9月の終わり位から私はある1つのテーマについて自分であれこれ調べている。
書籍の情報が極端に少ないから、もっぱらネットでの情報収集をしている。
数年前にも調べたことがあるテーマだから全くのゼロからのスタートではないにしても、今回さらに理解を深めるという意味では初心者同然のスタートだった。
私は最初用語の意味すらわからずにいて、用語について解説してくれているサイトをいくつも読んでようやくその意味を掴んだ風だった。
今はだいぶ理解度も上がってきたから、今度はそれ相応の情報がキャッチできるようになってきた。
習熟したからと言って、テストがあるわけでもないし、それがお金になるわけでもない。
純粋に自分のためだけに調べているけれど、やっていてかなり楽しい。
先日東京で占い師のおばちゃんに会ってきた。
今回初めておばちゃんの年齢を聞いてびっくりした。
なんと御年83歳!
生涯現役という言葉がぴったりな、元気はつらつとしたおばちゃんだ。
私は勝手に70歳ぐらいかと思っていたら、なんとなんとの83歳。
おばちゃんから実は何回も言われていたことがある。
「情報(データ)を集める」ということ。
今回はもう少しわかりやすく「資料を収集することがあなたの才能」と言われた。
この意味が実は長いこと全然わからなかった。
まずは「情報」や「データ」「資料」が何を指しているのか全くわからなかった。
私、何を集めるんだろう?ってずっとずっとわからなかった。
おばちゃんにもいつだったかは「それってどんなものですか?」と聞いたけれど、「それは私にもわからないわよ、あなたにしかわからないもののはず」というようなことを返された記憶がある。
唯一ヒントらしいヒントと言えば「あなたはそれをとても自然に集めるはずよ。集める!と意識して集めると言うよりも、自分であまり意識せずに集めてくる、そんな風なはずよ」というようなことを言われた気がする。
ある時ふと自分がしていることを見て「これだ!」というのが出てきた。
1つは、私は気に入った言葉を見たり読んだりするととにかくメモをする。
今はぴたっとやらなくなったけれど、一時期は「写経」と呼び、読んだ本で気に入った文章があると付箋を貼り、それをひたすらノートに写すことをしていた。
ルーズリーフ800枚前後とそして100枚ノート3冊分はある。
それこそ休みの日に朝から晩までごはんの時間以外ひたすら書いていたぐらいにはまっていた頃もあった。
時間はいくらあっても足りず、本当にどこの修行僧かと思うような感じの休日を過ごしていた。
もう1つは、心理系のワークをひたすらやりまくり、それを全てノートに記録している。
30枚の大学ノートが今度7冊目に行こうとしているから、単純に数えて300以上のワークや、自分で思い付いてやったワークなんかがある。
ネガティブなことを書いた紙は手元に残さない方がいいとよく言われるけれど、私は逆だと思っている。
そういう時の気持ちって半永久的に持続されるわけじゃないから、逆に文字にして残しておかないと忘れる。
その時のリアルな気持ちは、やっぱりその時でないと表現できない。
例えば1年前の今日の気持ちなんてわからないから、そういう意味でもその場で残す。
そしてこれだけたくさんのノートを数年に渡って積み重ねると、もうこれは自分にとってのかけがえのない最高の財産になる。
世界中どこ探したってこんなにリアルなノートや教科書的な本はない。
そういう意味で、私はたくさんの情報収集というか、とにかく自分の好き好んだものたちをあれこれ集めまくった。
それで2017年の師走の今。
長いことこの情報とやらが何になるのかとずっと思っていた。
紙は増えるばかりで、これまでそんなに活用されることはなかった。
時々見返したりはするけれど、そこまで積極的に見返すわけでもない。
ところが10日ほど前友達と会っていた時に、私は「サインのキャッチの仕方」についてとうとうと説明していた。
友達は某雑誌の星占いで「今から来年2018年はくじ運がいい」とあって、当初は「ふ~ん、そうなんだ」と読み流していたそう。
ところが本当にそういうことがたかが1~2週間の間で3回も起こったという話を教えてくれた。
そのことについて私が感じたままを友達に伝えた。
「良かったね!」だけではなく、友達の今置かれている状況とその実際に起こった3回の当選と、それらがどんなメッセージを友達に伝えているのかを私が感じたままにただ喋っただけだった。
友達から逆に「どうやってそんな風に読み解くの?ぶっしー何か視えてるの?」と聞かれた。
友達には「私が何か視えるわけないじゃん。何か視えてるなら、今頃それでごはん食べてるわ!」とか言いながら、実際にどうやって読み解くのかということを私なりの解釈で説明した。
好きで集めた情報たちのおかげで、私は情報と情報をどうやって結び付けるかや、1つの情報を他にどんな風に解釈できるかということに関して、いつの間にかそういうことができるようになっていた。
私もいきなりできるようになったわけではないけれど、ある程度の情報が集まると情報と情報を組み合わせることができるようになる。
だからある人が書いたAという文章と全く別人のBさんという人が書いた文章が一瞬でかちっと合わさったりする。
今調べているテーマなんかもそうで、ある時全然別人の人たちが書いていることがかちっと合致して「あ!同じこと言ってる!」というのがわかる。
もしくは、人の書いていることと自分の実体験が重なると、そういうことを意味しているのかと、自分の中で色んなことが繋がりだしたりもする。
ちなみに合わせる時は、その意見をたくさんの人が言っているかどうかよりも、その書かれていることが自分の中でしっくりきているかどうかを見ている。
だから、たとえ100人中99人の人がそんなの有り得ないと思うことでも、たった1人の人の言っていることが私の中の感覚と合致すれば私はそれを自分の中に取り込む。
しっくりこない情報は、自分の理解がおぼつかないか、情報が自分に合っていないか、又は書かれている情報に嘘というか変なものが一緒に含まれているかのどれかだと思う。
それは情報を読み解くことをひたすらやっていた中で、自然と感覚でわかるようになったことだった。
30代は特に、数年かけて情報収集を積極的に行っていた。
自分の中では収集しているつもりはなかったけれど、「気になるから調べる」ということをその都度していたら、膨大な量の情報が集まってきた。
これまでは「気になったら調べる」だったから、その気になる順番とか全く気にも留めていなかったし、そもそも私の情報収集は自分の興味の赴くままだから、1つ1つを見ると何の繋がりもないように一見見えて関連性はその時には見出せない。
ところがこの3ヶ月ほどで、情報にも順番があることがわかってきた。
自分がその情報をキャッチするのに必要な体験と知識が土台として出来上がると、それに相応しい情報がやってくる。
これから小学校に上がる子どもがいきなり大学院生が学ぶような教材を渡されてもさっぱり理解できないのと一緒で、情報もその時の自分にぴったりの情報がやってくる。
そして必要な情報であれば、何度でも自分のところにやってくる。
今手元に2015年5月24日にメモしたものが出てきたけれど、その時にはさっぱり響かなかったメモが今頃2年半も時間を経てとてつもなく自分に響いている。
そんな風にして、必要なことはまた準備が整うとやってくる仕組みにどうやらなっているらしい。
私はこれからも情報収集を続けるだろうし、気になればメモをしたりコピーを取ったりするだろう。
そして今は、情報にもきちんと順番があるということがわかり始めてきたから、焦らず自分のペースで必要なことを知っていけるだろう…って自分を信じる土台みたいなのも生まれてきた。
ふと思う。
占いに行って「資料(データ・情報)を収集することがあなたの才能」と言われて帰ってくる、しかもそれが何だか知らないけれど自分の中の印象に残るってあまりないかもしれない。
しかも行く度に言われるのだから、相当なものだと思う。
今となれば、おばちゃんのその言葉にものすごく感謝している。
おばちゃんの言葉がなければ、私が日常的に無意識にやっていることに注目もしなかったし、ましてやそれが何になっているのかなんて考えたこともなかったから。
そしてこの情報収集は、私に自分を信じる力をくれる材料のようにもなっている。
自分がやってきたことたちが、今少しずつ自分のために動き出していて、そして私に知恵をくれるようになっている。
おばちゃんはそこまで見越してそういう言葉を言っていたかはわからないけれど(おばちゃんの性格を考えるとそこまで見越してたとは思わない 笑)、おばちゃんの言葉は確実に私に大切なものに気付かせるための大きなヒントになっている。
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