2018年5月30日水曜日

誕生日が1日違うということ

先週のホロスコープの講座で、私と同い年で誕生日が1日違いという人に出会った。

私は自分のことで手一杯で相手からの指摘がなければ気付かなかったけれど、その人いわく私の形とその人の形が似ていたからそうじゃないかと思ったと言われた。

よく見たら本当にそうだった。

だけど、私はその人と話してみて、似ても似つかない感じを覚えた。

明け方家に帰ってきてから、早く寝ればいいものをそのホロスコープが気になって、相手のホロスコープを細かく出してみた。

全体は読めないからわからないにしても、私がとことん引っかかった私のホロスコープのポイントに関して言えば、その人は1つとして持っていなかった。

ある意味ちょっと羨ましく、そしてこれこそ自分の人生の設定なんだと受け入れざるを得ない状況になってきた。

相変わらず往生際の悪い私は、スピリチュアルなことに関与するだけじゃなく、それがある種私の人生ではメイン張りますかばりのことがまだ受け入れられていない。

色々調べる。

調べていくと、霊性がどうだとか精神世界の探究・実践だとかそんなことがやたらと書かれている。

少しでも組み合わせが違えばもっと別の内容になるのに、まるで狙ったかのごとく、ピンポイントでそういうのに当たることが多い。

スピリチュアルな要素が嫌だというのではなく、ホロスコープを見れば見るほどもう抗えないような人生の設定みたいなのが見え隠れしてるから、それに対しての抵抗がある。

今回ホロスコープの先生に会えて話した時「スピリチュアルなことと縁がありますね」と、「そこに向けて今は膿出しの期間、膿というのはカルマ的な意味の方で」と説明を受けた。

私は一言も自分のスピリチュアルなことへの興味関心も言わなければ、今が自分にとっての変容期であることも触れていない。

なのに、先生は私のホロスコープを見ただけでそれを言ってきた。

カルマとか膿出しとかよくわからないけれど、少なくとも私の目に映っているのは、これまでの価値観が徹底的に根底から変えられようとしてること。

色んなことをひっくるめて、大きく何かが変わる時期だというのは肌で感じる。

ホロスコープ講座を受ける前々日だったと思う。

色々調べ物していく中で、ある意味ショックである意味自分の生きる方向性を示す指針みたいなものを目にした。

YOD(ヨード)と呼ばれるものを調べてた時のこと。

これは別名「神の指」と呼ばれるもので、そう呼ばれる由縁は、宿命的な目的を持って生まれてきてるからとされている。

ちなみにYOD持ちは、ある特定の分野(これは人によって違う)において、すごい能力を発揮するとも説明がある。

それの成功型と言えばいいのかわからないけれど、一芸に秀でるという意味では、漫画界巨匠の鳥山明氏だったり、イチローだったり作家の吉本ばななさんだったり、ASKAや酒井法子だったりする。

ここまでは知ってた。

これはある意味夢を与えてもらえる情報で良かった。

ところがホロスコープ講座の前々日に知ったことは、

【>Q.太陽と月が絡むと人生そのものが神様との契約とありましたが どういう意味でしょうか

A.一つの目的のためだけに力を使うのがYODですのでそこに太陽も月も関わると社会生活も私生活も、つまり人生の全てをYODが指し示す分野へ捧げることになります。】

この説明だった。

自分でも抵抗したところで仕方ないと思ってる。

もうそれが宿命的でそもそもの生まれてきた意味なら本当に仕方ないと。

そして自分でもある程度覚悟している。

自分の人生を振り返った時に、何が起こっているのかがわかる。

私は自分がここまで葛藤する理由もわかる。

今さらだけど、私は「普通」に憧れてる部分がはっきりとある。

それもつい最近じゃなくて、子どもの頃から色んな方面での「普通」に憧れてた。

ちなみに20代の後半から少なくとも干支が一周するぐらいに憧れ続けた「普通」はと言うと、好きな人と結婚して子どもを産んで育てる、時には美味しいもの食べに出かけたり、時には喧嘩したり、そういう毎日の繰り返しにとても憧れてる。

私は何がどうしたらそんなにもそこに憧れを抱くのかは知らないけれど、とにかくそれ以外特にこうしたいとか、ましてや仕事の方面でバリバリやりたいなんていうのは全くない。

そんなすごい使命めいたものもいらない。

だけどそうなることが決まってたかのように、人生で起きてくることはその憧れからは程遠いことばかり。

逆にホロスコープを読めば読むほど、証拠を突きつけられてるようなもので、ぐうの音も出ない。

学んだホロスコープの知識で自分の人生を読み解くとわかる。

たかが1回の講座に出ただけでこれまで見えてなかったことがわかった。

それを聞くために行ったんじゃないかと思うほど。

しかもそれ、ホロスコープの教科書的な本にもネットにもなく、でもその先生の中ではとても大切なポイントとして見ているというところ。

しかもその特殊な分析方法に合致する人は、話を聞くとそれに当てはまってることが多いとか(汗)。

私の場合はこうだった。

「社会の中で自分を切り開いていく」

その場所に全てと言っていいほど自分の天体星座が集まってた。

主要天体10個中9個がそうで、それだけ偏りがあると、先生いわくその偏った部分の傾向が人生に大きく影響されると言ってた 汗。

さらに細かいことを調べるともっとその状態が顕著になる。

見事としか言いようがない。

憧れの家庭生活とは真逆の生き方がそこには示されてた。

自分が結婚できない理由まで浮かび上がりそうだった(汗)。

あと何十年かすると私みたいな星の配置の人は「(今の自由な時代)良い配置ですね」と言われる気がする。

でも時代の過渡期の今、こんなのは良いどころか逃げ場がないみたいで、私はおののいた。

もちろん人生は自分で選んでいくものだし、自分の意思によって作られていくものだと思う。

でもそうならない部分もあること、自分の努力や行動だけではどうにもならないことがあることも私は知りつつある。

それについて私は1つわかったことがある。

これは全員ではないらしい(というのはネットの何人かの占星術のプロが言ってた)、けれど合致する人たちは見事にその性質を帯びた人生を送るとあった。

ある特定の配置のある人は、自分の人生において魂の設定と違うところに行こうとすると、ありがたい?ぐらいに軌道修正が入ること(*)。

私にはその意味が一瞬でわかってしまった。

自分の人生がそうなってるからわかる。

自分では良かれと思って選んでも、道が違うならそこからは引き離される。

しかもどんなにそこに留まりたくても、半強制的に引き離される。

はっきり言って私の意思は全くそこには反映されない。

反対に自分では逃げたいのに人生や魂の目的なんかと合致してるとそこから離れたくても離れられない。

どちらの場合も、私の個人の意思とは関係ないようなところで私の人生が回ってる風に見える時がある。

30代は特にその傾向が顕著だった。

これ書いてて思い出した。

私の社会人最初の仕事は、すごく不思議な形で仕事が決まった。

未だかつてそんな方法で決まった人なんか聞いたことないし、「巡り合わせ」としか言いようがない流れで決まった。

あの時は特に何とも思わなかったけれど、今考えたらそれも特殊だったことに気付く。

そうなる理由が今ホロスコープの情報を見て察しがつく。

その仕事は、人生の中で絶対的にやる必要のあることだったんだと思う。

興味があったから深く考えたこともなかったけれど、それは絶対的にすること。

仕事としてやると言うよりも、人生の体験として絶対的に必要なことだから、普通なら採用されないところをものすごく簡単に採用されてしまった。

だって履歴書もなく、どこの誰かも知らない私を、私の1本の問合せから色んな部署の大御所の人たちを巻き込んで…、というのは後から知った。

普通の会社で言う課長3人+係長1人みたいな人たちをたった1本の問合せで巻き込んでた。

それで履歴書も持たず(だって言われてないから)、言われるがままに普段着で見学に行って(記憶にある限りジーパンで出かけた気がする)、その場でお茶を出してもらって、トップ2人と見学の感想を茶飲み話のように話して。

それで私は採用された。

だから私は書類選考も正式な面接もなく、採用された。
(他の人たちはこんな非正規なルートでは絶対に採用されないことを後から知った)

そう考えると当時なぜに通常あり得ない形で採用が決まったのかわかる。

そして本来5年半も勤められる条件からはことごとく外れてたくせして、私は5年半もいることができた。

これもあり得なかったけれど、私は例外中の例外でそうなってた。

自分でも振り返るとわかるけれど、半分は自分の意思が反映されるけれど、残りの半分は人生の脚本があるとしたらそこに合致してるかどうかで私の意思とは関係ないところで決定されてる、そんな風に感じる。

この話は大抵理解されない。

私のようなタイプの、自分の力の及ばないところで何かが動いてると感じるタイプの人たちは自分も体験してるからすぐにわかってくれる。

でもそうではない人たちからすると、私が怠けてたり私のそもそもの選択が間違えてるんじゃないかとか、まぁ各種様々な言われようで理解を得難い。

反対に運命が決まっててそれに乗っかっていれさえすればいいのなら楽だねと言われたこともある。

私はそれには深く傷付いた。

当の私からすると、予測不能な上、自分の希望や願いなんかと真逆のことも起これば、選びたくなくてもそうせざるを得ないこともあって、「楽」だと感じたことはほとんどなかった。

大体いつもわけがわからなくて、そのうち色々あきらめて、「仕方ない」と受け入れ出すとようやく少し楽になれる、という感じだった。

当然そこまでいくのに相当な葛藤や痛みを伴うわけで、何で私の人生こんななんだろう?とずっと思ってた。

私は全て星のせいにするとかいうのではない。

でもホロスコープを読み解くようになってから、上に書いたことたちさえもそもそもの設定としてあったとわかって、本当に気持ちが楽になった。

自分を無駄に責めなくて良くなったから。

その設定を持っていたから、そしてそうでなければいけない理由があったからそうなってた、それが今わかって本当に楽になれた。

たった1日違いの同い年の女性にはない設定を私は持って生まれている。

今回のホロスコープの講座に行って、そんな人と出会えたことは大きかった。

基本的に逃げても逃げられない。

もう少し前の私なら、全くもって受け入れられなかったと思う。

今は「仕方ない」と思うところがある。

本当にそうなら抵抗ばかりしてもこちらもしんどくなるだけだから、抵抗せずに受け入れる方向で何とかしたいと思う。

でもでも、憧れは憧れのままだから、好きな人から「結婚して俺を支えて欲しい」などと言われたら、私は即刻ホロスコープ調べも投げ、スピのよくわからないことたちも投げ、家庭生活に全力を尽くすのに…と思う 笑。

過去に憧れた職業は、「子どもと旦那に作るお弁当」をブログで発表して大ブレークした人。

弁当作り大嫌いだけど、私の萌えポイントは別のところにあるから、楽しく頑張れそうと思った。

しかもその人は手抜き弁当でブレークしたから、より一層好感が持てた。

他の参加者の方たちの職業は一切知らないから断言はできないけれど、私含めてホロスコープを学ぶ人たちは、弁当作りで大ブレークからは程遠いと言うより、土俵自体が違う気がしてる。

ちなみに私のホロスコープでは「家庭において…」みたいな説明のくだりはほとんどなく、たまにあっても「家庭生活で傷付いた体験をお持ちかもしれません」「家庭において安心できなかったことがあったかもしれません」とか、負のオーラ満載の説明しか今のところ見ていない。

結婚については「変わった結婚」ぐらいはまだ可愛くて、その後の詳しい説明は即離婚だの私が相手を振り回すだのもうひどいことしか書かれていない。

そういうところは持ち前の開き直りで、「それはあくまで一説。みんなが当てはまるわけじゃないし、私も全く違うかもしれない」と思うことにしている。

強がりではなく事実だけを言うと、男友達3人から「ぶっしーは結婚したら絶対に良いお嫁さんになれると思う!」と言ってもらえたぐらい、私は家庭的?基本的に家のことをするのは好きなのになと思う。



【ホロスコープ豆知識←マニアック】
*出生図において、海王星と個人天体がアスペクトを持っていると、私が書いたような、宿命から外れるたびに本来の道へ戻されることが起こるとのこと。

ちなみに冥王星も。

特に太陽と月が海王星や冥王星とアスペクトを持ってるとその傾向が著しいとあった。

アスペクトはハード・ソフト関係なく。

ハードの方がより顕著だけれど、ソフトでも起こる。

アスペクトがない人たちは、トランジットの海王星と個人天体が合になった時、そのような揺さぶり的なものが起こるとのこと。
(外れてれば外れてるほど、起きてくる事象も強烈になるだろうけれど、それは決して悪い意味で起こってるのではなく、最終的にはそれで良い方向に調整されるものだと私は解釈)

まだ調べ途中だけれど、私は太陽も月も両方が天王星・海王星・冥王星全てとアスペクトがあるから、余計と顕著なのではないかと睨んでる(苦笑)。

言い切れないけれど、私のようなホロスコープの特徴を持ってる人たちは(天王星・海王星・冥王星と個人天体とがアスペクト有り)、本当の道にハマってる時はそれらの天体から応援がもらえる、と予想している。

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