3人分を一通り読んで、私にしかないものがあることに気付いた。
妹2人と決定的に違っていたからわかった。
妹たちは目に見える世界のことに基本はテーマがあるし、現実的だったり現世的な感じにテーマが集約されている。
私のは明らかに違っていて、やたらと見えない世界の法則と現実を結びつけるとか、物事全体を眺めてそこから絶対的なものを見つけ出すとか、言うなれば魂や無意識の領域の話がとにかく多い。
そういうことがしやすい天体配置なのはこの間のホロスコープ鑑定を受けて知ったけれど、それにしても…という感じは否めない。
そうだ!と思い付いて、一緒にホロスコープ講座を取っている1人のクラスメートの人のものも見てみた。
その人とは同い年で誕生日が1日しか違わない。
多くの共通点がありながら、社会に打ち出すテーマの太陽と無意識を司る月、そして社会的な顔を表す地平線軸と社会的役割を表す子午線軸が全く違うから、誕生日が1日違いだなんてとても思えなかった。
私が非現実の世界をテーマとするなら彼女は現実の世界をテーマに、私が自分の理念を打ち出すのに戦うとしたら彼女は同じ頃見えない部分で手助けを得やすいと出る。
大げさに言ってるのではなく、私のものは本当に表現の中に「戦い」とか「捨て身の覚悟で飛び込む」とか「真っ先に敵陣に飛び込む」とかそんなんが出てくる。
何に驚いたって、この間の講座の日、彼女の口から「私、自分のホロスコープ好きです」と出たことだった。
私からしたら衝撃の発言だった。
前の日にS先生の鑑定を受けて、自分自身で生きていくしかないというのはわかったけれど、自分のホロスコープが好きだとは思わなかった。
これからそれを受け入れていこうか…みたいな感じで、だからその言葉に驚いた。
S先生からも講座のU先生からも実は私は同じことを言われている。
自分の宿命や運命に対して受け入れて生きていく生き方を応援する言葉だった。
私はそれを本当に形にできた時は、このブログでも書こうと考えている。
この間、このブログでS先生の鑑定で言われたことを箇条書きした中には書かなかった。
わざと省いた。
なぜならまだ私の中では受け入れられてないから。
多分今は受け入れようとしてる自分と受け入れたくない自分との間で折り合いがつかず葛藤してるんだろうなぁと思っている。
夜中に書いた文章(↑この記事の最初)の通りで、実際に起こっていることに対して自分の心がついていっていない。
怖いのと、心細いのとに加えて、私は自分自身に対してもかなり疑心暗鬼になっている。
色んなことがたまたまなんじゃないかとか、実は私が誇大妄想してるだけで全ては私とは無関係なんじゃないかとか。
逃げたい気持ちもまだたっぷりとある。
他の人の人生が羨ましくなることもある。
自分で今気付いてる能力的なものも、はっきり言って私は自分が適任だとは思わない。
他にもっと上手に使いこなせるとか人のために役立たせることができる人がいるんじゃないかとさえ思う。
しかも、それも気のせいじゃないかとさえ未だに私は思っている。
たまたま結果が出来過ぎなぐらい上手くいったけれど、本当はたまたま人が良くなったり、たまたま変わるきっかけになっただけなんじゃないかと思っている。
7/31 9:02
上の文章を書いた後、私は部屋のカーテンを閉め切って、ヒーリング用の音楽をかけた。
ノートに、出てきた記憶や感情を出たままの言葉で、そして出てきたタイミングで書き出した。
途中から涙もボロボロ出てきた。
1時間くらいそんなことをした後、違うことをしたくなって、しばらく開かなかった友達から借りた本を開いた。
今のタイミングで読むようになってたんだなと思いながら読み進めた。
本を読むうちに本を抑えている自分の右手を眺めた。
手を見てたらまた泣けてきた。
私は自分の手の形や見た目が好きじゃない。
自分の体に対して思うことはあれこれあるけれど、そして思うことの9割は否定するようなことだけれど、手も他の部位も私が好きじゃないとか見た目がブサイクだななんて思っていても、そんなの全く気にせずに黙って私の脳からの指令の通りに動いてくれてる。
私の意思に必ず添って、いつも黙って働いてくれてる。
そう思ったらまたまた泣けてきて、だから泣いていた。
手を見て泣いていた。
今日はその後も手に注目した。
手はプロのスーパーアシスタントだった。
ペンを握って文字を書いたり、エアコンのスイッチを切ったり、包丁を持って料理したり、指先で窓から入る夏の風を感じたり、箸を持って食べ物を口に運んだり、洗い物を器用にしたり、ハンドルを握ったり…。
風呂の中で本を読んだ時に気付いた。
私の目は文字を追って、心の中に物語を思い浮かべて…それに集中できるように手は黙って本を抑えて本が見えやすい位置にずっとセットしてくれてた。
ものすごい有能なアシスタントだった。
大事にしようと思った。
どんな時も文句の1つも言わずに働き続けてる自分の体を大事にしようと思った。
40年近く、故障することもほとんどなく常に私の意思に沿って働き続けてくれてたことに、本気で初めて感謝の念が湧いた。
しばらく気持ちの吐き出しに忙しくなりそうだし、その分感情の振り幅も凄くなりそうだけど、こんなの自分しか付き合えないから、できるとこまでやってみようと思う。
7/31 22:28
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