最近とみに出てくるシーンがある。
私は子どもの頃誘拐されかかったことがある。
時間にしたら多分10~15分程度、でもしっかり記憶が残っている。
そしてそれを思い出す度に、自分の命が救われた奇跡をすごいと感じる。
すぐ下の妹はいたけれど一番下の妹はいなかった気がするから、多分4歳頃だと思う。
その日父の友達がうちの家に飲みに来ていた。
母は用事があって近所のケーキ屋さんの家に夜出向いていた。
お酒を飲んでいる父に「おかあさんをむかえにいってくる」と言って家を出た。
近所のケーキ屋さんは大人の足で歩いたら1分で行ける距離。
子どもの足でも5分とかからないと思う。
家を出てすぐ隣りの機織りのおうちを過ぎた角を曲がる手前のところで男の人につかまった。
その辺りの記憶はうっすらとしかないけれど、相手はおじさんではなくお兄さんだった。
子どもがお兄さんと思うぐらいだから、若い人だったと思う。
その人は私を抱えあげて「犬を見に行こう」と言ってきた。
私は当時から動物がとても苦手で「みにいかない、イヤだ!」と全力で抵抗した。
子どもだから変と思っても何が変なのかわからなかったし、当時は隣り近所みんながみんな知ってるみたいな時代且つ地域でもあったから、その人に声をかけられても危ないと思わなかったのかもしれない。
私はそのままその男の人をふりきってケーキ屋さんの家に行くつもりでいた。
そうしたらその人は私の脇の下から私を抱き上げ、十文字固めをするような感じで抑え込んだ。
私はわんわんと泣いていやだいやだと言ったけれど、すぐに口も手で塞がれてしまった。
塞がれても私は声を出そうと必死だったし、足もじたばたさせた。
そんな状態の私をその男の人はずっと抱えたままそれこそ数百メートル歩いた。
火事場の馬鹿力じゃないけれど、人間が自分の欲求を満たすためなら、20kg弱の重さのじたばたしている子どもを抱えて歩くことも可能になってしまう。
あれはどういう巡り合わせだろうと思う。
すべてが1秒の狂いもなくその通りに起こった。
そのことがなければ私は自分が今頃本当にどうなっていたんだろうと思う。
命さえもなかったかもしれない。
そんな私を数百メートル抱えたまま、その人は近所の本屋さんの前を通過しようとした。
思うに、他の店は全部閉まっていたから、時間は21時前後だったと思う。
本屋のいなとよのおばちゃんは、店じまいをするために店頭の商品をシャッターが閉まるように動かし始めていた。
いなとよのおばちゃんは男の人に口を塞がれて抱えられている私の姿を一目見るなり血相を変えて「あんた何やってんの?」とものすごい怒声を上げた。
全体的にふくよかなおばちゃんではあったけれど、普段穏やかで優しいおばちゃんからは想像もできないような声を張り上げていた。
「その子を離しなさい!」と言って、そして男の人もびっくりしたのか、あっさりと私を離して走ってその場から立ち去った。
その後いなとよのおばちゃんが私を家に連れて行ってくれて、それですべては事無きを得た。
おばちゃんのところには親に連れられてよく行っていたし、子ども用の本もそこで何回か買ってもらったことがある。
私が武士俣さん家(ち)のふみこちゃんだということはよく知っているおばちゃんだった。
お店にも何回か行っているから知っていたけれど、おばちゃんは普段は入り口入ってすぐのところで店番をしていた。
それは通りに対しては背中を向ける形で、そしてそれは通りからは1.5メートルほど離れているところにあった。
当然おばちゃんは店内にいるわけだから、おばちゃんの背中のすぐ後ろは、内と外とを隔てる壁で覆われている。
子どもの頃の記憶だから若干怪しいけれど、私はおばちゃんが外に出ていたところは見たことがない。
いつも中にいて、中でゆったりと店番をしていたその姿しか記憶にない。
だからあの日あの瞬間、丁度店じまいの時間でおばちゃんが外に出ていて、そして通りがすぐ目に入る場所にいてくれたことは、ものすごく奇跡的なことだった。
普段通りの場所にいたのなら、おばちゃんはその男の人にも私にも気付かなかっただろう。
だけどあの時は色んなことが偶然に偶然を呼んで、1秒の狂いもなくその通りのことが起こった。
しかもあの本屋さんの前を通ってもらわないと困る。
道は他にもたくさん選択肢があったけれど、なぜかあの道だった。
そしてそこにはものすごいタイミングでいなとよのおばちゃんが待ち構えていた。
そしていなとよのおばちゃんは私が武士俣さんちのふみこちゃんだということをよく知っていた。
そんなこんなの有り得ないことだらけで私の命は助けられた。
今日2018年2月17日、今頃は始発の新幹線に乗って妹が2歳の姪っ子のメイを連れて金沢から帰ってくる。
パン職人の義理の弟は急遽また三重の方の店舗の手伝いに駆り出されて、おとといから三重に行ったらしい。
それが1週間なのか10日なのかわからないけれど、メイと2人でいるよりも実家に戻って大人の手があるところにいた方がいいと思ったのだろう。
両親にしたらメイしか孫がいないから、溺愛する孫が帰ってくるとなり、2人は大喜びでメイを迎える準備をすぐに整えた。
私もこれから来週末くらいまではメイとの濃密な毎日を送ることになる。
また「足がしゃがしゃ」「かいーかいー」などと訴えてオイルマッサージをさせてくれるだろうか。
「だっこっこ」と言って抱っこをせがんでくるだろうか。
「ドラえもん見たい」とぼそっと小さな声で言ってまたエンドレスドラえもんタイムの刑になるだろうか。
作家の吉本ばななさんがいつかのエッセイの中で「死んだ時に持って行けるものは思い出だけ」と言っていた。
本当にその通りだと思ったし、その最後の時までどれぐらい素敵な思い出をたくさん作れるだろう…と考えると、実はそれが人としてやるべき唯一の仕事なのかもしれないとさえ思ってしまう。
社会的なことではなく、本当に自分の大切な人たちといかに巡り合っていかにその人たちと大切な時を刻めるか、それが本来はすべてでもいいのかもしれない。
これから数日に渡りメイと思い出を作る。
4月からは保育園に行くらしいから、もうこんな風に長期で実家に帰ってくることもそうそうないだろう。
それもあって両親は帰ってくることを心待ちにしていた。
そういう思い出作りもあの日あの時いなとよのおばちゃんが助けてくれなかったらありえないことだった。
他にも9・11のテロの時の直前に私はあの世界貿易ビルの前に行ったり、2004年の中越地震で崩れた崖の中から2歳の男の子が助けられたけれど、まさに次の日私はその同じような時間帯にそこを通る予定でいた。
そしてなんと前日も似たような時間に全く別の用事でその道を通っていた。
どちらも一度きりの用事で、何であの時にそのことが集中したんだろうと運命のいたずらとしか思えないことが重なっていた。
なぜなら当時の普段の生活ではそこは通らないどころか行くことさえもない町だったから。
だけどあの時は、前日は職場で仲良くなった人たちと秘密裏で行った旅行の帰り、翌日は今度は福祉の現場実習をその日から始める予定でいてそれで通る道だった。
九死に一生を得るじゃないけれど、私はいつもすんでのところで命が助かっている。
助けられていると言う方が近いかもしれない。
見えない存在から見守られているという感じも、今ほどにそういうことに全く興味がなかった頃もそう思っていた。
自分の命が普通にあることが普段は当たり前になっているけれど、本当はそうじゃないことを私はそういう体験から本当は知ってるくせしてまたすぐに忘れる(苦笑)。
だからなのか何なのかは知らないけれど、私は20代の頃からやたらと「命あっての…」と思うことが多かった。
命があって色々体験できること。
自分の命があって他の誰かの命があって、その命と命が交じり合って何かの瞬間が生まれること。
それは思い出かもしれないし、笑いかもしれないし、涙かもしれない。
だけどそれが本当の本当に特別であることは、普段忘れていてもふとした瞬間に思い出すことがある。
オリンピックでメダルを取るとかそういうこともすごいことだと思う。
だけどそんな大きなことじゃなくても日常の中に奇跡はいっぱいこと詰まっているし、そしてそれに触れるたびに何か大切なものが自分の心にそっと染み渡っていく感じがする。
とか良いこと書いているけれど、多分これからやってくる怪獣メイとの日々に、生気を吸い取られてぐったりとしている自分の姿が目に浮かんで仕方ない。
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