自然と一体化する時間。
時々自然がものすごく恋しくなる。
田舎町は確かに自然に溢れ返っているけれど、地元の自然はいまいち好きじゃない。
贅沢なことに、私の中には好きな自然と好きではない自然とがある。
その明確な境界線は言葉では説明できないけれど、その場に立つとそこが好きかどうかわかる。
その場所が人によって守られてたり愛されてたりすると、多分場所自体も喜んでいて、それがそのまま居心地の良さを生み出す。
反対に荒れたまま、誰からも振り向いてもらえないところは、場所も寂しいのかその空気が漂ってる感じがする。
私の主観だからわからない。
だけど、立つとわかる。
そういう意味で、北九州に飛行機で降り立った時、上空から見下ろした風景と実際に陸に着地した時の風景の両方が生き生きとしてて、とっても気持ち良かった!
何ここ⁉︎と思った。
あと、家の墓参りも行けば行くほど墓場の空気が好きになってる。
墓場の空気が好きなんて考えたことも思ったこともないけれど、ふと気付けば、そこは何かまた別の空気が流れていて、空気がすっとしてる。
最初怖いのかと思ったけれど、何てことはなく、太陽の光も鳥のさえずりも風も、他の場所と何ら変わらずに存在してる。
雨が降る日は同じように雨が降ってる。
そして何十回(多分100回は超えた)と通うことで、その場所に愛着も湧いた。
色んなものに守られてるんだなと感じる。
私は昨日木に寄りかかって、本を読んだり日記を書いたりしてた。
2回目に訪れた場所で、その前の日、桜が見頃ということで一瞬だけ目にした夕方のニュースに映し出されてた。
そこは、半月ほど前、ペンジュラムが案内して連れてってくれた場所だった。
ペンジュラムなくしては辿り着けない場所で、テレビの向こうに見える桜を見て、ちょうど近くに用事もあるから見に行こうと思った。
その広い大きな公園で、適当に一人でゆっくり過ごせる場所を探した。
前回とは違う駐車場だったようで、全く見覚えのない場所にいた。
桜がメインだったから、あとは探したら適当にゆっくり過ごせるところがあるだろうとしばらく歩いて奥の方へと進んだ。
10分ほど歩いたところに、座るのに気持ち良さそうな1本の木を見つけた。
木の生え方が人間の背中をくっつけるのに本当にピッタリで、私はその木をとても気に入った。
そこで私は読書と日記書きをした。
ふといつかのコーチングの個人セッション(カウンセリングのようなものを思い浮かべてもらうと状況としては1番近い)の時、名古屋の熱田神宮の茶屋の外で雪を見ながらしたことを思い出した。
確か甘酒を頼んで、池にポタポタと落下する雪を見ながら、屋外でセッションをまんちゃんから受けてた。
私はコーチングの個人セッションを月に1回2年間ほど受け続けていたけれど、ほとんどの回を屋外の自然の中でしてもらった。
私がリクエストして、まんちゃんは適当な場所を毎回見繕ってくれそこへ連れてってくれた。
熱田神宮の日はまさか雪が降るとは思わず、でも今さら場所も日にちも変えられず、そんな滅多にないせっかくの機会だから、まんちゃんさえ良ければ外に出て雪見ながらセッションしよう!って私から提案した。
まんちゃんは二つ返事で喜んで引き受けてくれ、それで寒い雪の降る中でセッションをした。
上空から落ちてくる雪を見て
「雪みたいに生きたい」
と私は大真面目に言ったことを覚えてる。
「ここが私の着地点!と決めず、自由に動いて動いた先が着地点になる、そんな生き方をしたい!」
と理由も説明した。
組織の中で勝手に組み込まれた目標があって、それに向かって動いていく、その在り方が全く合わず、でもかと言って退職願が受理されずの頃で、色々もどかしい時だった。
外側から決められたものに対して、自分も賛同してる時は即行動できるけれど、納得できない時は私はまず自分を何とかその路線に当てはめることから始めないといけなかった。
そして私の場合、圧倒的に後者が多くて、毎回自分のないモチベーションを何とか生み出すことから始めてた。
ちなみにモチベーションと言うと聞こえがいいけれど、私のモチベーションは「◯◯しないと後から上から詰められてもっと面倒なことになるから、それは嫌だけどしてしまおう」みたいなのが圧倒的に多かった。
だから落下点も決めずぼたぼたと落ちてくる雪たちを見て「雪みたいに生きたい」と思った。
そんなことを木に寄りかかりながら思い出してた。
私は今時間のあるうちに自分のホロスコープ鑑定書を必死で解読してる。
2月に受けた時から、生年月日+出生時間+緯度経度だけで私というのがどんな性格でどんな目的を持って生まれているのかが割り出されていて、凄いなとは当初から思ってた。
そしてつい1週間ほど前、その読み解き方のもっと詳しい方法についての記事を見つけて、それでまた鑑定書を引っ張り出して、何なら本も1冊買って並行して読み進めてる。
その中に「一人の時間は必要で、瞑想やヨガ、自然と同調すること、綺麗な音に触れることでエネルギーのバランスをとれます」と書かれている。
私はそんなこと知らずに、自然と同調する時間を自然に取り入れていた。
まんちゃんのセッションでは、400メートルトラックはありそうな広さの芝生の上に寝転がってしばらく空を見てボーッとしたり。
トトロに出てくる木のトンネルのような場所に行ったり。
いつかは朽ちた草の中にある倒れた木の上に座ってセッションをした。
あの時は完全に自分と自然との境目がなくなって、普段感じたこともない感覚なのにそれがとても自然な感じでとても感動した。
13ヶ月何もしてなかった時も週4くらいのペースで毎日のように夕日を眺めに散歩がてら出かけてた。
自然に触れ合うと、自分が落ち着く。
心の洗濯じゃないけれど、心が洗われる。
そうしたことまでホロスコープ鑑定書に書かれているから、私はこれから先の自分の人生のヒントをもらうために、さらに読み明かそうとしてる。
【私信】
話はガラッと変わって、1つ思い出したことがあったから、それを忘れないうちにメモメモ。
社内では言葉少なでそしてうまくゴマすりじゃないけれどそういうこともしないようで上の人たちからの評価がイマイチだという人。
その人は取引先の人たちからはとても評価が高かったと人づてに聞いたことを思い出した。
相手先はシーエスさんというところで、そこからの評価はとても高くて上々だったと、シーエスさんからその話を直接聞いた男性が仲良くしてる女性に伝えて、その女性Sさんが私に言ってきたんだった。
この話と自然と同調することとがどう結びつくのかさっぱりわからないけれど、私はこれを書いてる時にその話を急に思い出した。
その人の自然な姿だったのか、それとも頑張って振る舞っての姿だったのかは本人じゃないから知らない。
だけどいずれにしてもそれが相手先から信頼を得ていたのは本当で、それはこれを書きながら伝えなきゃと思った。
たしか『とても信頼できる人』と相手方も言ってたと聞いた。
私はシーエスさんを知らないから普段どんな風なのかわからないけれど、そんなことをわざわざ言うぐらいだから相当評判が良かったんだと思う。
少なくとも現在の担当者は「シーエスさん、ちょっと面倒なところがあって、最近ようやく意思疎通ができるようになった」と言ってたから、一筋縄ではいかない人なんだろう。
私が書いたところで伝わらなくても、とりあえず耳に入れたことで今思い出したから書こうと思った。
最近特に思う。
人が誰か他の人と関われるのは一瞬で、その一瞬を逃すと関わりたくても関われない。
ましてや人づてに聞いた良い話は、口を開かない限り本人に伝わらない。
こんなところに書いてどうするんだと思うけど、とりあえずの発信場所・私用の備忘録としてメモに残した。
だから【私信】。
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