東京で3つの大きな書店を巡った。
見たこともない占星術の本ばかりで、めちゃくちゃ感動した。
アマゾンで「この本を買った人たちはこれも買ってます」みたいな宣伝に上がってくる本たちがたんまりとあった。
片っ端から見ていった。
3軒ハシゴした。
ハシゴして、私は1冊も本を買わなかった。
買わなかった理由はこうだった。
どの本にも惹かれなかったから。
新潟の田舎町で手にしたホロスコープの本たち。
買ったものが11冊。
(店頭又は物を店頭で確認してからネット注文したのが9冊、一か八かで中身を一切知らずにネット注文したのが2冊)
借りたものは多分10冊ぐらい。
私はピンポイントで必要なホロスコープの本を手にすることができていたんだと知った。
しかもどの本たちも、私に単なるホロスコープのヒントじゃなくて、私の人生において大切なメッセージを届けてくれる本ばかりに行き当たっていた。
私には行き当たりばったりにしか見えなかったホロスコープの本たちが、実は私にとって最善のヒントとなることばかりが集められた本たちだったと、今回の大型書店巡りでわかった。
大型書店の本たちは確かにすごくマニアックで何かの専門性に特化したものばかりだった。
興味がないからよくは見なかったけれど、本当にすごい専門性の高い本たちばかりだった。
だけど開いてすぐに難しさだけが伝わってきて、私は奥まで全く読み進めなかった。
どうしたことか、新潟で手にしてた本たちは「これなら私でも読み解けそう」という雰囲気のものばかりで、実際にそうやって読み進めることができた。
さらに何がわからないのかも読んでいくうちにわかったから、わからないところはひたすら他の本で探したりネット検索した。
そんな風にして調べて学んでいくスタイルができたから、本当に楽しく学べた。
さらには私専用のノートを作り、この世に2冊とない参考書的なものまで今手元にある。
これは図書館で借りてきた本たちからの抜粋やネット検索で得た情報を転記したもの。
そんな参考書的な本はこの世のどこにも売っていない。
そんな風にして私の手元にやってきた本や情報たちは本当に私にピッタリなものばかりだとわかった。
本たちとも実はご縁で結ばれてたんだと知った。
それを知るために3軒もの大きな書店を巡ったとわかった。
ちなみにもし私が東京に住んでいたとしてそうした大型書店で本を買おうとしてたとするなら、私はホロスコープを勉強しなかったと思う。
なぜなら東京の大型書店の本たちは、内容が難しすぎたり言葉が固かったりして、とにかく興味を持てそうにもなかったから。
1冊だけもう少し学びを深めたら欲しい本があったけれど、現段階ではまだ必要じゃないから買わずにきた。
それ以外は、とにかく内容が難しすぎて、素人の知識では読めないものばかりだった。
あと、たまたま中身を知らずにネット注文した2冊の本を、3軒の書店のどこかで見かけた。
この2冊についても素晴らしくて、数ある占星術の書籍の中で2冊ともわかりやすい本であることがわかった。
一応レビューは確認したけれど、レビューこそあまり当てにならないというか、本当に良いかどうかは見てみないとわからないと思いながら買った。
ペンジュラムはYESを出してくれてたから、多分大丈夫かなと思ったら、本当にその通りだった。
反対にペンジュラムが買うことに対してNOを示した本たちも店頭にあったけれど、ペンジュラムは何を知ってたのか本当に私には合ってなかったことがわかった。
そうした色んなことを確認できた東京大型書店巡りだった。
すごい余談だけど、東京ブックセンター?の占いコーナーの通路挟んで反対側はすごいコーナーになってた。
私はひたすら占いコーナーしか見てなかったから、真後ろがどんなコーナーかなんて帰る時まで知らなかった。
帰る時、向きを変えて目に入った最初のタイトルは、『包茎手術はするな!』だった。
健康コーナーにしてはいきなりセンセーショナルなタイトルだなと思ってよく見渡すと、そこは一帯が性生活全般に対するマニュアルコーナーみたいな感じになってた。
占いコーナーはわりかし多くの書店で健康コーナーなんかの近くにある。
だけど、そんな際どいというか誰もが秘密にしておきたいようなジャンルのすぐ近くにあるのは初めて見た。
帰り際エスカレーターから、そのコーナーには『男性ファッション』と大きく書かれた看板が掲げられてるのが見えた。
あれは男性ファッションなんだ…とジャンル名もさることながら、配置もいかがなものかと思った。
仮に男性であのコーナーに用事がある人がいたとして、誰が行くというのだろうと思った。
真向かいは占いコーナー。
私はさておいても、占いコーナーには可愛い子や綺麗な子が結構な確率で出没する。
そんなコーナーの真向かいにそのコーナーはないでしょ!と言いたくなった。
しかもその2つのコーナーの間の間隔は広くない。
人が3人横一列に並ぶぐらいのスペースしかない。
だから、もしそこで本を見てる人がいたなら、それを目にした人からすると「あ、この人こんなすごい本見てるんだ」と丸わかりな状況になる。
私が店員ならそんな配置に絶対にしない。
背表紙を見る限り、とにかくセックスだの男性の体の悩みだのそんなのばかりが並んでた。
それが2つか3つの棚を占領して陳列されてた。
それもそれで1つの大事な専門書だとは思うから、それ自体を否定する気は一切ない。
だけど、置く場所考えてあげようよと思わずにはいられなかった。
あれじゃあ、本当に欲してる人は、見に行きづらいよと思った。
ましてや真向かいは占いコーナー。
女性の中でも、可愛くて若い子や綺麗な大人の女性がやたらと出没するコーナー。
そんな女の人たちがいたらそのコーナーに行けないし、反対に誰もいなくてももし行ったとしてうっかり可愛い子が反対の占いコーナーに来たら、落ち着いて本を立ち読みできるとはとても思えない。
男性書員の多い店だった。
自分とこの男性社員たちを使って、あそこで本を手に取って周りを気にせずに落ち着いて見ていられるかを実験したらいいのに、とか余計なことを考えながらそこは立ち去った。
たかが24時間もいなかった東京の旅はあまりにも濃厚すぎて、これから連発で文章を数日に渡って書いていく予定。
↓
(私のメモより)
・カオスな池袋
・どんぴしゃな本たち
・ホロスコープは方向性違う
・1日違いの誕生日の人
・私の辞書
(変化が当たり前。根無し草的な生き方が私の安定)
・超勇気を出したこと
・自分の生きる領域(諦めきれずにもがく理由)
↑『どんぴしゃな本たち』はこれだし、『超勇気を出したこと』は前回アップした。
ちなみに今回の東京旅で1番面白かったのは、朝の3時間半、主に人間観察をしていた池袋での時間だった。
それに比べて当初楽しみにしていた銀座三越はイマイチだった。
若干居心地の悪さまで感じた。
居心地が悪いと言うか、造られた世界というのがあまり好きではなかった。
物がまとってる良質感や高級感は素敵だったし、食器コーナーは見ていて目が潤ったけれど、店員さんたちやお客さんたちを横目で見た時に物の高級感たちを取っ払うと何が残るのかと言えば、「造られたもの」が見え隠れしてた。
その造られたものの向こう側には、虚構とか虚無感とか、悲しさや人間本来の孤独とか、そうしたものがかき消されてしまって何かが歪んでいるみたいな風に私には見て取れた。
私の斜めに見る癖でそう見えてるだけで、本当は全く違うのかもしれない。
でも一瞬だけ目が合った店員さんたちとか、エスカレーターや店内の中で近くにいたお客さんとか、そういう人たちの表情や雰囲気の中にそういうものが見え隠れしてる感じだった。
書くと長いから書かないけれど、とにかくイマイチな銀座三越に比べて、池袋のカオス感はめちゃくちゃ面白かった。
ということでしばらくは東京シリーズを書く予定。
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