2018年6月23日土曜日

一大仕事

数日後の銀座ホロスコープ教室に行く際、それとは別にとっても大きな仕事がある。

やることは、単に予約した書籍を書店に取りに行くだけだけど、その予約した本のタイトルを言うのがものすごく恥ずかしい。

この間、電話越しにそのタイトルを言うだけでも恥ずかしかった。

しかも1回目ではヒットせず、2回も言う羽目になって、顔が見えないとは言え顔から火が出そうだった。

そもそも本を予約した理由は、その特典が欲しいから。

私は特典が欲しくて本を予約したのは人生で初めてだった。

今回の特典は、しおり。

そのしおりの見本をネット上で初めて見た時、ものすごく惹かれた。

たかがしおり、されどしおりで、私はそのしおりの使い方だけじゃなく、それを持った時の自分とか、それを持つことでの自分への影響とか、色んな明るい日常をありありと思い描くことができた。

しかもそのしおりは人の手を介している。

全国限定2000本で、その1本1本にリボンを手作業でつけて、アロマオイル振りかけて、さらには神社に奉納されたもの。

その限定品を置いているのは首都圏の書店ばかりで、たまたま発売日の1週間後に東京行きがあったから、実現可能な夢になった。

発表があって、即予約したのは言うまでもない。

話は戻って、その一大仕事。

一瞬だし、店員さんには二度と会わないだろうし、一度きりのことだし…と思うけれど、ものすごく恥ずかしい。

電話で予約した際、受け取り方についても確認した。

サービスカウンターで自分の名前と本のタイトルを言うとのことだった。

それを聞いただけで私はものすごく緊張した。

ちなみに私はその本を買う気は全くなかった。

内容はパートナーシップについて。

パートナーシップに関しての心理ワーク的なものは記憶にある限り過去に2回しか取り扱わなかった。

その2回も強烈過ぎたから、もう自分の中では十分からは程遠くてもやった感があってそれ以降触れてもない。

有料での個人セッションは多分40回、多くても50回、後は生徒同士の練習やモニターとしてやってもらうこと、それはゆうに50回超えるし、もしかしたら100近くの回数いくのかもしれない。

その中で2回しか扱わなかったぐらいに私は向き合うことから避けまくった。

本も何百冊と読んだけれども、パートナーシップに関しては1冊だけ買ってすぐに手放して、あとは本の中にそういう内容が含まれていると私は読み飛ばしてた。

読むと嫌なことが色々思い出されて、私としては触りたくもなかったから。

だからパートナーシップの本を買うなんてこと自体、もう私の中では大快挙だったりする。

読んでみないとわからないけれど、もしかしたら今回は読めるかもしれないと密かに期待している。

著者自身が一度結婚に失敗していて、そこから今のとても良好なパートナーシップに至るまでのプロセスを経てる人だから、読めるかなと思う。

アマゾンのレビューではボロクソに書かれる人だけれど、私がこの人の言葉を好むのは、この人の場合は自分の体験談を語るから。

誰かの言葉じゃなくて、もしくは上から目線で何かを教え諭すのとも違っていて、自分が体験したことでそこから得た人生訓や自分なりのポリシーだったりする。

その人の元旦那さんとの結婚生活は、ブログで読む限り「独身で良かった」と私が大真面目に思うほどのもので、その人が最初の結婚で相当な傷を抱えたことは容易に想像できる。

今の旦那さんとのことはものすごくのろけているけれども、これが全く読んでいて嫌じゃない。

これは私の中では、すごいこと。

他の人たちのブログでは絶対に起こらないことだから(恋愛系のアドバイスやのろけをたまに文章で読むと、私の場合、大抵イラっとする)、のろけに対して羨ましいとさえ思うのが珍しい。

だからそこから今のパートナーシップに至るまでのあれこれが書かれてるとするなら、すごく興味深いし、私もそこから何かを感じ取れる可能性もある。

しかもホロスコープと絡めて書いているから、そういう意味でもとても興味深い。

気になる方はどうぞ調べてみて下さい。

「海部舞 新刊」と入力したらヒットします。

言い訳がましいけれど、私が惹かれたのはあくまでも特典のしおりの方。

しおりは使い道がすでに決まっているぐらいに欲しくて、珍しく物欲発動。

話ついでに、私はこの1年ほどで大きく変化したことが1つある。

相変わらず、恋愛系のエッセイは苦手だけれど、なんとなんと私はその手のエッセイを手に取るようになった。

買わないけれど、立ち読み程度は一時してた。

ハウツー本ではなくて、心情を謳っている本たちに惹かれた。

心のさまをとても情緒豊かな表現で綴られていて、それらを私は好んで読んだ。

たった1人の人に出逢っただけで、セラピーでは絶対に癒されなかった部分がとても自然な形で癒された。

その人は何もしていない。

私に何か声をかけたわけでも、2人で親密な時間を持てたわけでもない。

ただ存在してた、私の世界にある日突然存在するようになった。

それでものすごい変化が起きたわけだから、私はその人を見て「ただいるだけであなたには価値がある」というスピ系の教えや本によく出てくるフレーズの意味が本当にわかった。

その人は本当にいるだけでどれだけの影響を私の人生に与えたか計り知れない。

本当にいてくれるだけでいい、そういう人だった。

私は自分がセラピーを受ける方も提供する方も両方したからわかる。

一番効果的なセラピーは、日常の中で自然に起こる変化だということ。

私は自分の体験したことが無駄だとは一切思わないし、どれも体験できて良かったと思うけれど、意図もせず何だか勝手に変化が起きたというのが一番強いことは知っている。

心理療法で小難しいことするよりも、例えば一瞬だけ誰かにそっと手を握ってもらう、そちらの方が何十倍と効果があることを私は知っている。

だから、その何もせずただ存在してたその人に出逢ったことで、私はある日10年以上ご無沙汰だった恋愛系のエッセイ本を手にするなんて、ものすごい変化だった。

変容と言ってもいい。

もう一生ご縁のない本のジャンルかと思ってたぐらいに近寄らなかったのに、なんと私は自ら近付いていった。

私が恋愛系のエッセイに手を出すなんてのはもう10年以上なかった行為だった。

とてもキレイな言葉たちが私にとっては凶器だった。

読むと過去の痛い瞬間をすぐに思い出したり、もうこのまま一生闇に葬るのかと思うような感覚や気持ちが湧いてきてた。

それがわかっていたから私は避けてた。

だから私がその手の本を自然に手に取った時、自分で自分に驚いた。

凶器でしかなかった本たちが、私の心の声の代弁者に変わってた。

そしてどれもこれも私が自分じゃ説明できない感覚を、言葉にして私にもわかるようにしてくれてた。

私は夢中で読んだ。

少しでも自分の心に自分の気持ちに輪郭を持たせたかった。

気持ちを言葉にできなくて、そうだと認めるのも全力で避けてて、だけどもういいかな…とちょっと肩の力が抜けた時に出逢った言葉たちだった。

今2017年の9月のカレンダーを見た。

そのタイミングでなければ私は読めなかった本たちだった。

もう少し早ければ、私の準備がなされていなかった。

私の準備というのは、その言葉たちを心のひしゃくですくう受け皿がなかった。

もう少し後なら、心がボキボキに折れまくった時だから絶対に読まなかった。

その手の本たちに出合ったのは、その中間地点にあった。

その人の笑顔を最後に見た、その次の日と次の次の日に手に取った本たちだった。

本人は自分の顔が見えないから気付かなかっただろうけれど、その時その人は本当に素敵な表情をしていた。

しかも私がとてつもなく変なことを朝からわざわざ聞いて、なのに嫌な顔1つせずに答えてくれた時だった。

嫌な顔どころかニコニコ穏やかな笑みまで浮かべていた。
ように少なくとも私には見えた。

それがもしその人が長い人生の中で身につけた自然なスタイルで、イケメンだからそんなことがさらりとできたことでも、それでも私にはものすごく嬉しい瞬間だった。

私に向けてなくて単にその人の普段のクセでそんな表情になっていたとしても、それでも見れた私には最高の癒しをもたらした。

(その人が自分をイケメンと思ってるかどうかは知らないけれど、少なくともその人を知る女性全員が「イケメン」認定する人だった。私も初対面でもれなくそう思い、そしてすぐに「イケメン=私はこの人とは縁のない人」と勝手に決めつけた。モテたかどうかは知らないけれど、モテ男な人生を歩んでいても何ら不思議のない人。)

多分、私は最初に出逢った日とその日しかその人の笑顔を見ていない。

私以外の人たちには時々見せてはいたけれど(元々そんなに気持ちを顔に出さないタイプの人)、私にだけ見せたのはその2回だけ。

こうやって言葉にするとわかる。

その人がいかに私と接点がなくて、特に何かしてたわけではなかったこと。

だから私は自分自身にものすごく混乱していた。

何も絡みがないのに気になってしまう自分が理解できなかった。

だけど、あれから数ヶ月を経て、今はまたもっと違う意味でわかる。

私が出逢ったのは、その人がそこにいるだけで良い、という人だった。

そんな人に出逢える、そんなこと人生で何度も起こらない。

そりゃ私だって色々言いたいことはあった。

せめて何かしら言葉を発してくれても良かったのにとか、もう少し何か言ってくれれば私もそこまで踏み込まなかった=不快にもさせなかったのにとか。

だけど、その人がどうであっても、私にはとても特別な人だったんだと思う。

色んなことをあきらめて、過去の痛みも闇に葬って、癒すこともあきらめて、そんな時に出逢えた人だった。

私はもう十分過ぎるほどもらったんだと思う。

その人が存在してるところから、私はたくさんの癒しとたくさんの奇跡を見せてもらった。

私が見つけた本たちからもらった言葉たち。

私の気持ちのままだった。

私が自分では説明できなかった自分自身の一部だった。

まだこの頃は魂的な繋がり云々なんて全く頭になかった時期で、本当にただただ自分の思いを言葉にしてくれてるこの本たちに感動した。

かなり恥ずかしいものがあるけれど、癒しもくれる言葉たちだから、お裾分け。


>2017年9月2日 (土)
19:32

会いたいな!と思って会う、ということもありますが
その人に会うまで、
会いたかったのだということに気づかない
ということもあるわけです。
顔を見て声を聴いてそこではじめて
ああ、私はずっと、この人に会いたかったんだなあ
と感じることも、あるんだと思うのです。
11

会いたい人の方から
声をかけてくれる可能性もありますし、
待っていてもしかたないから
自分から会いに行こう!
という人もいると思います。
どちらからいこうが、大した違いはないのです。
会ってしまえばそこには
お互いの共有できる時空があるだけです。
54

たしかに自分自身の心なのに、
自分の意識や意志とは関係なく、
勝手に動いてしまいます。
65

愛や恋に「一般的なもの」などないのです。
全ては個別具体的で、ユニークです。
誰も経験したことがない恋を、
だれもがするのです。
253

「きれいに説明ができなくても、
どうもそうしたほうがいいと思える」というときのほうが、
むしろ、信用できるのかもしれません。
283

『薔薇色の鳥』石井ゆかり



>2017年9月3日 (土)
15:56

いるはずもない君の姿を
いつも探している。
見つからなくてガッカリして、
見つからなくてホッとする。
8

好きな人の鼻歌を
こっそり聴きたい。
17

『好きになっちゃいけない』って
思ったときにはだいたい手遅れ。
29

大人になってからますます
手書きの文字を見る場面が減っているのだけど、
好きな人が書いた字を見るのが好きだ。
ああ、こんな字を書くんだなって。
色々知っているようでたくさん知らないことがあるんだなぁって思う。
好きな人のことをひとつひとつ知ってゆくのは
楽しくて、とっても嬉しい。
29

誰かを想い続けることは、時にとても疲れることだ。
でも、「疲れたからやめる」のができるのは一瞬で、
少しでも元気が戻ったら好きという気持ちも
一緒に復活してしまう。
51

わたしは人に弱みを見せるのが怖くて、
いつもひとりでパンクしていた。
56

今を大切にしなくては、
過去のわたしが報われないよね。
59

伝えてくれた言葉だけが、
起こしてくれた行動だけが、
やさしさなんじゃなくて、
その人が自分のために
何を伝えなかったのか、
何をしなかったのかを想像すると、
また違った形のやさしさが
見えるような気がする。
65

恋の終わりは別れの涙を
流しているときじゃないな。
ああ、終わったんだなぁって
静かに思いながら、
笑えるようになったときだな。
97

前に進みたい、忘れたい、
なんて口では言いながら、
本当はそばにいることを許してほしかったし、
忘れなくていいような記憶になれば
いいのになっていつも思ってた。
進めなかったのは、
忘れられなかったのは、
誰かのせいじゃない。
わたし自身が選んでいたんだ。
103

どうしても忘れられない人なんて
どうせ一生忘れられないのだから、
いっそ憶えておけばいいんじゃないのかな。
108

考えないにしよう、と思う時点で
すでに考えていて、気にしないようにしよう、
と思う時点で気にしている。
116

背中を押してくれる人がいる。
支えてくれる人がいる。
共に歩いてくれる人がいる。
けれど踏み出す足は自分にしかない。
162

今までは価値観が合うかどうかが
いちばん大切だったけれど、
違う価値観を許せるかどうかの方が
大切なのではないかと思うようになった。
価値観は経験によって変わり続けるから、
根っこの部分さえ合っていればそのほかの違いは
その人らしさとして尊重できたらいいな。
167

偶然といえば偶然だし、
奇跡といえば奇跡だし、
運命といえば運命だし、
何でもいいし、
どれでもいい。
結果的にあなたに出会えたから。
178

限られた時間の中で限られた数の
出逢いしかないのだから。
188

たとえば十年前に知り合った人と、
その頃出会わずに今出会ったとしたら
同じように親しかっただろうか。
逆に今親しい人と十年前に知り合っていたら。
そう思うと出会うタイミングって
大事なんだろうなぁって改めて思う。
出会うべくして出会ったのかもしれない。
194

運命だと思えるほどの偶然に、
この先あと何度、
出逢うことができるのだろう。
196

『今』を残しておくことは
未来へのプレゼントだ。
201

傷ついたからこそ、痛みを知ることができたのだと。叶わなかったからこそ、前に進む方法を模索することができたのだと。
205

誰かを心から愛した日々は、結果とは別に、大事なものを自分に与えてくれたと信じています。
207

『好きで好きで、どうしようもない恋は、いつもどうにもならなくて。』
sleep


>2017年9月3日(日)

会いたいと思っている人に会えることは
簡単なようでいて簡単じゃない。
自分も相手も会いたいと思っていて、
会える距離にいて、会える状況下にある。
そのどれかが欠けてしまつたら
簡単に会うことは出来ない。
だから待ち合わせ場所に大切な人がいるのは
小さな奇跡なんだ。
11

あの日あの選択をしなければ
辿り着けなかった場所がある。
巡り会えなかった人がいる。
41

過去の失敗も悲しみも
全て抱擁してくれるような、
たとえ正しくなかったとしても
間違いではなかったと思わせてくれるような、
そういう存在に出会えることが
人生には稀にある。
この道を辿らなければ
出会えなかったと思える人に出会った時、
これまでの全てが報われるような気持ちになる。
それはひとりでは絶対に得ることの出来ない
幸せの形。
146

後悔がひとつもないなんて、そんなこと言えない。
何年経っても後悔していることがある。
人を傷つけてしまったこと。泣かせてしまったこと。
どうすることも出来ないこと。もう会えない人たち。
一生消えないシミのように、ずっと残ると思う。
でも、それをも抱えて生きていくと決めた。
傷も痛みも後悔も、全部持って生きていくと決めた。
181

あの人のいない日常が想像つかなかったけれど
意外とうまくやれていると我ながら思う。
平気なわけじゃない。でも、ちゃんと
生きていけるんだって思えるようになった。
過去には戻れない。それは諦めじゃなくて覚悟だ。
明日が来る。夜は明ける。私は生きていく。
195

運命の出会いって
結ばれたとか結ばれなかったとか
今そばにいるとかいないとか
そういうのは本当の意味では関係ないと思う。
自分が運命だと思えた出会いだったなら
それは間違いなく運命だったんだ。
204

『運命みたいな偶然に、あと何度めぐり逢えるだろう。』

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