21年前の1997年6月7日、私は日本を出てアメリカに移った。
4年と3ヶ月のアメリカ生活は、私に生きるセンスを与えてくれた大切な時間だった。
法律の厳しさ【追記あり】
NOを言うこと
人を助けること
自ら聞くこと
自分の意見を言うこと
いつからでもスタートできること
自己責任
この辺りが今パッと出てきた生きるセンスたち。
モンタナ州というカナダのすぐ下、西側の州、西海岸と五大湖の真ん中あたり、ロッキー山脈の麓の田舎町で過ごした。
3年生の時、国内交換制度に応募して、1年だけ南部のアラバマ州というところに行った。
まだまだ黒人差別が色濃く残る地域だった。
本当に色んな体験をした4年間で、一生忘れない。
これまで当時のことをガッツリと振り返ったことがなかったけれど、何せ今ホロスコープがマイブームゆえ、そのヒントも欲しくて、またしばらく不定期に当時のこともここに綴る予定(書き物の予定が多すぎて、あれこれずっとそのままなのは気付いてる)。
そのセンスたちのエピソードのいくつかを今日は紹介。
【法律の厳しさ】…最下部に追記あり
法律なんて日本にいると本当に他人事みたいですごく遠い存在に感じる。
せいぜい、車を運転してる時にパトカーが近くにいると、スピードが気になったりするぐらいかと(私の場合)。
アメリカはそうじゃなかった。
とにかく日常に法律が普通に溢れていて、本当に規制されてるんだなと思ってた。
ここからは私超毒吐きます。
いつか小保方さんと呼ばれる女性が論文を引用したしないで日本を騒がせてた頃。
私は「絶対にあり得ない」と思ってた。
あり得ないというのは、彼女の在り方があり得なかった。
私は2つの大学+入学前に英語を学ぶためのクラスをこれまた別の大学で取って、だから合計3つの大学に籍を置いた。
これはアメリカだと鉄板の話で、当たり前のことだったから、私はあの女の人が涙ながらに会見してる姿を見て、本気で馬鹿じゃないの⁉︎演技してんの?ふざけんな!というぐらいに軽蔑して見てた。
毎学期が始まる度に、必ず最初のクラスでシラバスと呼ばれる授業の計画表が配られる。
授業の予定と出席にまつわる決まりと評価の付け方とが説明されるのと同様、どのクラスでも必ず「引用」についての説明があった。
アメリカは引用についてすごく厳しい、というかそれが普通だったから、だから私はあの小保方さんの発言が馬鹿かと思って見てた。
とにかく文中の何かを引用する時は、それを英語でいうところのカギカッコで囲んで、そこに番号や記号を振っておいて、さらには論文の最後に「参考文献」のページを付けて、書籍名・著者名・出版年月なんかを書いて提出しないといけなかった。
引用しなくても、参考にした考えや理論があれば、それも当たり前だけど「参考文献」に含んでおかないといけなかった。
もちろん、書く時には「○○大学のog@w#教授によると」という感じで書き出すことが決まりだった。
これは必須だった。
どの学部も論文を書くクラスは1つの例外もなく、絶対にそれをしなくてはいけなかった。
万が一、無断引用した際は、単位剥奪だけではなく、退学レベルの処分が下されることも、それはそれはどの教授も口を酸っぱくして言っていた。
これは大学生レベルの話。
院レベルならもっとそうだろうし、さらに研究者なら尚のこと。
私は3年生の時、教授のリサーチアシスタントを1学期ないし1年通じてやった。
リサーチアシスタントなんていうと、頭の良い&優等生な感じがするけれど、私がした理由はとても単純だった。
お金がもらえるから。
留学生は校内でのアルバイトしか認められない関係で、リサーチアシスタントはそういう意味で問題がなかったから応募してそれで通った。
全く面白くないリサーチで(アメリカの第一次産業の歴史から読み解く福祉みたいなやつだった)、お金にならなければ絶対に途中で投げ出した。
その時も担当教授から、とても優しくでも完璧なまでに引用や参考文献の取り扱いについて徹底的に手ほどきを受けた。
私の仕事は、教授が指定する資料を集めることと、指定資料の書籍の要約文を作ることだった。
引用文がさらに別の書籍の引用だった場合、それも明記するように指示があった。
そりゃ当たり前だと思う。
それを怠った場合、その人の教授生命が絶たれるわけだから、その辺りは特に特に入念に教えられた。
私の怪しげな英語力については何も言われなかったけれど、引用についてだけは徹底的にマンツーマンレッスンを受けた。
そこまで徹底したものを4年間で叩き込まれた私としては、引用だとか参考文献の取り扱いなんて、本当に当たり前の話だった。
だからあの小保方さんの発言は、言語道断どころか、業界から永久追放でもいいレベルのことだと私は思って見ていた。
本人は絶対に真相を知ってる。
私はあの人は自分のことが恥ずかしくないのかと思った。
私はとてもじゃないけれど、あんなの恥ずかしくて日本全国のお茶の間で放映されるテレビの前で涙なんて流せないわと思った。
涙流すぐらいなら、してはいけないことをした自分の罪をひたすら謝罪するわと思う。
というぐらいに、法律が身近にあった。
もう1つの身近な法律は、「お酒」だった。
今でこそ日本もそこそこ厳しくなったけれど、アメリカほどじゃない。
当時もお酒は飲んでたけれども、本当に堂々と買えるようになったのは21歳からだった(うろ覚えだけれど、確か州によって飲酒が許可される年齢が違ってたはず)。
100%絶対に、身分証明書を求められる。
だから飲みたかったら、買える年齢の友達にお願いするしかなかった。
バーとかも入るのに身分証明書がないと入れなかった。
それぐらい徹底していたから、だからアメリカにいると法律そのものが生活の中に普通にあった。
特に前者の文献引用とかは、あれだけの徹底したものを教えてもらって良かったと思ってる。
【NOを言うこと】
私が日本に帰ってきてからのカルチャーショックの1つが、「つぎ」の文化だった。
あのビール瓶を持って注ぎに回るやつ。
私は注ぐのも注がれるのも両方嫌いで、人生で大真面目に注ぎに回ったのは妹の結婚式の時しかない。
さすがに妹の結婚式の時は、喜んでつぎに回った。
妹たち夫婦の晴れの日のために遠路はるばる来てくれた妹の友達が多かったから、1人1人にお礼を言って回った。
職場でやるように半ば強制的にやらされた時はあったけれど、最初だけやるフリをしてあとは尻尾巻いて逃げてた。
当時の私はビールが嫌いだったから、付き合いで好きでもないビールを飲まなきゃいけないのが嫌だった。
そしてそういう事情が考慮されずになぜか注ぎはビールと決まりきってるのが全然理解できなかった。
本気で注ぐなら、それぞれの人の好みを聞きながら注ぐなり注がれるなりしたら、たとえ面倒でもそれの方が絶対に良いと思ってる。
あれはアメリカでは絶対にないもので、私には本当に理解できなかった。
さすがに今は、年齢が上がって多少は社会的な視野も手に入ったから、相変わらず注ぎには回らないけれど回ってこられた場合、相手に最大の敬意を示してお礼をきちんと言える大人になった!←当たり前か…。
アメリカは飲みの席とかではそこを必ずわきまえる。
「飲む?」って聞かれて「No thank you」と一言答えたら、その後からは絶対に勧めてこない。
ちなみに私の住んでたモンタナの町は、田舎過ぎるせいなのかなんなのか、娯楽がなく「SEX & DRUG」と言わんばかりの性とドラッグが学生や若者の間で氾濫していた。
マリファナは普通にホームパーティ系では目にしてた。
周りでも吸ってる人が多かった。
だけどそれも毎回「フミコも吸う?」と聞かれても一言「I don't」と答えればそれ以上は勧めてこない。
しかもお酒もマリファナも断っても誰1人それで機嫌が悪くなるとか態度変えるとかはなくて、それまで通りだった。
私がもう飲まないと言っても、もしくは吸わないと言っても、何ら変わりなく同じように楽しく過ごせたし、そこは個人の嗜好を最大限尊重してくれるアメリカらしい文化だった。
だから日本のような、特に縦型の会社で注ぎに回って当たり前みたいな雰囲気には、想像以上のカルチャーショックを受けた。
さすがに変に浮きたくなくてそこそこ合わせはしたけれど、内心いつも「何だこれ?」と思ってた。
これだけ読むと、私の反骨精神みたいなのだけがやたらと目立っている…。
私は日本で「沈黙の文化」なるものを学んだおかげで、そして元々人見知り系なゆえ、普段はそんなこと出さないし、しれっと静かに周りに合わせる力も持ち合わせている。
これからも沈黙と主張と上手に使い分けて生きていこうと思っている。
長くなったから、以下の話題はまた次回以降。
人を助けること
自ら聞くこと
自分の意見を言うこと
いつからでもスタートできること
自己責任
【追記】
アメリカの法律の特徴。
それは、「人を守る」ために作られていること。
例えば、無断引用の禁止を徹底することで守られていたのは、それを最初に発信した人の知的財産。
その人の長年の功績とも言うべき積み重ねたものをきちんと法律で守ってあげるということ。
そして大学のような論文を書く教育の場では、特にそこをきっちりしないと、最初に発信した人の人生をも左右するぐらいのことになってしまう危険があるから、そう思うととても納得する。
そして、毒を吐くと、他人の業績をいとも簡単に勝手に取り入れたと思われる小保方さんの、他人への敬意のなさにも驚く。
それを最初に発表した人が積み重ねた研究、日々の小さな小さなことの繰り返し、それを無断で使ったとするなら、無断引用だけじゃない、人としての倫理観が欠如してるとしか言いようがない。
アルコールの購入もそう。
アメリカ自体は色々問題も多い国ではあるけれど、子どもを守るための法律として、アルコール販売の方法を徹底している。
厳しい法律だけれど、その裏を返せば、個人の大切な権利や人生を守ろうという意図が見て取れる。
だからかわからないけれど、著作権がらみの話において、誰1人異論を唱えた生徒はいなかったし、たとえ耳にタコができるぐらいに聞いていてもその部分をすっ飛ばす先生も1人もいなかった。
説明がなかったのは数学とか体育とか論文が絡まない授業ぐらいで、それ以外では絶対に説明があった。
今考えたらすごいことだったんだなとわかる。
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