≫2018年6月16日(土)
88888kmポイントを無事通過した後、その日の目的地の手作り市に向かった。
その道を何度か通ったことがあるから知っているけれど、超ド田舎。
普段はのんびりゆったりとした国道?県道?で、適度に通行量があっても渋滞なんて絶対に起こらない。
ところがそのスポットの1km前ぐらいから突然車が動かなくなった。
正直なところ、私は行ってみたいとは思ったものの、そのイベントがそんなにもすごいイベントだとは全く思ってなくて、「全国各地」とか言っているけれど、それも言葉を盛ってるんじゃないかとさえ思っていた。
新潟県内の中でも、本当に便が悪い所で、高速下りても普通に20分くらいは走らないと辿り着けない場所だと思う。
しかも周りには何にもない。
公共のものはいくつかあるけれど、そういうところは大抵人里離れてる。
そこもそうだった。
やっと臨時駐車場に着いたけれど、今度は駐車場探しに奔走した。
何で他の軽の人たちが止めなかったのか知らないけれど、私は丁度1台空いてるところを
見つけてそこに止めて会場へと向かった。
会場に向かう途中、出展者たちと思しき大きなバンタイプの車の前を通った。
全国とは本当で、北は北海道、南は九州まで、全国各地のナンバープレートが結集していた。
会場に行くと、200近いブースが出ていた。
着いた瞬間、自分がすごく好きなタイプの市だと知った。
とにかく作家さんたちが手作りの1点ものだけを販売するタイプの、そういうブースばかりだった。
とりあえず気になったブースには足を止めて見て、そしてまた次、また次と見て回った。
途中で他の人たちがパンフレットを持っていることに気付いた。
何せすごい数のブースだから、気に入った店の場所を記憶できない。
私は本部と思しきところを探して、そしてパンフレットをもらって、それでまた見て回ることを続けた。
今回の予算3500円。
たくさん買い過ぎないように、そして本当に欲しいものしか買わないように、あえてお金は最小限にした。
そしてそのお金は、通常の給料とは違うところから来たものだから、そういう一生モノとかの時に使うお金にしている。
なければないでいいし、あってもそれ以上のお金を出して買うものは今のところないから、そういう意味での上限設定だった。
半分も見て回らないうちに、1軒すごく惹かれたお皿に出逢った。
一目惚れだった。
私の記憶にある限り、器の中では人生で一番惹かれたお皿だったと思う。
器に恋をしたと言ってもいいぐらいの惹かれ方だった。
でも、まだ半分も見ていない。
そしてそれに決めていいのかどうかもわからなかった。
ペンジュラムはYESを出してくれていたけれど、でもでも待って待って、よく考えて!と思って、私はその後猛スピードで残りの半分を見に行った。
周りの人たちの倍ぐらいの速さで歩いて、少しでも気になった店は実際に物を見て、それで野球場2つ分ぐらいの広さの敷地を一気に見て回った。
やっぱりあの皿だと確信した。
行く前に賭けをした。
本当に私のところに来る予定のお皿なら残っている。
でも私とご縁のない皿ならもう売れた。
そのお店は、少し他の店とは違っていた。
やたらと繁盛している器の店というのとは違っていた。
反対にがらんとしているわけでもなかった。
適度に人が出入りして、そして一度その店に足を止めた人たちは皆しばらくそこに長居して器を眺めるという感じだった。
その滞在時間がけっこう他の店に比べて長くて、そして寡黙な店番のおじさんが時々質問があれば答えていた。
力が入っているんだか入っていないんだかよくわからない店だった。
そして私はそのおじさんは店番を頼まれた人だとずっと思っていた。
なぜならおじさんの格好と器のセンスとがあまりにかけ離れていて、この人は雇われのお手伝いさんなんだと思った。
おじさんの服は、イオンとかアピタの還暦オーバーの人向けの紳士服売場に売ってそうな服だったから。
父のプレゼントでお世話になってる売場だから、私にはわかる。
三越とか高島屋では絶対にない、イオンかアピタ。
メガネだけやたらとお洒落で、それだけが全体的に浮いていた。
だから若い作家さんとか、もしかしたら息子や娘なんかと組んでいて、お父さんが今日は売場担当ね、なんてことになってるのかもしれないと勝手に想像した。
私はお目当てのお皿が残っていますように!と真剣に願いながら、おじさんの店に戻った。
お皿はきちんと残っていた。
3枚あるお皿のうち、私は2枚だけを買おうと決めていた。
一度目に寄った時は気付かなかったけれど、その時3枚を見比べて1枚1枚が違うデザインであることに初めて気付いた。
微妙に違う。
3枚のうち1枚はすぐに決まったけれど、残りの1枚が決まらなかった。
しばらく悩んで1枚を選び、念のためペンジュラムにも聞いて、それで2枚を手にしておじさんにお願いしますと言って渡した。
その時におじさんに聞いた。
「このお皿1枚1枚手描きなんですか?」
「そうだよ。器好きかね?」
「はい。すごく好きです。もしかしてこれはこの1枚しかないものですか?」
「その通り。どれもこれも1点モノだよ」
「私、器は器でも1点モノのお皿が一番好きです!器だけじゃなく、基本的に物は何でも『世界に1つしかない』というのが私の中では一番ツボなポイントです」
そこから始まり、おじさんは私のお皿を丁寧に丁寧に新聞紙で包みながら話を聞かせてくれた。
「昔は物をたくさん持つことがステータスだった。
でも今は時代が変わって、物を持たないことがステータスになってる。
だから物を持つことに対して、個人がものすごく選ぶ時代で、まさに物とは一期一会で巡り合う、そういう風になっている。
そうした時に、自分は確かに器を作って器を売っているけれど、器を売っているわけじゃないんだよ。
僕が売っているのは、物なんだけど実際はその物の後ろ側にある物語で、お客さんにはその物語を買ってもらっている。
例えば今回買ってもらったこの器、赤い線が入っているでしょう。
これには2つ意味があってね。
そもそも僕は阪神大震災で全部を失った。
家も工房も全壊だった。
その後同じ土地に構えることも考えたけれど、それを機に田舎に移って、田舎の良い時間で器を作るのもいいなぁと思って、それで今の北海道の場所に工房を新たに構えたんだよ。
だから今もお客さんのほとんどは京都の割烹や料亭が多いね。
元々そちらのお客さんとやりとりしていたからね。
で、東日本大震災があったでしょう。
宮城県知事というのが、僕の後輩でね。
村井にある時言われたんだよ。
復興のために力を貸して下さい、と。
それで自分には何ができるだろうと思って色々考えた結果、自分の作る器にこの赤い線を入れることにしたの。
赤い線に込めたのは2つの意味。
1つは、赤は『邪気を払う』という意味があるでしょ。
だから邪気払い。
そしてもう1つは、赤い線だから『大切な人と繋がる、大切な人と人とを結ぶ』そういう意味を込めたんだよ。
だからそれ以来自分の作品には赤い線を入れるようにしている。
そうやって物語をお客さんに伝える。
そうすると物の向こう側にある物語がお客さんの人生に今度は新しい彩りを添える。
お客さんがその器を使う度にその話を思い出したり、もしくはその器と新しい物語を紡いだりする。
そういうものをお客さんに売りたいと思っている」
「あとね、裏側見たかな?
裏側も1枚1枚デザインを変えているんだよ。
これはね京都のワコールでデザインをしていたハスミという友達が教えてくれたんだよ。
ハスミが言ったんだ。
『女の人は見えないところでおしゃれするのよ』って。
だから下着をデザインする時は、その見えないところまでを考えてデザインするって。
それで僕も器の裏側、普段は目にしない部分にも気を配るようになった。
だから割烹や料亭なんていうのも、そういうことをオーダーしてくる。
女性のお客さんが多いから、細部にこだわって欲しいと。
しかも同じようでいてちょっとずつ違う、そういうものを作って欲しいと。
そういうのが女の人たちを喜ばせるからって。
村井もだしハスミもだけど、僕は周りの人たちからたくさん支えられて力をもらって知恵をもらってそれで自分の作品を作っている。
タオルを絞るように、最後の一滴までしぼり出すようにして、自分の脳みそを極限まで使ってアイディアを出すんだよ。
でも自分だけじゃ心許ないから、足りないところはそうやって周りの人の知恵を借りる。
人間はばかなぐらいがかわいい。
人間できない方がいいんだよ。
そうすると周りの人たちが助けてくれるから。
自分1人で全部がんばってしまうと、そしてそれでできてしまうと、周りが助けられないだろう?
でもできないと周りが助けてくれる。
だから自分1人で何でもかんでもがんばらない方がいいんだよ」
10分ぐらいだったんだろうか。
私はおじさんを独占して、その話をずっと聞かせてもらっていた。
他のお客さんが待っていて、包装がちょうど終わった頃その話も終わった。
私はおじさんにお礼を言って、来年も来る予定であることも確認してその場を去った。
私はお皿を2枚買っただけだった。
1枚900円のお皿で、2枚で1800円。
これは900円のお皿ではなかった。
それ以上の価値と意味を持ったお皿だった。
そして私はそのおじさんの話を聞いて、1つ自分も願い事を決めた。
私はそのお皿を自分はこれから時々使うにしても、それを誰かと使う時は特別な縁を結んだ人に限ろうと。
その器を一緒に使う人は、その大切な誰かに限ろうと決めた。
それまでは私の方で大切に保管しようと。
私は次の気になったお店へと向かった。
予算の都合&使い道の都合もあって、私は確実に使えるものを探していた。
ちなみにさっきのおじさんのお店で買ったお皿は、デザート皿に決定した。
ケーキとかちょっとした果物なんかを乗せる時にものすごく映える。
何せ今の日常のお皿(母セレクション)は、ヤマザキのパン祭り系が5割、残りの5割も昭和の時代から引き継がれたようなものが大半で、全くテンションが上がらない。
私が個人でお気に入りの食器類を使う時というのは、デザート系の何かをいただいた時に使うぐらいだから、それに準じた使い方ができるものにしばらくは限る。
2軒目のお店には箸置きが売られていた。
しかもその箸置きがとてもきれいな色で、そして1つ1つ手作りされているということは見てすぐにわかった。
箸置きを使う習慣は全くないけれど、私は時々ひとり飲みの時やひとりおうちカフェの時には箸置きを出して使っている。
箸置きがあるだけですごいおしゃれに仕上がってテンションが上がるから。
だから私はいくつか箸置きを持っている。
名古屋にいた頃は、友達が来てくれる時にも出したりしていた。
そのお店の箸置きも気に入って、そしてそれならおうちカフェで活用できるなぁと思った。
私は1つ1つ見て、1つ目はすぐにぱっと見て決められたけれど2つ目はなかなか決められなかった。
ペンジュラムを出してどれにするかを最後は決めた。
多分これ!というのを決めてから、最後にそれでいいよね?の確認で。
こういう場所だし、私はもう二度と会わないと思うと平気でペンジュラムを出して確認するようになった。
そこに添えてあるメッセージも良かった。
箸置きも色んな形があったけれど、私の買ったものは葉っぱの形をしていた。
そこにはたしかこんな感じのメッセージが説明書きとして書かれていた。
『いただきます
ごちそうさまでした
ありがとうございます
どういたしまして
言の葉
それは愛の葉』
そのメッセージもすごく気に入った。
元気の良い爽やかで朗らかな私ぐらいの年齢の男性の店主さんに持って行った。
私はその人の年齢を知らないけれど、仮に私より上でもその人のことは「おにいさん」と呼びたくなる。
本当に若々しい感じの方だった。
そのおにいさんは私に真っ先に聞いてきた。
「その水晶みたいなのなんですか?」
私はペンジュラムという名前で、それで自分に合ってるものかどうか、そういうのを見たりする道具だと説明した。
「じゃあ波動とかそういうのを見るんですね」
私は実際に実演をして見せた。
例えばと言って、他の商品にかざして普通に時計回りに回って、
「これはYESという意味です。物から良いエネルギーが出ている証拠です。
で、この買うものにかざすと…。
わかります?
くるくる回る前に最初横揺れしましたよね?
あれは私にとってスーパーYES、私に合ってるよという意味なんです」
「すごいですね!?
そんなことわかるんですね?
それも勝手に動くんですよね?」
「そうです、そうです。
良かったら持ってみます?
持ってみたらわかりますよ、これが1人で動くということが」
おにいさんにペンジュラムを渡して、使い方を簡単に説明した。
黙って持ったままのおにいさんが
「ほんとだ!
勝手に動きますね!
これ僕じゃないですね!!」
「でしょでしょ!?
そうなんです。
持ってる人の意志とは関係なく、ペンジュラムは動くんです!」
おにいさんは私にペンジュラムを返して、箸置きの包装を始めた。
包装をしながら教えてくれた。
「この箸置き、まぁ箸置きじゃなくてここに置いているものみんなそうなんですが、水晶が入っているんですよ。
水晶を砕いたものを一緒に入れてこういう陶器のものは作るんです。
水晶はSiO₂、シリコン+酸素で二酸化ケイ素って言うんですけど、それを入れてるんですよ。
水晶って『幸せを呼び込む』って言うでしょ?
その意味も込めて入れてるんです」
さっきのおじさんが言った通りだった。
このおにいさんも物語を売っている。
自分の想いを形にしてそれを売っている。
私はさっきのおじさんの話のその部分だけささっと説明して、まさかその直後に同じように今度は別の物語を聞くことになるとは思わなかったと言って、うれしさのあまりそのままの感想を伝えた。
おにいさんも喜んでくれて、本当に良い買物ができた。
話に夢中すぎてお代を払い忘れていて、最後に慌ててお代を払った。
490円×2=980円。
最後にもう1つ革のシンプルな飾りがついたヘアピンを300円で購入して終わった。
この夏はもうこのまま髪を切らずに1つにしばって過ごそうと思って、それ用に1つ買った。
予定通り3500円以内に収まったし、そしてとっても心が豊かになる買物ができた。
その後Wi-Fi が繋がるカフェに行った。
アメリカ人の著名なヒーラーさん(ヒーリングを施す人)の動画を見るために。
その日の動画は88888kmの話にぴったりの話だった。
そのヒーラーさんは、自分がヒーリングの仕事を始めようとした時、離婚の直後で精神的ダメージはでかいわ、お金はないわ、先々のことが真っ暗すぎてどうしていいのかわからない状態だったとのこと。
その時にそれらを打破するメッセージやサインを色んな形で受け取っていた。
その時の話をあれこれ例を交えながらしている動画で、私は一旦動画をを止めて、88888kmに至るまでの色んなストーリーを1つ1つ思い出していった。
1つ1つが不思議な形で繋がっていた。
私はノートの端っこにごちゃごちゃとそこに至るまでのことを箇条書きにした。
そして最後の箇条書きにこう書いていた。
「○○さんにつながっている⇒見守られてるようにかんじる」
連絡が取れるわけでもないし、相手からは何にも反応がなくて相手にとっては私と出会ったことは何の意味もなく、私がしたことで若干気に障るようなことはあってももうそんなことも忘れ去って今の日常にいるんじゃないかと思ってはいる。
その出逢いを意味のあるものにしたいのは私ひとりの勝手な思いであって、相手にしたら迷惑万来、それ以上でもそれ以下でもない、というよりも黒歴史的なブラックボックスに自動的に投げ込まれていてもおかしくない。
でもこの日1日見たストーリー、そこに至るまでのストーリー、88888kmを過ぎた後の新しいストーリー、その全部はどこまでもやさしくてそこまでも温かいぬくもりに溢れていた。
もしその人がめちゃくちゃ悪い人で、心根が腐っていて、心のかけらも持ち合わせていないような人だったとしたら。
私がその全部を補うぐらいに善人で、心根が素晴らしくて、そしてとってもピュアな心を持ち合わせていたとしても、このすべて起こったことは引き起こせない。
そんなやさしさやぬくもり、不安も心配もいっぱいな私の人生を丸ごと大丈夫と肯定してもらったような、それぐらいの強力なパワーをもらった。
そしてその強力なパワーは、その人の人間性や心に直結している気がする。
その人の持ち合わせているものが良いものだから、それがそのまま私の方まで伝播して私にまで良いものをもたらしてくれてる気がしてならない。
前編でも書いた通り、88888kmの到達ポイントは、その人が絡んでなければ、何一つ意味のない場所だった。
本当にこれと言って特徴的なものはないし、日本中どこにでもありそうな田舎のちょっとしたにぎわった場所でしかない。
その人がその場所に住んでいなければ、本当に何の意味も持たず、こんな風にわざわざ文章をひたすら打ち込んで記録にする価値さえなかった。
たった1人の人がそこに住んだという全人類の規模から見たらとてつもなく小さな歴史のおかげで、私にはそこがある種のパワースポットではないけれど、意味のあるスポットに変わった。
その人にそういうことを教えてあげたかったなぁと思う。
教えたら住所を知ったことでストーカーと思われて警察に通報されたかもしれないけれど、それでもその人のすごさをその人は絶対にその100分の1もわかっていなさそうだから、それがせめて100分の2ぐらいになるように教えてあげたかった。
多分その人は自分のことをとても軽く見積もっていると思う。
自分の能力も人としての素晴らしさも、その半分どころじゃない、本気で100分の1ですかと言わんばかりに少ししか受け取っていない。
とにかくこれだけのすごいストーリーを運んで来てくれる起爆剤となっているのは間違い
ないから、本当にすごい人だと今でも思っている。
私の善の行いなんかはたかが知れてるから、それだけでこれだけのことは起こせない。
この間の東京でのヒーリングを受けてわかったことの1つは、私の場合、多分通常の人の100倍以上は善な行いをしないと、何かしら善いものは受け取れない気がしている。
なのにこれだけのことを受け取れるというのは、もう陰で何か別のところから力をもらってるとしか思えない。
少なくとも、その人がその部分を本人の自覚の有る無しに関わらず、私に与えてくれてる気がしている。
だってその人なしでこれら全てのことを語るにはあまりにも無理がありすぎるから。
その人がいてのこれら全てのストーリーと言うならまだわかる。
でもその人なしで語ると、ただでさえ痛い人みたいな話がさらにもっと痛い人になる。
だから私はあの時に、「○○さんにつながっている⇒見守られてるようにかんじる」と咄嗟に思って書いたんだと思う。
≫2018年6月17日(日)
前の職場の人たち3人と私とでモーニングをした。
私はその日、花ちゃん(仮名)に花ちゃんが師匠から洗脳されているかもしれないということと、私がその人のエネルギーに間接的にでも触れると寝込むぐらいに具合が悪くなるからもう今後は花ちゃんと2人きりでは会えないという告白をするつもりで出かけた。
私は前日の88888kmに至るまでのストーリーと至った瞬間のビッグポイントとそしてその後の素敵なストーリーたちのおかげで、花ちゃんに伝えるのは大丈夫かもしれないと思えていた。
多分悪いことにはならない。
これ以上ないタイミングですべてが起こっていたから。
絶対に大丈夫だよ!のサインをああいう形で見せてもらって、これが悪い方に行くわけがないと思った。
発起人のKさんは、私と2人で会った時に聞いたことはおくびにも出さず、これまで通り振る舞ってくれた。
Kさんは有言実行で、花ちゃんともこれまで通り接していた。
Kさんが用事があると言って先に帰った後、Yさんが口を開いた。
「実は今日Kさんと2人きりで会おうか、って最初言ってたの。
でもちょうどほら飲み会の話がきたでしょ。
それでみんなも断ってまた今度会おうね~みたいな話になって。
そんな折にKさんから連絡来たから、せっかくだからみんなで会うのもいいかな~なんて流れになって、それで今回のモーニングになったんだよ」
と教えてもらった。
だからそもそもその日にモーニングをするには、その前にYさんとKさんで会う話が2人の間で出てないとダメだったし、さらにはその前に前の職場の有志での飲み会の話が出ていなければダメだったとわかった。
飲みに関しては、私は交通手段がないと言えばまかり通る地域に住んでいるから、どうとでも断れる。
だけど、内輪だけで集まってごはんとかお茶となれば、今後断り続けるのは難しい。
だからKさんに個人的に相談して、それで今後どうやって花ちゃん含めた周りの人たちと付き合っていくのかを一緒に考えてもらった。
そもそもそんな話にならなければ、Kさんと2人で会うこともなかったし、そして40kmぐらいはその日に走ったことがないことになってしまうから、そうなるとやっぱり88888kmをあのタイミングでは出せなかったなぁ…なんて思ってた。
Yさんも帰って、とうとう花ちゃんと2人きりになった。
その時のことは前のブログで書いたから省略するけれど、とにかくその時の私は全部の神経を使って花ちゃんに色々と話を切り出した。
花ちゃんがわかってくれたのはすごく良かったけれど、話の最中にすでに身体に異変が出ていたから、それもそれですごい怖かった。
話している時に、口の辺りが麻痺しているみたいな変な感覚がどんどん出てきた。
そんな風に過去に一度もなったことがなかったから、今回も何事もなく…というわけにはいかないかもしれない、と実はかなり弱気になっていた。
前回5日間寝込んで完治するのに3週間も要したから、今回も何かあったら怖いという気持ちはあった。
しかも見えないところからやられるから、余計と怖かった。
今回は師匠的な人を名指しで直接全部言ってるから、何がどうなってもおかしくないと思っていた。
実際にその師匠とやらは、花ちゃんが私とコンタクトを取っただけでそのエネルギーの違いを即感じ取れるだけの能力はあるから、そしてそのおかしなエネルギーの人(=私)と付き合うのを止めるように花ちゃんに言うぐらいの人だから、本気で怖かった。
水晶でもかざして、白雪姫の魔女みたいにこちらの様子を伺ってるんじゃないかと思うぐらいの怖さがあった。
だから私の体調の予後について予測不可能過ぎた。
花ちゃんとはとりあえず円満に話が終わり、花ちゃんとは別れた。
父の日だったその日、店の前で父と母と待ち合わせた。
父の運転する車の後部座席に座った。
ビックリした。
目の前の車は、その88888kmの主役の人の車と同じ車だった。
しかも片道2車線でこの辺りではとても交通量の多い道路なのに、その車が国道沿いのラーメン屋に入るまでずっと目の前を走っていた。
2kmぐらいはそうだったと思う。
途中で信号はたくさんあるし、普段なら前に他の車が入ってきてもおかしくない。
なのにその車がラーメン屋に入るまでずっとずっと目の前にいて、私はそれを見てどれだけ安心できたかわからない。
さらにごはんを食べに行く前に、母のスポーツシューズを買いにスポーツ用品店に行った。
この辺では1番2番を競う面積を誇る店舗だと思う。
店に入ってそのシューズの売場を探すためにあちらこちらを見て回った。
その時に、その人が仕事用に使っているリュックと同じ形のリュックが至るところに展示されていた。
今の流行りなのか何なのかは知らないけれど、とにかくそのリュックがたくさん飾られていた。
車もリュックも想定外のサインだった。
たかが車、たかがリュックかもしれない。
だけど、私は本当に力を使い切って、心はMAXに緊張にさらされていたから、そんな時にその人に関連するものを見せてもらえて、本当に嬉しかったし心強かった。
父と母と別れて、私は自分の車に乗り換えて帰路へと向かった。
1人になって初めて私は泣いた。
怖くて泣いた。
緊張の糸が切れた。
身体だってこれからどんな風に症状が出るかもわからない。
多分大丈夫だと思うけれども、相手は謎の力をばんばん使える人だから、さすがの私も太刀打ちできない。
怖かった。
泣きながらも、そんな時に出てきた車やリュック、昨日の88888kmに着いた瞬間や、手作り市での出逢い、色んなことに想いを巡らせていた。
目に見える繋がりは1つもない。
相手の最後の表情も忘れたわけじゃない。
あの声の感じも覚えている。
普段の表情でも普段の声でもなかった。
人を攻撃しないというその人が唯一攻撃するような相手だった、私は。
本気でやらかした感満載だった。
そして何度も何度も思った。
いい年した、もう世間ではおばさんと呼ばれるような年齢の独女がこんな風にまともに話したこともない人に惹かれるのは本気でおかしいと。
さらに付き合ってるわけでもないのに、その人がいなくなるとわかった時に日々号泣していた私は本当に「いかれてる」としか言いようがなかった。
私は色んなことを否定したかったし、色々ありえないことを前に自分で自分にドン引きしていた。
そうなんだけれども、結局その人がいなくなってからも、何だかんだと大変な時にはその人を表すサインが送られてきて、しかもMAX大変だった時には私が見てすぐわかるような安心のサインがやってきていた。
状況は大変でも心のお守り的なものがふっと私の日常にさりげなくもたらされていた。
車だって単なる車。
リュックだって単なるリュック。
だけど本当に心が弱り切っている時に、その単なる車が、その単なるリュックが、それ以上のものになる。
その人の車でその人のリュックで、そして弱ってる私の心にそっと何かを伝えてくれる。
こんなこと言ってはなんだけど、陶芸家のおにいさんの方がよほど私の好みだったりする。
私にはないあの明るさと朗らかさとそして信念持って自分を表現しているなんて、頭で考えた時の男の人の好みのドストライクの人だったりする。
背の高さも体格も素敵だった。
だけど私はどういうわけかそういう人に惹かれない。
頭で考えたらパーフェクトなのに、心は全く動かない。
片やその人は、頭では絶対に選ばない人で、その人の持っている色んなものが私はけっこう苦手な部類のもので、極力近付きたくないタイプの男の人という感じだった。
それがもうどうにもこうにもならないぐらいに、体の中の細胞という細胞がその人に惹きつけられてどうしていいのか最後の最後までわからなかった。
そしてそんな結末を迎えて、どうにもならない全てを前に絶望して、それでもその後も何ヶ月にも渡って、私は要所要所でその人に関する何かを見ては元気をもらい続けていた。
私はまた今日常に戻っている。
88888kmは一瞬で終わったし、手作り市の非日常的な楽しさも終わった。
何ならもう次どうするのか真面目に決めないといけない時期に差し掛かりつつある。
それでもその人は私の中にいるし、何かの時にはそっと小さなサインを見せてくれる。
本人が送ってきてるものではないにしても、小さなサインに私は心を癒されてる。
こんなストーカーじみた話で、その人に全て知られてしまったならさらに気持ち悪がられるかもしれない。
でも不思議だな~って思う。
今生きている中で、物でも人でも情報でもとにかく何でもかんでもが溢れ返っている。
技術の発展でさらに色んなものが便利になって、そして何でも調べたら即情報にアクセスできるような時代になっている。
その中で本当に自分にとって意味あるものとか、意味ある人とか、意味ある情報なんて本当に数えるぐらいしかない。
数え切れないくらいの選択肢の中で本当に縁があるものは、世界全体から見たら人間が地面を見下ろした時のアリよりも小さいものではないかと思う。
そんなすごい確率の中で起こっている出逢いで、その出逢いから次々に紡がれたストーリーだった。
そして私はそのストーリーの中にその人がいるのが本当の本当にうれしい。
そんな奇跡みたいな瞬間瞬間にその人の影があるということが私にとってはとても特別でそしてとても大切なことになっている。
88888の奇跡&軌跡は、その人なくしては語れない。
一生忘れない。
その人の人生に私はいられなくても、私の人生にはその人がいた。
その人が現れてくれたおかげで生まれたストーリーだった。
それは私に「生きる」ことを教えてくれるもので、生きていて苦しかったり辛かったりすることがあってもそれでも「大丈夫」とそう教えてくれるものでもあった。
そして私は思う。
結果はどうであれ、そういう人に人生で出逢えることを「奇跡」って呼ぶんじゃないかって。
タイトル:大切な人と繋がる、大切な人と人とを結ぶ
お皿の裏側:女の人は見えないところもおしゃれする
幸せを呼び込む箸置き
福福セットのおうちカフェ
(ケーキは88888の名前にちなんだおいしい洋菓子店のもの)
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