2018年7月14日土曜日

夏色の月

外の音に耳を澄ますと、セミの鳴き声のような虫の声が聞こえた。

もし本当にセミの鳴き声だったら、それは今年初の鳴き声になる。

そこは今年初めて桜を見たスポットでもあった。

毎年、梅雨明け宣言よりも、私はセミの鳴き声を聞いて「本格的な夏が始まった」と感じる。

今年はやたらと早い梅雨明け宣言だったけれど、そして暑いには暑いけれど、まだセミの鳴き声は聞こえない。

100台近く停められる駐車場に戻ると、私の斜め前ぐらいの場所に1台の事業用の車が止まっていた。

PROBOXとかそんな名前の車だと思う。

そこに40代、中間管理職的な感じのおじさんがいた。

熊みたいな体型で、太ってはないけれど、ガッシリとぽっちゃりが混在したような体型の人。

その人が多分カップのアイスクリームを食べてた。

小さなスプーンと思しきものを何回か口に運んでるのを見た。

その姿が本当にかわいらしくて、私はじっと見てしまった。

おじさんだから外見は全くかわいくないんだけど、その風貌とその体からするととても小さなスプーンのミスマッチ、そしてアイスらしきものをこぼさないように丁寧に口に運ぶ様が本当にかわいらしくて私はガン見してしまった。

私とすれ違った女の人たちは、みんな夏の装いで涼しそうだった。

ペディキュア(足のマニキュア)や、サンダル、薄めの生地の服、キュッと結ばれた髪の毛、どれも夏っぽくて「あぁ夏なんだな」と思った。

私は去年半額以上の大幅値下げのセールの時に買った、オレンジとピンクの間の色のロングスカートを履いていた。

足首まで隠れるぐらいのロングスカート。

私はそのスカートが風に吹かれる様がすごく好きで、昨日も風に乗ってフワフワしてる時に、「いい感じ♪」と1人心の中でニンマリしていた。

新月だった昨日、新月の特徴を調べていた。

ある時から、新月や満月の日は、流れと似たことを体験するようになってることに気付いた。

それぞれの新月や満月には、その時々でテーマが違ってくる。

その時のテーマと私の人生の流れそのものがやたらとマッチしている、それに気付いた。

一番初めに気付いたのは、2015年の春分の日だった。

すごい倦怠感とだるさ、どんどん広がる原因不明の湿疹、メンタルがやられてるのか何なのか寝込んで、それでおかしいと思って色々調べていたら、春分とかの季節の変わり目もそうだし月の満ち欠けもそうだけど、人間の体のリズムにすごく影響が出るから具合が悪くなったりすることもあると知った。

決して悪い意味ではなく、体の不要なエネルギーを外に出してスッキリさせるための不具合みたいなものだった。

そういうことに詳しい人にも聞いたら、自分の内面や心の動き・体に対して丁寧に見るようになると、ますますそういうことの影響を良くも悪くも受けやすいと教えてもらった。

春先にホロスコープの去年1年の動きをある本で読んだ時に、その動きと自分の人生の流れとがあまりにも重なるから、それからは新月・満月をそれまで以上に意識するようになった。

今回の新月のテーマは、「過去からの傷の癒し」だった。

傷や痛み、悲しみなんかと向き合って手放してく、と何人もの占星術家が言ってたから、あぁなるほど、と思った。

やたらと自分の中にずっとあったものたちがどんどん出てくる、しかもそんなこと知らずに勝手にどんどん出てきた。

それはその時に封印した心の奥の痛みや悲しみも伴った。

ようやくそれを自分が感じられるだけの準備が整ったんだと思う。

出して出し切ったかな…というあたりで、私は自分の言葉で自分の真実を語りたいんだとわかった。

周りの反応を気にして言葉を選んだり、オブラートに包んだ物言いをしたり、世間一般の価値観に合わせて自分の人生に起こったことをねじ曲げようとしたり…、そういうのが嫌なんだとわかった。

アイスクリームを食べてる熊みたいなおじさんの姿のかわいさとか、風でフワフワするスカートの感じとか、そのどちらも他の人たちには理解できない感じだと思う。

でもそうした感覚を私は自分は大事にしたい、と今ようやく素直に思えるようになってきた。

そういう意味で、去年の夏はもったいないことしちゃったなと感じる。

私は自分の中に自然と湧き上がるものを、それは変だとか社会的におかしいとか、とにかく色んな理由をつけて全力で否定しようとしてた。

でもおじさんのアイスクリーム食べてる姿やスカートのフワフワ感みたいに、そんな風にもっともっと楽しめば良かったと思った。

私の心のおしゃべりに気を取られて、肝心な自分の気持ちを忘れてた。

何せ仕事中だったから、まずそれがおかしいと思ってた。

ずっと静かにしてるから、その分心の動きはそのまま私自身にダイレクトに響いてきた。

だけど、「今仕事中だから!」と自分に毎日毎日突っ込んだりもした。

私はそれまでの数々の職場で、ときめくなんていう体験をしたことが一度もなかったから、そして職場結婚の人たちを見て、よくそんなにときめくことができたなと半分バカにしてた。

仕事中にときめくというのが私にはさっぱり理解できなかった。

私は基本的に仕事の時は、完全に心を仕事モードにする。

その時にどんなに私生活で悩みがあっても、全部遮断して仕事をする。

っていうか、そこまで徹底しないと仕事ができないものばかりだったから、余計なことを考える余裕もなかった。

人の命を預かる仕事もあったから、余計に気持ちをあちこちに飛ばしてる場合じゃなかった。

そして私は職場の男性というのは、男性として見る前に人として見るから、まず仕事のできない人はそれだけで私は興味が失せる。

できる人はどうかと言うと、尊敬する→ますます人としてすごいと思う、という今度は性差を超えた人としての魅力に取りつかれるから、これもまたときめきからは程遠い。

だから去年の夏、そんな人生初体験みたいなことになった時、私はものすごく混乱した。

仕事での絡みもなければ、不慣れな仕事で自分にあたふたしてた頃、私はその人を見る余裕なんて全くなかった。

後々になって、最初から声に惹かれて、その人の声を無意識に一生懸命聴こうとはしてたことがわかったけれど、表面きって気持ちが動く様子は微塵もなかった。

声フェチとかじゃないし、そんなのはこれまでに起きたことのない現象だったから、余計と私は気付けなかった。

それがちょっとしたことをきっかけに、一気に気持ちにスイッチが入って、私は混乱しまくった。

はっと何回我に返ったか知らない。

自然とその人を目で追い、耳をそばだてて、そして単に同じ空間にいるというだけで心臓がバクバクして、さらには色んな気持ちがもっと錯綜した。

気持ちの暴走は凄すぎた。

これまでの人生で好きになった人たちが何なのかと思ったぐらいに、最初から次元が違いすぎた。

自然に湧き出てくる気持ちは、単なる好きとかそういうのとはずい分と違っていて、これまでに体感したことのない感情だった。

あまりにも違っていたから、私は今でもその時に何を思って何を感じてたのか説明できるぐらい(さすがに口に出す勇気はない、あまりにも変だから)。

ときめきのない時間を何年も過ごすとこういうことになるのか?とか、とうとう頭がいかれておかしな感情に走るようになったのか?とか、これは何か勘違いによって別の脳内物質が過剰に出てるんじゃないか?とか、まぁあれこれ考えた。

私は最初から最後まで自分の気持ちに対して、疑いとか戸惑いが強かった。

だけど、今思うのは、その感覚で合ってたというか正解なんだと思う。

あの抗えない感じや自然に湧き出る感じは誰でも彼でも出てくるわけじゃない。

むしろそんな感じになった人、これまで誰もいなかったんだから、それを純粋に楽しんだら良かったな…と今さらになって思う。

色んなことが不測の事態だった去年の夏、私は楽しむ前に否定、認める前に言い訳ばかりしてた。

昨日車を運転しながら色んなことを回想していた。

悲しい瞬間は、たしかに心が一定のベクトルの方向に動くは動く。

だけど、それら全部を映画を見るようにしてもっと外側から見た時に、私は自分が持ってる思い出の種類、映画で言うところのフィルムの種類に気付いた。

例えば、人生にはたくさんの脚本を元にした映画のストーリーが存在するとする。

どのフィルムを選ぶかは個人の自由で、その日その時の気分で、じゃあ今回はこの映画を、という風に選ぶ。

私が去年の夏に選んだフィルムは、すっごく素敵だった。

悲しいわ、ハッピーエンドではないわ、ストーリーへの満足度100点とはいかなくても、それでもとても特別なフィルムだった。

それって絶対に持てたものなのかはわからない。

結果的に持てたけれども、最初から予定されてた上映フィルムだったのかは知らない。

でも去年の夏は、たまたま紛れ込んだのか、私の人生セレクションには存在していた。

車の中でアイスを小さなスプーンで口に運ぶおじさんを見る、それが自分では作り出せなかったストーリーと同じで、私がその人に去年の夏出逢うというのも自分では設定できなかった。

自分の人生に勝手に登場もさせられない。

お願いも設定もしてない中、ある日突然その人は私の人生に現れた。

そして現れても当初は相手の存在すら認識できてなかった私に(いるのは知ってたけれど、私の中ではその他の人たちとみんな同じ位置にいた)、ここにいますよ、と本人はアピールした気ゼロでも私には十分なアピール力だった。

多分その瞬間がそもそも存在しなければ、その人には気付けなかった。

そして、その瞬間は、いつからその土地に事務所を構えたのか知らないけれど、少なくとも事務所を構えてから初めて行われたことだと他の人から教えてもらった。

さらに、その日いくつものボタンの掛け違いみたいなことが起こってのその瞬間だった。

それは本当に小さな小さな選択、レベルで言えば、その日何を着るとか、誰がどの順番でするとか、そうしたことたちで、重要でもなんでもない。

その重要ではないことがいくつも重なって、初めてその瞬間が生まれた。

だから一瞬でも1つでもズレてはいけなかった。

例えばたった1つ、順番がズレたとしたら、その瞬間のストーリーは存在さえできなかった。

その一瞬だけのことで、私の人生は想像もしていなかった方向に転がり出した。

その時を境に、無意識に声を聴くみたいなのではなく、意識的にその人の存在を意識するようになった。

だからその瞬間なしでは、多分私は相手の存在、根源的な存在感に気付けなかったんじゃないかと思う。

その過程全部を振り返ると、そもそも出逢わなければ存在すらしなかった悲しみで、それって特別なんだとわかった。

例えば今この瞬間に、その悲しみを見たいからもう一度同じことを体験させてください、などと願っても体験できない。

その人も私ももうその舞台にさえいない。

そして例えば「悲しいストーリー」を見たいとなれば、一応種類は何通りどころか無限大にある。

だけど私が手にした悲しみのストーリーは、その人が入ってるもので、他のストーリーではなくあえてその人が存在しているストーリーを選べたことがすごいことだとわかった。

そしてそれゆえの悲しみであれば、その特別感のおかげで私は悲しいだけじゃない、その悲しみも含めての「言葉では表せない」もっと特別な何かを手に入れた。

「言葉では表せない」と書いたのは、本当に表せないから。

色んな言葉を頭の中で当てはめてみた。

最終的に「もっと特別な何か」としたけれども、本当に言葉では言い表せなかった。

特別だけでもまだまだ足りなくて、もっと他の言い方はないかと頭でいくつもいくつも言葉を当てはめてみたけれど、やっぱりない。

そんなものが、去年の夏私の人生に紛れ込んでくれたおかげで、私の人生にはこれまでにない唯一無二のかけがえのない瞬間がもたらされた。

もう二度とは戻れなくても、その瞬間はこれから先もずっとずっと私の中で生き続けるんだと思う。

去年の夏は、セミの鳴き声も、他の夏の風物詩も何にも記憶にない。

その人のことで頭も心もいっぱいで、そこに集中し過ぎて他はないも同然だった。

名古屋にいた頃、私は初めてセミたちも木を選ぶことを知った。

何せ一軒家とアパート・マンションが乱立する地域だったから、一面コンクリートしかなかった。

一軒家のお宅の庭とか、街路樹とか、それぐらいしか木はなかった。

であれば、どの木にもセミがいてもおかしくない。

そもそもの木の数が少ないんだから、どの木にも一定数のセミがいてもおかしくなかった。

なのに、セミたちは毎年決まって、止まる木と止まらない木があって、それだけは絶対に変わらなかった。

今年のセミが来年もまた生きるわけじゃないから、セミの遺伝子の中に、もしくは自然界の仕組みでそうなる摂理があるとしか思えなかった。

去年の夏のことは、そういうレベルのものだった。

細胞とか遺伝子のレベルで、その人という人を私は認識してた。

その時の感じを「細胞がオン」になってると仮定すると、普段生活してる中で、細胞がオンになることは滅多にどころか私の場合はその時までなかった。

だから普通の恋愛とはずい分最初から違っていたし、あまりに違いすぎて私は戸惑った。

細胞という細胞が目覚める、本当にそんな風だった。

相手はどうだったのかわからないけれど、少なくとも私側は相当強烈だった。

その細胞のスイッチがオンになった場所からこの夏の悲しみの振り返りはもたらされている。

付き合うのに苦手な感情の1つではあるけれど、その人と関係のあるストーリーだから、特別感がある。

それを知らない人生よりも、たとえ悲しみを伴っても知ってる人生の方が絶対にいい。

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