ホロスコープの講座は色んな意味で行って良かった。
基礎云々よりも、行ってみて自分の道ではないとはっきりとわかったから、それが何よりも良かった。
ホロスコープの講座は、これまでのどんな講座ともタイプが違ってた。
「占星学」という名前が付くぐらい、ホロスコープそのものは学問なんだとわかった。
本気で勉強だった。
しかもホロスコープは感覚で読むというのは上級者の話で、初心者はまず基礎基本を学ぶからそれは「感覚」じゃなくて「理論」で読むことになる。
この理論が実に多種多様で頭の中は大パニックだった。
参加者もこれまで身を置いたことのないタイプのグループの人たちで構成されてた。
とにかく周りにはいなかったタイプ。
私はどうしていいかわからず、借りてきた猫のように大人しくしてた。
あと全体的に女性らしさを出してる方が多かった。
みんなスカートやワンピース着ちゃうようなそんな感じ。
夏場になると体型隠しのためにロングスカートなんていう感じではなく(←私)、本当に綺麗なとか可愛いとかおしゃれな女性という感じだった。
格好はさておいても、これまでと全く違うところは他にもあった。
きちんと話してないからわからないけれど、多分その中の人で占い師目指してる人誰もいない気がする。
少なくとも数人の人たちはみんながみんな「私のホロスコープは…」という下りで話し始めてたから、ホロスコープを読めるようになって他の人たちのものも読みたい!と言うより、自分自身のホロスコープを読めるようになりたい!自分を知りたい!という気持ちで学んでるのではと思う。
だから6回通っても誰とも仲良くならずに終わりそう←これは残念。
心理系のワークショップや読書中心の朝活に慣れてた私としては物足りなさを覚えて帰ってきた。
そうしたワークショップは自分の考えや気持ちをお互いにシェアすることが多いから、それで打ち解けたり仲良くなる流れになりやすい。
反対にホロスコープは「学び」だけあって、そんな打ち解けてる場合じゃなく、私も他の人も講義についていくのに必死だった。
多分大人になってから一番必死で先生の話を聞いたと思う。
それはそうと、ホロスコープは順番を間違えなくて本当に良かったと思った。
学んでみて思ったことは、感情の癒しや自分の内面を見ることをある程度徹底的にしてからホロスコープを知って本当に良かったということ。
もし逆にホロスコープが先でその後に自分の内面を見てたら今ほどに私は自分を見れなかったと思う。
私はこの数年に渡って、自分の中のわけのわからない感情や相反する気持ちや、どうしてそんなことが起こるのかを、とにかく色々自分の中で検証してきた。
感情の癒しもトラウマの癒しもたくさん経験できて、それらは一生の財産と呼んでもいいぐらい。
でもそこまで純粋にできていたのは、何も知らなかったから。
ホロスコープの読み解きを初めて5日目の夕方、あの時に出てきた気持ちや感覚は今でも忘れられない。
あの時に「心の傷を癒すエキスパート」と出てきた。
私の人生の中で、やたらと傷になる体験が多い。
それは自分が引き寄せてると言うより、勝手に起こってくるという感じだった。
だからどう気をつけていいのかもわからなければ、都度都度起きると起きてから自分のケアを始めるという無限ループがずっと続いてた。
大人になる前に自分のことを主張することを覚えた私は、それまでのような自分が色々巻き込まれるところからは離れたけれど、それでもやっぱりどうにもできないことは相変わらず起きてた。
30代はさらにヒートアップして、その混沌たる人生にもはやどう向き合っていいのかもわからず、私は真面目に明日が来て欲しくないとこの10年の中でトータル何年思ったかわからない。
それは自分の内面をケアしたことで相当緩和されたし、今はその1つ1つのプロセスがとっても大事だったと思っている。
私は傷の体験も多かった代わりに癒しの体験もそれに相当するぐらい多かった。
お金を払って人に癒してもらったこともあれば、自分で自分を癒したこともある。
どちらもユニークで、そしてその癒しのプロセスにおいては数をたくさん積んだだけあってバリエーションも半端なくたくさん持っている。
私の場合、効果さえあれば何でも良かったから、手法にもこだわらなかったし、してもらう人もこだわらなかった。
すべてのことを通して言えることは、ここに来るまでに必要な体験は全部もたらされてた。
そしてそれこそが私の人生のテーマだと浮かんで来た。
「心の傷を癒すエキスパート」と出てきたけれども、私が癒すんじゃない。
1人1人が自分の傷を癒す、そのための情報提供や個人対応をするだけ、と思っている。
そしてそのための知恵も専門的な手法も知識も全て手に入った(もちろんまだまだ学びは続くにしても)。
まるでそうすることが約束されてたかのように、人生は組み立てられてた。
ここまでの流れを汲み取るには、絶対的に
①自分の内面を見る・癒す
②ホロスコープでそもそもそういう設定だったことを知る
の順番でないとダメだった。
万が一、ホロスコープを先にやってたら「だから私の人生しんどいんだね」で終わって、それ以上自分の内面をケアすることはしなかったと思う。
さんざんやって、嫌になるほどやって、もう答えも出ないからいいかなとあきらめてた矢先、突如やってきたホロスコープだった。
だから、ここで初めて私は答えをもらえた感じになった。
それは新しい答えを知ると言うよりも、すでに知ってることに対しての答え合わせ的な感じの答えになってる。
ホロスコープを習ってみて、もう1つ気付いたこと。
自分の進む道にホロスコープはないということ。
一部の手法は使わせてもらうかもしれないけれど、ガチではやらない。
ホロスコープははっきりと思考を使うのが自分でもわかる。
感覚的に「思考力がないと理解できない」レベルなのがよくわかる。
例えばペンジュラムはどうかと言うと、思考は使わない。
周りの人たちにどうやってペンジュラムを使って答えを出すのかを聞かれるから、毎回決まって「質問する」と答える。
本当に「質問する」からそうとしか答えられない。
さらに突っ込んでくる人だと「その質問をどうやって考えてるの?」と聞かれる。
実は私はこの手の質問に答えを持っていない。
答えるとするなら「思いついたまま質問する」と言う。
「どうやって思いつくの?」と聞かれたこともある。
どうやっても何も、単なる自分の興味関心で浮かんだ質問を聞くだけだから、全く思考が入らない。
綺麗に言えば「直観」だし、だけど私の場合は「勘」とか「思いつき」の方がより近い気がする 苦笑。
だけど、その勘で間違いなく必要な答えをキャッチしてるわけだから、私はそのプロセスについて全く興味がない。
私が欲しいのは答えだけだから、そして質問が悪いとペンジュラムも混乱するだろうから、ペンジュラムが絶対にYESNOで答えられるよう、そこだけは注意して質問してる。
なんていう感覚からしたら、ホロスコープは脳みそをフルで回転させないと答えられないレベル。
しかも脳みそだけでは現時点で全く足りないから、ノートや本を広げないとさっぱり答えられない。
明らかに自分の能力外だとわかる。
だから私は自分がホロスコープをガチではやらないってすぐにわかった。
ちなみに今回の先生は本当の本当にプロ中のプロだった。
まず最初講座に入る前に「大切なこと」として話してくれたこと。
《占星術における心がまえ》
・常にフラットでいること
(世俗的なもしくは個人的な感情で相手の人生をジャッジしないこと)
・自己誇示してはならないこと
・(ホロスコープから得た情報を使って)予言・忠告をしないこと
・占い師はそのホロスコープから読み取れることを伝えるだけ
(私的な感情や考えを乗せないという意味で)
・ホロスコープを読めるようになっても慢心しない
・先入観を持たない
そういうことをいの一番に教えてくれる先生に当たって本当に良かった。
具体例も出して話してくれて、より一層わかりやすかった。
世間的に善良な人と悪党な人とをそれぞれ見た時の話をしてくれた。
寓話なのか本当の話かは知らないけれど、赤ちゃんの取り違いが起きたことで、全く別の境遇を歩むことになった2人の話。
1人はそれこそ境遇こそ恵まれない方の家に行くんだけど、善良な人として、器の大きな人間になる。
もう1人は、本来境遇は恵まれない方の生まれが間違えられて恵まれた境遇の家に引き取られる。
そこで好きざんまいワガママし放題に育ち、悪党のようになり、全て何でもかんでも自分のものにしてしまう、そんな人生になった。
先生は、その2人を比べたら、前者の人に憐れみや親しみを感じて、後者には何てひどい人と一般的には判断されやすいと前置きした上で、ホロスコープではそういう読み方をしないとはっきりと仰った。
ホロスコープでは、前者は前者の人生の設定があって、後者には後者の人生の設定がある、ただその設定の部分を読むに過ぎないと説明してくれた。
だから、個人的な感情に基づいて、どちらかに罰するような気持ちを抱いたり、反対に崇めたりするような、そういうことをするものではないことを教えてもらった。
これは福祉やコーチングの時も同じことを再三再四習った。
特に福祉は、人間の問題の寄せ集めでカオスな感じだから(←こんな言い方したら怒られそう)、余計とそういう個人の価値観で人を判断しないようにというのは、相当徹底的に教え込まれた。
罪を罰して人を罰さず、みたいな宗教の教えじゃないけど、そういうレベルの精神論みたいなのは私の場合、大学の4年間で徹底された。
自分の髪の毛を全部抜いてしまう思春期に入る前の女の子に会ったけれど(本当に抗がん剤治療受けた人みたいな頭になってた)、その行為を責めたりとか、反対にそうなるだけの背景があるわけでそれに同情したりとか、要はそういうことをしても何の解決にもならないから、そういう個人的な感情や価値観は脇に置いて、その子と今一緒にできることを考えてそして一緒にする、そういう姿勢や在り方を教えられた。
ホロスコープの先生が大切にしているところもまさにそんな感じで、私はすごく共感を持てた。
今月もまた通う。
前回のように1日単独で行くかは決めかねてるけれど、また新しいことを学んでくる(今月は27日)。
ちなみに1週間以上前に、ようやくホロスコープの講座の振り返りをしたけれど、たかが最初の2ページのテキストを読み返してノートにまとめるだけで3時間近くかかった。
講座はその5倍ほどの量の知識を同じ時間でされてた。
それだけすごい難しい内容であることを初めて知った。
私のように好きな部分とか気になる部分ばかりを読んでいてはいつまでも基礎は身に付かないはずだとよーーくわかった。
先生と多分大先生的な存在感の2人の先生がいたけれど、2人とも口を揃えて「ホロスコープは何よりも基礎が大事です」と仰ってた。
ホロスコープに関して言えば、中級の方が簡単らしい。
いくつもあるわけではなく、中級はあるパターンたちを覚えたらそこそこ行けるらしい(あくまで先生談)。
でも初級は本当に多岐に渡っているし、こここそその後のホロスコープ読み取りのセンス的な基礎となるから、相当難しいらしい。
先生たちも個人鑑定は、もちろん色んな視点から眺めて読み解くらしいけれど、「最後は基本に帰ります。それが一番確実で一番大切なその人自身の情報を伝えてくれるから」と仰ってた。
関係ないけれど、今回行ってみて、3時間では本当に足りないことがわかった時、私はとてつもなくラッキーな先生&初級講座に当たったことがよくわかった。
受けてその濃密さや難易度がわかってから、他の方たちが提供している講座の内容や時間、価格をいくつか調べた。
見たものはどれも内容はもっと詰め込み型で時間はトータルだと半分、下手すると半分以下、値段は最低でも単価で比べたら倍以上した。
ということは、内容は薄くて値段だけ高いということになる。
たまたま見つけたにしてもとてもラッキーだったことがものすごくよくわかった。
本当に丁寧で基礎の基礎、そして本やネットにもないようなマニアックな基礎のことまで教えてくれるとても良い先生に当たってる。
今調べ物がいくつも並行してる状態だから(ホロスコープ3種類、ヒーリング、自分のオリジナルメソッドの振り返りと分析)、また時間をしっかり作って授業の復習と宿題をしたいと思う。
宿題もたっぷりと出た(汗)。
そして次回もミニテストという名のガチの記憶力テストがあるから、それもアラフォーの人生後半を迎えようとしてる脳みそをフル回転させて頑張りたいと思う…。
ホロスコープのテストは、学生の頃と違って、身になるものを覚えられるから、それだけが唯一救いだと思ってる。
覚えられるられないは別にして、興味はものすごくあるから、そこそこテスト勉強も楽しめる。
と言いながら、これから今日得たばかりの新しいホロスコープの手法で過去の読み解きをする♪
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