そもそも「メガネ女子」という言葉が出てきたのは、ある人との会話の中でだった。
「そういえばいつか『タイプの女性ってどんな人?』みたいな話になったんですよ。そうしたら『メガネ女子』って言葉が返ってきました。あの人がメガネ女子が好みなんて言うの、なんか面白いでしょ?」
それを聞いて、私もたしかにメガネをかけているけれど、その話の中に出てきた「タイプが“メガネ女子”」というものとは大きくかけ離れているんだろうなぁと思った。
そう思いつつも、一体全体メガネ女子というのが何を指すのか定かではなかった私は、その後ネットで検索した。
検索したことをとても後悔した。
ネット上で紹介されているメガネ女子たちはみんな可愛いか美人かのどちらかだった。
っていうか私は一体何を勘違いしてるんだろう、と冷静になると、タイプの女子の話は忘れられなかったけれど忘れる努力をしようと決めた。
代わりに、ふわ~っとメガネについての思い出がよみがえってきた。
1つは子どもたちと交わしたメガネの会話(☆)。
もう1つはある夏の日の風景。
私はその日用事を済ませてある大きなビルを後にした。
ビルの外は晴れていて、のんびりと時間が流れていて、空の青空が気持ち良かった。
何一つ悲観することなんてなかったし、切ない出来事もなかった。
日常的にはとても落ち着いていた。
なのに突然私は泣きたくなるぐらいにとてつもなく寂しくなった。
とにかく寂しくて寂しくてたまらなかった。
原因が何かもわからず、ひたすら寂しかったし切なかった。
そんな感覚に陥っていた時、メグミさんの顔が浮かんだ。
他にも近くに人は何人かいたけれど、会いたいと思ったのはメグミさんだった。
メグミさんならこの感覚わかってくれるだろうなぁと真っ先に思い浮かんだ。
メグミさんは私よりいくつか年上で異国の地で3人の子どもを育てていた。
旦那さんはいるけれど、家にいない日の方が多かった。
だから私も遊びに行きやすくて、2回か3回メグミさんの家に泊まらせてもらった。
いつかの泊まりの時、メグミさんと子どもたちと私とで映画『メガネ』を見た。
メグミさんはその映画が好きで、わざわざ日本からDVDを持ち帰ってきたと教えてくれた。
私がその映画を見たのはその時が初めてだったし、それ以降一度も見ていない気がする。
メグミさんはその映画の中の空気が好きで、何回見ても飽きないと言う。
私もその映画はとても好きだったし、また機会があれば見たいなと思う映画ではあったけれど、当時は全く違う感想も同時に抱いていた。
たしかに映画の中の空気感は独特で、見ていてとても癒される。
でも私が抱いた感想はそれではなく、この映画は寂しいということがどういうことかわかってる人が初めて見てわかる映画なんだと思った。
わかるというのは「理解する」という意味で。
自分の寂しさがわからない人が見てもその空気感やその良さは多分全然わかんないだろうなぁと。
しかもメグミさんは四六時中子どもがいて、旦那さんもいる。
だけどそんなことでは埋められない、人間誰しもが持っている寂しさをきちんと知ってる人、そういう感じだった。
メグミさんは、一緒にいて楽しい人だし、あっけらかんとしているし、根っからの明るさを携えている。
だけどそうではない一面、寂しさについても何か大切なものを知ってるという風な人だった。
だから、あの晴れた青空とのんびりと流れてる時間の中で、ふととても人恋しくなって寂しくなって、無性にメグミさんに会いたいと思ったのは、その時の気持ちとメグミさんの家で『メガネ』を見た時に感じた気持ちがとても似ていたからじゃないかと思う。
「メガネ女子」という言葉を聞いたのは2017年の秋10月。
そしてそこからあの青空の下で思ったことと映画『メガネ』が繋がるわけだけど、それは2008年か2009年の出来事。
8~9年の開きがある。
それでも時間の間隔なんか関係ないのか、すっと1本の道で繋がれているかのように色んなことを思い出した。
今同じような気持ちになれというのは無理があるけれど、私はあの時のすごく寂しくなった感覚は今でもよく覚えている。
自分ひとりぼっちみたいな、それは誰かがいてくれないからとかじゃなくて、何か命の根源のところで乾いている・欠けているみたいな、そんな感じだった。
【あとがき】
『メガネ女子』は実際に2017年の10月に最初書いた話。
当時自分がどんな思いでその単語を耳にして、一喜一憂どころか一喜百憂ぐらいな感じになって、なんかその憂うつな感じが痛々しくなって、それで多分脳内では他の「メガネ」ストーリーを探そうと必死になったんじゃなかったかと思う。
今思い返しても自分のちょっとしたぬか喜びが痛々しい感じはそのままだけど、でもそこから色んなことを思い出した。
それこそ死ぬ時に自分と一緒に持って行く思い出をたくさん思い出した。
もし自分が死ぬ間際に「メガネ女子」という言葉をもう一度聞くことがあったら、その時はこの一連のすべてのことを思い出したいなぁと思う。
私しか知らない思い出を自分の胸の中にいっぱい広げて、それで「あぁあの時はあの時で素敵な人に出逢わせてもらえたんだな」と思って死ねたら最高だろうなぁと思う。
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