『お茶の葉を読む女』
インスピレーションと現実のすり合わせ。日常的な出来事の中にあふれた霊的な暗示を読み取る能力。大きな直観力や予知的な観察力。
〜社会で到達したい目標や役割、キャリア、天職〜
上に書いたことは、2月に受けたホロスコープの内容の一部(全20ページ)。
ホロスコープの中で1番印象に残った言葉だった。
自分が目指してるもの・大切に思っているものがこんな風に言葉となって第三者から提示されて、真面目に度肝を抜かれた。
申込で伝えたのは、名前や連絡先を除いて、自分の生年月日と出生時間、そして生まれた(旧)市町村名だけ。
たったそれだけの情報で、私がこの数年を経て自分の中で大事にしようと決めた指針のようなものが言葉として伝えられたから、本当にびっくりした。
何でそんなことがわかるの?って。
ふとホロスコープに至るまでの足あとを辿った。
私は2017年の11月の終わりになるまで「ホロスコープ」というものを全く知らずにいた。
名前は知っていたし、テレビや雑誌でも星座占いはあるから、そのもう少しマニアックバージョンだろうぐらいにしか思っていなかった。
2011年から12年の2年、もしくは3年弱、私はコーチングスクールに毎週通った。
心理系のスクールあるあるだと思うけれど、一風変わった人というのは一定数いる。
気功、パステルアート、精油系のセラピー、タロットカード、数秘術、占い、その他諸々色んな種類のマニアックな技法を知ってる人や実際にプロでやってる人たちがいた。
私にとってはすべてが未知の世界で、物珍しさも手伝ってあれこれちょっとしたワークショップに参加したりもした。
でもどういうわけか、ホロスコープをする人は周りに誰もいなかった。
当時は、人の潜在意識や魂と繋がってそこからメッセージを下ろす人(「チャネリング」という技法で、その人たちを「チャネラー」と呼ぶ)、チャネラーの人やそれに近いことを体系的にやってる人には会ったけれど、ホロスコープだけは全くかすりもしなかった。
しかも、「ホロスコープ=占い」という勝手な勘違いも手伝って、全く興味を持たなかった。
占いなら2年に1回ぐらいの割合で東京の占い師のおばちゃんのところに通っていたから、特段自分の運や人生の流れを自ら読むことには全く興味がなかった。
ああいうのは特殊な技術と知識がいるのは素人目にも分かったし、あの手の本たちを見ると卒倒しそうなぐらいに難しいのは知っていたから、それはお金を払っておばちゃんのような有能な方に見てもらうもの、という風に捉えてた。
だから、ホロスコープだけは一切私の人生の辞書にはないワードだった。
去年の秋口に、ホロスコープを受けたことがある友達がホロスコープの話を少ししてた時も私は思いっきりスルーした。
面白そうだけど、本気で何かを相談したくなったら東京のおばちゃんに会いに行けばいいと思ったし、そこまで精魂詰めて突き詰めることでもなさそうだった。
だから、友達がそれとなく情報を伝えてくれた時も全く興味が湧かなかった。
それがひょんなことから今年の2月にホロスコープ鑑定を受けることになった。
受けてある程度満足した私は、そのまま調べることもせず2ヶ月近く放置した。
変化したのはその後、この春4月に入ってからだった。
話がだいぶ飛ぶけれど、私は昨日の夜から今朝にかけて、また1つホロスコープの新しい読み方みたいなのの入口に入った。
言うなれば、足し算しか知らなかった子どもが次はかけ算を知るぐらいな感じに近い。
同じ数を使った計算だけど、内容は全く異なる。
私はひたすら自分の生まれた瞬間のホロスコープばかりを見ていたけれど、今この瞬間のホロスコープを見る方法や、先のホロスコープ、さらにはそれらと自分の生まれた時のホロスコープを重ねてどんなことが起こりうるかというのを見る方法みたいなのに気付き始めた。
個人的には先々のことを知ったところで今目の前のことができてなければ意味がないと思うから、先を読むことはこれからもそんなにはしないと思う。
しかもそれこそ本当にプロに習わないと読み方がほぼほぼわからないから、自分では読めない。
だけど、何でも興味が湧くとすぐに見たくなる性分は相変わらずだから、今月の来週に予定されてる大きな流れと、過去の大きなターニングポイントたちと、そして2020年の年末だけは調べて見てみた。
過去のターニングポイントたちは見てもさっぱりわからなかった。
大きな契約や大きな出来事関係の時期のホロスコープは、「で、だから何⁉︎何を読み取るの⁉︎」という具合だった。
だけど、今月と2020年の年末だけは、素人の私が見ても明らかにすごい状態のホロスコープが出てきた。
マニアックなことを言うと、例えば来週には天王星が7年ぶりに移動する。
移動するというのは、天王星が位置する星座が変わるということ。
7年前は魚座にいたのが牡羊座に移動して、そして来週には今度牡羊座から牡牛座に移動するらしい。
前回は2011年3月12日、東日本大震災の翌日に天王星が動いたらしい。
細かなことは省略するけれど、この天王星という天体が動く時というのは、天災が起こるという意味ではないけれど、それぐらい大きなことが社会的にも個人的にも起こってもおかしくないらしい。
その天王星と私の太陽星座が360度ある円の中でもう数ヶ月前からずっとぴったりとくっついてる。
それはこの先数ヶ月?1年?もう少し続く。
360度もあればどこに位置してたっておかしくないのに、なぜか私のはその2つが0度から3度ぐらいの間を付かず離れずの距離を保ってる。
この状態は何を意味してるのかは正直わからないけれど、多かれ少なかれ何かしらの影響を受けたり、ターニングポイント的な感じになっているんだろうなぁと思う。
ホロスコープの専門家たちいわく、かなり強烈な星の配置らしい。
さらに次のその2020年の年末には、そもそもの移動してる天体3つ(木星・土星・冥王星)がほぼほぼそのホロスコープの円周上の同じ位置に並ぶから、ホロスコープの情報を集めてると否が応でもその話題も目にする。
グレートコンジャンクションとかトリプルコンジャンクションとか呼ばれる。
ちなみにこれは、20年に1回の割合で起こるらしい。
だからそこに向けて色んなことが個人レベルでも組織やグループ、国家、社会レベルでも起こりやすいし、大きく変化する可能性も高いらしい。
その辺りは興味があまりないから放っておいたけれど、その今月のホロスコープと自分のホロスコープにやたらと共通点があってビックリしたから、それで2020年の年末も見てみた。
2020年はひっくり返りそうだった。
冒頭の「お茶の葉を読む女」を表す線の位置とそれら3つの天体がほぼほぼ同じ位置に重なる。
ちなみにホロスコープでは同じ位置に重なる時はそれだけでかいエネルギーが動くから、現実的には吉も凶もどちらも出やすいとのこと。
どちらに転がってもおかしくないらしい。
妹のはこの間作ったから同じサイトで妹の名前を選ぶと妹のものが見れる。
妹は私のようなそんなおかしな重なり具合には全くなっていなかった(3つの天体は世の中全体がそうだから重なるけれど、個人的なものには重なりがなかった)。
それを見て、初めて自分がホロスコープを見るようになった理由がわかった。
はっきりとはわからないけれど、それだけでかいエネルギーがこれから動くということを想定した時、せめて私がそれに対して心構えができるように、そのためにこういう情報にたどり着いているんじゃないかと思った。
30代の約10年、「水面下で何かが動いてる」感じというのは、正直かなり怖いことでもあった。
得体の知れない流れみたいなのがあって、もちろんそんなこと知らないから、色んなことが起こるたびに自分は翻弄されまくってその都度自分のことをケアして、当然周りにそんな意味不明なことを理解できる人なんか2人を除いていなくて(2人いただけでも超絶奇跡‼︎‼︎)。
現実に起こることと自分の内面と自分の個人的な計画と、もうすべてがミスマッチ過ぎて、本気で何なんだろう?と思ってた。
最初は自分の努力や頑張りが足りないと思った。
途中からは、頑張って何とかなることではないと諦めた。
最後は、色々あっても生きていたら何とかなるし、何とかならなくても今生きてるということは何かに守られてる、そう思うぐらいの境地に達した。
悟りを開いたのではなく、本気で色々おかし過ぎたから、自分でも受け入れられるように少しずつ意味を変えるようになった。
ちなみにホロスコープを調べてる中で、その根本的な原因というか理由となるものがわかった。
私の場合は、2つあって、1つは自分の本来の目的から大きく外れていたからこそ起こった軌道修正。
そしてもう1つは、つい昨日かおとといぐらいにわかって、そもそもの生まれた瞬間の星の配置が、自分でコントロールできないような出来事に見舞われやすいものになってるということ。
これにはものすごく納得した。
子どもの頃からなかなかの確率でしか起こらないような出来事にやたらと当たっていたから、あぁなるほどと思った。
だからこそ、その2020年のその異常な重なり具合が何をもたらすのかは知らないけれど、心の準備ができるだけでもかなり大きい。
過去のものは見てもわからなかったけれど、少なくともこれから先に同じようなもしくはそれ以上の何か大きなことが起きるとするなら、私はそれを知って自分のために準備ができるようホロスコープを知ったのかなと思った。
何か準備するというより、何が起こっても大丈夫なように自分の心の軸を整えたりさらに太くしたり、あとはこうして心の拠り所じゃないけれど、自分がこれをしてると楽しいとか満たされるというようなことを増やすとか。
色々あった中で学んだことの1つに、何かあった時に自分で自力で戻れる地点を作ることが大事だということが挙げられる。
それは何だっていい。
私の場合は、書くことだったり、朝日や夕日を見ることだったり、鍋に水を入れてお日様に当てて、そのお日様に当てた水を沸かして丁寧にコーヒーを淹れることだったり。
何でもいい。
とにかく心がズタズタでどうしようもない時に、一瞬でいいからそこから離れる術を持つこと、そしてそれを自分のためにしてあげること、そういうことの繰り返しで私は乗り切っていたから、それらがどれだけ大事かということがよくわかる。
誰かや何かに頼るのでもいいけれど、その人がいなきゃ立ち上がれないでは困る。
だから、1人で確実にできることに私は焦点を当てた。
そんなこんなの色んなことを経て、ホロスコープに2017年11月の終わりにたどり着く。
あの日のことを思い出しても、まさか私はそんな情報を受け取るために自分が出かけたなんて思っていなかった。
ペンジュラムは、単に私の日用品の探し物を買う店としてあのドラッグストアを示してるのかと思ってた。
あの時もよくできた偶然だとは思ったけれど、今はもっとあの状態がすごいと思う。
あの時手にした地域情報冊子が、私に「ホロスコープ」という言葉を教えた。
言葉は知ったけれど、その技法も中身もまるで何も知らなかった。
その時もまさかその4ヶ月後にこんなにどハマりして自分が調べるなんて微塵も思っていなかった。
さらにはそれが自分の未来に向けて自分の心構えを作るためのヒントになるなんて、当然考えてもいなかった。
だけど、昨日のあの未来予測みたいな図を見たら、知る必要があってこの全てのことは仕組まれていたのかなと思った。
だって、あの地域情報冊子からでは当然今行き着いた情報にはいかない。
ちなみに私は数年に渡ってホロスコープ関係のメルマガだけはずっと取っている。
今の流れや気をつけることを知らないより知ってる方がいいと思って、しかも月に2回程度しかこないから、全く負担にならない。
その時も色んな天体の名前やホロスコープ用語が出ていたけれど、私は見事にスルーしてた。
天体がどうだと説明されたところでわからないし、そこよりもそれらから読み取るメッセージの方が私は必要だったからそこだけ読んで、あとは読み飛ばしてた。
今やっとその読み飛ばしてた天体の概要を少しは読めるかもというところにきている。
自分のその360分の1の確率で起こるような天体の配置が起こる予定になっていて、自分では今実感がなくてももうその方向に物事は動き出してるように思う。
実際はもっと高い確率で起こってると思う。
円周上は確かに360度でも、それぞれの天体の公転周期は違う。
木星ー12年
土星ー29年
冥王星ー248年
冥王星の248年って何?と思う(笑)。
あまりにスケールがでかすぎて、248年とか言われてもピンとこない。
そんなバラバラの公転周期と自分のその「お茶の葉の女」が示す点とがそれぞれわずかな差で重なり合う。
さすがに「特殊」だと気付いた。
そんな何十年何百年と一周するのにかかる天体たちが一堂に会することも稀であれば、そこに私の個人の星座の位置までもが重なるなんて、どんな確率ですか⁇というのは、私でも「ありえない」ということだけはわかる。
私はこれと自分の今がどう重なり合ってるのかわからないけれど、確かにこの異常なほどのホロスコープ調べは常軌を逸してる。
毎日飽きないどころか、ますますマニアックな方向へと進んでる。
今日も3千円の高額なホロスコープの本をポチった。
さらに絶版で手に入らない2冊の本を、新潟の市立図書館が所蔵してると知り、私はそれを借りるべく面倒な手続きを日中した。
本来新潟市民ではない私は借りられない。
それで色々調べたら、先日初めて訪れた県立図書館経由で借りられることを知った(←「ご利用の案内」ページを隅から隅まで読んだ)。
県の図書館に電話して聞いたら、だいぶ渋られたけれど、私側の事情(窓口での手続きは距離が遠いから今すぐできないことや、近隣の図書館だと取り寄せるのに送料負担になる)を伝えて、(無理くり)申し込む方法を教えてもらった。
ちなみに図書館からもらったパンフレットには「電話でも受け付けられる」とあったから電話したのに、あの渋られようはその人が面倒だっただけだと思う。
で、その手続きもさっき完了した。
あとは本が届いたら取りにいけばいい、片道60キロかけて(苦笑)。
ちなみにこの情報に行き着くまで、私は近隣ではないけれど、ギリギリ図書カードが作れる3つの市の所蔵をこの1ヶ月ほどで調べた。
この時ほど平成の大合併を感謝した日はない。
探してた図書はなくても、とりあえず現市町村在住というだけで借りる権利が与えられるんだから、非常にありがたい。
はっきり言って自分でも変だと思ってる。
だけどそこまでしてでも知りたい情報で、それは諦めきれない。
しかももう絶対に読めないとわかった本が2冊も借りれるなんて夢のようだった。
2冊の本は、ある特定のホロスコープの手法について書かれている。
その手法の本は、なんとこれだけ本が溢れ返ってるにも関わらず、日本で今出版されてるのは調べた限りわずか3冊。
しかもうち1冊は絶版。
ちなみにポチった高級本は、その手法を理解するための別の手法みたいな感じ(多分)。
当然そんなマニアックな本だから、ネットでの検索も難航している。
だけど、絶対的に必要な情報だと根拠もなく感じてるから、それで随分と探し回った。
当然、4ヶ月前の私がそんな情報なんか1つも知るわけもなく、そしてこんなにもマニアックなことを調べるなんてありえない。
ましてや普段なら諦める。
手続きも面倒だし、本を取りに行ってさらにはまた返しに行くのも面倒くさい。
何に突き動かされてるのかわからないけれど、どこに行った?あの普段の面倒くさがり屋は?という感じ。
あの11月の時のことを思い出すと、今いる地点が不思議で仕方ない。
ふと気になってペンジュラムに聞いてみた。
ペンジュラムは先々のことも知っていて私にあの日あのスーパーであの情報誌を手にするように仕向けたのかと。
ペンジュラムはYESだった。
当たり前だけど、ペンジュラムは私が聞かない限り何も喋らないし教えてはくれない。
それこそペンジュラムが勝手に動き出したら超常現象だから私も腰を抜かす。
このブログでも何度も書いたけれど、ペンジュラムは単なる石にしか過ぎない。
ペンジュラムの透明な塊の中に答えが貯蔵されてるわけでもない。
だけど私が聞けば、その時は意味がわからなくてもきちんとした答えを返してくれる。
だってあの日ペンジュラムが教えてくれたことは2つ。
1つは、どのドラッグストアに行くのかということ。
もう1つは、ドラッグストアにはお目当ての品物がなくそこはあきらめて、同敷地内のスーパーに寄るかどうか(意味合いとしては寄った方がいいかどうか)ということ。
だからペンジュラムに「あのスーパーに行くと私に必要な情報をゲットできますか?」とか、「そこに寄ることで私はホロスコープを知りますか?」なんてことは聞いていない。
だけど私がきちんとその道に行くように、私の普段の行動や思考回路に合わせた答えをくれた。
そして「ホロスコープ」を知って、プロの鑑定士さんから自分のホロスコープの概要20ページ分の冊子をもらって、対面でもしっかり教えてもらった。
その2ヶ月後、突然スイッチが入って自分のホロスコープを調べるようになった。
まるでそれを見計らって仕事を3月末で辞めたみたいだった。
実際に辞めるその日まで、私は今の自分がこんなにもホロスコープマニアになってるなんて微塵も思っていなかった。
気付いたら、4月20日を最後に、人と会っていない。
友達の娘の家庭教師や、妹たちと姪っ子の帰省はあったけれど、あと父と母には毎日会っているけれど、あとはひたすらこもってる。
こもってホロスコープをひたすら読んでいる。
やっと別のことも始めるように今日からなったけれど、他はこのブログを書いたり家事をする以外はホロスコープ。
ずっとホロスコープ。
飽きるどころかますます奥の深さに魅せられて、新しい読み方を知ったらまたそれを調べる、調べてるうちにまた新しい情報を知るからさらに調べる…本当にこんな感じ。
でも、それは今私がしたいからするのもあるけれど、する必要があることでもあると思う。
でなければ、こんな風に時間が与えられるわけがない。
お金と一緒で、時間に関しても私は独特の解釈があって、必要がある時はそのための時間がもれなくプレゼントされる。
ある目的のために、それが遂行できるように環境が整う。
行き当たりばったりな生き方が続いたおかげで、その辺りだけは本当にわかるようになってきた。
必要なものは、それが時間でもお金でも情報でも道具でも、与えられる。
それもものすごく不思議な形で。
それは計画しても計画できない。
本当に不思議な形でもたらされる。
だから今回のこの時間も、ホロスコープを読み解くことが何かキーポイントなんだろうと思ってる。
冒頭の「お茶の葉を読む女」については、また今度ゆっくり言葉を紡ぎたいと思ってる。
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