2017年大みそか。
隣りには2歳の姪っ子メイが寝ていた。
安室の紅白を見たかったけれど、疲れ果ててその前に布団の中に入った。
メイは私より少し先に眠りについた。
私も半分寝ぼけ出した頃、自分の右腕のひじ辺りに何かを感じて目を開けた。
メイが自分の母親と勘違いして、私の腕をぎゅっと小さな手で握っていた。
自分の知ってる人の腕を掴んで、「いるよね?」の確認をメイはよく寝る最中にするらしい。
そっと握るんじゃなくて、けっこうな強さで握っていた。
私はそれだけでうるうるっときてしまった。
小さな手が命の確認をする。
完全に夢の中なのに、体は無意識に自分以外の人の肌がきちんと近くにあることを確認してしまう。
メイはいつだってシンプルだった。
抱っこして欲しい時は「だっこっこ」と言って両手を上に伸ばす。
寝る前の儀式は決まっていて、自分から大人の胸に飛び込んで「ぎゅー」と言いながら抱きついてくる。
それもメイの力の限りで抱きついてくる。
その後「チュー」と言いながらほっぺたのチュウをする。
こちらもぎゅーっとしながら、ほっぺたのチュウを返す。
そしてメイにかわいいかわいいと言ってなでなでする。
2017年の終わりは、愛おしい気持ちと愛おしい存在を感じての涙で幕を閉じた。
2018年1月7日。
メイと妹が帰る前日の夜。
メイより一歩遅れて布団に入った。
妹は疲れ果ててメイの「かいーかいー(かゆいかゆい)」を「かゆいんだね」と言葉だけで返すのが精いっぱいで起き上がって何かをする余力がなかった。
そのタイミングで私が隣りにきたから、「メイ、いつもの油ぬる?」と聞いてメイも暗闇だけれど多分目を輝かせて「うん!」と元気よく返事をした。
適量を手のひらにとり、メイのパジャマの裾をめくってつまさきからひざ下までオイルマッサージ風にして乾燥したところも含めてオイルを塗った。
ゆっくりゆっくりとオイルを伸ばし、適度な力加減でメイの足をさすった。
「あしがしゃがしゃ(足がさがさ)」と自らの足についてメイは言い出して、その「がしゃがしゃ」という言い方に妹と私は2人で大笑いしてしまった。
メイはその後もぶつぶつと何かしら私に話しかけていたけれど、途中から静かになって気付けば大きないびきを掻き始めていた。
メイは鼻が今悪くていびきを掻く。
それもその小さな体から発してるとは思えない大きないびきを。
メイのいびきを聞いて、妹が「史子の手、ちょっと見せて」と言ってきた。
真っ暗に近い常夜灯の小さな明かりの下、メイの向こう側にいる妹に手を差し出した。
「史子の手、気持ちいい!これならメイ気持ち良くていびき掻いて寝ちゃうね」と妹は言った。
妹が同じことをしても、メイは途中で「いったぁいいったぁい(痛い痛い)」と言うことがあるらしい。
乾燥した部分が変な風にメイにあたると、それが痛くなるようだった。
妹の乾燥した手は確かに同じ親から生まれたとは思えない位に私とは肌質が違っていた。
その話をしていたら、20代の終わりに男女数名で海水浴に行った時のことを思い出した。
日焼け止めを塗るにあたり2人の男友達には女性全員がそれぞれ手分けして塗った。
その時に男友達2人ともが「ぶっしーの手、めちゃくちゃ気持ち良い!」と絶賛してくれたことがあった。
そこにいた全員でお互いの手を触り合って、その質感をとても誉められた記憶がある。
私は自分の手の大きさや無駄にぶよぶよとして肉厚なところとか、基本的に自分の手の形が全く好きじゃない。
もっとすっとして細くて華奢な手に憧れて仕方ない。
だけれど、基本的に動物的感覚で生きているような2歳児が私の手によるマッサージで大きないびきをかくほどの気持ち良さを感じてくれるなら、この手の役割もとても大きい。
そしてこれは生まれた時から与えられた手の質感なんだと知ったら、自分の手の価値もぐんと上がった。
たとえ不格好でもこの肌質は自分のもので、そしてそれで誰かを喜ばせることができるならこれほど嬉しいことはない。
メイの大きないびきのおかげで、メイとの最後の夜私も自分の手に大満足した。
人生ってよくできてるなと思う。
20代の終わりに自分の手の質感を誉められたことは確かに嬉しかったけれど、そんなこともうずっと忘れていた。
そしてそれが自分に与えられているものだという認識なんか全くなかった。
でもそういう大切なことは気付けるように、また機会が与えられる。
メイはどういうわけか自分の体の不具合について半端ないアピール力を誇っていて、唇が気になれば自らリップを取りに行ってリップを塗っていたし、肌がかゆいとクリームを塗るようによくせがんでいた。
メイのガサガサ肌の体質にプラスしてそのアピール力もないと、私が最終的にメイにオイルを塗ることもなかっただろう。
そしてどういうわけか妹が私の手を見せてと言って、それで妹が私の肌の気持ち良さを伝えてくれなかったら、私の手はいつまで経ってもぶよぶよの肉厚な手止まりだった。
メイと妹のおかげで私は自分の持っているものを知ることができた。
そしてその自分の持っているものは、人を喜ばせるために与えられているものだということを、そのメイの小さな体が私に伝えてくれた。
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