今回のホロスコープ鑑定で、自分の過去生についてミエコさんから教えてもらったことを私はすぐに信じることができた。
信じることができた理由は、やっぱりペンジュラムのことがあったから。
(過去世:輪廻転生の思想のもと、過去に生きていたとされている人生を指す)
2016年5月に私の元にやってきて、そしてつい最近多分2018年になるまで、私は一度も自分とペンジュラムについて考えたことはなかった。
それがどういういきさつでか忘れたけれど、ふとペンジュラムを最初から使いこなしている自分が変だと思った。
変というのは変わってるということではなく、何で誰に習ったわけでもないのに最初からバンバンと使えていたんだろう?ということに対して違和感を初めて覚えた(←遅すぎる)。
私よりもスピリチュアルな知識や能力を持ってる人たちからも色々聞かれ出したから、さすがに自分でもそうだよね、普通に最初から使えるだけじゃなく使いこなせているというのが変だよね、と初めて客観的に眺めるようになった。
そして対比材料として、私は人生の中で最初からものすごく天才的に上手にできるということが、ペンジュラム以外に1つもなかった。
オール1だった私は、文字を読んだり書いたりすることも、さらにはそれらを理解することもものすごく努力をして獲得をした。
計算もそろばんを小3で習うまでは、数の意味すら理解できなかったから、本当にそういう面でもものすごく苦労した。
20代の頃、世界共通英語テストのTOEICで全世界の受験者のトップ3%に入る点数を叩き出したけれど、元々は赤点すれすれの英語の成績で、これもものすごーい努力の末に手にできたものだった。
最初からできていたこととして強いて挙げるとすれば、書くことは何のわだかまりもなくすらすらと書いていたぐらい。
他はとにかく努力努力努力の上にようやく手にしたことばかりだった。
なのにペンジュラムは、すぐその場で簡単な説明書を読んでその通りにやって、そしてどのペンジュラムでも同じようにできた。
そのうち、ペンジュラムもどきじゃないけれど、私は五円玉に紐を通したものでも、クリップをいくつか繋げたものでも、大きな輪ゴムに洗濯バサミのような事務用品を付けたものでも、なんでも普通に回すようになった。
クリップなんかは仕事中に大活躍で、よくそれで遊んでる(←えっ?)。
とにかくペンジュラムだけは、最初から並々ならぬ能力を発揮していた。
私はそれに対し、ペンジュラムは誰でも回せると思っていたのと(今でもそれは思う)、回せない人はそんなの有り得ないと頑なに信じているか、自分にそんなことできないと信じているかのどちらかだろう位に思っていた(今でも思っている)。
だから自分ができているぐらいだから、当然みんなもできるだろうと思い込んでいた。
ちなみに2歳の姪っ子に持たせてペンジュラムが反応するかどうかを見たら、2歳の子が持っても反応する。
まぁ子どもの方が純粋無垢に取り組めるからというのもあるかもしれないけれど。
そんな風だったから、自分がペンジュラムを使いこなしているそのことに何の疑問も抱かなかった。
だけどふとそれって普通じゃないのかもと思った時、初めて「これはもしかしたら過去のある時の人生でペンジュラムを使っていて、だから今も普通に使いこなせるのかもしれない」と思った。
(私は輪廻転生を信じてる)
自分でも傲慢だと思うけれど、ペンジュラムについてネットで検索をかけると色んな人たちや団体が使い方を紹介している。
もちろん全部を読んだわけではないけれど、読んでいて「それウソでしょ?」と思ったり
「その情報間違ってるよ」と思うこともかなり多く見受けられたし、ものすごい低レベルなことをまるでものすごい高レベルなことみたいに言っていて痛々しいものも見られた。
そういうことも見極めてしまうぐらいにペンジュラムについては誰に教えられたわけでもないのに知っていて、パワーストーンについて色々詳しく知ってる人たちからもペンジュラムの使い方についてあれこれ聞かれる。
答えると言ってもあくまでも「私はこんな風にして使ってます」という具体的な自分の使い方を言うだけで、それが合ってるか間違ってるかなんていうのは私も実のところ知らない。
知らないけれど、それで自分が実際に使えているから、それでいいんだろうと思ってる。
日付を見ると、1月16日に初めてミエコさんから私とペンジュラムの関係について言及された。
私はざっくりとミエコさんにどうやってミエコさんに行き着いたのかを事務的なやりとりのついでに話した。
ペンジュラムが指したドラッグストアに行ったついでにその同敷地内のスーパーで無料の情報誌を手にしたこと、そこでミエコさんを知ったこと、本当は12月のイベントに行きたかったけれど行けなくてそこで個人鑑定の申込を考えたこと、友達にホロスコープ鑑定してる人たくさんいるから調べてみたらと言われて調べてペンジュラムが唯一YESを指したのがミエコさんのホームページでビックリしたこと、そんなこんなの流れで行き着いたことを伝えたら、ミエコさんから思わぬ返信が来た。
「間違いなく過去世でペンジュラムを使われていますね!
その時は、男の子です。祖父母にあたる方が使われていたようで、家庭のなかに当たり前にペンジュラムがあり、日常に当たり前に使っていたようです。祖父母の方が使うのを幼少期からみていて、自然に使いこなすようになり、過去世の史子さんにとってペンジュラムは、かけがえのない自分のお友達であり、自分の一部のような、一体感になっていたようです。
この男の子は、残念ながら成人まではいきていないようなんですよね。
この子の思い、志のようなものが、今世の史子さんに強くいい意味で出ているようです。」
その文章を最初見た時、私はぼろぼろと涙がこぼれた。
自分の中で、色んなことが断片的に繋がり出した。
10月に自分の目を見て感じたことを書に書いてもらった時(今年の一文字「逢」⑤道標)に、「世代なのか先祖なのかわからないけれど、脈々と流れているものから来ている絶対的な強さの意思がある、そこに使命と繋がってるものがある」と言われた時、私は単に自分の家系図的な流れを想像した。
でもミエコさんからペンジュラムを使っていた過去世の話をされて、それはその男の子の意志なんじゃないかと思った。
長くは生きられなかったその子の思いが、今世ではものすごく丈夫な体に生まれてそして実際に色んな体験をするという人生を設定している、とものすごく自然にそう思えた。
それは良いこともそうでないことも、むしろ人生前半の方は辛いこと生きづらいことの方が圧倒的に私の場合は多かったけれど、それさえも体験したくて生まれて来たんじゃないのかなと思った。
そしてその子がとてもペンジュラムを大切にしていて、しかも自分の一部のように感じていたとするなら、今の私とペンジュラムの関係もものすごくうなずける。
まさにそういう関係を今もう一度持っている。
そして誰に聞かなくても最初から使いこなせていたのも、過去のどこかの人生でそうやって身につけたものから来ている、と思う方がしっくりとくる。
すごく納得した。
実際の2月4日の鑑定の時にも、もう少しその辺りのことでプラスアルファの情報を追加で聞いてきた。
その一連の情報のおかげで、一気に私の中で自分の人生が繋がるようになっていった。
そしてメールの時から気になっていたことをミエコさんに直接聞いてきた。
そもそもそんな風に過去世の情報とかをミエコさんはどんな風にキャッチしているのか、そういうことができる人なのか、その辺りが気になって聞いた。
ミエコさんはこんな風に話してくれた。
ミエコさんは元々子どもの頃、目に見えないものが見えたり聞こえたりする体質だったという。
でも本人はそれが嫌で嫌でたまらず、よく言われる「大人になるとそういうものが見えなくなる」というのを自分の身にも起こると頑なに信じて、それで実際に二十歳を過ぎた頃から一切見えなくなったとのこと。
それ以降から現在に至るまで、必要があるとそういう情報が自然にもたらされるようになっているとのこと。
その必要というのは、私なら私にとって必要だと判断されると、そういう情報がミエコさんの方に送られてきて、それをミエコさんはただ伝えるという係になるみたいな感じだった。
それって誰が判断してるんですか?と聞いたら、その情報に関わっている人たちにとって、そのどちらかが必要だと感じればそのようになる、そこに関わっている当人同士たちの意思からきていると思われます、とのことだった。
ちなみに私に関しては、ミエコさんいわく私の方ではなく相手の方の意思の方から今回来ている感じです、と言われた。
これは見ようと思って見えるものじゃないから、ミエコさんも一切コントロールできないと言っていた。
だから見えた時やメッセージをキャッチした時というのは、それはその相手に伝える必要があって来ている、とミエコさんは捉えていると話してくれた。
ミエコさんの好きなところはたくさんあるけれど、その中の1つにそういう情報をとても良い形で伝えてくれるところがある。
しかも、それは過去に原因を求めたり過去をほじくり返すとかじゃない。
今を生きる自分のために向けられたメッセージとして、ミエコさんはそういうことを伝えてくれる。
その男の子の話を聞かされた時、私の中で過去世のイメージががらりと変わった。
過去世について、私は輪廻転生は普通にあると思うからそれはあっても何ら不思議はないと思っているけれど、今生きている中で出てきた問題を過去世のところに解決を求めるやり方がとても嫌だと思っている。
過去の人生は過去でもう完了しているから終わっているのであって、もし過去から引き継がれている何かしらの課題があるとすれば、それは過去世セラピーみたいなのではなく、今現実的に何ができるかというところが大事だと思うから、そういうよくわからないことを引き合いに出してするセラピーとかにとても疑心暗鬼な自分がいる。
受ける人も受ける人だし、提供する人も提供する人だと思う。
そこは今も変わらない。
だけど、ミエコさんが伝えてくれたことは、過去のどこかの時代で生きていた自分からやってきた応援メッセージのようなもので、私はそれを聞いて「この人生でいいんだな」とものすごく腑に落ちた。
世間的に指をさされたり人から理解されないようなことであっても、全部全部生きてこその体験で、それを体験できなかった当時の意志を継いで今を生きていると思ったら、自分の体験が丸ごと愛おしいものみたいに感じた。
ミエコさんも情報を自分の方から働きかけてキャッチできるわけではないし、むしろ今生きている現実に対してきちんと対処できることが大事と考えている人だから、ホームページにも自分がそういう体質であることは一切載せていない。
公表も普段はしていないとのことだった。
ミエコさんはいつかのメールで
「今世の生き辛さや、問題を過去世に原因を求めている人も多いですよね。私もそういった視点で過去をみるのは、あまり好きではないです。
史子さんがいわれたように、過去世は今を生きる私たちへのヒントになったり、応援エールだと私も思います。」
と話してくれた。
こういう視点を持ってられる方だったから、私もとても素直にミエコさんからの話を聞くことができたし、ミエコさんの情報に1ミリも疑いを持つことがなかった。
そして最後、一番の決め手は、ミエコさんが伝えてくれた情報というのは、私の中でずっと意味不明且つ本当に色んな意味でおかしいと思っていたことに対して、ものすごくわかりやすい解釈を与えてくれたことだった。
これはこれから書くことだけれど、私の中で色んなことが一気に繋がった。
そしてペンジュラムがなぜミエコさんだけにYESを出したのかもよくわかった。
世の中にはたしかにもっと他にもホロスコープ鑑定に携わっている人がいる。
ミエコさんよりももっと知識を持っていて活躍されている人もいる(とミエコさんがご自身の口からはっきりとそう言われた)。
だけど私にとってはミエコさんでないといけなかった。
それはミエコさんでないと、あの特殊体質で必要な時だけ情報をキャッチしてそのまま伝えてくれる、そういうミエコさんじゃないと、私が手にした情報は手に入らなかった。
そしてそれはホロスコープだけでは絶対に導き出せない類いのものだった。
ホロスコープから出てくる情報にプラスしてミエコさんが個人的にキャッチした情報が加わったことで、本当の本当にすべてが繋がっていて、そしてそれが丸っと自分の人生なんだと信じられた。
誰が信じなくても私自身が信じられるから、それで十分だと思った。
そしてミエコさんと他に2人の友達にも私のホロスコープを読んでもらって(友達にはデータをそっくりそのまま渡した)、それがまさに私の人生なんだと言われてものすごく心強かった。
自分でも書いていてわかるけれど、こんなファンタジーみたいな話、ましてやハリーポッターの魔法の杖ですか?みたいな話、普通に言ったら大真面目に精神病院に連れていかれてもおかしくないと思う。
そしてみんなに信じて欲しいなんていうことは全く思っていない。
「そんなことあるわけない」と言われることの方が普通だと思うし、何年か前の私ならそういうことを全く理解できなかったから、理解できない人の気持ちもよくわかる。
だけどいざ自分の身に起こってみると、私にとってはもうそれが日常になってしまっていて、隠しているのもばかばかしくなりつつあって、それで今回とりあえずまずはブログにひたすら書き残すというところから始めている。
そのうち会う人たちにも必要があれば話し出すと思う。
そして私が今回公表しようと決めた一番の理由は、これから書こうとしていることがあったから。
尋常ではない、自分からしてみても「異常」とか「おかしい」とずっと思っていたことに、ようやく1つの答えをもらえた。
それで私の中で一気に色んなことが繋がったのもそうだし、もう色々と吹っ切れた。
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