明け方、夢の中だったのかまどろみの中なのか、過去のある場面がパッと出てきた。
寝ている時の夢みたいに、私はその場面を見ていた。
私ももちろんそこにいるけれど、実際の現実と少し違っていて、私自身はその場面を別の視点から振り返っている、そんな風だった。
茶色の作業机に私は座っていた。
机の向こう側では探し物をしている人がいた。
全部のキャビネットを開けても探し物はなかったようで、私はそこで「何か探してますか?」と声をかけた。
その場面が出てきた。
実際の場面そのままだったけれど、明け方の私は「何で目の前の人がそこにいて、私もそこにいるんだろう?」って思っていた。
景色は見慣れていても、その状況がとてつもなく不思議に思えた。
そもそも何で私はここにいるんだろう?って。
そしてその人も何で作業机3つ分先の距離にいるんだろう?って。
一瞬にして、すべてが有り得ないことだらけで成り立っているのがわかった。
当時の記憶はかなり曖昧だけど、私はその机に1日中ずっといるわけじゃなかった。
他の仕事の時は本来の席か、はたまた私の席から真逆の位置に当たる空席を使っての仕事の時もあるから、ずっとずっとそこに張り付いてるわけじゃなかった。
今現在の話をすれば、私はそこにほとんどいない。
当時は確かにその机の上が一番広く使えて色んな道具が揃っていて、そしてその広さと道具を使わないとできない仕事がたくさんあったから、そこにいることが多かった。
だけど今はそこでする仕事が少なくて、1週間のうち全部足しても数時間しかいない。
全くいないわけじゃないけれど、1日中そこにいるとか、1日の大半をそこで過ごすようなことは皆無に等しい。
当たり前だけれど、当時の仕事の内容は私が決められるわけじゃなくて、東京にある本社から不定期に送られてくる資料に基づいて私の仕事は始動する。
何百とある個別の資料だって、私が流れを管理できるものなんて1つもなくて、その送られてくる順番だって何基準かも知らない。
私は来たものを来た順にコピーを作ってひたすらファイリングするだけだった、当時は。
その日もその仕事をしていたのか、他の作業をしていたのかは憶えていない。
だけど丁度その席に座っていて、そして机の向こう側では探し物をしている人がいた。
探し物の人物だって、滅多にそこで探し物はしていなかった。
必要なものは時々取りには来ていたけれど、横一列に並んでいるキャビネットを全部開けてまで探し物をしてたのは、少なくとも私が見ていた限りその時1回だけだった。
キャビネットの中も私は自分がよく使うから他の人たちよりかは熟知していたけれど、でも自分から積極的に「何を探してますか?」なんて声をかけることはほとんどしなかった。
基本的に相当困ってるという雰囲気を察しない限り声はかけないし、この数ヶ月でかけた人は片手で数えるぐらい、回数も片手で数えられるぐらいだと思う。
だから、そもそもその状況自体がとても稀なことだった。
私が夢なのかまどろみなのかわからない中で「何でここにいるんだろう?」って思ったのは、自分の人生においてどうしてそこに居合わせたんだろうという意味でだった。
私はほとんど仕事の内容を知らずに、ましてや会社の概要も雰囲気も何なら何人ぐらい働いてるのかさえも、本当に知らずに今の仕事には就いた。
私はもしそれらを詳しく知ってたとするなら、絶対に選ばなかった。
そもそもこれまで四六時中喋るような仕事を10数年もしてた人が、いきなり1日の大半を口を閉じて黙々と仕事をするなんて本当に有り得ないことだった。
そしてどの仕事1つ取っても、私の采配で決められるものは皆無に等しい。
私が決められることは、与えられた仕事たちの中でどれをその日に優先的にするかと、あとはする時のペースくらいなものだった。
仕事の段取りはしても、仕事全体の流れはそもそも私の意思は何1つ働かないところで勝手に決められていて、それにただただ従って動くというスタイルでここまで来ている。
ちなみにこういうスタイルでの仕事さえも初めての経験に等しかった。
私のこれまでしてきた仕事は、瞬時に自分で判断を下したり、全体の流れを知った上で自分で采配を振るったりする、そういうことが圧倒的に多かった。
大枠は上の人たちが決めるにしても、実際の動きとなると私個人の判断ややり方でやれるようになっていた。
だからこんなにも自分の意思が働かない流れで動くこと自体が私の人生では異例なことだった。
だからあの日のあの場面は、今の仕事だけを見たら普段の流れの一部みたいだけど、本当は私の意思もコントロールも及ばないようなことの連続で成り立っていたのが今となってはよくわかるから、だから何でそこにいるんだろう?って寝ぼけた頭の中で思ったのも無理はない。
しかもあんなにタイミング良く探し物をしてた人だって、普段1人で探し出せるのにあの時だけは探し出せなかった。
それもそのはずで、キャビネットの中にはなくて、全然別の場所に保管されていた。
今でこそそのスタイルが定着しているから誰しもがキャビネットになければ私の作業机の脇を見るようになったけれど、当時はまだまだ全てが定まっていなかったからそういう発想にならないのが当たり前だった。
私はここですよと教えながら、その一瞬一瞬が本当に臨場感を持って迫ってくることにものすごくドギマギしていた。
私は自分の心臓の脈打つ音が外に聞こえるんじゃないかと思ったぐらいで、でも同時に探し物の人物の動きもそれと同じぐらいに不自然で、普段すごくスマートに動く人なのにやたらとぎこちなくて何だろうと思った。
その人のぎこちなさは、私が変なことを口走ったのかと疑ったほどだった。
その瞬間、何でその人はその人の人生の中でそこにいて、そして私は私の人生の中でそこにいたんだろう、それってどれぐらいの確率で起こることなんだろうって思った。
偶然のような出来事でありながら、あれはもうそのように仕組まれていた瞬間だったんじゃないかと思った。
相手や私が仕組んだのじゃなくて、お互いのコントロールも及ばないようなところでそれが場面設定されてたんじゃないかと、そう思った。
この場面には続きがある。
これも細かいことは忘れたけれど、私はある1つの資料だけずっと作らずに先延ばしにしていた。
何を面倒だと思ったのか、とにかく遅れて到着したその資料だけはすぐに着手せずにそのまま放ったらかしていた。
他の資料たちは普通に作るくせして、それだけはなぜか先延ばしにした。
まさかそれがその探し物の資料たちと同じ種類のものだとはどんな偶然だろう。
先に言ったように、資料が本社から送られてくる順番なんて私にはさっぱりわからないから、そもそもそれ1つだけが後から来た理由は知らない。
そして私が何を思って先延ばしにしたのかも。
憶えてることは面倒くさがって先延ばしにしたことだけ。
私は面倒くさがった自分に心から感謝した。
私は速攻その時にしてた作業を中断して、そちらの先延ばしにしてた資料のファイル作りを始めた。
私は頼まれない限り、1冊だけ資料のファイルを作ることはその時1回しかしていない。
流れ作業的な仕事だから、1冊だけ作るのはかえって手間だし面倒だから、毎回まとめて10数冊作ってしまう。
だけどその時はその1冊のためだけに他の作業を中断してでもファイルを作って、そして渡しに行った。
不必要ならいいけれど、必要だと相手も困るだろうと思ってそうした。
ファイルを渡してから戻されるまで、2〜3分程度だったと思う。
私にはその瞬間のこともよく記憶に残っている。
どう考えても当時は資料のファイル作りが山積みだったから、その資料だけいつまでも面倒だと感じて作らなかった理由がよくわからない。
他のファイルを作る時に作ってしまえばいいのに、どうしてかそうしなかった。
よくよく考えたらそんな特殊な先延ばしは、その時しかしていない。
今は資料の数が激減したから、ある程度数がまとまるまで待つことはするけれど、1つだけを単独で先延ばし、しかも単に面倒くさいという理由で先延ばしなんてまずやらない。
それもおかしかったし、そしてそもそもそれらの場面が人生の中の本当にたったの数分だけ突然現れるのもおかしな話だった。
そしてそのたった数分の中に私もその人もいるなんていうのはもっとおかしかった。
もう同じ場面は二度と訪れない。
人生でたった一度きりの、最初で最後のワンシーンだった。
だから夢なのかまどろみの中なのか、私はその瞬間にお互いが居合わせる、人生でお互いに少し前までは全く接点のなかった者同士が、そんなに近くにいてある瞬間を共有する、そんなすごいことが普通の顔して起こっていたことにただただ驚いていた。
たった数メートルしか間のない距離に何かの偶然で運ばれて、よくわからない鍵の掛け違いみたいなのがいくつも重なって、そして実際のやり取りが生まれる。
もう二度とはないその場面を、私は上から見下ろすように見ていた。
私の意思も意図も感情や気持ちも何も
影響を及ぼせないようなところでそれは起こっていた。
引き合わせてもらえたんだなとわかった。
2018/03/24 金沢市内
2歳の姪っ子メイが私の隣りで昼寝から起きた。
メイのお母さんである私の妹は体調不良で寝室で寝てた。
メイとエンドレスアイスクリーム屋ごっことかする元気はなかった。
メイと近くを散歩しよう!となった時、メイが「シール!」と言った。
前の日、今回の訪問に合わせてメイに買った月刊誌を2人で見て、その時付録であったシール遊びをして、それをメイがとても気に入った。
メイがあまりにも気に入ったから、「明日シール買いに行こうね!」と口約束をした。
メイはしっかり覚えていて、「シール!」と言ったのだった。
全く土地勘もなく、何なら出かけてもないから近くの地理さえわからない。
iPhoneで地図を見て、妹が言うように歩いて10分程度のところに1つ大きなスーパーがあるのがわかった。
メイと一緒にそこにシールを買いに行こう!と言って2人で出た。
ひたすらまっすぐに歩き、スーパーのすぐ手前の大きな交差点で信号待ちをしていた。
ふと目を向けると、私とメイはある車のメーカーのショールームの前にいた。
大きなショールームを持つ販売店で、少なくとも3台は店内に車が展示されていたと思う。
メイと私のすぐ近く、ほんの2メートルほど先のところにあった展示車を見て私は驚いた。
世の中にはたくさんの車がある。
なのに何でその車が展示されていたんだろうと思う。
国内有数のメーカーだから、まさかその展示車3台のみしか生産されてないなんてことはない(全貌は見てないから、店内にはもっとたくさんの車が展示されてたかもしれない)。
しかも私とメイはショールームの前は歩かず、あくまでショールームの角にあたる交差点で信号待ちしてるにしか過ぎなかった。
さらに言えば、妹が体調不良でなければ私はメイと外に2人きりで出ることなんて考えなかった。
しかも土地勘のない町で。
メイがシール貼りを好むのも、今回月刊誌を持って行って一緒に見なければ私には知らないことだった。
妹も買ってきたシールを見て「それ、メイ好きだと思う!」と言うぐらいだったから、妹も私にはメイがシール貼りが好きなんてこと事前に一切教えていなかった。
ショールームの車に驚いたのは無理もない。
その車は、私がこのブログを再開するきっかけになった車だから。
そして、どういうタイミングなのか、今朝だったか昨日の朝だったかに、先に書いた仕事の実際にあったワンシーンを思い出して、それともこの車は繋がっている。
金沢なんて、今回妹家族が仕事の関係で住まなければ、縁もゆかりもない土地だった。
1つ1つのことは全く何の接点もない風に普段は見えるけれど、全然関係のないこと同士がある1つのストーリーの中では全て結びついていく。
何なら、妹の旦那の金沢転勤だって旦那が決められたことではないし、そしてそもそもメイ自体は妹夫婦にとって待望の我が子だった。
不妊治療を止めたらやってきた命だった。
だから妹の旦那である義理の弟はもう16年も知ってるけれど、メイはまだこの世に生まれて2年3ヶ月でしかなく、付き合いスタートしてからの日が浅い。
こんな言い方はおかしいけれど、メイがいなければ私はスーパーに行くなんて思い付きもしなかった。
さらに言えば、今回のように6連休も取れて、メイも妹も基本的に毎日家にいられる時に訪ねるなんて、これが最初で最後じゃないかと思う。
メイは4月から保育園に通うし、妹もそれに合わせて働き始める。
今みたいにこんなに自由に数日間一緒に過ごせるなんて、もう二度とはないかもしれない。
今は「フミコ」「ヒュミコ」と言いながらメイは私を四六時中慕ってくれるけれど、年齢が上がれば一緒にいたいのはおばじゃなくて友達だったり彼氏だったりする。
本当に人生の中のほんの一瞬しか存在しない時間をメイたちからもらっている。
これらを奇跡と呼ばず、他に何と呼ぶんだろう。
人生はすべてが奇跡で成り立っている、そう言えるぐらいに、そしてそれがわかればわかるほど泣けるぐらいに、奇跡の中で毎日生きている。
すべてが見えないところで色々繋がっていて、そして私に壮大な物語を見せてくれている。
「奇跡」という名の物語を見せてくれている。
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