『88888』の記事の8割は書き終えた。
昨日はひたすら書いて、書いて、書きまくった日だった。
その中で補足説明したいなこれ、というのがあったから、今日はその話。
1年前の夏からこの春先までしていた派遣の仕事の時のこと。
私は仕事を始めた当初、1日の中でほとんど喋らないという環境そのものがものすごく不慣れで、忙しかったから良かったものの、何でこの仕事に就いているんだろう?と真面目に思った。
私はどんな仕事をしていても、仕事内容や仕事の名称は関係なく、とにかく「人・人・人」が仕事の真ん中にあって、人とのコミュニケーションは常にマストだった。
その中で一番話さなくて良かった仕事でさえ、1日2時間ないし3時間は何だかんだと話さなければいけなかったと記憶している。
その仕事の時は話す時間は少なくても、そのための準備がものすごく必要だったし、期限も常にあって、常時とても慌ただしい仕事だった。
そんな私が朝から晩まで、仕事の質問をする時以外は話さない、だから1日の大半は話さないなんていうのは初めての体験だった。
ひたすら紙と戯れて、事務用品を触って、たまにパソコンで入力する、そんな仕事だった。
電話についても、私は出なくていいと言われていて、よほど手がない限り出なかった。
私はよく覚えている。
仕事始めてまだ2、3週の頃、会った友達に
「こんなに話さない仕事初めて!挨拶さえもするかしないかよくわかんない職場なんだよ。下手したら、その日1日挨拶以外口開いてないかもっていうぐらい。これはさ、自分の内面を見て、今後どうするか考えなさいってことなのかな 笑?」
と私は言った。
当時の仕事のもう1つの特徴は、頭をあまり使わなくていいことだった。
それまでの仕事は、マニュアルのある仕事もあったけれど、大半はマニュアルはなかった。
答えのないことをその場限りで対応することがとても多かったから、頭は常にフル回転だったし、とにかく目の前の相手に全力で集中していないと務まらないような仕事ばかりだった。
それらと比べて、その時の仕事は頭もほとんど使わなかった。
全く使わないわけではなかったけれど、使うとしてもその仕事を忠実にこなすための集中力という感じで、人相手の時のような頭の使い方は一切しなくて良かった。
だから仕事中にあんなに静かにして、目の前の作業にだけ注意を向けていたらいいなんて、本当に初めての経験だった。
だけど、人間不慣れな事態というの不慣れなもので、無駄に考え出す。
何でこの仕事をすることになったんだろう?って。
表面上は、とりあえず働かなきゃという理由で働いていたにしても、それだけなら他の仕事でも良かったはずなのに何でこれ?と思ってた。
しかも2009年のガチの就職活動、2015年の秋の仕事探し、2016年の春から夏にかけての仕事探し、その3つを合わせたら60社以上は何だかんだと受けたり問い合わせたりしたと思うけれど、とにかく本命以外は落ちる。
本命というのは、私が行きたいという意味の本命じゃなくて、私の人生にとって必要かどうかという意味での本命。
だからその3つの時に共通しているのは、決まった仕事は全く心惹かれないものではあったけれど、終わってみると必要があって行ったことがわかるというものだった。
だから、その去年の夏の仕事はこれまでにない速さで決まって、私に考える余地もほとんど与えず、即決即断みたいな感じだった。
それは前代未聞だった。
あまりにスムーズだったから、そうまでして行く必要って何かな?とそれは最初の頃から思ってた。
なのに、いざ行ってみたら何で行ってるの?と私は混乱した。
仕事内容はそれまでの仕事と比べたらあまりに特殊過ぎて、私は早々とこれは仕事で何かを学べということではないなと思った。
もちろん、テプラの使い方やコピー機の使い方なんていう超基本的なことはあれこれ学ばせてもらったけれど、そういうことではないのは気付いてた。
定時きっかりに帰れるわ、人的なストレスや後に引くことも皆無で、これはアフター5に何かしろということなのか?と考えたこともあった。
そしてもう1つ。
その仕事こそ私じゃなくても誰でもいいなんて言ったら語弊があるけれど、本当にどうでも私でなくていい仕事だった。
仕事内容だけ見たら、私じゃない方がいいんじゃないかと思ったぐらいに。
適性を見たら、私は10人いたら10番目になる、それぐらいに適性のない仕事だった。
秋ぐらいにはようやく気付いて、辞めた今ははっきりとわかる。
とにかく当時大切だったことは、私に「無」の状態を絶対的に作ることだった。
頭も使わなくて良ければ、対人的なことでのストレスも皆無だった。
さらに、私の仕事は期限のあるものがほとんどなかったから、自分のペースでやりやすいようにできた。
私は人のペースで動くともっと効率が悪くなるタイプだから、自分のペースで仕事をさせてもらえるのはこの上なくありがたかった。
スピード感とか求められると私はそれがストレスになるから、それがないのも良かった。
これまでの仕事みたいな人をしっかりと見るための集中力や分析力も不要であれば、常に自分以外の目の前の仕事や人に注意を向けないといけないような緊迫感も一切なかった。
代わりに私には自分の内面だけを黙って見つめる機会が与えられた。
自分の心の動きを見る、本当にそれが当時の私の、裏の本命の仕事だったと思う。
多分そこまでの環境が与えられないと私は気付けなかったから。
心を鎮めて、自分の心の動きに注目する、そのための環境設定だったと思う。
自分でシミュレーションするとわかる。
実際に去年の夏に起こったことが、過去の別の仕事の中で起こったとするなら、私は100%スルーした。
目の前の人や仕事に忙し過ぎて、何か普段とは違ったことが起こっても、そこに注力できるほどの心の余裕がないから。
だけど、大切なことに気付くには、不器用で鈍感な私には、それ相応の環境設定がないといけなかった。
1日黙っているとよくわかる。
自分の心の動きも、周りで起こっていることも。
私は抵抗と否定という二本柱で戦おうとしていたけれど、それをしたところで太刀打ちできてない自分のことも知ってた。
表面は静かに黙々と仕事をしていたけれど、内面はものすごく騒がしくて忙しかった。
心のセンサーはどこまでも過敏だったし、私にはそれを感知してそれが何かを考えるだけの余裕が仕事中に与えられていた。
そこで起こった全てを体験してくるためにその仕事に就いたと考えるなら、その仕事が即決即断で異例のスピードで決定したことも頷ける。
本気の大本命がそこにはあったから。
環境というだけではなく、本気の大本命がそこにはいたから。
全体的に静かな職場だった。
他の人たちは私と違って、期限もあれば人との対応もたくさんあったし、上になればなるほど責任もあれこれ伴っていた。
私にはすごい衝撃だったけれど、それは私だけだったのかな…と最後までそれは思った。
私の人生にはすごいパンチが効いていたけれど、相手には何のパンチもなかったのかなぁ…と。
私が何か与えてたということではなくて、見えない部分からの意味不明な何か異変みたいなのはなかったのかな…と。
社内のシステムみたいな感じで、システムに異変があると、それ自体は見えないから私たちにはわからないけれど、でもパソコン開けば全員のパソコンに影響を与えてる。
地震もそうだけど、地震そのものは見えなくても地震が起こったらその場にいた人は体で感知する。
どう表現していいのかわからないけれど、私が個人的に一方的に色々熱くなってただけではなくて、本当はそのようになる大元の何か別のものがあって…と考えたら、それは私だけが感知するレベルのものだったかと言うとそうではない気がする。
結果だけを見れば「何もない」と言い切れる。
あれば今はもっと違う状況になっていたと思うから。
ただそれにしても未だもって色んな影響が続くのは、何なんだろうと思う。
人は多かれ少なかれ周りから影響を受けるし、それは私が気付いてないだけで私も周りに何かしら影響を与えてることもあると思う。
だけど、表面きってはもう何もない、本当に無なのに、見えない部分からまるで「思ってるのとは違うからね」と言わんばかりに私にわかるように、それがサインだったり不思議なシンクロだったりするのは何だろうと思う。
昨日もひたすら書きながら、私はこのストーリーたちが伝えてくるメッセージの大きさに改めて驚いてた。
「人知を超えたレベル」なんて言うのは好きではないけれど、本当にそうとしか言いようがないことのオンパレードだった。
『88888』を書いていて思った。
去年の夏の環境設定無くしては、今年の夏の88888のストーリーに繋がることは絶対になかった。
何でそれが1年経ってもその流れが健在なのか私にはその理由はわからないけれど、事実起こってくることの源流には去年の夏の出来事が大きく関わっている。
ちなみに。
私にはものすごく影響力のある出来事だったけれど、第三者からすると「だから何?」と言われかねない内容。
だから私にしかわからない話なのかもしれない…。
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