2018年4月17日火曜日

一目惚れ

楽しい夢が未来の予定にひとつ加わった!

私の中でペンジュラムは今手元にある2つで、その2つが紛失したり割れたりしない限りは、新しいものを迎える予定は頭の中に一切なかった(天然石だから割れないとは言い切れない)。

ところがつい先日、新しいペンジュラムの見本をある人から写真で見せてもらった。

もう一目惚れだった。

そのペンジュラムは私の元へは来ないけれど、代わりに私は年内秋以降にそのタイプのペンジュラムを自分用にひとつ作ってくる。

完全に手作りで、世界に1つしかないペンジュラムが出来上がる予定♡

どんなものが出来上がるのかはわからないけれど、もう今から楽しみで仕方ない。

2つのペンジュラムにも早速「新しいの迎えてもいい(ワクワク)?」と聞いたら、2つとも勢いよくYESに回ったから、年内どこかのタイミングで新しいペンジュラムが仲間入り‼︎

しかも新しいペンジュラムは最強で、単なるペンジュラムだけではなく、プラスαの役割も兼ねる。

そちらのプラスαの方も私は大好きなものだから、その2つのコラボなんてもう夢のような競演で、それを考えてくれた写真の人にはひたすら感謝してる。

ペンジュラムを使い始めてそろそろ2年。

まさか自分で自分のペンジュラムを作るなんて思ってもみなかった。

そして最近ペンジュラムの使い方が変わってきている。

相変わらず私のために常にフル活用されてカーナビなんかもさせられ、まぁこの上ないぐらいバンバン働いてもらってる。

だけどそれとは別に、最近は私以外の人たちのためにも一肌脱いでもらってる。

それはその人たちそれぞれにとって大切なメッセージがあれば、聞いたままを伝えている。

もちろん伝えることは本人にとってプラスの作用になるものに私が限ってる。

相手を不安がらせたり変な恐怖心を植え付けるようなことはしない、当たり前だけど。

ペンジュラムを初めて手にした時は、そんなこと考えたこともなかった。

あの時はただただずっと欲しくていつかは買おうと思ったものがアジア雑貨屋にあって、ようやく自分の欲しいものに出逢えた!という感じでしかなかった。

しかも使うこと自体が初めてだったから、自分以外の誰かのために使うなんて発想は一ミリもなかった。

私はこの2年弱でかなりな人たちの目の前でペンジュラムを見せてきたけれど、本気で他の誰かのために使い始めたのはここ2、3ヶ月だと思う。

今思うに、ペンジュラムが私のところに来てくれたのは、単に私が自分のためだけに使うんじゃなく、他の人たちにも必要に応じて使っていく、そのためのような気がしている。

私の手の親指より小さいペンジュラムは、それで色んな人たちに各自にピッタリのオルゴナイト(その人専用のお守り)を選んでいった。

ペンジュラムが出した答えによって、人によってはそれが自分と向き合うきっかけになった人もいた。

自分の人生の中の大切な局面であとひと押しが欲しい時、欲しい人たちの背中を押すこともある。

とにかくペンジュラムが私だけじゃなく私以外の人たちの人生にもちょっとずつお助けマン的な感じで動き始めてる。

そこから私も色んなことを教わってる。

ペンジュラムはあくまでもペンジュラムであって、それにより誰かの人生の選択、たとえそれが小さな選択であっても、それを邪魔したり、相手の意思決定のプロセスを阻害してはいけないこと。

それはもちろん失敗から学んでいった。

最初は人に聞かれるままにペンジュラムに聞いてたけれど、それで本人の意思とは真逆のもの(実際は真逆ではなく本心だったけれど、聞いた時点では本人もそれに気付いてなかった)を伝えて失敗というか、ちょっとした騒動を起こした。

騒動と言っても私の側は何の影響もないけれど、本人はその後色々あった。

(ちなみに相手は、それをする気がないのにする方を選んで、ペンジュラムは猛烈にNOを伝えてきたけれど、もうどうにもできず。
それで実際に自分の気持ちとは裏腹にやったら結局色々違っていて、そこと関わることは止めた。
結果的には色んな意味で良かったとは思うけれど、その時に安易に聞くことは相手のためにもならないとわかった。)

それがあったから、それ以降聞く前に必ず伝えるようにしてる。

・まずは本人が自分の答えを決めること。ペンジュラムに決めてもらおう!は絶対にできないこと(と説明して、私がそういうのは断ってる)

・真逆のことを答えとしてペンジュラムが言ってきたらどうするのか、聞く前に決めていて欲しいこと。
仮に反対の答えが出てきた時は、どちらを選ぶのも本人の選択であることも伝えている。

今後もペンジュラムはもっともっと幅広く活躍するようになると思う。

私が使い方さえ間違わなければ、ペンジュラムは私にも私以外の人たちにもヒントやメッセージをくれると思う。

もし私が使い方を間違えたとするなら、ペンジュラムは多分容赦なく私に厳しいものを突きつけてくると思ってる。

私のためにならないことや、人を陥れたり傷付けるようなことは、絶対にペンジュラムは答えないだろうと頑なに信じてる。

実際に去年の秋口に、ペンジュラムがある特定の質問に対しては一切答えてくれない時期があった。

でもそれは私のためにならないと言うよりも、ペンジュラムが見せてくれた最大のやさしさだったと思う。

当時大揺れでいつも不安な私の気持ちに寄り添ってくれた、そんな感じだった。

ペンジュラムは答えないことで(その時以外、今のところそんなことはまずない)、沈黙することで、何か違うことを私に伝えていたと思う。

ちなみに今もその沈黙の意味はわからないままで、多分死ぬ直前にならなきゃわからない気がする。

もしくは、私を取り巻く状況が大きく変わった時に初めて知れるようになってる気がする。

新しいペンジュラムを迎える頃、今手元にあるペンジュラムたちがどんな風になってるのかなと思うと今からとても楽しみ。

ペンジュラムについては、私も一緒に成長していけるからすごく楽しいし興味深い。

もちろん買ったのは私だけれど、ペンジュラム自身も私を選んでくれた気がしている。

唯一このペンジュラムだけが「私と家に帰る」の質問にYESと言ってきたから。

他の20近いペンジュラムは全部NOだった。

だからペンジュラム自体も私を選んでくれたんじゃないかと思ってる。

布団の上でペンジュラムを使う時、過去世で体が弱くて早死したとされる男の子もこんな風に使ってたんだろうかと思う時がある。

自分の一部のように感じてとても大切にしてたと聞いて、今もあまり変わらないなと思う。


【その後の話】
話はガラリと変わるけど、私は今日、友達が見て読み上げたとされる看板を、友達が言ってた界隈の近くに行くついでに車で回って探してみた。

怪しいぐらいにグルグルと色々回ったけれど、結局その看板を見つけることはできなかった。

私もその看板を是非とも見たかったけれど、見つけられないのは仕方ない。

あきらめた。

でも私は彼女が教えてくれた看板の話は、彼女が本当にメッセンジャーをしてくれたんだと思ってる。

一ミリも疑っていない。

実は彼女は過去に2回、私にその看板に関連してる人に関して別のメッセージを伝えてくれたことがある。

基本的に彼女は見えたり聞こえたりしない人だし、そういう特殊な力がある人でもない。

なのに彼女はその過去に2回伝えてくれたことは、「ぶっしー、本当に変なんだけど、でも本当にそうだったから…」と説明してから、彼女がキャッチしたことを私に教えてくれた。

彼女の説明の仕方も可笑しくて、「本人は無意識かもだけど、念を飛ばしてるとしか思えない」と言った。

「自分でぶっしーに直接伝えればいいのに、私が代わりにキャッチしてどうするんだろう」と言いながらも過去2回彼女は実に丁寧にメッセージを説明してくれた。

メッセージと言っても、私のこのブログみたいな長いものではなく、キャッチしたものは一瞬のことで一言ですぐに終わる。

ただそのキャッチしたものがどういう風だったのか、そこが私に伝わるように細かく説明してくれた。

彼女はその説明の時、普段の自分の思考回路やひらめき方や感覚とどう違っていたか実に詳細に伝えてくれ、「だからこれ私が思ったこととかじゃないから、私以外のところから来てるのは間違いないから」と最後は締めくくってた。

今回の看板に至っては「とうとう私を土曜出勤させてまで、そしてありとあらゆるおかしな偶然をいくつも私に見させて、そこまでして私にあの看板を読ませたかと思うと半端ないね、見えない部分での影響力が。
さすがに疑い深い私でさえも、こんなに幾つものありえないことを見せられた挙げ句の看板を読むだから、疑うことさえできないんだけど。
看板を読むぐらいはいいけれど、土曜出勤はいただけなかったわ!」と笑いながら伝えてくれた彼女には本当に感謝してる。

彼女のメッセージも看板もさっき書いたペンジュラムの沈黙も、実は共通点がある。

今はそれぞれが点と点だから、それを繋ぎ合わせるとどんなストーリーなのかはまだ何も知らない。

生きてるうちにその全てを知れる日が来るといい。

全容を知る時は、そんな間接的じゃなく当の本人から話を聞きたい。

聞きたいしそうなることを願ってる。

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